かつての最長距離列車、「富士」に乗車したときの記憶です。 1978年の7月。 いまからちょうど30年前でした。 トライスター。 いきなりですが、飛行機です。タイトルは「寝台特急富士」なのですが。 最長距離の寝台特急「富士」の乗車が今回の大きな目的のひとつではあるわけですが、当然ながらその前後もあります。 今回は九州に向けて一旦東に向かい、大阪伊丹空港より飛行機で鹿児島を目指しました。 市街地空港の騒音問題で、当初大型ジェット機の乗り入れが出来なかった大阪空港。 このころになるとようやく幹線はエアバスが就航するようになり、設置が遅れていた大型機用のボーディングブリッジも使える状態になっていました。 当時の全日空の大型機はロッキードL1011トライスター。 何かと世間をお騒がせの飛行機です。 大阪で発着を眺めていると、随分とエンジン音が静かな印象でした。 本当は、福岡行きの全日空ボーイング727の便に搭乗したいと思っていたのですが、人気路線と少ない定員のため、当日空港で確認したところ満席。 やむなく空席のあった鹿児島便にすることにしました。 スカイメイトで搭乗のため、事前予約購入ができないのが辛いところです。 そのかわり運賃は、(当時の)ジェット着陸料金を含めて大阪から鹿児島まで8000円余りと、格安です。 当時から随分いい加減な行程の立て方ですが、九州内はワイド周遊券でまわる予定のため、まあ何とかなるでしょう。 広島。 当時のかいもん4号の居住地、広島の南方瀬戸内海上を巡航中です。 これから先目指す九州は、当時在学中の大学鉄道研究会の鹿児島合宿、更にその前の宮崎プレ合宿です。 前年夏に引き続き、鉄道系サークルの合宿旅行に飛行機で乗りつける、ハズレた会員でありました。 まあ、そこは乗り物全般が趣味ということで勘弁いただくとして・・・。 窓際の席は、夏雲交じりの風景がよく見えて快適です。 地元岡山から広島まで、わずか10分ほど。 さすがに早い。 広島を過ぎ岩国空港上空までは真直ぐ西へ。 そこで進路を南に変えたと思ったら、もう眼下には海上に突き出た大分空港の滑走路。 地図で眺めれば当たり前なのですが、鉄道で辿ることを考えると、何とも驚くばかりの飛行機の実力ではありました。 残念ながら、九州上空に入った途端、夏の入道雲の中(上)になってしまい、そこから先後半鹿児島までは、あまり風景は楽しめませんでした。 寝台券。 さて、本命「富士」の特急券・寝台券です。 この年1月に乗車した 「あさかぜ20系コンパートメント」 に引き続き、個室寝台の旅です。 当時は(今でもそうですが)、全く豊富でない学生の財力を一部分に集中的に投入する、という傾向が極端でした。 特急券は旅の途中、宮崎駅で購入。 当時は指定券は1週間前発売。 1週間前の9時半頃に、みどりの窓口のある駅に到着しているようスケジュールを調整しての購入です。 幸い、予定の日にちの列車の部屋を確保することができました。 古い端末で発行された旧式の切符ですが、先の「あさかぜ」と異なり、こちらはちゃんとMARS端末から発行することがでるようになっていました。 それにしても、個室ながら、ちゃんと「下」という文字が入っています。 大淀川鉄橋。 本日は当時の仲間と宮崎泊まり。 寝台券を確保した後は夕方まで時間が中途半端のため、大淀川鉄橋付近で写真撮影、ということにします。 当時は写真はこの趣味の中心ではありませんでしたから、どちらかというとスケジュールのついで、という感じです。 南宮崎までは電化されていましたが、そこから先は非電化区間。 日南線の列車も含め、待っていると気動車やディーゼル機関車が結構やってきます。 博多から肥薩線経由でやって来たのは特急「おおよど」。 間もなく終点宮崎に到着です。 それにしても天気が良く、日陰もなくひたすら暑い大淀川でした。 個室寝台。 1978年(昭和53年)7月20日です。 午前9時半頃の西鹿児島駅です。 (念のため、)写真の人物は私ではありません。 今回「富士」の個室に乗車、ということで話の成行きから同乗することになった、当時の研究会の仲間です。 こちらは私と比べると、はるかに財力が豊富なようです・・・・。 寝台特急、といいながら、真夏の西鹿児島駅で列車に乗り込んだのは9時半頃。 まだ「朝」と言って差し支えない時刻です。 何しろ終点東京までの所要時間はは24時間とちょっと。 当時の最長距離列車、さらに唯一の24時間を越えて走る列車、ということですから、到着時刻を考えれば当たり前ではあるのですが、先ほどからホームや車内での「この列車は寝台列車です。」という案内には、何とも違和感が。 「富士」車内。 当時は日豊本線の南宮崎〜鹿児島間は非電化でしたから、鹿児島から宮崎まではディーゼル機関車DF50が牽引。 宮崎から電気機関車ED76に交代です。 途中大分までは6両の編成で、個室以外はオープンのB寝台。 車内をうろついても、あまり面白くありません。 さらに24系25形以降は食堂車を新造しない、という方針から、食堂車が大分回転の附属編成に移されたため、食事の楽しみもありません。 昨夜は門司から下り急行「かいもん4号」の自由席座席で到着。 西鹿児島の駅構内待合室でボケッとしていたのですが、どうにも睡眠不足気味で仕方ないため、少し仮眠をとることにします。 さすがに個室のため、このあたりは自由になります。 本日の個室車両オロネ25 11は、今年の「20系あさかぜ置換え」用に増備された車両で、元々のオロネ25と比べると、車内がほんのちょっと改良されています。 居住性としては、上の写真でご覧のように、窓際の洗面台の下の部分が切り欠かれ、窓際に座った際の足元スペースが少し広くなっているようです。 とは言っても、平屋構造の車両を輪切りにした形で個室を配置していますから、昼間の居住性はどうにもなりません。 この点は、古い20系の個室寝台の方が、はるかに優れていました。 朝の鹿児島から出発では、さすがに少し辛いものがあります。 門司駅到着。 列車は昼間の日豊本線を延々走り、夕刻に門司に到着です。 前半はいささか退屈で怠惰に過ごした車内でしたが、附属編成が増結された大分あたりからは車内が賑やかになり、時刻的にもようやく寝台列車風になってきました。 夏至はとうに過ぎましたが、真夏のことで何とか車外で写真を撮れる時間帯です。 EF81。 門司駅で関門トンネル用の機関車に付け替え。 本日は少数派のEF81が牽引です。 夏休みに入った頃。 ちょうど小中学生を中心としたブルトレブームの頃ですが、まだまだ門司駅は静かなものでした。 ステンレス機関車。 スマートな車体ながらローズ色一色のため、EF65と比べるとちょっと間延びした感もあるEF81ですが、ステンレスのコルゲートがアクセントになると、ちょうどいい感じです。 但し、新型電機につきもののステンレスの「ひげ」は取り付けられていません。 車体がステンレス無塗装なので当たり前ですが。 この門司と次の下関で機関車付け替えを眺めた後は、食堂車でゆっくりと食事にすることにします。 今なら「食事とビール」といういことでしょうが、この当時は学生ですから、食事時にアルコール、という習慣はまだありませんでした。 ・・・・・ホントです。 終点東京駅。 西鹿児島から24時間余り。 終点東京駅に到着です。 今では新幹線ホームになった東京駅在来線12番・13番ホームですが、当時は東海道長距離列車用のホームでした。 隣のホームには、先に到着した上り「あさかぜ2号」。 さすがに東京駅ではギャラリーが多数います。 こちら側は後ろですが、列車前方機関車側では、相当のギャラリー賑わっていたようです。 長かった「寝台特急富士」の個室の旅はこれで終わりですが、この先は3日間の東京滞在の後、東北方面の旅が待っています。 個室寝台の優雅な夜、としゃれこめたのはここまで。 これから先は、ひたすら毎晩夜行急行の座席で過ごすスケジュールが待っています。 富士・鹿児島付近。 さて、今ならもっと沢山の写真を撮っているのでしょうが、当時は写真は「ついで」的存在。 飛行機や「おおよど」で水増ししたものの、余りに色気がないので、他のコーナーからの転載です。 鹿児島は磯庭園から撮影した特急「富士」。 寝台券を買った3日後、乗車の4日前の7月16日の撮影です。 鹿児島市街地を走ってきた列車は、この地点から海岸沿いに出て、桜島を眺めならが錦江湾沿いの風景が広がります。 尚、以下を含め本写真は 「客車特急」 にサイズの大きい物を置いていますので、そちらも合わせてご参照ください。 富士・鹿児島付近。 富士・鹿児島付近。
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