親王に為れなかった皇子

第四回-二十一阿哥允禧

阿井一矢

 豊紳府00-3-01-Fengšenhu
  公主館00-3-01-gurunigungju

  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

西六宮
平面図
 東六宮
平面図

1908-最新北京精細全圖-光緒三十四年・内城。

 

慎郡王府

二十一阿胤禧(允禧・インヒ)・継嗣六阿哥永瑢(ヨンロン)。

再びの登場だがここでの主役は二十一阿哥胤禧(允禧・インヒ)。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~kazuya22ai/kanon/n-iron-10.html

雍正年間に誠親王府は二十一阿哥允禧(胤禧)に下賜され、慎郡王府に為った。

邸の位置関係は果親王府の西隣、残念ながらvol.4の表紙に慎郡王府は出ているが肝心の正門前はボロボロで判別が出来ない。

1750-乾隆全図-慎郡王府-vol.4-00110012-1750-n-iron-10-01

允禧(胤禧)は雍正八年二月(1730年)に封固山貝子さらに五月に晋封貝勒。

慎郡王府は嗣子永瑢が質親王となり質親王府。

和碩質親王に晋封されるのは乾隆五十四年十一月(1789年)の事だ。

邸は義和団事変の際、八ヶ国連合軍の端親王府破壊の巻き添えを食わされたという。

端郡王載漪は弟の輔国公載瀾とともに主戦派、載漪と載瀾は新疆に追放処分。

維基百科の官園のページに出ていた記事から。

誠親王允祉から慎郡王允禧が引き継ぎ、慎郡王府と為ったとある。

嗣子永瑢が質親王となり質親王府。

記事は鎮國公溥齡の時に端郡王府とともに破壊されたように読めるが。

鎮國公溥齡光緒二十三年七月(189782日)死去。

八カ国連合軍北京占領・光緒二十六年七月二十日(1900814日)。

慎郡王家九代目の毓亨の時代と云うことに為る。

毓亨の一族は西四牌楼近辺に居を求めたと云う。

 

多羅慎郡王允禧

・二十一阿哥多羅慎靖郡王允禧(胤禧・インヒ)-玄燁皇三十一子。

二十一阿哥多胤禧(允禧・インヒ)。

父親-康熙帝-聖祖仁皇帝愛新覺羅玄燁(アイシンギョロ・ヒョワンイエイ)。

母親-熙嬪陳氏・陳玉卿之女。

康熙五十年正月十一日(1711227日)誕生。

雍正八年二月(1730年)-封固山貝子。

雍正八年五月(1730年)-晋封貝勒。

雍正十一年(1733年)-授鑲黄旗満洲都統。

雍正十三年(1735年)-授宗人府左宗正・正黄旗漢軍都統。

雍正十三年十一月(1735年~1736年)-封慎郡王。

乾隆三年(1738年)-擢為議政大臣。

乾隆五年(1740年)-授正白旗満洲都統。

乾隆七年(1742年)-充玉牒館総裁。

乾隆二十一年六月(1756年)-解宗人府左宗正。

乾隆二十三年五月二十一日(1758626日)四十八歳死去。

諡号-靖。

熙嬪陳氏。

父親-陳玉卿。

康熙二十九年三月(1690年)誕生。

初為庶妃,

康熙五十年正月(1711年)-二十一阿哥胤禧(皇三十一子)誕生。

康熙六十一年十二月(1723年)-尊封倩貴人。

乾隆元年十二月(1737年)-冊封尊封熙嬪。

乾隆二年正月二日(1737年)四十八歳死去。

 

胤禧(允禧)yūn hi

gūsai beise

固山貝子(グサイベイセ)

doroi beile

多羅貝勒(ドロイベイレ)

doroi giyūn wang

多羅郡王(ドロイグイワン)

多羅郡王(ドロイギュンワン)

 

・弘昂-允禧(胤禧・インヒ)長子。

父親-二十一阿哥多羅慎靖郡王允禧(胤禧・インヒ)。

母親-側福晋呉氏・呉勳臣之女。

雍正六年二月十一日(1728年)誕生。

乾隆七年九月二十六日(1742年)十五歳死去。

 

・弘旬-允禧(胤禧・インヒ)次子。

父親-二十一阿哥多羅慎靖郡王允禧(胤禧・インヒ)。

母親-側福晋周氏・頭等侍衛六格之女。

雍正九年三月九日(1731年)誕生。

乾隆十四年七月二十六日(1749年)十九歳死去。

 

允禧(胤禧・インヒ)の娘達。

 

・長女。

母親-側福晋周氏・頭等侍衛六格之女。

雍正五年三月二十四日(1727年)誕生。

雍正九年十一月二八日(1731年)五歳死去。

・・・

・次女-縣君

母親-側福晋瓜爾佳氏(グワルギャ)・外博色之女・

雍正五年七月七日(1727年)誕生。

乾隆七年十二月(1742年~1743年)-嫁科爾沁博爾濟吉特氏(ホルチン・ボルジギト)台吉古穆。

乾隆五十九年二月一日(1794年)七十八歳死去。

・・・

・三女-縣主。

母親-嫡福晋祖氏・祖建器之女・

雍正十一年正月十一日(1733年)誕生。

乾隆九年十二月(1745年)-嫁喀爾喀薩克多羅郡王寨桑多爾濟。

乾隆六十年二月一日(1795年)六十三歳死去。

・・・

・四女。

母親-側福晋周氏・頭等侍衛六格之女。

雍正十一年九月十四日(1733年)誕生。

乾隆六年四月四日(1741年)九歳死去。

・・・・・

 

・・・・・ 

定親王歴代

追封-大阿哥定親王永璜(ヨンファン)。

1750年~1776-貝子綿德-永璜長子・初封親王。

1776年~1822-定親王綿恩-永璜次子・初封郡王。

1822年~1836-定親王奕紹-綿恩次子。

1836年~1854-定郡王載銓-奕紹長子・初封郡王・追封親王。

1854年~1907-定郡王溥煦-載銘第五子・載銓継嗣。

1907年~1922-敏達貝勒毓朗-溥煦次子。

1922年~1945-貝子恆馞-毓朗次子。

・・・・・

履親王歴代。

1709年~1763-十二阿哥履親王允祹(胤祹yūn too)。

1763年~1777-四阿哥履親王永珹(ヨンチェン)。

1777年~1796-履郡王綿惠-永珹長子。

1796年~1836-貝勒奕綸-綿懃次子。

1836年~1853-貝子載鈖-奕綸十子。

1854年~1882-奉恩鎮國公溥楙-載鋼三子。

1882年~1885-奉恩鎮國公毓昌-溥楙長子。

1885年~1936-奉恩鎮國公溥植-載鶴(奕綸十二子)長子。

・・・・・

榮親王(栄親王)歴代。

1765年~1766-五阿哥榮親王永琪(ヨンチィー)。

1784年~1815-榮郡王綿億-永琪五子。

1815年~1838-貝勒奕繪-綿億長子。

1838年~1857-貝子載鈞-奕繪長子。

1857年~1866-已革奉恩鎮國公溥楣-載釗長子・載鈞継嗣。

追封奉恩鎮國公載釗-奕繪二子。

1866年~1902-奉恩鎮國公溥芸-載釗三子。

1902年~1912-奉恩鎮國公毓敏-溥芸次子。

1912年~1945-奉恩鎮國公恆煦-毓簡長子・毓敏継嗣。

・・・・・

慎郡王・質郡王歴代。

1730年~1758-二十一阿哥慎郡王允禧(胤禧・インヒ)。

1759年~1790-六阿哥質親王永瑢(ヨンロン)。

1790年~1804-質恪郡王綿慶-永瑢五子。

1809年~1839-貝勒奕綺-綿慶長子。

1845年~1865-已革貝子載華-奕綸(成郡王綿懃次子)十一子。

1865年~1882-奉恩鎮國公載鋼-奕綸九子。

1882年~1883-已革奉恩鎮國公溥泰-載鋼長子。

1883年~1897-奉恩鎮國公溥齡-載鋼次子。

1897年~不詳-奉恩鎮國公毓亨-溥齡長子。

・・・

儀親王歴代

1779年~1832-八阿哥儀親王永璇(ヨンシァン)。

1832年~1834-儀郡王綿志-永璇長子。

1834年~1893-郡王銜貝勒奕絪(奕網)-綿志四子。

追封-貝子載桓-奕絪(奕網)長子。

1894年~1901-貝勒銜貝子毓-溥頤(溥順・載桓長子)長子

1902年~1916年~奉恩鎮國公毓岐-溥頤(溥順・載桓長子)五子

1917年~不詳-奉恩鎮國公恆鉞-毓岐長子。

・・・・・

成親王歴代。

1789年~1823-十一阿哥成親王永瑆(ヨンシィン)

追封-成郡王綿懃-永瑆長子。

追封-成郡王奕綬-綿懃長子。

1823年~1859-成郡王載鋭-奕綬長子。

1859年~1872-郡王銜貝勒溥莊-載鋭長子。

1872—1918-貝子毓-溥蓁(載鋭七子)長子

1922年~不詳-奉恩鎮國公恆燕-三子。

・・・・・

  2024-04-24 ・ 第四回-二十一阿哥允禧
 

親王に為れなかった皇子

第一回-十阿哥允 an-iron-01

第二回-十五阿哥允禑 an-iron-02

第三回-二十阿哥允禕 an-iron-03

第四回-二十一阿哥允禧 an-iron-04

第五回-二十二阿哥允祜 an-iron-05

第六回-二十三阿哥允祁 an-iron-06

第七回-皇四子弘時 an-iron-07

第八回-十四阿哥允禵 an-iron-08

第九回-三阿哥永璋 an-iron-09

第十回-十二阿哥永 an-iron-10

第十一回-奕緯 an-iron-11

第十二回-奕詥 an-iron-12

第十三回-奕譓 an-iron-13

 

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

 

・・・・・

後宮の階級

皇后      ファンホウ

皇貴妃 ファングイフェイ

貴妃  グイフェイ

妃   フェイ

嬪   ピン

貴人 グイレン

常在 チャンザイ

答応 ダァイン

・・・・・

鐵帽子王是世襲罔替的王爵。

和其他親王相比享有的特權主要有三項。

世襲罔替隔代不降爵。

俸祿優厚・俸銀一萬兩・祿米一萬斛。

賜予世襲罔替王府・又叫鐵帽子王府

・・・・・

 

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

 
 花音伝説-豊紳殷徳の時代の親王家

第一回-淑嘉皇貴妃・嘉妃-金佳氏(ギンギャ)

第二回-純惠皇貴妃・純妃-蘇佳氏(スーギャ)

第三回-孝賢純皇后・富察皇后-沙濟富察氏(シャジフチャ)

第四回-清高宗継皇后-烏拉那拉氏(ウラナラ)

第五回-孝儀純皇后・令皇貴妃-魏佳(ウェイギャ)

第六回-哲憫皇貴妃・哲妃-噶哈里富察氏(フチャ)


   
 鉄帽子王・世襲罔替

第一回・礼親王代善(ダイシャン)

第二回・睿親王多爾袞(ドルゴン)

第三回・豫親王多鐸(ドド)

第四回・粛親王豪格(ホーゲ)

第五回・承沢親王碩塞(ショセ)

第六回・鄭親王済爾哈朗(ジルガラン)

第七回・克勤郡王岳託(ヨト)

第八回・順承郡王勒克徳渾(レクデフン)

第九回・怡親王胤祥(インシャン)

第十回・恭親王奕訢(イヒン)

第十一回・醇親王奕譞(イフワン)

第十二回・慶親王奕劻(イクワン)

   未得世襲罔替の親王家

第一回-惇親王綿愷 n-iron-01

第二回-淳親王允祐 n-iron-02

第三回-定親王永璜 n-iron-03

第四回-諴親王允祕 n-iron-04

第五回-栄親王永琪 n-iron-05

第六回-成親王永瑆 n-iron-06

第七回-儀親王永璇 n-iron-07

第八回-履親王允祹  n-iron-08

第九回-和親王弘晝 n-iron-09

第十回-質親王永瑢 n-iron-10

第十一回-惠親王綿愉 n-iron-11

第十二回-瑞親王綿忻 n-iron-12

第十三回-廉親王允禩 n-iron-13

第十四回-果親王允禮 n-iron-14

第十五回-恆親王允祺 n-iron-15

第十六回-理親王允礽 n-iron-16

第十七回-純親王隆禧 n-iron-17

第十八回-裕親王福全 n-iron-18

第十九回-恭親王常寧 n-iron-19

第二十回-襄親王博穆博果爾 n-iron-20

第二十一回-饒餘親王阿巴泰 n-iron-21

第二十二回-端重親王博洛 n-iron-22

第二十三回-英親王阿濟格 n-iron-23

第二十四回-穎親王薩哈璘 n-iron-24

第二十五回-敬謹親王尼堪 n-iron-25

第二十六回-怀親王福惠 n-iron-26

第二十七回-哲親王永琮 n-iron-27 

第二十八回-誠親王允祉 n-iron-28 

・・・




カズパパの測定日記