花音伝説-豊紳殷徳の時代の親王家 |
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第四回-清高宗継皇后 |
阿井一矢 |
豊紳府00-3-01-Fengšenhu | ||
公主館00-3-01-gurunigungju |
富察花音(ファーインHuā yīn)
康熙五十二年十一月十八日(1714年1月4日)癸巳-誕生。 |
西六宮 平面図 |
東六宮 平面図 |
継皇后-那拉氏(ナラ)と見られている画像。 https://zh.wikipedia.org/wiki/File:Step_Empress_Ulanara.PNG |
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清高宗継皇后-烏拉那拉氏(ウラナラ) “輝発那拉氏ホイファナラ ” 継皇后-那拉氏(ナラ)との表記多し。 康煕五十七年二月十日(1718年3月11日)誕生。 父親-ネルブ(訥爾布)・満州鑲藍旗→満州正黄旗。 追封一等承恩公 母親-ラァンギャ(郎佳)氏。 雍正十二年正月二十八日(1734年)-八旗選秀。 雍正十二年二月十四日(1734年)-寶親王弘暦側福晋。 雍正十二年十一月八日(1734年)-入宮成婚。 雍正十三年九月三日(1735年10月18日)-高宗即位詔封妃。 乾隆二年十二月四日(1738年)-冊封嫻妃。 乾隆十年十一月十七日(1745年)-冊封嫻貴妃。 乾隆十四年四月五日(1749年)-冊封嫻皇貴妃。 乾隆十五年八月二日(1750年)-冊封皇后。 乾隆三十年二月十八日(1765年4月7日)-江南巡行途上から帰京(事実上の廃后処分)。 乾隆三十一年七月十四日(1766年8月19日)-四十九歳死去。 寝宮-翊坤宮 陵墓-裕陵妃园寝。 子女-二男一女 |
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弘暦十二男・貝勒(ベイレ)永璂。 ・十二阿哥永璂(王に基・ヨンチィ-読み琪と同じqi)。 父親-乾隆帝弘暦。 母親-継皇后-烏拉那拉氏(ウラナラ)。 乾隆十七年四月二十五日(1752年6月7日)誕生。 乾隆三十五年四月十九日-成婚嫡福晋博爾済吉特氏(ボルジギト)。 乾隆四十一年正月二十八日(1776年3月17日)二十五歳死去。 陵墓-朱华山十二貝勒园寝。 嘉慶四年(1799年)三月-追封多羅貝勒。 無子 養嗣子・貝勒綿偲(ミェンスー)-十一阿哥成哲親王永瑆(ヨンシィン)四子。 永璂貝勒府-西直門内大街に沿って有ったらしい。 1914年の地図に三官廟があるがその西側。 |
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・弘暦五女・不詳。 乾隆十八年六月二十三日(1753年7月23日)誕生。 乾隆二十年四月二十二日(1755年6月1日)三歳死去。 |
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・弘暦十三男。 ・第十三皇子-十三阿哥永璟(ヨンヂィン) 母親-継皇后納喇氏(ナラ)・佐領納爾布之女。 乾隆二十年十二月二十一日(1756年1月22日)誕生。 乾隆二十二年七月二十四日(1757年9月7日)三歳死去。 |
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・多羅貝勒綿偲(ミェンスー) 父親-十一阿哥永瑆(ヨンシィン)。 養父-十二阿哥永璂(王に基・ヨンチィ-読み琪と同じqi)。 母親-側福晋李佳氏(リーギャ)-富慶の娘。 養母-十二阿哥永璂嫡福晋博爾済吉特氏(ボルジギト) 嫡夫人-鈕祜祿氏(ニオフル),布政使福昂之女 乾隆四十一年二月二十九日(1776年4月17日)誕生。 永璂嫡福晋博爾済吉特氏(ボルジギト)により養育。 乾隆五十五年(1790年)-成婚嫡夫人鈕祜祿氏(ニオフル)布政使福昂之女。 嘉慶四年(1799年)-頭等鎮国将軍。 嘉慶十年(1805年)-散秩大臣。 嘉慶二十四年(1819年)-固山貝子。 道光十年(1830年)-宗人府左宗人。 道光十年六月(1830年)-鑲藍旗蒙古都統。 道光十一年十一月(1831年)-内大臣。 道光十六年十一月(1836年)-正藍旗蒙古都統。 道光十八年正月(1838年)-多羅貝勒(ベイレ)。 道光二十六年閏五月(1846年)-管理領侍衛内大臣。 道光二十八年十一月十二日(1848年12月07日)七十三歳死去。 子供-三子 第一子-固山貝子奕縉。 第二子-奕絟-夭折。 第三子-奉恩鎮国公奕繕。 |
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多羅貝勒家 初代-十二阿哥永璂(ヨンチィ) 二代-多羅貝勒綿偲(ミェンスー) 三代-貝子奕縉 四代-鎮國公奕繕 五代-鎮國公載岐 |
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三代 貝子奕縉-綿偲一子 父親-多羅貝勒綿偲(ミェンスー)。 母親-嫡夫人鈕祜祿氏(ニオフル)。 嫡夫人-图博特氏・ 乾隆五十八年三月十二日(1793年4月22日)誕生 道光元年十二月(1821年)封三等鎮國將軍・頭等侍衛。 道光二十八年正月(1848年)-晋封一等鎮國將軍。 道光二十九年(1849年)-固山貝子。 咸豊元年十一月(1851年)-蒙古鑲黄旗都統。 咸豊六年丙辰十二月七日(1857年1月2日)六十四歳死去。 無子 |
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四代 奉恩鎮國公奕繕-綿偲三子 父親-多羅貝勒綿偲(ミェンスー)。 母親-嫡夫人鈕祜祿氏(ニオフル)。 嘉慶六年二月五日(1801年3月19日)誕生 嘉慶二十二年十二月(1815年)-賞給三品頂戴。 道光元年十二月(1821年)-封三等鎮國將軍。 咸豊七年二月(1858年)-奉恩鎮國公。 同治五年六月二日(1866年7月13日)六十六歳死去。 無子 |
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五代 不入八分鎮國公載岐 父親-二等輔國將軍(イーシュ)次子。 養父-奕繕 母親-不詳 咸豊七年(1857年)誕生? 同治六年(1867年)-降爵為不入八分鎮國公。 宣統十年五月七日(民国七年・1918年6月15日)死去。 成哲親王永瑆⇒鎮國將軍綿儐⇒二等輔國將軍⇒不入八分鎮國公載岐 |
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「心写治平図巻」には右から乾隆帝、皇后、高貴妃、純妃、嘉妃、令妃、舒妃、慶嬪、穎嬪、忻嬪、惇妃、順妃、循妃が描かれている。 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/Qianlong_Emperor_and_his_consorts.jpg 作画はジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione) (1688年7月19日~1766年7月17日) 中国名郎世寧 カスティリオーネの亡くなった乾隆三十一年以降の妃嬪は工房の作となった。 ウィキペディア(Wikipedia)には“乾隆帝自ら「乾隆元年八月吉日」と書いた。”と載せている。 妃嬪の作成時期は乗せられていない。 あくまで参考でしかないが、冊封された時期の称号から書かれた時期を推定してみた。 冊封以前に称号は使われていることが多い。 皇后・乾隆二年十二月四日(1738年)-冊封皇后。 乾隆二年十二月十一日(1738年)-冊立皇后礼。 高貴妃・乾隆二年十二月四日(1737年)-冊封貴妃。 “雍正十三年九月二十四日(1735年11月8日)-招封貴妃” 純妃・乾隆二年五月十一日(1737年6月19日)-冊封純妃。 嘉妃・乾隆六年二月十三日(1741年3月29日)-冊封嘉妃。 令妃・乾隆十四年四月五日(1749年5月20日)-冊封令妃。 “乾隆十三年五月(1748年)-晋封令妃” 舒妃・乾隆十四年四月五日(1749年5月20日)-冊封舒妃。 “乾隆十三年七月一日(1748年7月25日)-晋封舒妃” 慶嬪・乾隆十六年六月八日(1751年1月28日)-冊封慶嬪。 “乾隆十六年正月二日(1751年1月28日)-招晋慶嬪” 穎嬪・乾隆十六年六月八日(1751年6月30日)-冊封穎嬪。 忻嬪・乾隆十九年閏四月十一日(1754年)-冊封忻嬪。 惇妃・乾隆三十九年十一月十六日(1774年12月18日)-冊封惇妃。 “乾隆三十九年九月八日(1774年10月12日)-晋封惇妃” 順妃・乾隆四十四年十月八日(1779年11月15日)-冊封順妃。 “乾隆四十一年六月二十五日(1776年8月9日)-晋封順妃” 循妃・乾隆五十九年十二月二十九日(1795年)-冊封循妃。 “乾隆五十九年十月二十二日(1794年)-晋封循妃” |
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花音伝説-豊紳殷徳の時代の親王家 |
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満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。 ・上三旗・皇帝直属 正黄旗-黄色の旗 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ) ・下五旗・貝勒(宗室)がトップ 正紅旗-赤い旗 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え) 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗 鑲紅旗-赤地に白い縁取り 鑲白旗-白地に赤い縁取り |
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建国の元勲は世襲罔替(せしゅうもうたい)「鉄帽子王」と呼称。 初期八家、後期に四家増えて十二家。 ・一-礼親王代善(ダイシャン)。 ・二-睿親王多爾袞(ドルゴン)太祖ヌルハチ第十四子。 ・三-豫親王多鐸(ドド)。 ・四-粛親王豪格(ホーゲ)、太宗長男。 ・五-承沢親王碩塞(ショセ)→長子博果鐸の代に荘親王家と改称。 ・六-鄭親王済爾哈朗(ジルガラン)。 ・七-克勤郡王岳託(ヨト)、礼親王代善の長子。 ・八-順承郡王勒克徳渾、礼親王代善の第二子。 ・九-怡親王胤祥(インシャン)。 ・十-恭親王奕訢(イヒン)。 ・十一-醇親王奕譞(イフワン)、子が光緒帝、孫が宣統帝。 ・十二-慶親王永璘(ヨンリィン)→郡王綿愍→郡王奕綵→慶親王奕劻(イクワン・永璘の孫)の代から鉄帽子王。 世襲罔替を受けない。 ・親王(チンワン) ・郡王(グイワン) ・貝勒(ベイレ) ・貝子(ベイセ) 功績を認められないと代替わりに位階がさがった。 |
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功績を認められないと代替わりに位階がさがった。 ・和碩親王(ホショイチンワン) 世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。 ・多羅郡王(ドロイグイワン) 長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。 ・多羅貝勒(ドロイベイレ) ・固山貝子(グサイベイセ) ・奉恩鎮國公 ・奉恩輔國公 ・不入八分鎮國公 ・不入八分輔國公 ・鎮國將軍 ・輔國將軍 ・奉國將軍 ・奉恩將軍 ・・・・・ 固倫公主(グルニグンジョ) 和碩公主(ホショイグンジョ) 郡主・縣主 郡君・縣君・郷君 ・・・・・ 満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。 ・上三旗・皇帝直属 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ) 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ) 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ) ・下五旗・貝勒(宗室)がトップ 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ) 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ) 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ) 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ) 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ) ・・・・・ |
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