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このページは2016年3月に移転しました。
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ヘブライ語やギリシア語で書かれた聖書の底本を英訳する際には、最初に翻訳の方針、原則、ルールといったものを決めます。それが私がこのページで英語翻訳の手法と呼んでいるものです。ここでは聖書の底本を英訳するにあたってどのような手法が取られているか、それを説明します。
以下に代表的な翻訳の手法を挙げます。
逐語訳(Literal Translation)
この方法は聖書の原語であるヘブライ語やギリシア語の一語一語を洩らすことなく翻訳する方法です。さらにそれを行う際には「原語の文法の語法」さえも洩らさずに翻訳しなければいけないとします。つまり名詞は名詞として、形容詞は形容詞として翻訳するのです。
これに加えて翻訳の時にもし何かしらの理由で原語側に存在しない言葉を加えるような場合には、その部分をイタリック体(斜体)にしたり括弧でくくったりして明確に示します。
この手法による英語聖書で一番極端な例は原語と英語を交互に行間に表示する「Interlinear(インターリニア)」タイプの聖書です。これは原語のヘブライ語やギリシア語のすぐ下に個々の単語に対応する英単語を表示したタイプの聖書です。この場合、原語のヘブライ語やギリシア語の語順までもが明確にわかることになります。ただこの「Interlinear」タイプの聖書は英語の部分だけを読むと単にヘブライ語とギリシア語の原語の語順で英単語が並んでいるだけなので、なんとなく何を言っているか推察することはできても英文としてはまったく意味をなしません。たとえばこんなイメージです:
I love you.
私 | 愛する | あなた
逐語訳(Literal Translation)の聖書は、このやや極端な「Interlinear」から一歩進めて単語の順番を入れ替えることで少なくとも英文として意味が通るようにしたものです。ただし相変わらず読みづらい英文であることは確かです。
予備知識ですが、聖書の原語、特に新約聖書のギリシア語では定冠詞(英語の「the」にあたる単語)が英語よりもかなり頻繁に登場するそうで、このとき登場するすべての定冠詞を「the」に置き換えた場合、英語としては大変読みづらいものとなってしまいます。そこで逐語訳においては唯一、この定冠詞の翻訳だけは必要に応じて省略されています。
逐語訳で読める英語の聖書には以下があります(括弧内は略称、末尾の記号は底本):
形式的な同意義訳(Formal Equivalent)
この方法でも原語のヘブライ語やギリシア語は原則として一語一語翻訳されるのですが、完全な逐語訳と異なるのは英文として読みづらいと判断された単語を翻訳時に省略していくところです。
たとえばギリシア語で書かれた新約聖書の中では「本当に(indeed)」という単語が非常に頻繁に登場しますが、ほとんどの場合文意を伝えるためにはこれをそのまま全部翻訳する必要はなく、逆にこれをすべて翻訳していくと英文としては大変読みづらくなってしまいます。この手法ではこういう単語を省略していきます。
またこの手法では逐語訳ほどは文法の語法にもこだわりません(完全な逐語訳では名詞は名詞に形容詞は必ず形容詞に翻訳します)。英語としての読みやすさを優先し、なおかつ原語に照らしても正当だと判断できれば必要に応じて品詞を変更していきます。
形式的な同意義訳で読める英語の聖書には以下があります(括弧内は略称、末尾の記号は底本):
解釈訳(Expanded)
この方法の特色は通常の翻訳では失われがちな原語のニュアンスを伝えることを目的としているところです。
たとえばギリシア語の文法は大変複雑なので翻訳後の言語側で適切に対応がとれる単語を見つけられないケースが出てきます。つまりギリシア語にはこういう単語があるが、それにぴったりあてはまる英語の単語が見つけられないという場合です。この場合は逐語訳のようなシンプルな翻訳手法では原語の持つニュアンスを損なわないようにするのが大変難しくなります。この方法はここに着目して翻訳の中で原語のニュアンスをできる限り伝えていこうとしています。
この方法に問題点があるとすると翻訳に解釈を折り込んでいくうちに逆に読みづらくしてしまう場合があることです。さらにはいつの間にか「翻訳」と言うよりも「解説」になってしまうこともあるということです。
解釈訳で読める英語の聖書には以下があります(括弧内は略称、末尾の記号は底本):
ダイナミックな同意義訳(Dynamic Equivalent)
これは今日もっとも普及している英語聖書の翻訳手法です。
たとえば逐語訳が「単語」を「単語」で置き換えるのに対し、この手法では「考え」を「考え」で置き換えようとしています。言い換えるとこの手法の目的は読者に原語の持つ「意図」や「考え方」を示そうとしています。
この目的を達成するため翻訳後の英語には原語のヘブライ語やギリシア語には存在しない単語が多数追加されていきます。またどの単語がもともと原語に存在しどの単語が追加されたものかはわかりません。同様に重要とみなされなかった単語はたとえヘブライ語やギリシア語の原語に存在しても翻訳されないことがあります。接続詞の省略が代表的ですが、ときには同じことが繰り返して言われている箇所などがそっくり省略されます。文法の語法も頻繁に変更されます。代名詞を名詞に変更したり名詞を動詞に変更したり。また二つに分かれていた言い回しを一つに統合したりするなど語法は頻繁に変更されます。
ダイナミックな同意義訳で読める英語の聖書には以下があります(括弧内は略称、末尾の記号は底本):
意訳(Paraphrase)
この手法では聖書をできるだけ読者に読みやすく理解しやすくするために聖書の原語を完全に言い換えます。
この方法に問題点があるとすると「言い換え」による意訳の作業は完全に翻訳者の主観に基づくため、できあがった聖書が翻訳者の視点による解釈になってしまうということです。ある翻訳者がどのような言い換えをするかはその翻訳者の神学上の視点に大きく影響を受けますので、読者はいつの間にかその翻訳者の神学上の視点を共有させられてしまう可能性があります。
意訳で読める英語の聖書には以下があります(括弧内は略称、末尾の記号は底本):
以上を整理すると次のようになります。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | |
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翻訳手法 | 逐語訳 (Literal Translation) |
形式的な同意義訳 (Formal Equivalent) |
解釈訳 (Expanded) |
ダイナミックな同意義訳 (Dynamic Equivalent) |
意訳 (Paraphrase) |
置き換え | 単語⇔単語 | 単語⇔単語 | ニュアンス付加 | 考え⇔考え | 完全な言い換え |
正確さ | 大変正確 | 大変正確 | ほぼ正確 | 訳者の主観 | 訳者の主観 |
読み易さ | 難しい | 難しい | やや難しい | 読み易い | 大変読み易い |
聖書の版 (底本) |
YLT (TR) LITV (TR) ALT (MT) |
KJV (TR) NKJV (TR) MKJV (TR) NASB (CT) |
AMP (CT) |
GNB (CT) TEV (CT) NIV (CT) |
LB (CT) NLT (CT) |
つまり原語に忠実に正確に翻訳しようとして単語と単語を置き換えれば難解で読みづらい翻訳となり、読み易さを追求して編者が手を加えれば編者の主観や解釈が入り込み、その解釈は本当に正しいのかという問題に突き当たります。
それではどれを読めばよいのかということになりますが、私は個人的にはどの手法をとっても聖書の教義やメッセージを完全に損なうほどに記述を歪めることはできないと思います。どの版が良いかについてとやかく言うよりも、聖書にできるだけ長い時間親しもうとする姿勢が大切です。
私がお勧めする読み方としてはまずは「読み易い」聖書から入り、ある程度聖書に対する理解が深まって原語への関心が高まるに連れて単語を単語で置き換えるようなタイプの版へ移行するのが良いと思います。つまり「NLT」や「NIV」から入り、興味が深まったら「KJV」「NKJV」などに挑戦します。
それともうひとつ、この表からわかることがあります。それは「解釈訳」から右の底本はすべて「CT」となっていて、つまり読み易い聖書を「TR」「MT」の底本で読むことはできないということです。これも大した問題ではありません。「聖書の成り立ち(歴史)」のページに書きましたが底本と底本は実質98〜99%の部分が合致しており、残りの1〜2%部分は脚注などで解説されているケースがほとんどだからです。
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