■ エスケイプ 9 ■




雨が少し小降りになると、兄弟はどうせまた濡れるんだからと、ぐっしょり重いTシャツは抱え、下だけ履いて山を下りた。

手を繋いで歩いていく途中で、兄が「そういや」と川の近くに来たところでタケルに言う。
「おまえを探してきた時、ここいらで、浅田さんとこの大学生に会ったぜ」
ぎく・・とするタケルに、ヤマトがいぶかしむようにその顔を凝視する。
「俺の顔見て、なんだかやけに慌てて、『タケルくんには別に何も』とかなんとか言ってさ」
「あ・・・」
「何だよ、おまえ、何かされたのか?」
「あ、うん。いや、ううん。ちょっとその、抱きつかれた、というか」
「抱きつかれたあ?!」
「あ、いやでも、ちゃんと殴りとばして逃げたから」
慌てて付け加えるタケルに、ヤマトがムッとした顔になり、パン!と自分の拳で逆の手の平を殴りつけた。
「あの野郎・・! もう2,3発殴っときゃよかった!」
「え・・?おにいちゃんも殴ったの・・?」
「あったりまえだろ! 兄弟でキスしてるとこを見たとかなんとか、もごもご言いやがって、しかも、いかにもそれをネタにおまえに何か言ったかしたかが見え見えで!」
「あ・・・・ あれ・・?」
「あれ?って!」
「キスだけ?」
「キスだけって? なんだよ?」
「それ以上のとこ・・は?」
「見られたんじゃないかって? そりゃ、ないだろ。あいつ、このへんまでしか来たことなくて、上流の方は初めてみたいだったから、地元のヤツのくせに完全に道迷ってたぜ?」
「あ、そう、なんだ・・・・。なんだ・・・」
キスしてるとこ見られただけでも充分に恥かしいんじゃないかと思うが、比較対象がそれ以上のことだと思うと、キスくらいでよかったと思えてしまうから怖い。

ほっと胸を撫で下ろしているタケルに、ヤマトが、ちょっとからかいたくなって、ひょいと身を傾けてその顔を覗き込む。
「へえ、見られたと思ったんだ?」
「え、だって、見たって言われたから、てっきり・・・」
「で、あんなに興奮してたんだ」
「え、興奮て何?」
「さっき、結構すごかったじゃん、洞穴で・・」
「あれは・・・!」
「見られたとこ想像して、あんなに燃えてたんだ?」
「ち、ちがいます!」
「じゃあ、何だよー」
「だから、あれは」
「結構、おまえ、そういうの好きなんだなー」
「ちがいますって!」
「今度はじゃあ、夜の海浜公園ででも・・」

「おにいちゃん!!」

ゆでたこのように真っ赤になって怒る弟に、兄が「怖ぇ・・」と笑って先に駆け出して行く。
それを追いかけて追いかけて、タケルもいつのまにか笑っていた。


雨がやんで、しっとりと緑が輝き出す。


タケル見つかったからとヤマトが祖母に電話を入れたから、今頃、祖母は二人のために風呂に撒きを入れてくれている頃だろう。
あったかいお風呂にいっしょに入ったら、祖母の美味しいゴハンを食べて、今日は疲れたからもう早く床に入ろう。
そして、あと幾日かの島根滞在を、残り全部楽しまないと。
雷の正体はもう見えたから、少しは怖くなくなるかもしれないけれど、でも、この際それは思い出さなかったことにして、もうしばらく、怖がるふりをして兄にしがみついていよう。

そして、残りのあと数日、タケルは、とことん兄に甘える覚悟(?)を決めた。






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