■ エスケイプ 8 ■




そんなに心細かったのか・・?とやさしく聞かれて、甘えて「うん」とだけ言って首に腕を絡めてしがみつく。

「おにいちゃん・・・」
「ん?」
「寒い・・」
「びしょびしょだもんな。大丈夫か?」
あとから熱が出たりしねえといいけどな・・と、兄らしい心配をして言ってくれるのがなんだか嬉しくて、タケルはもっとめいっぱい甘えてみたくなった。

どうせ、ここなら、本当に誰にも見られるはずはないのだし。
こんな山奥で、誰かがふいに雨やどりをしてくることもないだろうし。
「脱いだ方がいいか?」
と、言われて、少しはにかんで上目使いに言う。

「おにいちゃんが、あっためてくれる?」

ちょっと、色っぽく甘えるように言ってみた。
兄の首に腕を絡めたまま、自分としてはそれなりに色気も出したつもりなのに、兄は唐突にプッと吹き出して、顔をそむけて笑い出した。
「ひどいな・・」
「いや・・悪い」
憤慨したタケルがとがらせた口に、ヤマトが謝罪の意味をこめてキスをする。
「別に、いいよ。無理しなくたって」
すねる可愛い顔にまた笑みを浮かべ、ヤマトが言う。
「おまえから誘うなんて、そうあることじゃねーからな。もちろん、ありがたくイタダキますって」
「だから、別に・・・・」
尚もすねている唇に、またキスが送られて、それから濡れてすっかり重みを増した衣服を一つずつ取り去る。
水に濡れて身体にはりついたTシャツは脱がせづらくて、タケルは小さい子のようにバンザイをしてそれをたすける。
凍えてた肌が、兄の肌と重なるなり、びっくりするくらいあたたかみを増した。
自分のシャツを絞って、タケルの濡れた髪や身体を拭って、腕の中に抱きしめる。
いつだって、兄は、自分の事よりもまず、タケルのことを大切に考えてきてくれた・・と思う。


あの日も。

タケルが雷を怖がるのを知っていて、ヤマトはまさか弟が家に一人でいて泣いてるのじゃないかと心配で心配で、会ってはいけないはずなのに、遠く、タケルの住むマンションまで足を向けた。
けど、やっぱり会えないと立ち去ろうとした時、雨の音と雷に紛れた中に、弟の悲鳴を聞いたのだ。
とっさに階段からタケルの部屋に急いで、鍵の開いたままの室内に入り、小さい弟の身体を組み敷いて首に手をかけている男を見るや、猛然と飛びかかった。
もちろん、まだ小学生の、しかも低学年の兄の力でかなうわけもなく、何度も何度も殴られて、それでも幼い兄は果敢に弟を守ろうと戦っていた。
『タケル! 逃げろ、早く!!』
『おにいちゃん・・!』
『なにやってんだ、早く!』
タケルは、涙でぐしょぐしょになった顔のまま、声も出せずに震えていたけど、やがて、勇気を振り絞ってさっと立ち上がると窓を全開にして外に向かって叫んだ。
『誰かたすけてー!! どろぼおおおおお!!』
雷雨の中で、人通りもそんなに多いところではなかったから、誰が気づいたということもなかったのだが、それでも男は驚いて、ほうほうの体で逃げて行った。
兄はすぐさま電話を取ると、110番して、住所と名前と男のことを告げて電話を切った。
その子供らしからぬ対応の素早さは、後に警察からの事情聴取と、男の上司が謝罪に来て、初めて母が知ることになるのだが、とにもかくにも大ごとにはしないでくれという申し出に、母は持ち前の気性の強さに物を言わせ、非情な剣幕で怒りを露にし、タケルにはそれが少しかなしかった。
男は、金髪の子連れの女性と同棲中だったが、その子供がなつかないという理由で別れを持ちかけられ、荒れていたという話だった。
だから、タケルを見て間がさしたんではないかという説明は、ある種信憑性はあったが、とんでもない話だと母の怒りは収まらなかった。
タケルはしばらくの間、宅配便の車を見るたび怯えたが、忘れるのも早かったようで、とりあえずは、母は様々な葛藤をしつつも、すぐに元気を取り戻してくれた息子に安堵していた。
男はもちろんクビになり、母はすぐさまそのマンションから引越しを決めた。
そして、兄は、タケルの額にやさしくキスしてくれて、「忘れるんだぞ・・」と魔法をかけた。

「忘れていいから」と言われ、当時、兄のいうことは確かにそのころの自分にとってすべてだったけれど、助けてくれた兄のことまで忘れていたなんて、なんだか哀しくて情けない。
兄は、タケルをかばって、男に殴られたのだ、何度も何度も。
父は、子供に手をあげるような人ではなかったから、それは強烈な印象をタケルに与えたのに。
恐怖の記憶は、自分が男の手にかかろうとしたことよりも、むしろ、そちらの方が大きかったろう。
それでも「忘れろ」と言われたから、タケルはそれを雷のトラウマにどこかですり替えた。
そして、兄の言うことには絶対逆らえない自分を生み出し、さらにブラコン度が過剰になった自分を育んでしまったらしかった。



「ああ・・・・っ!」

坐った兄の膝にまたがり、向き合いながら揺さぶられる。
細い腰を抱かれて、不安定な体勢で下から思うままに突き上げられるのは、タケルにとっては苦痛だけれど、快楽もまた強くて、普段にない乱れように兄が余裕をなくして夢中でその身体を貪っていく。
カリ・・と胸の飾りに歯をたてられ、タケルはヤマトの肩に強くしがみつきながら、乱れるままに声を上げた。
それは雨の音がかき消してくれたから、タケルは安心して、すべてを兄に委ねて快楽に身をまかせることができた。

こんなことは、たぶんもう、そうそうないだろうけれど。


すっかり冷えたカラダが火照って体温を取り戻しても、兄弟はずっとそのまま互いのカラダを抱きしめ合っていた。
あと数日で来る田舎と、それからまた別々の暮らしにもどっていかねばならない切なさに、離れられなくて、離したくなくて、腕を絡めたまま、もっと近くに身を寄せる。
「寒くねえか・・?」
「うん」
「風邪、ひかねえといいけど」
「大丈夫、あっためてもらったから」
「・・・・・・ばか」
「ばか、はないでしょ」
「ばかだよ。こんなとこで迷子になって、もし俺も見つけられなくて夜になったら、凍死してたかもしんないぞ」
「大丈夫。おにいちゃんは、きっと僕を見つけてくれるんだから」
「そういう過信はなあ・・」
言いかけて見つめた弟がいつのまにか泣いていたから、兄は少しぎょっとしたようにそれを眺め、それから慌てて膝の上に横抱きにした身体を腕の中に抱きしめた。
こんな風に、あの日も「もう大丈夫だよ」と抱きしめてくれた。
あの頃からもう、兄は自分にとって特別な人だったんだろう。
大切にされすぎて、何も返せない自分がはがゆいのと、その想いがただもう切なくて、涙がとめられない。
ヤマトは「よしよし」と、昔とちっとも変わらない子供扱いをしてくれて、それがとてもタケルには嬉しかった。

街中に帰れば、こんなに素直に涙を流せることもそうないんだから今のうちに、と、ヤマトの手に涙を拭われながら、その手のひらに頬を寄せるようにして甘えた。





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