■ エスケイプ 6 ■



青年は、おとなしそうに見えるけれど、結構話し好きらしく、大学の話やら、タケルの中学の話やら、友達の話なんかをとりとめもなく話して盛り上がり、時折ぴくりと反応する釣り竿すら、ついつい忘れてしまうくらいだった。
一人にならずにすんで、タケルはタケルで楽しかったし、あと数日なんてことを考えて、また暗くなってしまうこともなくすんで、ちょっとほっとしていた。

時間を忘れて話しこんで、気がつけば、空はいつのまにか、今にも夕立ちが降り出しそうな重い雲に覆われていた。
マズイ・・・とタケルが思った時にはもう既に遅くて、あっと思う間もなく、ぱらぱらと雨が空から落ちてくる。

「やばい、夕立ちだねー」

慌てて釣り竿を片付けて、それからとにかく木陰でしばらく雨をしのぐことにする。
走って帰るには距離があるし、少し小降りになるまではいたしかたない・・・。
ふうと息をついて、兄が心配していないかそちらの方が気になっていたタケルは、なんとなく別の意味で雲行きがあやしくなっていることに、少しも気がつかなかった。
「ねえ、キミたちハーフなの?」
「え?」
「お母さん、ガイジン?」
「・・は?」
ガイジンって・・・と思いつつ、その言葉に妙に嫌なニュアンスを思い出して、タケルが眉を寄せる。
そんな風に幼い頃にはからかわれたこともあったけど、それよりも思い出すのは、どこか淫猥な響きの込められた意味合いの・・・。
それが自分に向けられたのがいつだったか、どんな状況でだったか、それは思い出せないのだが。
一瞬、答えにつまった間にそれだけのことを考えていたタケルは、素朴な疑問に答えようと、フランスの祖父の話を持ち出そうとして、相手の顔を見上げて固まった。
そこには、さっきまでの人のよさそうな笑みではなく、どうにもいやらしげな視線があったからだ。
「な、なんですか・・?」
「いや、キミたち兄弟ってさ。仲、いいよね」
「え・・・ ああ、まあ」
この前の昼寝を見られたこともあるし、ちょっと曖昧に返事を返す。
青年が、二ヤリと笑った。
「この前もさ・・・・・・ ここで」
ここで、と言われた途端に、サーッと血の気がひくのがわかった。

見られた?! 見られてた?!
まさか、あんなことをしてるとこを・・・!

頬がかあっと熱くなっていくのと同時に、背中を冷たい汗が流れる。
その背に青年の腕が回されて、ゆるくではあるけれど、その胸の方に引き寄せられた。
「な、なにするんだよ!」
思わず腕をつっぱるタケルに、青年が無理にとその身体を抱きしめようとする。
「キミ、本当に可愛いよね。ずっとさ、僕もキミの兄さんみたいに、キミにあんな風にしたいって・・・」
「や・・やめろ!離せよっ!!」
いつのまにか雨が叩きつけるように降っていて、だけど、そんな状況だったから、タケルは空が灰色の雲に覆われて、小さく鳴っていることなんか気がつかなかった。
突然、ゴロゴロピカッ!と空が音と共に光に裂かれて、落雷が山の木に向かって突き刺さる。

「・・・・・・・!」

振り返った瞳に稲妻が映り、タケルは抵抗も忘れて、呆然と瞳を見開いた。
落雷の音と、稲光と、こんな風に叩きつける雨と・・・。
(あ・・・・?)
記憶が鮮明になろうとした所で、いきなりまた青年の腕に引き戻されて、タケルはぞっとしたように身を震わせた。
「雷がこわいのかい? 大丈夫だよ、僕が抱きしめててあげるから。じっとしてて。ほら、震えてるじゃないか」
震えてるのは、雷が怖いからだけじゃない!
「あんたにさわられて、気持ちが悪いからだよ!!」
叫ぶなり、その腕を思いきり振り払い、ついでにどかっ!とその腹を拳で殴りつけて、タケルが豪雨の中を駆け出す。

白いとか、細いとか、よくは言われるけれど、腕力がないわけじゃない。
ましてや、同性愛の趣味があるわけじゃないから、男にさわられて気持ちがいいわけがないのだ。
兄は、もちろん特別だから。
他の誰でもいいわけじゃない。
特別な存在のヤマトだから、ふれられたいし、守られても甘えさせてもらっても心地よいと感じるのだから。
(くそ・・・!)
心の中で唾を吐き捨て、盲滅法走っているうちに、どんどん林の中に入っている自分にやっと気づくと、タケルは男が追ってこないことを確認し、脱力して木にもたれかかった。

ひどい雨だ。
もう服も、下着までびしょぬれだ。
どっちに帰ればいいんだろう・・・?
それよりも、こんなとこにいたら、それこそ雷が落ちてくるかもしれない。
こわい。
こわいよ・・・。
おにいちゃん。
どうしよう。
たすけて。
でも。
叫んだら、あの男に居場所を教えることになるかもしれない。
いや、こんな雨の中、まさか山の奥までさすがに追いかけてこないだろう。
でも・・・。

躊躇する耳に、雷鳴が轟く。
ゴゴゴゴ・・・・という唸りの後で、カッ!と空が光るなり、ドドドォ・・・・ン!と凄まじい音がする。
涙が出そうだ。
それでも、寒さと恐ろしさにがくがく震えながらも、どうにか雨をしのげる小さな洞穴を見つけると、とにかくそこへ身を潜ませた。
雨と音が少しだけしのげて、やっとどうにかほっとする。
浅い洞穴。
ここらあたりの子供たちの秘密基地なのだろうか。
木でつくったおもちゃや、武器のようなもの。
それから、カードやなんかが入ってるらしい大きめの缶。
帽子。
・・・・緑の帽子・・・。

あの日もたしか・・・。

おっこちていた帽子に手を延ばしかけて、ぴく!とその指先をひっこめる。
あの日も・・・。
瞳を見開くタケルの後ろが、またピカッと閃光に包まれ、バリバリバリ・・!と空をつんざく音が響く。


そうだ。   あの日。   僕は。


泣いていた。
伸びてきた手に。 おさえられて。 
首をしめられ。 声も出せずに。

(あ・・・・・・!)

思い出すなり涙がどっと、頬を伝った。





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