■ エスケイプ 7 ■




思い出した。
もうひとつのトラウマ。

雷の記憶。


あの日も、落雷があって、停電していた。
父と母は離婚してしばらくがたっていて、タケルと母はすでに二人で暮らしていた。
母は、帰りが遅くて、その日は特に遅くて、すでに雷に対してトラウマが出来ていたタケルは、雷が怖くてベッドの中で布団にくるまって泣いていた。
そんな時。
玄関のチャイムが鳴って、タケルは母だと信じ込んで、ドアを開けるなり、見えた姿に取りすがった。
それが、人違いだと気づくのに、2秒とかからなかった。
宅配便屋の格好をしたまだ若いその男は、タケルを抱き上げ、しげしげと見つめたのだ。
「へえ、ハーフか。おまえ」
「え・・ あ、ごめんなさい。ボク、お母さんだと思って・・」
「母さん、いないのか?」
「うん・・」
「一人で留守番?」
「そう」
「へえ・・・」
「あ、ハンコ?」
「そう、場所わかるか?」
「うん、とってくる」
涙をぐいと拭って、それでも一人きりじゃなくなったことに幾分ほっとしてハンコを探して食器棚の引き出しを開ける。
しかし、いちも母がそこにしまっていたはずのハンコはなくて、タケルはまた別の場所を探し出した。
「まだ?」
「あ、ごめん、もう少し待って」
「急いでんだけど」
「あ、うん。ゴメンなさい」
焦りながら、あちこちの引き出しを開いてみる。
でも。どこにもなくて、もう一度さっきの場所を探してみるからと玄関に向かって言おうとして。
振り返ったリビングの隅に、いつのまにかその男がいて、タケルはぎょっとしたように動きをとめた。
「え・・・あの」
「あったか?ハンコ」
「あ、えと、今」
「早くしな」
「あ、はい」
じれているような声に、いつ怒鳴られるかとドキドキする。
「おまえ、ハーフ?」
「え・・・っ」
「母さん、ガイジン?」
「え・・?」
「ガイジンの子供って、ちょっと興味あったんだよなあ・・・」
舌なめずりされて、意味がわからず、腕をぴっぱられて床に寝転がされて、タケルは初めて恐怖にすくみあがった。
雷が轟き、稲光が暗い部屋とその男のケモノのような顔を映し出す。
「や・・・やめてええええ!!」
叫ぶなり、ぐっと首に手がかけられ、じたばたとこんしんの力をこめて暴れる小さな体を押さえつける。
息が出来ず、もがいて、苦しさに身をよじって、このままでは殺されると観念しかかった時。
誰かが部屋に飛び込んできたのだ。
タケルの名を叫びながら。




(・・・・・・・・・・なんで、忘れてたんだろう・・・・)


唇をかみしめて、洞穴の中で膝を抱える。
涙がとめどなく溢れた。
そんなことがあったなんて・・・。
抱えた膝の上に顔を伏せて、静かに泣いた。

「おにいちゃん・・」

絞り出すように呼ぶ声に、ふいに誰かが遠くで答えてくれたような気がした。
雷はどうやら止んだらしいが、外は相変わらずの大粒の雨だ。
ここからどうやって帰ろう。
傘もないし、道もわからない。
こんなことならば、親戚に会うのが嫌だなんて子供っぽいことを言ってないで、兄といっしょに行けばよかった。
いっしょだったら、雷も大雨も、その身体にしがみついてさえいたら、こわくなんかなかったのに。
なんだか、情けない・・。
中学生にもなって雷が怖くて、しかも男に抱きつかれて、混乱して山に入って道に迷って。
びしょぬれの濡れネズミになって、しかも痛い過去まで思い出して。
なんて、情けないんだろう。
あの時、いっそ・・・。
思いかけた所で、ふいに外に人の気配を感じて、タケルはびく!と思わず身構えた。
にらみつけるように見たその先で、雨を手で開くようにして、人影が洞穴を覗き込む。
「・・・・・・・・っ!」
顔を見るなりほっとして、同時に涙がどっと溢れた。

「心配したんだぞ・・?」

やさしく言って屈み込んで、冷たくなったタケルの頬にあたたかい手が添えられるなり、タケルはぶつかるようにその胸にとびこんでいた。
「おにいちゃん・・・・!」
「どこ行ってんだよ・・・ばか・・」
言うヤマトの声も、やっと弟を見つけて安堵したようで、抱きついてくるタケルをしっかり腕に抱きとめる。
「心配させんなよ・・」
「だって」
「こんなとこで迷子になってないで、ちゃんと俺んとこに帰ってこいよな」
俺が守ってやるんだから・・と、昔も確か、そう言ってくれた。
それを思い出して、なおのこと涙がとまらない。





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