■ エスケイプ 10 ■ そして、明日には帰るというその日。 例の大学生がおはぎを抱えてやってきて、どうか許してくれと丁寧にタケルに謝罪した。 タケルは、もともとおとなしそうな無器用そうなその男に、そんなに悪い印象はなかったから、茶目っ気たっぷりに「いえ、僕の方こそ、殴っちゃって・・・」と頭を下げた後、「僕たち、祖父がフランス人でクォーターだから、キスとか家族で日常的にしちゃうんですよー」と冗談交じりに嘘ぶいて、余裕の笑顔を向けた途端、「実はあれからずっとキミのことが忘れられなくて・・!」などと思いつめた様子で再び抱きつかれて、ヤマトの鉄拳を容赦なく受けるハメになってしまったが。 そんなこんなで、夏が終わって行く。 田舎と祖母と兄との暮らしに別れがくるのがつらくてつらくて、最後の夜はやっぱり涙にくれてしまった。 それでも、『来年もまた一緒に来ような』と言ってもらって、泣きじゃくる背中を撫でてもらって、その夜は蚊帳の中から星を見上げて、手も足もしっかり絡めて深く眠った。 都会に戻れば、また日々の眠りは浅いのだろう。 はじけるような笑みは、おだかやかな微笑みにもどっていくのだろう。 それでも取り戻した「兄に守られた記憶」は、これからもタケルを守って行くだろう。 祖母が、バスの中の兄弟を見送って、 「ばいばい」と手を振った。 また、おいでね、と。 心の休暇は終わった。 また日々、日常の中の、小さなたたかいが始まるのだ――。 END novelニモドル < > 1 > 2 > 3 > 4 > 5 > 6 > 7 > 8 > 9 > 10 |