■ エスケイプ 3 ■


「腰、いたい・・・」
「何で?」
「何でって・・! もう!」
おにいちゃんなんか、知らない!と怒りつつも、顔が笑ってしようがないという風に、タケルがちらとヤマトを見る。
こちらもどうにも、目に焼きついて離れない昨夜のタケルの乱れようが・・・と考えて、照れ臭げに視線を泳がせる。
そんなこんなで、祖母への罪悪感も手伝って、どうにもぎこちない朝ゴハンとなってしまったが、それでもまた朝から畑を手伝って、昼からは約束とおり虫取りに出かけて、林の中を走りまわる。
虫とりといっても、籠に閉じ込めてしまうのはかわいそうなので、網にとってはデジカメで撮影して、また自然の中にかえしてやる。
メスのカブト虫なんかもごろごろいて(オスはなぜか見つかりにくい)、タケルを大いに喜ばせた。
めいっぱい走りまわって、川で冷やしたスイカを縁側で並んですわってたいらげて、そうこうしているうちに夕べの疲れも手伝って。眠くなってきてしまう。
別段、他に用事もないので、同じように眠いらしい兄と畳にごろんと並んで寝転ぶなり、眠りにおちていくのが自分でもわかった。
まだ高い陽が照りつけてくるけれど、涼しい風があるので、それすらも心地よい。
ちりん・・・と風鈴がなった。
蝉の声が、山に響くように騒がしいけれど、それも今は子守唄だ。
ほとんど無意識に、隣ですでに寝息をたてている兄の胸元に、甘えるように頭をよせると、これもまた無意識に、ヤマトの腕が弟の肩を自分の身体へと抱き寄せる。
なあんて、心地よいのだろう。
蝉しぐれと、遠くに川の流れる音と、時折奏でる風鈴の音色と、それからあたたかな兄の心臓の音と・・・。
色々なものに守られている気がして、タケルはひどく安らいでいた。
ここでは心のままにいていい。
それは、いわばあたりまえのことなのだけど、タケルにはひどく難しいことだったから。
いつも、どこかで自分に無理をさせて、人に弱みを見せることもなく、ただ昔から「やさしくて明るくておだやかで、人付き合いのいいヤツ」だと言われ続けて、それをいつのまにか本当の自分だと思ってきた。
でも、そうじゃなかったんだと、いつもここにきて思う。
ちっとも素直じゃない自分に、嫌気がさしている自分にも気づいてしまう。
それでもいいんだ。それでいいんだよ・・・と、頬をくすぐるやさしい緑の風と、兄の心臓の音がそう言っている。
深い眠りに落ちて行きながら、タケルは飛びつづけている羽根を、一番安らげるところで休める至福を感じていた。

何時間か、眠ったろうか?
誰かの声に、眠りが少し浅くなる。
ここではめずらしい標準語の男の声と、祖母の話し声。
男の声はもちろんヤマトじゃない。ということは、間違えて裏口から入ってきた誰かが、縁側から「誰かいませんか?」と声でもかけたのだろう。
それで、奥から祖母が・・・。
って、ことは、待てよ。
兄弟で、しかも中学生にもなって兄の腕枕で寝ている自分の失態を、誰かに見られたということか・・・?
けど、眠くて、まぶたが重くて、目が開けない。
誰かが祖母に挨拶して帰って行き、祖母が礼を言っているのが聞こえる。
・・帰ったのか?
だったら、いいや・・・。
もう少し、寝ておいても・・・・。
そう思ったタケルの頬に、ふいにびゅうと強い風が吹いてきて、ゴロゴロ・・・と空がうなる音が聞こえた。
その音にぱっと目を開き、驚いたように身を起こす。
いつのまにか数時間も眠ったらしく、真っ青だった空はもう夕方になっていた。
それも、夕立ちが今にも来るというような、灰色の入道雲に覆われた泣き出しそうな空模様。
ゴロゴロ・・という音が次第に近づき大きくなってきて、あっと思ったとたんに稲光が空を走った。
少し遅れて、雷の音が鳴り響いて、地響きのような振動ともに光が空を裂いて落ちて行く。
タケルは、それを瞳を見開いて見るや、とっさに兄の腕の中にもぐり込んだ。
タケルがしがみついてくる気配と、落雷の音に、ヤマトがやっと目をさます。
「ん・・・・?」
「おにいちゃん・・」
「どうした?」
小さく震えてしがみついている弟に、不思議そうに兄が目をこすって身を起こし、空を見上げて小さく笑った。
「大丈夫だよ」
「うん」
わかってる、わかってるんだけど。
そうそう自分の頭上に落ちてくるものでもないし、何が怖いのか自分でもよくはわからないのだが。
小さい頃から雷はずっと本当に苦手で・・。
雷鳴が轟く度に、びくっ!と肩を震わせるタケルを、両腕の中に抱き包んで、頭も胸に抱き寄せて、くるむようにして耳を塞いでやる。
タケルが兄を見上げて、少しだけほっとしたような顔をした。
それでも、追いかけてくる稲光が怖い。
都会で見る稲妻は、細く空を切り裂いていくだけで、このごろではそんなに近くに雷を聞く事もなかったから、もう、この「雷恐怖症」はなおったのかと思っていた。
しかし、田舎の落雷は迫力がちがう。
木を裂いて落ちて行くのが、もう、すぐ隣で聞こえるかのようだ。
タケルが雷を怖がるようになったのは、確か、まだ兄弟が一緒に住んでいたころからだ。
落雷で停電した室内で、言い争う両親の怒鳴り合う声と、食器の割れる音と、真っ暗な室内を走る閃光が、タケルに「家族の壊れるイメージ」のトラウマを植えつけてしまった。
それを知ったのは、小学生になってからで、正体さえわかればそんなにもう恐れることはないんだと思っていたけれど。
最近になって、時折、もう一つ、そこに何かトラウマになっているものがあるんじゃないかと思うようになっていた。
誰かが、誰かに殴られる影。
殴られているのは子供だ。
タケルは、叫んでいる。
『やめて! やめて! お願い、誰か・・!』
だのに、恐怖のあまり、声が出なくて、叫んでいるのに声が出なくて。
それが誰なのかわからなくて。
早く誰かに、助けを求めないと、あの子が死んじゃう。
早く来て、誰か、お願い!
・・・・・・・・。
この記憶は何だろう。
両親の記憶の他に、いったい何があったんだろう。
唇をかみしめて、震えがくる背中に、ヤマトのやさしい手がそっと回される。
「大丈夫。俺がいるだろ・・?」
「うん・・・」
静かに言って、それから汗でいつのまにかびっしょりになっている額に、そっと口づけられる。
「ほら、もうおさまってきた・・」
「うん」
「まだ、こわいのか?」
「うん・・・ 時々」
「そっか・・」
「笑う?」
「ばっか、笑うわけねえだろ?」
「ん・・・・」
「そばにいるから」
「おにいちゃん」
「守っててやるから」
あたたかく囁かれて、ほっとしたように、タケルはようやく肩の力を抜いた。
その言葉に何か覚えがあって、小さくはっとなる耳に、空から落ちてきた大粒の雨が、ばらばらばらと地面に降り注ぐ音がきこえた。

夕食前に、おはぎがでた。
3軒向こうの(隣合っていないので、ちょっとどの家なのか断定しにくい)浅田さんという家からの、おすそわけだと言う。
とろとろ眠りながら聞いた標準語は、どうやら、そこの大学生の息子だったらしい。
東京の大学に行っているという話しだが、夏休みを利用して帰省しているようだ。
もしかして、あの兄弟のくっつき寝姿を見られたか・・と、タケルはちょっとハズカシサに憂鬱になったが、まあ、別段会う機会もないだろうし、気にしないことにした。

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