健康作法  ――人それぞれと言うけれど、――

  やさしい話から、すると、

 今、これを読んでいるあなたは、自分で健康だと思っているだろうか、いや、健康や生活に問題があるからこそ、インターネットをアッチャコッチャをクリックしてここにたどり着いたのだろうか?
 たどり着いた人はラッキーだと思うよ。 健康問題にしろ、人間関係、社会的な問題にしろ、何年も、あるいは何十年も、アチコチヘ行って、たくさんの金をかけても、解決できずに悩んできたもんだいが、私に出会ってかんたんに解決できた人がたくさん居るんだから。
 しかも、ほとんどは無料で、お金を使っても今までの百分の一か、それ以下ですんじゃうんだから。
 でも、ここでは健康にかんする話だけにしよう。 今は医学がすすんだといっても、年々病人の数がふえるが、病院はもうからないし、医者や看護師の仕事はもうれつにいそがしいけど、収入がたいしたことない、って聞くし。
 そんなむずかしいことは、どうでもいい。 「私や家族が健康で元気ならいい」、と思う人は、このホームページの健康作法の、 やさしい話から、すると、の部分だけをひろい読みしてみてほしい。
 作法、とは普通の人が世の中で普通の生活をしてゆく方法、ってな意味だな。

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もっと、知りたい人は、次へ。

 

  神々の偉大なる間違い

 人間のみならず、あらゆる生命の進化・流転を仔細に知れば知るほど、このように複雑にして、精妙、確実な生命の再生を司る方法が自然に出来たとは到底考えられず、間違いなく、神か、全知全能のアラーか、何か偉大な意思を持ったモノが、この世を支配してると考えざるを得ない。

 遺伝子の解明が進み、今後は、人間の知恵によって新しい生命を改革してゆくことが可能と考えられているが、その方法は人間が考えたものではなく、誰か、偉大なる者が考えて作った方法の一端を人間が利用しているに過ぎない。*1

 もし、人間以外のモノから命令されて、生命を永遠に継続的に再生する方法を作れと指示された時、果たしてどんな方法を考えるであろうか? 無機的なロボットに同じロボットを作らせることは現在の人間にも出来るが、温められた砂浜から自然に生まれた海がめの赤ん坊が、自分で卵を割り、地上に出て、陸の方へは行かず、渚の中へ飛び込み、母亀が辿った数千キロの旅路を一人で行くような亀は、到底人間には作れない。

 今、これを読んでいるあなたが、チョットした傷をしたとする。その傷から出た血は、すぐに血液中の液体部分である血漿などによって傷口は塞がれ、やがて周辺の細胞は続々と大量の細胞を再生し、数日を経ずして、その傷口は全く痕跡を残さず癒えてしまう。 厳密に言えだ、チョト違うのだが。ま、ともかく、その傷跡修復の過程を仔細に説明するだけでも一冊の本で足らない程の複雑な過程があるが、生物は黙々と何の苦もなく(?)成し遂げてしまう。
 
指紋のある面に傷が出来ても、見事にその指紋をも再生してしまう。その指紋の形状はどこに記憶して置いたのであろうか?

 チョットした傷といえど、生命に自然治癒力が無ければ、どんな名医でも、血を止めることも、まして傷を癒すことも出来ないのだ。 難病、奇病と言えど、その過程は同じ生命である以上、同じ治癒過程のはずだ。ただ、人間が頭で考えるから、その過程が分からないのであって、遺伝子、生命と生命の語り合いにまかせれば、良いのだ。

 かって古代の名医が言った言葉に、「神が病人を治し、医者が金を貰う」と。が、現代では、多くの藪医者が、「自分が難病を治したのだから、高額な治療費は私が貰う権利が有る」と臆面も無く思って、実行している。

 しかし、そのチョットした傷を治した偉大なるモノを、神、と呼ぶなら、神は偉大なる間違いを犯した。それは、人間に、多大なる言葉と文字を与えた“時期”を間違えたことだ。その言葉と文字が生み出した、最大の負の成果は、金融資産と病気である。
 もし、人間に言葉と文字が、今でもなかったら、この地球上に蔓延しているの貧困と生活習慣病は、発生していなかったろう。 といっても、疫病などで塗炭の苦しみを味わっていたろうか?*2

 人間は地球上に現れて、他の生命に較べれば、まだ僅かな時間しか経っていないので、地上の支配者となるには、マダマダ未熟だったのだ。言葉と文字を駆使する能力を保有する時期が、もう数十万年ぐらい遅ければ、これほど地球を破壊し、豊かさを独占するために、御互いに傷付け、殺傷し合う争いをし、自ら体を痛め付けるような愚かな生活(生活習慣病の増大)は犯さなかったであろう。

 しかし、その偉大なる間違いを修正する能力を、人間は持っているのだから、人間は偉大である。だが、しかし、能力が有るのと、実行するのとでは雲泥の差が有るので、この書に遭遇したあなたは是非実行してもらいたい。

 

 親の意見となすびの花は千にひとつの無駄も無い。

  それほど良い意見というものは身近に有っても採用されないのだ。

 作法とは練り上げたる文化なり、

 作法とは理屈と精神の融合なり、

 ここで言う、健康作法は、実に物理的、現実的な運転免許、否、それ以上の、例えていうなれば、100円の買い物をすれば、100円の品物と交換してもらえる現実的な見返りの有る、実用的、現金的な作法です。 この健康作法で実益を得ても、政府は税金も、受益者負担も要求をしないし、誠に、本人はもとより孫子(まごこ)の代まで100%以上の見返りがあるのです。

 唯一、読者に被害があるとすれば、これを読む時間が、自己負担といえば言える。しかし、感の良い人なら、目次をパラパラと見れば、おおよそ見当は付くし、後は自分で考えて自己に適した方法を開発すれば良い。 

  目次と内容は追々作成します。チョット待ってね。
目次
 個人差が大きすぎる人間の問題
    太陽、空気、水、食物、運動、仕事
    衣食住から医食住へ
    生活習慣病とは、
    語り合う生命
    先生と患者 から 患者様とお医者様 へ
     しもやけとコーヒー
    うがい、手洗い、マスク
    
    人間本来、陰気・陽気はない

参考文献
 *1エドガー・ケイシー療法入門 ウィリアム・A・マックギャレイ著 中央アート出版社
 *2癒す心、治る力 アンドルー・ワイル著 角川書店

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