健康作法 個人差が大きすぎる人間の問題

 やさしい話から、すると、

 野生の動物たちや、家畜として飼われている動物たちを見てると、ほとんどの動物、とくに羊や牛や、小鳥、魚でも、体形や行動、食べ物などは大した違いはなく、個別に名前を付けて区別をするのが難しいくらいに、似ていると思わない?
 そこへいくと、人間は子供の時から着ているものが違うのは、親の好みのせいとしても、好きな遊びが違ったり、同じ兄弟姉妹でも、好みの食べ物も違うし、しぐさが違ったりして面白いよねぇ。

 そして、大人になるにつれて、その違いはダンダン目だつようになり、勉強の得意分野から、仕事の好み、趣味など、家族でもまったく違ってくるし、一緒に生活もしたくなくなる時もある。
 同じ家に住んで、同じものを食べていても、風邪をひく人、ひかない人、寒がりの人、暑がりの人、テレビを見る人、見ない人、などなどまったく違ってくるところが色々面白いと思う。
 ま、この程度なら、「なんでぇ、こんなにちがうのぉ〜?」 とか思っていれば、いいので、たいした問題ではない。

 けど、ウツになって引きこもっちゃったりする人や、逆に家出してどこへ行ったか分からなくなる人とかが居ると、これは放っておいては大変だよ。 こんなのはまだいい方で、家の中で一番たばこを吸うおとうさんが元気なのに、たばこを吸わない娘さんが肺ガンになったりしたら、「神様は、いったい何してんだよ!」 って言いたくなるよなぁ、、。 だけど、神様は聞いているのか、聞いていないのか、よく分からないので、医者や心理カウンセラーのとこに相談に行くと。
 「ガンになるならないは、体質の差ですよ」 とか、「家出したのは、友達のせいじゃないですか、」 などと、よく分からない理由にされちゃう。

 なかには、何年もはっきりしない体調不良などで医者に行っても、「x x x x症候群」とか、「なんとか神経症、、」とか、さらに、わけの分からない病気のせいにされて、これまた、もっとわけの分からない薬を何年も飲んで、ちっとも回復しない。
 だけならまだいい方で、肝臓悪くして、吹き出物が出て、眼がショボショボ、、、、

 専門家なら、ちゃんと説明して、解決してほしい、、、と思わない?

 そのために、総合カウンセラーがあるんですよ。

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 最近は、がん相談とうとう http://www.gan-soudan.com/ という所もあります。
私とは関係がないのですが、御参考まで、医学の相談が専門の組織です。


  もっと、知りたい人は、次へ。

 ともかく他の動植物に比べて、人間は個人差が大きい。 これは何よるのか、同じ家庭で育った兄弟姉妹・一卵性双生児でも、ずいぶん違う理由はうまく説明できていない。 一緒に生活してる双子が、同じ人に恋をする、なんて話は非常に例外的である。
 確かに人間社会は非常に複雑で、心理や行動、好みだけでなく、その日、その日の体調にしても、朝、昼、夜でどんどん変化してゆく人もある。
 
 病人の診断について、現代医学と伝統医学(特に中国医学)の違いは、現代医学は患者の病名を確定するために診断し、中国の伝統医学は患者の証(その個人の体の状態)を確定するために診断する、のが最大の違いだと、言われる。
 これは、その診断の後に、現代医学は病名に応じて処置(投薬、手術など)をし、伝統医学は証に応じて処置をするから、必然的に、その前処置、つまり診断で求める内容が違ってくる。
 中国医学に限らず、伝統医学の弱点は古来から蓄積した知識に固執し、新しい手法による診断法を受け入れないところにある。 伝統医学だって、血液検査やX線検査・MRI検査などと併用すべきである。
 しかし、一方の、現代医学は患者の状態を機械的に判断し、高血圧症とか高脂血症・肺炎症とか診断したら、治療法は確定し、あとは主処置に付随する処置を、いつ、どのようにするか、という程度の変化球しか考えない。 しかも、現代医学の最弱点は、病名が決まり、処置法が決まると、それに固執し、健康保険制度にも問題があるのだが、新入社員の使うマニュアルのように全く融通がきかず、個々の患者の症状に応じた、色々な各種療法を試みようとしないことだ。
 同じ病名、同じような症状でも、個人の生活習慣、病歴、体力などに応じて、適した治療法は無限に考えられるが、それらは全く無視して、健康保険適用の範囲内でしか考えない。 なかには、それが唯一の正しい治療法だと信じている医者もいる、ところが恐ろしい。
 最近は、現代医学を修めた医師の中にも、健康保険が適用されない各種療法も試みようとする人も居るが、まだまだ少数派である。

 先日、ある医師のサイトを見ていたら、健康診断をする時に、ブラジャーを取るべきか、否か、ということを数名の医師(男女)たちが大いに議論をしていた。 両者平行線のままだったのだが、私に言わせれば、健康診断とは、どの程度まで詳細にわたって診断すべきか、によって決まるのではないか、と思う。 その目的と医師個人のやる気と能力によって、当然診断方法が違うはずだが、そのような問題を議論せず、セクハラになるとか、恥ずかしいとか、本末転倒の議論をしてる。

 ちょと、本題からずれたので、個人差の問題に戻ろう。

 世の中には標準的な人間なんか居ない、というのは医学の範疇ではないが、一般社会的にも、現代ではなかなか認められない変な雰囲気になってきた、と 私は思っている。 
 例えば、最近はやりの、KY(空気が読めない)問題。 確かに、その場の雰囲気が分からない人が増えているのかもしれない。 しかし、いつの時代でも、そういう人は居るのであり、そういう人が居れば、「周りの人が察してあげて助けてあげる、ということが出来る人が少なくなった」 ことが現代の問題点であると私は思う。
 空気が読めないのは、その人の個性であって、欠点ではないのだから場の全体を見てその人が孤立しないように助け(流行り言葉で言うなら、フォローする)てあげられる人が現代では少なくなってきた、という現代社会の問題点である。

 また、話がずれた。

 医者も学校で学んだマニュアル通りの診断をするのではなく、各種検査結果を尊重しつつも、どのような患者でも、検査結果をは異なるその人の特有の症状・経過があるものであり、それに基づいて、処置・治療をすべきであるが、そんなことは医師試験で問われることもなく、医学の授業でも触れることが皆無のようだ。

 同じ高血圧症でも、ある人は何十年も高血圧で問題なく生活していたり、低血圧でも不自由がない人も珍しくないし、全く脂身の肉食をしなくてもコレステロールが高い人(私)も居て何十年も日常生活に問題ない人もいる。
 むしろ、チョト血圧が高いからといって降圧剤を長期間服用するために、ボケや元気不足の人が増えて、介護、介護を大騒ぎをしているのではないか、と私は思っている。食い物も、生活も良くなったのに介護が必要な人が増えて、介護人が不足する、なんてことは明らかにどこかが間違っている。

 医者でもない私が具体的な医療処置について、どうこう言うと、どこからか刺されるといけないので、この場ではこの程度にしておくが、長期間の服薬は、よくよく医者から詳しく聞いてからにした方が良い。
 昔の名医は、薬は三日分ぐらいしか出さなかったもんだ。 その、たった三日間の間の患者の変化で、その後の処置をどうするか、が名医には読めたのだ。


参考資料
今回の参考は多数挙げることができるが、この文献一点と、ビデオ一点だけにしておきましょう。

*1 9割の病気は自分で治せる 岡本裕著 中経出版刊 2009
*2 ビデオNHKスペシャル 驚異の小宇宙人体III vol5 秘められたパワーを発揮せよ

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