【廃墟マニヤ File058】
K岡鉱山O津山(岐阜県)
(その3)
なにやかやで、私が再びO津山を訪れることができたのは、翌年(2001年)の5月のことでした。
順調にフ16が置かれた地点まで進みます。
ところが、この緩急車からちょっと進んだ所で早くも雪が登場! 昨年の道が崩れていた所よりはるか下で車を捨て、徒歩で進む破目に陥ります。
さらに、高度を上げるにしたがってどんどん雪の量が増えていき、次第に不安になってきました。一応、軽トレッキング装備で防寒具、雨具、予備の食料、ストーブ(コンロのことですね)等も持って行ったのですが、雪の装備はなにも用意していません。
南側に回り込んでいくと少し雪が減って、ほっとしたのも束の間。今度は雪の重みで落ちてきたらしい木が、隧道の入口を塞いでいて通れません。
山側には壁があって登れないため、谷側をトラバースすることにします。神代の時代から、黄泉の国など異界に入るには通過儀礼が必要なようです。
苦労しながらなんとか無事通過しました……。反対から見るとたいしたことないんですけどね。ちなみに隧道の中は、深い水たまりになっていました。
しかしこの隧道はなんのためのものでしょうね。ここだけ雪が多いため雪除けが必要だったのか、それとも上を索道か何かが通っていたのでしょうか?
ここまで来て、ようやく鉱山の痕跡をポツポツ見つけることができるようになってきました。
さらに進んで、カーブを抜けると急に視界がひらけました! どうやらここがO津山の集落跡のようです!!
建物がなくなって防火壁だけが残っています!
まずは、中央の広場へ行ってみます。鉱山軌道のレールが残っていました。ここがおそらく軌道の終点だったのでしょう。
このあたりは人車(鉱員を乗せるための車両)の乗降場だったようです。昔の写真を見ると、ここには巨大な建物があり、軌道も完全に屋根で覆われていた模様です。
また、この付近に小中学校もあったらしいのですが、その痕跡を見つけることはできませんでした。おそらく写真奥の石垣の上か、写っていませんが写真右手の空き地あたりだと思うのですが……。
建物の下に平トロが残っていたので、ちょっと押して遊んでみました。おそらくここに行った人の8割は、きっと同じことをしたくなると思います。
(続く)
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