【廃墟マニヤ File058】
K岡鉱山O津山(岐阜県)
(その2)
『O津山』……それは現在、地形図から地名さえも消えてしまった集落の名です。
たどり着くのも困難な山の中に昔の施設跡が残っていて、今では人知れず朽ち果てていくだけ、というシチュエーションにたまらなくシビれる体質(?)のため、廃墟テンコ盛りというK岡鉱山の中でも、特にO津山には憧れを持っていました。
ヤブがひどいという事前情報から、訪問時期は雪の降る直前の晩秋か雪の解けたすぐ後の春先しかない、ということでゴールデンウイークを利用してのアタックを決定。夜通しクルマを走らせて、O津山の下にあるM住の選鉱施設に到着しました。
選鉱施設から少し離れた山の上に、索道の鉄塔らしきものが見えています。あの辺がこれから訪れようとしているO津山でしょうか。
さて、林道を車で登って行くと、なんと大昔に鉄道雑誌で見た「三井金属鉱業K岡鉄道」の車両がそのままの姿で残っているのを発見! こんなところにいたのか、とちょっと感動です。
ところがよく見てみると、感動の対面に水をさす看板が貼られているじゃありませんか。ちなみに熊の特に危険なシーズンは冬眠前、冬眠あけ、子育て中と思われますが、今はもしかするとヤバイ時期のような気がします!
熊除けの鈴を売っている店で、人を襲う熊かどうかどうやって見分ければいいのか尋ねたところ、「糞にこの鈴が入っていたら人喰い熊だ」と言われたという知人の話を思い出したりして、ちょっとイヤ〜な気分に。
さて、話を戻すと「三井金属鉱業K岡鉄道」というのは猪谷からK岡町(浅井田)までをつないでいた鉄道で、現在の第3セクターのK岡鉄道(この記事を書いた後、2006年12月に廃止されてしまいました)とはまったくの別物です。元々は鉱山用軌道だったのを一般貨物・旅客も取り扱うようにしたもので、軌間わずか610mm(鉄道はフィートが基準だったので、2feetとなり、キリがよい数字となるわけです)という、おもちゃのような鉄道でした。
この「三井金属鉱業K岡鉄道」の完全廃止が昭和42年(1967年)なので、廃止直後に払い下げられてここに置かれたとすると、なんと30年以上経過しています。
物置か休憩所として使用されていたのでしょうか。ちなみにこの車両「フ16」は現役時代、緩急車でした。緩急車というのは、まあ車掌車というかブレーキ車ですね。
さらに登っていくと鉱山らしい眺めになってきます。この辺は現役施設らしく、作業員らしき人の姿を見かけました。
はるか下には沈殿池らしきものが見えます。
ところが、そこから少し先に進むと、なんと崖崩れで道路が完全になくなっているじゃないですか!
無理して歩いて行けば進めなくもない感じでしたが、結構崩れた土砂が水を多く含んだ状態で、この後雨の予報が出ていたため、ヘタすると帰れなくなる可能性があります。
……というわけで、泣く泣くここで引き返すことにしたのでした。(ここまで2000年5月)
(続く)
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