【廃墟マニヤ File028】
M尾鉱山(岩手県)
(その3)
茂みをかきわけてなんとか建物に取り付くことに成功!
メンテナンス用なのか、ダストシュート用なのか不明ですが、外壁の小さな扉から樹木が顔をのぞかせていました。
回り込んでみたところ、中に入れそうな開口部を発見。壁の痕跡から判断するに、昔はここに渡り廊下かエントランス的なものがあって、手前に落ちている屋根が載っかっていたのでしょう。
みなさんご存じだと思いますが、各建物の1階には雪が降っても行き来ができるよう通路が設けられていて、そこにはご覧の通り各棟の名前のペイントが残っています。
最後の手紙が届いてから30年以上経つ郵便受け。
連絡通路の上部には、断熱材を巻かれた配管が残っていました。スチーム暖房用のものか、ただの水道管なのかはわかりません。
部屋の中を覗いてみると、長い年月に畳は繊維と化し、天井のモルタルは剥げ、床は土間だったのかと思うような状態に。
水洗トイレの使用注意書き。住宅公団による団地のトイレも水洗式でしたが、いわゆる「団地」が初めて登場したのが1956年ですので、1951年当時で水洗式といったらまさに最先端の設備だったでしょう(ちなみに私の家のトイレが水洗になったのはさらに後の1970年ぐらいのことです)。
この建物、階段を中心に左右に部屋が配置される構造のため、各部屋を見るには、いちいち階段を上り下りしなけらばならず、なかなか大変です(最初にできた「い」〜「へ」号棟は同じ構造のようです)。
(続く)
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