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 早春日記......

 子どもを居間に閉じ込めておいて、一日台所のテーブルに向かって人形を作った。 前にみつけておいたこげ茶色の花柄の生地に小さな型紙をあてて、ミシンも使わず全部手縫い。 小さな小さな襟ぐりの見返しを裁ちながら、男の子しかいないのにどうして人形なんて・・・と思う。 だが、作ってみたいのだ。動物のぬいぐるみは以前作ったことがあるけれど、可愛い女の子の、 色々な服を着せてやれる本当の人形は、何だかもったいなくてなかなか手がつけられなかった。 どうせならうんと可愛い、世界でひとつだけの、とびきりお気に入りのを作りたかったからだ。
 やっと始めたこの人形。手にはちゃんと五本の指があって、膝もふくらはぎもふっくらしていて、 そして髪にはコーヒー色の毛糸を植えつけて・・・但し顔を描くのは難しいから一番後まわし。 それ以外は大体思いどおりにできた。手と足を胴体にくくりつけ、白いパンツをはかせてやる。 首はまだ離れたまま。頬もふっくりとでき、髪の毛も抜群にうまくいったものだから、 顎の下に裁ち鋏で首をさし込む穴をあけるのが、可哀想になってきたのだ。それに、 胴と接ぎ合わせる縫い目がきたなくなったら、襟ぐりの大きいドレスは着られなくなってしまう。 ごめんね、うまく縫えなくて、と見るたびにあやまりたくなりそうで、首をつける自信がない。 誰か上手な人に教えてもらえればいいんだけど・・・。

 そんなわけで、パンツをはいた首なしの胴体とくりくりした巻毛の頭を脇において、 花模様のドレスをひと針ひと針縫っている。次に女の子が生まれたらその子にやってもいいけれど、 息子の陽介には貸してやらない。これは私の大事なお人形。そうだ、陽介にはそのうち熊さんでも作ってやろう。
 お正月には陽介に、色エンピツで書いたカルタを作ってやった。四十六枚絵を描くのは大変だったけれど、 作るそばから覚えて大よろこびでとるのを見ると、しつけや教育には自信がないけれど、 こんなことならしてやれる、と思ってうれしかった。大きくなってカルタなどすっかり卒業してしまった後でも、 時々思い出してくれたらうれしい。母親がどんな気持ちで自分を育てようとしていたかを知りたいと思った時に、 てがかりになるものを残してやりたい、そんな気がする。


 スカートのレースは一段にしようか、二段にしようか、と迷いながら、のっぺらぼうの頭に服をあててみる。
「そういえば、この子、輪郭が『まぁこ』に似ているわ」
「まぁこ」は、亡くなった母が私に作ってくれた人形である。今はもうインクで描いた瞳も消えかかり、 体には茶色のしみをつくって押入れの隅に眠っている。終戦後の物が無い時代に、 幼い私のために仕事の合間に人形を作ってくれた母の気持ちが、今、痛いほどよくわかる。 亡くなって二十五年も経った今頃になって、母とゆっくり話してみたい、と思うようになった。
「おかぁちゃまは、真面目すぎたんじゃないの?もっともあの時代にわこ(私の呼び名)を 育てるために洋裁の仕事だけでやっていこうとすれば、どうしたって過労になるのでしょうけど。 わこがおとうちゃまの方にひきとられていたら、もしかしたらおかぁちゃま、 病気にならなくてすんだかもしれないのにね。でも、おかぁちゃまは、わこを手放せなかったんでしょう? 私だってそうだもの。もし今、陽介を一人で育てなければならなくなったとしても、絶対に手放せない。 普段はつきまとわれるとうるさくて、邪険に扱っているのにね・・・」
 陽介の寝顔を見ながら、そんな話をしてみたかった。
 母が残した育児日記や、私の服、まぁこ、私を描いた絵。そんなものから、 この頃急に母の匂いが立ち昇ってくるような気がする。私を養い育ててくれた叔母や、 その他の人たちから聞く母ではなく、私に直接語りかけてくれる母が、それらのものの中から感じられる。
 もっと生きたかっただろうに。たった五歳の娘を残して、病いで死のうとする母は、 どんなにか悔しかったことだろう。どんなに私のことばかりを思ったことだろう。でも見て、おかぁちゃま。 わこはみんなに可愛がられて、一人前に育ちました。愛する人とめぐりあって、しあわせに暮らしています。 となりの部屋でレコードに合わせてとびはねているのは、おかぁちゃま、あなたの孫なのです。
 もう春だというのに、風が冷たい。今日は亡くなった母の誕生日、花でも買ってこようと思っていたのだけれど、 人形のドレスを縫いながら母を思い出すだけで勘弁してもらおう。 生きていたら人形の作り方を教えてもらえたのに・・・そんな恨み言を言いながら、 小さな服を縫って一日を過ごそう。この人形、「まぁこ」そっくりの顔に描けるかも知れない。

1978年3月......
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