1975年8月30日。あの日が始まりだったな、と思う。
横浜の海を見つめながら、並んで腰かけている私と彼は、二度目のデートで、
しかも数分前に結婚の約束をしたばかりだった。
「探していた人にやっと会えた」と思った途端に、
この人が死んでしまったら私は生きていられるだろうか、という想いが胸の底から湧き上がってきた。
27歳になっていた私は、それまでに何回か恋愛らしき経験はあった。
だが、好きだ、と思った途端にその人の死を恐れたのは初めてだった。
「あなたが死んじゃったら、どうしようかナ」
わざと可愛らしく言ってみた。彼は一瞬おどろいた顔で私を見た。
「戦争って本当に悪いことなのね。初めてわかった」
人を好きになるということは、盲目になって自分とその人しか見えなくなることだと思っていた私は、
自然に口をついて出た自分の言葉におどろいていた。
彼は「愛する人を戦場に送るまい、というのが、反戦運動の原点なんだよ」と
言い、学生時代の運動のことを少し話してくれた。
それを聞きながら私は、迷子になっていた自分が、ようやく、
居ても良い場所を見つけた喜びにひたっていた。
それまでの何年もの間、私は、ものごとを言葉で知り、
わかったつもりになって語り、その言葉に自分をあわせようと焦っては失敗し、
自分自身が空っぽで底なしの穴になってしまったような感覚に襲われて、
しばしば不安の固まりになっていたのだ。
まわりにいるたくさんの人の中の自分が、大きすぎも小さすぎもしない、
そのままの大きさで見えてきた。そしてその自分が、抽象的などこか、ではなく、
まさにこの社会、この政治の真っ只中にいるのが見えた。
私が戦争に反対しよう、と自分の言葉で感じたのは、この日が最初だったのである。
黙っていることは、現状を肯定していることになる、ということも彼から教わった。
どこかのグループに入ってみれば、とも言ってくれた。
だが、彼から、というより、彼との生活を通して知らされたことは、もっと深く私の内側を変えていった。
初めての「嫁」を、彼の家族は実に暖かく迎えてくれた。
「いい嫁だ」と人に自慢してくれた。
今でこそ「家事は全部きらい。一人の時間が欲しい。一生の仕事を見つけたい」と
勝手なことを言えるようになったけれど、当時の私は、せめて家族の前ではいい嫁でいようと思い、
自分の本来の欲求と外面とのギャップを後ろめたく思い、そのことを通して、
差別、ということの実体を学んでいった。ひとことも悪口を言われず、家族の一員として扱われ、
大事にされているのに、何かが違う、どこかが変だ、という思いがつきまとい、
そして私は、いじわるをし、冷たく見下すことだけが差別でないことを知ったのだった。
学生時代に読んだもろさわようこさんの本の中味が、自分に関係があるのだと、初めて実感した。
歴史というのは過去のことではなく、今、この私の足の下までつながっているのだと知って、心底驚いた。
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