オリーブオイル研究所



研究員物語
プロローグ
エピソード1
エピソード2
エピソード3
エピソード4
エピソード5
エピソード6
エピソード7
エピソード8
エピソード9
エピソード10
研究員物語 (愛と涙そして・・・ ツッコミ 笑い)

エピソード4:本場イタリアへの憧れ


私はもう卒業して、細々とだがピアノを弾いてお金をもらうようになっていた。

目指していたオペラの伴奏(日本ではあまり知られていないが、本当はコレペティートルという名の立派な職業なのだ。エヘン!)の依頼も少しは来るようになっていたが、大半は歌手やヴァイオリニストの伴奏をしながら稼いでいた。

ギャラ少ないけど、仕事をするたび人脈もレパートリーも広がって、面白くて仕方なかった。

その頃会う人はみな音楽家だった。しかも、声楽家が多かった。。
声楽家と言えば、前にも少し触れたがその体力を使う職業がら、美味しいものこだわる人が多かった。

いや、人間は皆そうなのかも・・練習が終わればまず食事に行く。リハーサルや本番ともなれば行かない訳がない。彼らはたいてい、練習場であるスタジオの近くに足しげく通う店を
2、3軒持っていた。

「今日は
どこにする?何食べたい?」なんて一応ゲストとして扱われるピアニストは必ず誘われる。

役得役得・・(o^─^o)

いやいや、ピアノ弾いたって体力すごく使うのだ、本当に。2時間も弾けばお腹
ぺこぺこで・・

あの頃お世話になった方達には、本当に
美味しいものをご馳走になった。イタリアンフレンチ無国籍レストランetc..でも洋楽をやっているからかな、和食というのは少なかった。ご自宅で練習をする方も居て、たまにそこでご馳走になることもあった。

そんな家は大抵とても雰囲気があって、グランドピアノの置かれた広い部屋の一角にしゃれた木のテーブルと椅子のセットがあったりして、「ちょっと待っててね」なんて言われてそこに座っていると
ワインチーズが運ばれてきた事もあった。

体質的に
下戸で学生時代はほとんど飲めなかった私だが、歌手達と付き合っているとそうもいかず、だんだんワインの味も覚えるようになっていた。

雰囲気のある部屋で出された
ワインは本当に味わい深かった。疲れた身体にしみわたるようだった。

ゆったりとした時間と空間。あぁ、外国の生活ってこんななんだろうなーいいなぁ・・なんて思いつつ口に運ぶ
チーズも、もちろんプロセスチーズであるはずがなく、白やら青のカビ付すらあった。

うっとくる苦手な匂いのチーズもあったが、たいがいは私の舌に合い、ワインが進んで困った。。だって下戸の私はあまり飲めないからね。

雰囲気のあまり無い狭い家で練習するときもあった。家は狭いと思ったが、これを書きながらその練習室が、道路が少し見える程度の
半地下にあったことを思い出した。

ピアノを弾きながら、その窓から差し込む陽射しが良い感じだな、と思っていた。私はどうやら
半地下に縁があるらしい・・・

練習が済むともう夕食の時間だった。「ちょっと
小腹に入れていくか?」と言って引っ込んだ先生が持ってきた皿には、見たことのない形のパスタが盛られていた。

黄色い2cm角くらいの
四角パスタ、中に何かが詰まってふくらんでいる。

「これ、何ていう
パスタですか?」と口を開く前に先生が答えた。

ラビオリって言うんだよ」(きっと私は顔中で質問していたに違いない。)初めての感触、初めての味、しゃれた部屋で出されたチーズより私を惹き付けた。

ほうれん草挽肉が入ってる、パスタに詰め物をするなんて・・それにこれ、オリーブオイルで調味されてる。


美味しい・・


その
ラビオリはしかも冷凍食品だった。
イタリアの
スーパーで販売されているものだと教えてくれた。

イタリアに留学中の奥様に教えてもらい、そのメーカーの品を日本で探したというのだ。冷凍食品でさえ、こんなに
美味しいなんて!それにパスタって物を私はほんの少ししか知らないんだ・・

オペラをやるなら、やっぱりイタリアがいいよ」と、私の頭の中を知らない先生は自分の留学時代の話を続けていた。私は都合の良い所だけ耳に入れていた。(ゴメンナサイ、先生)もちろんコレペティートルの勉強がしたかったのだ。

イタリア語だって勉強していた。だけど、、今だに美味しいイタリアンが作れないという悩みは無意識のうちに、想像するよりはるかに心の奥深く根ざしていたらしい。

”本物の味”
これは現地行かなければわからないのだ、とこの時に思ったのかも知れない。

食後に出たコーヒーは、ちゃんとコンロにかけて淹れた
エスプレッソだった。
数年後には、この
エスプレッソ毎朝イタリアの家庭で自分が淹れていようとはさすがに想像していなかった。

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