2003年9月23日(火曜日、秋分の日)にで行われた、「はあとネット兵庫」設立記念講演の感想をまとめました。
「はあとネット兵庫」の主体となっているのは、全国心臓病のこどもを守る会兵庫県支部です。支部長の木村宏美さんは、ことし1月の成人の日の、日本小児科学会の第2回公開フォーラム「子どもの死を考える」にも来られていました。
今回のフォーラムは決して臓器移植の推進を目指すものではありません。とかく慎重な姿勢の人が多いのですが、こと子どもの問題については、ドナーもレシピエントもありません。同じ子どもの生きる権利であり社会的な弱者なのです。先ほどの額田氏が話の中で「大人の臓器移植法はともかくとして、いまのように小さな子ども達が海外へ移植を受けに渡航することをなくすような法律をまっさきにつくるべきです」と強調されました。全く僕も同感です。つい最近に朝日新聞で中島みち氏が「死にゆく子の権利を守る機関を」(1月9日)と訴えました。子どもの心移植ができる周辺整備が急がれます。決して国会で多数決で決める内容ではありません。子どもをとりまく未権利状態の社会構造、教育、医療システム、診断基準など多方面から国家的プロジェクトで専門家や関係者を総動員して研究を急ぐ必要性を思います。 同じ心臓病の子どもを守る会の大阪の田口氏のフロアからの発言も貴重でした。子どもの自己決定というが、我が子の場合ごまかしながら入院させて、嫌がる検査を無理矢理させてそのまま帰らぬ人になった。何故脳死の時だけ「子どもの自己決定」というのか。 僕への質問と思いました。我が国の医療すべてが患者としての自己決定を考えなくてはならぬ状況です。日頃重い障害をもつ子ども達や成人を診ていますと、保護者の意見でいろいろな決断が下されます。現在の貧困な我が国の福祉では保護者負担であり、決定が求められますが、専門家として見たとき、決して当事者の快適さや希望に添ったものではないのです。子どもも弱者です。その意見表明の仕方や聞く耳をこれからの社会は努力して作っていく必要があると思います。そういう視点が問われていると思います。決して脳死臓器移植を遅らせ、邪魔する討論をしかけているのではありません。むしろ問題が明確化し先鋭化しているからこそ、ここで国民的討論をしたいのです。 |
設立記念講演会『子どもの移植を考える』
日時: 2003年9月23日(火曜日、秋分の日) 13:00〜16:00
内容: 第1部 講演「子どもの心臓移植の現状と今後の展望」 大阪大学医学部附属病院長、大阪大学医学部臓器制御外科学教授 松田暉先生 http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/surg1/www/manage/newspaper.html
第2部 報告「こんなに元気になりました 〜渡航移植の体験を通して〜」 |
296 「はあとネット兵庫」設立記念講演、行ってきました
2003/9/23(火)19:32 - てるてる
USAで心臓移植手術を受けて元気になった、藤崎萌ちゃんの、おとうさんのお話を聴きました。萌ちゃんがUSAに行くまで、おとうさんおかあさんの友人やボランティアの方々が、自分たちの生活や人生も変わるほど、一所懸命運動して、募金を集めて、渡米にこぎつけたのでした。きょうも、仲間の方々が来られていましたが、一人のこどもの命を救うために共に闘った仲間たち、という、静かな迫力を感じました。
萌ちゃんが行ったのは、ロサンゼルス小児病院。ここは、こどもたちがこわがらないように、いろいろ工夫をしています。エレベーターの横の壁にきりんの絵が描いてあったり、こどもが楽しめるようにしてあります。
チャイルドライフサービスというものが、藤崎さん御夫妻にとってたいへん助かったそうですが、このサービスでは、幼いこどもにも、人形や絵を使って、治療の方法や手術のことがわかるように説明します。
病院には、いろんな医療サービスがあって、フィジカルな面では、心臓病で外に出て運動ができないこどもにも、部屋で遊べるような三輪車を持ってきたり、からだの筋肉が弱らないように、そしてこどもが楽しみながらできるように、いろいろな工夫をして訓練をしてくれたそうです。
精神的な面でも、レシピエントコーディネーターのバウムさんという方が、非常によく、萌ちゃんと話をしてくれたそうです。
病院の近くには、あのハンバーグのマクドナルドが慈善事業として支援している、病気のこどもとその家族が泊まれる家があって、そこには、いろんな国から、こどもの病気を治療するために来た人が、泊まっていました。
たとえばインドから、こどもの脳腫瘍の手術のために来られている人もいました。中国の方もいて、この方は日本語が話せたので、藤崎さんが他の人たちと友達になるのを助けてくれたそうです。
病院には、ボランティアの人もいて、こどもたちがこわい思いをしないように、ささえてくれていました。お聴きしていて、たいへん印象的なお話だと思ったのは、ある日、おばあさんが小さい孫と一緒に来て、藤崎さんのお話を聴いたあと、小さい孫の胸に手を当てたりしながら、こどもにもわかるようにおばあさんが話しているようなようすだった、というところでした。
それから、病院で、萌ちゃんの誕生日をお祝いしてくれたとき、いろんな人がそれぞれ心尽くしのプレゼントをくれたけど、皆、口々に、今度は、ほんとに、神様の贈り物がくるよ、と言ってくれた、ということでした。そしてほんとに3週間後に、移植手術が受けられたのでした。
「神様の贈り物」というのは、いい考え方だな、と思いました。
藤崎さんは最後に、バウムさんの詩を紹介しました。
そのとき、最初に、バウムさんが「義務の心を日本でも多くの人にわかってもらえるようになるために」というような趣旨で詩を渡してくれた、とお聴きしたので、その「義務」という言葉が気になって、「なによ。臓器提供は義務だっていうの?」と、反感を感じました。しかし、その詩は、美しいものでした。
メモしていなかったので正確には再現できませんが、もしわたしの脳がいっさいの機能がなくなったら
医師たちは死を宣告するだろう
あらゆる意味でわたしの人生は終わるだろう
そうなったら、機械でからだを生かすような残酷なことはしないでほしいわたしの目で、視力のない人が、……(何か美しいけしきのことを言っていたと思います)を見えるようになるだろう
わたしの心臓で、一度も……(走ったことのない人が走れるようになるとか)
わたしの血は、交通事故の車から引きずり出された青年にあげてほしい
わたしの骨は、……(歩けなかった人が歩けるようになるとか)
わたしの脳の細胞も使えるところは培養して研究してほしい
そうすれば一度もしゃべれなかったこどもが、
ある日、バットを振って歓声を挙げることができるかもしれない
耳が聞こえなかった人が聞こえるようになるかもしれないからだの中で、使わなかった残りの部分は灰にしてくれ
うまく移植に使えなかったところがあれば
それはわたしの罪である。わたしの罪は悪魔にくれてやれ
わたしの魂は神のもとに……
だいたい、こんな感じの詩だったと思います。
聴いていて、いい詩だと思いました。こういうふうに思って生きて死ねたらいいな、と思いました。
詩を読み上げた後、藤崎さんは、一つの考え方として聴いてほしい、とおっしゃっていました。最初に義務という言葉を聞いた時には反感を持ったけど、一つの考え方と言われると、いい考えだな、と思いました。
でも、USAの人にとっては、義務というのは、崇高な、誇りの持てる言葉なのかもしれません。つい、義務と聞くと、一つの考え方を押し付けられる、という印象を私は持ってしまいましたが、USAの人にとっては、何か気持ちを鼓舞される言葉かもしれません。
「義務」ではなくて、"GIVE"!!
私が聞き間違えておりました。ごめんなさい。
バウム和世さんは、「"Give"の精神の種がどうか日本中に、世界中に蒔かれ、大きく、大きく育ちますように」
というメッセージをこめて、藤崎萌ちゃんのおとうさんに、詩を渡されたのでした。
それならば、すなおに、この詩を受け取ることができます。
「はあとネット兵庫」の掲示板で、教えていただきました。ありがとうございました。
---------------------------------------------------------------- 藤崎さんのお話の前に、松田暉大阪大学医学部教授のお話も聴きました。
心臓病や移植手術のことについて説明があり、移植件数やいろいろなデータも紹介されました。
日本での移植や脳死についての議論も、1990年からの年表をスライドで見せて、簡単な説明がありました。
以前は、松田先生が日本でもこどもの心臓移植ができるようにと、政治家のところに話をしにいくと、日本小児科学会はこどもの脳死に反対しているよ、と言われたそうです。
でも、ことしの日本小児科学会の提言は、すばらしいものが出た、と力強く紹介されました。緒言のところです。
わが国の脳死臓器移植法は1997年7月に成立し、同年10月に発効してから5年以上が経過したが、この間に施行された臓器提供者は20数例を数えるに過ぎない。わが国の脳死臓器移植法は本人の生前の意思表示と家族の同意の両者を必要とする提供者の人権を尊重した法律であり、世界に類をみない。しかし、わが国の民法では15歳未満の小児での生前の意思表示を認めていないことから現在のところ、小児脳死臓器移植は不可能である。現行法の付則に見直しが施行後3年と記載されていることと,成人臓器では対応できない海外渡航による心臓・肺などの小児脳死臓器移植数が増加している現実から脳死臓器移植法案の見直しが検討されている。
この緒言の部分を、すごい、すばらしいと、元気な声でほめていました。
その後、こどもの意思表示や虐待による脳死からの臓器提供の防止やこどもの脳死判定基準などの、移植のための条件の紹介のときには、声のはりがなくなって、ちっともすばらしいと思っていないようでした。
こどもの虐待による脳死からの臓器提供を防ぐことについては、真剣に、防がなければならないと、おっしゃっていました。
こどもの脳死判定基準については、もう何も問題はないと、おっしゃいました。
こどもの意思表示には、関西にもそういうことをおっしゃっているお医者さんがいる、とおっしゃいました。
これは、スギケン先生のことをさしていたとしか、思えません。私は、松田先生は、日本小児科学会の提言を、こどもの脳死移植を認めたと、高く評価されている、と思いました。でも、そのための条件については、低く評価されていると思いました。
思えば、スギケン先生の講演では、あんまり緒言のことをとりあげなくて、後の条件のほうを一所懸命とりあげていたと思います。
でも、松田先生にも、スギケン先生にも、緒言も、条件も、両方とも、まずは真剣に意義のあるものとして、紹介して、それから、それについての御意見御批判を言っていただくのがいいように思いました。
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最後に、松田先生への質問のコーナーがありました。
一つは、高度先進医療について、でした。
これは、5例以上移植手術をやった病院というのが条件の一つで、移植手術そのものには、健康保険がきかないが、入院中の食費とかは、保険がおりるということでした。最近、2例以上手術をやった病院でもよいことになったそうです。費用のことは、松田先生の講演のなかでも、話が出ましたが、心臓移植の場合は、心臓を運ぶのにヘリコプターを使う。そのチャーター費はレシピエントが負担すると、書面に署名押印しないと、日本臓器移植ネットワークに登録できない、とのことでした。そんな署名押印を患者さんにしてもらうのは、情けないというように、お話しされていました。
松田先生への質問その2は、レシピエントへの精神的なケアはどのように行われているか、というものでした。
これは、阪大では、精神科のお医者さんが移植待機患者やレシピエントの話を聴いてくれるようになって非常に助かった、それから、去年からレシピエントコーディネーターのための予算もついて、看護師でレシピエントコーディネーターになった人がいて、非常によくなった、とのことでした。
そういえばレシピエントコーディネーターは、3年ぐらい前までは、日本全体で、慶応大学附属病院だったかどこかに一人いただけ、だったような気がします。松田先生への質問の他に、先日、USAで移植待機中に亡くなった、彰吾ちゃんの支援活動をしていた方が、お話になりました。もう、孫のいるような年齢の男の人でした。藤崎萌ちゃんが元気になった姿を見て、次は彰吾君、と思っていたのに、と、涙で声がつまったようでした。これは、つらい話です。
*まとめ*
スギケン先生の掲示板で、私は、「彰吾君のために集められた募金は、はあとネット兵庫に寄付されました。」と書いてしまったのですが、これは認識違いであると、きむははさんから御指摘いただきました。>しょうごちゃんを救う会などからの募金残金は寄付として受け取っていません。
>委託されましたお金は「はあと基金」を設立し、管理規定により運営します。
>この基金は、臓器移植が必要となった患者さんへの支援金とします。寄付と委託との違いがわかっていませんでした。申し訳ありませんでした。
松田暉先生への質問コーナーで、阪大でレシピエントコーディネーターが活動をおこなうようになったことが紹介されました。そのほかに、23日のお話では紹介されませんでしたが、阪大小児科に、小児癌などの難病のこどもとその家族をささえ、医療職との橋渡しをする、NPO法人「エスビューロー」の活動もあります。これは、藤崎さんがロサンゼルス小児病院で経験された、ボランティアによるサーヴィスと似たものでしょうか。神戸新聞で紹介されていましたし、ホームページもあります。特定非営利活動法人 阪大小児科ケア・サポートチーム エスビューロー
神戸新聞「難病児童の親を支援 NPO法人が阪大付属病院で活動」(2003/08/04)松田先生の講演では、生体肺移植や生体肝移植の話もされました。生体移植は親族間で移植するし、それも以前は血縁者同士だったのが夫婦間でもするようになり、いろいろな問題があることも話されました。しかし、肺の一部を両親からもらって元気になった少年のスライドも紹介されました。生体移植についても、移植医や体験者の方々から話をしてもらえるのは、貴重だと思います。生体肝移植ドナーの会の方は、森岡正博さんの掲示板でも投稿されていましたし、トリオ・ジャパンでの講演や家族社会学の学会でも、発表されていました。
松田先生は人工臓器についても話されたのですが、日本では人工心臓をつけて移植を長時間待機している人が何人もいることを欧米の移植医に言うと、悪夢"nightmare"だな、と言われる、とのことでした。そして、人工臓器はたいへんお金がかかる、それに比べて、脳死移植は、ドナーから無償で提供されるので、まだましである、とのことでした。この、人工臓器よりも脳死移植のほうがお金が掛からないからいいんだ、という意見に対しては、最近、Yahoo!掲示板で、ドナーは無償なのがおかしい、ドナーが無償ならば医者も全部無償にしろとか、脳死移植をやるから人工臓器の開発が進まない、という意見を読んでいた私としては、それでいいのか? という疑問が湧きました。
松田先生は、こどもの意思表示に消極的な意見だったけど、こどものときから移植医療について知識を広めるのはだいじだという意見でした。たとえ法律が改正されてもそれだけではドナーはふえない、と。
藤崎さんは、こどもにも、死をタブー視しないで、話をしたほうがいいと、USAでの体験をふまえて、おっしゃっていました。
こどもにも生と死の教育をしたほうがいい、という点では、スギケン先生も、移植医療推進の人も、一致しているが、こどもの臓器提供にこども自身の意思表示を必要とするかどうかで、意見が分かれているのだと思いました。
移植を受けて元気になった人が、いろんな場所に出て行って話をしたほうがいい、という意見で、松田先生も藤崎萌ちゃんのおとうさんも、意見が一致していました。
それは私も、そのほうがいいと思います。
松田先生は、脳死臓器移植の報道が、だんだん少なくなった、とおっしゃっていました。
それは一つには、移植を受けた方たちが、表に出てこられないから、その後どうなったのかわからない、ということもあると思います。
松田先生は、ドナーとレシピエントとがお互いに誰かわかってはならないという決まりがあることを理由の一つに挙げていました。
その点については、スギケン先生の剛亮君の腎臓提供のときのことが思い出されます。NHK特集「剛亮生きてや」を見て、レシピエントのおかあさんが、お線香をあげにいきたい、と言ったのに、移植医に止められた、と。
こういうことは、もう少し自由に、レシピエントやドナーの気持ちをくんで、ただし慎重に、おこなわれればいいと思います。移植を受けて元気になった人も、そして、残念ながら元気にならなかった人の御家族も、もっと声を出してほしいと思います。
いいことも悪いことも、表に出してこそ、これからどうすればいいのか、考えられるのではないでしょうか。
いいことばっかり出したら移植推進に偏って脳死の患者の家族が臓器提供せよという圧力を感じる、悪いことを出したらそれこそ鬼の首をとったように脳死臓器移植反対の声が大きくなる、というような懸念が、移植慎重派にも反対派にも推進派にもあると思います。
しかし移植医療に限らず、医療というものは、問題と恩恵と両方あるので、それを両方とも、一般市民にわかるように表に出さないと、特に法律に関わるような議論は、できないのではないでしょうか。バウムさんの詩は、自分が脳死になったら、からだのあらゆる部分を医療に役立てて、多くの人の命を助けたり、障害を治したりするのに使ってほしいというものでした。脳の細胞も、使えるところは取り出して培養してほしい、そうすれば耳が聞こえない人が聞こえるようになったりしゃべれない人がしゃべることができるようになったりするかもしれない、と言っていました。 その詩は、美しいと思いましたし、こういうふうに思って生きて死ねたらいいなあ、と感じました。
移植医療も含めて医療が産業化されていることはまちがいないし、いくら自然界のリサイクルにたとえても、実は産業上のリサイクルにすぎないのだけれど、産業化も人間の性だと思えば、自分のからだが他の人のいのちに役立つのならそれでいい、と思える人は、それでいいのかもしれません。
いろいろ問題があっても、レシピエントにとっては「神様の贈り物」ととらえるのが、一番勇気付けられるのかもしれません。でも、生体移植では、「神様の贈り物」と思いたくても思えない。脳死移植だけでは臓器が不足するから生体移植をというのは、神様の贈り物を待っていられないから人から贈り物を貰う、ということかもしれない。もっとはっきり言えば、誰かが死ぬのを待っていられないから、生きている人から貰う、ということかもしれない。それも、自分が脳死になったら、からだのあらゆる部分を医療に役立てて、多くの人の命を助けたり、障害を治したりするのに使ってほしい、と思っている人が死ぬのを待っていられないから、生きている人から貰う、ということかもしれない。本人の意思表示がなくても家族の同意だけで臓器提供ができるように法律を変えるというのも、自分が脳死になったら、からだのあらゆる部分を医療に役立てて、多くの人の命を助けたり、障害を治したりするのに使ってほしい、と思っている人が死ぬのを待っていられないから、誰でもいいから脳死になった人がいたら、その人から貰う、ということかもしれない。
何も、移植待機患者がそう思っているという意味ではありません。移植医療のありかたが、そういうものかもしれない、という意味です。
本人の事前の臓器提供の意思表示がなくても家族の同意だけで臓器提供ができる国では、臓器移植コーディネーターが脳死患者の家族に近づき、臓器提供の打診をします。それは、家族の悲嘆につきあい、立ち直りを助けることにつながる場合も多いのですが、移植医療のなかで、コーディネーターの仕事は、脳死患者の家族の悲嘆からの立ち直りで評価されるのではなく、移植用臓器の獲得で評価されるのです。はあとネット神戸の設立記念講演では、臓器移植法の改正を求めて運動しようと、松田先生も檄を飛ばしていたし、参加者の機運も盛り上がっていました。
でも、私には、本人の意思表示原則をはずすことは、「自分が脳死になったら、からだのあらゆる部分を医療に役立てて、多くの人の命を助けたり、障害を治したりするのに使ってほしい」、と思っている人が死ぬのを待っていられないから、誰でもいいから脳死になった人がいたら、その人から貰う、という方向に、移植医療を推し進めるように思えます。そういう方向にならない法改正を望みます。
2003/10/14追加
http://web.kamogawa.ne.jp/~ichi/cre-k/sugibbs2/trees.cgi?log=&v=306&e=res&lp=306&st=0
306 re(5):「はあとネット兵庫」設立記念講演、行ってきました
2003/9/28(日)21:20 - きむはは
生と死が忙しく入り交じる病院で、私の身体がマットの4つのコーナーに
きれいに折り込まれた白いシーツの上に横たわる日がいつかやってくる。
そして、医者はもう私の脳が機能を停止したと判断するだろう。
すべての意味において、私の生は、止まったと、判断するだろう。
そうなった時、機械を使って私の身体に人工の生を入れ込もうなどと考えないでほしい。
そして、これを私の死の床と呼ばないでほしい。
命の床と呼んで、他の誰かがもっと満ち足りた人生を送れるように、
そこから私の体を運んでほしい。
私の視力は日の出を、赤ん坊の顔を、そして彼女の瞳の奥の愛を、
まだ一度も見たことのない人にあげてほしい。
私の心臓は、終わりのない苦痛以外なにものも引き起こさない、
そんな心臓しかもたない人にあげてほしい。
私の血は、壊れはてた車から引きづり出された十代の若者にあげてほしい。そうしたら、
彼は自分の孫が遊ぶのを見るまで生きられるかもしれなから。
私の腎臓は、一週一週を生き延びるために機械に頼っている人にあげてほしい。
私の骨を、すべての筋肉を、すべての繊維を、そして、体中の神経を取り出して、
不具の子どもが歩ける方法を見つけてほしい。
私の脳のすみずみまで調べてほしい。必要があるなら細胞を取り出して、
培養してみてほしい。
そうしたら、いつかしゃべれない少年がバットの折れた瞬間叫べるようになり、
耳の聞こえない少女が窓をたたく雨の音を聞けるようになるだろう。
残った部分は焼いて、灰は花が成長するよう風に蒔いてほしい。
もし、何か埋めなければならないのならば、それは、私の犯した失敗、
私の弱さ、そして私の仲間に向けたすべての偏見である。
私の犯した罪は、悪魔にくれてやれ。
私の魂は、神に捧げておくれ。
もし、私のことを覚えていたいと思ってくれるなら、やさしい行為と言葉を、
それを必要としている誰かに与えながら覚えていておくれ。
私が望むこのすべてのことをしてくれたなら、私は永遠に生きることができるだろう。
*参照
2003/09/13(土)杉本健郎さんの講演会の感想など(1)
2003/09/13(土)杉本健郎さんの講演会の感想など(2)
2003/09/06(土)臓器移植法学習会の報告
"transplant community" の二つの意味
藤崎さんが最後に読んでくださった、
バウム和世さんから贈られた詩の全文をご紹介します。
by Robert N. Test
日本小児科学会提言「小児脳死臓器移植はどうあるべきか」
2003年4月26日
2003年現在、学校で行われている、脳死・臓器移植に関する授業と教材
〜NHK特集「剛亮生きてや」(1987年)とKTVドキュメント「ふたつの命」(2003年)を見る〜
てるてる著 2001年4月23日