BGMは、四高・漕艇班遭難哀悼歌
百観音を巡礼していた頃の、札所の紅葉を紹介します。西国札所寺が多いのは、お参りしたのが、紅葉の時期だったということ以外に事由はありません。 ともあれ、偉大なる自然がこの世に具現した浄土の世界をご覧下さい。 西国札所、坂東札所、秩父札所の各観音巡礼の説明は、このホームページの「古寺巡礼ー観音巡礼」を参照下さい。 |
27番円教寺 |
摩尼殿 |
天台宗書写山円教寺は兵庫県姫路市の、夢前川の流れる辺り標高363メートルの書写山上にある。 966年、性空上人の創建で、札所巡りを平安時代に再興した花山法皇もこの霊場を二度も訪れている。弁慶も若い頃、この寺で修業したということです。 今はロープウェイが山上まで通じ楽になっているが、それまでは西国札所の難所中の難所であった。 広大な境内には、性空上人作という如意輪観音像を本尊とする豪快な舞台作りの摩尼殿(観音堂)をはじめ、食堂・大講堂・常行堂・開山堂等の堂宇、歴代姫路城主の廟所が点在する。観光馬車も境内を周っているが、性空上人に居留守を使われた和泉式部が「闇きより闇き道にぞ入りぬべき 遙かに照らせ山の端の月」と詠み、見事に上人との面会を果たした話や、力自慢の弁慶がこの寺で学問を修業する姿に思いを馳せながら、じっくりとあちこち歩いてみたらいかがでしょうか。 そして秋、赤・黄織り成す書写山の紅葉を摩尼殿の舞台から眺めましょう。眼下に広がる錦繍の世界は、まるで極楽浄土のようです。 |
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33番華厳寺 |
谷汲山華厳寺は天台宗の霊場で、西国札所巡礼の結願の寺である。 約1キロの門前町参道の両脇には、春は桜花、秋に楓の紅葉が満願に向う巡礼者を迎えてくれる。やがて「南無十一面観世音菩薩」と書かれた大きな幟が立ち並び、札所巡りのゴールを告げる。巡礼者は本堂の観音様にお参りした後、本堂床下の戒壇巡りをしながら、旅の無事を感謝し、これからの安寧を一心にお祈りする。 本堂前柱に掛けられている「精進落しの鯉」(青銅製)に手を触れ、続いて笈摺堂で笈摺を奉納する。これで霊場巡りの旅は終わり、満願となる。 |
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26番一乗寺 |
天台宗法華山一乗寺は、兵庫県加西市にある。 参道からかなりきつい石段を登ると国宝の三重塔(1171年建立)、その後ろに舞台作りの本堂(江戸時代再建 重文)が建つ。本堂の内部には、天井から柱まで札(参拝の印)がところかまわず打付けてあるということだが、私が訪れた時は2回とも工事中で見ていない。本堂の改修は、もう完成しているだろうか。是非、見てみたいものである。 境内には、杉や楓の巨木が茂っている。2回目にこの寺を訪れた時は秋、真っ赤に燃えた楓が迎えてくれました。 |
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三重塔 |
25番清水寺(播磨) |
西国札所には、清水寺が京都の16番と播磨の25番の二寺ある。写真の紅葉は、25番札所御嶽山清水寺(天台宗)のもので、兵庫県社町にある。 昔、関西に住んでいた頃、子供を遊びに連れて行った東条湖の近くである。 陰暦の正月と7月の26日の夜半に月の出るのを拝することを「二十六夜待」という。その日は月光に、阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が姿をあらわすという。その二十六夜待の最適所とされる月見亭や、顔を写すと三年長生きするという「おかげの井戸」など境内には見るべきところが多い。 |
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24番中山寺 |
24番紫雲山中山寺(真言宗中山寺派)は、聖徳太子ゆかりの寺で、太子が蘇我氏とともに滅ぼした物部氏の霊魂を鎮めるために建てた伝える。 この寺は、また豊臣秀吉が祈願して秀頼を授かったことから安産祈願の寺としても知られている。 私がこの寺を訪れた時、石段の横の楓と銀杏が、ちょうど赤と黄を競っていました。 |
28番成相寺 |
28番成相山成相寺(真言宗)は京都府宮津にあり、有名な天橋立の近くである。この寺には悲話を伝える撞かずの鐘や左甚五郎作という真向きの龍、さらには近くの日本三景・天の橋立など見るべきところは多い。下の紅葉は、天橋立・岩見重太郎仇討ち場の楓である。 | 五重塔 |
岩見重太郎仇討ち場 |
29番松尾寺 |
29番青葉山松尾寺(真言宗醍醐派)は、京都府舞鶴市にある。 この寺の本尊は馬頭観音、33ヶ所中、馬頭観音を本尊とするのはこの寺だけである。境内に大きな馬像を祀る。交通関係者や競馬関係者からの寄贈であろうか。 秋にこの寺を訪れた時、石段を登る巡礼者の頭上に、真っ赤に燃えた紅葉が輝いていました。 |
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30番宝厳寺 |
30番巌金山宝巌寺(真言宗豊山派)は、琵琶湖の竹生島にある。33ヶ所中、舟で参拝しなければならないのは、この寺だけである。 常緑樹の多い島の木の中で、三重塔の前の小さな楓が塔よりもなお赤く鮮やかに紅葉していました。 |
番外花山院菩提寺 |
番外花山院菩提寺(真言宗花山院派)は、兵庫県三田市尼寺にある。 西国33ヶ所を再興した花山法皇の隠棲の場所で、法皇崩御後、その菩提を弔う寺として花山院菩提寺と呼ばれるようになった。 花山天皇は、最愛の弘徽殿投子女御の死を嘆き悲しんでいるところを藤原氏の姦計により出家し、皇位を退位させられた。麓の里には、弘徽殿女御の遺骨を抱いてここに都から移り住んだ「十二尼妃の墓」が、また参道の山道中ほどには、院を慕って、彼女たちが琴を弾いたという「琴弾坂」の名が残る。 |
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18番中禅寺 |
日光山中禅寺は、日光中禅寺湖畔歌ヶ浜に立つ。本尊は高さ6m余の立木千手観音で、創建者の勝道上人が立木のままの桂の巨木に観音の姿を刻んだという。 晩秋、日光は全山紅葉の季節を迎える。いろは坂から華厳の滝、さらに中禅寺湖・戦場ヶ原から金精峠へと紅葉を楽しむ。 ここ中禅寺湖では、男体山を背に湖畔の木々が錦秋の姿を湖面に映し出し、極楽浄土の世界へと人を誘う。 金精峠に上り、奥日光の湯の湖、戦場ヶ原方面を鳥瞰する。遠く男体山に向って一面カラマツの黄葉が湯の湖まで広がっていた。東照宮や華厳の滝の騒々しさはどこへやら、実に静かで寒々しい世界である。 やがて日光も冬となり、金精峠は積雪の為、春まで通行止めとなる。 |
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4番長谷寺 |
5番長谷寺は、鎌倉の海光山長谷寺すなわち長谷観音である。*坂東札所には、群馬県榛名町に白岩観音の15番長谷寺、神奈川県厚木市に飯山観音の6番長谷寺がある。 本尊は十一面観世音菩薩、大和の長谷寺の観音と同じ一本の楠の大木から徳道上人が作ったという。 弁天窟を背景にした池庭の周囲にはには四季折々の花が咲き、もちろん秋は紅葉が綺麗である。 |
30番高蔵寺 |
30番平野山高蔵寺(高倉観音)は千葉県木更津市にある。 藤原鎌足の母がこの地の出身で、この寺に願をかけ、百日参拝して鎌足を授かったという。本堂は、そのお礼であろうか、鎌足が650年に建てたといわれている(現在の本堂は1526年の再建)。 銅葺きの山門から境内に入ると、杉や栂の巨木が生い茂る。 写真は、1526年現本堂が再建された時に植栽された杉の大木で、名前は「霊木鎌足杉」。霊木としては、他に椎と栂の大木が結根した「霊木聖天様」、願い事、特に夫婦円満、子宝に恵まれるという。 |
8番西善寺 |
8番清泰山西善寺(臨済宗南禅寺派)は、天然記念物のコミネモミジで有名である。このコミネモミジは樹齢6百年近いといわれ、本堂前の庭一杯に枝を張る大木(高さ9m、枝ぶり東西20m、南北18m)である。 この紅葉の枝の下には、まるで軒先を借りるように赤いおべべを掛けた六地蔵が並んで、寺を訪れる巡礼者を迎えてくれます。 コミネモミジの紅葉が盛りを過ぎる頃、、この地方は、秩父夜祭一色に染まっていきます。 |
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善光寺と北向き観音 |
善光寺 |
百観音満願のお礼に、長野の善光寺と別所温泉の北向観音にお参りしました。 昔から善光寺では「未来往生」を願い、北向き温泉では「現世利益」を祈願するんだそうです。お礼参りだのに、またお願いをするのは欲張りみたいですけど、シキタリだそうで、私もそのように祈願してきました。 |
北向観音 |