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BGMは、一高第25回記念祭京大寄贈歌「散りし櫻を」。「山の都」(京都)から柏の陰(向陵)を切々と懐かしむ寮歌である。
桜は、平安時代に国風文化の浸透とともに外来種の梅に取って代わって先ず貴族に、続いて武士、さらに庶民に愛されるようになりました。江戸時代には「花は桜木、人は武士」といわれるほどに日本を代表する花となりました。やがてソメイヨシノが観賞桜として作られ、さらに日露戦争の戦勝記念として日本全国に植えられ広がっていきました。 全国の桜の名所から吉野山、松前城址、弘前城址、函館五稜郭、大宰府、権現堂堤(埼玉)の桜をご案内します。 |
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吉野山 |
金峰山寺仁王門 |
南朝宮跡 |
吉水神社から蔵王堂 |
吉水神社から如意輪寺 |
吉水神社 |
勝手神社 |
吉野水分神社 |
西行庵 |
後醍醐天皇陵 |
天守閣 |
松前城址公園には、里桜を主にして、約1万本、250品種の桜があります。血脈桜のように昔からの桜もありますが、多くは戦後、内地の桜を取り寄せ品種改良した松前独自のものだそうです。早咲き・中咲き・遅咲きの桜は、4月下旬から約1ヶ月の間、私たちの目を楽しませてくれます。 芭蕉 しばらくは 花の上なる 月夜かな *芭蕉は実際には北海道には来ていません。 |
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公園の桜の木 |
法源寺山門 |
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公園のさくら |
公園のさくら |
弘前城址 |
岩木山を望む |
4月下旬から5月上旬に、ソメイヨシノ、枝垂れ桜等80品種、5000本の桜が咲き乱れる。私が訪れた時は、残念ながらソメイヨシノの花は散っていましたが、紅枝垂れ桜が満開で、遠く岩木山の残雪を背景に美を競っているかのように華やかでした。 一般にソメイヨシノは成長が早い代わりに短命ですが、明治15年に旧弘前藩士から寄付された日本最古のソメイヨシノが今も立派に花を付けているそうです。 (追加)別ページ「弘前城址の桜」で、「日本最古の桜」などソメイヨシノの桜を中心に紹介します。 |
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天守閣(昼) |
天守閣(夜) |
城門 |
城内のさくら |
函館・五稜郭 |
小雨の濠端 |
五稜郭は、徳川幕府が北辺の防備のために造った西洋式の城郭。その堀の外周や郭内の土塁にソメイヨシノを中心に約1600本の桜が、春が来ると、その昔戊辰戦争などなかったかのように咲き誇ります。ちなみに、この城の形が稜形をしているのは、死角をなくすためだそうです。 |
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函館タワー |
土手上の桜 |
濠端の桜 |
大宰府 |
天満宮鐘楼 |
大宰府天満宮の桜もほぼ終わっていました。観世音寺に僧玄ムの墓を詣で、ふと大野城址の方を見上げると、山の中腹に咲き誇る桜が目に入りました。 背広とネクタイ姿で山道を駆け登って、辿りついたのが天正の昔、島津5万の軍と戦い城兵もろとも玉砕した高橋紹運の墓・岩屋城跡でした。名将の誉れ高かったこの武将の霊を弔うかのように見事な桜でした。 高橋紹運辞世歌 流れての末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水 |
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岩屋城址 |
高橋紹運墓 |
岩屋城址 |
権現堂堤 |
菜の花畑から堤を望む |
埼玉県・幸手の権現堂堤は、一キロメートル・1000本のソメイヨシノの桜のトンネルと堤の下に広がる5万平方メートルの菜の花畑が同時に楽しむことのできることで有名です。桜の木は、太平洋戦争末期、薪として伐採されたため、昭和24年に新たに植栽されたものです。 | |
菜の花畑から堤を望む |
権現堂堤入り口 |