BGMは、一高第16回記念祭東大寄贈歌「春は櫻花咲く」。花咲き花散り幾春立つも いかで忘れん武香ヶ陵わが故郷。
桜の国「日本」には、桜の名所は、まだまだいたるところにあります。桜の名所で取り上げられなかった桜の名所で、私が実際に訪ねたところを続桜の名所として、簡単なコメント付写真で、ご紹介しましょう。 |
高遠城址 | 白川郷明善寺 | ||
春になると、約1、500本ものコヒガンザクラの淡紅色が高遠城址を埋め尽くします。 桜の木は、明治になって城が取壊された後、旧藩士が中心になって植樹したものといいます。 蓮華寺に眠る絵島は、どのような桜の花を眺めて、生島のことを想っていたのでしょうか。 |
合掌造りの渋い茶色の茅葺の屋根に、桜の淡紅色の花びらが日の光に映えていました。 白川郷・明善寺の鐘楼の前にも桜が咲きこぼれ、亡き村人の冥福を祈っているかのようでした。 |
飛騨高山 | 盛岡高松池 | ||
中橋は、飛騨高山の市街地を流れる宮川にかかる朱塗りの橋。赤い橋の欄干の上に、こぼれんばかりに咲く淡いピンクの桜が印象に残っています。 | 高松の池の周囲2キロを約1000本のソメイヨシノ、枝垂れ桜が取り囲み、水面に桜の枝がゆらぎます。目を対岸にやれば、花の雲のかなたに秀峰岩手山が聳えます。 |
北上展勝地 | 小石川後楽園 | ||
弘前、角館と並ぶ「みちのく三大桜名所」のひとつ。 樹齢80年のソメイヨシノ2000本の桜吹雪が散り敷く中、約2キロの小道を観光馬車がのんびりと進みます。 |
小石川後楽園は、水戸藩の大名庭園で、2代目水戸光圀が完成させた。枝垂れ桜が有名だが、ビルを遠景にした池の周囲の桜もまた都会ならではの格別の趣があります。 |
六義園 | 姫路城 | ||
六義園は、徳川五代将軍綱吉の側用人として、権勢を思いのままにした柳沢吉保の庭園。 ここも枝垂れ桜が有名だが、その他の桜も庭園の景観に彩りをそえます。 |
天下の名城には、やはり天守閣に映える桜が似合います。 約1000本のソメイヨシノやヤマザクラが広場や濠端を埋め尽くし、いまにも白鷺が翼を広げ飛び立ちそうです。 |
龍野城址 | 根尾谷樽見駅 | ||
播磨の小京都といわれた閑静な佇まいの龍野市。古い武家屋敷の角を曲がると龍野城址、やがて赤とんぼ歌碑辺りから一目3000本といわれる「文学の小径」の桜並木が始まります。 | 根尾谷の淡墨桜の最寄の駅・樽見鉄道樽見駅で、一本の可憐な桜が出迎えてくれる。この桜を見ると、なんとなく心の和むのは私だけであろうか |
富士山本宮浅間神社 | 妙義桜の里 | ||
富士宮市の富士本宮浅間神社は、浅間大神・木花之佐久夜毘売命を御祭神とする、全国浅間神社1300余社の総本宮である。富士山の噴火を鎮めるために富士山麓に祀られた。 日本を代表する花、桜には、日本一の山、雪を頂いた霊峰富士がよく似合う。 |
ゴツゴツとした岩肌を曝した雄大な山容の妙義山を背景に総本数1万五千本もの桜が咲く妙義桜の里。花の時期は、やや遅く4月末から5月半ばである。 枝垂れ桜を見ようと妙義神社を訪れたが、既に桜は散っていた。ドライブがてら訪ねたのがこの妙義桜の里。この壮大な里では、桜の他に、ミツバツツジ、ハナモモ、こぶし等の花も同時に楽しむことが出来ます。 |
身延山 | 小田原城 | ||
日蓮上人が臨終に際し、「墓をば身延に立てさせ給え、未来際までも心は身延の山に住むべく候」と遺言を残した身延山久遠寺。この寺には枝垂桜の大木が何本もあるが、特に祖師堂右手と仏殿前に大花傘を広げる二本の巨木が有名である。 | 小田原城は、北条早雲等北条氏五代の居城として有名ですが、今日ある近世小田原城は春日の局縁の稲葉正則の城主時代に整備された。長く大久保氏が城主であったが、明治3年に廃城解体された。現在の天守閣は昭和35年に復興されたもの。 どこの城でもそうだが、天守閣や櫓、お堀を背景とした桜は、ひときわ映えるのは何故だろうか。 |
千鳥ヶ淵 | 岩槻城址 | new | |
皇居北の丸公園の西側のお堀端一帯の千鳥ヶ淵、ソメイヨシノを中心に104本の桜が植えられている。4月上旬の花の時期は、お堀端に桜花がこぼれんばかりに咲き乱れ、訪れる人を魅了する。お堀にボートを浮かべ、両岸の桜の花見と洒落てみたいところですが、まだその経験はありません。 | 扇谷上杉氏の家臣太田道真・道灌父子が古河公方成氏に対抗するため、江戸城とともに築いたという岩槻城(異説あり)、その城跡の菖蒲池の周りに600本の桜の木が植栽され、桜花爛漫の春ともなれば、朱塗りの八つ橋と綺羅を競うように、水面に花影を揺らす。 |
城ヶ谷堤 | new | ||
石戸の蒲桜の近く、北本自然観察園と荒川ビオトープの境をなす城ヶ谷堤(埼玉県北本市)、その両側に60本のソメイヨシノが枝を張出し、絶妙の桜トンネルとなっています。江戸時代の初め、荒川の水害から田畑を守るために築かれた堤は今、市民から「桜土手」「桜堤」と親しまれる桜の名所となっています。 |