私がこの町に住み始めたのは、昭和23年7月1日のことです。当時は民家もまばらで道路といえば”デコボコ道”。自宅を建築し始めた頃は、その道さえ通っていませんでした。建築と同時に現場から採掘した土や小砂利は、壁土として利用することができました。また鉄パイプを15メートルほど打ち込むと水が湧き出て、長い間井戸水として使うこともできました。
戦後特筆されるのが、名古屋市の都市計画により市内各所にある寺院の墓地が平和公園に移設されたことではないでしょうか。当時の平和公園は、独特の赤土が露出して、遠くからの全景はまさに「赤い山」に見えたものです。
昭和56年の春、三町内(穂波、西崎1・2丁目、川崎西崎)合同によるラジオ体操の打ち合わせの折、”田代公園で盆踊り”との提案がなされました。
昭和56年の8月11日、12日。第1回「盆踊り大会」の開催です。来賓として、国、県、市会議員や区長などに参加をいただきました。その折に頂戴した寄付金は大会を運営するのに随分と助かったものです。56年から58年までの3回は同じ形式で行いました。しかし、59年春の町内総会で「今のままの盆踊り大会ではつまらない。日泰寺で行っているような”みたらし・かき氷”などの屋台が出せないものか」との要望が出され、検討。他の町内で子ども会が発足したのを幸いに「それでは」と話が進み、三町内の子ども会を中心に若いお母さんたちの力を借り、屋台を出そうという結論になりました。しかし、残念なことにこの年(59年)は、準備を進めたものの公園の改修工事と重なり、急きょ「西崎広場」(旧城山中学校の第2運動場:現在の千種区在宅サービスセンター)に場所を変更。広場の中央に舞台を設置し、屋台は昭和区福原町のさつきフードさんにお願いをして北側と南側に出しました。こうして何とか開催にこぎつけたわけです。屋台は好評で、「これならいける」と確信。翌年からの準備は子ども会を中心とした自前部隊で行うことができました。
でもと明道町の問屋で購入した「くじ引き」も大好評でした。2日目終了後、スタッフ一同ビールで乾杯。引き続き反省会を行いました。お母さんたちの感想を聞くと「最初はイヤだったが、やってみたら楽しかった」とのこと。来年は別のお母さんが担当するので、「また、手伝ってみたい」と少し寂しそうでした。その後、平成10年まで18年間続いたこの行事も、田代学区主催の盆踊り大会の始まりをもって幕を閉じることとなりました。
私達の町内は、戦後直後から城山八幡宮とは縁が深く、昭和32年頃には、町内のお祭りともなると獅子頭を先頭に参加者全員で参拝したものです。子供たちはお祭りを心待ちにしていました。今思えば、当時の楽しみはお祭りぐらいだったのかもしれません。お祭りの当日は、川崎町、西崎町を練り歩き、夜には提灯に火を灯し、役員の家の前で「万歳」と叫びました。また宿の近くには、直径50pほどの「吹き流し」を付けた竹竿を立てたものですが、昭和60年以降、空き地の減少や電線に吹き流しが絡まるなど危険なこともあり、取り止めてしまいました。
平成16年で記念すべき50回(平成29年度で63回)を迎えた「名古屋まつり」とは、祭礼や子ども会を通じて関連が深く、昭和55年の26回開催では、千種区の各学区がお神輿2基を持ち寄り、千種区役所、今池、覚王山を参加の子供たち全員でパレードいたしました。昭和59年と60年には千種区の選抜として田代学区が、そしてその代表として「名古屋まつり子ども会ミコシパレード」にも参加しました。
「西崎町1・2丁目子ども会」は、昭和53年7月21日の発足以来、6年生のお母さんを中心に色々な行事を行って参りました。また、学区が主催する運動会、ドッチボール大会、綱引き大会などにも毎回参加。6月(現在は10月)に行われる運動会では、過去に優勝した経験もあります。ソフトボール大会も以前は盛んで、多いときには学区内で28チームの参加がありました。しかし今では、西崎町チーム(現在は有りません)が平成16年に復活してもわずかに4チーム。これも時代の流れか!
昭和57年夏のことです。西崎町二丁目4番地、34番地に所在する営林局の官舎8棟(敷地面積1445u[437坪])の処分が名古屋市に要請されたと、当時の市会議員真野清和氏より聞きました。当初名古屋市は、警察職員の独身寮として考えていたそうですが、10mの高さ制限により3階以上の建物を建てることができないとの理由で、一般への売却も視野に入れているとのことでした。そんな折、田代学区の役員会が公職会の決定を踏まえ、真野市会議員を通じて名古屋市に、この土地を城山中学校の第2運動場として使用できないものかと要望いたしました。
名古屋市社会福祉協議会が、社会福祉法人となったのは昭和39年のことです。それから10年が経過した昭和49年、千種区の福祉事務所では3人ほどがその業務に当たっているだけのものでした。その後、社会福祉事業の拡大により事務所は池下のファースト池下ビル2階に移転し、人数も18名ぐらいになりました。現在では、平成11年4月に千種区西崎町二丁目4番、34番(旧城山中学校第2運動場:西崎広場)に建築された「千種区在宅サービスセンター」内で、名古屋市千種区社会福祉協議会として約65名の職員が業務に当たっています。〒464-0827
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ダイアパレス覚王山203号
TEL 052-752-8837
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