かいもん4号のホームページ TRAVEL 宇高連絡船・瀬戸大橋開通前夜 乗船編
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宇高連絡船です。 1988年4月10日、瀬戸大橋が開通しました。 それまで本四連絡の主役だった宇高連絡船は4月9日限りで廃止。 片道わずか1時間。晴天に恵まれた、最後の連絡船の旅を楽しんでみました。

阿波丸。

宇高連絡船の最終日・4月9日は瀬戸内の春らしい穏やかなお天気でした。
連絡船の船上から備讃瀬戸を眺められるのも今日限り。 お昼過ぎの便で宇野から高松まで、1往復することにしました。
乗船したのは宇野発11時22分発の9便、赤い船体の阿波丸です。 この日の阿波丸は早朝高松発の2便としてスタート、休みなしに宇高間を往復して、定期最終便の27便で、0時25分に高松に到着というダイヤでした。



宇野港桟橋。

連絡船が宇野港桟橋を離れます。
宇野港は連絡船同時2隻接岸可能で、一番海側にホーバー乗り場がありました。 折り返し時間はわずか15分。乗客を下ろし、入れ替わりに高松行きの乗客を乗せるための時間はわずかです。 同時に航送デッキでは、貨車の入れ替えも慌しく行われています。
船に乗りこんでデッキに上がったら、すぐに出航でした。


お客さま。

最終日とあって、いろいろな「お客」が見受けられました。
宇野港を出航後、すぐに現れたのは放送局のヘリコプター。 船の周りを旋回しながら、デッキのすぐ近くまで迫ってきます。 随分とにぎやかな、少々うるさいお客ではありますが、まあ、最終日の賑やかしとしては悪くないでしょう。
後ろには練習船日本丸が停泊しています。 こちらは3日間ほど停泊し、船内の公開展示も行われます。
さらに海上には多数の小船やヨット等が取り巻いています。



のどかな航海。

船上の旅には絶好の日よりに、乗客は殆どが入れ替わりデッキにやってきます。
展望デッキには「さようなら連絡船」の文字を囲んで記念撮影をする人の列が出来ていました。
船は白い航跡を残して順調に進んでいますが、このあたりが東西・南北の航路の交差点で、宇高間の上下航路も比較的近いため、多くの船が輻輳し操船には気を使う海域です。 まして今日はいろいろな「お客」が船の近くを取り巻いているため大変です。


僚船「伊予丸」。

宇野港を出て50分程ですが、目の前にはもう高松市街と独特の山容の屋島が迫ってきました。
まもなく高松港に入港です。
中央部ではほんの少し立っていた波も、凪いだ状態の海面に変わってきました。
すぐ東側を、高松港を出航したばかりの僚船「伊予丸」、宇野行き12便がすれ違います。
今日まで1日に何度も繰返し見られた光景ではありました。
伊予丸も早朝の1便でスタートし、終日往復、そして深夜の臨時便、27B続行便として最後までの活躍です。


高松港・讃岐丸。

実に穏やかな瀬戸内の海で、12時25分、1時間の航海を終え高松港に接岸。
何度もやって来た高松港ではありますが、連絡船がなくなった後はまもなく大規模な再開発が計画されており、この風景も見納めでしょう。
岸壁には、僚船「讃岐丸」が休んでいます。
讃岐丸は宇高連絡船の中では船齢が一番新しく、他の3隻より一回り大きな船体をしています。 このため連絡船廃止後もJR四国にとどまり、新しく瀬戸大橋等を巡る観光船として再出発することになっています。
すでに船は観光船用の改造が終わっており、船体の色もJR四国のコーポレートカラーのやや薄い水色になっています。 3隻ローテーションのため最終日の今日は出番がなく、1日高松の岸壁で休憩、のはずでしたが最後の最後に出番が待っていました。


乗車券(往復券)。

船便ですが、鉄道連絡船のため、切符は「乗船券」ではなく「乗車券」です。
宇野〜高松間は片道18キロ。通常の鉄道では300円(当時)でしたから、やや高めの設定となっていました。 ところで有効期間2日、これは規定通りですが、連絡船は本日限りのため明日は使いようがありません。 もっとも急行券を買えば、高速艇という手もありますか。
しかし高速艇では1100円の連絡船急行券が必要となります。 宇野〜高松間のみの利用客にとっては実質かなりの値上げとなり、フェリーに流れてしまうのではないでしょうか。


記念スタンプ・阿波丸。

船内の記念スタンプは2種類。 通常のもののほかに、「さようなら宇高連絡船」というものもありました。
スタンプは船ごとに異なるデザインのものですが、記憶では以前は阿波丸のものは、阿波踊りの踊り手をモチーフにしたものだったと思うのですが?
2つの灯台マークは足摺・室戸の両岬の灯台の場所で、土佐丸にした方が適当なのではと言う感じです。


瀬戸大橋。

高松での折り返し便を見送り、帰りは14時07分発の16便で宇野へ向かうことにします。
やや春霞のかかった瀬戸内の風景。島影の間にうっすらと瀬戸大橋の影か見えます。 明日からは本州四国を直結する太い動脈となるはずです。
大小たくさんのフェリーや貨物船が行き交う中、西方から大きな客船がやってきました。 姿形からフェリーではないようです。どなたかご存知でしょうか。


記念スタンプ・土佐丸。

帰りの宇野行き16便は土佐丸でした。
記念スタンプ、とタイトルに書きましたが、こちらは通常設置のものだけで、「さようなら」はありませんでした。
こちらのデザインは土佐の尾長鳥のものですね。 スタンプのカラーも阿波丸の赤に対して青色と、それらしく使い分けています。 ところで「伊予丸」には乗っていませんが、スタンプのカラーはオレンジのものがあったのでしょうか。


宇野港岸壁風景。 

夕刻迫る宇野港岸壁の賑わいです。
紅白の横断幕で飾られた「土佐丸」が、デッキに満員の乗客をのせて出航して行きます。 見送る岸壁の方でも、今日は一日中こんな感じの賑わいでした。
地元の人、家族連れが多かったのが印象に残っています。 長く四国接続の連絡口であり、造船の町としても賑わった玉野市の人の思い入れが感じられる風景です。
対して高松のほうでは連絡線を送る様子に少し温度差が見受けられました。 当然ながら、高松では明日の瀬戸大橋開通の方が一大イベントなのです。



宇野駅発車時刻表(列車)

宇野線の列車発車時刻表です。
宇野線は幹線扱いでパターンダイヤになっていたため列車本数が多いイメージでしたが、こうしてみると以外に少ない本数です。
連絡快速がなくなる明日からは、末端のローカル駅に落ちぶれる様子が見て取れます。


最終便・讃岐丸。

今日1日ローテーションから外れ、高松で休んでいた讃岐丸ですが、最後の最後に出番がやってきました。
宇高連絡船の最終定期便は宇野発高松行き23時25分の27便「阿波丸」。 その直前には、臨時便高松行き9025便が「土佐丸」で運行されています。 ここまでは月刊の時刻表に掲載された予定通りの便でした。
しかし最終日人気のため、夜になっても乗船待ちの乗客の数が減りません。 こうした事態を予想して、時刻表には掲載されていない臨時便が設定されていました。
定期の最終27便のあとに、臨時B27便「伊予丸」が運行されるとの駅構内の表示を確認、本当の最終便はこちら、ということで「伊予丸」の列に並びました。
ところがいつ着いたのか、隣の岸壁に高松で寝ていたはずの「讃岐丸」がいます。 駅の案内にもありませんでしたが、おそらくこちらが隠し球の本当の臨時最終便、ということで改めて「伊予丸」への乗船列の後ろへ回っていると、予想通り列の途中から「讃岐丸」への誘導が始まりました。
というわけで、今日最終日の最後の最後に出番が回ってきた「讃岐丸」、宇高連絡船最終便、臨時C27便です。


一夜明けて・・・瀬戸大橋快速マリンライナー。

一夜明けた高松駅は、昨日の連絡船最終日以上の賑わいを見せていました。 今日からは岡山へ向けて列車の出発駅となります。 昨日まで「備讃ライナー」として走っていた車両は今日からは高松〜岡山間の快速「マリンライナー」に変身です。 編成の高松側先頭車にはパノラマタイプのグリーン車も新造され連結されました。 開業人気のため、列車によっては、岡山側2両もグリーン車となる列車もあります。
とはいえさすがにとんでもない人気で、記念乗車にはリーズナブルなグリーン車指定席は発売即売り切れ、残念ながら、どの列車のものも入手することは出来ませんでした。
連絡船最終便に乗船の翌日、マリンライナー自由席で開業初日に瀬戸大橋初乗りとなりました。



宇野港・祭のあと。

一夜明けた宇野港には、静けさが戻っていました。というよりこれまでにない静けさが訪れていました。 昨夜深夜に4隻の連絡船が続行で高松に向けて出発した宇野港ですが、高松港に4隻分の桟橋がないため、2隻は乗客を下ろすとすぐに、再び宇野港に一時回送されました。
宇野港桟橋に接岸している「伊予丸」ですが、もう乗客をのせることはありません。



乗船記念証。

連絡船の船内で人気だったのが、この乗船記念証。
先ほどの船内の記念スタンプの台紙として、引っぱりだこでした。 全船共通のようですが、良く見ると文字の部分に「土佐丸」とあり、これだけで4種類作り分けていたようです。 「とびうお」号をいれて5種類あったのでしょうか?


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