かいもん4号のホームページ TRAVEL 可部線 非電化区間
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可部線です。11月末限りで非電化区間が廃止の中国地方のローカル線です。
三段峡観光を兼ねて、広島からの日帰り小旅行には手頃な路線だったのですが。
廃止直前でもあり、秋の臨時列車・快速三段峡観光号をはじめ、最後の賑わいを見せています。

単行気動車。

2003年2月15日です。 昼下がりのJR可部駅です。 十数年振りに、可部線の列車に乗ってみました。
この日の可部13時05分発三段峡行き、普通237Dは単行の気動車でした。 12時31分に242Dとして三段峡から到着した列車がそのまま237Dとなります。 乗客は20人少々でしょうか。 土曜日で学校などが休みのため少ない乗客ですが、すでに少し前に、地元自治体の合意を受けて正式に11月末の非電化区間の廃止が決定したため、早くも乗り納めか記念乗車といった客が殆どです。


終点三段峡駅。

年々量が少なくなるこの地方の雪ですが、この日は数日前に降った雪の解け残りがあちこちに見られました。 これが最後の雪景色です。
終点三段峡駅は、4両の列車がすっぽりと収まる長さがあり、1両だけの気動車ではホームの長さを持て余しています。 以前は側線もありましたが、すでにずっと前に取り払われてしまっています。
観光シーズンなら、ここから川沿いにハイキングコースの散策もいいのでしょうが、さすがに2月ではそんなお客はいないようです。 駅前の商店も店を閉めたままでした。


246D発車待ち。

折り返しは約30分後。246Dとして、隣町の加計まで向かいます。
今日の殆どの乗客は、このまま再び可部・広島方面へ引き返すようですが、ローカル線の終端駅での折り返し列車としては比較的長い折り返し時間のため、到着後しばらくすると、山間にエンジンのアイドリング音が低く響くだけの静かな空間となりました。
ワンマン化改造された広島色のキハ40、貫通幌が付いた側の正面は、なかなか締まったスタイル(顔付き)で好きです。 JR各社、あるいは支社毎に新しく塗り替えた塗装は、意図はともかくデザインの「原則」を踏み外した色使いと塗り分けが多く思えて仕方ありませんが、この広島色の気動車は写真栄えがして好ましい感じがします。


「存続を願う」。

三段峡駅前に鎮座した保存機、C11型蒸機C11189号。 以前訪れたときも、同じようにこの駅前にいました。
今回は写真のように、地元商工会による「JR可部線の存続を願う」という大きな横断幕が掲げられていました。 可部線は広島市内まで直通し、密度の高い電化区間もあるため、旧国鉄時代には地方交通線の廃止候補には挙げられていませんでした。 しかしJR化後、特に収益の悪い地方交通線を抱えるJR西日本では過疎区間の列車削減が活発になり、この可部線も早くから廃止の話が持ち上がっていました。 むしろ今まで存続したのは意外で、当初の計画よりはかなり廃止時期がずれ込んだようです。 「存続を願う」横断幕も空しく、この時はすでに地元自治体も合意して、廃止が正式に決定したあとでした。


???。

三段峡まで同行した面々です。 どちらかと言うと一人で行動する機会が多いのですが、今回は学生時代の地元・広島の可部線ということで、当時の同好の仲間と一緒です。
一人だとあまりこの手の記念写真は撮らないのですが。
列車の写真を撮るためにクルマで出動する、というファンにあるまじき最近の行為の数々を反省し、久しぶりに真面目に「列車に乗る」基本に戻った今回の旅でした。が・・・3人とも昼間から少々顔色が赤いようです。 確かに今日は運転する必要はないんですが。


?。

自画像です。 顔色は、それほど赤くない・・・と思います。


加計駅。

246Dが加計駅に到着。ここから先、可部までは、1239Dの折り返し、248Dに乗り換えです。 こちらは2両編成の列車でした。
現在は加計から奥、三段峡までは1閉塞で複数列車が入れないため、2本の列車がそろって眺められるのは、この加計駅が一番奥となります。

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