かいもん4号のホームページ TRIAL20000 富内線
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太平洋沿岸の路線、日高本線鵡川から分岐し、日高山脈のふところ日高町までを結んでいた、富内線です。 当初は鉱物輸送の役割もあったようですが、乗車訪問時は、貨物の殆どが木材輸送の役割のようでした。
尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2019年12月29日
<鵡川 〜 日高町>
<INDEX>
振内駅ほか訪問    2016年10月訪問  2019年12月29日一部追加
振内駅訪問 2009年8月訪問

2016年10月訪問

振内駅風景。

 7年振りにやって来た、富内線振内駅跡です。
 ここには振内鉄道記念館が設置されており、駅舎はありませんがホームや線路は比較的残った形となっており、車両も展示されています。
 7年前と比べると、やや色あせた感じではありました。

ホーム。

 7年前の写真とダブってしまいますが、2016年の振内の姿ということで。
 各駅の駅名標がこのホームに集められていますが、ご覧の通りかなり色あせています。

駅名標と客車。

 駅名標もそうですが、後ろの客車もかなりくたびれています。
 しかし全く手が入っていないかとそうでもなく、ホームの花壇はちゃんと手入れされており、ただ放置されたままではなさそうです。

振内駅。

 元々このホームこの場所にあった、かどうかはわかりませんが、本来のこの駅の駅名標です。
 それにしても読みにくい、というか変わった名前が多い富内線の駅名です。

駅名標。

 一度乗車しているはずなのですが、実は富内と振内の間に駅があった記憶が全くありません。
 富内からすぐに山越えにかかり、鵡川水系から沙流川水系に出ると、すぐに振内だったような印象があります。
 もっとも、今から37年前の記憶ですから、怪しいと言うよりは、それだけでも残っていればマシな方ではあります。

機関車。

 客車から離れた位置に、D51が一両鎮座しています。
 これだけはきちんと手入れがされているようで、錆も見られず黒光りしています。
 それはいいのですが、前回訪れた時はヘッドライトのレンズが(やや不自然な色彩形状ながら)あったように記憶していますが、今回は脱落していました。

鵡川方面。

 振内駅構内の外れ、鵡川側の端の方です。
 前回は気が付きませんでしたが(もしかすると写真には納めているかもしれないが、全く記憶に残っていなかった)信号機の跡が立っていました。

振内駅構内。

 構内全景、といった感じです。
 実際にはもう少し後ろ側にも構内は広がっていた(上の写真)のですが、現在整備されているのはこの部分、ということです。

?ナンバープレート?

 蒸気機関車のアップ。
 前回も気になりましたが、「D51」と「23」の間にハイフンが入っています。
 蒸機のナンバーだったらハイフンはないよな〜、と思うのですが、これが子供だましの印刷などではなく、ちゃんと凹凸のある鋳造風なのです。
 変です。

機関車側面。

 機関車の側面。
 いい感じです。
 が、やはりこちらのナンバープレートも間にハイフン入りです。
 どんなもんでしょう。

営業休止中。

 さて、客車はバイクのツーリング客向けに「ライダーハウス」として開放(有料)されているのですが。
 今回は10月ということもあり、すでに「休止期間」に入っていました。
 「来年は5月1日から営業」とのことですので、まだまだ朽ち果てることなく使われるようです。
 しかし、5月初めの北海道の山の中。 「暖房なし」じゃ、寒いでしょうね。  尚、振内鉄道記念館(館内の様子)については、こちらの 「GALLERY DOMESTIC」の 「振内鉄道記念館」 に数枚アップしています。
 合わせてご覧ください。
2019年12月29日追加

日高町駅跡。

 日高町です。
 2年前、2015年の夏にここを通った時は、認識不足で日高町駅跡や富内線を全く意識しておらず、道の駅で休憩しながらも素通りしてしまいまいた。
 今回はリベンジです。
 国道274号線と273号線の交差点付近、少し奥まったところに、石碑がありました。
 今度は間違いなく、富内線跡です。

石碑。

 駅前広場だったあたりに置かれている、「国鉄富内線の跡」の文字が刻まれた石碑。
 しかし何となく草に埋もれかけたような感じではあります。
 「日高町駅跡」と言うよりは、「駅前跡」といった感じのロケーションです。

駅前あたり。

 旧日高町駅前。
 駅前広場と倉庫があって、それに並行して道路があった、と言う感じの風景です。
 駅舎やホームの遺構がほぼ残っていないため、辿りにくいですが。

駅前通り。

 日高国道から入ってくる駅前通り跡です。
 上の写真の石碑の位置ですが、駅舎はこの写真後方にあったはずですから、駅前広場の先の方に設置されているということのようです。

駅跡。

 駅の設備があった跡は、大きなJAの設備に転用されていました。
 本日(2016年10月)朝訪れた旧胆振線跡の京極駅も同様でしたが、これではホーム跡は辿ることができません。

構内跡。

 駅設備の終端側です。
 (確か)37年前に訪れた時は、材木貨物がたくさん置かれていて、もっともっと山が近い行き止まり感があったと思っていたのですが。  相当あやふやな当時の記憶です。

駅前通り。

 日高国道を背に、駅前通りから駅跡方面を眺めた図です。
 そういう見方をすればそんな気がしないでもないですが、やはり遺構はわかりにくい日高町駅跡でした。

2009年8月訪問

振内鉄道記念館。

 旧富内線振内駅にある、振内鉄道記念館です。
 ここはちょいと予定外の訪問でした。
 本日は朝、帯広近くの十勝川温泉を出発し、旧広尾線沿いに広尾経由で襟裳岬へ。 その後は様似から苫小牧へ海岸沿いに走り、登別近くの宿へ向かう、というスケジュールです。
 まあ、広尾線沿いに走るのだから多少は廃線跡を眺めることもあるだろう。 さらに愛国駅と幸福駅は観光地化しているはずだから、これらは堂々と観光旅行の一環として訪問を。 という順序で大体イメージ通りの旅程で進行し、時間に多少余裕ができたのも予定通りでした。
 となると、余った時間を消費するには場所的にも旧富内線あたりが適当、と相成った次第です。

振内駅日高町方面。

 振内駅構内から、終点の日高町方面を眺めたところです。
 本日の観光ルート、本来は様似から苫小牧まで太平洋沿いに日高本線と並んで走るはずなのですが、かような事情で、少しだけ山間に分け入ることになりました。
 旧富内駅は多少跡が残っているはず、そこへ行くかなと思っていたのですが、レンタカーの営業所でもらった地図を追ってゆくと、「振内鉄道記念館」なる記載があります。
 ということで、鵡川沿いに遡る予定を富川から沙流川沿いルートに変更です。
 本当はどうせなら終点の日高町まで行ってみたかったのですが、ここかまだ30キロ近くあるため、さすがに時間が足りそうにありません。

振内駅構内。

 日高町側から振内駅方面を眺めたところです。
 駅舎はありませんが、ホームと線路は一部が残っており、構内は昔の線路配置が偲ばれる状態です。
 左の鉄道記念館は施錠されており、見学希望者は役場まで連絡云々と書かれています。 しかしそれほどこだわっているわけでなく、この手の旅も(観光旅行ですが)すでに5日目終わりともなると、結構お腹一杯気味です。
 残り時間の関係もあり、跡地の見学にとどめることにします。

振内駅構内。

 改札を抜けてホームに出るのはこんな雰囲気だったかという感じの場所です。
 島式のホームへ渡る通路は、ローカル線としてはごくオーソドックスだった造りです。
 富内線訪問は気動車で日高町まで往復しただけですので、振内駅の構内はほとんど記憶にありませんが。

振内駅鵡川方面。

 ホームの裏手から富内方面を眺めたところです。
 富内線は全体が山あいを川沿いに遡る路線。 よくある風景ですが、特徴はちょうど真ん中で峠越えがあり、それまでの鵡川流域から並行して流れる沙流川流域へと変える点です。
 起点が沙流川沿いの富川とならなかったのは、線名でもある途中の富内が結構大きい街だったからでしょうか。 もともと日高本線とは独立した路線だったため、それ以上の理由もあるようですが。
 今となっては、なんとなく覚えているのは、富内から一気に峠を越えて、沙流川沿いに出た町が振内だったことと、終点日高町の駅構内が意外と平地?で、突き当りが材木置場だった点くらいです。

留置客車。

 振内駅のホームには、2両の客車が停められていました。
 本来の色はなく薄めの空色に塗られているようですが、それさえかなり色あせています。 少なくとも外部は、かなり長い間手を入れられていないようです。
 それ以前に、富内線に客車列車というのも何か違和感があります。 昔は走っていた?

機関車。

 客車とともに、大型の機関車も1両展示されていました。
 北海道の大型機と言えば9600型かC62型のイメージが強いのですが、ここのものはD51です。
 それにしても、眺める程に違和感を感じずにはいられません。 よくよく眺めるとヘッドライトの形状が異なり、ナンバープレートも別に造られたと見え、形式と番号の間にハイフンが入ってしまっています。

留置車両。

 3両の保存(?)車両は、こんな感じで構内に並べられています。
 これだけを見ると、昔は大型蒸気に牽引された長い客車列車が走っていた路線のように見えます。

すずらん号。

 2両ある客車列車のうち、富内側の車両には「すずらん号」なるサボが入っています。
 車体外部はご覧のとおりで、塗装が退色しているだけでなく、幕板などあちこちが相当ひどく錆びていました。

ほろしり号。

 もう一両のサボは「ほろしり号」です。
 別にこんな名前の列車が走っていたわけではないのですが、まあペットネームみたいなものでしょう。
 2両ともホームに横付けされており、車内が窓越しに見えるだけでなく、ちゃんとドアから入ることができます。 折角ですから覗いてみることにします。

客車内部。

 内部はご覧のように、カーペット車に改造されています。
 通路はありませんから、もちろん実際にカーペット車として走っていたわけではありません。
 よくよく見ると、奥の方の一部だけにクロスシートが残されていました。

ライダーハウス。

 カーペット車の正体はと言えば、この掲示のとおりです。 要するに、主にバイクでのツーリング客のための簡易宿泊所です。
 そういえば先日興部の駅にも同じようなやつがありましたし、鉄道跡地以外の場所でも見かけました。 もしかして、美幸線仁宇布駅跡に場違いに鎮座していたサハネ583も、こんな用途を狙っていたのでしょうか。
 それにしても、ライダーハウスってネーミング。確かにそうなのでしょうが・・・。 オジサンには、言葉の響きから「仮面ライダー」と「リカちゃんハウス」のコラボレーションに思えて仕方ありません。 想像するとシュールです。

客車乗車口。

 2両の客車はこんな風にホームに停めれています。
 それはいいのですが、ホームにはこんな感じで周辺の駅の駅名表がいくつも並べられていました。
 ここにまとめて持ってきている、ということは、それぞれの駅のホームは廃止後すぐに姿が失われたということでしょうか。

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