かいもん4号のホームページ TRIAL20000 天北線・興浜北線
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北海道のローカル線、1989年に廃止された天北線と、一足早く1985年に廃止の興浜北線です。 ローカル線とはいっても、天北線は100キロを越える長大路線で最後まで札幌からの直通急行も運転。 一方の興浜北線は、南側の興浜南線と繋がってオホーツク沿岸縦貫線の構想はあったものの実現せず、最後まで天北線の途中駅・浜頓別から伸びるローカル枝線のままでした。
尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2015年11月15日
<天北線 音威子府〜南稚内>
<興浜北線 浜頓別〜北見枝幸>
<INDEX>
1979年3月訪問  
1989年4月訪問  
2007年8月再訪
2014年8月再訪  2015年11月15日一部日追加

1979年3月訪問

天北線・1979年3月。

 1979年3月は11日の天北線列車です。  前日の午後に羽田より札幌入り。 同夜の急行「利尻」で北へ向かい、最果ての駅・稚内より天北線の列車に乗車です。
初めての北海道(函館だけは、前年3月に訪れていましたが)。 車窓の見える旅は、いきなり北の果ての駅からのスタートです。
 列車はキハ22の2両編成。 北国独特の2重窓の車両で、車内の暖房は十分に効いているのですが、何しろ外は写真のような吹雪状態です。 外ガラスの内面がすぐに曇って、いくら拭いてもすぐに十分に車窓を楽しめなくなる天北線でした。

興浜北線列車。

 浜頓別からは、興浜北線の列車に乗換えです。
 ここから先のルートとして、興浜北線終点の北見枝幸からそのまま、オホーツク沿いに興浜南線の終点・興部までバスで乗り継ぎ、さらに南下するルートと、北見枝幸で折り返して、浜頓別から音威子府までの、天北線残りを乗破する両ルートを考えていました。 しかし、オホーツク沿岸の眺めがあまりよさそうにないので、後者を選択。 この列車で北見枝幸まで往復することにします。

オホーツク。

 興浜北線の車窓・オホーツクです。
 3月とは言え、雪解けにはまだまだ早く、岡山生まれ・広島在住の人間にとっては厳冬の中です。 雪は小康状態になりましたが、窓から見えるオホーツクは海岸まで流氷が押し寄せています。
 オホーツク沿いの鉄路が釧網線を残してすべて廃止され、車窓から流氷が眺められる区間が少なくなったのは残念です。

急告!

 さて、浜頓別まで戻って見ると、何やら駅構内に人だかり。 覗いてみると、写真の「急告」です。 どうやら朝の吹雪は天北線沿線ではおさまったふうもなく、浜頓別〜南稚内は運休のようです。
 幸い、これから乗ろうとしているのは、15時19分発の音威子府行き。 この列車は「正常通り運転いたします」とのこと。 本来この列車は、稚内からやって来て浜頓別に15時07分に到着、12分後に発車予定。 しかし掲示のように、「稚内〜浜頓別は運休」。 どういう車両運用の変更かは判りませんが、幸いなことにやって来れないはずの「音威子府行き」は、2両編成の気動車がすでにホームに入線しています。
 乗り込むこと10分・・・・20分。 数人の乗客はあるのですが、発車する様子も車内放送もありません。 そうするうちに、車掌(駅員?)がやって来て「一旦駅待合室にお入りください。」・・・・・?
 アナウンスによると、「本日の天北線・興浜北線の列車はすべて運休となります。」!
 要するに雪の中、どこへも行けなくなったわけです。 当時の学生の貧乏旅行ですから、ホテルに泊まるなんてことは想定外。 余裕がないことはありませんが、趣味で個室寝台やグリーン車には乗っても、ホテルには泊まらないというのが当時の基本ポリシーです。 今回の2週間の旅行も、札幌1泊以外は、すべて夜行客車の自由席で計画しています。 第一、この季節の浜頓別に、飛び込みで何人も泊まれるような旅館があるの?と言う方が不安は大きかったかも。
 20人以上いた乗客ですが、地元の人は本日の移動を断念したのか段々減ってゆき、残ったのは私のような、いかにも大学生の貧乏旅行風(しかも列車に乗るのが目的風)が10人ほど。
駅員「この列車でどちらまで?」、私「音威子府へ」。 駅員「今夜のご予定は?」、私「札幌から夜行列車で網走へ」・・・・・。 なんていうやり取りが一人一人繰り返され、結局残っていた全員はとりあえず音威子府行きを希望。 その後は滞りなく事務的に?手配が進められ、3台の小型タクシー(列車代行)に分乗し、音威子府まで送って頂けました。
 さて、車も吹雪で進めないのではないか?と心配だった浜頓別〜音威子府間。 天北線と並行する国道はきちんと除雪され、さしたる吹雪もなく、60キロ余りの長距離を1時間半足らずで走破する快適なドライブでした。
 タクシーの運転手さん曰く、「天北線は、ちょっと雪が降るとすぐ止めてしまう。おかげで冬はタクシーが予想外に儲かるけれど。」
 これが実態のようでした。
 ちなみに音威子府は予定より20数分遅れで到着。 さすが「代行タクシー」だけあって、本来接続するはずの、宗谷本線上り普通列車は、ちゃんと到着を待っていてくれました。
 ワイド周遊券ばかりの不良乗客10名のために、何から何までスミマセンでした。
 もちろんこの区間、後日改めて乗車したのは言うまでもありません。

1989年4月訪問

音威子府駅時刻表。

 初乗車から時は10年ちょっと後のこと。 本日は、天北線営業最終日です。
 1989年4月30日。 国鉄地方交通線の廃止も順調に(?)進み、この日限りで北海道内の長距離路線、天北線・名寄本線・池北線・標津線が一気に廃止されます。 (池北線だけは第3セクターに転換で鉄道存続。これもその後10年を待たず、今年2007年に廃止されてしまいましたが。)
 札幌からの夜行急行「利尻」で早朝(未明)の音威子府駅で下車。  さすがに最終日だけあって、札幌発車から結構な混雑、そしてそのうちの相当数が、この音威子府駅で下車しました。
 列車は満員でしたが、ゴールデンウィークのこと。増結の自由席に寝台車オハネが座席車代用で組み込まれており、勝手にもぐり込んだ上段寝台の仮眠は快適でした。 (上段寝台は利用できません、という車内アナウンスはあったのですが、これだけ込んでいると無駄ですね。)
 延長150キロ近くもある天北線。 音威子府発の列車は、殆どが全線走破し、稚内行きです。
 気にとめていませんでしたがよく見ると、宗谷本線の列車、やたらこの駅で長時間停車となっています。 中には1時間を越えるものも。 これって「停車」?

以下 9月16日追加

天北線始発列車。

 1989年4月30日。 音威子府発稚内行き浜頓別経由。 最終日の天北線下り始発列車です。
 最終日とあって、また夜行急行「利尻」から接続しているため、早朝4時台の列車ながら満員の盛況でした。
 ただし単行のキハ40に何とか収まる程度の乗客だったのは、本日限りの廃止が道東道北4線同時のため、分散していたせいでしょう。

猿払。

 天北線猿払駅付近です。
 本日はこの後名寄本線を訪れる予定のため、天北線は全線乗車でなく、ここで折り返して雰囲気だけ楽しみます。
 いかにも北海道らしい、真っ直ぐ伸びた線路です。 猿払駅はポイントの梃も残っており、交換駅の様子を呈しているのですが、すでに信号機は取り払われていました。

浜頓別駅。

 猿払駅で折り返して、程よい時刻の浜頓別駅に戻ってきました。 駅構内は地元の人が多く混雑しています。
 あちこちでこんな風景も。

浜頓別駅。

 音威子府側から進入してくる、天北線の列車です。
 ゴールデンウィークの北海道、ということで山はまだ雪に覆われています。
この年は少し雪が多かったのか、この2日後、道東網走では5月というのに市内は早朝雪景色でした。

浜頓別駅。

 先ほどの列車が、稚内に向けて発車してゆきます。
 良い時間帯のため、満員の乗客をのせて出発してゆきました。
 ローカル線とは言え、殆どの列車が全線150キロ近くを直通していた天北線でした。

浜頓別駅構内。

 浜頓別駅です。
 発車時刻表には「89年3月11日改正」の文字が。 廃止まで2ヶ月足らずですが、どこか変更されたのでしょうか。
 気動車の特性を生かして、かつては札幌直通の急行列車が乗り入れていた北海道のローカル線。 徐々に乗り入れ廃止されてゆきましたが、天北線では最後まで急行「天北」が運転されていました。 それも併結列車でなく単独の急行です。
 隣には「1989春終着駅へ。ありがとう・・・・・」のポスターが。

浜頓別駅舎。

 浜頓別の駅本屋です。
 こうして見るとだれもいないように見える駅前広場ですが、今カメラを構えている左右には、同じような写真を撮る人が結構並んでいます。
 もっとも駅構内が広いためか、改札外よりはホームのほうがずっと賑やかでした。
 最終日はご覧のような晴天。 この10年前に訪れたときの吹雪が嘘のようです。 もちろん季節は違いますが。

浜頓別駅。

 浜頓別駅構内です。
 ローカル線ながら、急行「天北」も入ってくるため、長い天北線のホームです。
 4年前に廃止された興浜北線の施設はすでに撤去されていました。
 この列車で天北線に乗りおさめ。 これから音威子府へ戻り、午後は名寄本線に向かうことにします。

2007年8月再訪

2007年、浜頓別駅跡。

 天北線廃止から更に18年少々。 旅行のついでに、天北線浜頓別駅跡を訪ねてみました。
 広かった駅構内の跡地は、ご覧のように大半が公園になっており、周囲の道路も整備されています。

浜頓別駅跡。

 浜頓別駅跡・南端から音威子府方を眺めたところです。
 右手奥が、真っ直ぐ向こう側に天北線跡。そして左手にカーブして興浜北線が分かれてゆきます。
 上の方の、天北線最終日の写真によると、浜頓別駅南方には立派な道路の跨線橋があったのですが、廃止になった以上は無用の長物。ということで撤去されています。 これだけでも結構な大工事です。

浜頓別駅跡。

 上の写真の反対側。 つまり、南側から浜頓別駅ホーム・駅舎に向かったあたりです。
 左手に作られた公園の「山」は別にして、跡地の公園は完全に平らな地形ではなく、微妙に勾配がついています。
当時の写真では全くわかりませんでしたが。

興浜北線跡。

 2枚上の写真位置から水路に沿って左手に少し歩き、道路を渡ったあたりです。
 現地の案内によると、左側水路が「興浜北線」の線路跡ということです。  駅を出発すると、やや下り勾配だったかなという感じですが、こんなに切りとおしの感じだったかな?と、相当に怪しい記憶です。
 もっとも、いかにもといった感じのカーブではあります。

興浜北線跡。

 上の写真の反対側です。
 ゆっくりカーブして中央奥からやや右手の浜頓別駅に進入、といったところです。


興浜北線跡。

 ちょうど上の写真の位置に、ご覧のような案内があり、昔の様子がよくわかりました。  掲載の写真では文字が小さいため判りにくいですが、「現在の水路は旧国鉄興浜北線跡」という記載があります。
 この看板や、公園の芝の様子から見ると、まだ整備されてそれほど長い時間は経っていないように思えます。
 出来たらもう一度、今度は沿線跡をじっくり辿ってみたいと思う道北の鉄路跡でした。


2015年7月26日追加
2014年8月再訪

鬼志別町内。

 2014年8月、レンタカー旅行で道北、日本海側から東のオホーツク側へ向かう途中、鬼志別の町(村)でこんな道路標識が目に入りました。
 この日はこの道道を一直線にオホーツクに抜けるつもりでしたが、運良く(運悪く?)見つけてしまったものは仕方ありません。

道路標識。

 現在進んでいる道道138号。
あとほんの4キロ程で浜鬼志別の海岸に出る、といった場所です。
 本来は標識通りに直進、なのですが、右に曲がってたった0.3km。 表示は「駅跡」でも「公園」でもなく、はっきり「鬼志別駅」と書かれています。
 といういことであれば、観光旅行の最中とは言えハンドルを切らない訳にはゆきません。

旧鬼志別駅。

  道北を日本海側からオホーツク側に抜ける途中、鬼志別駅です。
 駅前通りを旧駅に向かって入ってゆくと、駅舎があったのとあまり違わない場所に、立派なバスセンターが建てられていました。

鬼志別バスターミナル。

 ターミナルの建物前では、浜頓別高校行きのバスが、発車時刻を待っていました。 旧天北線の路線の一部を補完するバスです。
 しかしながらこの構内で見かけたバスは、この一台ともう一台だけでした。
 立派なターミナルではありますが、それに見合った便数とは言えません。
 いずれにしても鉄道が廃止になっても仕方ない程度の利用者数ではあったわけです。

路線バス。

 ターミナル前に停車した2台のバス。
 後ろの車は回送なのか行き先が表示されないまま、先に発車してしまいました。
 バスターミナルは非常に立派ですが、それに見合う本数はなさそうです。

浜頓別方面跡地。

 ターミナル建物の横、浜頓別方面へは、利用されていない広い土地に草が生い茂っています。
 ここ鬼志別駅跡では、バスターミナル以外に有効な利用方法がなかったようです。

発車。

 補助金の関係か、地元自治体のテコ入れか、道内の国鉄廃線跡の主な駅跡にあるバスターミナル。 新しい建物が建てられ、いずれも発着本数に比較すると余りに立派すぎる設備です。
 もちろん全てがバスターミナルではなく、観光センターや案内所になっており、むしろこちらの方が面積が広い、というのも共通項目です。

発車。

 10時15分発の浜頓別高校行きの便が、鬼志別バスターミナルを発車して行きました。
 ここから見ていると、普通に駅前を接続のバスが発車して行くような感じに思えます。
 残念ながら乗客はほんの数名でした。

時刻表。

 宗谷バスの時刻表です。
 旧天北線の時代と極端には変わらず、稚内と音威子府までそれぞれ直通便。 ということは結構な長距離路線ではあります。
 音威子府からのJR接続列車が載っているのも、天北線代替の名残でしょうか。
 模造紙にマジックで手書き的時刻表でした。

稚内方面跡地。

 鬼志別駅、元駅正面あたりから稚内側の眺めです。
 こちらも浜頓別側と同様、草ボウボウの空き地状態で、有意義な活用はされていません。
 かなり幅もあり、使い道はあるのでしょうが。

駅前広場。

 駅中心、やや稚内寄りから、元駅前広場辺りを眺めたところです。
 右端にちらりと見える建物が、バスターミナルです。
 駅前ロータリー(駐車場)のスペースは殆ど変わっておらず、その向こう側の民家だけが新しくなった感じです。

村営バス。

 こちらは、同じく「バスターミナル」との表示はありますが、宗谷バスではありません。
 猿払村営バスのターミナル、というよりはどう見ても「車庫」です。 しかも大型バスはおろか中型バスも入りそうにありません。
 (もしかしたら一番向こう側だけ1台入るのでしょうか。)
 バス、というよりは駅前タクシーといった感じです。

駅前通り。

 バスターミナルを背に、駅前通りを眺めたところです。
 昔であれば、駅改札を抜けて駅舎を外に出たところで、この風景が見られたはず。
 という位置からの眺めでした。

踏切跡。

 さて、浜鬼志別を過ぎて少し先です。  オホーツク沿いの国道238号線からそれて、クッチャロ湖の北西を回る道道へ。
 クッチャロ湖を見下ろす「クローバーの丘」に向かう途中なのですが、途中「自転車道」と交差します。
 旧天北線の敷地が、鬼志別と浜頓別の間では自転車道に転用されていました。
 こうして道道側から見ると、いかにも「踏切を渡る」イメージです。

自転車道。

 自転車道の元踏切部分南側、つまり浜頓別側です。
 程良い幅の路幅と整備されたアスファルトの路面。
 ですが両側は木に覆われて、あまり景色を楽しめそうな感じではありません。

自転車道。

 自転車道の「踏切部分」手前から北側、鬼志別〜稚内方面を眺めた風景です。
 こちら側もやはり両側木に覆われていました。
 念のため。 鬼志別〜浜頓別間の自転車道全線がこんな両側木々の中、というわけではありません。
 かつては自動車が一旦停止の踏切でしたが、今では自転車側に「飛び出し防止」の柵がありました。

交差点。

 この先道道の交差点ですから、「徐行」の交通標識。
 しかし中央のスペースの「徐行」の文字があまりに小さくかわいらしく、何か変な感じがします。
 どうせなら標識のスペース一杯に書けばいいのに。
 それにしても、写真を取るために歩き回っているのですが、自転車なんて全く通る気配がありません。

注意!

 自転車道として整備された時は、色々設備も整えられていたようです。
 「北オホーツクサイクリングロード」という文字に両側の行き先の案内板。 「車に注意」のプレートと鉄柵。
 しかし一番目に止まったのは、その向こう側にある「熊出没注意」の看板。
 両側木が茂った人気のないサイクリングロードで熊に出会ったら・・・。
 あまり考えたくありません。

現在地。

 更に少し移動しました。
 浜頓別町内の現在位置。 旧天北線浜頓別駅の一番南端あたりの場所にある道路標識です。
 現在は主要な道路が交錯する場所になっています。
 地名と現在の地図から、場所はご推測ください。

浜頓別駅・興浜南線跡。

 旧国鉄浜頓別駅の敷地の一番南側付近。
 道路を渡り向こう側に続く、ゆるやかに左にカーブしたラインは、国鉄興浜北線の廃線跡です。
 ちょうど駅構内を出て音威子府へ向かう天北線と別れる付近の眺めです。

廃線跡活用。

 さて、興浜北線の廃線跡なのですが。
 このように現在では水系設備の「水路」となっています。 鉄道の廃線跡が「川」になった例というのはあまり聞いたことがありません。
 通常の線路は平らな地面の上に更に「盛り土」されていますから、自転車道のように「高いまま」で転用されることが多いのですが。
 尚、水路の説明については、以前訪問した時の写真がこのコーナー内にありますので、そちらをご覧ください。

水路。

 水路の高さはこんな感じで開削されています。
 これはこれで整備されていれば、遊歩道としても楽しいところになるのかもしれませんが、残念ながらさほど長い距離ではありません。
 ま、のんびり歩いてベンチに腰を下ろすにはちょうど良いくらいでしょう。

車輪オブジェ。

 道路の手前側と向こう側。 一対の?「車輪」がオブジェとして置かれていました。
ちゃんとレールにも載っています。
 が、普通こういう車輪は蒸機の動輪が相場なのですが、これは比較的新しいプレート車輪です。
さすがに興浜北線や天北線が廃止後の時期では、適当な動輪が無かったのでしょう。

駅前道路。

 駅の敷地というよりは、駅向かいの倉庫を隔てた道路、と言う感じの路線です。
 駅前の倉庫や建物が撤去されて、この場所から駅敷地が見渡せるようになっていました。

浜頓別駅構内方面。

 興浜北線側から浜頓別駅跡を眺めたところです。
 ここも非常に広い敷地ですが、一応活用されてはいるものの「公園」ですので敷地そのままといった感じです。

駅跡。

 ちょうどこのあたりが浜頓別駅敷地の境界線、表側になります。
 とにかく「広い」としか言いようがありあません。

天北線音威子府方面。

 浜頓別から音威子府に向かう天北線が、駅構内を出るあたりの場所。 正面向かいが音威子府方面になります。
 まだ構内が続いていた部分なので、中央の通路が単線の線路跡そのまま、というわけでもなさそうです。

駅構内。

 駅跡地の南側、場所的には天北線の音威子府側あたりから、浜頓別駅跡を眺めます。
 道路の向こうが広い公園ですが、建造物の少ない緑の多い公園なので、随分広々と感じます。

アメニティ公園。

 線路跡を横断する道路の南側、音威子府側に「アメニティ公園」のモニュメントがありました。
 基本的にはこちらも緑が整備されベンチが置かれている程度です。

駅跡公園。

 南側から駅跡を眺めたところです。 全体はこんな感じで緑があり水系もある公園です。
 若干起伏がある、というか南側(音威子府側)が下がった感じですが、もともとそんな地形だったでしょうか。
 尚、左側に見える公園内の低い「山」は盛り土のようです。

駅跡公園。

 公園内の「山」に登ってみました。
 南側、天北線の音威子府側と興浜北線北見枝幸側を見ると、こんな感じになります。
 かなり広角で撮影していますが、はるか向こうの「山」の形には昔の記憶があります。

駅中心方面。

 「山」から北側を見るとこんな感じ。
 公園のスペースは浜頓別駅跡の南側半分なのですが、ここから北側を見てもまだまだ公園が広がっています。
 木々の間に見える鉄筋の建物、バスターミナルが旧駅の中心になります。

駅前倉庫。

 駅跡の東側。
 古い建物は多くが倒されたようですが、この一角だけ古い倉庫跡が残っていました。
 一番手前のレンガ造りの建物は、現在は「郷土資料館」です。

バスターミナル。

 浜頓別のバスターミナルです。
 2階建ての鉄筋のかなり大きな建物ですが、それでも広い敷地の真ん中にぽつんと建っているという感じがします。
 それほど回りの用地は広々としています。
 というより、いくら何でも広すぎやしないか?

周遊マップ。

 バスターミナル近くに建っていた観光周遊マップ。 かなりアバウトな感じがします。
 ここはクッチャロ湖から稚内や枝幸方面へ向かう国道に面していますので、車の客でも立ち寄って見るかもしれません。
 と言うほどには他に立ち寄るほどのものは何もない場所なのですが。

駅正面跡。

 駅の敷地からオホーツク方面(東側)を眺めた風景です。
 向こう側に見える横断歩道から手前こちら側が浜頓別駅の敷地だったわけで、つまりここも、駅跡の敷地のど真ん中を真っ二つに分けるように、昔の駅前通りが貫いていました。

駅前通り。

 昔の駅前通りはこんなイメージになります。
 通りの終端には駅前広場がありましたので、ちょうどこの辺りからが「駅舎正面からの眺め」になるはず。
 鉄道があった時代にやって来たのは2度でした。

稚内方面。

 駅前通り(が駅跡を貫いた場所)から北側、稚内方面を眺めたところです。
 まだまだ敷地が続いていますが、こちら側はあまり活用されていません。 これまたもったいない感じです。
 但し浜頓別の市街地中心部に位置するため、手入れだけはしっかりされています。

バスターミナル。

 バスターミナルの建物です。
 というか結構大きな建物で、単なるバスターミナルだけではありません。
 図書館としても活用されていました。

観光マップ。

駅前通りに、バスターミナルに向かうように立つ観光マップです。 少し上の写真にある「観光周遊マップ」と比べると少し詳しい感じがします。 が、目的の違いがよくわかりません。 マップの「現在地」や「サイクリングロード」と併せてみると、天北線のイメージがつかめます。

現在地。

 「現在地」です。
 ちょうど駅前大通りのあたり、駅正面です。
 何しろ広かった浜頓別の駅構内。 北を見ても南を見ても、はるか向こうまで広い敷地が広がっています。

駅前通り。

 駅前通り。
 昔はここが終点で、今居る手前側は駅前広場。 そしてその後ろ側は、浜頓別駅正面でした。
 そのまま駅跡を貫き裏手に繋がりましたので、現在でも賑わっています。

駅前風景。

 駅前通り、少し東のオホーツク側から、駅正面に向かっての風景です。
 もちろん今は駅はなく、大通りはそのまま一直線に駅の裏手に繋がっています。
 駅前ホテル、鉄道が無くなった今でも繁盛しているのでしょうか。

駅前通り。

 駅前通り、更にもう数歩駅から離れて、道路南側からやや北向きに眺めてみました。
 ここまでの写真に出てきませんでしたが、奥手の敷地に大きな建物、多目的アリーナが建っています。
 これだけの建物が建ちながら、全く手狭さを感じさせません。

駅施設跡。

 駅前、南側方面を眺めるとこんな感じ。
 この正面には駅前によくある、古い建物が建っていた印象があったのですが。

駅前・稚内方面。

 駅前広場から北側・稚内方面です。
 一部は駐車場になっていますが、それ以外は見渡す限り・・・。
 です。

バスターミナル内部。

 バスターミナル内部です。
 ここは駅施設を潰した後に建てられた建造物で、鉄道時代の設備の流用ではありません。
 枝幸はともかく、長躯旭川まで行く便もあるのですね。

時刻表。

 ターミナル内の時刻表です。
 旭川行きは早朝の1便のみ。 あとは旧天北線廃止代替と旧興浜北線廃止代替、といったダイヤと行き先の便です。
 ところで先程鬼志別ターミナルの時刻表では、始発便(旭川行きの特急を除く)1本だけは「名寄行き」となっていましたが、ここではそれに相当する時刻の便は「音威子府行き」となっています。
 どうなっているんでしょう。
 もっとも敢えて音威子府から先名寄まで行く必要もないかと思いますが。

展示品。

 バスターミナル内の展示品です。
 「資料館」というほどの設備やスペースではありませんが、写真や昔の「遺産」がいくつか展示されていました。

過去の遺産。

 あえて説明する必要はないかと思いますが。
 鉄道時代の「遺産」です。

沿革。

 「浜頓別町の鉄道沿革史」が掲示されていました。
 沿革史の一番最後、平成元年(1989年)4月30日の最終日にここにやって来たことを思い出しました。
 こちらも詳細は説明よりは「ご覧ください」といういことで。

展示品。

 その他、展示品の数々です。
 というほどには、このスペースには沢山はありませんでした。

神威岬方面。

 浜頓別から北見枝幸まで伸びていたローカル線、興浜北線。 オホーツク沿いに南に進むのですが、途中1ヶ所、海に大きく突き出た岬・神威岬がありました。
 トンネルで一気に貫くのも可能なほどの距離ではありますが、興浜北線はトンネルを使わず岬の先端をぐるりと回るルートで敷設されました。
 岬と言っても線路は高いところまで上るわけではなく、ほんの数メートルから十数メートルの高さのルートでした。
 が、何せ道北のオホーツクに突き出した岬。 冬場は氷雪で大変な区間でした。
 現在も廃線跡の敷地がほぼそのまま残っています。
 浜頓別側から来た線路は、岬の手前から山にへばりつくような形になり、前方に見える岬先端を回ります。

岬先端廃線跡。

 神威岬の一番先端部です。
 線路はここで急なカーブでほぼ半周近く大きく向きを変え、こんどは一転して岬の付け根を目指します。

北見神威岬灯台。

 岬の先端部に建つ、北見神威岬灯台。
 海を照らす灯台にはもってこいの地形と場所ですが、鉄道が底を通るとなると、当然ながらかなりの難所になります。
 興浜北線は、灯台のふもとをこんな感じでぐるりと回っていました。

神威岬。

 灯台の麓から、興浜北線廃線跡です。 左手向こう側が浜頓別方面です。
 この日は真夏のそこそこのお天気。
 35年前の雪の中、初めて列車でやって来たときの車窓の記憶からは想像できないような、明るい海の色でした。

神威岬先端。

 上の写真と同じ場所から視線を少し右に振って、南側、北見枝幸方面です。
 さほど高い位置や急勾配というほどではありませんが、岩を削った急なカーブで、晴天時でもゆっくり走らなければならない難所でした。

神威岬先端。

 線路の海側の岩の上に移動して、岬から北見枝幸方面を望みます。
 ここから先、線路は右手にカーブして岬の付け根に向かい、そこからまた南の北見枝幸に向かっていました。

岩肌の廃線跡。

 写真すぐ右手、岬先端を回った列車は岩肌にへばりつくように進みます。
 高さはさほど高くないのですが、風雪が激しい時には厳しかったことと思います。

神威岬と旧道。

 以前は道路も、線路と一緒に岬の先端を回っていました。
 現在は道路の方は、岬の根元を一直線に貫くトンネルが完成しており、わずかの時間でくぐり抜ける事ができます。

岬を過ぎて。

 岬を回った後は、このように再び付け根に向かい北見枝幸を目指していました。
 大した距離ではありませんが冬場は難所、というのは道路でも同じだったようで、海岸に近いだけ影響も大きかったかと思います。

北見枝幸駅跡。

 「北見枝幸駅跡」石碑、バスターミナルと道路を挟んで向かいの「交通公園」にありました。
 間違いはないのでしょうが、どうも駅前食堂の位置関係や道路との関係から思いだすに、「駅舎跡」ではなく「駅前広場の片隅」といった場所ではないかと思います。

駅前通り。

 旧北見枝幸駅正面から駅前通りを眺めたところです。
 駅前通りとは言いながら、北見枝幸駅付近は、市街地の碁盤目の道路と線路がおよそ45度くらいの関係で、駅前に降り経つと、ロータリーから斜めに伸びる道路のどちらが駅前通り?という感じでした。

駅跡正面。

 上の駅前通りから、北見枝幸駅跡を眺めたところです。
 一見すると真正面で道路と直角に駅舎が建っていたかのような感じですが、実際の線路の向きは右手前から左手奥へ、という感じだったと思います。

枝幸バスターミナル。

 枝幸バスターミナルです。
 興浜北線は、ちょうどこの位置からバスターミナルやや後ろ(=右方向)へ道路と斜めに突っ込んでいたかと思います。

駅前食堂。

 現在の道路は位置からすると、通りに面した位置ではなく少し奥まった微妙な場所にあるのですが。
 駅前食堂は木造の大きな建物でした。
 確か以前は駅前ロータリーの片隅、と言う感じだったとかすかに記憶しているのですが。

交通公園。

 交通公園です。
 興浜北線起点の浜頓別の公園のような、駅線路跡の敷地を利用したものでなく、駅前広場の一角か線路横の倉庫などの用地を利用したのではと思われます。
 広さも非常にこじんまりとしたものでした。

歴史。

 駅前交通公園の石碑に刻まれた、「北見枝幸駅の歴史」です。
 詳細は写真にて、省略です。

駅跡風景。

 「北見駅の歴史」が刻み込まれた石碑。
 反対側の面は「北見枝幸駅跡」の文字です。
 向こう側は枝幸バスターミナルでした。

廃線跡?

 バスターミナルから真北に向かった真直ぐな道路。
 向かって真後ろは枝幸バスターミナル。
 ということで、この写真のすぐ後ろ側で不自然に45度(この向きの立ち位置で)右手に曲がっています。
 道路の線形からするに、この道路が興浜北線の線路跡に位置するのではないかと思われます。

交通公園。

 ということで、交通公園の向かい側からの眺め。
 右手やや後ろはバスターミナル。
 ちょうど真北からの道路が45度曲がっている地点です。
 これがほぼ全容、と言っていい位の、小さな公園でした。

えさし号。

 ターミナルの裏手の車庫に停まっていたバス。 ローカル路線バス向けではなく、長距離仕様の大型バスです。
 やはりオホーツク沿岸、枝幸と言えば「カニ」なんでしょう。
 マスコットキャラクターの「えさっしー」。 安易なネーミングですが語呂だけはまあまあ。
 しかし平仮名で書くと、同じ北海道の「えさし」。 「枝幸」「江差」どっちのマスコットかよくわかりません。
 (ニシンの江差とカニの枝幸で図柄差別化はできるのかも。)

バス車庫。

 ターミナルの後ろ、広い車庫に停まる何台ものバス。 ちょっと意外です。
 本日訪問の鬼志別にしても浜頓別にしても、さほど本数の多い路線ではありませんし、バスの姿もあまりたくさん見なかったのですが。
 意外と路線が広がっているのでしょうか。◎◎

2015年11月15日追加

バスターミナル内部。

 バスターミナル内部です。
 特に変わった造りではありませんし、旧駅舎が活用されている訳でもありませんから、とりたてて見どころと言うほどのこともありません。

時刻表。

 ターミナル内の時刻表です。
 興浜北線代替ルートに、旧興浜南線終点の雄武を結ぶルート。 それ以外に若干の路線がありますが、やはり大した本数ではありません。
 その中で目立つのは、旭川方面行きのが3本。
 中でも最長距離の朝一番の札幌行きだけは、「旭川・名寄方面は音威子府で乗換」となっています。
 音威子府までは国道はありませんが、道道12号経由、ということでしょうか。

バス窓口。

 バス窓口付近の風景です。
 きわめて普通です。
 が、最近ではこんな感じの窓口のある(自動販売機の無い)バスセンターもあまり見かけなくなりました。

駅前風景。

 駅前の配置風景を色々書きましたが、写真で纏めると。
 写真中央、右奥からの道がおそらく興浜北線ではないか? そしてバスターミナル手前で、写真右向きにおよそ45度向きを変えます。
 右の端、奥の方に駅前食堂。 確か駅前広場の一角にあったはず。
 交差点信号の向こう側が、こじんまりとした「交通公園」。
 一番手前の横断歩道で渡る左右の道路を右に進むと、駅前通りで北東のオホーツク海岸へ。
 そしてバスターミナルが建っているのが、駅舎のあったあたりじゃなかったかな?というおぼろげな記憶です。

えさしマップ。

 バスターミナル前の観光看板。
 枝幸の市街の道路が、その地形から南北でなく斜めの碁盤の目になっているのが判ります。
 35年前の記憶の、「駅前の斜めの大通り」の記憶はおそらく間違いないようです。
 それにしても、やはり平仮名の「えさし」じゃ、「江差」と混乱しそう。

交通公園。

これが交通公園の全容(の8割くらい)です。 公園も地味ですが、石碑のイラストと文字も輪をかけて地味ですね〜。

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