初めての乗車は1978年7月14日の暑い日でした。 尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2011年6月26日 2011年6月4日訪問 大隈線廃線跡。 鹿児島県は大隅半島、志布志から国分までを結んでいた、国鉄大隅線です。 乗車は2度で、初回は1978年7月14日、そして2度目は1983年でした。 今回は観光目的でレンタカーでのドライブです。 別に廃線跡探訪の旅というつもりは更々なかったのですが、何せ錦江湾沿いを走っていると、国道からつかず離れずといった感じで何やら「築堤」や「コンクリートの橋」や「切り通し」が目に入り、気になってしかたありません。 ということで、ほんのワンポイントだけですが、ちょいと車を止めてみました。 高架橋跡。 古江〜新城あたり、道路のすぐ横にあった、かなり大がかりなコンクリート橋梁です。 眺めるならここかな、という感じで上ってみました。 写真は国分・垂水側から錦江湾出口方向を眺めたところ。 軌道はこれから鹿屋港方面・古江に向かって海岸に降りて行くところです。 大隈線廃線跡。 コンクリート橋は構造体だけで、上にあったであろう線路や敷石はなく、どのように取り付けてあったのかはすでにわかりません。 道路拡張のためか、コンクリート橋は途中で途切れていました。 廃線跡。 上の写真の反対側。 北向きに垂水方面を眺めたところです。 道路がすぐ横にあるためか、この付近は完全に廃線跡のままで、特になにかに再利用されてはいません。 しかし見たところ大隅線、比較的新しいまま廃止された路線のせいか、コンクリート橋を含めて農道?に再利用されている区間が結構あったように思います。 大隈線廃線跡。 この写真を撮ったのは廃止後24年なのですが、結構遺構はしっかり残っています。 特に古江より北の区間は結局開業後ほんの15年ほどしか使われていない新しい区間です。 橋梁も鉄橋ではなくコンクリート橋が多く、スクラップにもならないためか撤去されないままになっているものがたくさん見られました 2011年6月26日追加 撤去しなくて大丈夫? 民家に覆いかぶさるように残るコンクリート橋の遺構。 田んぼや畑の中はともかく、市街地では結構狭いところを走っていたようです。 乗車した時はそれほど極端だった記憶はないのですが。 開業が比較的新しいため尚更そうなのでしょうか。 高架橋跡。 途中でぷっつりと途切れたコンクリート橋。 民家の屋根をかすめるように敷かれていました。 実際に列車が走ったときはどんな感じだったのでしょうか。 古江駅。 旧古江駅跡です。 志布志側から少しづつ伸延した大隅線。 かつてはこの古江駅が終点だった時期もありました。 港と道路に挟まれたロケーション、駅舎は昔のまま、ではなくその後に手入れがされていました。 古江鉄道記念館。 駅舎正面に旧駅の駅名表はありませんでしたが、「鉄道記念館」の表示と「旧駅跡」の石碑が並んでいました。 小さな駅舎ではありますが、さすがに終着駅だっただけのことはあります。 開業が比較的新しいここから国分側の区間の駅は、垂水駅を除き簡略化され駅舎らしい駅舎がなかったところが多かったように記憶しています。 古江駅跡。 古江駅構内、志布志側から国分側を眺めたところです。 さすがに広めの構内跡だったことがわかります。 色は塗り替えられていますが、駅舎や隣の建築物(トイレなど)はほぼ現役当時のままのようです。 古江駅跡。 敷地は芝草に覆われており、鉄道記念館というより広い公園と言った風情です。 ホームから少し離れた位置にレースが残され、気動車の車輪が一軸載せられています。 が、位置関係から旧線路をそのまま利用したものではなく、後からここだけ敷設されたように見えます。
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