尚立地上、支線の「興浜南線」もこのグループに含めました。 尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2015年11月29日 <名寄本線 名寄〜遠軽> <興浜南線 興部〜雄武> <INDEX> 2009年8月再訪 2014年8月再訪 2015年11月29日一部日追加 2009年8月再訪 オホーツク。 オホーツクの大パノラマです。 場所は、旧興浜南線の終点、雄武駅跡です。 と言っても昔の車窓や駅前からこんな俯瞰風景が見られたわけではありません。 旧雄武駅跡敷地を利用して建てられた「道の駅雄武」。 休憩のためにやって来たら、偶然そこが廃駅跡でした? ちょうど港に至近の立地条件を生かし、高い展望台が建立されていました。 高さ20mくらいのガラス張りの展望台、嬉しいことに入場は無料です。 興浜南線跡。 展望台から海に向かって右側、南方面を望んだところです。 興部方面から興浜南線が進入してきた線路の様子がよくわかります。 それにしても、真夏というのは草が生い茂り、意外と廃線跡は見分けにくいですね。 草が枯れ木の葉が落ちる季節の方がずっと認識しやすいようです。 道の駅雄武(おうむ)。 新しい建物の道の駅内部は、半分が売店、半分が興浜北線の展示館。 中央のテーブルがパソコンを据えつけたフリースペース、といった感じです。 さすがに「道の駅」だけあって、単なる展示館とは違い、普通のお客が入ってくる生きた施設です。 売店はさほど広いスペースではなく、道の駅としては小ぶりな感じです。 同じ敷地のすぐ隣にスーパーマーケット(ドラッグストア?)があり、「土産物以外のお買い物はそちらで」という感じでした。 写真奥手に、展望台に登るエレベータがあります。 「おむ」記念碑。 駐車場の片隅にひっそりと?設置してある記念碑です。 これを見て、先ほど到着前から感じていた違和感の謎が解けました。 町の名前「雄武」の読みは「おうむ」。 ここまで道案内の道路標識のローマ字も、そう綴られていましたし、道の駅の名前は平仮名で「おうむ」でした。 しかしかつて列車で訪問した時の記憶は「おむ」。 今回実際にここに着くまで、「雄武町=おむちょう」と思っていました。 「おうむ」って変だな、と思っていましたが・・・。 町の名前は「おうむ」、国鉄の駅名は「おむ」だった、ということです。 30年間の認識不足でしたが、何しろ興浜南線に乗るためだけに列車でやって来て、すぐに折り返しただけの訪問でしたから。 ちなみにこの原稿の作成中、「おうむ」も「おこっぺ」も一発できちんと変換してくれますが、「おむ」では変換してくれませんでした。 道の駅雄武。 ちょうど駅舎のあった辺り(やや後ろに引いているか?)、道の駅おうむの外観です。 写真のように随分高い、金をかけた展望台ですが、果たして見合うだけの観光客が入ってきているのでしょうか。 我々が居た間、他の観光客は一人だけでした。 もしかするとお盆休みなどよりは、花の季節初夏や、流氷の季節冬の方が賑わうのでしょうか。 雄武駅前風景。 オホーツク国道を挟み、駅前広場の反対側から眺めた道の駅です。 いかにも港町のちょっとした駅、というレイアウトです。 昔の記憶を辿ってみても、こんな賑やかな町だったかな、という感じがします。 それほど活気がある(ように見える)町でした。 駅の外れ。 さて、先ほど展望台から眺めた景色が気になり、ほんの少しだけ興部方に歩いてみました。 といっても、駅の構内を外れるかな、といったあたりまでです。 たぶんこのあたりが線路跡だろう、という程度で遺構も何もありませんが、草むらの中にはいかにも軌道のバラスト、といった感じの砕石がたくさんころがっていました。 駅進入側。 上の写真の反対側、つまり興部側から雄武駅跡を眺めたところです。 おそらくこの位置が線路跡だと思うのですが、そうするとやはり「道の駅」の建物は、旧駅舎よりやや後ろに引いていることになります。 本当のところはわかりませんが。 線路がない以上、駅舎後背のスペースは無駄なだけなのでしょう。 バスターミナル。 道の駅「おうむ」前のバス停標識です。 時刻表を見る限り本数はさほど多くなく便利そうではありませんが、先ほどからバスは頻繁に目にする気がします。 ところでこのバス停は「おうむ」なのでしょうか、「おむ」なのでしょうか。 そこまで考えて確認はしてきませんでした。 路線バス。 興浜南線の代替バス? 雄武停留所に止まっているバスは、折り返しで発車時刻を待っているところのようです。 最近は各地の路線バスの車体(車両)小型化が目立って仕方ないのですが、北海道では大型の車体の車が目立つ気がします。 冬季にでも利用が多いのでしょうか。 興部駅前。 紋別の宿に入る前、もう一回だけ小休憩を、と思って立ち寄った「道の駅興部」。 訪れてみるとこれまた、実は名寄本線と興浜南線の分岐駅、興部駅の跡でした。 単なる観光なのに、偶然って続くんですねえ?? それはさておき、国道からちょっとだけ通りを入った所にある駅。 建物は新調されていますが、わかりやすい造りです。 道の駅興部。 鉄道は名寄本線・興浜南線共に廃止されてしまいましたが、駅がバス路線の中心であることは今でも変わりないようです。 建物左側は鉄道の記念館、右側はおそらく物産展はどの売店なんでしょうが、すでに17時過ぎているためか、売店の方は閉まっています。 あまりやる気がない? それともお客がいない? いずれにしても、およそ繁盛しているような雰囲気ではありません。 道の駅興部。 訪問客は殆どいませんが、それでも記念館側が18時まで開いていたのは幸いでした。 おかげで内部を見学させていただくことができました。 さすがに道の駅で、展示品もさることながら、建物や展示ブースの造りも立派で、館内に常駐の係員もおられました。 それにしても金がかかっていますね。 駅舎裏?。 さて、建物を裏手に出てきました。 表側は狭い興部駅跡ですが、裏側は広い広いバックヤードになっています。 もともと鉄道分岐駅ですから、普通の駅よりは敷地が広いわけです。 もしかすると土地の有効利用を考え、、「道の駅」建設の際に、雄武とは逆に建物を少し前に出しているのかもしれません。 そして、建物の向こう側には、何やらホームと車両が。 キハ22。 塗装色は全く変わってしまっていますが、その形は紛れもなくキハ22です。 塗装色はオリジナルとは全く違う独特のものですが、奇麗に化粧直しされており、ホームが設置されドアも開いています。 どうやらただの「昔の車両の展示品」というわけでは無いようです。 ルゴーサ・エクスプレス。 2両のキハの連結部付近にあった案内表示です。 こういうことらしいです。 同じ文面のテキストは面倒なので省略します。 さすが北海道。 このての施設を所々で見かけます。 現在でも根強い人気・利用があるのかはよく分かりませんが。 サロン・車内。 車内はこんな感じで、オリジナルの雰囲気を残しつつ、居心地良く改造されていました。 さすがにこんな日の日中(もう夕方ですが)に利用する人はいない?と思っていたら、それでも一角に荷物がありました。 ちなみに、隣の車両・ホステルでも先客がいたため、こちらは雰囲気に負けて撮影は遠慮しました。 運転室。 改造は必要最小限にということで、施錠はされていますが、運転室の内部は現役当時のままでした。 但しよく見ると室内も機器もブルー系の塗装です。 この当時の国鉄標準車は、皆機械色のグリーン系だと思っていたのですが。 後で塗り替えされたのでしょうか。 興部駅・名寄方面。 とにかく長くて広い興部駅の構内跡。 名寄方面に相当距離歩いて、ようやく左右から幅が狭まったあたり。 中央正面が名寄方面です。 広場に遊歩道等々と整備されており、敷地の中はどこに何があったかはすでにわかりません。 しかしこのあたりまで来ると、たぶんこのあたりにこんな感じで線路が通っていたんじゃないかな、というイメージが湧いてきます。 広い構内。 上の名寄方面から東側・海に向って構内を眺めると・・・。 とにかく広い敷地です。 しかし町中にもかかわらず、これだけの敷地が広場や公園、一部は更地になっているだけ、というのは何とも勿体ない気がします。 広い北海道ならではでしょうか。 それとも鉄道がなくなってしまい国道からほんのちょっとだけ外れた立地では、大して価値がないのでしょうか。 紋別寄り。 構内の敷地のやや海寄り。 敷地を縦断する道路が取り付けられ、比較的新しい郵便局の建物が出来ていました。 道の駅は別にすると、駅跡地に新築されていた唯一の建築物です。 もっともその後ろ側には、これまた有効活用されていない広い更地が広がっていました。 紋別方出口。 郵便局後方に回ったところです。 ここから更に相当距離向こう側に行ったところでようやく、敷地は自然にその幅が狭くなって行きます。 一番端まで行ってみようかとも思いましたが、さすがに少し面倒というか、疲れてお腹一杯の気分になってきました。 何しろ今回は観光旅行ですから、少し廃線跡で時間を使いすぎのような気がします。 たまたま通りがかっただけのほんの寄り道にしては。 湧別道路。 訪問の日付は翌日になりましたが、またまた名寄本線です。 紋別観光の後サロマ湖方面に向かうと、途中湧別の町を通ります。 国道は四号線付近でカギ形に曲がって南に向かうのですが、すぐ向こうに名寄本線の枝線があったはず。 ということで、本来の道路とほんのちょっと距離を置いて平行にこんな道が。 これが名寄本線の枝線、中湧別〜湧別の廃線跡でした。 廃線跡。 中湧別〜湧別間の区間は、歴史的経緯から「名寄本線」を名乗っていますが、枝線になっており、乗車した当時は朝と夕方一日2往復だけの運転でした。 5キロに満たない区間は、中湧別から湧別の海岸手前まで、ひたすら真直ぐに走ります。 今回は車で紋別方面からやって来た関係で、海岸に近い湧別から中湧別をめざすことにします。 終点湧別は、それほど大きい駅ではなかったはずですが、消防署はじめ公共の建築物がそびえていました。 そしてそこから中湧別に向い、御覧のような一直線の道路。 「廃線跡が道路に並走」ではなく、廃線跡そのものの道路を走るため、よそ見をすることはありません。 廃線跡走行。 昔からある本来の「道路」を横目で眺めながらひたすら真っすぐ走ること数分、正面にこんなものが見えてきました。 まさにこれは「鉄道の廃線跡」です。 山ほどある廃線駅でも、車のままこんな感じで進入できるところはそうそうないのではないでしょうか。 実にいい感じです。 中湧別駅跡。 跨線橋下のホーム横にそのまま進入、というわけにはさすがに行きませんでした。 車で真直ぐ走れるのは直前までです。 ちょっと残念。 しかしホームと跨線橋に加えて若干の車両が展示保存されており、この一角だけは雰囲気がよく残っている中湧別駅跡でした。 中湧別・道の駅。 駅の敷地跡は、ここもまた「道の駅」でした。 ということで、車を止めて小休止です。 本当の遺構が残っているのは、古い跨線橋とその近傍の2面のホームの一部。 そしてホームの間に貨車と小型の作業車(ラッセル)です。 他の例に漏れず、跡地の有効利用の関係で駅舎はありませんが、後背にある跨線橋がそのまま残されたのは嬉しいことです。 跨線橋。 古い跨線橋は、残念ながら入口が閉鎖されており、中に入ることは出来ませんでした。 もし上に上がれれば、ホームの間の窓部分から、また違った風景が見られたかもしれないのですが。 駅の跡。 構造物の「遺構」の主役は古い跨線橋です。 本来の遺構が残っている一角ですが、腕木式信号機や踏切など、それらしく集められていながら配置がいささか不自然な小物も見られます。 限られたスペースで雰囲気だけ、ということでしょうか。 保存車両。 ここの駅の保存車両、主役は「貨車」です。 とかく粗末に扱われがちな貨車の保存車両。 しかしここ中湧別のものは、再塗装されきれいに化粧されて新品のようです。 昔の国鉄マークなど、いささかやり過ぎの部分も無いわけではありませんが。 遠軽方面。 ホームから眺めた遠軽方面です。 遠軽から湧別までは割合山が少なく、枝線の部分も含め、比較的真直ぐな線路が続く区間でした。 駅名標。 古いホームの屋根下に残された駅名標です。 広い敷地の構内は、他の同じような駅同様駅舎は再開発の邪魔だったと見え、跡形もありません。 しかし四方から集まる路線と保線区を抱える広大な敷地のお陰で相当余裕があったのか、中央付近の跨線橋とホームの一部は撤去移設されることなく、そのままの場所に残っています。 古い駅名標の左右の駅は、どちらも名寄本線の駅名です。 2014年8月再訪 道の駅おうむ。 5年振りにやって来た「道の駅おうむ」は、旧国鉄興浜南線の終点雄武駅(駅名は「おうむ」でなく[おむ」)の跡地利用施設です。 補助金があったとは言え、もったいない位の金がかかった(と思われる)施設です。 二度目の訪問で見どころも多くないため、今回は簡単な紹介にとどめます。 道の駅ギャラリー。 道の駅内部のギャラリーです。 5 「昔の雄武」と題して展示された写真は、5年前の訪問時と変わっていないようです。 ま、当たり前と言えば当たり前でしょう。 しかし何度見ても楽しい写真ではあります。 昔の雄武。 ここはいわゆる資料館ではなく「ギャラリー」としての造り。 ですから展示品もほぼ写真のみです。 が、何やら設備はありますから、それ以外に使用さることもあるのでしょうか。 展望台。 道の駅の展望台から、道の駅の駐車場を見下ろします。 道路や町の配置は興浜南線現役時代とまず変わっていないはずですから、大体当時の駅前の配置の様子が想像できます。 2015年11月29日追加 廃線跡風景。 視線を右に振り、南側。 起点の興部方面を眺めます。 こちらも駅構内から線路が伸びていた様子が概ね判ります。 この先、廃線跡は続きますが、5年前の写真同様活用されずそのままの荒れ地です。 バス乗り場。 道の駅おうむ。 元国鉄駅跡ですから、バス乗り場もあります。 ここから北が宗谷バス、南は北紋バスの路線エリアとなります。 別々のバス停時刻表。 立派な、というか標識としてちゃんとしているのは宗谷バスの方でした。 宗谷バス。 宗谷バスの時刻表はこんな感じです。 路線はここから北側方面となります。 北紋バス 南方面、北紋バスの時刻表です。 雄武と紋別、どちらも終点が「高校」というのがバス路線の姿を物語っています。 紋別方面へのバスもここまでと同じく本数は多くありあませんが、宗谷バスの枝幸〜雄武線とはここで接続したダイヤとなっています。 駅前倉庫跡。 元駅前広場の南側に面した形で、赤レンガの建物が残っていました。 というか、元倉庫が現在も商店として活用されているようです。 それ以外の建物はおそらく興浜南線廃止後に建て替えられたようですが、これだけはなかなかイイ雰囲気でした。
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