かいもん4号のホームページ TRIAL20000 長井線・山形鉄道
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山形県のローカル線・長井線です。 奥羽本線の赤湯から荒砥に至るローカル線でしたが、国鉄からJRへの分割民営化後の1988年、第三セクター「山形鉄道フラワー長井線」に移管されました。 終点荒砥から左沢線の終点左沢まで、最上川沿いに伸延の計画もありましたが、実現はしませんでした。 途中の今泉駅でJR米坂線と接続しますが、こちらも輪をかけたようなローカル線ではあります。
このコーナーには、第三セクター「山形鉄道フラワー長井線」に移管後も含みます。

尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2014年6月15日
<INDEX>
2014年5月再訪  2014年6月15日追加
2013年7月再訪  2014年6月8日一部追加

<赤湯〜荒砥>
2014年5月再訪
2014年6月15日追加

山形鉄道赤湯駅。

 前回(2013年7月)から比較的短いインターバルではありますが、山形鉄道(旧国鉄長井線)を訪問する機会がありました。 今回は列車乗車ではなく、車で側面からの観察です。
 このTRIAL2000のコーナーから少々外れるかもしれませんが、GALLERYでお見せするほどでもない雑多な写真をいくつかアップ、ということで、このコーナーでアップします。

2013年7月再訪

山形鉄道赤湯駅。

 2013年7月某日、山形県の第三セクター鉄道・山形鉄道を訪問しました。 1978年7月以来のちょうど35年振りです。
 もちろん当時は国鉄長井線の時代でした。
 とにかく国鉄全線に乗ってしまおうと、他線と抱き合わせで訪問した中で、実は左沢線とは異なりここはあまり記憶に残っていない。
 ということで当時の記憶掘り起こしの旅です。

赤湯駅停車中。

 赤湯駅に停車中の山形鉄道の気動車は、新潟鉄工の私鉄・第三セクター向けの標準的な車両でした。
 発車時間までは少々間があるのですが、すでにドアは開かれており(実際にはボタンによる手動に設定)、暑い夏のホームから涼しい車内に乗車は可能でした。

赤湯駅。

 赤湯駅の西口、山形鉄道の駅舎は小じんまりとした木造(現代風ですからログハウス風?)の駅舎です。
 といってもこの時刻、駅員がいるわけでもなくお客が入れ替わりやって来るというわけでもなく。
 作りが新しい以外は、ローカル線の無人駅といった雰囲気でした。
 向かいのJR駅舎とは対照的です。

赤湯駅。

 山形鉄道赤湯駅、というよりは赤湯駅の西口(山形鉄道側)、と表現した方が適当かもしれません。 もちろん元々はそうだったのですが。
 広いスペースに駅前(駅裏?)広場が整備されてはいましたが、駅舎と同じく閑散としており、無駄に広いという印象は否めませんでした。

赤湯駅ホーム。

 山形鉄道のホームです。
 島式のホームですが、片側の線路はJR奥羽本線が使用しており、山形鉄道が利用できるのはこちらの1線のみです。
 何しろ奥羽本線がミニ新幹線方式で軌間が標準軌に改軌されてしまいましたから、共用と言うわけにはゆきません。

山形鉄道気動車。

 お馴染み、新潟鉄工製のローカル向け気動車、標準的なスタイルです。
 鋼製車体ですから全面塗装。 ということで、車体形状は酷似していながら塗装により各鉄道会社でかなり雰囲気が異なるのは、この手の気動車の楽しいところです。

運転台付近。

 車内も特に変わった作りというわけではありません。 ワンマン対応で、運転席側だけが独立した部屋になっており、反対側はドアスイッチがある程度です。
 以前はこの先で奥羽本線と合流していましたが、軌間が異なるため現在はここで線路は行き止まりです。

車内風景。

 ちょいと長めのロングシートとクロスシートの組み合わせ。
 これまたこの気動車の標準的な構造で、中距離路線に合わせトイレのある構造です。
 窓にはカーテンもありしっかりした作りです。

山形鉄道赤湯駅。

 赤湯駅西口側の、山形鉄道ホームです。
 第3セクター化されたローカル線の始発駅によくある利用者軽視の悪しき例とは異なり、JR奥羽本線とは改札を完全に共用しており一体となっています。
 島式ホームになっており跨線橋を共用しているためですが、同様の構造でも強引に中間改札を設けている鉄道の例もあり、ここでは乗客本位の姿勢が見られます。
 単純に改造経費を省略しただけ?或いは省力化?

今泉駅。

 始発駅赤湯を発車して数駅。 JR米坂線と接続する今泉駅です。
 両線がそれぞれ1面2線の島式ホームを使用しており、近年のローカル線に不似合いな大きなつくりと広い敷地の駅です。
 ここから先(この写真では後ろ側)白川信号所までの2キロ弱は両社が線路を共用していますから、今泉を出たところで線路は一旦合流します。

あやめ公園駅。

 第三セクター化後に新設された駅・あやめ公園です。
 駅名表や運賃表と併設された案内図からすると、歩いてほんの少々の距離のようです。 と言っても、少し時期外れではありますが。
 運賃表の駅名によれば、第三セクター化後に設置されたとわかるイメージの駅名がいくつか並んでいます。

終点荒砥到着。

 山形鉄道乗車の往路は、クロスシートから側面車窓を楽しみましたので、途中の写真撮影はすっ飛ばして終点・荒砥駅に到着です。
 現在はここ終点荒砥に車庫があります。
 日中の時間帯のことで、数両の車両が休憩していました。

荒砥駅舎。

 立派な作りの荒砥駅です。
 この日午前中に訪れた左沢線でも同様ですが、生き残ったローカル線(第三セクター含め)はどこも本気で活性化に取り組んでいます。
 というより地元自治体がかなり投資をしており、駅というよりは観光協会の占める割合が大きくなっています。

発車待ち。

 荒砥駅で折り返し発車待ちの気動車です。
 この日は3連休の中日のため、列車に乗って楽しむ乗客も数名見られました。
 もちろん私もその一人ですが。

荒砥駅ホーム。

 荒砥駅ホーム、赤湯側です。
 昔訪れた時の駅舎は殆ど記憶にありませんし、現在の物はもちろんそのずっと後に建て替えられたものですが、このホームの風景は、何となく「こんな感じだったな」と記憶がよみがえる感じでした。

荒砥駅発車前。

 さて、相変わらずの駆け足ですが、折り返しの気動車で赤湯に戻ることにします。
 往路はクロスシートに陣取っていささかサボり気味に景色に見入っていましたが(それが私かいもん4号の本来のスタイルではありますが)、復路は後部運転席から、線路中心に風景を楽しもうと思います。

間もなく発車。

 荒砥駅、発車時刻が迫りました。
 ほんの10数分の短い駅前滞在ではありました。
 ドアが閉まると発車します。

四季の里駅。

 四季の里駅です。
 名前のイメージからもわかるように、この駅も第三セクター化後に新設されました。
それにしても、「あやめ公園」はともかく、「四季の里」って一体何に由来する駅名なのかな?という感じはします。

桑蚕駅。

 列車は蚕桑駅を後にします。 何となく分かり易い駅名です。
 上の「あやめ公園」や「四季の里」などと違い、古い時代の駅名(または地名)のようです。
 現在は片面1線だけのホームですが、かつての駅の規模や線形がわかるような地形です。

羽前成田駅。

 こちらも古い駅、羽前成田です。
 いろいろ改造工事はされていますが、古い駅の共通の構造がみて取れます。

長井駅。

 路線名にもなっている長井駅。
 米坂線と接続する今泉駅を除いては、線内では一番大きな規模の駅です。
 とは言え、現在では規模が大きいのは敷地面積だけで、かつては賑わったであろう駅前広場や貨物ホームは殆ど「跡形」だけで、昔の駅本屋や貨物倉庫は跡形すらありません。

南長井駅。

 国鉄時代の新設駅・南長井駅です。
 新設とは言え1960年の話ですから、ホームはそれなりにしっかりした造りです。
 駅舎(待合室?)の方はご覧の通り簡素な新しい造りでした。

時庭駅。

 時庭駅に到着です。
 片側1面のシンプルな駅、ではありますが、進入の線形(写真は終点荒砥側)から、かつての駅の規模や線形がイメージできる形状は、現在もそのまま継承されています。

時庭駅。

 時庭駅のホームと駅名標です。
 昔のホーム形状は読み取れますが、現在駅前にあるのは自転車置き場の簡単な屋根程度でした。
 ローカル線の(元)島式ホームを片面化した、ということになれば、位置関係から昔の駅本屋は撤去されても止むを得ないところではあります。

時庭駅遠景。

 時庭駅が遠ざかってゆきます。
 赤湯方から見てもやはり曲がりくねった線形は同じで、かつての駅の様子が想像されます。

白川信号場。

 列車は白川信号場までやって来ました。
 ポイントを通過しJR米坂線と合流し、ここからは真っ直ぐに今泉まで線路が続きます。
 線形を見ると、やはり米坂線側が分岐側となっているようで、両線の歴史が感じられます。

今泉駅到着。

 帰路の列車は、今泉駅で対向列車と交換です。 ちなみに往路は長井駅で交換でした。
 基本の塗装ラインを守りつついろいろなイラストが追加で描かれた、楽しいデザインです。
 が、現在の線名である「フラワーライン」がもう少し目立ってもいいのでは?

今泉駅停車中。

 こちらの列車が到着するとすぐに、反対側の荒砥行き列車が発車してゆきました。
 列車本数の少ない単線で何だか慌ただしいタイミングですが、これには訳があるようです。

今泉駅発車。

 若干の停車時間の後、こちらの列車も今泉駅を発車します。 隣のJR米坂線ホームには、坂町行き列車が停車中です。
 日中は極めて列車本数の少ない米坂線の山形県側ですが、うまい具合に接続しています。
 線路共有のため、先発の長井行き山形鉄道列車が白川信号場まで逃げ切ってしまわないことには、JR列車も発車できません。

西大塚駅。

 真っ直ぐな線路の西大塚駅です。
 しかしこの駅には古い駅舎が残っており、単に旅客用片面1線ホームだけの駅ではなかったようです。

梨郷駅。

 梨郷駅です。 これまた駅名(地名?)から、古い駅であろうことが読み取れます。
 そして線形もこのとおり。
 昔は交換駅が沢山あった、そして混載の貨物列車も運転されていた、という様子があちこちの駅に残されています。

梨郷駅。

 梨郷(りんごう)駅の駅名標です。
 梨の郷なのに「りんごー?」(オソマツ!)
 現在は片面のホームですが、昔線路があったであろうあたりはかさ上げもされず、広い敷地に草が覆ったままでした。

おりはた駅。

 片側1面1線だけのおりはた駅です。
 真っ直ぐな線路に簡単な構造のホームは、国鉄時代に設けられた駅ですが、平仮名の駅名ってあったかな、と思ってみると、以前は「西宮内」駅が改称されたものでした。

宮内駅。

 国鉄長井線時代以前を含め、今年で開業100周年となる山形鉄道と宮内駅です。
 赤湯と並ぶ南陽市の中心ではありますが、駅の機能や規模ではその差は歴然としています。

宮内駅。

 宮内駅、構内の配線はこんな感じになっており、昔の構内配線が偲ばれます。
 赤湯駅が1線だけの関係で、この宮内駅が上下の列車交換駅として利用されていました。

南陽市役所前駅。

 昔は無かった「南陽市役所」駅付近の風景。
 建物のすぐ近くの駅ではありますが、広い駐車場は完全に車社会?
 ところで私かいもん4号は不勉強極まりなく恥ずかしながら、今回の旅行まで数十年間「南陽市」は赤湯ではなく米沢だと大きな勘違いをしていました。 赤湯駅の隣が「南陽市役所」駅。ハテ??というわけです。 責任転嫁のようですが、何しろ鉄道の中心駅名と市の名前が異なる、というのは分かりにくくていけません。
 平成の大合併でそこら中に生まれた、耳当たりだけは良いが重みのない新しい市名ではなく、すでに歴史のある市名ではあるのですが。

赤湯近く。

 真っ直ぐ伸びる奥羽本線に対し、山形鉄道はすぐに左にそれて西向きに進路を変えます。
 ここから今泉までは、概ね西に進路を取ります。

赤湯駅。

 奥羽本線1番線(東口側)から眺めた、山形鉄道方面です。
 隣のホームの手前側旧2番線はなぜか線路が剥がされており、柵も設けられて使用されていません。
 どういった加減でしょうか

赤湯駅。

 山形鉄道の気動車が発車時刻待ちです。
 ホーム共用のため、駅名看板のこちら面は、同じホームのこちら側JR奥羽本線のものでした。

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