夕張・幌内・万字と近接した炭鉱、近接した鉄道でしたが、辛うじて市として存続している夕張以外のローカル線は、使命を終えて廃止されてしまいました。 尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2009年9月27日 万字交通センター。 万字炭山近く、万字交通センターです。 道道沿いの、いかにも駅の跡という感じの広場奥に駅跡標がありますが、実は駅の跡ではありません。 バスターミナルとしてはそこそこ広い敷地ですが、いくらローカル線とは言え、炭鉱の鉄道の終着駅の跡としては幅も長さも狭すぎます。 昔の写真を見ると、ごく普通の畑か牧草地かの少し広めのただの平地で、万字炭山駅とは全く別の場所です。 しかしせっかく車の車窓から駅名標が目に留まったため、ちょいと寄り道してみます。 駅名標表。 駅名標風のモニュメントと踏切警報機。 いかにも駅跡の記念碑を思わせるつくりですが、なぜわざわざ線路跡でもないこんなところに設置したのでしょうか。 どうやら、公共施設に鉄道記念館を併設しようという思惑が働いていたようです。 昔の駅の敷地が民間に払い下げられているため、記念碑を設置管理するのが困難という事情もあるようです。 駅名標裏。 駅名標モニュメントの裏側にはこんな記載が。 地色のせいで写真では文字がやや不鮮明ですが、ご一読ください。 別にテキスト打つ手を抜いている訳ではありません。 便利なデジカメのなせる業です。 さて、実際の万字炭山駅は、道路と反対側の谷の後ろ側。 集落をもう少し谷奥まで入ったところのはずでした。 この写真の正面山のすぐ手前、右側奥手の方向になります。 記憶では、列車を降りて進行方向ホームの端のスロープを降りてそのまま真直ぐ進んだ先に駅舎があったはず。 立地条件は全く違いますが、配置のイメージは九州・香月線の香月駅と似ていた覚えがあります。 本当は道道を外れて車で街中をうろうろしてみたいのですが、観光旅行の途中でかつ宿に向け急いでいるという事情もあり、同行者を放っておいて趣味に走るわけにもゆきません。 万字炭山はこれだけにしておくことにします。 美流渡交通センター。 少し車を先に進めて、美流渡の交通センターです。 先を急ぐと言いながら、折角道道沿いですからここにもちょっと立ち寄ることにします。 万字炭山は「ニセモノ駅跡?」でしたが、ここは本物の万字線見流渡駅跡です。 残念ながら駅舎もホームも残っておらず、本来駅舎があるべき位置あたりには、廃止後に交通センターの鉄筋の建物が建てられています。 美流渡駅名標表。 ここも万字交通センターと同じく、踏切警報機に挟まれた駅名標があります。 駅名表は本物ではなく万字炭山と同じデザインのモニュメントで、その地色から木製と言うよりは石造りの雰囲気を醸し出しています。 踏切も元々こんな場所にあったはずはありません。 美流渡駅名標裏。 駅名表の裏側の文面は、万字炭山のものと同一で、駅名部分だけが違うものでした。 駅名標とは言ってもホームのない草むらの中に中に立っているわけで、少々違和感があるのは止むをえません。 美流渡駅車止め。 草むらの中に、車止めがありました。 志文側から進入して行きどまりの車止め、しかもホームの端ではなく、駅舎があったであろう場所よりはずっと志文側。 レイアウトから考えるに、(移設されたものでなければ)1番ホームの混載貨物用切欠きホームの車止め、と思うのが自然な位置です。 しかしここは下車していないので、実際のところはわかりません。 美流渡駅志文方面。 上で「実際のところはわかりません」と書きましたが、このように公園化された駅では、ホームの跡も線路のくぼみもバラスト・枕木もほぼ残っていないところが多いため、20数年経った今では線路配置はおろか、駅舎の正確な位置までもがサッパリわかりません。 道道からの引き込み道路やロータリーなどから推察するばかりです。 美流渡駅万字方面。 美流渡駅敷地の万字炭山側です。 広い敷地をまめに歩き回り、敷地の端の方まで行けば、地形から進入線路の場所くらいは分かるかもしれません。 広い敷地ですが、レールやホームの幅からすると、駅舎の位置は今の交通センターよりやや道道側のような気もするし、上の車止めからするとほぼ同じ位置のような気もするし。 微妙なところです。 2009年9月27日追加 朝日駅。 車を更に進めて、朝日駅跡です。 ここは昔の駅舎が道路からすぐの場所にそのまま残っているため、一目瞭然です。 こんなにあちこち立ち寄るはずではなかったのですが、線路跡方向を横目で眺めながら走っていると、いやで目に飛び込んで来るところにあるものですから。 わかりやすい木造の駅舎です。 朝日駅石碑。 朝日駅にはこんな石のモニュメントがありました。 何と形容したらいいのでしょう。 石碑と書きましたが、この写真で見る以上に小さなものです。 万字炭山や美流渡とは異なるものです。 管理者が栗沢町と岩見沢市と、異なるせいでしょうか。 鉄道公園案内。 朝日駅跡、万字線鉄道公園の案内板です。 ここはもともとホーム1面だけの狭い敷地ですが、駅舎やホーム・線路跡が残されていて、昔の姿が偲びやすいです。 鉄道公園案内裏面。 小ぶりな駅名標スタイルではありますが、これは路線図も入った立派な案内板です。 さすがに色々な「遺構」が残った公園だけのことはありました。 朝日駅駅舎。 駅の敷地、駅舎と道路の関係はこんな感じで、駅前広場がある立派な駅、というわけではありません。 もっとも、美流渡駅のように広い敷地でないからこそ、昔の姿を大きく変えられたり丸々転用されたりせずに残されたという側面はあります。 手前の道路は旧道で、この写真すぐ左手で、右手後方万字炭山方面から今の道道が合流してきます。 運転しながらよく偶然斜め後方の「遺構」を見つけることができた? 朝日駅B20機関車。 駅舎とともにこの駅の目玉は、ホームに展示保存されたB20型機関車(1号機)です。 手入れはよく行き届いています。 線路は昔のまま、といいたいのですが、ホームをみると元のホームの端が展示用にいじられた跡があり、レールも完全に昔のままなのかどうかはよくわかりません。 朝日駅万字方面。 朝日駅の万字炭山側です。 ちょうどB20機関車の付近から撮影したものです。 レールが暫く続いているところを見ると、昔からのもののようです。 さらに少し先にはホームの跡が。 昔は手前駅舎の前からずっと続いていたのでしょうか。 これまた当時下車して確認したわけではないので、わかりません。 朝日駅駅名標。 この駅名標もまた、形状や傷み具合から「本物」のようです。 古い駅名標を錆びたまま保存するのか、再塗装して小奇麗に復元するのかは評価が分かれるところでしょうが、周囲の雰囲気には似合っています。 朝日駅跡。 この朝日駅、決して市街地中の立地ではなく、駅前広場もない1面1線だけの駅です。 レールはこの車止めまで。 (もちろん車止めは後から設置されたものですが。) 古い路盤や枕木の線路に木造の駅舎やB20蒸気機関車があり、やはり立ち寄るべきポイントではあります。
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