かいもん4号のホームページ TRIAL20000 指宿枕崎線
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指宿枕崎線です。 線名通り指宿経由枕崎まで薩摩半島を半周する線形の関係で、全線直通する意義はやや薄く、列車の運転本数は指宿・山川を境に激減します。 初めの乗車は学生時代の1978年7月15日。 当時まだ営業運転していた鹿児島交通が主目的の訪問で、終点枕崎から西鹿児島へ向けての乗車でした。
尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2018年10月13日
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2018年6月再訪
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2005年6月再訪

2018年6月再訪

指宿のたまて箱。

 6月某日の日曜日。 鹿児島中央駅です。
 指宿・枕崎線の列車が発着する1番ホームから眺められたのは、指宿方面の観光列車、「指宿のたまて箱」です。 特急ではありますが、元々普通用のキハ47型改造ですから、あまり特急らしい感じでもありません。
 とは言え流石に観光列車。 先頭部は記念撮影の乗客で溢れていました。

枕崎行き普通列車。

 本日は、出張ついでの移動日休日に時間を捻出して枕崎まで出かけようという企画です。 ということで、枕崎行きの普通列車に乗り込みます。
 「たまて箱」も面白そうですが、やはり好みとしては「普通の普通列車」で終点目指したい、といったところです。
 同じキハ47ながら、こちらはオリジナルに近い形態です。

指宿のたまて箱。

 同じホーム反対側に居たのは、黄色いキハ200形。 JR九州のオリジナルの気動車で、黄色い奴は指宿枕崎線用です。
 福岡地区の赤いやつには乗車したことはありますが、ここ鹿児島ではまだ乗ったことがありません。
 快速「なのはな」に乗車すればまずこれが当たるのでしょうが、本日は時間の関係で、区間乗車も出来そうにありません。

「たまて箱」発車。

 向こう側のホームから、特急「指宿のたまて箱」が発車です。
 九州新幹線「みずほ601号」に程よく接続しており、本日は日曜日のせいか、指宿方面行きの乗客で賑わっています。
 乗車の選択肢になかった訳ではありませんが、本日は枕崎訪問。 途中で乗り換えるのも面倒なので、出発を見送ることにします。

谷山駅。

 さて、鹿児島市内を進み、鹿児島市電の終点でもある谷山。 しかし前回訪問した時とは大きく様変わりでした。
 鹿児島中央駅を発車以来平地を走って来たのですが、谷山駅手前、市電の終点谷山あたりから高架に駆け上がり、かなり進んだところがJR谷山駅。 もちろん駅も新しい高架駅になっていました。

桜島。

 高架橋のおかげで?市内越しに眺めることのできた、桜島。
 天気予報によると、本日は雨、しかも結構激しいのでは?と予想していましたが、今のところ傘は開かなくても大丈夫な感じのお天気です。
 スカッと山頂まで、というわけにはゆきませんが、市内からは桜島の山容もかなりはっきりと眺めることができました。

枕崎行き。

 鹿児島中央から枕崎行きの列車。
 枕崎に到着後はそのまま折返して来ますから、サボも両方向の差し替え無しのものです。
 片道2時間半の、単純な往復の旅程です。

交換。

 途中五位野でキハ200形と交換です。
 この指宿枕崎線。 区間により乗客数に大きな差があり、鹿児島中央寄りでは日中概ね25分〜30分ヘッド、ラッシュ時は20分ヘッドで運行されています。
 終点の枕崎まで行く列車は一日6往復だけですが、こうして途中での列車交換も意外と多い感じでした。

南国風景。

 五位野駅を過ぎると、錦江湾を望む海岸沿いに出てきます。
 すっきりした天気ではありませんが、南国のイメージが漂ってきます。

錦江湾と桜島。

 今にも雨が降りそうな天気なのですが、後ろを振り返るとまだまだ桜島の山容を眺めることができます。
 頭は雲か霧に隠れていますが、山頂付近の雲はやや動きが異なるようで、灰のようにも水蒸気のようにも思えます。

喜入備蓄基地。

 一方で進行方向側。 指宿の温泉地を前に、喜入の石油備蓄基地が見えてきました。
 大きなタンクがたくさん並ぶ、観光地鹿児島とか指宿とかからはイメージできないような風景が広がります。
 そう言えば、昔この基地を「爆破」するシーンがある映画がありました。 まだ若い水谷豊さんが好演でした。

喜入駅。

 喜入駅に到着。 まだここは鹿児島市内です。
 喜入は石油備蓄基地の町ですが、精製するプラント工場が並ぶわけではないので、それ以外は住宅地が並びます。
 駅前標には、「キャンプ場」の表示もありました。

「玉手箱」と交換。

 途中、生見駅で「指宿のたまて箱」と交換。 先ほど鹿児島中央駅を10分ほど前に先発した列車が、指宿まで行って折り返す途中です。
 キハ47とは言え、さすがに「特急」ではあります。
 鹿児島中央と指宿の間を日中休みなしに3往復する、結構忙しい運用の観光特急です。
 よく見ると、「ワンマン」表示がありました。 接客係員は乗務しているのですが、ここでは車掌業務は行わないのでしょうか。

指宿駅。

 指宿駅に到着です。
 鹿児島を代表する観光地、というか温泉宿泊地。 砂湯が売り物ですから、錦江湾沿いに観光ホテルが立ち並びます。
 しかしこの列車はあまり「観光」を意識していないダイヤなのか、短時間で発車してしまいました。

山川港。

 指宿の町を過ぎると再び海岸沿いに出て、山川港が見えてきました。
 薩摩半島をぐるりと廻るこの指宿枕崎線ですが、このように海を間近に走るのはこの辺りまでです。

山川駅。

 山川駅に到着しました。
 有人の設備と広めの待合室、そして交換設備がある、指宿に負けないような駅です。
 列車はここで13分ほど停車。 隣の指宿ではなく、この山川駅が長時間の停車駅です。
 この指宿枕崎線。 鹿児島中央側から見ると枕崎側に向けて区間により列車本数が少なくなりますが、この山川から先はわずか6往復+区間運転2往復と激減です。
 ここから路線の性格が変わるようです。

停車中。

 枕崎行きの列車、山川駅に停車中です。
 立派な駅ではありますが、山川港の入り江と山に挟まれた狭い敷地にある駅です。
 右手は道路が並走し、その先はすぐ港でした。

最南端その1。

 駅舎の入り口に、こんなモニュメントが建っています。 「日本最南端の(有人)駅」だそうです。
 よく見ると、一番上にひっそりと「JR」と掲げられています。
 現在は沖縄にモノレール「ゆいレール」がありますから、誤解を受けないための苦肉の?表現でしょうか。
 この先「最南端の駅」も出てきますが、こちらも同様です。

有人駅。

 さて、最南端の「有人駅」との振れ込みでしたが、駅員の姿は窓口にも改札口にも見当たりません。 よくよく見ると、「駅員が居るのは平日だけ」の旨の案内がありました。
 もし駅員が居たら? 本日は都合により、鹿児島中央から枕崎までの100キロ以下の短距離切符ですから、本来ならこの写真や上の写真のように改札を出ての「途中下車」は出来ません。
 後から考えると、ちょっぴりルール違反ではありました。

大山駅。

 山川を出ると(正確には山川に到着すると)、車内は閑散としてしまいました。
 車窓の風景も急にローカル然としてきた感じです。
 次の大山駅。 特に紹介するものもない駅でしたが、この次は「西大山」です。

開聞岳。

 大山駅を出ると、開聞岳が間近に見えてきます。 薩摩富士の別名がある単独峰です。
 私「かいもん4号」と生まれや育ちで何の縁もあるわけではありませんが、国鉄の急行列車「かいもん」の由来の山であり、ハンドルネーム「かいもん4号」の大元の由来でもあります。
 このあたり、鹿児島茶の産地で、静岡に次ぎ全国2番目のお茶の産地でもあります。 以前は県内各地の地名を冠したお茶を見かけましたが、現在では「鹿児島茶」としてPRしているようです。
 6月とあっては不要でしょうが、畑にはたくさんの防霜ファンも見られました。

最南端の駅。

 次の「西大山駅」に到着です。
 ホームで一番目立つ大きな看板はこれ。 日本の東西南北の「最果て」の駅の表示。 そして、ここ西大山は「最南端」です。
 しかしよく見ると、「最南端」の西大山と「最西端」の佐世保には、頭に「JR」の文字が。
 以前にも同じことを書いてはいますが、「南」には沖縄ゆいレールが開業していますし、「西」は国鉄から移管された第三セクター松浦鉄道の「たびら平戸口」が最西端です。 国鉄時代なら、「佐世保」を「平戸口」に置き換えれば、正真正銘の東西南北だったのですが。
 ちなみに、「稚内」と「東根室」には、「JR」の冠は表示されていませんでした。

西大山。

 更にホームには、駅名標と並んで単独の「(JR)最南端」表示が。
 駅名標とほぼ同じサイズに大きく駅名を書いた、車内からでもひと目でわかる表示です。

最南端の標識。

 ここ西大山駅で、「2分間停車する」旨の案内が。
 さほど大勢の乗降客が居るわけではないし、交換列車があるわけではないし、もとよりホーム1面と1線だけの駅です。
 記念撮影する観光客向けに、時刻に支障が出ない、或いは地元の乗客から苦情が出な程度にちょっとだけ、と言った感じの停車です。

開聞岳と。

 そして、開聞岳も間近に見えます。
 この「最南端」の表示。
 昔からあるモニュメントに上から新しい「板」を取り付けているように見えます。
 これを取ったら「JR」のない「最南端」表示が出てくるのでしょうか。

発車。

 さて、「最南端の駅」を確認させていただけるだけの僅かの停車時間です。
 写真を数枚撮ったら、すぐに車内に戻り、枕崎に向けて発車です。
 しかしながら「本当に2分間?」というような充実した、思ったより長い停車時間でした。
 もしかすると、休日でもありますし、数名の観光の乗客のため、少しサービスしていただけたのかもしれません。

最接近中。

 さて、「開聞岳」が車窓一番近くに来て真横に見えるのは、西大山を過ぎ、さらに次の薩摩川尻、東開聞の各駅を過ぎてから開聞までの間です。
 周囲に別の山が全くない海岸沿いの単独峰で、本来はきれいな姿なのですが、本日は山頂付近には雲がかかったままでした。

開聞駅。

 開聞駅です。
 何の御縁もありませんが、写真だけは撮っておかなければならない気がして撮影しました。

にしえい。

 西頴娃に到着です。
 観光っぽい駅名標はすべてひらがな表記ですが、漢字で書かれると、知らなければ読めない。 そんな駅名です。
 山川駅を出てから列車は閑散としていたのですが、ここで乗客が増えました。 駅前も町らしい感じで、雰囲気が一変します。
 ここから枕崎の間は、鹿児島側とは異なる乗客の流動があるようです。

水成川駅。

 「み」の文字が消えかかっていますが、駅名標は「ずなりがわ」ではなく「水成川」です。
 そして南九州市。
 平成の大合併とその前後に、新しい市の誕生や合併による市名の変更が多く行われましたが、ここも知覧・頴娃・川辺の3町が合併して誕生した新しい市です。
 が、「よそ者」にとって、「南九州市」という大きな括りの市名。 名前を聞いただけではどこにあるのかサッパリわかりません。 そもそも鹿児島県なのか、宮崎県なのか。
 「知覧」の方がはるかに知名度は高いと思うのですが、各町合併の経緯からそうもいかないのでしょう。
 が、馴染んだ町名や市名が呼ばれなくなるのは、ちょっと寂しい気もします。

えいおおかわ。

 頴娃大川です。
 新しい駅名標が目立った指宿枕崎線の各駅ですが、ここでは電柱に、ちょっと古めの駅名だけの表示も見られました。
 いつから使われているものでしょうか。

東シナ海。

 錦江湾が姿を消し山川、開聞を過ぎると、見えてくる海は東シナ海になります。
 が、錦江湾沿いほど近いわけではなく、遠からず近からずといった感じで、やや離れた海岸線と並走します。
 さすがに海の向こうに山や島の姿は全く見えません。

ホーム風景。

 終着駅・枕崎に到着です。
 ところが。
 前回やって来た枕崎駅とは全く印象が違います。
 鹿児島交通(南薩線)の駅と共用で、広い広い敷地に駅舎に駅前広場だったのですが、行き止まりの線路に狭い1本だけの片側のホームに姿を変えていました。 しかも平地ではなく、築堤の上っぽい場所です。
 どうやらホームや建物だけではなく、駅の場所自体が変わってしまったようです。

枕崎駅跡。

 さて、列車を降りた枕崎駅から、駅前の道路を更に進行方向に歩くこと100メートル足らず。
 数軒の住宅のその先に、大きな敷地のスーパーマーケットが出来ていました。
 以前はこのスーパー、枕崎駅前の別の場所(駅に進入するほんの少し手前)にあったはずです。
 この場所が、以前の枕崎駅の跡地でした。
 この写真だけ見ると、鉄道の跡形もありません。

元駅前バス停。

 しかし、スーパーの駐車場のすぐ横。 県道との間のスペースは、どう見ても駅前のロータリーそのものの姿です。
 おまけにバスの発着場も。
 ここが以前の枕崎駅の駅前跡地で、バスのすぐ向こう側が駅舎でした。

元駅前広場。

 県道まで出てみると、駅前ロータリー部分はほぼ完全に姿を残しています。
 JRと南薩線の鉄道敷地をフル活用して移設されたスーパーと駐車場ですが、この駅前ロータリーだけは残されたようです。

始発駅。

 元駅前のロータリー中央には観光案内所があり、今でも「最南端始発駅」(終着駅ではない!)の表示が。
 そしてその向こうには発着する路線バス。
 この景色だけ見ると、この向こう側に駅舎があり列車が発着しているとしても、全く違和感がありません。

もう1枚。

 上の写真と全く同じ場所から同じアングルでの撮影なのですが、ちょっぴり引いて広めに眺めてみると。
 やはり駅前広場ですね。
 かつては賑わった?食堂か商店の建物もそのままです。

路線バス。

 枕崎から加世田・伊作を通り、鹿児島空港までを結ぶエアポートバス。
 ここ枕崎まで来ると、鹿児島市方面へは指宿枕崎線ルートでは大回りとなり、知覧か加世田経由で薩摩半島を横断する方が圧倒的に近道となります。
 途中伊作までは、かつての鹿児島交通(南薩線)の鉄道ルートです。

現駅への案内。

 かつて枕崎駅舎があったあたり。 JR枕崎駅は右方向の矢印看板が掲げられていました。
 バスからの下車客の誘導の役割もありますが、私のように数年ぶりにやって来た観光客?がいきなりここに立つと、駅がなくなっているのに戸惑ってしまうかも。

駅舎跡から。

 かつての駅舎内あたりの場所から、駅前方面(駅舎の出口に向かって)を眺めます。
 どこの駅にもある、当たり前の風景だったのですが。
 そもそも、駅前正面のロータリーの一番いい場所から路線バスが発車するレイアウト自体が、どんどん姿を消しています。

現在の駅前広場。

 こちらが現在のJR枕崎駅の駅前広場。
 現在立っている狭い道路の後方およそ100メートルが、元の枕崎駅前。 そして左手少し高い位置に枕崎駅ホームがあり、奥手が西大山から指宿方面になります。
 乗用車用のロータリーとさほど広くない駐車場はありますが、路線バスが入ってくる作りには全くなっていません。

行き止まり。

 そして、1面だけのホームは行き止まり。
 すぐ先には建物が立っています。
 事前の情報確認を怠っていたとは言え、これほどまでに変わっているとは思いませんでした。

駅名標。

 さて、枕崎駅の駅名標。
 途中駅でよく眺めたものとは少し趣が異なります。
 今は、駅名でも列車名でも、漢字ではなくひらがな表記が優先なんでしょうか。

始発・終着駅。

 ホームにある、始発・終着駅の看板表示です。
 どちらが始発駅で終着駅という訳でもないでしょうが、確か稚内駅のホーム外れには、「最南端から伸びる線路はここが終点」の表示があったように思います。

駅名文字。

 狭いホーム横にある待合室(駅舎?)に、立派な木製の一枚板の「枕崎駅」の駅名標。
 左下に記載の通り、枕崎市出身の大相撲立行司、第36代木村庄之助によるものです。
 庄之助がかつて長らく番付書き手を務めたことによるものだそうです。

行商の像紹介。

 ホームの先の、「行商の像」。
 説明は短い文章の中に凝縮されていますので、こちらをご覧ください。

行商の像。

 で、現在の「行商の像」の立ち位置はこんな感じ。 と言うか、枕崎駅の風景はこんな感じです。
 駅前広場は若干のスペースがありますが、駅自体はこれだけになりました。
 それでも「立派」な方と言えないことはありませんが。

行き止まり。

 線路はここで途切れています。
 以前は緩い下り勾配で、この先(左手手前)の元枕崎駅まで降りてゆきました。
 ということで、駅前広場とホームとは若干の高低差があります。
 階段を降りる人は右手へ、車いすやカートはこのスロープへ、ということです。

始発・終着駅。

 枕崎駅・線路のほぼ行きどまりあたりから眺めると、こんな感じ。
 駅前広場の反対側はすぐに住宅が迫ります。 元々の終点ではなく、後からホームを付けた駅、と言う感じが見えます。
 ここでは「本土」最南端、という表現でした。
 枕崎駅。 「始発・終着駅」という表現にこだわりを感じます。 そう言えば、宮脇俊三氏の著書に「終着駅は始発駅」というタイトルのものがありました。

駅前広場から。

 現在の駅前広場と、その後方の枕崎駅です。
 改札口はありませんが、「駅」の威厳だけは残したいという感じの駅舎です。
 これだけの高低差があるわけです。
 枕崎市街を眺めるように築堤から旧駅へ降りてゆく、かつての指宿枕崎線でした。

南薩バス駐車場。

 さて、現在の駅前広場の反対側。
 現在は鹿児島交通のバス駐車場になっています。
 初めて訪れたちょうど40年前は、このあたりは小さな住宅と狭い広場があったように記憶しています。
 そしてその後スーパーが建てられましたが、それが現在は、枕崎駅の跡地に移転していました。

銭湯。

 で、この「銭湯」。
 40年前に入った記憶があります。
 当時まだ走っていた鹿児島交通(南薩線)の列車。 鹿児島本線の伊集院から乗車し加世田で乗り継いでの到着後。 指宿枕崎線の列車待ちの時間を利用して、同行の仲間と入った記憶が。
 1978年の7月は15日。 暑い暑い夏のことでした。
 と言うことは、本ページでハンドルネーム「かいもん4号」を名乗るきっかけから丸々40年!
 もしかすると一番楽しかった頃かもしれません。

現在のホーム。

 駅前ロータリーから見上げた、枕崎駅のホームと列車です。 このくらいの高低差です。
 築堤部分に後付けのホームですから、造りもこんな感じです。
 駅名標は、裏側(駅前広場側)にもホーム側と同様の表示がありました。 が、植え込みのお陰で残念ながらあまり目立ちません。

枕崎駅。

 さて、駅前の大きな駅名表示。
 ここだけは、「日本最南端」との表示で、「JR」とか「本土」とかの冠言葉はありませんでした。

色々なモニュメント。

 これが駅舎の正面、と言う感じの風景でしょうか。
 宗谷本線稚内駅との間は3099.5kmとのことですが、何しろ最近の各新幹線開業で、在来線が分断されたJR各社。
 この距離がどのルートの実距離を示すのか、それとも最新のものではないのか、少々気になります。

駅舎略史。

 エッチングプレートで表示された駅舎の歴史です。
 これによると、2006年5月に現在の駅に移動しているようです。 前回やって来たのは2005年ですから、その少し後に、旧駅がなくなってしまったとのこと。
 前回やって来ていてよかったとは思います

指宿側。

 さて、鹿児島中央方面の出発側です。
 もっとも鹿児島市内までは、非常に大回りルートではありますが。
 かつての広々とした駅とは異なり、かなり狭い感じの現在の枕崎駅ではありました。

列車から駅前風景。

 さて、折返し列車は枕崎駅を離れます。
 以前は確かに、こんな感じで畑地から枕崎の市街地へと変わるのを眺めながら、築堤を下って終点枕崎に到着した(または発車した)記憶があります。
 この枕崎駅。
 40年前以来、何度か列車でやって来た事があるのですが、南薩線か同線廃止後のバスを併用しましたので、指宿枕崎線を全線JRで往復するのは、初めてのことです。

海岸線。

 枕崎を出ると、往路にも眺めた東シナ海が姿を現します。
 列車で往復する場合、席の位置を変えて両側の風景を楽しむのも手ですが、海岸や開聞岳の眺めを楽しみたいため、今回は往路と同じく海側の席に陣取ります。
 それでも、進行方向が変わるだけで、目に入る風景は印象が異なり、時には方向感覚さえ変わりますから不思議なものです。

頴娃大川。

 枕崎市から南九州市に入り、頴娃大川駅です。
 この路線の駅名標。
 ワンポイントの観光案内と言うか、特産と言うか、そんなものが表示されており、見ていて楽しいです。

車内。

本日の乗車はキハ47の2両編成。
日曜日の昼間のことで、通勤客はともかく通学客もおらず、閑散としています。
 先ほど到着した枕崎行きは、西頴娃から地元のお客がそこそこ乗車してきたのですが、そういった姿もほとんど見られませんでした。

開聞岳。

 さて、再び開聞岳が見えてきました。
先ほどと同じ側の窓からの眺めですが、進行方向後ろを振り返ってじっくり眺めるなんてことはあまりしませんから、それなりに新鮮な眺めです。
 晴れるとも雨が降るともつかないようなお天気ですが、開聞岳の山頂はやはり雲の中でした。

お茶の特産地。

 石垣(いしかき)駅の駅名標。 ここは、「お茶の特産地」の表示です。
もうちょっと山手に行けば茶畑が広がるのですが、この指宿枕崎線の車窓から見えるのは、さほど多くはありません。
 代りに、オクラの畑が目立ち、今(6月上旬)が開花の真っ盛りです。
 この駅名標、地名表示はありませんでした。

西頴娃。

 西頴娃の駅名標。 こちらには「鹿児島県南九州市」の地名が。
 しかし明らかに後から書いた(貼った?)跡があります。
 この下には、合併市制前の旧地名表示があったのでしょうか。
 そのかわり、特産の表示が無い、西頴娃駅の駅名標でした。

列車交換・西頴娃。

 さて、列車本数が少なく交換の機会も僅少の、指宿枕崎線は大川〜枕崎間。
 ですが、今回帰路はこの西頴娃で、交換列車の待ち合わせがありました。
 やはり同じくキハ47の2両編成です。

交換列車。

 対向の列車も、JR九州色のキハ47です。
 随分少なくなったとはいえ、特にJR九州や西日本ではまだまだ多数活躍しています。
 両社とも、ローカル線に新しい車両を投入するのには慎重なのでしょうか。

えい。

 次の頴娃駅です。
 ここの駅名表には、再びお茶のイラストが表現されていました。
 「お茶の特産地」という表示はありませんが。

ひがしかいもん。

 東開聞駅です。
 往路は開聞岳ばかり眺めていましたが、駅名標観察と同時に、反対側の風景も眺めてみます。
 海岸側よりはむしろ山側の方が平地が開けている。
 そんな感じの東開聞駅付近でした。

西大山に到着。

 列車は再び、「JR」最南端の駅・西大山に到着です。
 ホームにはたくさんのお客と言うか、ギャラリーが、列車の到着を待ち構えています。
 が、荷物や恰好から見るに、これからこの列車に乗ろうとする乗客は少ないようです。

駅前広場。

 西大山駅に到着。
 往路と同じく、復路も「2分間停車」の車内放送が流れます。
 ローカル駅には不釣り合いなほど立派な観光案内版がある、西大山駅前です。

休憩中。

 折角の停車ですから、今一度ホームに降り立って、「最南端の駅」の撮影を。
 何人も写真を撮られていますが、やはり列車に乗車したお客は僅かでした。
 皆無、というわけではありませんでしたが。

観光地。

 駅前広場の駐車場はこんな感じです。
 列車は閑散としていますが、車は多数。 やはりここは「車でやって来る観光地」ということのようです。
 開聞岳に長崎鼻、ウナギで有名な池田湖も近いことですし。

山川駅。

 山川駅までやって来ました。 と言うか、戻って来ました。
 ここからは列車本数も増え、反対側のホームには黄色いキハ200が停車中です。
 行き先表示は「指宿」です。
 鹿児島中央からやって来た列車が、指宿まで一駅だけ折り返す運用のようです。

「玉手箱」と交換。

 薩摩今和泉駅で、指宿行きの「たまて箱」と交換です。
 日曜日の下りですから混雑はしていませんが、それでも乗客は乗っているようです。
 片道50分少々の運行区間で、日中のみながら1日3往復。 結構慌ただしい車両運用です。

交換列車。

 前之浜駅では、下りの普通列車と交換。 こちらは普通のキハ47の編成です。
 さすがに山川を過ぎると、列車交換の頻度が多くなってきました。
 単線非電化とは言え、結構な本数が設定されている指宿枕崎線の鹿児島中央側です。

桜島。

 心配されたお天気ですが、何とかギリギリで降るのを留まっている、と言う感じ。
 午後もそこそこの時刻になり、真昼間と比べるとやや薄暗くなってきました。
 が、桜島は頂上部を除いて、何とか眺めることができます。

新生谷山駅。

 再度、谷山駅です。 立派な高架駅です。
 駅も新しいですが、駅前も再開発も真っ最中。
 一度更地になった場所に造成が進んでいる真っ最中で、かつての谷山駅の様子は伺うことはできません。
2018年10月13日追加

南鹿児島・列車交換。

 南鹿児島に到着です。 ここでも黄色いキハ200と交換。
 さて、枕崎から乗車してきた列車。 この先終点の鹿児島中央まではまだ少しあるのですが、本日はここで下車することにします。
 久しぶりに、鹿児島市電の谷山側の専用軌道区間に乗車したくなりました。

南鹿児島駅。

 南鹿児島駅です。 こじんまりとした駅舎ですが、ここは有人駅でした。
 そして、結構下車客がいます。
 もっとも、その多くは枕崎からの列車ではなく、対向の鹿児島中央からの下り列車のお客でした。

路面電車。

 さて、鹿児島市電です。
 南鹿児島で下車したのは、この駅が鹿児島市電の乗り換えに非常に都合が良いからです。 もちろん、谷山方面へ向かう前提ではありますが。
 鹿児島市電の谷山側の区間。
 専用軌道となっており、結構な速度で快走します。

JRと市電。

 JRの南鹿児島駅と、鹿児島市電。
 すぐ横を並走しており、乗り換えもすこぶる便利です。
 たまたまではありますが、両方の列車が顔を合わせてくれました。

駅名標。

 高架橋から見下ろすと、南鹿児島駅の駅舎横に、古い駅名標が立てかけてありました。
 これはこれで趣があって良いんですけれどね。

市電谷山駅。

 折角ですから、市電で終点谷山までやって来ました。
 表に出てみると。
 「日本最南端の電停」とのことです。
 本日は「最南端」に縁がありますが、路面電車はこれが最南端ですから、こちらは掛け値なしです。
 こちらも以前やって来た時とは随分と雰囲気が変わってた、鹿児島市電の谷山でした。

谷山付近。

 市電の終点谷山駅の横。
 この手前から南に向けて、JRの線路が高架橋で上がってゆきます。 駅名は同じ「谷山」なのですが、場所が全く異なるJRと市電の谷山駅。
 かような訳で、先ほど南鹿児島で乗り換えて、谷山まで引き返してきたのでした。
 こちらも20年振りくらい、でしょうか。

2011年6月再訪

西大山駅。

 JR最南端の駅・西大山駅です。
 1978年以来列車で通ったことは数回あるのですが、なにせ短い停車時間のためホームに降りて写真を撮ったことはありませんでした。
 今回車で訪問する機会がありましたので、駅周辺を散策してようやくカメラに収めることができました。 そのかわり今回は残念ながら列車には乗車できませんでしたが。

西大山と開聞岳。

 お馴染みの風景、最南端の駅の標識は古くからホームに建っていて、後ろの開聞岳との組み合わせはポスターにもよく登場します。
 列車の窓から撮影可能ですが、その場合は残念ながら開聞岳を写し込むことはできません。
 できれば列車を含めたアングルを、といきたいところですが、残念ながら少し前に発車した後で、次の列車を待つ時間はありませんでした。

駅名標。

 西大山駅の駅名標です。
 観光地、というほどメジャーではありませんが、一応記念撮影に対応できるだけの案内標も並んで建てられています。
 ホームで記念撮影するにはあまりに引きが取れず、たいしたアングルにはならないでしょうが。

駅名標反対側(こちらが表?)。

 先程のホームの駅名標、反対側の面にも同じものが描かれています。
 しかしどう見てもホームから見るためのものではありません。 写真撮影用、というか観光用には実はこちらの面がメインかもしれません。
 カメラの引きもバッチリです。

観光案内。

 列車本数が希少な駅前広場に不釣合な立派できれいな観光案内。
 どのくらいのお客がやって来るのかわかりませんが、この駅自体が観光地であることに間違いはないようです。 しかも交通手段は列車ではなく車です。
 この写真を撮りながら駅付近をうろついている10分余りの間に、観光タクシーが2台入っては出て行きました。
 但しそれほど広い駅前ではなく、片面ホームと最南端の標識と駅名表があるだけで他には何もありませんから、観光バスが乗り入れてくるほど観光地化されている訳ではないようです。
2011年7月4日追加

最果ての標識。

 東西南北、それぞれ日本で一番端にある各駅を示した案内標識です。
しかしよく見ると、南と西は「JR」の注釈付きです。
 西端は「佐世保」になっています。 昔慣れ親しんだ西端の駅は松浦線の「平戸口」でした。 が、現在では第三セクター化により松浦鉄道の駅「たびら平戸口」になっていますから、これは含めないということでしょう。 「佐世保」では何だか有難味が少なくなったような気がして仕方ありません。
 それでは最南端は?
 考えてみると、遙か南方に沖縄モノレール「ゆいレール」が開業していました。 なるほど、「JR」に限定しないとこの西大山が「最南端」にならない、という事情のようです。

西大山駅風景。

 さて、少しアングルを変えて西大山駅の駅前風景です。
 パークアンドライドには全く使われていませんが、普通車用の駐車場も整理されています。 花も手入れがされてきれいです。 やはりミニ観光地化されているようです。
 場所的には、指宿温泉と長崎鼻と開聞岳と池田湖という互いに至近の観光地の間にありますから、車でちょいと訪問には至極便利な場所ではあります。
 それにしても「黄色い郵便ポスト」って何でしょうか。

2005年6月再訪

枕崎駅。

 枕崎駅です。 2005年6月です。
 指宿枕崎線に乗車したのはこれが三度目、だったかな? JRになってからはおそらく初めてです。
 早朝一番の鹿児島中央駅から全線通しての乗車、でしたが、列車は途中指宿で乗り換えての到着でした。
指宿から先は1両だけの気動車ですが、枕崎行きは通学の高校生たちで満員だったのが救いでした。

駅名標。

 たった1両の気動車が発車した後は、広い構内にいささか寂しい感じのする駅名標です。
 西大山駅のように俗化しているわけではありませんから、ホントに何もありません。
 まあ、それはそれでいい感じではあるのですが。

駅名標。

 かつてはこのホーム反対側(右側)から、オレンジ色の鹿児島交通(南薩)の気動車が接続して発着していました。
 今では日に何本か、JRの列車がやって来ては折り返すだけです。
 末端区間に限れば地方交通線の廃止基準を満たしていたのでは?と思われる路線ですが、山川以北の鹿児島側の区間のお陰で廃止を免れている、といった印象です。
 ロケーション的には、廃止になった島原鉄道の末端区間とよく似ています。

枕崎駅舎。

 JRのホームは寂しい限りですが、駅舎はご覧のとおり手入れがされています。
 そのはずで、もともとこの駅は国鉄時代から「鹿児島交通」の駅で、国鉄側が乗り入れている状態でした。
 この写真の2005年当時は鹿児島交通の営業所とバスターミナルでしたが、朝の通勤通学時には、構内の売店もちゃんと営業していました。

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