かいもん4号のホームページ TRIAL20000 岩内線・胆振線
→TOP PAGEへはここから←
北海道の国鉄ローカル線、胆振線です。
道南の伊達紋別と倶知安の間を、洞爺湖を大きく迂回するように巡る、長い路線です。 かつては札幌発札幌行きの循環急行「いぶり」も運転されていましたが、赤字ローカル線のひとつとして1986年秋に路線廃止されてしまいました。

<伊達紋別 〜 京極 〜 倶知安>
<INDEX>
1979年10月乗車  
2008年11月再訪(廃線跡)  
2016年10月再訪(廃線跡)  

1979年10月乗車

胆振線急行「いぶり」・倶知安駅。

 倶知安駅です。 列車は札幌12:15発、急行「いぶり」(左まわり)です。
 急行列車とは言いながら、車両は普通列車と同じキハ22。 当時は急行型車両改造のキハ53-500が誕生する以前のことで、道内支線では、本線の急行列車に併結されるキハ22の急行列車が多数見られました。
 札幌からやって来たキハ22ばかりの3両編成の急行列車。 まずは手前の小沢駅で、最後尾岩内行きの急行「らいでん」(この日はキハ22 89)を開放。 次にこの倶知安駅で、先頭のキハ22 37が上目名行き普通列車として出発して行き、残ったキハ22 111が、たった1両の急行「いぶり」として胆振線に入って行きます。

急行「いぶり」交換・京極駅。

 胆振線沿線では一番大きい町・京極駅で、上下の「いぶり」同士の交換です。
急行列車の交換とは言え、どちらも単行のキハ22ですから、コメントをつけなければ「ローカル線の普通列車の交換風景」になってしまします。
 さて、急行「いぶり」は「札幌発、札幌行き」という珍しい列車。 当時の時刻表にも「循環急行」の文字が見えます。 道内時刻表のあるページには「倶知安・北湯沢・室蘭方面には便利な"いぶり"循環急行で!」という広告がありますが、たった一往復の急行同士が胆振線内で交換するダイヤでは、どうしてもその日の往復利用は出来ず、あまり便利なダイヤとは言えなかったようです。
 京極を発車した列車は、実に人口密度の希薄な区間を走り、夕刻に室蘭本線の伊達紋別に到着。 ここから先は、洞爺始発の急行「ちとせ17号」に併結、さらに東室蘭からは、室蘭始発の編成も増結して、キハ56系8両編成の立派な急行列車編成にぶら下がった形で、夜の札幌を目指してゆきました。

倶知安駅スタンプ。

 昭和54年(1979年)秋の倶知安駅スタンプです。
 スタンプ、入場券は当時わりとまめに集めていたのですが、この日は珍しく列車の写真も撮っています。 秋休みが開始した前日北海道入りしたばかりだったので、色々動き回っていたのでしょうか。
 実際には前日夕刻北海道入り後、夜行「利尻」で早朝羽幌下車、朝の急行「はぼろ」で昼に札幌到着後すぐに急行「いぶり」と、結構強行軍ではあったのですが。

倶知安駅・京極駅入場券。

 倶知安駅と胆振線京極駅入場券です。
 写真を撮るのに熱がこもっていないのに対し、入場券はわりとこまめに購入していました。





2008年11月再訪

胆振線廃線跡・京極付近。

 旧国鉄胆振線の廃線跡・京極〜北岡間です。
 2008年は11月。 観光旅行のついでに京極町内を車で少しうろうろしたのですが、さすがに道路が拡張されたり新しく出来たりすると、どこが廃線跡なのかさっぱりわかりません。 「観光旅行」とは言え、密かに地図の準備と下調べくらいはしておけばよかったかと悔やまれるばかりです。
 倶知安方面に引き返す途中の農道で交差した気になる築堤、これがようやく「発見」した旧胆振線の廃線跡でした。

胆振線廃線跡・京極付近。

 きれいな山容の羊蹄山です。 前日は申し分ないお天気だったのですが、この日は残念ながら晴れ〜驟雨を繰り返す不安定なお天気でした。
 アスファルトの路面が、車で彷徨した京極外れの農道(さすがにこんな道では、観光の通りがかりに、と言い訳できそうにありません。 ハイ。胆振線廃線跡探訪が目的です)。 この地点で交差しているのが目指す廃線跡でした。 上の写真の角度違いです。

胆振線廃線跡・寒別駅跡。

 京極と倶知安の間、寒別駅跡です。 一度廃線跡を発見してしまうと、後は車でも辿って行くのは比較的楽です。 よそ見には注意が必要ではありますが。
 この寒別駅跡は、道路と反対側から眺めると、駅の跡が比較的よく残っており、一目で廃線跡と判ります。

次の写真と合わせ、この駅名を当初誤って「寒月」と表示しておりました。 先日、I.S.様よりご指摘を戴き、訂正させていただきました。 ありがとうございました。


胆振線廃線跡・寒別駅跡。

 国道側から見た胆振線・寒別駅跡です。
 行きは全く気がつきませんでしたが、その目で改めて見ると、確かに廃線の駅跡を転用した、と言わんばかりのレイアウトです。
 廃止後20年以上を経た今でも原形を容易に偲べるのは、土地に十二分に余裕のある北海道のローカル線の廃線跡ならではの風景、と言ったところでしょうか。
 それにしても廃線跡探訪の旅、後で考えてみれば、バス停を辿ってゆけば手っ取り早かったかも。

2016年10月再訪

京極駅跡付近(倶知安側)。

 胆振線跡です。
 8年前に付近をうろうろしながら場所がよくわからなかった、旧国鉄胆振線は京極駅跡付近に、再びやって来ました。
 風景の雰囲気からすると、この写真の少し先が、8年前にやって来た写真の場所のように思われます。
 写真は京極駅から倶知安に向けて出発するあたりの眺めです。

京極駅跡。

 上の写真の反対側です。
 こちら側は田んぼの中の風景とは一転して、JAの大きな設備に生まれ変わっていました。
 残念ながら?これでは駅の跡の遺構を探すことは出来そうにありません。
 ま、跡地を眺めたということで良しとしましょう。

京極から羊蹄山。

 上の2枚とほぼ同じポジション(少しだけ横移動)から撮影。
 蝦夷富士こと羊蹄山と廃線跡です。
 天気が良ければかなり長い距離に渡って近くに遠くに羊蹄山を眺める事が出来る、胆振線でした。

京極駅跡(伊達紋別側)。

 こちらは京極駅の反対側。 伊達紋別方面から眺めた、京極駅跡の入口付近です。
 何しろ大きなJAの設備ですから、こちら側も駅跡は全く確認する事はできませんでした。
 今回の「課題」はこれだけです。 イヤ、観光旅行の途中でたまたま通りかかった胆振線跡でした。

→TOP PAGEへはここから←

編成表

TOP
CONTENTS
DIARY
GALLERY DOMESTIC
GALLERY INTERNATIONAL
COLLECTION
TRAVEL
TRIAL 20000
MODELS
NEW YEARS MAIL
LINK
PROFILE
MAIL to KAIMON4
HURC
    


バナーにご利用ください