かいもん4号のホームページ TRAVEL 北海道2009夏
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2009年8月、お盆休みに北海道に家族で観光旅行に出掛けました。
往復は岡山空港から飛行機、 新千歳空港到着後は、道内すべてレンタカーの行程で、公共交通機関での移動は一切無し。 もちろん鉄道利用もなし。
観光スケジュール優先ですが、それだけではあまりに寂しいので、ほんのちょっぴりだけ「鉄」色を撒いてみました。
例によって時系列のダラダラ駄文はご容赦ください。

尚、追加は下の方になります。最新の追加は 2009年11月22日

岡山空港。

 北海道旅行です。 家族連れです。(人数は最少催行人数の2人だけですが。)
 定期便での存続が危ぶまれている全日空の岡山〜札幌新千歳便を往復利用。 無料駐車場があるため岡山空港までは自家用車利用。 更に、新千歳空港からそのままレンタカー。ということで、鉄道利用が入り込む余地はありません。
 もっとも2年前に利用した道内夜行列車も、道内便はその後全て廃止されてしまい、山ほどあったローカル線はすでに廃止されて20年。 ということで、かつての列車での北海道旅行の楽しみはすでに味わうことはできません。
 それにしても、展望デッキに金網の防護柵が出来て、見通しも写真撮影の勝手も悪くなったぞ、岡山空港。 成田や羽田と違い、入場料金まで取るくせに。


機内食。

 お盆の真っ最中の岡山〜札幌千歳便。 最繁忙期で1日1往復だけとあって、出発日には「旅割」などの割引運賃の設定はありません。
 どうせピークの高い普通運賃を払うなら、ということで、往路はプレミアムシートを利用することにします。 決して安くはありませんが、この日の利用に限っては相対的に割安感がありリーズナブルです。
 岡山発の便は昼前出発のため、機内昼食サービスもあります。 ということで、昼食のメニューです。
 もちろんアルコールもフリーなのですが、残念ながら新千歳空港到着後は車の運転が控えている。 ということで、卓上にビールもワインも並んでいないのが心残りと言えば心残り。
 道内投宿後の夕食に楽しみはとっておき、お茶と味噌汁のお代わりで辛抱することにします。


下北半島。

 離陸から1時間半弱で、青森上空に到達。 右側の窓の下には陸奥湾と下北半島、大湊の市街地が広がります。
 さすがに飛行機のスピードには脱帽。これだけ距離があると、列車やクルマでは到底かないません。 今年のゴールデンウィークに大間崎まで車で、本当に「はるばる」と言う感じで到着したのが嘘のようです。
 ちなみに飛行ルートは、岡山から東に進み、姫路付近でやや北向きに進路を変更。 琵琶湖〜北アルプス〜新潟付近の海岸〜佐渡島(の東半分)、庄内平野〜十和田湖〜陸奥湾〜津軽海峡と進みます。
 もっとも右側の窓下に広がった風景ですから、実際の機体の位置はもう少し西寄りだったはずですが。


荷札。

 津軽海峡にさしかかる頃から雲が広がり、次に地上が見えたのは、最終の着陸態勢に入った後でした。
 平地に伸びる石勝線の真っ直ぐな線路を直角に越えたあたりで、左方向に大きく180度近く旋回し、北側からほぼ真南に向かって19Lの滑走路に着陸です。
 ほぼ南北、01-19の方向に伸びる新千歳空港の滑走路ですが、搭乗したときはいつも南向きでの着陸・離陸です。 海からの風が強いのでしょうか。
 プレミアムシート利用のお陰で、預けた荷物も赤いタグで区別されて真っ先に出てきます。 そのままレンタカーカウンターへ。
 最短時間で諸々の手続きを終えて、限られた時間、早速観光の開始です。

2009年9月1日追加


夕張駅。

 夕張です。 新千歳空港到着後、真っ先にやって来ました。
夕張線の終点ではありますが、JR夕張駅を横目で眺めながら通り過ぎ、市街地を抜けたところにある、夕張石炭の歴史村にやって来ました。
 実は昨年11月にも訪問したのですが、10月後半からオフシーズンに入るところが多い北海道。 ここ石炭の歴史村も例外ではなく、訪問時はすでに冬季休業に入った後でした。
 ここはぜひ見学したいと課題に残したままでしたので、今回改めての訪問です。
 尚、今回はJR駅は素通りで立ち寄りませんでした。 写真は昨年秋に訪れたときのものです。
 今回の更新ではまともな鉄道の写真がこれだけしか出てこないため、関連して TRIAL20000 「夕張線・石勝線」 を追加しました。


石炭博物館。

 石炭の歴史村に幾つかある施設のうちの一つ、石炭博物館です。
 もともと第三セクターでスタート。 この石炭博物館以外にも、SL館やロボット館、遊園地遊具など沢山の施設、中には夕張とあまり関係なさそうなものまでありました。
 しかし夕張市の破綻とともに一旦閉園。 その後、一部の施設だけが民間企業夕張リゾートに引き継がれて再度オープンしました。
 そんな関係で、華やかな観光施設とは程遠い、うらぶれた雰囲気の敷地の外れにある石炭博物館です。
 事前情報によると、入場のためには3000円以上の共通パスポートが必要で、入場客の少ない一因と書かれていました。
 しかし訪問してみると、石炭博物館単独の入場券も発売していました。
 ここだけで大人1200円。決して安くはありませんが、入場料分の見ごたえは十分にありました。


石炭博物館内部。

 石炭博物館の本館内部です。
 今回の夕張訪問は、この施設の見学観光がメインです。
 実物の石炭やもとになった化石、採炭の道具や写真資料類が多数展示されており、見飽きることはありません。
 正面玄関を入ったところすぐにある、サリバン形コンプレッサです。 鉱山でなければ見ることの出来ない特殊な機械は、動力源の電動機部分も初めて見るような特殊な構造をしています。


石炭博物館展示品。

 たくさんの機械や道具が展示されていますが、炭鉱となれば、なかには「2本のレールの上を走る」やつも。 どうしても目が向いてしまいがちですが、ここでの展示品の主役ではありません。
 さすがにここでは他に興味深いものが目白押しのため、あまりこればかり眺めているわけには行きません。


石炭博物館展示品。

 たくさんの写真の展示。
 当時の危険で過酷な炭鉱作業の様子、しかしながら大勢の人で賑わっている町の様子など、興味深い写真資料が多数です。
 その中で一番印象深かったのは、1981年10月の北炭夕張のガス突出・坑内火災事故の写真資料類でした。
 100名近くが亡くなられた大事故、かつ日本で最後の炭鉱大災害。
 すでに石炭全盛時代ではありませんでしたが、当時ニュースやその後の対応の経緯に衝撃を受けた印象は今でも強く残っています。


地下坑道。

 夕張石炭館でのもう一つの目玉。
 坑内エレベーターで地下数百m?に降りての坑内見学疑似体験です。
 もちろん実際に何百mも降りるわけでなく、地上2階から地下1階まで降下するだけ。 その間に窓外を蛍光灯の帯が何度も上に移動して、深いところまで降下している雰囲気を演出します。但し振動と加速度がほとんどないため、雰囲気は効果半分といったところです。
 それより見所は地下坑道内の展示物の数々でした。


タービンポンプ。

 地下坑道は本物の坑道ではありませんが、当時の坑内の様子がよく再現されています。
 坑内の雰囲気と数々の採炭の機械や設備器具、道具類。見所一杯の坑内でした。
 展示品の多段タービンポンプは頑丈な日立製。さほど特殊な造りではありません。 が、毎分1450回転、4極電動機の速度ながら230mの揚程は相当のものです。
 炭鉱用のためか、隙間のない堅牢なつくりの電動機です。


ウォーシントンポンプ。

 圧縮空気で駆動する、ウォーシントンポンプです。
 タービンポンプはともかく、このタイプの機械は鉱山などでしかお目にかかることができません。
 かいもん4号は(自称?)機械屋さんのため、そういう視点からも独特の興味深い機械類が一杯の構内展示品でした。


構内切羽。

 地下の切羽にある機械やコンベア類。 単なる展示ではなく、実際に動くため、採掘や運搬の様子がよくわかります。 (但し動くのは機械だけで、人形は動きません。)
 地下の薄暗い坑内で、大きな音を立てて機械が動く様子は、たとえ展示品ではあっても迫力ものです。
 ぱらぱらとやって来るまばらな見学客。 その度に係りの人がスイッチを入れてくれるのですが、ほんの少人数でずっと眺めているのは、何だか申し訳ない感じです。


地下坑道。

 地下見学コースの後半は、ライト付きのヘルメットをかぶっての暗い坑道です。 しかも平らな観光通路ではなく、坑内を再現したアップダウンのある地下坑内。
 もちろん足場はちゃんとしていますが。
 最後に長い階段を上がって地上に出てみると、入口だった石炭館が随分遠く、かつ高い位置に見え、こんなに歩いたのかと思うほどでした。


坑道出口。

 石炭博物館の出口は入口と同じ建物ではなく、ご覧のような坑道出口になっています。
 長い階段を上がって地上に出てみると、入口だった石炭館が随分遠く、かつ高い位置に見え、こんなに歩いたのかと思うほどでした。


線路跡。

 歴史村にはSL館もあります(ありました?)が、残念なことにこちらは現在休館中です。
 夕張鉄道の車両など、ここにも興味深い展示品は多いようなのですが。
 もっとも、石炭博物館が非常に面白く、予想以上に時間を使ってしまいましたので、本日の残り時間もありません。
 さて、2年ほど前まではここからSL館方面まで数百メートル、谷奥に向かってミニSLの線路が伸びていましたが、すでにレールは剥がされた後でした。
 写真は以前の乗車ホームの跡ですが、今は・・・・・石炭の燃焼体験?何でしょうこれは。
 今は石炭が燃えているのを見る機会もないんですね。

2009年9月7日追加


廃線跡?。

 石炭博物館のすぐ横、ミニSLなどの軌道の跡です。
 その前は、この敷地は何だったのでしょうか。
 「など」、と書いたのは、ミニSLの軌道跡は、真下の直線部分ではなく右手の柵の右側の草むららしいからです。  下の直線部分はどう見ても廃線跡の敷地なのですが、よくわかりません。
 昔の写真によると、谷の奥の鉱山から旧夕張駅までは、石炭を運んでいたコンベアがやはりこのスペース中央付近を通っていました。 それ以外に、この写真の少し奥まで線路があったような「形跡」の写真もあるのですが、やや不鮮明な航空写真でそこまではわからない。  30年前に訪問したときは、鉄道線路は旧夕張駅までで、夕張線のレールは旧夕張駅のすぐ奥で途絶え、ここまではなかったはずでした。
 どなたか、旧夕張駅より奥のこのあたりがどうなっていたのか、ご存知の方はご教授ください。


とあるバス。

 石炭の歴史村の駐車場片隅に停めてあった、とあるバスです。
 床面が低くステップのない独特のスタイルは、こんな山奥でなく都会の公道以外のとある場所で見たり乗ったりした記憶があります。
 しかしながら、本来はアスファルト塗装されたアップダウンのない滑走路を走るための低床構造で、坂の町夕張を走るのには適していません。
 たとえ石炭の歴史村構内だけだったとしても。
 一応、ナンバープレートはついているんですね。


旧夕張駅跡。

 このあたりが、夕張市街地の一番奥にあった、旧夕張駅の跡地一番奥です。
 右側にちらっと見える建物が現在の管理棟。 左の盛り土は線路跡に見えますが、このあたりは石炭搬出のホッパーがあったあたりです。
 構内跡は現在は広い駐車場になっており、駅舎やホーム跡は近年まで残っていましたが、2年くらい前に道路拡張に伴い解体されてしまいました。
 それにしても残念だったのは、これほど興味深い施設なのに、うらぶれた場所にあり、見学客が非常に少なかったこと。
 お盆の真っ最中ということもあるのでしょうが、それでも隣(この写真の一番向こう側奥)にある「生キャラメルの工房」が結構賑わっていたのとは対照的でした。
 昭和のブームでもありますし、うまく宣伝誘導すれば、もっとお客も増えると思うのですが。


一見万字炭山駅跡。

 さて、夕張石炭博物館で予想以上に時間を使い、17時になってしまいました。
 本日の宿は、明日の行程を考慮して滝川市内に予約しています。
 夕張から滝川へは峠を越えて三笠ICへ出るのが最短最速のルート。 ということで当然このルートを採用なのですが、丁度峠を越えた地点が「万字炭山」。 何とも気になる名前は、旧国鉄万字線の終点の地です。
 国道沿いに駅名標のレプリカが立っていたので一枚。
 但し、ここは実際には万字炭山の「駅の跡」でも何でもありません。  何でこんな判りにくいことをするのでしょう。


一見万字炭山駅跡。

 国道のすぐ横にある、万字交通センター。
 建物の雰囲気とロータリーの感じがいかにも駅前広場と言う感じですが、肝心のその後ろの敷地が狭すぎます。。
 かつての万字炭山駅は谷の底近くでしたが、線路が何本もある広くて長い敷地でした。


美流渡駅跡。

 万字炭山駅から岩見沢寄りに少しばかり下ったところにある美流渡駅。 こちらは本物の駅跡です。
 やはりこちらも国道沿いにあるため、せっかくですからちょいと寄道です。
 万字炭山駅と同じデザインの駅名標モニュメントが建てられています。
 どうせなら、国道にはっきりわかる標識でもだせばいいと思うのですが。


美流渡駅跡。

 美流渡駅の駅前広場です。
 ここも「美流渡交通センター」として生まれ変わり、派出所のような新しい建物が建てられていました。
しかし敷地のレイアウトは非常に判りやすい、どう見ても駅の跡でした。
美流渡には、国道から外れて家並みを抜けたところに、小さな民家のようなこじんまりした鉄道資料館があります。 こちらはさすがに、前を通り過ぎただけで我慢しました。


朝日駅跡。

 美流渡駅の隣、朝日駅です。
別に、観光旅行を放っておいて廃線廃駅巡りに走っているわけではありません。 実はここは素通りするつもり、というより端から頭になかったのですが、車の運転席からふと見ると、国道沿いに駅舎らしい建物と蒸気機関車が展示されているのが目に入ってしまいました。
 機関車まであるのでは、というわけで一度通り過ぎた道を100メートルほど引き返してから見学です。
観光旅行とは言え、こんなものが道路沿いにあるとなると、立ち寄らないわけには行きません。



朝日駅跡。

 古い駅舎の跡もホームも残っている朝日駅。 さらにホームには、B型の可愛らしいタンク式の蒸機が1両展示されています。
 本当は時間があれば、この後三笠鉄道記念館にちょいと立ち寄りたかったのですが、重なる寄道で今度こそ本当に時間がなくなったため、このまま三笠ICから滝川に直行です。


2009年9月13日追加


富良野ラベンダー園。

 富良野です。 観光です。
 観光旅行ですから当たり前です。
 富良野線沿線に沢山あるラベンダー園。 本日はまず、滝川から富良野に入り、JR富良野線沿いに旭川に向かうルート。
 手始めに、一番最初にある中富良野の彩花の里ラベンダー園を訪問しました。
 お盆の時期のため、すでにラベンダーの花はほとんど枯れており、ごく一部に紫色の花が残っているだけ。 それでも夏場はまだまだ観光シーズンのため、ラベンダー以外のサルビアや他の花が手入れされ綺麗です。 そして、枯れたラベンダーからも、非常に強い香りが漂ってきます。
 ということで、旭川方面に向かいながら、中富良野町営ラベンダー園、ファーム富田、フラワーランドかみふらのと、いくつかのラベンダー園(の入口)をはしごしました。
 ごくわずかですが、霧雨気味なのが少々残念。


朱鞠内駅跡。

 富良野線沿線の風景を楽しんだ後は、旭川を通り抜け少し北へ。
 今夜の宿泊は、オホーツク沿いの町、紋別。 旭川からだとまっすぐ東へ向かい、上川か少し外れて層雲峡を経由するのが一般的なルートですが、2年前に観光訪問したことがあるため、少し違うルートを回り道することにします。
 旭川から道央道を北へ、そのまま現在の終点、士別剣淵ICまで行き、西に進路を変えて、極寒の地の観光スポット、朱鞠内湖を目指します。
 ところで、朱鞠内と言えば深名線。
 うまい具合に走行ルートの途中、朱鞠内湖の手前の国道沿いに駅の跡がありますから、休憩がてらちょいと車を停めることにします。


朱鞠内駅跡。

 本日のルートである国道は途中、旧朱鞠内駅の前を通っています。
 別に深名線の廃線跡をねらってやって来たわけではありません。あくまで観光旅行の途中経路です。
 さて、朱鞠内駅跡はこんな感じ。
 駅前広場の入口は何となくそれらしい雰囲気ですが、線路跡は立派な道路になり、後方にはバスの営業所が出来ていました。
 そして駅跡のモニュメントがあります。 綺麗なモニュメントですが、積極的に観光に利用されているほどの設備でもなく、少し惜しい気もします。
 左手隣を走る国道よりも立派な道路は、いずれ付替えで正規の国道になるのでしょうか。
 それにしても、湿原の中にあったようなかつての駅周辺とは様変わりの風景でした。


朱鞠内湖。

 朱鞠内湖です。 雨竜第一ダムが水をせき止めてできた、日本最大の人造湖です。
 それほど高い山がそびえている訳ではないのに、丘の上といった感じのところにこれだけ広い人造湖が造れたのはちょっとビックリです。
 湖を見渡せる展望搭、と言えば聞こえはいいのですが、消防署にある火の見櫓のような、鋼材を組んだ手摺があるだけのタワーは、高さ10数メートルにも関わらずスリル満点の造りでした。
 というより、少しばかり安全に問題があるのでは?
 お客が階段を上下する度に少し揺れるのはまだ良いのですが、床と手摺下の間隔が広く、体の小さな子供だと誤って隙間から転落するかも。 ヒヤヒヤものです。
 観光バスが大挙乗り入れるような観光地ではなく、お盆とあってキャンプ客もまばらです。
 それでも自家用車が1台、2台と入ってきてはまた出て行くところを見ると、道内で認知された観光地ではあるようです。


朱鞠内湖。

 かつての深名線は、朱鞠内から先、朱鞠内湖の西側をぐるりと巡ってから東に進路を変え、名寄を目指していました。
 一方国道は反対側、湖の東側を巡り、北進して美深へと向かいます。
 朱鞠内湖の観光案内地図には、今でも深名線の線路跡が描かれたままでした。


美深駅。

 さて、オホーツクから随分遠くに来てしまいました。
 そろそろ東に向かって進む必要があります。 ということで、そのまま道なりに美深を経由してオホーツクを目指すことにしました。
 JR美深駅は、最近では2年前に列車で通過したことはありますが、駅前広場に出るのは30年ぶりです。
 駅のホームや古い跨線橋は昔のままですが、駅舎は観光案内所を兼ねた(というよりこちらがメイン?)小奇麗な建物になっていました。


美深駅前。

 美深駅前の駅前倉庫です。
 鉄道が一般貨物から撤退した今ではほとんど見られなくなってしまいましたが、ここでは赤レンガの立派な建物が残っています。


美深駅前。

 同じく美深駅前の赤レンガ倉庫です。
 一棟だけでなく数棟が並んでおり、しかも一部現役のようです。
大型のトラックヤードがあるわけでなく、駅前の倉庫にどれだけの実用上の需要があるのかわかりませんが、残して欲しい風景ではあります。

2009年9月20日追加


高広の滝。

 美深からやっと進路を東に変えて、オホーツクを目指すことにします。
 沿線の途中にさほどメジャーな観光地はありませんが、松山湿原あたりに寄道しようかと思います。
 その手前、道路沿いに休憩所があり、川の対岸に「高広の滝」が見渡せます。 仁宇布町内に数ある滝の一つです。
 それより、なにやら手前にレールが見える気がします。


高広の滝(付近)。

 観光のために停車した高広の滝前の休憩所の反対側、こんな感じでレールが敷かれていました。
 路盤とレールは立派な鉄道だとして、何だ?この恐ろしく急なカーブは?
 美深から仁宇布へ向かう国道沿い、先ほどからなにやら気になる「トロッコ王国」なる、少し地味目の看板が続いています。 国道は、かつての日本一の赤字線・旧国鉄美幸線とほぼ並行して走っているのでした。
 そしてここが、旧国鉄美幸線の廃線跡を活用した、トロッコ王国の軌道折り返し点です。
 まわりに何もない敷地に、ポイントと急カーブのループが設けられていました。


仁宇布駅跡。

 美幸線の終点だった仁宇布駅。
 本当に何もない美幸線沿線をやって来ると、仁宇布はりっぱな町に見えます。
 かつての構内そのまま、とはゆきませんが、ホームが残っているだけでなく、NPO法人の運営するトロッコ村として、広い構内は観光客で結構賑わっていました。
 何だか「廃線めぐりの旅」的になってきましたが、あくまでここは観光地で、今回は観光旅行なのです。


松山湿原。

 美幸線の終点、仁宇布駅から比較的近いところにある(と言っても歩ける距離ではありませんが)松山湿原です。
 昔、美幸線の列車で仁宇布にやって来たとき、駅舎内にポスターが沢山貼られており、この湿原の名前は知っていましたが、列車の旅では訪れる術はありませんでした。
 さて、道案内の看板に従って国道を外れてから、細い一本道を登ってゆきます。
 迷いようはありませんが、他に車が1台も通るわけでなく、おまけに「湿原」と言いながらどんどん山の上に上がってゆくはかりで、実に心細くなります。
 ようやく着いた狭い駐車場の案内によると、そこから更に徒歩で山に登ること900メートル、ということ。
 朝降っていた雨は上がっていますが、ここから先、上の方は深い霧に覆われています。
 山上の小さな湖の湿原は魅力的ですが、天候と同行者の足元を鑑み、この先の訪問は残念ながら断念することにしました。
 画面汚しはご容赦ください。 これしか写真がなかったものですから。

2009年9月27日追加


雄武駅跡。

 元の国道に引き返し、後はひたすらオホーツクを目指します。
 そして海岸に出た町は「雄武」。
 これまた廃止された旧国鉄ローカル線・興浜南線の終点の町です。
 観光、というほどではありませんが、折角ですから町の真ん中にある「道の駅」を訪れてみると、正面の広場と言い、建物敷地のレイアウトと言い、いかにもという造り。
 ここが旧雄武駅の跡地でした。
 別に車でうろうろして捜し求めたわけではありません。ただ、道路地図を眺めてそんな気がしていただけです。


雄武駅跡。

 折角ですから、バスターミナルを兼ねた道の駅の展望台に登ってみます。
 高さは20m位ですが、同じ展望台でも昼に訪れた朱鞠内湖とは大違い。 こちらはエレベーターで上がり、ガラス張りの綺麗な展望室です。 展望台からは町越しにオホーツクが一望でき、素晴らしい眺めでした。
 これだけでも立派な「観光」です。 決して「観光の名を借りた廃線駅訪問」ではありません。


興部(おこっぺ)駅跡。

 雄武での素晴らしいオホーツクの眺めを堪能した後は、進路南寄りに変えて真直ぐ宿泊地の紋別に向かいます。
 真っ直ぐではあるのですが、ひとつ問題。 何しろ興浜南線と名寄本線の廃線跡とほぼ並行して、延々走るわけです。どうしても道路横の「線路の跡らしき地形」の方が気になってしかたありません。
 実際、所々でそれらしい盛り土の跡も見られますが、その度に一々停車して眺めていては、いつまで経っても目的地に到着できません。
 途中は目を瞑り、それでも休憩を兼ねて、興部の街中にある「道の駅」へ。
 事前調査はしていませんが、その位置関係、どう見ても、名寄本線と興浜南線の分岐駅に思えて仕方ありません。 それに、先ほどの雄武もそうでしたが、観光地でもない市街地の真ん中に「道の駅」というのも怪しい。
 車の旅で「道の駅」に寄るのはごく当たり前ですからちょいと立ち寄ってみると、やはり興部駅の跡地でした。
 それにしても、こんなに広かったのか、と思うほどの敷地跡でした。


興部駅跡。

 ローカル線とは言え(名寄本線の方は名前だけは「本線」を名乗っていましたが)、さすがは分岐駅。 旧駅舎の後ろは、実に広いバックヤードです。
 片隅にはディーゼルカーを2両連ねたハイカーのための簡易宿泊所。
 その後ろの広場では、ちょうど盆踊りの準備が進められていました。
 お天気だけが気なるようです。

2009年10月4日追加


北見滝ノ上駅跡。

 紋別に宿泊後、翌日は一番に、旧国鉄渚滑線の終点、北見滝ノ上を訪問します。
 この日の予定はまず紋別のオホーツクタワーで海中と海上見学観光なのですが、朝一番ではあまりに時間が早すぎるものですから・・・・・。
 渚滑線跡訪問は今回の旅行で唯一、純粋な観光ではなく「鉄道廃線跡」を訪問すると言う目的を明確に持っての訪問地です。 観光旅行とは言え、一つくらいは「鉄」色を入れたかったものですから・・・・・。
 他の所も変わらないじゃないか? 結果的にはそうかもしれませんが。
 というわけで、ここだけは出発前に航空写真で大体の路線跡を確認しておきました。
 ところが概ね確認はしたのですが、肝心の滝ノ上町内の地形がごちゃごちゃしており、写真と道路地図が一致しません。 まあ、ここまでわかればいいか、といった感じでの出発でした。
 しかしいざ到着すると、確かこのあたりだった、と思う町役場付近にそれらしき跡がない。町役場の敷地がそうかとも思いましたが、いくらなんでも狭すぎる。
 ということで少しグルグルして、思っていたより少し離れた場所に、広い敷地の北見滝ノ上駅跡を無事発見できました。


北見滝ノ上駅跡。

 渚滑線の終点、北見滝ノ上駅舎内部です。
 ここも記念館になっていて、内部には当時の品々が多数展示されています。
 駅舎の造りもほとんど変わっておらず、掲示された時刻表など、当時のままです。
 駅前広場は随分広いのですが、ホーム側は山が近く、随分狭い感じです。 どうやら駅舎は移設されたようです。
 記憶に残っている滝ノ上駅。 ホームは確か1面だけでしたが、木材の積み出しのための貨物線もあり、線路部分もそこそこ広かったと記憶しています。


上渚滑駅跡。

 北見滝ノ上から紋別への帰路、立ち寄った上渚滑駅跡です。
 ここは先ほど滝ノ上に向かう往路の途中で目星をつけていました。
 国道から駅はかなり離れているのですが、市街地の中で、十字路の交差点ではなく、そのくせ大きなT字の通りがあり、しかも一番奥が行き止まりになっている。
 車の窓から通りすがらチラッと眺めただけでしたが、戻り道にこの通りを入ってみると、やはり突き当りが上渚滑駅の跡でした。
 それにしても、渚滑線。
 航空写真で線路位置を調べていたにも関わらず、車の窓からはなかなか「遺構」が発見できません。どうやら線路跡の敷地がそのまま残っているわけでなく、盛り土を取っ払って畑や牧草地に戻してしまった場所が少なからずあるようです。
 どなたか、廃線跡と駅の跡を地図と検索ポイントに入れたカーナビを作っていただけないでしょうか。ある程度の需要はあると思うのですが。


オホーツクタワー。

 再び本来の観光に戻ります。
 北見滝ノ上でうろうろしたお陰で意外と時間がかかってしまいましたが、当初の目的の紋別観光です。
 オホーツクタワーは、オホーツクに向けて沖に突き出した防波堤の突端にある、海中と海上の展望タワーです。
 長さ500m余りの防波堤は、最上部を歩いてもよし、無料の乗合送迎車(電気自動車)に乗車してもよし。風は強いですが、途中の眺めも抜群です。
 残念ながらこの日は風が強く、海水が白く濁っており、目玉の海中展望は数メートルだけの視界。
 見られたのは時折窓に寄ってくる小魚やクラゲ、窓の隅にへばりついて住みついている貝やイソギンチャク、ヒトデにナマコの類程度でした。


電気自動車。

 どこかで「今回は道内の公共交通機関の利用なし」と書きました。
 レンタカー以外に唯一乗車したのは、この電気自動車。 沖合い500メートル余りのオホーツクタワー入口まで堤防を往復、無料で運んでくれます。
 どちらかというと「場内輸送」であり、公共交通機関とは言えないかもしれません。
 10名ほど乗車すると満員になる程度の、個人客向けの車ですが、団体グループ向けにはもう一回り大きな車もあります。
 さすが電気自動車。 音は静かですが、意外と力強い加速です。


ガリンコ号。

 流氷展望船として有名な「ガリンコ号」です。
 こちらのT世は既に引退して陸に上がって展示されており、現在の主役はひとまわり大きく新しい「ガリンコU」です。
 本番は冬ですが、夏場でも海上からの展望や観光釣り船として活用されています。
 とは言え、やはりここは流氷が押し寄せる2月頃に訪れてみたいところです。
 レンタカーでの疾走や、廃線跡巡り、というわけには行かないでしょうが。

2009年10月11日追加


湧別〜上湧別。

 本日は紋別から川湯温泉まで、オホーツク沿いのルートを南下します。 (最初に北見滝ノ上まで往復というほんのオマケもありましたが。)
 紋別出発後暫く進むと、次のちょっとした町は湧別。 折角ですから、少しだけ進路をそれて港側に寄り道します。
 中湧別〜湧別間を、国道とすぐ傍を並行する、二車線の真直ぐで立派な道路。
 こんなわずかの間隔で何で?と思ってしまいますが、こちらが旧名寄本線の枝線、中湧別〜湧別の廃線跡です。
 終点の湧別駅は、1本の線路と1面のホームだけがある、何もない駅でしたが、駅の跡地付近は、元の敷地からは想像できない立派な公共施設が建っていました。
 そこを起点に海を背にして、廃線跡を中湧別方面に向けてひたすら一直線に車を走らせること4キロ少々。
 正面にはこんなものが見えてきます。
 いかにも、という感じです。
 車の運転席というより、気分はちょっと低めの列車の運転台?


中湧別駅跡。

 どこから見ても駅の跨線橋、どこから見ても廃線跡で駅の跡です。
 中湧別はかつての名寄本線と湧別枝線、湧網線が交わり、4方向へ線路が伸びていた分岐駅。
 広い敷地を活用して、ここもまたまた「道の駅」になっていました。
 それにしても、このあたりの「道の駅」。
 旧国鉄の廃線跡を活用したものが多く、実に判りやすいです。


中湧別駅跡。

 道の駅「かみゆうべつ温泉チューリップの湯」です。
 中湧別駅の敷地を利用した道の駅。 そういう目で見ると、建物の雰囲気は扇形機関庫に似ていないとも言えません。
 広い場内駐車場は、かなり沢山の車で賑わっています。
もっとも、隣にあるホーム跡や車両の方まで行く人はまばらではありますが。


サロマ湖。

 サロマ湖です。
 オホーツクに沿って細長い堆砂で区切られた広い湖は、現在は1箇所が開かれて海と繋がっています。
 砂嘴の上から眺めるのもいいですが、やはり展望台からの俯瞰が格別です。
 車がやっと通れる未舗装の道を登ってゆくと、およそ5キロで、高さ400メートル近くの展望台に到着します。
 売店もなく観光バスがやって来るような賑やかなところでもなく、山道の階段を少し登らなければなりませんが、展望はご覧の通りです。
 かつてはこの湖のすぐ傍を、国鉄湧網線が走っていました。


サロマ湖。

 左右に広がる広く長い湖は、ワンショットだけではカメラのアングルに収まりません。 広角レンズでも2分割必要!です。
 それにしても、こういう感じの風景写真では、オートフォーカスのピントがなかなか安定してくれません。 それならマニュアル撮影と行きたいのですが、そこがキャノン30Dの泣き所。
 擦りガラスのようなクリヤでないファインダーでは、なかなかピント合わせがうまくゆかず困ってしまいます。

2009年10月18日追加


能取湖。

 能取湖です。
 オホーツク近く。サロマ湖と違い円形に近い湖は、やはり湖岸に湿原が広がり、夏は穏やかな姿です。
 大した展望台はありませんが、ちょいと湖岸に車を停めて観光です。
 やはり湖岸に沿って湧網線がぐるりと巡っていましたが、ここは線路が湖面すれすれと言っていいほど近く、湖側の車窓はそのまま湖面か湿原に吸い込まれそうな感じでした。
 サロマ湖岸常呂からオホーツク海岸〜能取湖〜網走湖岸の湧網線跡は、道内では珍しく自転車道に生まれ変わっています。
 海と湖を巡る風光明媚で平坦な区間ですから、自転車道としても大いに価値はありそうです。
 お陰で、車の窓から廃線跡を横目で辿るのは判りやすく、実に楽です。


卯原内駅跡。

 能取湖からそのまま網走湖岸を浜小清水へ、と思っていたのですが、能取の町を過ぎてしばらく。 またまた車の窓から気になるものが目に止まってしまいました。
 湖近くに大きな機関車が鎮座しています。
 ということで、湧網線は卯原内駅の跡。
 ここも国道のすぐ横です。


卯原内駅跡。

 駅のホーム横には機関車が鎮座しているためそれていますが、それ以外は線路跡を忠実に辿る、自転車道のアスファルトです。
 廃線跡⇒自転車道という単純な図式ですが、国鉄の廃止ローカル線などは大概山奥や田舎ですから、あまり使い勝手がよいところにはありません。
 北海道では珍しい自転車道転換。 湖と海岸を辿り、眺めは抜群です。


浜小清水原生花園。

 浜小清水の原生花園観光です。
 駐車場に車を停め、踏切を渡って駅の時刻表を見ると、3分後に網走行きの列車が。
 というわけで、今回の旅行で唯一の「お客を乗せて走っている列車の写真」です。
 一日に9往復しかない列車で、実に絶妙のタイミングですが、これは全くの偶然で、図ったわけでも計ったわけでもありません。


浜小清水原生花園。

 夕刻で観光客もかなり少なくなった原生花園です。
もうちょっと早い時刻の到着予定のはずが、やはり本日も「あちこち寄り道」が多く、少し押し気味になってしまいました。
しかしこの後は比較的近くの川湯温泉の宿に直行のため、丁度良いくらいかもしれません。
 昼から天候は回復してきたのですが、斜里や羅臼の高い山の山頂は雲に隠れていました。
 道内各地の原生花園、8月も中旬になるとめぼしい花は少なくなるのですが、流石は浜小清水、まだまだ結構な種類と数が咲き乱れていました。

2009年10月25日追加


根室標津の蒸機。

 本日は、川湯温泉から野付半島トドワラ経由で、東の果て納沙布岬を目指します。
 歯舞・色丹を拝んだ後は、一転西に進路を変えて、帯広近くの十勝川温泉まで進む、長距離移動の超強行軍です。
 地図とナビに従い、丘陵台地からオホーツクに出たところは根室標津。 ここからオホーツク沿いに南へ下るのですが、その前にほんのちょっとだけ寄道。
 折角根室標津を通ったのですから、少しだけ「遺構」を拝むことにします。
 確かこのあたりだった、と路地に入ってみたとたんに「発見」したのは、広い公共施設の前の広場に鎮座した蒸気機関車でした。


根室標津の蒸機。

 広場の片隅に鎮座した蒸気機関車。
 やたら広いスペースだし、どうやらこの場所が標津線の根室標津駅? と思い、敷地内を一周してみたのですが。
 ちょうど30年前に駅正面から港まで歩いた道の雰囲気がどうも違う。
 それに中標津方面、北側から進入していたはずの線路のスペースがない。
 確かにSLが居て駅跡風ですが、本当にここは根室標津駅の跡なのか?という疑問が拭えません。


根室標津駅跡。

 ということで、車を停めたまま徒歩でほんの少し、路地ひとつ分北側に移動したところで、今度こそ本物の駅跡を見つけました。
 駅前広場の感じ、港へ伸びる通り。昔の印象そのままでした。
 それにしても、道内どこの駅跡でもそうですが、ローカル線とは言え、敷地の広さは相当のものです。


根室標津駅跡。

 根室標津駅跡を、南側行き止まり側から中標津側に向かって眺めたところです。
 駅舎やホーム跡はありませんが、広い構内の端にはターンテーブルも残り、構内のイメージを留めています。
 いつまでものんびりしていたい根室標津駅跡の風景とお天気でしたが、あまりぐずぐずしている暇はありません。

2009年11月1日追加


野付崎トドワラ。

 ちょいと寄道の後は野付半島・トドワラ方面へ。 オホーツクに張り出した、低地の砂嘴と原生花園です。
 砂嘴の一番細い部分は、浜を含めてもほんの30メートル程で、両側が海の低い堤防の上を走っているような感じです。
 さすがに自家用車や観光バスが次々やって来る、メジャーな観光地でした。


国後島。

 野付崎より国後島を望みます。
 このあたりから眺めるのが一番距離が近いようです。
 すこし距離は離れていますが、大きな島です。


納沙布岬。

 北海道の東の果て、納沙布岬です。
 根室駅からは20キロばかりあり、バスか車が必要です。
 実は1987年、一度観光訪問の計画を立てたことがありました。
 大晦日の札幌から夜行列車で釧路へ到着後、早朝のローカル列車で根室へ。 駅前に出ると、何と!本日は納沙布行きのバスは全便運休。
 まあ、1月1日のことですからよくよく考えれば不思議ではありませんが。
 今と違い、そのあたりの情報が簡単に調べられない時代ではありました。


納沙布岬。

 納沙布岬、灯台付近から歯舞・色丹方面を望みます。
 国後と違い高い山はありませんが、距離はほんのすぐ近くです。
 道外から来た者にとっては、こんなに近くに外国(実効支配)の地が、と思ってしまいます。
 なにやら船が行き来し、「ここから先立ち入り禁止」区域で何人もが大きなカメラを据え付けていましたが、終戦記念日と何か関係があったのでしょうか。


標津線廃線跡。

 納沙布観光後は長躯、今夜の宿・十勝川温泉に向かいます。
 時間に余裕はないのですが、国道の途中で車を止めるだけですから、標津線の廃線跡を拝みます。
 跨線橋と表示はあります。 橋はありますから間違いではないのですが、下を通っていた標津線が廃線になったのはもう20年以上前です。
 草は茂っていますが、さすがにこれは分かりやすい廃線跡でした。


厚床駅。

 折角の通り道ですから、ついでに厚床駅だけには寄道です。
 どうせ国道をほんのちょっと入っただけですから。
 厚床は根室本線の現役の駅ですが、かつてここから分岐した標津線は廃止されてしまい、駅構内にもそんな表示が沢山。 まるで廃止された駅のような雰囲気でした。
 ほんのチョッピリの寄道でしたが、本当に時間がないため、この先は廃線跡などには寄道なしで十勝を目指します。
 本当は、白糠線の廃線跡の位置を地図で調べてはいたのですが。


霧多布。

 本日の最後の観光地、浜中から霧多布に向かいます。
 霧多布、名前がいいですね。
 30年程前の学生時代に北海道を旅行していた頃。 ユースホステル利用派は浜中ユースに宿泊し、厚岸湾から霧多布方面の観光に向かうのがひとつの定番のルートのようでした。
 私かいもん4号は夜行列車利用派で、あまり交通の便が良いとは言えない観光地でしたので、これまで話に聞くだけでしたが、今回は折角の車での行程ですのでぜひ訪問したいと思っていました。
 問題は本日の相当無茶な移動スケジュール。
 できれば十勝川温泉到着前に、霧多布と釧路の先の白糠線を訪問したいと思っていましたが、案の定両方は無理な時刻になってしまいました。
 ということで、本来の旅行の趣旨に従い、今回は観光優先。 このあとはひたすら宿を目指します。

2009年11月8日追加


愛国駅跡。

 本日は十勝川温泉(帯広近く)出発後、襟裳岬方面を観光し、太平洋に沿って登別まで向かうスケジュールです。
 途中、海岸の町広尾までは、国道はほぼ広尾線跡と平行しています。
 ということで、かつてブームにもなった愛国駅です。
 廃駅めぐりではなく、観光旅行の一環としてのミニ観光地訪問とご理解ください。


愛国駅跡。

 駅前広場はこんな感じです。
 国道から入ったすぐのところにある駅は、駅舎もホーム1面も残っており、当時の雰囲気そのままです。
 駅前の商店を覗いた様子では、観光客もそこそこやって来ている雰囲気でした。


大正駅跡。

 愛国駅と幸福駅の間にあった、大正駅です。
 ここも国道から駅前通をほんの少し入った突き当りが駅で、わかりやすい立地です。
 駅舎は残っていませんが、駅前広場に建てられた案内には、駅舎の写真が出ていました。
 やたら広い駅前広場に思えますが、駅舎がなくなったために余計そう思うのでしょう。


幸福駅跡。

 幸福駅です。 ここは完全に観光地化しています。
 周辺の駐車場も整備されて大型の観光バスが乗り入れ、みやげ物の売店も並んでいます。
 肝心の駅舎はというと・・・・・ちゃんと残ってはいるのですが、こんな姿になっています。
 まあ、仕方のないことかも。


幸福駅跡。

 さすがに広尾線沿線では一番手入れされた駅。
 ホームには2両のディーゼルカーとモーターカーが1両展示されており、キハ22の車内は開放されて見学できます。
 地理的に襟裳岬方面の観光とセットになるため、お盆の時期とは言え観光客も多数でした。

2009年11月15日追加


忠類駅跡。

 幸福駅を後にして、広尾・襟裳岬方面に向かいます。
 広尾まではノンストップの予定でしたが、途中信号待ちした交差点のすぐ右奥が、いかにも駅という雰囲気。 急遽ハンドルを切って右折したすぐ目の先が、忠類駅の跡でした。
 広い駅ではありませんが、小さな駅舎が残され記念館になっており、後ろの線路上には貨車が展示されていました。


広尾駅。

 広尾線の終点、広尾駅です。
 駅跡と書きたいところですが、現在もそのままバスセンターとして利用されており、駅舎の一部が事務所として使用されています。
 バスが到着する度に、事務員の方が出迎え、発車の際は一礼して見送ります。
 昔のバスセンターでは良く見られた風景ですが、今ではそうそうお目にかかれません。


広尾駅。

 駅の内部は、かつて出札窓口があった一角がバス会社の事務所に、それ以外が資料館として展示品等があります。
 単なる資料館だけでなく、現役として使用されているため、駅舎内待合室にはストーブを囲んでベンチも整備されており全く古い感じがしません。
 比較的新しい駅舎だったためかもしれません。


襟裳岬。

 襟裳岬です。
 今回の旅行の中では、富良野や原生花園、納沙布岬と並び、メジャーな観光ルートです。
 (今回はやや地味な観光地めぐりが多かったものですから。)
 広尾線の終点・広尾駅も日高本線の終点・様似駅も、30年前にやって来たときはそのまま列車で折り返しでした。
 何しろどちらからでも結構遠く、車でも時間がかかるのです。
 朝から霞みがちな天気でしたが、さいわい少し見通しが利くようになってきました。


襟裳岬。

 襟裳岬灯台です。
 この灯台と展望台、駐車場からは大した距離ではありません。
 これだけならあっという間に終わってしまい、早々に次の観光地へ、ということに相成ります。
 しかし周囲の遊歩道を上下して歩いたり、観光みやげ物店を冷やかしたりしていると、結構時間を使います。
 何しろ時間を掛けてやってきたところですから、少しゆっくりすることにします。

2009年11月22日追加


振内駅跡。

 襟裳岬を境に、荒れていた波はおだやかになり、天候も霧から晴れに変わってきました。
 さすがに地形の影響は大きいです。
さて、この後は太平洋を眺めながら登別まで行くだけ。
真っ直ぐ向かっても決して早すぎることはないのですが、多少時間に余裕があるため、ちょっとだけ寄道することにします。
 日高本線の鵡川駅から分岐していたローカル線、富内線。
 じっくり付き合う時間はありませんが、地図を見ると途中に「振内鉄道記念館」なる案内があります。 ここまでなら一時間くらいで往復の寄道で何とかなりそう。
 ということで、富川から日勝峠方面に進路を変えて訪れた、旧振内駅跡です。


振内駅跡。

 駅舎のあった付近には鉄道博物館の小さな建物が建てられていましたが、残念ながら施錠されており、「見学希望者は役所まで連絡」の旨の張り紙。
そこまでのことでもないため、駅構内と2両の客車の見学だけにします。
 広い構内、ホームに停めてある2両の客車はハイカー(ライダー)のための簡易宿泊所。 しかし誰もいません。
 カーペットの奥の方には、わずかにクロスシートも見えます。 車で訪問して、昔を思い出してあえてクロスシート席で体を折り曲げ一夜を明かす、というのもありでしょうか。
 もちろん「観光旅行」以外の時ですが。


地球岬。

 さて、いよいよ最終日。
 さすがに本日は午前中の簡単な観光のみで、列車も廃線跡の駅も出てきません。
下手な寄道でグズグズしていると、帰りの飛行機に乗り遅れてしまいます。
 まずは朝の室蘭・地球岬へ。
 前夜宿泊の宿からは1時間もかかりません。 早朝のことで観光客もまだまばら。 小さなみやげ物店も開店準備を始めたところです。
本日もやや曇った天気、ということで見通しは今ひとつです。 晴れていれば噴火湾から下北半島まで見渡せるとのことですが。


昭和新山。

 昨年に引き続き、昭和新山です。
 最後の観光です。
 少し手前で、かつての胆振線の跡と交差した気もしましたが、本日はあえて気にしないことにします。
 隣の有珠山の山頂は霧のなかにある生憎のお天気ですが、昨秋に登ったため今回は昭和新山の周囲を散策だけに留めます。
 後は高速道路を一路千歳へ、という算段になっています。


岡山到着。

 天気予報どおり、札幌新千歳離陸時は雲の多かったお天気も、津軽海峡を越えてからは一転快晴、窓外の眺めの良いフライトでした。
 帰路は格安の旅割運賃の席を確保。少々狭いのもジュースだけのサービスなのもそこは我慢です。
 窓外の風景を見る限り、往路とほぼ同じ、強いて言うならやや南東寄り(岡山に向かい左寄り)を飛んでいる気がします。
 新潟付近まで日本海上を、その後は左下に長野盆地。 篠ノ井付近の新幹線や高速道路、千曲川の地形がよくわかります。 さらにこのあたりで、遠方に富士山が小さくきれいに望めます。
 ここから山脈を越え、左手に琵琶湖の北岸から西岸、更に姫路から瀬戸内海と見渡しながら、いつもどおり東北から25向きの滑走路に着陸です。
 曇りがちだった北海道は、日中でも気温20℃止まり。 一方快晴の真夏の岡山は気温35℃。
 気温差15℃以上が何ともこたえる岡山の暑さでした。

   

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