かいもん4号のホームページ TRAVEL 野岩鉄道&会津鉄道
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野岩鉄道初乗車と、会津鉄道(旧国鉄会津線)です。 1986年新線開業の野岩鉄道と、会津鉄道にやって来た元名鉄の特急気動車キハ8500。 どちらもぜひ一度乗りたいとずっと思っていました。
東京に出かけたついでに、急ぎ足ですが日帰りで往復してきました。


東武浅草駅。

東京の下町・東武浅草駅です。 本コーナーのタイトルは「野岩鉄道&会津鉄道」なのですが、まずは前振りで東京からのスタートです。
 本日はこれから、写真の会津田島行き快速電車に乗り込み、途中乗り換えで会津は喜多方を目指します。 片道5時間余り、往復で11時間の列車に乗ってばかりの旅です。
 東武鉄道各線はすでに乗車したことがあるのですが、鬼怒川線の終点・新藤原と(旧)国鉄会津線の終点・会津滝の原(現在の会津鉄道会津高原尾瀬口)間を結んで開業した野岩鉄道は初乗車です。
 今回の目的は、この野岩鉄道乗車と、会津鉄道の快速気動車「AIZUマウントエクスプレス」キハ8500型、そして東武鉄道の特急「スペーシア」乗車です。いずれも以前からの懸案でした。


東武浅草駅。

 3連休の初日の朝ですから、結構な観光客。人気の日光・鬼怒川方面の東武特急は当然ながら全部満席です。
 しかしこれは予想通り。予定していた会津田島行きの快速列車に乗り込むことにします。
 車両は野岩鉄道と東武鉄道の6050系混成編成。 デッキはありませんが、昔の国鉄「急行列車」を思わせるクロスシートの室内と嫌味の無い外観は、好きな車両のひとつです。 但しこれには以前すでに乗車したことがあります。
 東京都心のターミナル、浅草からクロスシートの列車で出発するのはなかなか楽しいものです。  朝7時前に入線時はさほど長くなかった乗客の列ですが、7時10分の発車時には立ち客多数でした。


下今市駅、切り離し。

 浅草を6両編成で発車した列車ですが、後ろ2両は途中、新藤原で切り離しです。
 この点は浅草乗車前にちゃんと確認していた(会津鉄道まで6両のままで行くわけがないと思ったため)のですが、実は前2両も、途中東武線内下今市駅で切り離し、東武日光行きとなります。
 結局新藤原から先、野岩鉄道、さらに会津鉄道へと入ってゆくのは中間の2両のみです。
 ところがどうも事前学習を怠ることが多い最近の傾向。 今回はバチが当たり、乗り込んだ2両目の車両は運悪く(?)東武日光行きでした。
 車内満席であせってもしょうがないため、ここはどっしりと腰を落ち着けて、下今市到着後切り離し時に後方の車両に移動することにします。
 下今市では、先頭の東武日光行き2両が切り離され、一足先に出発して行きます。
 ところであとで時刻表を見返しても、一番上の浅草駅の写真を見ても、ちゃんと「東武日光行き」弊結の表示がされています。 一体どこを見ていたんでしょうか。


きっぷ。

 昔の感覚だと、東京からはるばる会津の喜多方まで列車で行くのに国鉄JRをほとんど使わないというのは驚きです。
 問題は利用する切符。 今回は私鉄JR4社にまたがるため、そのまま運賃を払うと会社別の運賃を合算されてけっこう高くなります。 なにしろ日帰りとはいえ相当の長距離ですから。
 あまり事前学習していなかった中で、それでも確認していたのは、割引切符の有無でした。
 バスや車に対抗するためか、潜在需要掘り起こしのためか、今では鉄道各社とも往復タイプやフリータイプの切符を揃えているところが多く、中には全線片道程度の運賃で終日フリーなんていうのもあり、使わない手はありません。
 今回利用したのは、浅草から喜多方までの「会津往復『列車たび』きっぷ」。 往復タイプの割引切符で、通常運賃より2000円近く割安になります。
 途中下車駅が限定される制約があり、特に会津若松が含まれていないのは??ですが、別添の「ご案内」によると東武・野岩鉄道の日光鬼怒川付近には何度でも乗車可能のフリー区間が設定されています。 会津往復用というより、「お泊まりは鬼怒川・川治温泉へ」という色が強い感じの切符でした。
 残念ながら特急料金は含まれていませんから、特急券は別購入です。


鬼怒川温泉駅到着。

 さて、浅草からの電車は会津田島まで行きますが、今回は途中鬼怒川温泉で下車しします。
 ここから先は、会津鉄道の快速気動車、「AIZUマウントエクスプレス」で、会津は喜多方を目指します。
 AIZUマウントエクスプレスの車両は、もと名鉄の特急「北アルプス」用キハ8500系。 かねてから乗りたい列車と車両のひとつではあったのですが、まだ車両が比較的新しいうちに、肝心の「北アルプス」の方が廃止されてしまい、名鉄時代は乗車する機会がありませんでした。
 車両のほうは会津鉄道に移籍し、快速「AIZUマウントエクスプレス」として活躍していますので、この機会に乗車することにしました。
 鬼怒川温泉駅での乗り換え時間は約30分。 先の浅草から会津田島行き快速の車内では、「会津若松方面へは終点会津田島で乗り換え」の案内は何度もありましたが、なぜか鬼怒川温泉駅での「AIZUマウントエクスプレス」接続については触れずじまいでした。 どっちにしても会津田島から先は同じ列車に乗り継ぐことになるので、それなら鬼怒川温泉での乗り換え案内のほうが親切なのでは。 今日は浅草から会津若松方面へのお客も結構いると見たのですが。


特急スペーシア接続。

 快速車内での乗り換え案内がなかったおかげで(?)乗り換え客が少なく、楽々座席を確保できたAIZUマウントエクスプレスでしたが、発車直前に到着した特急スペーシアからの乗り継ぎ客は喧騒を極め、わずか2両編成の列車は結局超満員で鬼怒川温泉を発車です。
 この列車は、東武鉄道鬼怒川線(鬼怒川温泉〜新藤原)、野岩鉄道全線(新藤原〜会津高原尾瀬口)、会津鉄道全線(会津高原尾瀬口〜西若松)、JR東日本只見線(西若松〜会津若松)、そしてJR東日本磐越西線(会津若松〜喜多方)の4社5線を直通して走る、結構な長距離列車です。
 今回のように、東武快速やスペーシアと1回の乗り継ぎで、東京と会津を結ぶことができますが、果たして観光以外の乗客がどれほどいるでしょうか。


冬景色。

 今回はただ単に東京から喜多方まで往復しようという趣旨で、それ以上は何もありません。
 といっても連休の観光列車で、山深いところを走りますから、車窓から紅葉を楽しもうと思っていたのですが・・・。
 3日ほど前からの寒波で、紅葉どころか沿線は見事な雪景色でした。まだ11月なのですが、一気に冬です。もっとも車内は暖房が結構効いていて、窓際の肘掛と壁の間から上がってくる暖気が時には暑いくらいだったのですが。


会津高原尾瀬口。

 列車は会津高原尾瀬口に到着です。
 初乗車の野岩鉄道区間はこれでおしまい。 ここから先の会津鉄道区間には、国鉄会津線時代に乗車したことがあります。
 といってもすでに30年近く前。 おまけに真夏の事でしたから、風景は新鮮に違いありません。
 満員の乗客は、途中この会津高原尾瀬口あたりで相当数が下車し、多少空席ができました。
 ところがしばらく先の会津田島に到着した途端、またまた多数の乗車客で車内は満員となりました。
 やはり先行した浅草からの快速電車からの乗り換え客が多かったようで、座席を確保できなかった乗り換え客にしてみれば、鬼怒川温泉で乗り換え案内が無かったのは、不親切と思われても仕方ありません。
それとも限られた座席数ですから、鬼怒川温泉での接続特急「スペーシア」からの乗り継ぎ客着席を優先させるという意図があったのでしょうか。
 さて、満員の乗客も会津若松で多数が下車。 しかしそれでもまだ座席定員の半分くらいいる乗客は、そのまま終点喜多方まで乗車していました。


喜多方駅、折り返し発車待ち。

 久々の喜多方駅です。
 東北方面旅行の際、この駅始発の上野行き夜行座席急行「ばんだい」に乗車した記憶がありますが、おそらく28年ぶりくらいと思います。
 もっとも本日は懐かしむ間もなく、喜多方ラーメンを食する間もなく、このまま折り返し列車に乗車することにします。
「AIZUマウントエクスプレス」の車両キハ8500は、運転席直後に席があり、前方を展望することができます。 鉄道ファン向けの競争率の高い席で、それなりに楽しいのですが、実はそれほど好きな席ではありません。 理由は、最前列の席は大抵の場合、側面の車窓、特に斜め前方の眺めが非常に良くないためです。
 どちらかというと「側面車窓風景派」ですから、通常は客室の中央からやや後ろよりに陣取るのを原則としています。
 しかし本日は予想外の雪景色。 同じ路線を同じ車両で往復するなら、片道は雪の中のレールを眺めるのもまた悪くないでしょう。
 というわけで、復路は最前列窓側の席に構えることにしました。


会津田島駅。

 往路は11月の銀世界が予想外だったため驚きましたが、復路によくよく観察すると、すでにかなり解けているようです。
 本日は山越え付近は曇りだったとは言え、平野部や盆地は結構暖かいいいお天気。 おそらく一昨日あたり訪問していれば、もう少し雰囲気は違ったことと思います。
 会津田島には会津鉄道の車両基地があり、ここから先は電化区間です。
 国鉄会津線の頃を思い出すに、会津若松に近いここまでが非電化で、ローカル線の末端だったこれから先が電化区間というのは非常に違和感があり、不思議な感じがします。
 実際線路はこれから山深い区間に入ってゆくのですが。


会津高原尾瀬口。

 会津高原尾瀬口駅です。
 かつての国鉄会津線はここが終点。  当時は「会津滝の原」駅でした。 当時は貨物列車が走っており、材木の積み出しの印象が強い路線でした。 駅構内には、国鉄時代の終点を思い起こさせる、小型のターンテーブルが今でも残されていました。
 これから先は1986年に開業した比較的新しい、野岩鉄道です。 本来は国鉄日光線と接続するべく計画着工された路線でしたが、国鉄の新線建設凍結で中断した末、結局東武鉄道と結ばれることになり、会社設立の上で工事再開、開業に至りました。
 発車早々前方には見るからに急な登り勾配が控えていますが、走るのが電車と高出力エンジンの気動車ですから問題はありません。
 それにしても、この先が東京までつながっているとは。 やはり変な感じです。


冬景色。

 会津と下野の境、山深いところを走る野岩鉄道です。
 しかしローカル線とは言え、比較的新しい路線ですから、他の同じような路線同様、まっすぐなレールと山を貫くトンネルや鉄橋の連続で、か細いローカル線と言った感じでもありません。
 さらにこの路線は電化されていますから尚更です。
 このあたりはさすがに紅葉も終わりを迎え、冬一色の眺めでした。
 もっとも、本当に真冬になったら、こんな雪ではとてもとてもすまないのでしょうが。


最後はスペーシア。

 鬼怒川温泉まで戻ってきました。  ここまでの帰りはもっと遅い時刻の「AIZU尾瀬エクスプレス」利用という手もあったのですが、「スペーシア」に少しでも明るいうちに乗りたいため、「AIZUマウントエクスプレス」でトンボ返りのスケジュールになりました。
 いくら行楽シーズンとは言え、3連休初日の午後の東京行きは逆コースですから空いています。 「スペーシア」の特急券は、午前中この駅で「AIZUマウントエクスプレス」の発車待ちの間に確保しておきましたが、15時過ぎの乗車前に窓口を覗いて見ると、まだ空席はありましたから、本日の列車は満席にはならないようです。
 実際鬼怒川温泉発車時はガラガラ。それでも下今市で日光からの特急連絡列車の乗客を受けると、かなりの乗車率になりました。 東京から日光日帰りの観光客も随分多いと見えます。
 初乗車の車内は、前後のピッチが随分広く、ゆったりしたシートが居心地いいですが、それほど派手さも飾り気もない、観光路線の看板特急にしては少々地味かな、といった印象でした。


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