>>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ <INDEX> 2020年11月 2017年8月 ↓ ↓ ↓ 最新の追加 ↓ ↓ ↓ 2022年1月30日 2020年11月 に 一部追加 ↑ ↑ ↑ 最新の追加 ↑ ↑ ↑ 2020年11月 ![]() 再訪の碓氷峠鉄道文化むら。 以前と一部(大幅に?)重複もありますが、改めて展示車両の見学写真です。 最初に目に入ったのは、この軌道確認車でした。 ![]() 細かいことは案内文をご覧いただくとして。 新幹線用軌道車とこの鉄道文化むら、ちょっとミスマッチな感じではあります。 しかしこの文化むらが出来たのは、新幹線開業のお陰?ではあります。 ![]() 碓氷峠と言えば、ラックレール。 もちろん随分昔の話ですから、現役当時を見たことなどありません。 特急「あさま」の189系。 時代的にはちょっと異質の組み合わせではあります。 ![]() 碓氷峠の立役者、EF63形電気機関車。 博物館の展示品、と言いたいところですが、こちらは今でも実際に「本線」の上を走ります。 テールランプが点り、本日この後走りそうな雰囲気です。 ![]() 189系あさま。 国鉄特急色の時代の姿で展示です。 ちょっと下から撮り過ぎたか、189系と言うより381系のイメージになってしまいました。 ![]() EF63形電機の運転台。 武骨な造りの機器にアナログの計器類。 それほど昔の機関車と言うイメージじゃないんですが、時代を感じます。 ![]() 側面に並んだ大きな換気口モニター。 普通の直流機を見慣れていた眼にはいささか異様に映る、特徴ある姿です。 急勾配区間専用のため平坦線用と比べると相当の熱量だったのでしょうか。 ![]() EF62とEF63。 同じ活躍場所の機関車は、似ているようでかなり印象の異なる造りです。 63と比べるとかなり「優しい顔」のEF62でした。 ![]() 両機関車の仕様はこんな感じ。 やはり共通点もあれば異なる所も。 イラストにもあるように側面の感じも違いますね。 ![]() 横川駅の時刻表。 改めて眺めると、横川〜軽井沢間の列車って特急ばかり。 普通列車、本当に少なかったんですね。 これじゃ新幹線開業後は廃線止む無し、ではあります。 ![]() 前面運転台窓Hゴムのせいか優しい顔つきながら、やたら大きく見える車体のEF62。 末期は一部が東海道・山陽本線の荷物列車牽引用に転属し、私かいもん4号の地元でも見ることができました。 ![]() 屋内展示場に停められていた、と言うか展示されていた保線車両。 元の所属ではなく「碓氷峠鉄道文化むら」のロゴが貼り付けられています。 今は屋内ですが、実際ここで運転していたのでしょうか。 撮影アングルがちょっと残念で、一番面白い「仕掛け」がちょうど見えません。 ![]() 碓氷峠横川軽井沢間と言えば、この機関車。 アプト式のラックレールを頼りに急勾配を往復したED42です。 保存状態は非常に良好です。 ![]() 真鍮の鋳造磨き出しのナンバープレート。 屋内の照明に照らされるとひと際美しく見えます。 蒸機機関車でもそうでしたが、重厚感と高級感があってイイです。 ![]() 短い車体に、デッキと言うには余りに短いデッキ。 独特のスタイルのED42です。 ステップを使って屋根上に登るには、ヒサシがちょっとだけ邪魔そう? ![]() アプト式に加えて粘着運転のためにも独特の駆動装置。 展示場にピットが設けられており、下周りの観察にもうってつけです。 他にも興味深い構造が色々と・・・。 ![]() 細かい説明をするのが本ページの趣旨ではありませんので、詳細はこちらをご参照下さい。 と言う相変わらずの手抜きコメントです。 それにしても、粘着運転でも25キロが最高速度だったんですね。 横川〜軽井沢間。 随分所要時間が必要だったことでしょう。 ![]() 屋外展示場に出るタイミングで、ちょうど「体験運転」のEF63がやって来る時刻でした。 まずはこちらを眺めることにします。 ![]() 決して高速走行ではありませんが、大型の電気機関車が走るのを間近で眺めるのは迫力モノです。 横川側のこちら側エンドは、「普通の機関車」です。 ![]() 大きな換気口モニターが特徴のEF63形。 ゆっくりゆっくりの走行ですから、真横を通り過ぎる際はブロワの音もかなり賑やかです。 ![]() こんな感じで目の前若干の距離はありますが、ホントに間近と言う感じで通り過ぎて行きました。 軽井沢側のこちら側エンドは、たくさんのジャンパ栓が賑やかです。 ![]() 急勾配を駆け下りて、体験運転の出発地点へ。 元々の横川駅は跨線橋が見える通りまだもうちょっと先で、そこまで行くと平坦なのですが、この出発地点は勾配の途中でした。 ![]() ここから先は、屋外の車両展示場観察です。 横軽の車両の展示中心だったここまでのスペースに大して、こちら側の屋外展示場は全国の車両が集められ、ある意味JR各社の鉄道博物館よりバリエーションが豊かです。 まずは大型ディーゼル機のDD51。 ![]() お隣にいるのは、除雪用のロータリー車。 私「かいもん4号」の地元、温暖な山陽地方ではまずお目にかかれないシロモノです。 ロータリー部の構造ってこうなっているんですね。 ![]() 先頭部の監視用のドームと「一つ目玉」(横にもありますけど)がユニークなスタイルのロータリー車です。 物々しいシリンダと油圧パイプが並ぶ先頭部です。 ![]() ロータリー車は自力では走行できませんので、この機関車DD53とセット。 車番も機関車と同じ「DD53 1」です。 前頭部。 「目玉」が沢山あって、実にユニークなスタイルです。 ![]() 何か、泣いているようにも笑っているようにも見える愉快な前頭部です。 しかし乗務する場合は、小さな出入り口と言い勝手が悪そうなステップ手摺りと言い、どう見ても広そうには見えない室内と言い、おそらくは大変な環境だったのではと思います。 ![]() 撮影順、というか歩いた順に掲載していますので、内容が行ったり戻ったりではありますが。 DD53ロータリーとの間の通路に入り、改めて間近でのDD51観察です。 ヒサシが無く丸っこくて、以降の量産機とは印象がななり異なるDD51の1号機です。 ![]() こちらは荷物輸送専用の気動車、キニ58です。 残念ながらこの時は外部塗装はかなり傷んだ状態でした。 ![]() 見学通路から再びDD53を。 国鉄でスタンダードタイプになれなかった箱形の大型ディーゼル機ですが、少し丸っこい印象は、同じ箱形のDD54とはかなり異なります。 ![]() 正面運転台窓下にあるのは、出入り台? それとも点検扉? ユニークなスタイルのDD53ですが、本線で列車を牽引するのは極めて稀だったようです。 ![]() 車両間の見学通路は、こんな感じでホームとほぼ同じ高さのステップが。 DD53。 運転台窓がセンターピラーじゃないって言うのも特徴の一つです。 ![]() キニ58とキハ35の900番台の連結展示。 掲載順は行ったり来たりですが、車両間の「順路」と進むとこういう順の視点になるということです。 それにしても両車の「大きさ感」、ちょっと変じゃないか? キハ35が異様に大きな車体に見える・・・。 ![]() キニ58車両の概要説明については、例によってこちらにお任せします。 元々は中央本線用のグリーン車ですが、大幅な更新のため車体にかつての面影は全く見られません。 ![]() ここまでにも書いた「見学の順番」の関係でここで紹介しますが、車両の写真が出て来るのはおそらくかなり(10枚以上?)後になります。 操縦車、ではなく「操重車」の「ソ」です。 レアな車両であり、実際にここ以外で見たことはありません。 ![]() 朱色一色に塗られてはいますが、ステンレス車体のキハ35です。 車体のコルゲート、角ばっていて意外とごつい感じです。 それ以外にも、通常のキハ35とは細部に色々違いが見られる900番台です。 ![]() 車止め。 本来はこっち方向に曲がらないためのレール断面形状なのですが、昔は工作ひとつとっても律儀でした。 紅葉と車体のオレンジ。 青空のもと、どっちが鮮やか? ![]() EF65の500番台は、特急塗装ながらヒサシ付きの520号機です。 何か掲載の順番まちまちですが、あえて車種別とせず、歩行して写真を撮った順に並べています。 雰囲気だけおわかりいただければ。 ![]() 唐突な順番で違う車両が混じりますが、上のEF65のポジションから反対側を振り返っただけです。 ここより少しだけ高い場所に鎮座している車両群。 こちらは正真正銘、ここ横軽で活躍した車両たちです。 ![]() 再びのEF65。 2枚上の写真を撮って、反対側を向いてすぐ上の写真を撮って、この機関車の正面を回ってまたまたこちらを撮った、という順番の図です。 西日本ではあまり見かけなかった、ヒサシ付きの姿です。 ![]() ヒサシの部分って、こんなふうになっているんですね。 展示場でなければなかなか見かけることができないアングルです。 運転席側と助手席側でワイパーの構造が違うのが判ります。 ![]() EF65の後方にはもう1両のブルトレ特急塗装機が。 こちらは1世代前のEF60の500番台でした。 サイドの換気モニターが異なるのがよく判ります。 ![]() 似たような顔つきながら、頭部のヘッドライトが大きな一灯のEF60形。 しかし雰囲気はEF65とよく似た感じです。 実際にブルトレ牽引しているのは見たことありませんが。 ![]() EF60形の全体の姿。 やはり特急塗装はスマートに見えます。 この機関車は、実際に走っているのはブルーの一般塗装しか見た記憶がありません。 ![]() EF60の向こう側に居るのは、セノハチの専用補機、EF59と交直流機EF80です。 さすがに59と80の組み合わせは、ここでなければ見られません。 ![]() 国鉄型の代表、と言えるようなカラーリングの2両。 全く違和感なく並んでいました。 色々手入れが施されているこの碓氷峠鉄道文化むらの車両群ですが、やはり一気に手は回らないようで、こんな塗装の傷みも見られます。 ![]() 山陽本線は瀬野〜八本松間の後押しの機関車、EF59形。 なぜここに、という気もしますが、横川〜軽井沢間の急勾配繋がりと言えば言えなくもありません。 ![]() デッキまで含めると、長い車体のEF59形機関車。 スタイルは抜群ですが、それにしてもここまで長いデッキと従台車が必要だったのか、と言う気はします。 本線用の機関車ですし。 ![]() 屋外展示場にもEF63形がいました。 こちらは昔の茶色に復元されたやつですが、ただ今塗装補修作業の真っ最中でした。 やはり碓氷峠の主役はこのEF63。 この文化むらでも最大勢力です。 ![]() ここ碓氷峠では極めて少数派ではありますが、蒸気機関車も展示されていました。 D51の96号機は、集煙装置を取り付けていない、1本煙突の姿です。 ![]() 集煙装置を付けていないと書きましたが、この96号は初期型のいわゆる「なめくじ」で、そもそも集煙装置が付けられないタイプでした。 この写真のでは、「なめくじ」の特徴がちょっと分かりにくいアングルになってしまいました。 ![]() EF59と並んで鎮座していたのは、交直流機のEF80形です。 同じ東日本と言えなくもないですが、やはりここ横軽とは縁のない車両ではあります。 西日本では見られない車両のため、個人的にはあまり親しみが湧かない感じではあります。 (お好きな方、こんなコメントご容赦!) ![]() 再びD51です。 「なめくじ」と言えばこのドームでしょう。 このアングルだと雰囲気がわかります。 しかし思っていたより、付け根部分がのっぺりした感じがします。 もう少し急な小さなRで繋がっているかと思っていました。 ![]() D51の運転台付近です。 細かい所を見ると、見慣れた(と言うほどには見たことはありませんが)その後の「なめくじ」でないやつとちょとした違いが見られます。 しかし、思ったほど広い運転台ではなさそうです。 ![]() D51の後ろに居るのは、白い帯の客車。 つまり一等車です。 この後説明看板が出て来ますが、一等寝台車のマイネ40形です。 ![]() マイネ40形の表記。 一度別型式の車両に改造されたの後の復元車のため、昔の当時のままなのかは判りません。 が、古い標記ではあります。 ![]() 車両の概要は、例によってこちらの案内板にお任せすることにします。 この写真では判別できませんが、元写真によると、上の車体標記は当時のままを復元しているように見えます。 ![]() JNRではなくJGRの標記。 進駐軍専用に作られた車両のため、国鉄ではなく当時の運輸省が直接所有していたのがそのまま標記にも表れています。 当時としては破格の車両だったようです。 ![]() で、またまた順番行ったり来たりですが、EF80とマイネ40の間のさほど広くない見学通路を進んでいます。 EF80の横を通り過ぎてEF59のデッキ部分へ。 広島駅や瀬野駅のホームで何度も見たことはありますが、やはり広いデッキです。 ![]() マイネ40の隣には、こんな荷物車が展示されていました。 短めの車体にずらりと並んだリベット。 スマートなマイネ40と比べると、どこか武骨で相当に古めかしい感じがします。 ![]() 荷物車の型式はスニ30。 系列名からわかるように、17メートル級の古い荷物車です。 さすがに17メートル級なので軽い、と言うか、この長さにしてはやや重い、と言うか。 ![]() 元々は鋼製車なのですが、幅の広い扉は木造のままでした。 室内室外の窓の保護棒が、実にいかめしい造りです。 ![]() 昔の鋼製車両ではお馴染みの、ずらりと並んだリベットです。 窓の支柱部分のリベットって、意外と一杯一杯端に寄っているんですね。 模型作りのイメージ、ちょっと変わりました。 (さすがにこれは作らないか。) ![]() で、コメント手抜きのための説明はこちらです。 そう言えば、二重屋根の部分や魚腹形台枠の観察や写真は疎かにしていました。 私かいもん4号の嗜好性が伺えます。 ![]() で、車端部の銘版は「日本国有鉄道」ではなく「鉄道省」です。 銘版も含め、この車端部ってほぼ原形通りなのでしょうか。 細部の形状は色々興味深いものがあります。 ![]() D51やEF59の周り、客車の間をぐるりと一周して来て、再びキハ20です。 何かこの塗装とスタイルはほっとします。 何しろ国鉄路線を乗りまわっていた40数年前は、ローカル線と言えばこれが主役でしたから。 安定のスタイルです。 ![]() かなり色褪せて、かつ錆が発生してはいますが、「軽量客車」こと10系のナハフ11です。 この車両、東日本特に寒い地区にはあまりいなかったんじゃないかな? 10系寝台は横軽を通過していましたが、座席車は? ![]() そしてこちらには、様々な電気機関車がずらりと。 もちろん横軽を通過する電機は形式が著しく限定されていましたから、このうち多くはこの先の急勾配とは無縁です。 横川まで入って来ていたやつ、居るのかな? ![]() こちらもかなりくたびれた外観をしてはいますが。 直流区間と言えばやはり代表的なのはEF58。 ローカルや山岳路線を除き、客車列車や荷物列車に広く活躍した機関車です。 ここに居るのは運転台小窓の172号機です。 ![]() EF58とEF30。 と言えば、舞台は下関です。 後ろに連結された寝台客車と合わせて、かつての下関駅の賑わいが思い起こされます。 ![]() この角度から広角で見上げると、思った以上に丸っこい感じで「ちょっとイメージが違うかな?」という印象ではありますが。 実際には鼻筋が通り鋭角的なEF58の先頭部です。 正面のバリエーションにより、印象は様々ですが、このタイプが一番丸っこく見えるかも。 ![]() で、隣に並んでいるのは、ステンレス車体のEF30形。 関門トンネル専用機で、縁もゆかりもない横川になぜ居るのかはわかりませんが、博物館なら1両は並べておきたい異色の機関車です。 ヘッドライトが末期の「ブタ鼻」に改造されたままなのが、ちょっと残念。 ![]() EF30形の正面スタイル。 重連運用もあったため、F級電機ながら正面貫通式で、ED70やED71と似た感じのスタイルです。 そう言えば全体に車体短めの印象で、後に関門に投入されたEF81の300番台とはかなり印象が異なります。 ![]() 一時期ブームだった、団体専用のお座敷客車。 こちらにも2両が展示されていました。 この文化むらでは珍しく、客室内まで入ることができる客車です。 しかしかなり地域性が強い車両なので、これまた無茶苦茶興味深い、と言うほどではありませんでした。 ![]() 軽量客車10系の食堂車、オシ17です。 残念ながら北陸トンネル内での急行「きたぐに」火災事故で多数の犠牲者を出した出火元となってしまい、全国の急行列車からは即日使用停止となり運用から外されてしまいました。 それにしても、電気でなくまだ石炭レンジが使われていたのは、事故当時ちょっと意外に感じたものでした。 ![]() 横軽的風景ではありませんが。 昔の夜行急行列車全盛時代を思わせるような組み合わせの車両たちです。 寝台表記は「二等寝台」ではなく[B寝台」ですね。 そこまで昔に遡っての復元展示と言う訳でもないようです。 ![]() こちらは真っ赤のEF70形。 交流専用機ですから、これまた横軽とは縁もゆかりもない機関車ではあります。 10系寝台と並ぶと、やはり北陸本線の「きたぐに」というイメージでしょうか。 そう言えば、この1001号機って、「鉄道ジャーナル1975年5月号」の表紙にアップで出ていたやつです。 「新時代を迎える個性・北陸路」という特集号なのですが、その北陸本線も新幹線で分断の現在です。 ![]() 何度も何度も出て来るようですが、キハ20型のサイドビュー。 ローカル線では10系気動車と比べると格段に乗り心地が良い印象でしたが、意外と窓が小さく、クロスシートからは外の眺めは柱がいささか邪魔気味ではありました。 ![]() ちょうどこのタイミングで、「走る本物の機関車」がやって来ました。 と言うことで、静態保存の車両たちから一旦離れて、旧信越本線の線路側に移動です。 展示車両も良いですが、やはり「動くホンモノ」は迫力が違います。 ![]() やはり「本線」の上を走る機関車は、何度眺めても楽しい。 上にも写真がありますが、改めて間近で眺めます。 間際まで近寄ることは出来ませんが、走っているだけで迫力が違います。 ![]() 独特の正面スタイルのEF63。 貫通型ながら傾いた窓ガラスとアルミサッシの窓枠が特徴的です。 もっともこちらエンドは横川側なので、ジャンパ受けは大人し目です。 ![]() 本線走行は「体験運転」のもの。 短い区間ですからゆっくりゆっくり走ります。 もっとも、急勾配区間ですので、昔の実際の営業列車も高速ではなく徐行での走行ではありました。 ![]() 正面もさることながら、サイドのフィルター部分にも特徴があるEF63。 地元で見慣れたEF60やEF65とは全く違う重厚な感じがします。 本日は、30分おきのサイクルでの運転のようでした。 ![]() 幅の狭いミニ線路と並んで、ホンモノの機関車。 じつは両者の間に更にもう1本の「線路」があります。 全部の併走、できないものかな? ![]() しかしやはり、一番迫力モノは本物の機関車に決まっています。 最徐行でもそれは同じ。 ゆっくりゆっくり勾配を下ってゆきます。 ![]() 「走る機関車」が行ってしまいましたので、再び展示車両に戻ります。 案内板だけはかな〜り上(50枚くらい?)に挙げていたのですが、車両はここで改めて。 しかし「鉄道車両」と言うよりは産業装置と言った感じの外観です。 ![]() 昔懐かしい、と言うと何時頃でしょうか。 おそらく昭和40年代の世界だと思います。 しかし、この3車が同時に隣り合って並ぶ風景が見られた場所は、意外と少ないかも。 ![]() こちらは「走る電機」ではなく、ただ今静態保存中のEF63です。 全国各地の色々な車両が集まっているここ「碓氷峠鉄道文化むら」ですが、やはり一番多いのはご当地の主役、EF63でした。 ![]() EF63群と並ぶ「あさま」の189系。 こちらも横軽通過専用に作られたご当地車両です。 塗装は最終の「あさま」塗装ですが、特急マークが無くなった正面中央部。 何か物足りない感じがします。 ![]() 同じEF63形なのですが、見る角度がちょっと異なるだけで、顔つきが随分と違って見えます。 やはり金属サッシの窓枠が特徴的です。 ![]() 「あさま」用189系。 全国共通の汎用車両が基本だった国鉄時代、信越本線横川〜軽井沢間電気機関車強調運転用で直流区間専用特急車両。 と言うことでほぼ「あさま」専用に製造された車両です。 スタイルは交直流用の485系と同様ですが、交直流用車両とは車体細部が異なるのが判ります。 ![]() DD53と「ソ」です。 この2両。 何かホントにバラバラに写真を掲載していますが、場内を歩き回って眺めた順序と言うことで。 何しろ、右側面を眺めるのと左側面を眺めるのでは、だいぶ時間差があるのです。 どちらの車両も、おそらくはここで初めて見た車両だと思います。 ![]() この2両が連結されて走行したことはおそらく無いのでしょうが。 色々なところから集められた、かなりコアな車両も展示されている「碓氷峠鉄道文化むら」でした。 ![]() こちらも随分上に出て来たマイネ40の写真の反対側です。 歩いて眺めて撮影した順に載せると、反対側を眺めるのはこんな順番になってしまいます。 小さな窓が2連で並ぶ、当時の優等車両らしいスタイルです。 ![]() もはやこれを「鉄道車両」と呼んでいいのかどうか判りません。 大きな車体もさることながら、ずらりと隙間なく並んだ台車が、他の車両を寄せ付けない独特の印象を醸し出しています。 ![]() (おそらく)一通り、屋外の車両を眺め終わりました。 そして何度も出て来ますが、やはりこれ。 実際に線路の上を走る電気機関車EF63です。 ちょうど次の「体験運転」の便が発車したところでした。 ![]() 屋外展示されている24号機の横を通過する、EF63の11号機。 並んでみると、横川〜軽井沢間の急勾配の様子がよく判ります。 高速で走る訳ではありませんが、やはり「音」的には山登りの方が面白そうです。 ![]() 廃線後の線路流用の関係で、今は「単線」状態の本線はこのように上り線から下り線に渡る感じで終点となっていました。 実際にはトロッコ列車がこの先まで運行されているので、現在でも線路はまだ続いています。 が、EF63の体験運転区間はこの少し先でおしまいです。 ![]() 撮影位置から見えるか見えないかのこの場所が、体験運転の終点。 ほんの暫く停止の後、再び折り返してこちらに戻って来ます。 短い区間のようではありますが、最徐行での運転ですので、時間的には結構「走っている」感はあります。 ![]() ヘッドライトが点灯し、折返しの機関車がやって来ます。 電車と異なり、ブロワなど機器の音がかなり大きな電気機関車ですので、離れていても結構音で動きが判ります。 ![]() で、「渡り線」らしき線形の区間を通過。 眺めていてもそうですが、実際に運転していると、真っ直ぐな線路だけよりも、こんな線形の区間を走る時の方が緊張感もあり楽しそうです。 ![]() 機関車全体が良く見えるまで近づいてきました。 こうして眺めると、大きな車体に対して足元がかなりスリムと言うか、細いというか。 線路幅が狭軌であることがかなり強調されている眺めではあります。 もし標準軌だったら、かつての「転落事故」も起きなかったのでしょうか。 ![]() 大きな電気機関車が目の前に最接近して来ます。 楽しい眺めなのですが、「別のやつ」が同時にやって来ました。 こちらはもちろん元々あったやつではなく、「鉄道文化むら」開設時に設置された、「遊園地の汽車」的存在です。 線路幅も更に狭いナローゲージサイズです。 ![]() 「別のやつ」はちょっと視界から外して、折角ですから最接近して目の前を通過する機関車を堪能します。 急勾配のため元々全ての列車が速度を上げない区間ではありましたが、体験運転ですので更に最徐行です。 ![]() 目の前を通り過ぎる電機機関車。 この先「屋根」のある所が終点ですので、いつでも停止できる速度で徐行します。 しかしながら色々な機器の音やジョイント音が入り混じり、迫力は申し分ありません。 ![]() 各種車両と連結または強調運転するため、色々なジャンパ栓ほか賑やかなこちら側エンド。 やや大人し目な反対側エンドと比べると、やはり「EF63」と言う感じがします。 時間的に逆光撮影だったのがちょっと残念。 ![]() EF63を最後まで撮影するつもりでしたが、手前に追っかけで「これ」が割り込んで来ました。 ま、いいか。 上で「遊園地の汽車」的と書きましたが、横川〜軽井沢間のアプト式に導入された機関車EC40形電機機関車を模した、結構本格派です。 本来ナンバープレートがあるであろう場所には、ブームを追って「無限」のプレートが取り付けられていました。 ![]() EF63と「無限列車」。 サイズはかなり異なりますが、「無限」の方は昔のイメージを再現しているかなり本格的なナローゲージです。 鬼滅ブームに乗ってはいますが、園内周回ですので「無限列車」には違いありません。 ![]() さて、「実物」の展示はこの位にして。 前回の訪問時に時間の関係で見ることが出来なかった、館内展示です。 やはり圧倒は広いスペースの模型レイアウト。 ご当地「横川〜軽井沢」間のイメージを再現した部分が多い配置です。 ![]() レイアウト途中に設けられた煉瓦造りのアーチ橋。 実物どおり結構急勾配が再現されていますが、模型ではちょっと厳しいんじゃないかな? 手前の駅に停車中は、かつての特急「白鳥」の再現。 横川駅の再現だとすると、「左右逆」という感じがしないでもありません。 ![]() 屋上から眺めた園内風景です。 残念ながら施設レイアウトの関係で、屋外車両展示場の方面は眺めることが出来ません。 で、「入り口側」です。 小さな子供向けの施設もあるのはご愛嬌として、ナローゲージの「無限列車」。 結構本格的な線路です。 次回はぜひ乗ってみたい。 ![]() 模型レイアウトは別として。 館内展示の主役は「実物」と写真パネルの展示です。 やはり一番興味深いのは、昔の写真かな? ![]() こちらのブースは国鉄色の特急「あさま」のイメージのパーテーション。 そして横川軽井沢間の最後を飾った記念のヘッドマーク。 長野(北陸)新幹線開業と信越本線の横川〜軽井沢間廃止から、もう20数年が経過したんですね。 ![]() こんな感じで、それほど広いスペースではありませんが、それでも見応え十分の展示品が並べられた館内展示場です。 横川からの帰路の電車時刻の関係で、少し駆け足気味になったのが残念でした。 ![]() 色々なヘッドマークやサボの類。 中には知らない物もあります。 中軽井沢〜宮原間の列車って、狙いどころはどういう設定だったんでしょうか。 ![]() レンガ造りの古いトンネル入口の写真ですが、下がすぼまった小さな断面の形状が時代を感じさせます。 全国にあった「機関区」ですが、今では多くが姿を消してしまいました。 ![]() 日本の近代化の牽引役となった鉄道ですが、役目を終えて姿を消して行くものも余りに多い気がします。 せめて歴史の一部として伝承できる施設だけはいつまでも生きながらえて欲しいと思います。 ![]() 色々眺めて来ましたが、屋外の遊園地的スペース。 子供連れ家族連れで訪れても楽しい、秋の碓氷峠鉄道文化むらでした。 <このコーナー終わり> 2017年8月 ![]() JR信越本線の横川駅。 現在は線路はここで途切れていますが、そのすぐ先に「碓氷峠鉄道文化むら」があります。 車両搬入のため、辛うじてつながっている「レール」です。 ![]() JR横川駅構内から1本だけ伸びているレール。 しかし柵のこちら側、碓氷峠鉄道文化むらで再び分岐しています。 かつての機関区とは大きく姿を変えましたが、峠の後押し機関車の寝ぐらを彷彿させる施設がありました。 ![]() 横軽と言えばEF63。 ここ碓氷峠鉄道文化むらでは、元機関区らしく1両と言わず何両ものEF63が停められているのが嬉しいところです。 隣にはトロッコ列車用の車両もいました。 ![]() トロッコ列車の「ぶかむら駅」。 手前の機関車は牽引機、ではなく、新幹線の軌道確認車です。 「横軽」に関係のなさそうな車両も多数ある文化むらですが、もしかるすと横軽区間廃止を後押しした車両かも。 ![]() 後方車両の展示庫と、手前屋外は「あさま」に使用された横軽用189系。 更に手前は、実際の66.7パーミルに復元されたラックレール軌道です。 色々と楽しめます。 ![]() 入り口近くの屋外展示場から車庫方面。 ラックレールとEF63形機関車ではもちろん時代は異なりますが、横軽を代表する眺めではあります。 ![]() 国鉄最急勾配区間、66.7パーミルを示す標識。 線路上に立ってみると、実際相当急な感じです。 ![]() 信越本線を代表する特急「あさま」の189系。 国鉄当時のスタイルっです。 西日本で見慣れた485系と比べると、少し印象が異なります。 ![]() アプト式の説明図。 真っ直ぐに撮ったつもりだったのですが、看板設置も66.7パーミルだったのでしょうか。 (単なる腕のせい?) ![]() 微妙にずれた3条のラックレール。 ここでは僅かの距離ですが、これだけ歩いても勾配の急なことを感じます。 189系とはミスマッチですが。 ![]() 側面表示は中軽井沢行きの「そよかぜ」でした。 最盛期には「あさま」「そよかぜ」「白山」の特急列車群が行き来した信越本線横川〜軽井沢間です。 ![]() 展示庫の中には、電気機関車たちが。 エントランス側入り口に一番近いのは、横軽の主役、EF63の10号機です。 ![]() 傾いた正面窓と直線状のサッシで、固い表情が特徴のEF63。 更に後年追加された無線アンテナで、一層いかつい感じです。 ![]() EF63形の横川側運転台内部。 横軽対応で、普通の電気機関車にはないスイッチも見られます。 ![]() EF63形の運転台から。 上り列車牽引時の横川側はこの通りの眺めですが、下り列車推進運転時は前方の視界が列車で塞がれますから、どんな感じでの運転だったのでしょうか。 ![]() 3枚上の写真と同じような見上げ方ですが、太い無線アンテナがあるのと無いのとで、印象はかなり違います。 ![]() 横軽区間専用ではなく、客車貨物を信越本線直通で牽引した、EF62です。 車庫の奥の方で鎮座していました。 ![]() EF63と同じく上向きに傾いた正面窓。 ですが、こちらはHゴム支持の曲面ガラスのため、ぐっと柔らかい印象です。 1980年代には、一部が東海道山陽地区の荷物列車牽引に転用されました。 後方のEF63は、最終出場時に旧塗装に戻されています。 ![]() アプト式時代の主役、ED42形が屋内で1両保存されていました。 片側だけにある運転台が飛び出した、ちょっと変わったスタイルの機関車です。 ![]() 運用の特殊性から、本機の運転台があったのは、横川側の片側だけ。 本線走行時は第3軌条の集電ですが、構内用のパンタグラフも備えていました。 ![]() ED42のトップナンバー機は日立製。 大きな通風孔が並びますが、横軽用としては、通風能力は十分だったのでしょうか。 ![]() ラックレール式の機関車。 車輪への動力伝達は、モーターから歯車を介して頑丈なロッドで車輪に伝えられていました。 ![]() 碓氷峠鉄道文化むらの一番外れの軽井沢寄り。 横軽末期に活躍した車両たちが停められていました。 当時とは構内のは変わっていますが、現役時代を偲ばせる光景ではあります。 ![]() ここからは、碓氷峠鉄道文化むらに展示されている、「本来横軽とは直接関係のない(薄い)」車両たちです。 DD51のトップナンバー機がありました。 ![]() DD51と並ぶのは、大型のディーゼル機・ロータリー車DD53です。 いかつい造りです。 ![]() 横に目をやると、大型の蒸気機関車が。 D51の96号機はドームの長いスタイルの通称「なめくじ」です。 ![]() 大型の蒸気機関車って、このあたりを眺めるのが一番好きです。 運転台、改めてみると意外と小さい感じがします。 ![]() DD53ロータリーの側面。 機能性重視の、なんだかプレハブ増築的な造りではあります。 ![]() DD53形の本体は、DD54と同じく箱形のディーゼル機です。 本来はロータリー機として製造された機関車ですが、もう少し客車牽引の本務機としての出番が多ければ面白い車両だったかも。 ![]() D51なめくじの後ろに連結の客車は、マイネ40形。 「イ」の等級と窓下の白帯(本来は白に近いクリーム色)が、当時の1等寝台を示しています。 ![]() ダブルルーフの短い客車は、スニ30形。 鋼体化過渡期の車両のため、17メートル級の荷物車ながら、車種は重い「スニ」です。 ![]() 国鉄動力近代化では外せない両車両。 キハ20は末期のシールドビーム改造が施されています。 対照的にEF60は大きな一つ目玉のまま。 ![]() EF60の特急牽引機501号は、末期は再び特急牽引塗装に。 ヘッドライト両目玉のEF65と比べると勇ましい感じです。 ![]() キハ35のステンレス車体試作機、901号が居ました。 車体は朱色一色に塗られた末期の状態のままです。 ![]() ステンレス車体901号の特徴、車体全体のコルゲート以外にも、製造上鋼体車とは細かい所の違いが沢山あります。 客窓もこの車だけはユニットサッシでした。 ![]() 横軽区間末期の主役、189系とEF63。 しかし電車の方は放置状態で外面はかなり荒れています。 この先が少々心配です。 ![]() EF65は特急牽引塗装の520号機です。 西日本ではあまり多く見かけなかったヒサシ付きの正面は、ずっと勇ましい感じがします。 ![]() 茶色に戻されたEF62のトップナンバー機。 一色塗装を真正面から見ると意外と丸っこい感じがします。 EF15形は、地元の駅に停車しているのを見慣れた機関車でした。 ![]() 10系客車2題。 手前オシ17形食堂車は急行列車に多数連結されていましたが、石炭レンジのため北陸トンネルでの急行「きたぐに」火災事故で一斉に連結中止となりました。 残念ながら現役の実車には乗れず仕舞いでした。 ![]() EF70と言えば北陸本線。 60Hz交流専用機のため、米原には入れず田村で機関車の付け替えをしていたのを思い出します。 ヘッドライトが2つ目玉の後期形が展示されていました。 ![]() こちらも西日本専用。 と言うより関門間限定のEF30です。 関門トンネル塩害対策のステンレス車体と、ED70に似た貫通タイプで独特のデザインです。 ![]() EF30とEF58の組み合わせ。 と言えば、場所は下関駅。 夕刻から夜間と、未明から早朝にかけては、特急や急行の機関車付け替えで賑わっていました。 ![]() 茶色い機関車2題。 EF53形2号機とEF63形トップナンバー。 並べてみると色褪せ方が随分違います。 やはりEF53は堂々としたスタイルです。 ![]() どちらも勇ましい顔つきの機関車ですが、EF63。 茶色一色の塗装と無線アンテナを取り外され、少々大人しくなった感じもします。 後の客車(オハユニ61)もじっくり眺めたかったのですが、閉館時刻になってしまいました。 ![]() 閉館時刻間近ながら、これだけはカメラに収めておきたい。 EF59のトップナンバー機です。 元はEF53なので、スタイルは上の写真と同じですが、こちらは山陽本線の瀬野〜八本松間で上り勾配の後押し用に改造躍した機関車です。 ![]() 閉館間際のこれが最後! EF80は、西日本ではお目にかかれなかった交直両用機です。 まだまだ見ていないものが多数ですが、残念ながら本日はここまでです。 ![]() さて、鉄道文化むらからは退出しましたが、少しだけ周囲を歩いてみることにします。 柵の外側から、EF63です。 機関車製造当時は、三菱重工が分断されていた時代でした。 銘板は「新三菱重工」の時代です。 ![]() 色々な車両の後押しや総括制御に対応したEF63形機関車。 ジャンパ栓もそれぞれに対応したものが。 軽井沢側のエンドには多数のジャンパ栓が並んでいました。 ![]() まるで機関庫で休憩中、といった感じの眺めです。 「動態保存」状態ですが、財団法人の運営のため、いつまで続けられるのか少々心配ではあります。 ![]() 敷地外からの眺めです。 時間不足で十分近づけなかったEF59の広島側エンド。 ゼブラ模様を眺めることができました。。 ![]() EF65と、後方はオシ17です。 EF65の特急塗装車はやはり上品な感じがします。 ![]() 気動車も3両いるのですが、このキハ20が一番観察しやすい状態で停められています。 しかしやはり電気機関車が多いせいか、やたらパンタグラフが目立ちます。 ![]() 動態保存状態の電気機関車。 そして手前の線路は「新線」状態です。 電気機関車の体験運転が出来る碓氷鉄道文化むら。 機会があればいつか・・・。 ![]() 鉄道文化むらの屋外展示場全容。 というほどすべては写し込めてはいませんが、こんな感じです。 残念ながら本日は訪問時間の関係で、駆け足で一回りしただけでした。 ![]() 基本2両ペアで運用された、横軽区間のEF63。 やはりこの角度から眺めると、勇ましい感じです。 ![]() EF63形最終ナンバーの25号機。 こちらは川崎重工+富士電機の電装機です。 昭和51年製ですから、20年ほどの活躍で終わりました。 ![]() 比較的外観状態の良いEF63の25号機。 動態保存だけあって、いつでも走り出しそうです。 屋根の上には架線も通っています。 ![]() これだけ見ると、廃線になった区間とは思えません。 本線の枕木敷石は真っ新です。 この区間、現在は旧丸山変電所の少し先まで、トロッコ列車が運行されています。 更に体験運転用として、このEF63もごく短い区間ながら走行しているのです。 ![]() 電気機関車の隣にはしかし、かなりくたびれた電車が停められていました。 「あさま」色の189系ですが、保存と言うよりは放置状態です。 ![]() 碓氷峠鉄道文化むらの先は、廃線に沿って遊歩道アプトの道が続きます。 と言うか、廃線跡の上り線が舗装されてそのまま遊歩道になっています。 改めて訪れてずっと先まで進んでみたいですが、「自転車乗入れ禁止」はちょっと辛いかも。 ![]() あまり目につきませんが、ひっそりとこんなものもあります。 アプト式のラックレールが「有効活用」されていました。 かなり昔に鉄道雑誌で見た記憶がありますので、相当前からこの状態であるんでしょうね。 ![]() 碓氷峠鉄道文化むらの軽井沢側外れ。 柵があるということは、ここから車両が出入りするということです。 廃線の信越本線下り線は、トロッコ列車などの路線に「転用」されていました。 ![]() 2本の線路は、まだ新しい左側はトロッコ列車などが走るため現役です。 右側は旧上り線ですが、こちらは現在は遊歩道。 しかしながらレールの頭だけが出ていますので、線路跡と判ります。 ![]() 新しく建て替えられた架線柱は、EF63形機関車の体験運転用のもの。 ちょうどここまでが体験運転区間となります。 ここから先は、架線柱も信越本線時代のままです。 ![]() まだまだ先まで遊歩道は続きますが、この先は次回の課題にしたいと思います。 線路も更に先まで。 架線も同様に続いていますが、EF63が入って来られるのはこの手前まで。 ここから先はディーゼルのトロッコ専用です。 ![]() 敷地外から眺めると、DD51の丸い頭が覗いていました。 量産型と異なり、トップナンバー機は運転席上に庇がありません。 見慣れたDD51のスタイルとは異なり少々変な感じがします。 ![]() 碓氷峠鉄道文化むら訪問ついての、横川駅ウォッチングです。 駅横の広い敷地は駐車場になっていました。 ![]() 現在の信越本線高崎側は、ここ横川駅で行き止まりです。 横軽間の廃線と長野県内、それに新潟県内一部区間の第三セクター化で、信越本線は「本線」とは名ばかりの両端だけの路線に分かれてしまいました。 ![]() こじんまりとした、現在の横川駅の駅舎です。 それより、行き止まりになっても「峠の釜めし」は駅構内にも現存です。 ![]() ということです。 無駄な説明よりは、写真だけで・・・。 ![]() メイン道路ではない駅前に、荻野屋の「峠の釜めし」が。 かつては横川駅での機関車連結列車停車時間を利用しての販売でしたが、現在では主要ルートではなくなってしまいました。 バスに乗り換える観光客とか、購入者も結構いるのでしょうか。 ![]() 駅舎内からの眺め。 碓氷峠鉄道文化むらとバス乗り場の案内が一目で判ります(トイレも)。 他にも案内して欲しいものはいくつかあるのですが。 ![]() 到着した時には駅員が居た窓口はシャッターが下ろされていました。 自動券売機も閉じられていますから、乗車整理券を取って精算する必要があります。 日勤のみの一人勤務、でしょうか。 ![]() ここで線路が途切れるローカル「本線」ではありますが、高崎から至近の路線。 日中1時間に1本は少ない感じがします。 ところで始発から3本の「3番線から発車」は何のため? ![]() ホーム側改札口付近の風景。 一番良い場所に「峠の釜めし」売り場があります。 特急列車は停車しなくなっても終点駅になっても、ここだけは無くせない? ![]() ホームに古いレールが展示されていました。 詳細は下をご覧ください、ということですが、歴史ある路線だけのことはあります。 ![]() ホームのレール展示の案内文です。 詳細はこの文面にて。 ![]() 現在は3本の線路が乗入れている横川駅。 しかしレールはここで途切れ、行き止まりです。 大きなコンクリートブロックの車止めですが、レールの終端がちょっと手前すぎないか? ![]() 上で変なコメントを書きましたが、レールはバラストに隠れてブロックまで繋がっていました。 緩衝用のバラストが、レールの上を覆うように盛られていました。 ![]() この先続いていたレールは撤去され、すぐ先の小川に掛けられていたはずの鉄橋もすでに見当たりません。 1番線と3番線ホームは、行き出来るように通路で繋がっています。 写真を撮ったり歩き回るのにも便利。 ![]() 横川(よこかわ)駅の駅名標。 山陽本線の横川(よこがわ)は濁りますが、漢字で書くと同じなので、切符の表記は(陽)と付記され区別されます。 現在は 隣の駅名があるのは、片側の西松井田だけです。 ![]() この部分だけ見ると、沢山の側線まであったかつての横川駅を思い出させるような風景です。 今現在架線が張られているのはホーム間の3線だけですが中線は使われている? ![]() 現在のJR東日本のローカル電車は、東海道や高崎線から引退した211系が中心です。 信越本線の列車は、湘南色のラインの211系4両編成でした。 ![]() かつては上りの特急・急行列車が皆停車した横川駅1番線。 今では長いホームを持て余して、4両編成の電車がひっそりと停車していました。
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