下津井電鉄は全国でも残り少ない軽便鉄道で、地元では「しもでん」の愛称で親しまれていました。 1988年の瀬戸大橋開業で一時は観光路線として活路を見出していましたが、環境の変化について行くことはできませんでした。 廃止前の姿です。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ ←←←「けーすけのぺ〜じ」にリンク。 相互リンク頂いているけーすけさん・「けーすけのぺ〜じ」 のムービー新作「下津井電鉄」で、本コーナーの写真も合わせご使用頂き、ついでにPR頂きました。 ぜひご覧ください。 最終日・児島駅。 2006年12月31日追加 1990年12月31日、最終日の児島駅の様子です。 朝一番の電車は空いていましたが、以降は終日ずっとこんな様子でした。 落書き電車。 2006年12月31日追加 最後は「落書き電車」にされてしまった、1001号です。 車体幕板は一旦白く塗りなおされた後、子供たちの手で大きなイラストを。 この頃はまだ「綺麗な状態」でした。 最終日・児島駅。 2006年12月31日追加 最終日には記念のマーク付で走った「フジカラー号」モハ103です。 日中ピークは「多少の積み残し」が出る程度の混雑でした。 児島駅。 2006年12月31日追加 瀬戸大橋開業関連で、以前とは装いを一新した下津井電鉄児島駅でした。 児島の市街には近いのですが、JR児島駅がやや離れたところにつくられたのが残念でした。 2000型。 2006年12月31日追加 7月の改定で「1編成折り返し運転」ダイヤとなっていた下津井電鉄ですが、最終3日間の日中は臨時に列車が「倍増」されました。 最終日は103型と2000型の交互運転です。 103型。 2006年12月31日追加 吹上付近の急な勾配を上る103型です。 ずっと下の方にも全く同じアングルの写真がありますが、微妙な季節の差が分かるでしょうか。 東下津井駅。 2006年12月31日追加 秋も深まった東下津井駅です。 山を後ろにした景色は、この位置が一番好きでした。 これまた下のほうの写真とは「季節違い」です。 103型(2)。 2006年12月31日追加 全金製に湘南スタイルのモハ103型です。 塗り替え直後は派手な印象の塗装だったのですが、意外と山に溶け込んだ感じもします。 下津井電鉄・東下津井駅。 下津井電鉄・東下津井駅です。 山の中の駅、といった風ですが、実は周りはそうでもありません。 こうやって切り取ってみると絵になる駅ではありました。 下津井電鉄と瀬戸大橋。 瀬戸大橋を望みながら走る下津井電鉄の電車です。 瀬戸大橋開通人気で少し元気を取り戻したものの、最後は瀬戸大橋の影響で廃止に追い込まれた下電の電車でした。 下津井電鉄モハ103。 この電車はこのあたりからの角度が一番好きです。 フジカラーの広告の時期が結構長く、結局このままの姿で終了となりました。 下津井電鉄と瀬戸大橋(2)。 山畑を走っていた軽便鉄道には不似合いなコンクリート構造物。 標識には「瀬戸大橋」の文字が。 この線路の下をJR本四備讃線(瀬戸大橋線)がトンネルで抜け、道路の方はこの先短いトンネルを抜けると海の上です。 下津井駅発車。 いわゆる湘南タイプの前面に、サッシの窓。 小ぶりな軽便の電車ながら、結構近代的なスタイルをしていました。 踏切。 最後まで残った区間には、比較的大きな踏切が2箇所ありました。 これまた田舎の軽便らしくない風景ではありますが、現実は鉄道などより道路の方がはるかに立派です。 併用軌道?。 あまり広くない道路にぴたりとくっつくような感じで走る区間です。 決して併用区間という訳ではないのですが、隣を車で走っていると、小さい電車ながら迫力はありました。 道路と併走。 瀬戸大橋が出来る頃までは、併走する道路はこんな感じでした。 それでも決して中型のバスが走れないわけではありませんでした。 雑木林。 雑木が生い茂り、昔に戻ったような山の風景です。 昔の写真を見ると、綺麗に手入れがされていた場所だったのですが。 切り通し。 急勾配を駆け上がり、切り通しを抜けるモハ103形です。 これまた随分と山間の感じですが、実際はそうでもありません。 フジカラー号。 車体に大きな文字の広告電車です。 そのカラーも含めれば全面広告車両なのですが、見慣れると意外と違和感を感じなくなってしまいました。 到着。 終着駅下津井に到着した、左の電車モハ1001形。 日中は同じ電車が往復するのですが、この日は次は左のモハ103形フジカラー号が発車でした。 東下津井駅。 夕刻の東下津井駅です。 最後は落書き電車「クレパス号」にされた1001号ですが、落書き前の塗り替えられたばかりの車体はきれいでした。 夜の下津井駅。 外はすっかり暗くなってしまいました。 さほど広くない駅舎の中ですが、がらんとしていてやや薄暗めの明かりが寂しさを醸し出します。 1001号がこれから児島まで一往復します。 1001号始発電車。 瀬戸内海を眺めながら、琴海付近を走ってゆく、児島行きの朝の一番電車です。 瀬戸内海に突き出した鷲羽山付近からは、四国もすぐ目の先に見えます。 クレパス号1001号。 「適度に」落書きがされた1001号の車体です。 廃止直前の2,3日は行くところまで行っていた感じでしたが。 1001号の原色をあまり損ねていないのが救いでした。 東下津井〜鷲羽山。 吹上地区を児島に向かう1001号です。 軽便サイズの車体に大きなパンタグラフですが、なかなかまとまったスタイルの車両でした。 鷲羽山付近(1)。 鷲羽山駅の西方です。 ホテルや学校など、比較的大きな建築物がありますが、集落はわりあいまばらです。 下電はどうも集落に対して途中の駅の位置が??な感じでした。 鷲羽山付近(2)。 同じく鷲羽山駅の西方、というか上の写真と同じ位置です。 クレパス号1001号。 海側の幕板の落書きは、ご覧のような「大作」でした。 「メリーベル」。 琴海付近を行くメリーベルです。 なんとも風景と電車のイメージがミスマッチの感が強かったのですが、イギリス・マン島のエレクトリック・レイルウェイを訪ねてからは、もっと派手でもいいかな、と言う感じもします。 児島駅到着。 古い町並みを通り抜けて、児島駅に到着です。 隣の車庫には新旧塗装の下電バスが並んでいます。 少々派手な装いの旧塗装下電バスですが、子供の頃に馴染んでいたもう1代前の旧塗装は、もっと派手だったように記憶しています。 児島駅。 少し以前はバス乗り場の片隅の目立たない駅でしたが、瀬戸大橋が開通後、最後はこんな感じの児島駅でした。 この風景の中では、メリーベルの車体も乗務員の制服もごく自然に見えます。 あくまで「この駅だけ」ですが。 メリーベル(3両)。 中間車が減車され、2両編成になっていたメリーベル2000系ですが、末期の2ヶ月ほどは、再び本来の3両に戻されていました。 収容能力が大きいため、末期の休日は日中この車両がずっと往復することが多かったようです。 道路と並走。 道路事情が悪く生き残っていた下電の児島〜下津井間ですが、決して並走道路が無いわけではなく、中型の車が走るにはおおむね十分な車幅がありました。 何とか生き残っていられたのは、1日のごく限られた時間には乗客が結構多かったためでしょうか。 瀬戸内海を望む。 児島を発車後、瀬戸内海に大きく突き出した鷲羽山の手前を巡る路線ですが、海を間近に眺められるのは前半の琴海の先あたりまででした。 瀬戸内海を望む(2)。 昭和30年から40年代前半くらいの写真を見ると、このあたりはよく手入れされていたのですが(このあたりに限りませんが)、今では線路端の木が伸び放題で、車窓も写真も今一つです。 瀬戸内海を望む(3)。 10月後半には、まだメリーベルは1両減車状態でした。 四国まではわりあい近く、晴天の日は右手に五色台がごく近くに見えます。 秋の長雨が続き、水害まで出た1990年の岡山県南部ですが、11月近くなってやっと天気の良い日が続くようになりました。 琴海・交換風景。 児島〜下津井間はわずかの距離ながら、中ほどにある琴海駅には交換設備がありました。 廃止を睨んだ最後のダイヤ改定で定期列車の交換はなくなりましたが、7月まではご覧のように1日に何回か列車交換の風景が見られました。 下津井到着。 モハ103+クハ24が下津井駅に到着です。 下津井駅はフェリー乗り場に接続する駅舎と広い構内が立派な駅でした。 また、車庫には廃車となった電車や貨車が転がっていましたが、残念なことに廃止の少し前にほとんど片付けられてしまいました。 クハ5。 クハ5は下電のはるか昔をしのばせる貴重な車両です。 幸運にも保存車両として整備されました。 長い間屋外に保存されていましたが、観光化に伴い、写真のような上屋の中に移動しました。 保存車両群。 車両”群”というほどではありませんが、1両きりでないことでまた絵になります。 向こう側に見える赤い車両は井笠鉄道廃止後、同社より購入したホジ3型です。 これも長い間屋外に保存されていました。 下津井駅・昼下がり。 下津井の町は小さいながら活気ある港町ですが、旧児島市のはずれで道路とバス路線の整備が遅れたため、地元の人には電車が利用されていました。 といってもすでにずいぶん前から自家用車にかなう状況ではありませんでした。 元井笠・ホジ3。 井笠鉄道廃止の1年後、下電も路線の大半である茶屋町〜児島間を廃止。 この際の資材輸送用に、電化されていた下電が非電化の井笠から気動車を購入しました。 従って下電では営業輸送はしていません。 外観も井笠時代の姿をとどめています。 児島行き・発車。 昼下がりの下津井駅を、児島に向けてモハ103+クハ24が出発します。 残念ながら乗客の姿はそれほど多くはありません。 小さな車体ではありますが、2両編成では持て余し気味なのです。 2000形と東下津井駅。 2000形は瀬戸大橋開業にあわせて造られたまだ新しい車両です。 その姿は観光鉄道にシフトするのを強く感じさせるデザインですが、純日本的な東下津井駅周辺の風景とは明らかにミスマッチです。 モハ103。 大きなパンタグラフを揺らせながら走る姿はいかにも電車らしくて大好きでした。 しかし末期のフジカラー広告色は、色彩としては派手なのでしょうが、緑の多い沿線風景のなかでは少々地味にも感じられました 瀬戸内風景。 天気の良い日には、車窓から四国方面を望むこともできました。 高台で見晴らしは良いのですが、乗客には駅までの登り降りが大変だったことでしょう。 列車は高台、集落は海岸縁、というのが琴海・鷲羽山・東下津井の各駅で、下電の地形的なネックでした。 「メリーベル」(1両減車)。 レトロ調の2000形電車・メリーベルです。 登場の頃は人気があったようですが、廃止直前を除く末期はご覧のように、本来の3両編成からオープン客車の中間車を外され、2両で運転されていました。 東下津井駅。 下津井行きの電車が東下津井駅に進入します。 どの写真もそうですが、昔はきれいに刈り入れられていたはずの木々も今では伸び放題、畑だった所は荒れ放題です。 下電に限ったことではありませんが、一番手入れが行き届いていたのは昭和30年代ではないでしょうか。
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