>>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ ↓ ↓ ↓ 最新の追加 ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑ 最新の追加 ↑ ↑ ↑ <INDEX> 「阿蘇」 「雲仙・西海」 「銀河」 本コーナーの掲載順写真サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから 本コーナーの車両別サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから ⇒ 現在工事中です。 「阿蘇」 急行「阿蘇」最終日。 1980年10月 「ホームグラウンド金光臨」より転載 金光駅2番線に停車中の上り急行「阿蘇」です。 本来は「くにさき」との弊結列車なのですが、1980年廃止前の最終日上りは「阿蘇」単独運転で、しかも新大阪ではなく岡山止め。 EF58の客車列車牽引運用離脱で、機関車はすでにこの以前からEF65PF新に切り替わっています。 急行「阿蘇」+金光臨。 1980年10月 「ホームグラウンド金光臨」より転載 最終日の急行「阿蘇」変則運転の正体は、熊本からの「金光臨」でした。 本来は14系客車の「阿蘇」ですが、この日は12系に「格下げ」。 しかも12両中9両が金光臨団体向けで、一般用「阿蘇」は3両のみです。 「岡山行き」。 1980年10月 「ホームグラウンド金光臨」より転載 「阿蘇」弊結のため、一応岡山までは行きましょうね、といった感じのついでの急行です。 座席が余っているので一般客も乗せようといった感じでしょうか。 ちなみにこの日のもう1本の上り急行「雲仙・西海」は全区間運休でした。 「阿蘇」。 1980年10月 「ホームグラウンド金光臨」より転載 いちおう「阿蘇」のサボも入っています。 上の写真と合わせると、9号車は団体用?それとも一般自由席? 記憶では9号車より後ろ9両が団体だったと思うのですが。 ちなみにこの日は、未明の広島から終点岡山まで乗車しました。 金光教団体臨時列車。 1980年10月 「ホームグラウンド金光臨」より転載 本日は一般列車との混合編成のためか、客室ドアには「団体」「指定席」と大書きされています。 この当時は、金光臨といえば12系でしたね。 「阿蘇」(+金光臨回送)発車待ち。 1980年10月 「ホームグラウンド金光臨」より転載 早朝の金光駅で団体を下ろして小休憩の後、終点岡山まで向かいます。 途中倉敷駅のホーム案内では、これまでの慣れか「阿蘇・くにさき号」と放送していました。(「くにさき」は併結していません) もっとも金光から岡山までのダイヤは、後続の定期(本日は運休)「雲仙・西海」のスジなのですが。 「雲仙・西海」 急行「雲仙・西海」。 「ホームグラウンド山陽本線一般」より転載 新幹線開業で昼間の特急・急行全列車と夜行の寝台急行は全廃されましたが、14系の座席急行「雲仙・西海」「阿蘇」「くにさき」が新設されました。 早朝の「雲仙・西海」です。 急行「雲仙・西海」。 「ホームグラウンド山陽本線一般」より転載 新設された急行は、ごく末期を除き、EF58+14系+マニ37の編成で運転されました。 当初は全車指定席で、急行にしては利用しにくい感じでしたが、さすがに利用が芳しくなかったのか、一年後には自由席が設けられました。 「銀河」 急行「銀河」。 2007年12月 2012年9月23日追加 2008年に廃止された急行「銀河」は、東京と大阪を結んでいた伝統の夜行急行です。 新幹線が開業してから34年間も存続されたのは驚きですが、日本の在来線客車の速度では東京〜大阪あたりが夜行列車として強みを発揮できる時間距離ではあります。 急行「銀河」。 2007年12月 2012年9月23日追加 距離の短さと足の遅さのためか、ブルートレイン化されても最後まで特急に昇格することのなかった「銀河」です。 急行ゆえ、ヘッドマークがつけられなかったのが残念。 急行「銀河」。 2007年12月 2012年9月23日追加 テールマークは、当初の「急行」の文字だけのものから、絵入りマークに「昇格」しました。 20系時代と違いマークの表示窓が小さいのが残念。 急行「銀河」。 2007年12月 2012年9月23日追加 東北新幹線との組み合わせ。 新幹線と夜行バスばかりの時代になってしまったのはさびしい限りです。 急行「銀河」。 2007年12月 2012年9月23日追加 深夜23時の発車ながら、賑わいを見せる東京駅10番ホームです。 入線から発車まで時間に余裕があるため、発車前はいつでもギャラリー多数でした。 急行「銀河」。 2007年12月 2012年9月23日追加 「銀河」が大阪に向け発車してゆきます。 見送るギャラリーも多数(私もですが)。 このあと、大垣行き「ムーンライトながら」の発車までもう一賑わいです。
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