栗原電鉄時代は電化路線でしたが、くりはら高原鉄道に経営移管後廃止までの10数年は、架線が撤去されて気動車運転となっていました。 >>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ <INDEX> 栗原電鉄 くりはら田園鉄道 廃止後の様子 栗原電鉄 ![]() 栗原電鉄時代の列車です。 短めの車体に湘南スタイルがバランスのいい、M152号でした。 ![]() 沢辺駅で交換する電車です。 左の電車M183号は、単行ながら貫通式、福島からやって来た電車でした。 ![]() 栗原電鉄時代も、もちろんスタフ閉塞式。 列車が駅に到着すると、駅員がスタフを肩に掛け反対の列車に手渡す、お馴染みの風景でした。 ![]() 反対側の列車から受け取ったスタフを、再び手渡しです。 反対の列車はすでに発車しています。 ![]() 下り列車も一足遅れて発車です。 この頃は細倉マインパークまでほんのちょっと延長された後で、PRのヘッドマークも取り付けられていました。 ![]() 田園地帯の中を走る栗原電鉄の電車です。 東北新幹線の高架をくぐりますが、どちらも列車本数は少ないため、残念ながら列車の組み合わせは見られませんでした。 ![]() 田んぼの中走るM152号。 東北では、田植えはもう少し先のようでした。 くりはら田園鉄道 ![]() 701系普通電車で到着した、東北本線は石越駅です。 くりでん廃止後、「若柳・栗駒・細倉方面のりかえ」の案内板は、どうなったでしょうか。 ![]() JR東北本線の駅とすぐ向かい合った、くりはら田園鉄道の駅舎です。 折り返しだけの駅のため、残念ながら無人駅でした。 大きな観光案内が立派だったのですが。 ![]() 細倉マインパーク前行きの単行気動車は、「OH!バンデス号」のヘッドマークが。 廃止間近ではありますが、早朝の列車は乗客も僅かでした。 ![]() 「くりでん」の中心、若柳駅です。 気動車化されたとは言え、残された電柱に架線ビーム、電鉄時代の廃車体等、「栗原電鉄」を彷彿させます。 ![]() すでに錆びた廃車体ではありますが、登場時はスマートな電車でした。 湘南タイプのバランス取れたスタイルです。 ![]() ローカル線とは言え、そこそこの長さの路線ですから、最後まで交換駅も何箇所かありました。 対向列車到着です。 ![]() 最後までスタフ方式が残っていたくりでんです。 このため、途中駅には駅員がいました。 ![]() 終点、細倉マインパーク前駅です。 細倉〜マインパーク前間のほんの僅かは、栗原電鉄の末期に延長された区間です。 同じ構内のようですが、終点駅名が変わってしまったため、ちょっとだけ乗り残しているようで、廃止前に再訪しました。 ![]() どの程度の廃止反対運動があったのでしょうか。 展示されている機関車の前で、すでに空しい看板でした。 ![]() 終点はこんな感じです。 設備は昔の姿をとどめていましたが、乗客はまばら、というか、ここでは全くいません。 ![]() 細倉マインパーク駅から眺めた、旧細倉駅跡です。 栗原電鉄時代のかつての終点で、マインパーク駅が構内の外れ、といった感じです。 ![]() 列車内から眺めた、旧細倉駅ホームです。 この時は鉄道自体が廃止になっていたわけではないので、全体に昔の姿をよくとどめていました。 ![]() 他の第三セクター同様、老練な運転士・駅員の多いくりはら高原鉄道でした。 新しい気動車ですが、運転席にはちゃんとタブレット掛けが。 ![]() 「電鉄」時代の面影をよく残していたくりはら高原鉄道です。 交換の線路は撤去されていますが、構内の手入れは行き届いています。 ![]() 交換列車の待つ駅に進入です。 タブレットとともに、「腕木式信号機」も最後まで活躍していました。 ![]() 最後までスタフ閉塞方式をとっていたっため、交換駅では駅員がいました。 タブレットを交換して、こちらの列車が先に発車です。 ![]() ミヤギテレビの人気番組とタイアップした「OH!バンデス号」。 原型のイメージを残しながら、いろいろなデコレーションがされています。 車内放送のテープ案内は、「OH!バンデス」の顔でもあり、「青葉城恋歌」の歌手でもあるさとう宗幸さんでした。 廃止後の様子 ![]() 「くりはら田園鉄道 細倉駅跡」と刻まれた石碑です。 旧駅のホームあたりに建てられているのですが、写真では文字が読めないかも。 (実物も読みづらかったのでご容赦を!) ![]() 旧細倉駅跡です。 石越側を望んだところです。 廃止されてからすでに5年が経過しました。 レールは最低限の撤去のようですが、踏切部はきれいに撤去されてガードレールが設けられています。 ![]() 旧細倉駅から、奥の方、細倉マインパーク前駅を覗いたところです。 栗原電鉄時代に終点部分が延長されたほんの短い区間。 逆に細倉駅が廃止されてしまったのが、地元の足としての使命を終えたことを象徴するようでした。 ![]() 旧細倉鉱山の産出鉱石を運ぶための鉱山鉄道。 一旦廃止された鉱山までの貨物線を利用しての200m余りの延長区間ですが、「マインパーク前」と呼ぶには少し遠すぎたかも。 ![]() 全線にわたり、線路跡はレールも含めてよく残されています。 というより手をつけていない放置状態、と言う方が正しいのでしょう。 しかし踏切部分だけはどこもレールの撤去と柵の設置が見られました。 ![]() 駅前に展示の古い機関車と貨車。 まだ営業していたころからありましたが、手前にあった小さな建物は撤去されていました。 (他の写真と比べてご覧ください。) ![]() 廃止直前(2007年)の写真を見ると、展示機関車の屋根はありませんでした。 駅前の駐車場やトイレの整備とあわせ、廃止後に手入れがされたようです。 ![]() 細倉マインパーク駅から見た、旧細倉駅跡です。 わずか200mの延長。 効果があるの?と言いたいような距離ですが、旧駅から徒歩でマインパークに向かうには、正面(写真右手)へ出てぐるりと回らなければなりませんから、動線距離の短縮には役立ったようです。 ![]() 新設された上屋根のおかげで、今のところ状態の良い保存車両2両です。 とは言え降雪地ですから、時には手入れが必要ではありますが。 ![]() 沢辺近くの小駅、津久毛駅跡です。 ここにも駅跡を示す石碑が建てられていました。 やはり写真では文字が読みづらいかも。 ![]() 当時の面持ちを残す津久毛駅駅舎です。 民間の方が使用されているようなので、控えめに写真を。 ![]() 津久毛駅跡から細倉方面を眺めたところです。 線路は残っていますが、見たところこの辺りには電柱はないようでした。 ![]() 国道4号線に至近の、旧沢辺駅跡です。 20年以上前に訪れた時の印象は、「田んぼの中のちょっとした集落の駅」といった感じでしたが、現在は大きな庁舎その他が立ち並び、全くの様変わりでした。 ![]() 上下のホームが通路を挟んではす向かいのレイアウトだったため、長い敷地の沢辺駅跡です。 イメージは色濃く残っていますが、ホームはこちらの下り用だけが現存していました。 ![]() 沢辺駅跡、駅前広場と駅舎・下りホーム跡です。 現在は駐車場にしか使われていませんが、結構な敷地ですから何か建物の敷地になるのもそう遠くないように思われます。
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