>>>写真をクリックしてください。>>大きな写真へ ↓ ↓ ↓ 最新の追加&リニューアル ↓ ↓ ↓ ↑ ↑ ↑ 最新の追加&リニューアル ↑ ↑ ↑ <INDEX> 「あしずり」 「砂丘」 「但馬」 「丹後」 「ちどり」 「出島」 「白兎」 「火の山」 「みよし」 その他 本コーナーの掲載順写真サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから 本コーナーの車両別サムネイルのみ表示は ⇒ こちらから ⇒ 現在工事中です。 「あしずり」 ![]() 窪川駅に停車中の下り中村行き急行「あしずり」です。 瀬戸大橋開業よりずっと以前の1979年、四国の優等列車はまだ急行が中心でした。 ![]() 排気煙を上げながら、「あしずり」が中村に向け発車します。 編成中に大抵キハ65が含まれるため、四国の急行列車に乗るのは楽しみでした。 「砂丘」 ![]() 中国山地の奥深くを進む「砂丘」です。 最短は3両編成でしたが、大窓のキロ(キロハ)を含む4両、というのが一番見慣れた姿でした。 ![]() 鳥取県側に抜けて那岐駅に進入する「砂丘」です。 スタフを用いた通表閉塞のため、そろそろ運転台窓から差し出して交換の準備完了です。 ![]() 那岐駅ホームへ進入中。 ホームでは駅員がスタフの受け取り待ちです。 ![]() スタフ交換のため、ゆっくりと那岐駅ホームを通過してゆきます。 ホーム先端でスタフを受け取った列車は、再び加速。 ![]() 残雪残る深い山を眺めながら、急勾配を登ってゆきます。 岡山側と比べると勾配が急な鳥取県側でした。 ![]() かつては急行「みささ」と併結の長大編成で因美線を走った「砂丘」。 末期は全列車単独4両編成での運転でした。 半室だけがならグリーン車を連結し、かろうじて急行の威厳を保っています。 ![]() 気動車急行の編成で見慣れた、キハ65とキロ(キロハ)を含む4連の編成です。 末期はこの路線独自のいわゆる「砂丘色」のカラーをまとった編成でした。 ![]() この日は先頭1両だけ、昔の国鉄色の車両を連結。 最後までヘッドマークを掲げての運転でした。 「但馬」 ![]() こちらは今年5月に運転された播但線急行「但馬」です。 末期の但馬は、サロ抜きの短い編成での運転でしたから、5両ともなると非常に長く思えます。 ![]() 道路から遠めに見ると、感じのよさそうな場所といつも思っていたのですが。 最近は草刈をあまりしないので、足元が隠れる場所が非常に多く残念です。 それにしても、もう3mほど手前で止めるはずだったのですが。 「丹後」 ![]() 京都から山陰・北近畿方面行きの急行「丹後」です。 気動車急行としては国鉄時代のままの色が最後まで見られた列車でした。 亜幹線の急行として標準的だった4両編成の姿です。 ![]() 由良川橋梁を渡る急行「丹後」。 宮津線が第三セクター「北近畿タンゴ鉄道」になってからも、山陰本線電化・JR「丹後」系統廃止まで乗り入れが続きました。 ![]() 京都発の山陰方面は、比較的平坦な線区で大した勾配区間がないため、キハ58系のみの編成でした。 オリジナルのグリーン車キロ28を組み込んでいたのも「丹後」が最後でした。 ![]() 真夏の北近畿タンゴ鉄道・由良川を行く「丹後」です。 この日は夏の多客期のため、1両増結され、5両編成での運転です。 ![]() 河口に掛かる由良川橋梁は、年中水量が多く、きれいなサイドが撮影できる場所です。 というよりほとんど海と言っていいところです。 JR山陰線や舞鶴・小浜線の電化で、乗り入れてくるJR列車が走らなくなったのが残念です。 ![]() 初秋の丹後半島。すでに少々早い稲刈りが進行中です。 観光シーズンでもあり、天橋立方面へ便利な直通列車のため乗車率はグリーン車を除いてまずまずのようでした。 ![]() どんな季節の風景にも似合う急行色はきれいなカラーでした。 ただ、昔から変らず、本線の電車に対してややローカル線の気動車というイメージを根強く持っていたため、やや古い印象もありました。 ![]() 随分とブラインドが降りているところを見ると、かなりの乗客がいるのでしょうか。 しかし2両目のグリーン車は、最初から南側のブラインドは全部降ろしているのでは?といった感じがしてしかたありません。 ![]() 山陰本線を行く、和田山・豊岡方面系統の「丹後」。 山陰本線のこの区間は、福知山線とあわせてすでに電化されているのですが、京都からの直通列車は非電化区間があるため、特急を含めもちろん気動車のままです。 「ちどり」 ![]() 宍道で山陰本線と離れ、木次線に進む広島行きの下り急行「ちどり」です。 芸備・木次線系統は広島行きが「下り」で、何か妙な感じでした。 ![]() 廃止直前の急行ちどりです。 かつては広島と松江〜鳥取を結んだ急行も、この頃は2両編成でした。 ![]() 木次駅に進入する下り急行ちどりです。 当時はまだ腕木式の信号機が活躍していました。 ![]() 奥出雲地方を走るちどりです。 急行列車とは言え、木次線内は相当足が遅く、一般道を走る長距離バスにかなわないのが現実でした。 ![]() 山中の駅・出雲三成に下り「ちどり」が到着。 腕木式の信号機や木製の電柱、高台の学校など、昔の風景が残っていました。 芸備・木次線系統では、広島行きが「下り」となります。 ![]() この頃は一日一往復の「ちどり」でしたが、木次線の出雲三成駅で上下列車の交換がありました。 上り列車の到着を待っています。 ![]() 上り列車が到着。 どちらも短いわずか2両の編成ではありますが、「急行列車の交換」という雰囲気は残っています。 ![]() 通票閉塞方式のため、先着の下り列車を待たせたまま上り列車が先に発車します。 「ちどり」のヘッドマークはデザインは同じですが、地色の濃淡で2種類あったようです。 ![]() 腕木信号が「進行」に変わり、待機していた下り列車が発車して行きます。 一日一回繰り返された、山中のシーンでした。 ![]() 芸備・木次線経由で広島と松江・米子方面を結んでいた急行「ちどり」です。 急行全盛時代は、相当のローカル線であっても地方の都市間連絡の急行が各地に運転されていました。 列車廃止直前、2両に短縮されて木次線を走る「ちどり」です。 ![]() 山中の駅、出雲坂根でローカル列車との行き違いです。 3段式スイッチバックの下側折り返し点の駅、出雲坂根には「延命の水」が湧いており、かつての「ちどり」では、掛け足ながら折り返しの待ち時間にホームに降りる余裕もありました。 ![]() 出雲坂根の3段式スイッチバックを下りてくる「ちどり」。 ここから次の「三井野原」駅までは、直線距離ではわずかなのですが高低差が大きく、スイッチバックを上った列車は谷をぐるりと大きく回って上りながら、サミットの駅三井野原に至ります。 ![]() 宍道湖を後に中国山地に向かう「ちどり」。 かつては臨時を含め2往復の夜行列車も設定されており、忙繁期には4往復の列車が走り、広島〜松江間の長距離バスと拮抗していました。 ![]() 山中の駅・出雲三成で上下「ちどり」の交換です。 どちらも2両の短編成ですが、列車本数の少ないローカル線にあって、「急行」の交換は昔ながらの光景でした。 ![]() 中国山地の奥深くを進む急行「ちどり」です。 この奥の峠には、出雲坂根の三段スイッチバックが待っています。 ![]() 木次駅に停車中の下り広島行き「ちどり」です。 宍道からこのあたりまでの木次線はまだ比較的平坦です。 ![]() 雪深い奥出雲地方、とは言っても米どころ。 少し開けたところでは水田が広がります。 こんな感じの風景の中では、もう少し長い編成のほうが似合うのですが。 ![]() かつては急行から普通までどこででも見られたキハ58系の編成。 やはりこの色でのんびり走るのが一番落ち着いた気がします。 ![]() 下り広島行き「ちどり」が出雲三成に到着。 反対側の腕木信号機は「停止」表示で、まもなく交換の上り「ちどり」が到着します。 ![]() 山中の出雲三成駅で、対向列車を待ちしばし休憩中です。 低いホームに線路を渡る通路と、いかにもローカル線の駅といった雰囲気でした。 ![]() 最後の頃はこのようなヘッドマークをつけていた「ちどり」です。 子供の頃に見た記憶では、白地に文字だけの四角い「カンバン」だったと思います。 1960年代の終わりごろですが。 ![]() かつての芸備線から木次線経由で山陰連絡の急行「ちどり」です。 この当時は夜行列車もあり、グリーン車を含む4両が所定でした。 ![]() 木次線は三段式スイッチバックの駅・出雲坂根で折り返し待ちの「ちどり」です。 当時はスキー列車としても賑わっていました。 「出島」 ![]() 基山付近を博多に向かう急行「出島」です。 先頭には島原鉄道からの乗り入れキハ26を連結です。 地方私鉄のキハ26ながら、国鉄乗り入れ用に冷房・エアサス台車付きと、破格の仕様の車両でした。 「白兎」 ![]() 先日山陰本線にリバイバルで運転された急行「白兎」です。 国鉄色のキハ58系で統一されたきれいな5両編成ですが、随所に老朽化の色は隠せません。 運転にあわせて、米子の後藤車両所内で一般公開されました。 ![]() 今年3月に運転された山陰本線急行「白兎」です。 5両ともなると結構堂々とした編成ですが、やはりこのくらいになると、中間にサロが欲しいと思ってしまいます。 ![]() 往年の急行列車の復活運転ですが、臨時列車のため残念ながらかなり脚の遅い列車でした。 もちろんそれでも車内は満席となっています。 ![]() やはり主役はこのキハ58系「白兎」です。 「急行」「指定席」といったサボを取り付けたままの5連の姿が、一番取り巻きが多いのは当然でしょう。 「火の山」 ![]() 同じく上り「火の山」。と当時の怪しい記録にはあるのですが、「火の山」ってこんなに長かったか? 昔の時刻表を引っぱり出すのが面倒で、ろくろく調べずのアップですが。 「みよし」 ![]() 秋の季節は「雲海」で有名な三次方面、少し冷え込むと深い霧の中になります。 本来天気はいいのですが、霧の中では写真にはなりません。 最初の下り(広島行き)急行がやって来る頃、ようやく少し薄くなってくれました。 ![]() 次の上り(三次行き)みよし2号です。 まだまだ霧は晴れてはくれません。 とは言え、少し明るくなってきた感じではあります。 ![]() 非電化区間の急行ではおなじみのキハ58系です。 しかし現役で活躍しているのは今ではごくわずか。 定期の急行列車としては、この「みよし」だけになってしまいました。 ![]() わずか2両編成の短距離ミニ急行ですが、今時珍しく4往復設定されているため、結構頻繁にやって来る感じで撮影できます。 現在活躍しているのは車齢の高いものばかり、先行き不安はあります。 ![]() 芸備線オリジナル塗装のキハ58系2両編成の「みよし」。 はっきりとは判りませんが、窓の中にはそこそこの乗客の姿が見られるようでした。 ![]() なんとなく安心感がある感じがするキハ58系のスタイルです。 オリジナル塗装もいいですが、1編成くらい本来の国鉄色に戻して貰えれば嬉しいのですが。 ![]() 中国山地深く、早朝の備後落合駅です。 普通列車としてスタートですが、途中三次からは急行「みよし」として広島に向かいます。 ![]() 列車廃止を前に、6月の1ヶ月間掲げられた急行「みよし」のヘッドマークです。 色合いもデザインもすっきりしており、1ヶ月間限定だったのが残念です。 ![]() 急行「みよし」のサボです。 見慣れた「急行」の文字も、広島地区ではこれが最後でした。 ![]() 備後落合で顔を合わせたキハ58「みよし」と新見からのキハ120です。 岡山地区と広島地区の顔合わせですが、今後はどうなってゆくでしょうか。 ![]() 出発信号が「青」に変わると、広島に向けて発車してゆきます。 もうちょっとすっきりしてもいいかなという塗装ですが、2両編成向きではあります。 ![]() 備後落合を後に、広島に向かうキハ58編成です。 秋には霧の有名な地方ですが、この季節はややもやっている程度でした。 ![]() 「みよし」の写真アップを3年ほど放ったらかしていました。 備後落合を出て三次に向かいます。 この区間はまだ「普通列車」です。 ![]() 三次盆地に出て、ようやく霧が晴れてきました。 平地に出ると、2両編成の気動車はいささか短く感じます。 ![]() 霧が晴れてしまえば快晴。 絶好の撮影日和です。 というほどいつも力を入れているわけではありませんが。 ![]() のどかな田圃のなかを行く急行「みよし」。 いかにもローカル然としたひとコマです。 ![]() 江の川の鉄橋はさほど長いわけではありませんが、このあたりでは撮影のポイントです。 中国山地を北に控えた広島県内の盆地ですが、川は瀬戸内ではなく北の山陰に向かって流れてゆきます。 ![]() 良いお天気なのですが、さすがに午後になると少々霞んでベッタリした感じになってきました。 この「みよし色」、軽快な感じですが、もう少しシンプルでも良かったのでは、と思います。 ![]() 2両だけの編成は、急行列車というよりはローカル気動車の雰囲気満点です。 とくにこんなのどかな田圃の中で、少し離れて眺めると。 ![]() ヘッドマークを付けた正面は、それでも「急行列」の威厳を辛うじて保っています。 期間限定ながら、派手派手しくない、好ましいデザインでした。 ![]() 広島方キハは、運転台がパノラミックウインドウの、新しいタイプ。 キハ40などと比べると窓が低い位置にあるため、このように窓周りが一色塗りになると、やや窓上の広さが目立ちます。 ![]() やはりキハ58系はこのスタイル。 ということで、前方下から見上げたこの角度が好きです。 ![]() ほぼ一日「みよし」相手に過ごしましたが、そろそろ夕刻。 車体の白色がオレンジに染まって見えます。 おそらくこれで見納め、ということになります。 その他 ![]() 西鹿児島駅で、九州名物?黄色の修学旅行色の気動車に出会いました。 後ろに従えたキハ26と比べると、色の違いは鮮明に判ります。 この車両にのみ目が向いていましたが、今見ると、手前のキハ26や、向こうのホームのボンネット特急など、懐かしい風景の西鹿児島駅です。
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