かいもん4号のホームページ COLLECTION 新幹線博多開業
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山陽新幹線が博多まで全線開業したのは、岡山開業から3年後の1975年3月10日。
すでに73年の第1次オイルショックの後で、それまでの高度成長時代での開業とはやや様相を異にしました。 岡山開業の時に比べると、やや冷めていたような印象でした。
■記念入場券

先の岡山開業の入場券と比較すると、いささか色使いとバランスの悪さが目に付くデザインです。
国鉄の入場券の値段は、国鉄運賃値上げにもかかわらず大人30円の時代が長く続きました。
このような記念入場券の発売がブームを迎えたのはいつからでしょうか。 ひとつは、1972年の鉄道100年記念がきっかけであったように思います。 当時、入場券大人3枚、子供1枚の4枚100円セットというのが定番で、コレクションには手頃でした。
その後、昭和50年代に入り入場券も値上げとなり、この価格体系が崩れてからはすこし退潮気味だったようです。 発売も、入場券から、単価が高く値段の切りが良い記念急行券や記念特急券にシフトして行き、割高感は否めませんでした。
一方当時値上げが押さえられていた私鉄では、国鉄より遅く発売のブームの時期がやってきたようでした。
山陽新幹線岡山開業で始まった私の記念キップのコレクションも、鉄道100年の集中発売で息切れしてしまい、その後の発売ラッシュにはついて行けませんでした。 博多開業以降は地元か旅先で出会ったものにほぼ限られています。 記念キップの発行も、オレンジカードや各社のプリペイドカードにシフトしてしまい、今ではほとんど購入の機会がありません。

当初、新幹線博多開業は1974年秋の見込みでしたが、工事の遅れの影響で翌75年にずれ込みました。 地元では比較的工事が進んでいた広島までの暫定開業案も飛び出したりしましたが、ダイヤ改正の煩わしさから結局実現しませんでした。
新幹線開業により、東京−博多間は6時間40分。但し当初は山口・北九州地区の地盤安定のための減速運転の影響で、6時間56分での運転。
岡山−広島56分と、とにかく早くなったという印象は大きなものでした。 しかし皮肉なことに、この時期を境に東京−博多間の乗客数は列車と航空機が逆転してしまいました。

■入場券・急行券

さて、新幹線博多開業と同時に地元・玉島駅に新幹線駅が併設され、同時に駅名が「新倉敷」と、ありきたりのつまらないものに変わってしまいました。 当然ながら、3月10日発売の記念入場券も「新倉敷」駅発行です。
旧駅名の記念にと求めた、入場券と急行券です。 玉島駅自体は、開業半年ほど前に、それまでの旧駅舎から橋上の新しい駅に切り替えが終わっており、切符の自動販売機が設置されていました。 しかし窓口では入場券は相変わらず従来の硬券もあわせて売られていました。 入場券だけでは、と併せて購入した急行券ですが、当時としてはやや高い投資に思えました。

■駅スタンプ 2005年3月20追加

同じく、新幹線開業・駅名変更で消えた、旧駅名のスタンプです。
ディスカバー・ジャパンキャンペーンのスタンプは、途中で更新されていないとすると5年ほど使われていたこととなり、角のほうが随分と磨り減っていました。

■記念入場券 2005年3月20日追加

博多開業を記念して、既存区間の大阪地区でも記念入場券が発売されました。 新幹線駅ではない三宮駅のものですが、外袋に「大阪鉄道管理局」と入っているため、大鉄局管内は同様のデザインだったと思われます。
岡山開業のキャッチフレーズは「ひかりは西へ」でしたが、今回は「ひかりライン」で統一されています。

■記念入場券 2005年3月20日追加

こちらは広島鉄道管理局管内、三原駅の入場券です。
写真の題材も、管内の広島・山口両県の観光地でまとめられています。
「ひかりライン」のデザインは、当然ながら0系です。 やはりシルエットだけで新幹線、と印象づけるのは0系が一番だと思います。
色は赤と青の二種類ですが、そういえば博多開業時は、ひかりの停車駅タイプを区別するのに「赤いひかり」「青いひかり」なんていう言葉がつかわれていました。

■記念入場券 2005年3月20日追加

こちらは四国・高松駅の入場券です。
四国総局のテーマは4県の「無形文化財」なのでしょうか。
新幹線開業と同時に、「特急南風」の増発記念も冠っています。 一時間に一本特急が走る今とは違い、当時特急の増発は、その地方ではかなりのニュースになる出来事ではありました。

■記念特急券 2005年3月27日追加

さて、新幹線開業一年後。
地元駅・新倉敷で、再び記念切符が発売になりました。
しかしご覧のとおり、今回は入場券ではなく、何と「特急券」です。 「切符」としての価値は確かに高いのでしょうが、「コレクション」として考えると、一年前の「四枚一組100円おまけに外袋付き」が「たったの一枚で600円」に超インフレです。 地色に金色を使ったりして、豪華さを醸し出してはいますが。 当時の高校生の小遣いでは、ちょっと辛い価格ではありました。 国鉄の赤字がますます悪化し、毎年の値上げが行われた時期ですから、少しでも増収、の目的だったのでしょうか。
この頃まで3年ばかり、わりと本気で記念切符を収集していたのですが、入場券の値上げや記念特急券へのシフトにより、急速に熱が冷めてしまいました。

■記念入場券 2005年3月27日追加

時は流れて、開業から10年後の1985年です。
新倉敷駅の記念切符は、9年前の反省?からか、再び記念入場券に戻りました。
しかしこの10年間の度重なる値上げで、大人30円、子供10円だった入場券は、大人130円、子供60円と、大きく値上がりしてしまいました。 (その後20年間、ほとんど値上がりしていないのは奇跡的です。) 3枚で320円、というのはちょっと中途半端ではありますが、まあセット価格としては許容範囲内でしょうか。

■記念入場券 2005年3月27日追加

同じく開業10周年の記念入場券。 こちらは九州・小倉駅のものです。
同じく3枚で320円、当時の国鉄の記念入場券のスタンダードな構成ですが、何と1枚のシートにまとめている大型版です。 もし本当に使う人がいたとしたら、改札出口では1枚分だけ回収するのでしょうか。 確かにミシン目は入っていますが・・・。


■記念入場券硬券セット(1) 2005年4月3日追加


さて、今年2005年は、新幹線が博多まで開業して早くも30周年です。
今回は、「全駅入場券セット」と銘打って、これまでの記念入場券と異なり、硬券の入場券セットとなりました。


見開きのページは、山陽新幹線の歴代の車両です。
博多開業当初は、3往復設定された「こだま」を含め、車両はすべて「ひかり」編成の0系16両編成でした。
今では列車も車両・編成も随分とバラエティに富んでいます。
もっとも、当初はわずか4両編成の「こだま」が行き交うことになるとは思ってもいませんでしたが。


見開きの反対ページは、ごくごくかいつまんでの歴史です。
やはり当時と比べると相当スピードアップしたのが一番の変化でしょう。
山陽区間では、「ひかりレールスター」は「のぞみ」とほぼ同じ位置付けであり、「岡山ひかり」は実質上名古屋以西は「こだま」と同等で、運転パターンは二極化されています。
「こだま」がもう少し早くて便利なら、と思うのですが。


各駅の入場券は、四つ折りの中のページに全19駅分が順に配置されています。
中途半端に駅の外観写真が含まれていますが、スペースの問題でしょうか。


今は窓口に置いてあるのかどうか知りませんが、開業当初、地元新倉敷駅では、有人切符窓口とは別の場所にある「みどりの窓口」で買うと、硬券の入場券が出てきました。
おまけにMARSシステムの最新の端末機でも入場券が発行できましたが、これはドットインパクト方式の、印刷に恐ろしく時間のかかる切符でした。


後から出来た、比較的新しく新幹線専用駅の「新尾道」や「東広島」では、硬券の入場券を常備していたことがあるのでしょうか。


「新山口」駅も、「小郡」から名前が最近変わった駅のため、硬券入場券は初めて目にしました。
さて、この次山陽区間で新幹線駅が増えることはあるのでしょうか。
かつて候補に上がっていた「備前」や「新宮島口」、さらには駅間の長い「室木」か「筑豊」あたりも候補になるのでは、と思うのですが。

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