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聖書の構成
最初に読む基本情報 |
このページは2016年3月に移転しました。
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このステップには「4つの始まり」が書かれています。つまり:
このステップは聖書全体のメッセージの鍵となる大切な箇所なので少し詳しく書きます。
創造主である神さまが無からすべてを創造します。創造のプロセスにかけた時間は6日間。そして1週間の最後の1日に神さまは休まれます。
神さまの創造の手段は「言葉」です。神さまが言葉で「在れ(あれ)」と言うといままでなかったものが存在を始めました。「神さまの言葉はすべて字面通りに実現するから」です(話がそれますが、ということは「神さまの言葉」である「聖書」に記された内容もやはり字面取りに実現することになります。ということで聖書にはこれまでに字面どおりに実現した史実と預言、これから実現することになる預言が含まれます)。
この聖書の最初の部分には最初に神さまによって創造された世界(天、宇宙、地球)が神さまの目から見て「良い」ものであったと記述されています。神さまが造る物はみな「良い」のです(一方で、それを「独自の意志と判断」で悪い方向へと変えて来たのは人間です)。
聖書を新約聖書まで読み進めると「天地の創造主である神さまは実はイエス・キリストであった」ことがわかります。イエス・キリストはいまから約2000年前に地上に人として現れるはるか昔から存在し、最初に天地を創造した神さまと同一だったということです。
創造のプロセスの6日目、神さまは地上に人を置きます。
このときあらゆる創造物の中で人だけに特別な愛情が注がれたことがわかります。神さまはわざわざ自身の姿を映す形で人を創造し、すべての獣や鳥をその支配下に置き、食物として地上のあらゆる草や実のなる木を与えたのです。
Genesis 1:26-29 [NLT]/ 創世記1章26〜29節 [新改訳]
26 Then God said, “Let us make human beings in our image, to be like us. They will reign over the fish in the sea, the birds in the sky, the livestock, all the wild animals on the earth, and the small animals that scurry along the ground.”
26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
27 So God created human beings in his own image. In the image of God he created them; male and female he created them.
27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
28 Then God blessed them and said, “Be fruitful and multiply. Fill the earth and govern it. Reign over the fish in the sea, the birds in the sky, and all the animals that scurry along the ground.”
28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
29 Then God said, "Look! I have given you every seed-bearing plant throughout the earth and all the fruit trees for your food.
29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
神さまは最初に男性のアダムを造ります。「ちり(土)で人を形造り、神さまが鼻にいのちの息を吹き込むと人が生きものとなった」と書かれています。その後神さまはアダムの肋骨を一本抜いて、そこから女性のエバを造りアダムの妻としました。
神さまが最初にアダムに与えたルールはただひとつでした。
Genesis 2:16-17 [NLT]/ 創世記2章16〜17節 [新改訳]
16 But the Lord God warned him, “You may freely eat the fruit of every tree in the garden --
16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 except the tree of the knowledge of good and evil. If you eat its fruit, you are sure to die.”
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
つまりアダムとエバにはあらゆる動物の支配権と、食べ物として地上のあらゆる草と実のなる木が与えられたのですが、たった一本「善悪の知識の木」の実は食べてはいけないと言われたのです。
ある日エバの元へヘビがやって来てたずねます。神さまから直接ルールを与えられたアダムではなく、妻のエバを選ぶあたり、ずる賢いですね。
Genesis 3:1 [NLT]/ 創世記3章1節 [新改訳]
1 The serpent was the shrewdest of all the wild animals the Lord God had made. One day he asked the woman, “Did God really say you must not eat the fruit from any of the trees in the garden?”
1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
ヘビは神さまの言葉を巧妙にねじ曲げています。神さまは「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」と言いましたが、ヘビは「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか!?」と事態を大げさにねじ曲げてふっかけます。
エバが答えます。
Genesis 3:2-3 [NLT]/ 創世記3章2〜3節 [新改訳]
2 “Of course we may eat fruit from the trees in the garden,” the woman replied.
2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
3 “It’s only the fruit from the tree in the middle of the garden that we are not allowed to eat. God said, ‘You must not eat it or even touch it; if you do, you will die.’”
3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」
エバはまんまとヘビの誘いに乗ってしまって、「それに触れてもいけない」と神さまに言われていないことまで答えています。
ヘビはこれを聞き逃しません。エバの心にある弱点を見つけると、エバをそそのかして追い込んでいきます。
Genesis 3:4-5 [NLT]/ 創世記3章4〜5節 [新改訳]
4 “You won’t die!” the serpent replied to the woman.
4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
5 “God knows that your eyes will be opened as soon as you eat it, and you will be like God, knowing both good and evil.”
5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
「あなたがたは決して死にません」は嘘ですね。神さまは「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と言いましたから。そして禁断の木の実には、神さまが隠している秘密があるのだよと誘いかけます。
Genesis 3:6a [NLT]/ 創世記3章6a節 [新改訳]
6a The woman was convinced. She saw that the tree was beautiful and its fruit looked delicious, and she wanted the wisdom it would give her. ...
6a そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。・・・
そう言われてエバは木の実を見ます。ということはエバは最初から問題の木の実の近くにいたことになります。あまり賢明とは言えませんね。
「その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく・・・」、エバは果物を見て魅了されてしまいます。たしかに死なないのかも知れないな・・・。「賢くするというその木はいかにも好ましかった」、神さまはこんな素敵な木の実を私たちにくれないなんてずるいな・・・。そう思ったのかも知れません。「欲しい」「欲しい」「欲しい」。こうなると人の欲望は止まりません。
アダムとエバには地上のすべてが与えられていたのです。ところが巧妙なヘビの話術にだまされて、神さまから食べることを禁じられていた、たった一本のその木の実をエバはどうしても食べたくて食べたくて、もはや自分の欲求が抑えられなくなってしまいました。
Genesis 3:6b [NLT]/ 創世記3章6b節 [新改訳]
6b ... So she took some of the fruit and ate it. Then she gave some to her husband, who was with her, and he ate it, too.
6b それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
ついにエバは手を伸ばし、実をつかみ、木からもぎ取ります。そして食べました。どうだったのでしょう。禁断の木の実はおいしかったのでしょうか。そしてアダムも食べた。なんとアダムは一緒にいたのですね。いつから一緒にいたのでしょう。
果物を食べた二人はその場でバッタリ倒れて死ぬようなことはありませんでした。「あれ、死なない?」 実は神さまが言ったのはそんなことではなかったのです。二人は肉体的に死ななかったというだけのことで、このとき二人は神さまから切り離され、霊的に死んだのです。
二人に変化が訪れます。
Genesis 3:7[NLT]/ 創世記3章7節 [新改訳]
7 At that moment their eyes were opened, and they suddenly felt shame at their nakedness. So they sewed fig leaves together to cover themselves.
7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
実を食べた二人は自分たちが裸であることに気づきます。そして恥ずかしくなりイチジクの葉をつづり合わせて腰のまわりにまといました。
聖書の中では「裸」は「罪(Sin)」の象徴です。実を食べたアダムとエバは突然「恥ずかしくなり」、何だかわからないけどいままでに味わったことのない居ても立ってもいられない「不安な気持ち」になったのです。これは二人が「自分たちが神さまから切り離されたことを自覚した」ということです。
そしてその不安で恥ずかしい気持ちをイチジクの葉という「人間独自の知恵と努力」で隠そうとしたのです。
聖書に書かれている「罪(Sin)」とは、「神さまの期待を裏切ること」「神さまをガッカリさせること」全般を言います。実は日常自分が感じる「恥ずかしい気持ち」「不安な気持ち」は「罪(Sin)」の自覚の現れなのです。人はそういう「恥ずかしい気持ち」や「不安な気持ち」を「独自の知恵と努力」で隠そうとします。ですが全裸の自分の腰をいちじくの葉をつづり合わせて隠してもどれほどの効果があると言うのでしょうか。これで恥ずかしい気持ちや不安な気持ちがすっかり解消されるとでも言うのでしょうか。私たち人間が誇る「独自の知恵と努力」は、神さまから見ればいちじくの葉ほどの浅はかな行動でしかないのです。
神さまが二人を捜しに来ると二人は木の間に隠れます。神さまはすべてを知っている方ですから二人がどこにいるかはご存じですが、「あなたは、どこにいるのか」とわざわざ二人を呼びます。神さまはあくまでも二人が自分から謝罪に来ること、自覚した自分たちの「罪(Sin)」の処置を神さまに委ねることを待っているのです。
アダムとエバは神さまの前に立ちますが二人は素直に謝ることはせず、アダムは責任を最初に食べたエバに押しつけ、エバは自分をそそのかしたヘビに責任を押しつけます。
ここまでをご覧になった神さまは「呪い(curse)」をかけます。
女性は産みの苦しみを負い、また自分の気持ちとは裏腹に夫に支配されるようになります。
Genesis 3:16[NLT]/ 創世記3章16節 [新改訳]
16 Then he said to the woman, “I will sharpen the pain of your pregnancy, and in pain you will give birth. And you will desire to control your husband, but he will rule over you.”
16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
男性は「地上に対する呪い」の原因となります。
Genesis 3:17-19[NLT]/ 創世記3章17〜19節 [新改訳]
17 And to the man he said, “Since you listened to your wife and ate from the tree whose fruit I commanded you not to eat, the ground is cursed because of you. All your life you will struggle to scratch a living from it.
17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
18 It will grow thorns and thistles for you, though you will eat of its grains.
18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった」。この時点まで神さまの目から見て「良い」ものだったはずの地上は、アダムの裏切りによって神さまに呪いをかけられてしまいました。その結果地は容易に食物を生産しなくなり人は苦しい労働をしなければ食べ物が得られなくなります。
そして人の「死」が宣告されます。
Genesis 3:19[NLT]/ 創世記3章19節 [新改訳]
19 By the sweat of your brow will you have food to eat until you return to the ground from which you were made. For you were made from dust, and to dust you will return.”
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
働いて、働いて、働いて、そのあげく「ついに、あなたは土に帰る」「あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」。こうして人に「死ぬ」運命が宣告されました。と言うことはこの時点までは人は死なない存在だったのです。神さまの言った「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」の意味はこれだったのです。
ところでエバをそそのかしたヘビですが、その正体は「サタン」です。サタンはもともと位の高い天使だったのですが、神さまに反抗して天から地上へ落とされました(堕天使)。その様子は旧約聖書の預言書「Isaiah(イザヤ書)」などに書かれています。そのときサタンにはすべての天使の 1/3 が味方についたのですが、この天使たちも一緒に地上に落とされサタンに率いられた悪魔・悪霊となりました。1/3 が味方についたとは言っても神さまから見れば天使も所詮は創造物の一つですから、反抗した天使の群れを地上に落とすことなど造作もありません。
サタンの動機は人を破滅させること、それだけです。エバをそそのかしたときのように、嘘をついて人を甘い言葉で人を欺き騙します。サタンの誘いに乗れば人は自分の持っていたものをことごとく失って粉々にうち砕かれます。サタンはそれを見て笑っているのです。
地上と人が呪われたとき、サタンも呪われました。
Genesis 3:14-15 [NLT]/ 創世記3章14〜15節 [新改訳]
14 Then the Lord God said to the serpent, “Because you have done this, you are cursed more than all animals, domestic and wild. You will crawl on your belly, groveling in the dust as long as you live.
14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
15 And I will cause hostility between you and the woman, and between your offspring and her offspring. He will strike[b] your head, and you will strike his heel.”
15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
「彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」とありますが、「女の子孫」としてやがて生まれる「彼」はイエス・キリストのことです。ですので「おまえ」(ヘビ、すなわちサタン)はイエス・キリストのかかとにかみつくが(妨害をするが)、イエス・キリストは「おまえ」の頭を踏み砕く(うち負かす)と言っているのです。
サタンは今回まんまとエバをそそのかして人と神さまを切り離し、人間を破滅の道へと追い込みましたが、神さまはこの時点ですでにサタンの計画を打ち砕く救世主がやがて送られると約束しているのです。神さまは人と地を呪ったと同時に、救済の計画があることも示した、ということです。
こうして人はサタンにそそのかされたとは言え、自分の意志で神さまを裏切り、謝罪のチャンスも無にして神さまから切り離されてしまいました。このときからアダムとエバから派生する私たち人間はすべて呪われて誰もがある日死ぬべき存在となったのです。すべての人はアダムとエバの犯した罪に対する罰として「死」を背負っているのです。人が神さまから切り離された状態を「失われた(lost)」状態と言います。人が再び神さまとの関係を回復するためには、神さまと人との間に立つ「救世主」が必要です。
神さまのもとを追われたアダムとエバが残した子孫が地上に増えていったとき、神さまは「地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった」(Genesis 6:5/創世記6章5節)とあります。つまり人は神さまの目から見て悪いことばかりを考えるようになりました。
神さまは人を創造したことを悔やみ、心を痛めて、人も動物も鳥もすべてを地上から消し去ることにします。ですが地上にただひとりだけ神さまの心にかなう人がいたのです。それがノアです。
神さまはノアに命じて巨大な箱船を建造させます。建造には100年以上を費やしました。ノアはその間、人々に洪水が来ると警告しますが人々は笑って聞こうとはしませんでした。
ノアは神さまに命じられたとおりに箱船に自分の家族(自分、妻、息子3人とそれぞれの妻3人の8名)を乗せ、またあらゆる種類の鳥と動物のつがいがが箱船に乗って来ました。そして箱船の扉は神さまご自身が外側から閉じました。
それから40日の間雨が降り続き地上はすべて水で覆われて、地上にいた人も動物も鳥もすべてが死に絶えました。その間箱船は水の上を漂いました。
やがて水が減り始めて雨もやみました。箱船はアララト山に漂着し、やがて地面が顔を見せるとノアの家族と動物や鳥たちは箱船から下りました。神さまはこのとき二度と地上を「水」で滅ぼすことはしないと約束し、約束の印として雲の中に虹を立てました。
最初にアダムとエバから派生して増えた人はこのときにノアの家族を除いて一度すべて死に絶え、再びノアの家族からスタートして増えていくことになります。
ノアの家族から派生して人は再び地上に増えていきます。
その頃バビロンの王のニムロデがたくさんの人々を集めて巨大な「バベルの塔」の建築を始めました。言い伝えによるとニムロデは太陽や月を神として信仰し、これらの神の崇拝の目的でバベルの塔を建てたと言われます。
神さまはこれを見て人々の言葉が互いに通じないようにして混乱させます。これが今日の民族の始まりです。民族は互いに違う言葉を話し争うようになります。
また言い伝えによるとニムロデの死後に権力を握ったのはニムロデの后で、自分の息子はニムロデの生まれ変わりの神だとして人々に崇めさせました。ここから「母なる神(豊穣の神)」と「子なる神」の信仰が始まったとされます。世界各地に散らされた民族は、そのとき母子神の信仰を携えていきました。これが異教の始まりとされます。
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神さまがひとりの男、アブラハム(Abraham)を呼びます。
神さまはアブラハムに民族国家を建国させ、その血筋から人類を救済する「救世主」を誕生させようとしているのです。
下に掲載したのは当時の中東のあたりの地図です。最初にアブラハムは地図の右下、ペルシア湾に近い「カルデヤ人のウル(Ur of the Chaldeans)」から、妻サラ、父テラ、甥ロトと共に出発します。
アブラハムが現シリアの北の境にあるハラン(Haran)の地にいたときに神さまに呼ばれ、神さまの示した地を目指して地中海沿いを南下して行きます。
神さまにより約束された血筋は、アブラハムが高齢にして授かった子供イサク(Isaac)、その息子ヤコブ(Jacob)へと受け継がれ、ヤコブはイスラエル(Israel)へと改名します。ヤコブの12人の息子はイスラエルの12の部族の先祖になります。
この12人の息子たちのうち最もなじみが深いのはヨゼフ(Joseph)です。ヨゼフは父ヤコブの寵愛を受けて兄弟たちに妬まれ、あるとき裏切られてエジプトへ奴隷として売られてしまいます。しかし結局その出来事が後にイスラエルを救うことになります。
兄弟に裏切られて家を追われたヨゼフがその顛末を手段として最終的に一族全体を救済するという展開は、人に裏切られたイエス・キリストが自分の死と復活によって人類全体を救済する絵に重なります。
このステップの最後でヤコブの一家70人は飢饉に襲われたパレスチナの地を脱出しヨゼフを頼ってエジプトへ移り住みます。
血筋の流れは、アブラハム > イサク > ヤコブ(イスラエルに改名) > 12人の兄弟(そのうちのひとりがヨゼフ)です。
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前のステップで兄弟によりエジプトに売られたヨゼフは、エジプトの王(パロ=ファラオ=Pharaoh)の夢を解読しエジプトを七年の飢饉の窮地から救いました。この結果ヨゼフは王に継ぐナンバー2に指名されて国家運営の全件を担っていました。このおかげでヨゼフの父であるヤコブの一族はエジプトへ移り住むことができ、厚遇されたのです。
ところが400年の時が流れて王の代が移り変わると、七年の飢饉やヨゼフのことはすっかり忘れ去られてしまいました。エジプト国内でユダヤ人が増えてくると(この時点で恐らく200万人以上)、ユダヤ人はエジプト人にとって脅威として映るようになります。結果としてユダヤ人は迫害され奴隷として酷使されるようになります。
迫害を受けるイスラエルの民をエジプトから脱出させるのが預言者モーセ(Moses)です。
ユダヤの民が助けを求めるとその声が神さまに届きます。神さまはモーセを指導者に指名し、10の災厄を起こしてイスラエルの民をエジプトから連れだします。モーセが杖を振ると行く手を阻む紅海が二つに割れて乾いた地面が現れ、200万人以上のユダヤ人は乾いた海底を渡って脱出します。
脱出後、神さまはモーセを通じてシナイ山でユダヤの民に「十戒(10 Commandments)」に代表される「律法(Law)」を授けます。ユダヤの民はここまで神さまを畏れ信仰してきましたが、自分が神さまの目に「良い」として映るために何をすれば良いのか、あるいは何をしてはいけないのか、具体的にはわかりませんでした。それがこのとき初めて神さまの考える善悪の基準が「律法」として示されたのです。
律法は「十戒」に代表されますが、神さまが示したルールはたった10件などではなく、「Exodus(出エジプト記)」「Leviticus(レビ記)」「Numbers(民数記)」「Deuteronomy(申命記)」にちりばめられた規則は全部で613件に及ぶと言われています。
また神さまは律法の中で「十戒を刻んだ石版」を納めるための「聖なる箱(Ark)」、儀式を司る司祭の着る装束、いけにえを捧げるための祭壇、これらがすべて配置される「幕屋(Tabernacle)」と呼ばれる移動神殿など、様々な装束、調度品、建築物の製作方法を細かく教え、民はこれらの品を整えます。
モーセがシナイ山で律法を授かるのに40日を要しました。この間ユダヤの民は山のふもとで待っていたのですが、モーセがなかなか山から降りてこないので我慢ができず、自分たちの手で神の像を作ります。みなが金の耳輪をはずして鋳造し、鋳物の子牛(Goden Calf)にしたのでした。これを指導したのはあろうことかモーセの兄のアロンです。
「十戒」ではその冒頭で「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」と定めていますがユダヤの民はそれを「偶像崇拝」という最悪の形で裏切ったのでした。
このとき神さまはユダヤの民を滅ぼそうとしますがモーセが取りなしをして神さまは思い直します。
ユダヤの民は目的の地パレスチナを目指して荒野を進みますが、すぐにモーセに対して不満を言い始めます。食べ物がない、飲み水がない、のたれ死にさせるつもりか、これならエジプトで奴隷をやっていた方がよっぽどましだった、等々。神さまはその度に怒りますが、いつもモーセが神さまと民の間に入って取りなしをして神さまの許しを得ます。
こうしていよいよ目的地のカナン(=パレスチナ)が近づくと、ユダヤ人は12の部族からひとりずつ斥候を選び出して偵察に出します。戻ってきた斥候の報告によるとパレスチナは確かに神さまの言うように「乳と蜜の流れる地」(つまり放牧と農園に適した肥沃な大地)だったのですが、斥候の12人のうち10人が消極的なことを言い出します。つまり確かにカナンの地は肥沃ですばらしい土地だったが、そこに住んでいる民は自分たちより体格がはるかに大きくて強く、町々は城壁で囲まれているから征服はとても無理だと言うのです。
12人のうちの残りの2人、カレブ(Caleb)とヨシュア(Joshua)だけは違うことを言います。自分たちには神さまがついている、その神さまがその地をくださると約束されたのだから恐れることなくパレスチナを占領しようと民を鼓舞します。しかしユダヤの民はすでに10人の報告を聞いて恐れをなし、自分たちはエジプトの地で死んでいた方が良かった、この荒野で死んだ方がましだ、エジプトに帰ったほうが良いのではないかと言い始めます。
これを聞いた神さまは、エジプトで起こした10の厄災や二つに割れた紅海を自分の目で見ながらいつまでも自分を信用しようとしないユダヤの民に怒り、カレブとヨシュアを除いてエジプトを脱出してきたユダヤ人は誰一人としてパレスチナの地には入れない、すべて砂漠で倒れて死ぬことになると告げます。
こうしてそのとき20才以上だった男たちが死に絶えるまでの間の40年間、ユダヤの民は砂漠をさまよい歩くことになります。
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モーゼを引き継ぎ、次のイスラエルのリーダとなったのはヨシュア(Joshua)です。
砂漠の中を40年間放浪した後、ヨシュアはイスラエルの民を率いてヨルダン川を東から西へと渡り約束の地カナン(パレスチナ)へ入ります。ヨシュアは最初にエリコ(Jericho)の町の城壁を崩して征服しイスラエルを勝利へと導きます。
ユダヤ人はヨシュアの指揮の元、大がかりな軍事作戦を展開して先住民族を次々と滅ぼし征服地を拡げていきます。やがてイスラエルの12部族にはそれぞれに土地が割り振られます。
ところが各部族はすぐに他民族の制圧に妥協し始めます。つまり神さまの命令に従わず、自分に割り振られた土地から他民族を追い出すことをせず、その民族を支配下に置いて奴隷としたり、貢ぎ物を捧げさせたりしました。
このようにしてユダヤの民の中に残った他民族はイスラエルが強く団結している間は支配下に置かれていますが、やがてユダヤ民族が神さまを裏切る行為を続けて祝福を失い力を落とすに従って再び力を取り戻し、イスラエルに反抗するようになるのです。
ヨシュアの後、ユダヤの民のリーダーの地位を継ぐ者は現れず、この結果パレスチナには混乱の時代が訪れます。人々は神さまから離れ神さまとの会話をやめて、自分独自の判断で良いと思ったことをし始めます。
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このステップはイスラエルの暗黒時代です。聖書の中ではまったく同じような内容の物語が何度も繰り返されます。
Judges 2:11-13 [NLT]/ 士師記2章11〜13節 [新改訳]
11 The Israelites did evil in the Lord’s sight and served the images of Baal.
11 それで、イスラエル人は主の目の前に悪を行ない、バアルに仕えた。
12 They abandoned the Lord, the God of their ancestors, who had brought them out of Egypt. They went after other gods, worshiping the gods of the people around them. And they angered the Lord.
12 彼らは、エジプトの地から自分たちを連れ出した父祖の神、主を捨てて、ほかの神々、彼らの回りにいる国々の民の神々に従い、それらを拝み、主を怒らせた。
13 They abandoned the Lord to serve Baal and the images of Ashtoreth.
13 彼らが主を捨てて、バアルとアシュタロテに仕えたので、
14 This made the Lord burn with anger against Israel, so he handed them over to raiders who stole their possessions. He turned them over to their enemies all around, and they were no longer able to resist them.
14 主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らを略奪者の手に渡して、彼らを略奪させた。主は回りの敵の手に彼らを売り渡した。それで、彼らはもはや、敵の前に立ち向かうことができなかった。
ユダヤの民は神さまを捨てて、自分たちの周囲に住む異民族の神を拝み始めます。姿形の見えない神さまよりも異教の偶像を拝む道を選んだのです。これは神さまの目から見ると神さまが最も忌み嫌う裏切りの行為です。
創造主である神さまは子供を見守り育てる親のような存在ですから、悪いことをすれば厳しく罰します。神さまは裏切りの見返りとして周囲の民族に加勢してユダヤ人を攻めさせます。神さまの後ろ盾を失ったユダヤ民族は力を失い、異民族の圧迫に苦しむようになります。周辺からパレスチナへの敵国の侵入はいつも神さまからの警告や裁きなのです。
この時代イスラエルの民が自分のあやまちを悔いて神さまに助けを乞うと、神さまは軍事上の指導者を与えて苦難を乗り越えられるようにしました。これらの指導者を「士師(Judges)」と呼びます。
代表的な士師としてはサムソン(Samson)やギデオン(Gideon)があげられます。最後に登場したサミュエル(Samuel)は士師であると同時に神さまの言葉を預かる預言者でもありました。
それぞれの士師が活躍したのは限定的な地域で(つまりパレスチナ全土が守られたわけではなく)、もたらされた平安の年月も限られていました。平安がしばらく続くと民はすぐに神さまのことを忘れて神さまから離れていきます。すると再び敵国に攻め込まれました。
いよいよ困り果てたイスラエルの民はこのステップの最後で、サミュエルに対して「王が欲しい」と頼みます。イスラエルの民にとっての「王」とはすなわち創造主である神さまのはずなのに、人々は周辺の敵国と同様に人間の王を持つことを求めたのです。
この時代にユダヤの民が行っていたことは、Judges 17:6(士師記17章6節)と、Judges 21:25(士師記21章25節)の二カ所に同じ記述が見られます。
Judges 17:6 [NLT]/ 士師記17章6節 [新改訳]
6 In those days Israel had no king; all the people did whatever seemed right in their own eyes.
6 そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。
「自分たちの王を持つこと」、これも人間が自分たち独自の判断で考えた「良い」ことに他なりません。「自分の目に正しいと見えること」、つまり人間が自分自身の判断で「良い」と思ったことは神さまの目から見たときには必ずしも「良い」とは限りません。
聖書の一番最初の場面、アダムとエバには地上のあらゆるものが与えられていた、つまり自分たちは地上の王だったというのに自分独自の判断で「良い」と思って禁じられていた善悪の知識の木の実を食べ、その結果二人はエデンの園を追われて人は神さまとの関係を絶たれ、地上は呪われてしまったのでした。
神さまの存在、神さまへの感謝の気持ちを忘れて、自分の判断で勝手に好きな方向へ走り出てしまう。欲しいと思ったら欲望を抑えることができない。私たち人間はすべてアダムの血を引き継いでいるのです。
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このステップにはたくさんの本が含まれます。
歴史書のうち2冊の「Chronicles(歴代誌)」の内容は、「Samuel(サムエル記)」2冊と「Kings(列王記)」2冊を合わせた内容と重複します。これは書かれた時代背景と目的が異なるからです。
預言書がたくさんあります。このステップにはたくさんの預言者が出現して神さまの言葉を預かり、イスラエルに対して強烈な警告のメッセージを発します。メッセージの内容はほぼ一貫していて「自分たちのしてきたことを罪と認め悔い改めなさい。神さまに謝罪して向き直りなさい。さもなければ大変な罰が下ります。その罰は国外へ追放されるか(exile)、他民族に捕らわれの身となること(captivity)の形でやって来ます」と告げます。
それと同時に預言者はメッセージの中で「だがイスラエルが取り戻される日が来る」「救世主が到来する」とも告げます。
このステップは、さらに次の3つの段階に分かれます:
この前のステップの最後で、イスラエルの民は預言者サミュエルに「王が欲しい」と乞いました。サミュエルは「王を持つとはどういうことか」を説き、思い直すように促しますが民は聞き入れません。結果として最初にイスラエルの王となったのはサウル(Saul)です。誰よりも背が高くハンサムな王です。最初は謙遜な王としてスタートしますが、やがてルールを犯して神さまの期待に背きます。
次の王はダビデ(David)です。王になる前、ダビデ少年は神さまが自分と共にいることを信じ、たったひとりで敵国の巨人ゴリアテを倒しました。これは聖書の中でも有名なエピソードです。王となった後も常に神さまと近く歩み、神さまからたくさんの祝福を受けました。イスラエルで最も偉大とされる王であり、救世主はダビデ王の王座を占めると繰り返し預言されます。
三人めの王はダビデの息子ソロモン(Solomon)です。誰よりも賢い王として知られ、エルサレムに最初の寺院を建設しました。が、後年はルールを犯して神さまの期待に背きます。
三人の王はそれぞれ約40年ずつを統治したので、統一王朝の時代は合計120年です。
ソロモンが死ぬと息子のレハブアム(Rehoboam)が後を継ぎますが、政治を誤って国内は内戦状態となります。結果として王国はレハブアム側に付く2部族による南朝「ユダ(Judah)」と、レハブアムに対抗する10部族による北朝「イスラエル(Israel)」に割れます。
北朝「イスラエル」の最初の王ヤロブアム(Jeroboam)は国土の中に唯一存在する寺院が南朝のエルサレムにあることから、人々が寺院を参拝しにエルサレムへ赴けばやがて人々は南朝へなびくだろうと憂慮します。そこでヤロブアムは「金の子牛」像を作り、神さまの代わりにこの偶像を崇拝させます。この偶像崇拝の罪を重く見て北朝から南朝に移り住む人もいました。結果として南朝にはもともとの2部族だけでなく、後から合流した人たちも加えて12の全部族が住むようになりました。
王国が南北に割れ北朝が偶像崇拝からスタートしていることもあり、人々はいよいよ神さまの期待に背く罪深い行いを繰り返します。するとたくさんの預言者が登場してきて、罪を悔い改めよ、神さまに向き直れ、さもないと捕らわれの身となるか、国外へ追放される審判が下るぞ、と警告します。ところが人々はなかなか行動を改めません。
ヤロブアムの偶像崇拝からスタートした北朝イスラエルでは歴代の王は神さまの期待に背く邪悪な王ばかりで、人々は結局一度も神さまに向き直ることはありませんでした。結果として北朝はアッシリア帝国(Assyria)に滅ぼされます。
アッシリア帝国の植民地政策は上流及び中流階級の国民を連れ去って自国領土内の他の場所に住まわせ、もともとそれらの人々が住んでいた北朝のあたりへは自国民を植民しました。
一方南朝のユダでは、歴代の王の中に神さまに向き直る王が何人か現れて人々を信仰の復興(Revival)に導きました。結果として北朝より100年程度長く生き残るのですが、最後にはバビロニア帝国(Babylon)に滅ぼされ国民はバビロニアへ連れ去られます。
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このステップにはバビロニア帝国(Babylon)によって連れ去られて70年間捕らわれの身となった南朝ユダの様子が書かれています。アッシリア帝国に滅ぼされて、やはり国外へ連れ去られた北朝イスラエルの顛末はこれ以降登場しません。王国が南北二つに割れたときユダヤの12部族が分裂して、北朝には10の部族が南朝には2つの部族が属しました。ところが北朝の最初の王ヤロブアムが「金の子牛」像を作って神さまの代わりに崇拝させようとするとこれを嫌った人々がその時点で南朝に移り住んでいますので、70年に渡ってバビロニア帝国に連れ去られた人々の中には12の全部族が含まれていたと考えられます。
このステップの内容はバビロニア帝国の王室の近くで活動した預言者ダニエル(Daniel)と民の中で活動した預言者エゼキエル(Ezekiel)の記録です。特に「ダニエル書」にはこの後中東からヨーロッパの周辺で起こる出来事(つまり予言)が克明に記録されており、その実現がことごとく史実と合致することから神さまの言葉が字面通りに実現することを裏付ける重要な預言書に位置づけられています。
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このステップは旧約聖書の最後にあたります。
南朝ユダがバビロニア帝国に連れ去られて70年が過ぎるうちにバビロニアはペルシアに滅ぼされます。預言者ダニエルは国外追放の年限が70年であることを過去の預言書の中に見つけ、イスラエルの復活を願って祈りを捧げます。この祈りが聞き届けられ神さまはユダヤの民がパレスチナの地に戻ることを許します。
パレスチナの地に戻ることが叶った民はエズラなどの指導者の下での信仰の復興を通じて、寺院とエルサレムの町の城壁と国家を再建します。エルサレムに戻って苦しい再建活動を行ったのはバビロニアにいたユダヤ民族のごく一部ですが、その活動には勇気づけられます。
このステップの最後の預言書にあたる「Malachi(マラキ書)」が書かれた後、約400年にわたって神さまは地上に対して沈黙します(神さまのメッセージを伝える預言者が出現しなかったという意味です)。旧約聖書の最後、つまり「Malachi(マラキ書)」の最後は次の句で結ばれています。
Malachi 4:5-6 [NLT]/ マラキ書4章5〜6節 [新改訳]
5 “Look, I am sending you the prophet Elijah before the great and dreadful day of the Lord arrives.
5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
6 His preaching will turn the hearts of fathers to their children, and the hearts of children to their fathers. Otherwise I will come and strike the land with a curse.”
6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」
次のステップにあたる新約聖書は、ここから400年を経て預言者エリヤの再来で幕を開けます。
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約400年の沈黙を破り、神さまから地上への交信が再会されます。
最初に旧約聖書に預言されていたとおり、救世主の先駆けとして、預言者エリヤが洗礼者ヨハネ(John the Baptist)として現れます。ヨハネは「悔い改めよ」「改心の証(あかし)としてバプテスマ(洗礼)を受けよ」と叫んで民衆を集めます。人々はヨハネこそが救世主かと考えますが、ヨハネは救世主としてイエスを指し示します。
イスラエル南部のユダヤ地方のベツレヘムに生まれ、北部ガリラヤ地方のナザレに育ったイエスはヨハネによる洗礼を受けて伝道活動を開始します。イエスは旧約聖書に記述された救世主に関わる預言を次々と実現し、癒しや死者蘇生の他、たくさんの奇跡のしるしを行って自分が救世主であることを示します。
民衆の支持を集めユダヤの指導者層を公然と批判するイエスの活動は指導者層の妬みを買います。民衆の意見は支持と否定に分かれましたが、指導者層がイエスを逮捕して扇動するとイエスの説く「神の国」の教えと自分たちが待ち望んだ救世主像の食い違いに失望し、イエスを拒絶します。こうしてやはり旧約聖書の預言どおり、イエスは苦難に遭い、拒絶され、十字架にかけられて死にます。
イエスの十字架死は救世の終わりのように見えたので弟子たちをがっかりさせますが、実はこれは罪による汚れのない「イエスの血」で人間全体の罪の代償を支払うという、神さまの救済計画の完成なのでした。救世主が人間の罪を自分で背負う様子は旧約聖書の「イザヤ書」では次のように預言されています。これはイエスが世に現れる約700年前に記述されたものです。
Isaiah 53:3-8 [NLT]/ イザヤ書53章3〜8節 [新改訳]
3 He was despised and rejected -- a man of sorrows, acquainted with deepest grief. We turned our backs on him and looked the other way. He was despised, and we did not care.
3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
4 Yet it was our weaknesses he carried; it was our sorrows that weighed him down. And we thought his troubles were a punishment from God, a punishment for his own sins!
4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 But he was pierced for our rebellion, crushed for our sins. He was beaten so we could be whole. He was whipped so we could be healed.
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6 All of us, like sheep, have strayed away. We have left God’s paths to follow our own. Yet the Lord laid on him the sins of us all.
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
7 He was oppressed and treated harshly, yet he never said a word. He was led like a lamb to the slaughter. And as a sheep is silent before the shearers, he did not open his mouth.
7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
8 Unjustly condemned, he was led away. No one cared that he died without descendants, that his life was cut short in midstream. But he was struck down for the rebellion of my people.
8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。
十字架死の三日後、かねてからイエス自身が周囲に伝えてきたとおり、イエスは死からよみがえります。「死」は人間の神さまに対する裏切りの罪に対する罰として神さまが人間にかけた呪いでした。イエスの十字架死によって罪の代償が完済されれば罰としての死もその時点で無効となったのです。復活したイエスは40日の間地上にとどまり、弟子たちの前に何度か現れて、自分が生きていることを示し、「世に福音を伝えるように」と命じます。
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聖書全体の最後のステップです。ここにはたくさんの本が含まれます。
イエスが天へ戻る前に弟子たちに与えた「偉大なる任務」とは、人間を救済するために聖書の約束どおりに救世主が来たこと、人間の罪に対する支払い(購い)はイエスが流した血によってすでに完了していること、これを地上のすべての人に伝えることです。このメッセージを伝えるために教会が活動を開始します。
「Acts(使徒の働き)」は前のステップの四つ福音書と、この後に続くたくさんの手紙(書簡)とのつなぎの役目を果たす本です。
「Acts(使徒の働き)」は十字架死から復活したイエスが天に戻る場面から始まります。やがてイエスが予告したとおり、また旧約聖書で預言されていたとおりにイエスに代わる新しい助け手として「聖霊(Holy Spirit)」が訪れ、ひとりひとりの信者に宿ります。
復活したイエスを自分の目で目撃し聖霊の宿りを得た弟子たちは、福音の意味を真に理解し、すぐに力強くまた大胆に福音を伝え始めます。十字架死の前のイエス逮捕の場面ではイエスを見捨てて散り散りに逃げ去った弟子たちであったのに、まったく別人のようです。やがて福音のメッセージを伝える教会の活動はエルサレムからイスラエル全土へ、さらには地中海北岸の町々へと広がっていきます。
後に続くたくさんの手紙(書簡)はこうして設立された初期の教会やそのリーダー(つまり牧師)たちに向けて、福音の意味を正しく伝えると共に、活動を勇気づけたり、誤りを戒めたり、異端を警戒させたりと、様々な目的でイエスの直弟子たちが書き送った手紙です。これを読むと当時イエスの直弟子たちが教会に対してどのようなメッセージを伝えていたかがわかります。
新約聖書最後の本の「Revelation(ヨハネの黙示録)」も教会に宛てた書簡の形を取っています。この本ではイエスの直弟子の一人ヨハネが天に引き上げられ、そこで神さまから見せられたこの世の最後の出来事の様子が詳しく書かれています。