市川和男の 「こ・こ・だ・け・の話」

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【昭 和 期】

◎昭和53年度〜昭和54年度  伊藤計男支部長 米山孝行県技会長
 県歯技工士学校設置に反対
・昭和53年に、県歯技工士学校設置問題が起り、県技では臨時総会を
 開催、設置反対が決議され県衛生部に文書送付、県歯に県技代議員会
 決議主旨を説明するも、双方の主張がかみ合わなかった。
・県技社団法人化の書類提出。

 野球全国大会に出場
・軟式野球大会に於いて、西部支部チームは6月の県大会は雨天にも
 助けられ優勝、7月の東海北信越ブロック大会には、毎週の強行練習
 で鍛えた技術とチームワークで見事優勝、そして9月の全国大会では、
 一回戦は四国チームに13対5で楽勝、準決勝で関東に15対3の惨敗
 でした。
・全国軟式野球大会出場チームは、西部支部会員が主力で、県内と愛知、
 岐阜より補強した17名編成でした。西部支部は応援と観光を兼ね、
 バスで47名がかけつけました

 ソフトボール大会
・第1回西部支部ソフトボール大会が、天竜川緑地公園で5チームに分れ、
 親睦試合を楽しみました。

 西部支部ニュース版発刊
・西部支部ニュース版が第1号から第24号が発刊されました。佐賀利二君
 の勇気と努力の結晶でした。
・飛行機、水中翼船、電車、観光バスを利用した一泊四国旅行が、27名が
 参加して行われました。
・昭和54年度は、白営者、歯科医院に勤務する技工士を対象に、入会促進
 に精勤し、西部支部会員が103名になった。
・昭和53年6月、近藤国光氏がご逝去されました。住吉町に永年在住され
 昭和18年前にラボを開業され、仕事に情熱をもたれた会員でした。
・昭和54年2月、田中一男氏がご逝去されました。積志町に在住、
 昭和32年には、西部支部長に就任され、会員融和に努力なされました。
・昭和54年4月、松永辰夫氏が永眠されました。“技工士協会"からの会員
 で、創設時から役員としてご活躍され、節目には暖かいご指導をなされ
 た会員でした。

◎昭和55年度〜昭和56年度  松永要三支部長 伊藤計男県技会長
 県技共済制度発足
・県技は、団体保険に加入しました。現在も共済会として存続されて
 います。
・県技学術大会が、年2回の開催となり、始めて西部(サーラ浜松)で開催
 され、120名の参加が
あった。