市川和男の 「こ・こ・だ・け・の話」

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総入れ歯の小話

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【昭 和 期】


高野晴夫さん、伊藤計男が参加しました。
昭和46年9月、浜松歯研ラボに於いて、鋳造冠を中心とした実習の勉強会が
 あった。
 技工作品コンテスト
昭和47年3月、西部支部歯科技工学術作品コンテストが催され、船坂義彦さん
 北原和喜さん等が上位入選されました。
昭和46年12月、安藤昇一氏がご逝去されました。天竜市二俣に在住され、
 昭和15年“西遠歯科技工士組合"の発足に参加なされ、中心的な役割をされ
 いわば会祖的なお一人でした。

◎昭和47年度〜昭和48年度  大塚旭生支部長 登守茂県技会長
静岡県歯科技工士会創11欠20周年記念大会が静岡市で開催された。
県技会員が220名となり、全国7番目の組織となる。

 歯科技工助手間題
愛知県で歯科技工助手問題が起り、西部支部より多数の会員がデモに参加
 した。
技工料金の改正も保険点数改正後、毎回実施されるようになり、西部支部内
 でも会員に改正料金についての指導も徹底され、各位の生活の向上を促した
 と思う。
経済的な余裕もあり、野球部の活動も盛んで、大塚支部長の手腕のもとに
 安定した会務が続けられた。

◎昭和49年度〜昭和50年度 前島富男支部長 遠藤芳雄県技会長 代行
 石田茂会長

 西部支部共済会が発足 

遠藤県技会長は、任期を1年残し辞任し、石田副会長が代行した。
西部支部では、会員の創意と前島支部長の熱意と努力により、“共済会"が
 発足し、現在も収支体系は変りましたが存続されております。

◎昭和51年度〜昭和52年度  藤井要三支部長 加賀屋良雄県技会長
県技では、労働契約書が県歯との協議が整い、実施されるようになった。

 県技大運動会
浜松和地山公圃グランドで、県技大運動会が開催され、若手会員の活躍で
 西部支部が優勝した。

 東海北信越ブロック会議
昭和51年、東海北信越ブロック会議が浜松市で開催され、議題は、技対問題
 と隣接県問題であった。

 技工士学校設置に反対
昭和52年、浜岡町に歯科技工士学校が設置されることに反対する運動が、
 地元を中心に展開された。
昭和52年9月、会員夫婦、子供達も多数参加し、郡上八幡に一泊旅行が
 行われました。天候にも恵れ、“郡上おどり"にも参加でき楽しい旅行でした。
昭和52年、桑原留一郎氏がご逝去されました。袋井市に在住され、技工士
 協会発足時代からの会員でした。