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 ダアさんのバド?な雑文(ザブ)8       
   
 育苗 自転車 コーチ目線 干し柿 野風増 パンク もどりん フットラン
 テニス Line3 Line2 骨折 離島 塩豚 首里城 蚊も 那覇 盲点 彼岸花 酷暑 再生 釧路 美瑛 富村牛
 帯広へ 盛岡着 北へ あわ漬 ff 熱 い タラの芽 新車で 半ライス 練習法 冬眠中 Line ③カラオケ ②バイク
 沖縄行 ②麦草峠 ①野麦峠  ③満喫 ②観光も ①盛岡 冷や水 ②ふるこ ①小肉 仙台行 新潟行 ③倍返し ②豆購入
 ①帯広 避花粉 DAM シャム 花豆 ⑦うりずんの頃 ⑥逆回り ⑤左回り ④宮古島 ③コザ ②半袖 ①沖縄 ②撤退
 ①バイク旅 耳石 旅行 近況 新潟 ⑩事件 ⑨名護 ⑧歌碑 ⑦三線 ⑥洗濯 ⑤300g ④晴れ ③備瀬 ②ライブ ①那覇

 
 
「育苗」
・・・2021.6.13

何時になったら抜け出せるのでしょうか。ワクチンは1回目の接種が終えました。救世主になって欲しいものです。
で、行動自粛の中、庭弄り中心の生活になっています。苗の購入もするのですが、種蒔きからの育成もしてます。
後者は結構手間が掛かり、発芽後も水遣り管理や、何よりも天敵のナメクジやバッタの被害を防ぐのに苦労します。
成長端の柔らかい芽は彼らの大好物。食われると苗は死にます。で、ナメクジにはメタアルデヒド剤が抜群の効果。
難点は撒いても日持ちせずカビること。空爆してくるバッタは更に難敵、捕殺してますが防空網とかも検討してます。
余談、バッタが増えるとそれを捕食するトカゲが増えます。適度に食べて、食べ尽くしてはくれない自然の摂理(笑)。

で、今は差し芽に注目。どの苗でも出来る訳ではありませんが、マリーゴールドやトレニアなどで試しています。
ホームセンターのポット苗は種撒き時期には出回るので、時間も手間も省けます。100円位で格安購入出来ます。
気に入ったポット苗を買ってくれば、差し穂が幾つも取れます。成長した穂先は殆ど被害に会うことはないです。
枝を切り戻した形のポットの苗は、新たに脇芽が幾つも伸びて来て、当初より更にボリュームアップして蘇ります。
差し穂は日陰で風のないところに置けば、やがて根が生えて来ます。ここで急転、昨日バイクで走った時の話を。

バイクで走ると、やたら喉が渇くのです。皮膚に纏い付く薄い水蒸気の層が吹き飛ばされてしまうからでしょう。
で、皮膚のコンディションを保とうと発汗が促され、次から次へと飛ばされては発汗し、体内の水分が減ります。
これって、差し芽直後の現象と似ています。風が当たると葉の表面の水蒸気が飛ばされて、萎れてしまうのです。
ダアは冷たいジュースで潤いましたが、差し穂では切り口からの微かな吸水に頼るしかなく、水分不足に陥ります。
風で洗濯物が乾くのと同じ原理だとは思いましたが、差し穂と共通意識が持てたのが何だかとても嬉しくて(笑)。

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 「自転車」
・・・2021.04.01

コロナ渦で出歩くことも儘ならない日々が続き、気分は鬱積、体力も減退、このままでは老いが進んでしまいそう。
気分を晴らそうと朝のBS。陽希の山巡りはダアとは違う世界だが、正平の自転車旅はどこか共感出来そうな気分。
もう半世紀もの昔になるが、ドロップハンドル車で川崎から日本海へと本州を横断した。友人との遥かな原体験。
次は青森を目指そうと(住まいを変えた茨城から)出発点となる川崎へ移送目的の自転車走。軽い気持ちの100km。
が、次週GWの出発時、雨に出足を挫かれ僕らは母校でのコーチを選んでしまった。旅先の雨は想定内だったが。
この時の挫折が、後年の原チャリ47都道府県走破に繋がったのは間違いない。年齢と体力を考えてのバイク走。

何気なく見ていた正平ワールドも、心に灯がともると別が見えてくる。何だい10kmしか走ってないじゃないか(笑)。
輪行を利用するのも新しい選択肢かも知れない。そんなこんなで、ドロップハンドル車購入の気分が高まって‥
ジムが長続きしないダアの筋力の衰えを補えるからと、行動は一気にエスカレート。結局バイクと変わらない出費。

店から家までの8kmは地獄の思い。こんな筈じゃ無かった。乗り降り、走行、停止・発進、ドロップハンドルは難しい。
サドル高は、地面につま先立ちが常識。三半規管由来で平衡感覚に難があるダアには難行苦行。早まったか(笑)。
BSの正平を観察してヒントを掴む。停車時にサドル前方に降りたり、車体を傾けた左足のべた足姿勢で安定する。
練習で自宅周辺を走り回り、距離も20kmまで伸ばせるようになった。尻が痛かったり腕が疲れるのは慣れを待つ。
ダアの地元は、つくば霞ケ浦りんりんロードがあり自転車乗りが多い場所。トレーニングには絶好のロケーション。
旧筑波鉄道の廃線跡や霞ケ浦湖畔は平坦な長い距離。筑波山麓のヒルクライムは急坂ありで筋力アップに最適。

バドにも自転車で行ってみたいし、片道60㎞の浅草テニスも一度は挑戦してみたい。仲間は無理無理と言うが(笑)。
自転車旅は次なる目標。荷物用キャリアも取り付けたし、万円のドイツ製サイドバッグも衝動買いしちゃった(笑)。

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「コーチ目線」
・・・2020.12.01

今年6月に始めたリハビリ目的のバドだが、7月末にLineグループを作ってからは多くのOBと再会出来た。
8月は21日もバドをして、その後の検査値が大きく改善。普段口うるさい医者が「運動、良いですね」と(笑)。
バドは「心身」の「心」にも影響があって、何時しかコーチ目線のダアが居た。その分、動かなくなったけど(笑)。

Kの場合。ドライブなどの水平な打球を、テンポを遅らせC打法で返球。意表を突かれたOB仲間が苦笑い。
ダアの練習法「テンポ」は、ネットでの縦の時間差を言ってきた。ネットでの多彩な攻撃は大きな武器になる。
実際の練習では、ネットだけでなくドライブなどの水平打球でも出来ると言っていたが、口頭の域に止まった。
で、練習法ver.2012では水平打球への対応「テンポを変えたドライブ」「テンポを変えたレシーブ」を追加した。
正式メニューへの昇格、akenoのジュニア選手で試すと目覚ましい変化。まだまだ勉強が足りないダア(笑)。

Hの場合。中学時の神奈川遠征で急遽ダアとダブルスを組み試合をした由。ミスが多くてメチャ怒られたと。
今回、20年以上の時を経て大人になった彼と再び組んだ。で、ミスばかりして謝っていたのはダアだった(笑)。
Hが構える時のグリップは明らかに他のメンバーと異なっていた。まるでダアの遺伝子を受け継いだかのよう。
鋭いスマッシュを決めて驚かれてはいたが、グリップの変更の観点からは少々大人しめ。十分とは言えない。
爆発的スマッシュや、フォア正面の強打に必要との提案を謙虚に聞いてくれ、これまた大人の対応だった(笑)。

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「干し柿」
・・・2020.11.26

最近バイクで筑波山周辺をグルリと走り回ることが多い。晩秋の景色の中で風を切るのは最高に気持ちが良い。
点在する農産物直売所に寄るのも楽しみの一つ。せっせと野菜を買い込んでいる。親指大のナスは漬物に最適。
先日、道端に車が何台も停まっていて、庭先の柿の無人販売に人が群がっていた。柿岡の地名がある生産地だ。
で、奥さんに促され二日連続で来たと言うオヤジがいて、干し柿を作るのだと言う。顔を見せた農家の主も初耳と。
干し柿って渋柿じゃなくても作れるんだ。早速購入し、帰ってから検索すると、甘柿でも作れるとあるではないか。
皮を剥き、熱湯に潜らせて殺菌。ネットに入れて軒先に干せば簡単に作れる。トロトロになった食感がメチャ美味い。

別の日の何時もの直売所。外の目立たない片隅にオレンジ色が輝く。店内の棚に置いてさえ貰えない渋柿達が。
勿論ゲット。大粒の干し柿作りが現在進行中。で、干し柿作りはカビとの闘いも。何か知恵を絞らなければと思う。 

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「野風増」
・・・2020.11.02

河島英五の「野風増」。昔は結構カラオケで歌った。息子が20歳になったら一緒に酒を呑みたいと言う歌だ。
ダアが中学生とバドしていた頃、選手の父親と呑んだりしたが、「野風増」的に選手たちを見ることもあった。

 ♪お前が二十歳(はたち)になったら 酒場で二人で 飲みたいものだ
  ぶっかき氷に 焼酎入れて つまみはスルメか エイのひれ
  お前が二十歳になったら 思い出話で 飲みたいものだ
  したたか飲んで ダミ声上げて お前の二十歳を 祝うのさ

  いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい いいか男は 大きな夢を持て
  野風増(のふうぞ) 野風増 男は夢を持て

さて、浅草テニスに今年初めてバイクで行ってみようと思い、身体慣らしにと同距離の大洗へも走ってみた。
が、問題も。浅草から帰路60km、夜の走行には不安が残る。頭位めまい症だろうか、平衡感覚に難がある。
で、テニス後に浅草に宿泊し次の朝に帰るという解決策を考えた。GoToトラベルでお得感を持って泊まれる。

6月から始めたシニアバドが一般バドへの参加にも広がり、助っ人を頼んで懐かしい顔に会えるようになった。
助っ人の中に、新宿に住んでいると言うYuがいる。昔、新宿で呑んだことがあるとのダアの話がきっかけで、
浅草に宿を取るので、それじゃ東京で一緒に呑もうかとの話になった。20歳は過ぎてるけど気分は「野風増」。
金町に住むYoも参加したいと言い出し、「野風増」的呑み話勃発。場所は北千住か、上野か、浅草が良いかと。
バドの帰りに軽く呑んだことはあるが「野風増」的な本気呑みは初めて。楽しみだが、何だか照れくさくもある。
参加希望者が他にも出そうだが、高齢・基礎疾患ありのダアゆえ、コロナ陰性の確認が条件だったりして(笑)。

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「パンク」
・・・2020.11.01

帯広へ今年3度目となるバド行企画。春休みとGWはコロナの影響で間近になって断念。3度目の正直となるか。
が、結局断念。北海道のコロナは収まるどころか再拡大の様相。ダアは高齢・基礎疾患ありで、言わば予備軍。

帯広に滞在している筈だった日々は、晴れ渡った空にも虚しさが漂った。思いを打ち払うべくバイクに跨ってみた。
骨折からコロナ渦と続いて、久しぶりのライド。大洗明太パークへの片道60kmは浅草テニスのそれと同じ距離だ。
浅草へもバイクで行ってみようとの魂胆、身体慣らしの意味も含めたのだ。バイク走にベストな気候、何とも快適。
が、帰路の途中でタイヤがパンク。まだ1万kmも乗ってないのに。パニックに陥るもスマホに頼って危機を脱出。
迎えに来て貰ったバイク屋が修理しながら言うには、甘い空気圧で走るとチューブが折りたたまれ、穴が開くと。
最初に乗った50ccゴリラのエンジンを焼き切って(オイル交換をしなかった)廃車にしてしまった前科があるダア。
空気圧点検は常識だと馬鹿にされ、またまたやっちまったと苦笑い。この馬鹿は死んだら治るものなのか(笑)。

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「もどりん」
・・・2020.10.09

「きっかけ」と「もどり」はリズム(身体の沈み込み)の中で影響し合い、フットワークとして成り立っている。
「きっかけ」は相手の「ストローク」に対する反応。優れた選手は、この反応に秀でたものを持っている。
重要なのは「もどり」。自分で方向を決められる簡単な動作だが、誰にもある楽したい心が質を落としがち。

かつて「もどり」だけを強調した練習を思い付いたことがある。この場合「きっかけ」は取らなくても良いとした。
が、この試みは少しの時間で頓挫した。当時は敢えて「きっかけ」を無くすメリットが見い出せなかったのだ。

今、「フットラン」に再び脚光が(と大袈裟に)。Akenoに触発されたダアが勝手に遊んでいるような気もする。
で、「フットラン」を使い「もどり」だけを強調する練習を考え付いた。キーワード「もどりん」が可愛い(笑)。
「きっかけ」の沈み込みによる筋肉への負担を無くし、「もどり」の部分だけを重点的に練習するのが狙い。
かつて頓挫した試みと形は似ているが、ジュニア選手たちの成長に寄り添える可能性もある進化形だと思う。
ホームポジションで「いきおい」と「逆」(きっかけの一方法)を意識させれば、直ぐにでもゲームで使えるし、
更に「きっかけ」の沈み込み、リズムに於ける歩数へと進展させれば、フットワークの完成形と成り得る。
往復ダッシュなども「もどりん」でやったら面白い。トラのターンとかライオンのターンとか、きっと効果がある。
「もどり」をサボるなと精神論で臨んだダアのやり方は時代にそぐわないかも。まだまだ勉強が足りない(笑)。

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「フットラン」
・・・2020.10.05

♪ 疲れを知らない子供のように… 今朝のダアは夢の中で歌っていた。
遥かな昔、友人の結婚披露宴で「シクラメンのかほり」を弾き語りしたことがある。その一節だ。
楽譜を探しギターの猛練習。当日は持ち時間が長引いて、笑いながらだけど怒られたことが懐かしい(笑)。
この夢、昨日の残像が影響している。2週続いてakenoのジュニア選手たちにフットワークのコーチをした。

かつてコーチしたダアの選手たち、その後のバド人生で「フットワークの良さ」が評価されているらしい。
彼らを勝てせてやるには、フットワークを鍛えるのが第一の(そして絶対的な)方法だと考え、取り組んだ。
その後のダアの選手たち、フットワーク環境が変わり動きがなまった上に、増えた体重が追い打ちを掛けた。
それでも身に付いたものは簡単には忘れないと言うことか。卒業後も同じ環境があったらと思うのは余談(笑)。

各地でフットワークを紹介したことがある。教える対象は身体が大きい中高生。直ぐに出来るようになった。
で、その多くが筋肉痛を訴え、明日以降は(繰り返し練習に取り組む難しさから)元に戻るだろうとダアの予言。
フットワーク(体力)は、直ぐに出来るようになるが、その後鍛錬しないと極められず、簡単に落ちてしまうのだ。

で、akenoジュニアの話。まだ週末2度だけだが、視点を小さな小学生に向けると興味深いことが見えてくる。
身体が小さくても使うコートは同じ大きさ。対角を最小2歩で動こうかと言うフットワークが出来る筈は当然無い。
それでも「きっかけ」と「もどり」は共通している。その間をフットワークではなく、ただ走ってしまえばと考えた。
実はこれ「フットラン」と言っている。昔、akenoからダアのところに来た選手が居て、小さな弟を見て思い付いた。
概念は持っていたが実際に試したことは無かった。知らなかっただけかも知れないが、ダア的には新たな試み。
で、大きな選手と同じ足遣いをしようとして不自然に見えた小さな選手たちが、フットランでスムースに動いてる。
ま、これは想定の範囲内だったのだが、驚きが他にあった。「きっかけ」も「もどり」も習熟者のようにこなしている。
ある意味「きっかけ」と「もどり」は、重心移動を伴い身体の重さとの闘い。それが小さな身体ゆえ負担が少ないのだ。
冒頭の ♪ 疲れを知らない子供のように は、余りに軽くこなす小学生に強い印象を受け、刷り込まれたものだろう。
多分筋肉痛も無い筈だ。鉄は熱いうちに打て、小さな身体にフットワークの基礎を身に付けさせるのは意義深い。

フットランからフットワークへの移行に工夫が必要かも知れない。少し長い付き合いになるかも知れないな(笑)。 

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「 テニス」
・・・2020.09.11

8月は結局21日もバドを。猛暑の体育館はサウナ状態。リハビリ、リハビリと念じながら通った狂気の沙汰。
で、9月になって今年初めての浅草テニスへ。丁度、東京への移動自粛要請が解除されたタイミングとなった。
3密を避けてバイクで行く積りだったが、やり過ぎバドによる夏バテで気持ちが萎えてしまい、急遽電車利用に。
電車内も街中もマスク姿only、海外からの観光客は居ない。和装レンタルで浅草を歩く話し声は日本語(笑)。

厳しい残暑のテニスとなったが、8月の体育館を経験した身には、風がある分だけ心地よかった。言い過ぎ(笑)。
で、最初の試合で8本連続してサーブが入らず、ダブルフォルト4回のラブゲーム負け。珍記録を達成した(笑)。
バドのお陰か身体は良く動き、徐々にテニスを楽しめるように。ベンチの談笑も懐かしく嬉しいものがあった。
で、何と言ってもアフターテニスのビールが極楽極楽。これだけでも、また浅草に行こうかと思ってしまうのだ。
茨城でのバドと違って、メンバーは車を利用しない。アフター呑み会は、心惹かれる お約束コースなのだ(笑)。

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「Line3」
・・・2020.08.03

年を取ると新しいツールに付いていけない。どんどん変わる世の中に取り残されて、老いへ一直線となる。
リハビリで始めたバドだが、未だ2か月も経っていない。シニアバドの参加が、一般バドの参加にも進展。
ダア的には驚くべき心身へのカンフル効果。運動の医学的効用だ(笑)。で、ここでは再びLine絡みの話題。

助っ人頼みに使おうとグループを作ったのが7月31日。8月1日には取手に住むTが子連れで来てくれた。
現役リーガーのT、皆に持て囃され照れていた。組めばとっても楽。小6生の子を相手するダアはお爺ちゃん。
この日は我孫子に住むSからもメッセージ。高校でコーチしている由。で、明日8月2日来てくれないかと。
グループを作って未だ2日、急展開には驚くばかり。前々から計画していたようで懐かしい顔が揃っていた。
その中にナショナル入りしたMも居た。で、オールショートの相手をしてくれと。組めば勿論とっても楽(笑)。

バドを再開して、短期間にも関わらず9人もの懐かしい顔・助っ人に会った。残る中学生の面影に心が和む。
大人になっても楽しめるものを身に付けさせてあげたい。その思いは叶ったよう。彼らは皆、とっても上手だ。
で、ふと思いつき写真を撮ってみた。画像の中には成長した彼らと並び、お爺ちゃん然としたダアが居た(笑)。

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「Line2」
・・・2020.08.01

遅ればせながらスマホに替えたのが2年前の秋。柔軟性を失った脳は四苦八苦。Lineにも挑戦したが挫折
再挑戦は、縁が出来た帯広某高校バド部との距離を補おうとして。が、未曾有のコロナ禍で往来さえも頓挫。
昨暮の骨折での自宅療養もあり、心身共に枯れ果てて終着も近いかと思わせた日々。そんな折のバド再開。
う~ん、運動は何よりの良薬。シャキッとしてきて背筋まで伸びてくる。しかし、隠せないのが老いの現実。
攻めどころは幾らでも見えるのに、身体が反応しない。で、若いもんに助っ人を頼む、虎の威を借りる狐(笑)。

7年前に逃げるようにしてバドを捨て、その後はバイク旅やテニスを存分に楽しんだ。ここに来てのバド再開。
助っ人探しにLineを使えたらと思い付き、再々挑戦でグループを作る。On Lineでの速い反応には目を見張る。
多感な中学生だった彼らは今どうしているのだろうか。会えるのは楽しみだが、少し怖いような気もする(笑)。

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「骨折」
・・・2020.07.26

半年を超える蟄居状態だった。ことの始まりは肩の骨折。昨年末、帯広の体育館裏口で雪に滑って転倒した。
練習を始めていた選手たちに目線を送り、足元が留守になってしまった。とっさの受け身も及ばず左肩強打。
で、「折れました」とダア「何故わかるの」と問われ「未体験の衝撃だった」と返す。(日曜)探してくれた病院へ。
レントゲンの結果は骨折。3ヵ月もすれば付くでしょうと軽く言われて、三角巾と(たすき状)鎖骨バンドの処置。
帯広滞在は残り9日間。着替えも儘ならなかったが、他にすることも無いので毎日体育館へ通い、働いた(笑)。
大晦日に帰着、地元病院は正月休み。休み明けの受診は詳細丁寧。結果は簡単だった帯広でのそれと同じ。

左手を吊って寝返りも打てない日々。散歩とかでは長続きしないダア。筋肉が細ってきて、老衰へと一直線。
流石にまずいと、意を決してウォーキングを試みたが、実行は片手にも余る。状況を打破しようとネット検索。
と、つくば市にシニアのバドミントンサークルを発見。昼間だしリハビリに良さそうと見学した時は、未だ三角巾。
転倒肩骨折から(退屈で堪らなかった)3ヵ月がようやく経過して、やっと医者からバドとテニスの許可が下りた。
骨折部が完全に癒合した訳では無く、云わば仮免。ソロリソロリとなら動いて良いと。ところがここでコロナ禍。
3密を避けるとかで体育館は利用中止。再開したと連絡があった浅草テニスは、東京への移動があるので躊躇。
外出も儘ならない自粛生活が続いた。その分、庭仕事に精を出し、プランターをすべて廃止、植木鉢に変えた。

6月になって、つくばのバドが再開されたので、満を持し(それでもドキドキしながら)行ってみた。で、嵌まる(笑)。
昼間、週3回程度。続けてみると活力がみなぎるようで、食欲も増進。何だか筋肉も付いて来たような気が(笑)。
サークル主催者が好人物。何かと親身になってくれ、週末の一般クラブにも誘われ、調子に乗って行ってみた。
若めの経験者が多く居て、勝てずに悔しい思い。「攻めどころは幾らでもあるのに‥」知識だけは深いダア(笑)。
で、かつてバドを共有した若者と再訪。それが、クラブ主催の大会があるので出てみないかと言うことになって‥

昨日、その大会があった。リハビリで始めたバド、たったの6週間で試合に出ることになるとは考えもしなかった。
県外からの参加者も多数。運営はコロナ対策が考慮されていたが、TVなどの見聞きがあるので、一抹の不安も。
結果は、競ったりはするのだが勝てない(当然か)。「攻めどころは幾らでもあるのに‥」と、またしても嘆いて(笑)。
で、観戦しながらも勝ち方を探っていたりして、ざわめいてくる心。現実は、フィジカル面で限りなく厳しいけど(笑)。

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「花豆行」
・・・2019.12.06

台風19号で千曲川が氾濫し、甚大な被害を出したとの報道。ダア的には別の意味を持った気になるニュース。
長野県の小海と佐久穂の農産物直売所は「花豆が安く買える聖地」。バイクで走り回っていて、偶然出会った。
近年は毎年出掛けて、花豆とリンゴ(峠を越えた群馬で)下仁田ネギを買って帰るのが楽しみになっていた。
小海も佐久穂も千曲川沿い。氾濫は免れたとしても、あの大雨と暴風では農産物のダメージは大きかろうと。

一縷の望みで電話をすると、リンゴは無事に出荷され、ネギもいつも通りあると。これは行くしかあるまい(笑)。
で、初体験の草津温泉を軸に2泊の旅を計画。バイク走が長野行の始まりだが、昨年に続き2度目の助手席。
河川敷には流木が目立ち、土木作業中や通行止めの個所も。草津は有数の温泉地だけあって活気に溢れて。
2日目、小布施に遠出。栗の菓子をと思ったのだが、格調が高くて手が出ない。3日目朝、湯畑に行ってみた。
ホテル朝食はバイキング。大きな花豆の煮豆を思う存分堪能。皮が柔らかく煮えていて、負けたと思った(笑)。

主目的の花豆とリンゴは帰り道。ところが佐久穂の花豆棚は空っぽ。焦りながら小海に向かうと、あった(笑)。
が、何と500g1200円。(消費税upで)ある程度の覚悟はしていたが昨年は900円、その前は800円だったのに。
台風の影響による例外的高値であってと思いたいが、もはや花豆は格調高い贅沢品の仲間入りかなとも思う。
峠を越えて群馬へ。畑のネギを見て「あるある」と(笑)。目指した「じいとばあ」の店は灯りが点いて無かった。
入口に張り紙「ネギの出荷で休みます」。で、道の駅で購入することに。下仁田から高速に乗って帰路に就く。
高速は楽(昨年は下道)。古いカーナビが道を認識出来ず、都度検索し直して案内するのが楽しかった(笑)。

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 「離島」
・・・2019.11.16

沖縄バイク2日目は、南部の激戦地を巡ってみることに。先ずは今まで行かずに置いた、旧海軍司令部壕へ。
行ってみて、心が逃げるダアが居た。(沖縄で生まれ育ったテニ友が、心が苦しくなると場所と言っていた。)
 サトウキビ畑を走っていて、宮古島では風の音にしか聞こえないのに、沖縄では「ザワワザワワ」と・・
 以前そんなことを書いたが、その時と同じように遠い(知らない)沖縄戦への思いがそうさせるのだろうか。
ただ、真っ直ぐ過ぎる少年の眼差し(展示写真)を、締め付けられる思いで眺めたことだけは書いて置きたい。

糸満の道の駅で黒糖1kg・3袋を購入。次いで、ひめゆりの塔へ。入場したことは無く、今回は料金を払おうと。
が、修学旅行生が溢れて雑踏状態。気持ちが萎えてしまった。帰りに寄ることも出来ると、近くの健児の塔へ。
相変わらず人影が無く、ひめゆりの賑わいとの違いに悲しい気持ちに(賑わいと無縁の地は他にも多かろう)。
で、碑に刻まれた名前を追っていて・・ この激戦地巡りから逃れようと。限界だった。弱さかも知れないが・・

走り回りながらいつしか反戦フォークの「腰まで泥まみれ」口ずさんでいた。薄っぺらく思えて、自嘲気味・・
余りに大きく忌まわしい過去の出来事の中で、戦後に生まれ戦後に育まれたダアには、これが精一杯のよう。

沖縄最終日は2度目のバド。午後からの予定に早めに出掛けて、奥武山公園で開催の「離島フェアー」へ。
各島から手伝いの中学生、ほっかりした雰囲気。西表島産2.4kgの黒糖の塊(1枚板に惹かれた)を衝動買い。
何度も行った沖縄。次は離島巡りかな。でも、バドやテニスや、(多分)バイク走も無くて、何をするかだな(笑)。

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「塩豚」
・・・2019.11・15

今日、我慢出来ずバイクをレンタル。昨夜の電話では、ピンクの女性向けしか無いと。背に腹は代えられぬ。
今朝、行ってみると用意されていたのは白いsuzuki(未経験)のスクーター。その後、返却があったとのこと。
ピンクに跨って走ることも覚悟していたので、安堵の中に残念とも思う気持ちがあるような・・ 無いか(笑)。
不慣れな走り出し、昨日歩きで行った首里辺りはアッと言う間に通過。風を切って走る感触はやはり堪らない。
目指すは海中道路を渡った先の伊計島。手前の宮城島・ぬちまーすで、スーチカーを食すのも目的の一つ。
スーは塩でチカーは漬物だそう。冷蔵技術が無い時代の豚肉保存食。昨年偶然食し、その美味さに嵌った。
伊計島の、平坦で何も無い(言い過ぎか)乾いた感じにも心惹かれる。で、空に大きな鳥が飛んでいたりする。
そいつが糞ならぬ部品を落としたのは昨年のこと。その愛称オスプレイとは猛禽類の「ミサゴ」を意味するとか。

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「首里城」
・・・2019.11.13

テニスは不本意な出来。初日の練習後に呑み放題。相席の(バドもする)沖縄人と盛り上がって、呑み過ぎた。
で、肝心の2日目本番は内臓不調で黒星続き。それでもチーム対抗戦で勝利し、年寄り選抜試合にも勝って、
予期せぬ賞金をゲットしちゃった(笑)。明けて、フリーの日。未体験の首里城に、初めて行く予定。天気は上々。
(脇は何度も通ったことがあった。いつもの滞在はバイクなので、どうしても遠い地や海岸に向かってしまう。)
今回は(北海道から休み無しで来た沖縄なので)休養の意でバイクに乗らず、首里城に行こうと思っていた。
で、炎上を知った帯広滞在中のホテルで、愕然とした。今まで行かず最後にと取って置いたのに、何故なんだ。
焼け落ちた首里城は、木々の間から僅かに望めた。守礼門は健在で観光客も居た。係員の笑顔が悲しく見えた。
(テニス会費の一部を再建費用に寄付するとの由。カラオケしながら炎上を思い出し、涙する地元テニ友も。)

帰りは金城町の石畳道(首里城への古道)を降りてみた。商店街の並木に、着生ランのセッコクが咲いていた。
昔、庭木に凝っていた頃挑戦し、挫折した。バイクで走り抜けたら気付けないから、こんな目線も歩く良さか(笑)。

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「蚊も」
・・・2019.11.10

(親父の横顔に見とれ)飛行機に忘れてしまった土産を受け取りに空港に。係員の丁寧な応対に恥じ入る。
受け取ってエスカレーターに乗り込むと、後ろで女の悲鳴、大きな音とともにスーツケースが落下して来た。
ダアのふくらはぎ(少し擦り剥けた)をかすめて、下に居た若い家族連れを直撃。父親に激突して止まった。
幼子は抱いていたので幸いだったが、一つ間違えれば大惨事。欧米系の若い女が青い顔で「ソーリー」と。
おいおい、この国では「そうり」などと口に出すのはとんでもない輩。一瞬気まずい空気が流れ、散り散りに。
と、その時「エスカレーターでトランクを転落させないように・・」と注意喚起の場内放送。見てたんかい(笑)。
で、時間があったので奥武山公園まで歩いてみた。Tシャツ短パンの散歩気分。道端の赤い花に南国気分。
自衛隊の訓練地から、イタチが顔を出して可愛い。帯広は氷が張ってとメールが来た。ここも同じ日本だ。
奥武山公園はイベントの最中。仮設テントでたこ焼きとジュースを買う。で、300円の釣りを寄越す。あれ?
言うと「あっ!そうですね。」と10代の娘。100円玉を受け取りながら「算数が苦手で」とダアが謝る?(笑)。
1年ぶりの沖縄バド。体育館で蚊が出迎えてくれて、ふくらはぎが痒い。で、バドは苦戦。蚊のせいじゃない。
テニスと違い上方の球が多く、見上げた眼鏡の視界から外れてしまう。昔取った杵柄も朽ち果て寸前(笑)。

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「那覇」
・・・2019.11.09

急遽決まった帯広行(今年6度目)から帰って、束の間の休息の後、沖縄に飛んだ。まるでタッチ&ゴー。
と書くと、まるで大忙しのようだが、ボケ気味の脳は日々のたりのたりと(笑)。北海道に比べ沖縄は遠い。
で、フライト時間も長いのだが今回は年甲斐もなく少しイライラ。3人掛けのシートに若い女を挟んで親父。
英語混じりの日本語で、(その弾くような発声は許容の範囲だとしても)終始発する奇声は少し辛かった。
到着して、さりげなく横顔観察。TシャツにHawaii のプリント。日系人かな、女は日本人、不思議なカップル。
氷点下にもなった帯広に比べ、沖縄は肌に触れる空気が暖かい。で、ゆいレールに乗って、はたと気付く。
羽田で買った土産を忘れてしまった。前の座席の下に置いて、親父を盗み見する視線から外してしまった。
沖縄ではバドもテニスも現役?(手土産も必要だ)。ホームに降りて番号を検索、何度目かで存在を確認。
で、エネルギー不足に原因を求めて、国際通りで300g1000円のステーキを食した。これが結構美味い(笑)。

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「盲点」
・・・2019.10.19

帯広から帰ってから結構忙しくしていた。15号に続き再び上空通過した台風19号の後始末やら、衣替え。
と、「朝練をフットワークに変えました。」帯広Y氏からメール。駆け出し(失礼かな)の頃から知っている。
熱い指導で、今年ついに全中準優勝。で、選手たちに何かが足りないと感じて、それがフットワークだと。

そもそもは昨年3月の「避花粉」から始まった。保養の積りの訪帯が「焼け木杭に火」でバドに嵌まって。
コーチ現役時のダアのバドは細か過ぎ。この機にと見返えすと、自分でも理解出来なかったりして(笑)。
で、キーワード式と嘯く「練習法」を見直す好機だと捉え、分かり易く、役立つ内容に作り変える作業を。
新しく着眼したのが、「もどり」のキーワード「スナップ」を「壁バン・スナップ」と言い換え、連動させたこと。
これは効果絶大。ダアの過去の選手たちに「もどり」を正しく伝えることが出来たか、不安な気分に(笑)。

フットワークは比較的易しくて、(簡単な説明をするだけで)選手たちは見違えるように動けるようになる。
で、ストロークや戦術面に時間を割きたいこともあって、紹介レベルに止め、習熟・鍛錬は先方に委ねた。
(動けるようになるのは簡単だが、続けるのは難しく、続けることが出来れば勝てる。とは言い添えた。)
が、フットワークで成果を見せてくれたチーム・選手は殆ど無い。それらしくはなるが、やはり何かが違う。

電話でも話をしたY氏、「フットワークの確認をして欲しい」と。目から鱗、今まで考えもしなかった「盲点」。
フットワークは誰にも出来て、理解も簡単。出来た気、理解した気が妨げになって、極めるのが難しい。
やってみます・・とは言われたが、確認して・・は初めて。この辺りが結果を残せる監督の視点の違いか。
紹介に止まらず、習熟・鍛錬を共に学ぶ機会が必要か。出来れば踏み込みたくない領域だったが(笑)。

(参考)フットワーク練習:動きの練習、ノックによる練習、ラリーによる練習、ゲームの中での練習 

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「彼岸花」
・・・2019.10.03

ダアの庭の彼岸花が10月になってやっと満開となった。
毎年9月23日の彼岸には必ず咲くので、暦に合わせているのかと思ってしまう程だったのだが。
今年は余りに猛暑が続いたので咲き遅れ、暦ではなく気温が支配していると言う当たり前を実感した(笑)。
明日から今年5回目の帯広行。もし期待されているのなら、応えたい気はあるのだが、老いとの鬩ぎあいだ

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「酷暑」
・・・2019.08.13

帯広でのバドを終え、今度こそ日勝峠経由で苫小牧に向かう。早朝の出発。朝飯は、峠を越えたコンビニで。
昼過ぎに苫小牧着。昨年土産したイカソーメン大袋が無く、残念。14時まで営業のマルトマ食堂は長蛇の列。
フェリー乗り込みを待っていると、(ダアの隣の)T市からだと若者が話しかけてくる。仙台下船で残念だとも。
残念かは兎も角、大洗まで殆ど会話もしない休眠状態。夏休み親子ふれあい旅の子供らが賑やかだった。

1ヵ月超のバイク旅(2300km走)から帰ってからは、家に閉じ籠もり。余りに暑くて外に出れない。出たくない。
今年の帯広は随分と暑かったが、茨城の暑さは別格。温度もあるが、湿度の高さが大きいだろう。
で、今日は通院のため6日振りの外出。幸い早い時間だったので気温は30℃止まり、急いで帰宅。
こんなことでもなければ外へ出ない。で、長い留守で病院予約が目白押し、それが外出を後押しする(笑)。
休養との言い訳だったが、閉じ籠りの日々にはクーラーを効かせて、録画した朝ドラをみたりしてた。
長期に渡り舞台になった十勝帯広に滞在していたので、放映中の「なつぞら」は親しみが持てる。
で、雪月のモデルは六花亭なのか柳月なのか・・ 他愛のないことを考える自分が可笑しい(笑)。

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「再生」
・・・2019.07.25

息抜き観光を終え帯広のホテルで寛ぐ。明日午後からバドが再開、(夏休みで)ほぼ終日の練習の日々が続く。
と、待っていたかのような電話。(空いている)明日午前の練習依頼。二つ返事のダアが(自分でも)恨めしい。

バド再開の朝、預けておいたバイクに向かう道すがら、心の動きが新鮮だった。雨の中の出立だった今回の旅。
幸い盛岡テニス(だけ)は好天だったものの、帯広に着いてからはパラパラを含めれば降らない日は無かった。
5泊の息抜き旅行は車の助手席。濡れる事も身体に風を受ける事もなく、エアコンが効いて、時にはうたた寝も。
バイク移動の日々に戻るが、ふと、阿寒湖近くでの激しい雨、足寄の道の駅でのずぶ濡れライダー達が脳裏に。
弛緩を許された日々から、自然に身を置き自己責任で進む道へ、再生に近い感情を抱いた。大袈裟だね(笑)。

5日振りに会う選手たちを見る目にも新鮮さが蘇り、2桁の日々を残す彼らとのバドも乗り切れそうな気がした。

追記:この日以降、夏休みに入ってからは雨は降らず、帯広も(35℃超もある)猛暑が続いた。夜は涼しい。
    で、当地の選手たちは昼間の体育館の暑さには不慣れだと思うのだが、かなり頑張ってくれた。
    ところで、当地の建物は冬の極寒に耐える仕様になっていると思う。猛暑は想定外ではないのか。
    体育館は換気が悪く、夜間に冷えた床に屋外の湿気を含んだ外気が触れ、結露する(床が滑って危ない)。
    (冬季に備え)保温性に優れた家屋は、構造自体の蓄熱効果も高い筈だ。
    で、(外気が涼しくなった)夜になっても、蓄えた昼間の熱を徐々に放出し、熱帯夜の様相を呈す。

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「釧路
」・・・2019.07.24

層雲峡温泉では、良き時代の大型ホテル。温泉が秀逸。団体客が減ったとかで、今や海外客が頼りの状態かも。
ロビーでの休息は日本語が聞こえて来ない。これはバイキング形式の食事時も同じ。次朝、釧路目指して出発。
その昔、大会で旭川に来たが、負けて層雲峡観光。断片的に柱状節理とロープウェイしか印象に残っていない。
今回、層雲峡に寄ってみたのだが、殆ど当時の印象と結びつかない。バドしか頭に無かったから当然のことかも。

北海道の峠の最高地点三国峠はバイクで通った。大型バイクの親父が多数。釧路湿原は霧の中だったのが残念。
釧路のホテルに向かう道すがら、下校の中学生たちとすれ違った。夏姿が多い中、学生服(冬服)もかなり目立つ。
湿原は空振りでも、こんなところに(気温の低い)釧路を感じるから面白い。夕飯は着込んで、港の岸壁炉ばた焼。
観光客目当てのテント張り。セルフの炭火焼きだったが、熱いし何か慌ただしい雰囲気。魚介は新鮮だったけど。
明けて阿寒湖経由での帰路、アイヌコタンに寄った。シアターで歌と踊りを鑑賞、帯広でのそれより洗練されてた。
女声がハモっていたように感じたので、聞くと、輪唱だと。言語としては耳に入らないので、和音に聞こえた訳(笑)。

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「美瑛」
・・・2019.07.23

結構ハードなバドで、そろそろ限界も近付いたかと思う頃、上手い具合に数日の息抜き観光トライブ旅行となった。
約束した帯広駅前のホテルに向かう途中、アイヌの歌と踊りのパフォーマンスに出会った。観光施設以外では初。
見慣れた景色に埋もれることなく、心惹かれる。踊りは優雅さと力強さ、歌声は当然意味不明。ムックリが沁みる。
で、男性の風貌に見たことある感があって興味津々。以前テニスで出会った男性の出自が、アイヌとのことだった。

次朝、息抜き旅行出発。富良野に向かう。曇り空、時々フロントガラスに雨粒が付く。まだ夏に成り切れていない。
バイクと違って助手席は何とも楽ちん。(と言うか、バイクの緊張感はそろそろ卒業する時が来たような気も・・)
狩勝峠は又しても濃い霧の中。かつてバイクで通った時もそうだったが、トラックが急に現れたりしてスリル満点。
峠を越えると天気は好転、富良野では晴れ上がった。3ヵ所のラベンダー名所巡り。十勝岳が素敵にそびえて。
富良野のイタリアンを出すペンション泊。料理はまあ旨かったが、2時間もの食事時間は平民には辛くもあった。

次朝は早い出発、美瑛の青い池へ。曇天で残念だったが、それでも結構な青さだった。白い沈殿物が目に留まる。
アルミ成分のコロイドが青色を反射しているとのこと。それが凝集し堆積した白色沈殿が青色を際立たせている。
四季彩の丘へ回った頃には大陸からの観光客が溢れて。フランス語かと思われた一団は東北からの婆さん団体。
宿の層雲峡温泉へ向かう当麻の道の駅。バイク旅でも寄った。真っ黒なでんすけスイカ、10000円は高過ぎだよ。

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「富村牛」
・・・2019.07.17

練習が夕方からのある日。温泉にでもと考えていたら宿の親父が、バイクで走ったら・・ と握り飯を差し出す。
で、トムラウシに行ってみようかと。高1生に何故かちょっぴり気になる選手(Nと呼ばれていた)がいたのだ。
雄大な自然の中で成長し、それを纏ったまま里へ下りて来た感じ。その生まれ育った環境を見てみたかった。
快晴では無かったが走り出すと快適、気分がスッキリ晴れてくる。だが80km程の距離に脳は休眠状態だった。
大雪山系の懐深い行き止まりの道。山道に入ってやっと気付いた。ガソリンがヤバイ。どんどん山深くなる道。
水と緑だけで生活の痕跡がない。帰って来れないかも知れないぞ。遭難の文字さえ頭に浮かぶ(ちと大袈裟)。

と、突然、畑が現れて、次いで目指す富村牛小中学校。何と幼児を連れた女性が歩いているではないか(笑)。
到着記念の撮影をしてからスマホを見ると、ガソリンスタンドは絶望的な遠さ(坂道を転がして降りる覚悟も)。
学校前に売店(簡易郵便局併設)があったのでトイレを借り、店の女性と話すと、彼の高1生を呼び捨てで言う。
保育所の先生だったので4歳から知っていると。頃合いをみて「ガソリンスタンドはありませんか」と聞いてみる。
無いのは知っている。当然「ありません。」の返答。続いて「でもガソリンありますよ。」とも。10リットルの携行缶。
ガス欠の車が多くあって、困窮を救うため用意してあるのだと。タンクに入り切れないと言うと小分けしてくれた。
Nが教わっているからと金は取らない。魅力に嵌って住み着いたと言うその女性は、紛れもなく富村牛村民だ。

ガソリンの心配も無くなったので、更に奥にあると言うNの実家に向かう。続く緑の中に、突然現れた肉牛牧場。
事務所らしき建物の前に場違いな自販機。喉がカラカラ、砂漠にオアシス。久しぶりに触れた文明に喉を潤す。
と、「旅行ですか」と笑顔が近づいてくる。話をすると「Nの父親です」と。人里離れた田舎って素敵だねえ(笑)。

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「帯広へ」
・・・2019.07.15

5日目朝、苫小牧着。昨年昼には長い列で諦めたマルトマ食堂へ。満席、マルトマ丼(海鮮丼)1300円を食す。
安くて旨かったが、贅沢感は無い。これは帯広のスイーツにも通じるものがあるが、安くて旨いが何よりだね。
帯広へは標識だけで向かうことに。知ってる積りが、道の駅「むかわ」で予定通りと安心したのがまずかった。
その後の岐路で、遠回りの海側ルート・新日高へ進んでしまった。日高町が2ヵ所あるのは承知していたのに。
大樹町で食したインド料理のランチ。店員がインド人の普通の店。が、この手の店では初めての陶器の食器。
結局は285km走。帯広では、夏休み前なので放課後から21時までの練習。食事の誘いも辞してバタンキュー。

帯広2日目は終日雨。午前、午後、夜と3カ所での練習。で、雨中のバイク移動は当然雨の中。カッパを着込む。
ホテルへの移動もあるので都合4度の雨支度。最後は暗い中、不慣れな道に迷ったりして、久し振りに凹んだ。
何でこんなことをしてるんだろう。ホテル近くのセコマまで歩いて調達、チューハイも口にして・・ ベッドに撃沈。

夜練では選手たちの対応の悪さを怒鳴り付けたりもした。選手たちにも、ダアは未体験の人種なんだろうと思う。
今回の帯広バドは8月初旬まで続く予定。体力面、気力面、信頼関係・・ ふと不安な気持ちを抱いたのだった。

3日目も雨の予報。救いは夜練が無いこと(笑)。昔、雨の仙台でポンチョで走るスクーターに出会ったことがある。
良いかもと思いネットで購入。でも、あの日の可愛い女の子とは違うから・・ 気恥ずかしさが勝って未着用だった。
遠く離れた北海道ならポンチョ走が試せるかも。そう考えたら雨もまた楽し。で、これが結構いけるのですよ(笑)。

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「盛岡着
」・・・2019.07.11

2日目の朝、予報は雨無し。外へ出てみると霧。霧と言ってもヘルメットには水滴が付くし、上着は濡れてくる。
堪らず雨具を着用。やがて霧は晴れたが、15℃前後の気温にウインドブレイカー代用。旅の支度は夏仕様。
食事処が見付からず、仙台を過ぎた富谷のガストでやっと朝食。昨年と同じ店、店員の緩さも同じだった(笑)。
順調に北上を続けていると陽射しも出て、風切る気分は全盛期。何だか高揚し、ボケ気味の普段を忘れそう。
気分が乗っちゃって、(緩い日程で、きたかみ泊まりの予定だったが)このまま盛岡まで突っ走しっちゃおうと。
で、265km走って盛岡へ。道中(タブレットで)昨年利用の宿を押さえる。テニス仲間が未着で、暇な夜となった。

3日目、浅草テニス本隊が到着しコートで合流。以降、盛岡でのテニス2日間は天候に恵まれ、結構楽しめた。
勝敗はイーブン、成績中位の上。夜の懇親会で「もっと真面目にやればぁ」と言われたが性根は治らない(笑)。
テニス打ち上げ後、八戸へ。市内でちょっと迷う。あちこちで少年たちが祭り太鼓の練習、旅愁をそそられる。
盛岡でも祭りの練習に遭遇したが、こちらの方が太鼓の音にキレがあって、ふと本番を見てみたいと思った。
少年たちの凛々しい表情に惹かれたのもある。フェリーターミナルで食したラーメンが冷えた身体に沁みた。
この日は160kmの走行。 北海道へは八戸22時発、苫小牧6時着のフェリー。寝不足にもならず、無事に接岸。

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「北へ」
・・・2019.07.07

4回に分けてスーパーカブで日本一周をしたのは5年前。確実に衰えが来ているのを感じる今日この頃だが、
当時でさえ最長26日だったものを32日ものバイク旅を計画。盛岡でテニス、八戸から北海道へ渡りバドな日々。
帰りは苫小牧から大洗へ帰る日程。昨年と似ているが、バドの重さが増し、その分バイクでの走りが減った。
で、バイクもそろそろかなと感じているが、何時までもバドでも無いだろうにと自問してるダアが居たりして(笑)。

出立の朝は呆気ないほど何時もと同じ。旅への高まりも無く、何時もと同じように起きて、何時もと同じ朝食。
で、何の気負いもなく走りだす。おっと、違いもあった。何時もだと雨降りでは決してバイクには乗らない(笑)。
で、雨の中の走行。北行きでは立ち寄る「もてぎの道の駅」も素通り。北方は雨が無さそうな予報だったのだ。
結局、雨から逃れることが出来たのは昼近かった。盛岡まで2泊する緩い日程で、初日に走ったのは260km。
何時もの伊達市のスーパー銭湯に宿泊。ジョッキにほろ酔いで眺める大衆劇団も、何時もと変わらない(笑)。

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「あわ漬」
・・・2019.06.27

「あわ漬」なる優れものがあって、メチャ美味い浅漬けが出来る‥ 浅草テニスで耳にした。
世の中に知らしめて、皆に広めたいとまで言う。傍らで、くすぐったさを覚えながら聞くダア。
製造のS醤油は隣町にある。(関わりがある訳でも無いが)何か褒められた気分がして(笑)。
50年以上も前、当地に越して最初の休み、フラッと散策に出て「虫掛」と言う地名に出会った。
佇む小さな工場に懐かしさを覚えたが、初めて親元を離れた感傷もあったかのかも知れない。

(ネットで購入しているとのテニ友に)任せてよ、近くなので今度仕入れて来るからと口約束。
バイクで時々通るのだが門を入るのは初めて。外からは売店らしきものは見掛けなかった。
内に入っても雰囲気はない。と、作業中の青年と目が合って、売店は無くネット販売のみだと。
シートに跨ったまま約10秒の遣り取り。で、走り出してフト思う。家にあった「あわ漬」は何なの。
ネットで購入する筈はないし。で、近くにあった農産物直売所に寄ってみたら‥ 売ってた(笑)。

  調べると、S醤油製造は元禄元年の創業、330年の歴史。従業員60名。 
  醤油生産量が県内1位で、全国1200社中では30位。(2017年)
  全国に1200社もあると言うことは、それぞれの地にそれぞれの物語があると言うこと。
  壷井栄「二十四の瞳」に触発されて菜の花を見に小豆島に行ったのが2014年。
  菜の花は期待外れだったが、島にも醤油工場があって、香りの中の散策が印象に残っている。
  
家に帰って話をしたら、近所のマーケットでも売っていると。確認しに行ったら‥ 売ってた(笑)。
もう、物語が台無し。次週、浅草へのバイク配達では何となく無償に。次回からは有償でね(笑)。

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「ff」
・・・2019.05.30

♪ おまえの涙も 俺を止められない いまさら失う ものなど何も無い
  言葉にならない 胸の熱いたぎり 拳を固めろ 叩きのめされても
  激しくたかぶる 夢を眠らせるな あふれる思いを あきらめはしない
  愛がすべてさ いまこそ誓うよ 愛をこめて 強く強く

  愛がすべてさ いまこそ誓うよ 愛のかぎり 強く強く
  愛がすべてさ いまこそ誓うよ 愛をこめて 強く強く
           YouTube ff (フォルティシモ) HOUND DOG  作詞 松尾由紀夫 作曲 蓑輪単志

5週間ぶりのテニスに向かうバイクで、何時しか何度もHOUND DOGのフォルティシモを口ずさんでいた。
1985年に発表され、今では渋い演技派としてTVで見掛ける大友康平の歌唱。力強いサビが印象に残る。
その昔カラオケで良く歌ったが、この突然の回帰、帯広での出来事が影響しているのは間違いあるまい。
残念な結果で終えて帰ってから、僅かしか経っていない。で、尾を引いて、頭の中でグルグル回っていた。
それが突然(現役でコーチしていた時分の)ある場面、ある言い回しが蘇って・・ 後悔の上塗りと相成った。
当時、ダアにもコートで戦えない選手たちが居て、彼らに対する対応や言い回しは今回の帯広へと繋がる。
「激しい息遣いの中でしか勝機は見えない。一つの負けにめげず、強い気持ち持って動き、打っていこう。」

で、戒めとしてff(フォルティシモ)を歌っていくことに(iPodに取り込んだ)。これって、論点が狂ってるかも(笑)。

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「熱い」
・・・2019.05.28

熱い戦いを期待してGWから1週間の間で訪れた帯広。1年間に亘って係わってきた選手たちの総決算。
3年生にとっては(突破出来なければ)最後になるかも知れない戦い。ある程度の感触は得ていた・・
が、そこに見たものは思いもしなかった光景。コートの選手たち、自縄自縛状態で戦うことが出来ない。
練習と違う顔、なすべきことを見失っている。負ければ終わりは相手も同じ、勝利への熱い思いに差が。
(泳いだ目で)何をして良いか分からなかったと口にする。やつはチキンだからとチームメートが評する。
それは無いだろう・・(経験も積んできただろうに)。盲点だった。その観点で彼らと接することは無かった。
1ゲームを奪ったり、ジュースに持ち込んだりも出来たのだから、強い意志で戦えば結果は自ずと変わる。
逃げずにぶつかって行き、その中で勝機を探れば良いだけのこと。「後悔先に立たず」とは正にこのこと。
彼の地の選手の試合は初観戦。輝けなかった彼らを目の当たりにし、新しい観点の練習を思い付いた。

で、今回熱い戦いを期待した帯広だったが、そこにあったのは、熱い(戦いではなく)気候。26日のこと。
5月の歴代全国最高気温記録を更新した北海道(佐呂間で39.5℃を観測したとか)。狂ってきたか地球。
帯広でも38.8℃になったと。駅前温度計は午前中すでに40℃の表示が振り切れて、TVクルーの取材も。
関東はどうなのかと思ったが、羽田に降り立つと真夏日だと言うのに左程暑く感じない。何だか妙(笑)。

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「タラの芽」
・・・2019.05.14

4日間750kmの仙台テニス・バイク行の疲れが一晩で抜ける訳がなく、羽田に向かうJRはシートに沈んで。
自力を使わない移動の何と楽なこと。で、飛行機でもシートに座っていればあっという間に帯広です(笑)。

GW10連休、希望はしたのだが、3ヶ所回る日まであって、移動の車中でコンビニのパンなんてことも(笑)。
で、3年生の勝負の時(引退の日かも)も近くなり、(1年間だったが)何か残せただろうかと感傷的な気分に。
今回の訪帯は連休だったので、15年前卒業のA君が帯同。彼の地の選手と見比べると動きの違いが歴然。
帯広で偉そうにコーチしてきたのだが、フットワークは勿論、ストロークまでもが別物なのだ。衝撃を受けた。
伝え切れなかった後悔と、正しい方法を見出せなかった懺悔。まだまだ努力が足りないと言うことなんだろ。

全ての練習を終えて、保護者からタラの芽の土産。想定外のもので一瞬戸惑ったが、無下には出来まい。
(一晩冷蔵庫で冷やして、ダウンに包んで空路持ち帰った。素揚げと天ぷらで食したが何とも美味で感嘆。)
最後の夜はボトルを空ける大盛り上がり。で、話が直近に迫った地区予選に及び(流れは覚えていないが)
試合のベンチに入らないかと言うことになって、止せば良いのに再訪を口約束、何でそうなったのか(笑)。
最終調整から大会当日のベンチ入りと、彼の地の選手たちの節目を共有(疑似でしか無いが)することに。
で、狭間の1週間は庭の手入れ、通院と大忙し。握る間も無いテニスラケットにはカビが生えてるかも(笑)。 

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「新車で」
・・・2019.04.25

愛車のカブ号を新車(同車種)に変えた。7万km近く走行した旧車に比べて、転がりが快適で心地良い。
だからと言う訳では無いけれど、GW10連休(in帯広)の直前にあった仙台テニスはバイクで往復を選択。
(新幹線ならば2日のところを)移動日の2日がプラス、750km走行の次朝には機上の人となる強行日程。
実はバイク行には若干の不安があった。一言で言ってしまえば老いによる衰え。脳に霞が掛かってる(笑)。

福島に中継宿泊する緩い日程。走り出すと不安は素っ飛んで、気分は爽快。無風、筑波山が霞んでた。
辺りのサクラがぼんやりと浮かんで見える。陽射しと共に色を増した山は、新緑のパッチワークが美しい。
道の駅(もてぎ)で握り飯の朝食。サクラと鯉のぼりを楽しむ。で、ジャムに適したイチゴが気になって(笑)。
白河でR4に。3桁国道に比べて走り易い。途中、浪江町役場2kmの標識。未だに続く原発事故の影響。
みちのくに入り、安達太良、蔵王に抱かれて北上。仙台テニスは天気に恵まれ、そこそこの成績を得た。
海岸近くのコートに向かうと、7m超えの津波(2017.3.11)到達点表示。深く重たい気持ちで佇み見上げた。

4日間崩れないとの事前予報だったが、帰宅の朝は夜半から降り出した雨が残って、カッパ着用で出発。
霞んでいて山は見えず、狭い視界。R4をひたすら走る。やがて雨も上がり、となると気になるイチゴ(笑)。
(今回から重たいタブレットをスマホに代えたのだが)Googleマップを駆使し予定外の道の駅(もてぎ)へ。
で、帰宅して即、ジャム作り。(小粒なので)300にもなるヘタ取りに疲れ果て、吐き気を催したりして(笑)。

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「半ライス」
・・・2019.04.21

今や全国最強豪校のS高校バドミントン部。その黎明期、日本リーグの選手から転身した監督が着任した。
ダアの卒業生が(リーグ在籍時の)同僚にいた縁があって知り合い、その年は2名の新卒業生が進学した。
で、彼らが3年生になった夏に団体と個人で全国制覇を果たしたのだが、その1年時のGWにエピソードが。
大学・日本リーグと一流を歩んだ監督と、片田舎で手作りの指導で育ったダアの卒業生。温度差が激しい。
不安を覚えたダアの卒業生がGWに帰郷して練習したいと訴えて、結局1年生全員がhomestayとなった。
2人以外にも‥ 言ってはみたが、全員が挙手したのはショックだった。後日に聞かされたO監督の言葉。
思いを馳せると、監督と選手との好ましい機微が見えてくる。で、ダアとの練習の感想を聞いてみたとも。
曰く、取れなかった球が取れるようになりましたと。でも、次に会った時は完全に元に戻っていたけど(笑)。

先ずはフットワーク、それがダアの練習の基本。一緒の時は口うるさいが、卒業してからは問題を孕む。
(身体の成長による)肉体への負担増、(練習量減で)鈍り、(それでも勝てるので)高める環境が無い。
で、やゝもすると楽な方向に流れがちな選手たちに用意したkeywordが「小さなさぼり、大きな大変」。
小さな動きを大切にしないでサボってしまうと、より大きな動きが必要な時に出来なくて、後悔するよ。
だからサボらないで(何時でも100%、一生懸命に)動きなさいと、諫めるような論調。時代を感じる(笑)。

北海道中札内で新たに作ったkeywordが「ミニトラふるこ」、帯広で作ったそれが「半ライス・大盛ライス」。
どちらも(意味合いが違うが、文脈上は)軽くやろうの意。抜くことを認めるなんて、こりゃ画期的だね(笑)。
前者は、小さなトラ(ミニトラ)で打てば、(打つにも有効だし)全面(fullcourt:ふるこ)の動きにも展開可能。
後者は、半分だけ動く。関東の半ライス=当地の小ライスとの会話から派生した比喩。関連性皆無(笑)。
半分だけの動きは労力が少ないが、半分動いていれば必要な時に大きく動くこと(大盛ライス)が出来る。

さてGW10連休がやってくる。「ドラッグ化」計画も推進中だし、何か血沸き肉躍る思いも。錯覚かな(笑)。

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 「練習法」
・・・2019.04.15

花粉の猛威も少し和らいできた3月から4月にかけて帯広に行ってきた。花粉最盛期を外した訳がある。
避花粉としては初になった昨春の訪帯、積雪でバイクは楽しめない。それではと体育館を覗いたのだが‥
軽い気持ちの筈だったのに焼け木杭に火がついて‥ 思い出したバド絡みで、年末までに5度も行った。
温かい歓待を受け、来年もと約束をしたのだが、実は胸の底に少しだけ引っ掛かるものを感じてはいた。

ダアの「練習法」はキーワード式などと嘯いていて、練習内容には全て見出し(keyword)が付いている。
キーワードを用いて練習を進めると、その後の場面でキーワードの意識により、練習内容が蘇る狙いだ。
ダアに凡庸な選手が来れば、勉強になると(これまた嘯いて)新たなキーワードを次々と作り出した(笑)。
それらを纏めたものを持って帯広に行ったのだが、そもそも才能溢れる当地の選手たちにフィットしない。
(例えると)日々育て上げて行くダアの選手には、毎日の栄養源としての練習(キーワード式)が必要だが、
形が出来ている当地の選手には違った素養があって、それをダアの栄養(練習)で置き換えるのは難しい。
で、日々のそれではなく、そこから有効成分を抽出した(即効性の)薬として、再構築出来ないだろうか‥
名付けて「ドラッグ化」計画。その視点で「練習法」を見直すと、何とも365日的、日々の献立風なのだ(笑)。

今回は学校の春休みに合わせた帯広行。「ドラッグ化」を意識し「凝らずに端的に」を主眼に練習を進めた。
分かり易くなった(進化した?)と言われたので、どうやら新たな試みはそれなりの意義はありそうに思える。
GWにも再訪するが、更に充実したものにしたい。で、「ドラッグ」には乱用薬物の意味もあるようです(笑)。

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「冬眠中」
・・・2019.01.31

昔からの酷使でガタが来ている足首を痛め、現在冬眠中。寒さで家を出れず、もう何日も靴を履いてない。
昨夏は酷暑で閉じ籠ったし、老体に厳しい茨城。夏・北海道、冬・沖縄への渡り生活がチラッと頭に(笑)。
今朝の気温は-2℃、午後も一桁。なのにもう花粉が飛んでいる。(飛散量は前年の暑さに比例するとか)。

大相撲、全豪テニス、アジア杯サッカーとTV観戦を楽しむ日々だったが、筋肉やスタミナの衰えが心配。
昨日は花豆を煮てみた。そもそもが、バイク旅の長野で出会った大粒甘納豆を自作したくて嵌った花豆。
(他の豆も試みて)甘納豆、煮豆、餡、サラダとレパートリーを広げたが、粉吹き豆が一番のお気に入り。
(柔らかく煮て煮崩れ前の見極めが容易、煮汁が無駄にならない、食感など) で、粉吹き花豆に初挑戦。

昨夏に北海道・中札内に行った。バイクで盛岡経由で渡ったのだが、バドをコーチするのも目的の一つ。
とある選手の家は小豆(しょうずと発していた)農家。立ち寄った時、庭先に赤い花豆の花が咲いていた。
秋に収穫したら小豆を送ってくれると言ってくれていたのだが、秋も深まった頃に嬉しい荷物が宅急便で。
小豆だけでなく幾種類もの豆が入っていたが、その花豆を煮ながら北海道でのバドな日々を思い返した。
正直、コーチするのは体力気力面で厳しく感じるが、今年も避花粉と言うことで飛行機も宿も手配した(笑)。

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「Line」
・・・2018.11.26

今までガラケーとタブレットの2台持ちだったのだが、スマホ1台に替えた。 で、やはりと言うか大苦戦。
バイク旅でマップを見るために(画面の大きな)タブレットを使っていたが、大きさ故に持ち運びが不便。
長期のバイク旅は卒業したので、今後はパソコンで計画し、旅先ではスマホのマップで補うことにした。
そもそも、通話とメールが出来てマップが利用出来れば良い訳で、出先でネットなどを覗ければ御の字。
で、通話は問題無さそうだし、マップとネットも小さい画面ながらもそこそこ使いこなせるように思えた。
(にしても、歳を取ると新しい道具を使いこなすのは大変。文字が小さいのもあって、目の疲れ、偏頭痛。
 画面をズームアップすると、竹筒の先から覗くような「全体像を把握出来ない感」が押し寄せる。)

スマホにして彷徨ったのがメール。Biglobeメール、docomoメール、メッセージ、+メッセージと混乱状態。
中でも一番分からなかったのが新規メールの作成方法。今まで親しんでいた作成ボタンが見当たらない。
あれこれやって、連絡先アドレス帳から色々送れることは分かったのだが、まだ把握したとは言えない。

Lineなるものの存在は勿論知っていた。で、ちょっと気まぐれでインストールしてみたら、あらあら大変。
複数の友人から速攻メッセージが入ってくる。何で分かったんだろう。嬉しいけれど、若干の戸惑いも。
慌てて調べると、自分のアドレス帳から(設定しないを選ばない限り)自動で繋がる親切な(笑)仕組み。
確認をすると大勢の名前があった。アドレス帳に残してはいたが、今は連絡を取り合うことの無い人達。
で、Lineは速攻アンインストール。便利だと聞かされているので後日再考。今は慣れるまで大人しく(笑)。

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「③カラオケ」
・・・2018.11.12

沖縄最後の日曜日はバドの日。宿の前で迎えの車を待っていた。と、道の向こうに風采の上がらぬ親父。
狭い路地、それとなく観察。奥に街中には珍しい沖縄の墓があって、柵に入り込みデジカメ撮影している。
あゝ地元民では無いのだ。で、戻った横顔に見たことがある感が、もしかして「なぎら健壱」かも知れない。
(余談だが、先日浅草でテニ友が「マツコ・デラックス」に遭遇、声掛けして一緒に写真を撮ったと言う。)
空似かも知れないし、勇気も無かったのでやり過すと、隣の安ホテルに入って行く。「楽器は届いてます。」
ホテルの人の声で確信に変わるが、時すでに遅し。暫くして昼食なのか、雰囲気のある3人と出て行った。

今回の沖縄では中盤以降、喉に炎症を起こし、昼間は予定を強行するも、夜はジキニンを飲んで寝ていた。
(ダア的には冬季に何時も発症し、数日は声が出なくなるものだが、何もこんな時で無くてもと恨めしい。)
で、夜も更けて夢うつつに歌が聞こえてくる。どの曲もギターのストローク奏法に乗せて、ダアも口ずさめる。
演歌は無かった。声主は同一で結構聞ける。で、常にフルコーラス。日により男声が加わり本格的ハモも。
一度女声が加わったが、「黄昏のビギン」(これもストローク奏法、参考になる)などをフィーチャーしてた。
残念なことに、男声2人は心地良いのだが、女声は音程がずれ、喉痛の症状が悪化しそうに思えた(笑)。

チェックアウト時に宿の主に聞いてみると、隣にカラオケ屋があると。楽器も置いてあるから、それだろうと。
決して複雑なコードでは無く、単純な奏法。その昔、寮の部屋でギターで歌い、呑んだことが思い出される。
次にチャレンジしたい願望(海や山で歌う)の強い後押しになる。何年か前に旅仕様のギターは購入した。
で、歌詞は画面に出るが、ギターのコードはどうしているんだろうか。現場に潜入調査すべきだったか(笑)。

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「②バイク」
・・・2018.11.11

月曜日に浅草本隊が合流、テニスを楽しんだ。天気は最高だったが、喉がイガラッぽくて調子が下降気味。
オフの水曜日は初体験のバス観光。古宇利島、美ら海水族館、万座毛、御菓子御殿、琉球村を巡った。
バスは楽ちんだったが、海が青くなくて何だか不満。で、バイクで走るべきだったかと思ったのだった(笑)。
木曜日は浅草メンバー中心でテニス。和気藹々で楽しかったが、喉がガラガラになり声が出なくなってきた。
金土は(我慢出来ず)レンタルバイクを借りた。直近だったので50ccが出払っていて、割高の125ccに跨った。
で、走り出して沖縄の風を受け・・  あゝこれだと思ったのだった(笑)。ガンガラーの谷、おきなわワールド、
玉泉洞と、普段は行かない有料施設に行った。どこも観光客がそこそこ群れていて、好きになれない空気。
玉泉洞で通路の確保に鍾乳石を切り取った跡が頭上に幾つも幾つも並んで、嫌~な気分になってしまった。
その後、島南部の海岸線を走り、豊見城のステーキハウスうっしっしぃで300gのステーキを食べ、大の満足。

バイク2日目は痰が絡み、声が全く出せない。それでも伊計島までのバイク行。もうマップを見ずに行ける。
海中道路を通って平安座島へ。脇の浜比嘉島に寄ってタコ飯を食そうと思ったが開店前。戻って宮城島へ。
製塩観光所ぬちまーすでスーチカーなるものを食す。美味かったと言った積りだが、戸惑い顔のレジ係(笑)。
塩で下ごしらえのポーク保蔵食(後日談、浅草メンバーにも遭遇者が居て、感激の余り土産に購入したと)。
最終地の伊計島は、幾つか美ら浜があるとの案内だがどこも有料。で、パスして広くも無い島内を走り回る。
(他の連なる3島と違って)平坦で、サトウキビ畑が広がるだけの鄙びた印象。それが良くもあるのだが(笑)。
那覇に戻ってバイクを返却。2日間で200km超走ったよう。本島1周の距離だと店員が驚く。何でだろね(笑)。

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「①沖縄行」
・・・2018.11.04

沖縄での前泊が取れなかったので、土曜日に浅草まで行きバド、早朝便で羽田を発ち昼前に那覇に入ろう。
そんな日曜日沖縄バドの予定が、緊急の機体整備とかで90分も遅延。副操縦士の飲酒問題絡みの噂も。
代償として当日有効の食事券を貰ったが、昼食のタイミングも合わず搭乗。銘苅小体育館には遅刻で到着。
で、浅草も那覇もバドは大の付く不本意。昨年の長期入院で「良性発作性頭位めまい症」とかを発症した。
(耳石器から欠落した微小な耳石が三半規管に入り込み、リンパ液の流れを乱し、平衡感覚に変調を来す。)
昨年の退院直後のテニスでは転びまくり、状況を把握してからは動く反応を抑えて対処して来たのだが・・
その結果、テニスでは動かずにサボる人との評も立ってしまったが、バドではより根本的な問題が存在する。
シャトルが頭上を往来するので頭が動き捲くる。おまけに(昔取った杵柄)身体が勝手に反応してしまうのだ。
で、バランスを崩して床に頭を打ち付けたりして騒動。動きを抑えると今度は老眼でシャトルが見えない(笑)。

三半規管に入り込んだ耳石は時が経つと溶解し、治癒する(良性と称する所以とか)とのことだったのだが、
退院1年以上経った今でも、テニスでもサーブでボールをトスアップして見上げると、フラッと来るのが実状。
で、「良性」ではなく「老性」の「発作性頭位めまい症」では無いのか。と思ってしまう今日この頃なのだ(笑)。

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「②麦草峠」
・・・2018.10.22

3日目、当初の計画では佐久から小海へ向かい花豆&リンゴ購入、機嫌よく帰途に(3日間とも250km/日)。
が、(佐久と宿を入れ替えた)塩尻からとなり300km超に。460kmの経験もあるけれど、今は楽な行程志向。
それが、予定にない麦草峠(2127m国道2位)経由が頭に浮かぶ。(googleマップでは最短も峠を越える。)
 野麦峠(クマザサが10年に1度くらい、麦の穂に似た実を付けることがあり、地元で野麦と称し食した)、
 麦草峠(群生していたイワカリヤスという麦似の多年草に由来)。以前は混同認識してたと屁理屈を(笑)。
で、霜柱や根雪があり寒さはmax。公衆トイレ(2014年三大峠巡り時は無かったような気が)に救われた。
八ヶ岳山中を抜け、メルヘン街道と称されるR299。歩き人や写真人が多数いて、紅葉を楽しんでいる模様。

小海の農産物直売所は花豆購入が目的。野麦峠と並んだ第1位の目的なのに、棚に見当たらず茫然自失。
隣町の佐久穂の農産物直売所にも豆類は殆ど無かった。両者はダア的には外せない豆の聖地なのにだ。
昨秋の購入時は麦草峠が冬季通行止めだった。峠が通れた今年は(乾燥が間に合わず)販売前のよう。
で、傷心で2位指名のリンゴ(最高に美味い)、ハックルベリー(アントシアニン豊富なジャムにする)を購入。

佐久穂からはK124ぶどう峠経由で帰る予定だった。それがR254下仁田を通ろうと・・ ネギもチラッと頭に。
ネット情報では販売前だった。花豆への欲求不満が、内田トンネル越えは平坦だからと無理に納得させる。
で、山を越え下仁田町に入ると畑にネギがあるではないか(笑)。食事土産「じいとばあ」の店頭にはネギ。
昨年もここでネギを買ったのだが、標高の下がった販売店は閉まってたし、道の駅では11月1日販売開始。
「じいとばあ」は裏技として、下仁田ネギ&小海の花豆購入は、麦草峠通行止めが一つの指標になる(笑)。

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「①野麦峠」
・・・2018.10.20

歳を取ると偏屈だ。昨秋のバイク旅で(足早に台風が来襲し)野麦峠へ行けなかったのが気に入らない。
自嘲の気分を感じながら天気予報と首っ引きで日程調整。リベンジすべく満を持し出発したのが20日早朝。
ヒートテックとダウンを着用し、一応は冬の対応。水海道で11℃、日差しが出てくると空気が柔らかくなる。
前夜に予報が変調、松本は15時頃に雨が降り出すと。(最近の天気が安定しないと感じるのは気のせいか。)
で、初日の塩尻泊を 手前の佐久泊とする第2案も準備。目立った雲のない空だったが、やがて地平線に雲。
それが徐々に体積を増し、ゆっくり動き近づいてくる。天気予報で示される雲の動きを、大パノラマで体感。
碓氷峠を越え軽井沢に入った12時過ぎに、霧のような雨。濡れる前に佐久のスーパー銭湯に避難出来た。

次朝。晴れの予報が、明けやらぬ空は雲だらけ。ガソリンを入れる隣の若者が挨拶を寄越し、爽やか気分。
松本に向かう。彼の地は盆地で霧が残る。気温は2℃。かじかむ指先、冬用手袋までは頭が回らなかった。
(高い山のせいで遅くはなるが)やがて日差しと共に霧が晴れて、青空が広がる。松本からは野麦街道へ。
野麦峠資料館で入館500円、ダア的には稀な行動。今回の目的地につき大盤振る舞い。コスパは悪い(笑)。
資料館屋上(価値ある無料)から間近に眺める乗鞍岳が美しい。「あゝ野麦峠」は、書籍と映画を体験したい。

そば処「たけみ」で昼食。御岳山を見られるの意だろう。つゆが今一、蕎麦に比べて力が入っていない(笑)。

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「③満喫」
・・・2018.08.01

時には晴れたけれど、曇りが多かった北海道。バイク旅と言うよりは「滞在withバイク」と言った感じだった。
熊谷での国内最高記録41.1℃は帯広で知ったが、彼の地は快適なる気候。汗を掻いた記憶は殆ど無い。
終盤にはバド9連荘。すっかりクタクタ状態なのに体育館では背筋が伸び、時には大声を発したりして(笑)。
全てを終えた最後の夕はBBQ。折角用意してくれたのに重圧からの開放で、放心状態。礼を失したかも。
帰途は、中札内から苫小牧へ南回り。日高では馬の牧場が幾つもあり、海岸では昆布の作業場が続いた。
で、今回2度目の雨に会う。行きの山地にも日高町があったので調べたら、地続きでない2地域の日高町。

苫小牧では紹介されたマルトマ食堂へ。屋号は◯に苫だろう。で、30人もが並んでいて、並び嫌いでパス。
結局、近くで味噌ラーメンを。朝5時から14時の営業のようなので、次の機会には海鮮丼を食してみたい。
フェリー夜行便で大洗に着くと、ガラス窓からの熱気が半端無い。心から、北海道に帰りたいと思う(笑)。
家まで60km。青い空に入道雲、熱気を含んだ空気。汗が吹き出し、シャツやジーンズが素肌に纏わりつく。
時に寒くも感じた十勝は酪農系の匂いが特徴的だったが、帰ってきてのそれは、草いきれ。別の世界だ。

7月8日出発の24日間。当初試算を1000kmも上回る2230kmを走った。あちこち満喫したと言うことだろう。
帰宅して、クーラーの効いた部屋から出られない。ダアの身体はすっかり北海道仕様になっている(笑)。
(追記)3日経っても部屋に籠もっている。トイレへ立つ廊下が暑い。テニスは行こうにも命の危険が(笑)。

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「②観光も」
・・・2018.07.20

苫小牧から帯広へ、濃い霧の中を出発。着衣が霧を捕集し身体が冷えて来る。雨具を着用しての対策。
で、それが正解。日勝峠に掛けての山越えは雨の中。途中の鵡川と日高の道の駅は寄った覚えがある。
山越えでは河川の荒れが目立ち、あちこちで補修工事をしていた。帯広でも雨は残ったが、やがて回復。
全国に繋がる全道大会に向け、帯広で行われた強化練習会にお邪魔。選手と接して、回春気分に(笑)。

バドを離れて観光もした。先ずは池田町に寄って、町民還元ワインを箱買い。ロゼよりも赤の方が美味い。
釧路で勝手丼を食し湿原を見て、宿泊。前回バイク旅で心を残した別海ホタテバーガーに涙の初対面(笑)。
ここが1番と思っていた別海高校近くのソフトクリームは、涼風に震えて食したせいか、道内他と同等かと。
中標津の開陽台では海まで見渡せる眺望は叶わなかったが、直線道路(今回のテーマ)のミルクロードへ。
羅臼から知床峠を越えるも、国後島は霞んで見えなかった。斜里の「天へ続く道」は今回目玉の直線道路。
網走で宿泊。今更監獄見物でもあるまいと市内を走ってから帯広へ戻った。釧路方面は避暑に最高(笑)。

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「①盛岡」
・・・2018.07.12

連日大雨災害が報道され関東でも雨が続いていた中、7月8日の出発。幸い雨に会わず2日間で530km走。
道中、海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」を繰り返し口ずさんでた。もっとも、このフレーズしか歌えない(笑)。
そう言えば以前は上条恒彦の「旅立ちの歌」だったから、ここらあたりにも心境の変化が表れているかも。
盛岡での目的は2日間のテニス交流試合。気温は高いものの雨は降らなかった。集中出来ず、惜敗多々。

盛岡では岩手山眺望が楽しみだが、今回は雲の中。それが、テニスを終え八幡平へ向かう時にやっと姿を。
で、来年こそは頑張ってねと言っていると、無理矢理思い込んだのだった(笑)。八幡平で大きな問題発生。
安比高原で宿泊予定の温泉に着いたら休業日、目の前が真っ暗に。何とか気を取直し、宿に電話したみた。
と、民宿を紹介してくれ、そこに電話してみたら留守電。呆然自失、固まるばかりで、次の手が思い付かない。
立ち竦んでいると、宿の朴訥fullな男の人がやって来て、素泊まり(バナナ1本付き)で泊めてくれたのだった。

八戸から苫小牧へのフェリーは夜行便が取れず、昼便で北海道入り。苫小牧での1泊は予定外の経費(笑)。

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「冷や水」
・・・2018.06.24

朝の目覚め。何か億劫で動き出したくなくて、布団の中でグズっている自分に気付くことが多くなった。
バイクの朝も同じ。走り出せばすぐに気分が乗ってくるので、未だ救いはあるかなとは思うけど(笑)。

7月にある浅草テニスの盛岡遠征。昨年は入院手術で参加出来なかった。で、それに過剰過ぎる反応。
盛岡までバイク行、その足で北海道に渡ってバドのコーチをしよう。どこから出るのか、その発想(笑)。
盛岡までは2日間を要す。北海道へはフェリーしか無い。で、帰りは流石に苫小牧・大洗のフェリー便。
ところが行楽シーズンで、フェリーも宿もダアの都合が通らない。帯広では30km遠方の宿を何とか予約。
が、フェリーは選択肢が無く止むなく日程を先延ばし、結局24日間もの長いバイク旅を余儀なくされた。
(因みに、47都道府県をカブで走破した2014年から2015年は、合わせて79日間14,100kmを要した。)
今回試算では24日間で走行1200km程。(テニスとバドでの滞在が多いからだが)大したこと無いか(笑)。

出発まで2週間になり準備に入った。宿やフェリーの手配を終えて、先ずは日々の走行ルートを書き出す。
タブレット(Googleマップ)は必携だが、ナビには使わない。迷った時の確認や、宿での新ルート探索に。
注意を払うのが着替えなどの荷物。旅先で洗濯をしない性分。あれこれ思いを巡らせ、実際に並べて・・
郵便送で入れ替える。で、徐々に気分は高揚してくるが、どこか「年寄りの冷や水」感は否めない(笑)。

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「②ふるこ」
・・・2018.05.12

雨の降る朝もあったが、雨で煙る筈が何時もより空気が澄んで見えた(憎むべき黄砂が雨で洗われたのだ)。
今回は、黄砂のせいで楽しみにしていた日高山脈が望めないが、雨が降った時にも当然遠望は叶わない。
GW谷間の週日、学校のある昼間にチャリ散策をする心積りでいた。が、2日間とも学校創立記念日で休校。
選手が2校に分かれていて、ご丁寧なことに5月1日2日と記念日が続く。で、昼間からの練習となった次第。

時に大声を発してバドしていると、何だか昔の気分になり体内・脳内が活性化される。夢さえも昔戻り(笑)。
活性化した脳が働いて、今回新たに「ミニトラふるこ」なるキーワードを作った。「ミニトラ・フルコート」の略。
「ふるこ」を彼女の名前に変えても良いよと言ったら、選手たち口を揃えて「居ません」と。そうなんだ(笑)。

GWも最終6日、毎日あった練習も最後の日。朝、宿を出ると日高山脈の見事な展望。見えたと思わず叫ぶ。
3月に来た時も見えなかったので、何年ぶりかの眺め。遠く大雪山脈まで見渡せて気分はルンルン最高だ。
夜には送別会とのことで席を設けてくれた。気分良く呑んでいたら部屋が突然暗転。ダアの誕生祝いだと。
ダアとKTは1日違いの誕生日。そんな会話を聞いて企画してくれた。チーズケーキ仕立てで、超美味だった。
で、RSの家は15万羽の養鶏家で村内一の卵出荷量。KSの家は森の中だと言うが、未確認なのが残念(笑)。
YSだけが更別村で、家が一番住宅街っぽかったような(笑)。4名とも3月よりも情が移っているから面白い。

追記:10日間の濃厚バド三昧。帰着して4日間は疲れから(家から出れずに)死んでいた。衰えを実感(笑)。 

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「①小肉」
・・・2018.05.11

3月に行った帯広。避花粉の積りが、思わぬバド三昧。昔取った杵柄もあり、これが結構充実感に溢れて。
その時、終始参加した(中札内、更別から来た)4名の中学生。村部に基盤があるようで、好きな目の色。
聞くと、学校に部活が無く活動は少年団。境遇とバドのレベルに関心を抱き、今回の話が進んだのだった。
長く時間が取れる時に一緒に練習をして、ダアのバドを伝えたい・・ それが急遽のGW訪問へと繋がった。

帯広空港に降りて、迎えてくれた(指導するOさんの)車に乗り込むと、広がる畑が薄っすらと緑だった。
秋蒔きの大麦だそうで、(3月の訪帯では雪原の下に埋もれていたのが)雪解けで姿を現したのだとか。
黄砂で日高山脈が霞んでいたのが残念。休む間も無く3月に会った選手たちと再会。さて、どうなるか。
次日から2日間は帯広で大会があり観戦。久し振りに触れた中学生の溢れる熱気で、若返った気分(笑)。
(3月に大勢の選手と会っていたので)試合後のアドバイスを次から次へと求められ、何だか照れくさい。
最初こそ懐かしくアドバイスしたが、次々を繰り返すと、己の舞い上がる図が見えて、薄っぺらく思えた。
村の4名の選手たちは全員2年生。試合も見たが、バドの技術だけでなく、気になる点も幾つかチェック。
当人たちは「道で優勝」を口にする。それは当然。来年までの1年間で何が出来るか、何を伝えられるか。
日々の鍛錬が大切なのだが、3月に初めて会ったOさんに、その可能性を見た。因みに「道」とは「北海道」のこと。

試合1日目終了後に村内観光に出掛けてくれて、ピョウタンの滝、花畑牧場、六花の森などを見学した。
美術村では目前をキタキツネが走り抜けてびっくり。Oさん曰くクマにも会ったと。それは遠慮したい(笑)。
道の駅・なかさつない。鳥の小肉串揚げを食し、嵌まる。で、リピート堪能。冷凍便にて土産に送付(笑)。

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「仙台行」
・・・2018.04.26

先週の新潟に続き、今週は仙台3泊4日のテニス・バイク旅を予定していた。が、JR利用に変更した。
帰着後GWに北海道へ飛ぶスケジュールを急遽入れたからだが、鉄路利用への挫折感が無くもなく、
仙台は雨の予報だし、帰宅次日では北海道への荷造りが出来ない。と、自分に言い聞かせた(笑)。
で、2泊3日のJR旅に変えたことで1日の休養日が出来、体力回復と荷造りが可能となったのだった。
(前泊ホテル予約済みの)仙台へは新幹線を使わず在来線。78駅7hrの緩い旅は、結構楽しかった。
(滅多に乗らない通学時間で)太ももまで顕なJK3人がシートに身を投げていたのが、大いに異質感。
隣のDK達が膝を揃え小さく座っていたのとは好対照。見慣れぬだけかも知れないが、間違っている。

テニスの2日間は、そぼ降る雨に祟られた。試合だけでなく、待つのも傘を差しての雨の中。辛かった。
だからか、(ダアの遊んでしまう癖が身を潜めて)好結果。やれば出来るじゃん・・ との声も聞こえた。
好例の懇親会は楽しかったが、雨に当たったせいか寒気が来て、2次会はそこそこ薬を飲んで寝た。
帰路は新幹線、速くて楽なのだが若干の物足りなさにも繋がる。でも居眠りとか出来るのは最高(笑)。

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「新潟行」
・・・2018.04.20

新潟への3泊4日のテニス・バイク旅に出た。昨年10月木曽、11月沖縄、12月長野と走り回ったのだが、
今になり振り返ると(10kgもの体重減だった入院手術に負けまいとする)単なる強がりだった気がする。
冬を超えるとそんな力みも消え去って、気が付くと気力も体力も何もかもが衰えたダアがそこに居た。
片道330kmしか無いさ・・ もっと長い距離も走って来たではないか・・ そう思おうとしても、心は正直。
朝7時、何時もの様に北へ向かうバイパス。陽光に照らされ進むダアの影が、何かとても自信なさげ。
穏やかな光の中、R4を北上している頃には気持ちが乗って・・ 塩原の道の駅でイチゴのパック食い。
そこから山越えは高度と共にサクラが咲き、平地との差が自然の妙。で、ゲップをしたらイチゴ味(笑)。
会津地方は風が強かった。同じく横風に流されたのは一昨年のこと。明るい内に無事に新潟に到着。

テニスの2日間は(小雨も一時降ったが)楽しめた。夜の懇親会は、まるでそれがメインの行事(笑)。
運動公園でチマキを食していると、顔・訛りが新潟の叔父さん似が「朝めしか?」と走り抜けていった。
で、新潟市内や、新発田市への往復で、バイパスが(一般国道なのに)高速仕様なのには閉口した。
昔、君臨した某総理大臣の功績なんだろうか。兎に角、主要国道の立派さは他に余り例が無いかも。
こちとら原付き。迷い込んでヒヤヒヤもしたが、(旧国道を走っていて)この猥雑さの方が好きと、呟く。

帰りは好天に恵まれたが、会津への山越えは濃霧注意報。気温8℃も、水滴をくぐるので寒く感じる。
再び塩原の道の駅。再びのイチゴ・パック食い。と、今度はゲップでなく眠気が出てベンチで暫し仮眠。
さくら市農産物直売所ではイチゴの値段が塩原の7割。粒も量もこちらが勝って、意味もなく衝動買い。
にのみやの道の駅で、ジャム用イチゴ購入、完熟なので日を置くなと言われて、帰宅後即ジャム作り。
って、イチゴの話ばかり(笑)。走行810kmのバイク旅は、帰る頃には、ちょっぴり自信も回復していた。

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「③倍返し」
・・・2018.03.30

帯広は冬から春への季節の変わり目だった。日に日に春めいてくるのは、短い滞在でも見て取れる。
(雪と氷がどんどん融けていく。)春休みに入ったある朝、交差点の向こうにチャリで走る高校生発見。
思わず「あっ!チャリだ」と叫んでいた。学校などでは自転車禁止期間がある由。凍る道では走れまい。
日中2桁の気温になったこの日。街中でもチャリで走るオバさんを見掛けた。で、初チャリ記念日(笑)。

今回お世話になったO高校のY先生。8日間で、O高校の選手には伝え切れなかったとの後悔が残る。
ダアへ寄越す目が日々変化したりして、ある意味分かり易かったが、距離を置くスタンスは今風なのか。
練習が終わって(車に乗り込む時)、とある選手から挨拶を貰った。4月に新入学する選手だとのこと。
寄越した瞳の中に懐かしく美しいもの(身が美しい)が見えて、暫しそれを育んだ環境へと話が弾んだ。
で、何故か饅頭が食べたくなったのだが、これは楽屋オチ。読者は理解出来ないので悪しからず(笑)。
市内の幾つかの中学校の選手とも練習したが、完全に中途半端。煙に巻いただけのような気がする。

中札内、更別から来た4名の中学生は、休まず何時も居た。村部に基盤があるようで、好きな目の色。
終盤になり人数が少なくなってやっと目を向ける事が出来たが、しっかりとしたバドを身に着けている。
全てを終えた時「自分たちで出し合って買いました。」と、六花亭を持って来た。ちょっと高かったです・・
思わず口にした表情にダアの心はメロメロ。ありがとう、何十倍にもして(バドで)お返ししたいと思うよ。
親が負担すれば簡単に済むだろうが、子にとっての大金を・・ そんな関係が思われて、深みを感じる。

ウグイスの声で旅立ち、帰った関東は桜が満開。で、鼻や目が率先して帰着を実感したのだった(笑)。

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「②豆購入」
・・・2018.03.29

学校がある時は昼間に観光(夕方から練習)。最初の朝は気温0℃の中、バスで池田のワイン城へ。
車内は適度な振動と低周波のエンジン音で、のんびり感に浸れる。池田はバドで何度も行った場所。
ワイン城では、バスパックにセットされた500円券で豆を購入。今回は生豆購入も大きな目的なのだ。
で、どこに行っても豆を物色。10種類16点もの馬鹿買い。(珍しいものでは栗豆・うさぎ豆・白小豆。)
帯広に戻るバスに間があったので駅周辺を歩く。雪割り(圧雪の融解促進)の人以外は見掛けない。
駅前に町民ワインを売る店。聞くと24本まで送れると。4本の積りが話が弾み、箱に丁度の6本購入。

別の日には、中札内の豆資料館(ビーンズ館)へ。隣接して道の駅もあるので楽しめると思ったのだ。
期待が大きかった分、空回り気味(それでも小袋の豆は購入)。しからばと、タブレットで検索すると、
帰路途中にK農協特産品直売所を発見。で、グーグルマップで下車のタイミングを見計らっていたら、
バスは(直売所のある)国道を外れて市街地に迂回。画面を見詰めるとバス酔いしたりで散々の目に。
結局行けずに帯広駅に戻るが、何か欲求不満。で、豆を求めて帯広競馬場・とかちむら産直市場へ。

貴重な1日だけの完全休養日。遠出も考えたが、前日にバスの迂回で行けなかったK直売所が心残り。
で、案内所で市内1日フリー乗車券・スイーツめぐり券を購入。聞くと直売所を通るバスは発車したあと。
市内循環バスで近くまで行けると。タブレットと首っ引きで下車。直売所近くのバス停にオバさんが3人。
時刻表を確認すると数分でバスは来る。それを逃すと次まで1時間。寒い中での待ちを覚悟して店へ。
農協の片隅にポツンと販売台。入り口にセンサーがあるようで、オバさんが出て来てレジで待ち受ける。
そそくさと1kg包装を購入。店を出るとバス停に未だオバさんが居る。10分遅れが幸いして、無事乗車。
さて、市内フリー乗車券だが、1時間に1本のダイヤでは寒空下での彷徨が必至。で、市内巡りは諦めて
駅周辺のスイーツ巡りに変更。500円で好みの4店。ソフトクリームはその場で食したが、他は持ち帰り。
某店では保冷剤が要るかと聞いてくる。戻る道で、冷蔵庫のような街中に保冷剤は要らないと呟く(笑)。

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「①帯広」
・・・2018.03.28

避花粉で北海道へ旅立つ朝、ダアの庭でウグイスが鳴いていた。羽田へ向かうJRはマスク姿が多く、
隣りに座る男は何度も鼻水をすすり上げて鬱陶しい。で、皆さんお仕事ですかぁ ご苦労さまでぇす・・
かく言う私は花粉から逃れて北海道へ行きますよぉ・・ と心の中で呟いた。何だか妙な優越感(笑)。

帯広空港は、外気温3℃。寒さは感じない。空気が花粉で煙ってない(そもそも目では見えないけど)。
バスで市内へ。周囲に広がる畑地は広大な雪原。道路に雪は無くバイク走も可能だったかと思えた。
が、バイクは見掛けない。郵便赤バイクは走っていたが、後日スパイクタイヤを履いているのを確認。

初の帯広行(2005年)から何度か目のFホテル。食事が美味で選んだのだが、今回は何だか今イチ。
何でも、シェフが引退してその弟子が後を継いだと。チェックインし、休む間もなく迎えの車、体育館へ。
大勢の中高バド選手たちが待っていた。覗いてみるか程度の軽い思いから始まった今回のバドだが、
本格的な練習会となった。行く前には若干の不安も抱いたが、始まってみると何のことはないノリノリ。
で、結局8日間のバド三昧(オフは1日)。モール温泉を楽しんで、美食と休養が大きな目的だったのに。
2013年卒業以来のバドだったが、超楽しかった。この試み、ダアのボケ防止に最良かも知れない(笑)。

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「避花粉」
・・・2018.03.11

若干の感慨と共に迎えた戌年も早3月。掴みかけたテニスは寒さで儘ならない。今年も花粉が酷い。
目の痒み・鼻水は点眼薬・点鼻薬で凌げても、(内服薬を服用しても)頭痛・倦怠感から逃れられない。
昨年の今頃は(初の試み)避花粉で沖縄に長期滞在。しかし、天候に恵まれず今ひとつ心が残った。
海の青さ堪能が大きな目的だったのに、バイクで走っても楽しめず、沖縄にも冬があることを知った。

で、今年は北海道に行ってみようかと。「避花粉は沖縄か北海道」ダアにとって、結構古いインプット。
帯広にバド繋がりの縁がある。積雪でバイク走は無理だが、モール温泉を楽しむべく、帯訪のメール。
久し振りだし体育館にも顔を出してみようかと、軽い気持ちで。と、選手100人集めると予想外のレス。
かつて合宿等を共にしたこともある。が、コーチは引退した身、老い衰えた今のダアに何が出来る?
スケジュール調整のやり取りで、熱い思いが伝わってくる。全て任せると返信するも、一抹の不安も。

コーチ現役の頃、練習内容を細かくキーワード化し、それによって戦術やプレイ内容の理解を促した。
今回、念の為に「2013年最終更新版」を読み返した。と、自分でも理解出来ない言葉多数、愕然(笑)。
果たして、当時の様に振る舞えるのだろうか。それとも、流れを掴めずに茫然自失となってしまうのか。
避花粉の筈が重い実験に。ケ・セラ・セラと居直るダアも居るには居るが、さてどうなるものやら(笑)。

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「DAM」
・・・2017.12.09

そもそもが、沖縄曲「恋ぬ始め」を覚えようと言うことから始まって、沖縄の友人がダビングしてくれたCD。
その中に「想いションガネー」があり、聞いているうちに好きになった。好きと言うことは歌いたい病の発症。
CDで覚えて、沖縄へ行く前に浅草あたりで練習してみた。が、カラオケに「恋ぬ」はあるが「想い」は無い。

沖縄でBIGIN、夏川りみ、ネーネーズなどの曲を歌うと、地元の人が(初耳の)沖縄民謡を歌い返してくる。
そんな中で「恋ぬ」が宿題となったのだが、ダアはカラオケ自体に沖縄バージョンがあると思い込んでいた。
浅草に無くても、沖縄にはある・・ が、沖縄も普通のDAMだった。昔から繰り返して来た思い込み症候群。

「歌いたい曲がカラオケにあるか知りたい・・」。今更ながらに検索してみると、DAM、JOYSOUNDがあった。
歌詞も、DAMは有料だがJOYは無料。あゝなんて無知なダアだったんだ。無駄に人生を過ごしたかも(笑)。
今後歌を覚える時は、カラオケにあるか検索してからにしよう。また一つ賢く? なったダアなのだった(笑)。

https://www.youtube.com/watch?v=r5uMn1klywg
YouTubeにあった饒辺勝子の「想いションガネー」。 作詞作曲の前川守賢とは違った趣。味がある歌唱。

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「シャム」
・・・2017.12.07

花豆を目当てに長野に弾丸バイク行をし、花豆以外にもリンゴと(群馬の)下仁田ネギを土産にした。
で、今日は(予定していた地元バドが中止になったので)旅を反芻する楽しみ、台所に立ったのだった。

聖地・小海町農産物加工直売所の大粒花豆は500gで800円。(見て回った他所は小粒で価格も高い。)
ところが小海でも出盛りだからか(長形3、3cmとやゝ小粒も十分大きい)750gで700円のものがあった。
試しに購入したそれを煮豆にしてみたのだが、満足な出来。次に行った時にも売られていたら嬉しいな。

佐久市の赤坂直売所で、ジャム、ジュース用とあったB級品のリンゴ。NHKの「ガッテン」を思い出し購入。
ジャムは糖度40以上で、シャム(番組の命名)は糖度40未満。そのシャムを作ってみようと思ったのだ。
保存性は落ちる筈だが興味あり。で、ダア的にはジャム(中画像左)の方がシャム(同右)よりも好き(笑)。

下仁田ネギは、すき焼きや蕎麦の具として食したが、今日は揚げ浸しに挑戦(右画像)。で、これが最高。
(リンゴは1袋だったので既に無く、ネギは残り少なくなった。)花豆は沢山購入したので今後も楽しめる。
で、シャムだけでなく煮豆にしても砂糖控えめに挑戦しなければ駄目だよね。嗜好と健康の板挟み(笑)。
       
     画像左から、花豆の煮豆、ジャム(左)とシャム(右)、下仁田ネギの揚げ浸し。

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「花豆」
・・・2017.12.04

(10月末のこと)台風一過の秋晴れの下、長野を楽しむバイク旅の筈だったのだが、次の台風来襲。
野麦峠を断念して撤退。それで雨の中、13時間390km飲食無しの雨中の帰宅行。死ぬ寸前に(笑)。

(で、今回の話)台風ごときにズタズタにされたのが気にいらない。年寄りって、変なところで頑固(笑)。
実は、10月の帰宅時に唯一立ち寄った場所があった。小海町農産物加工直売所。花豆購入が目的。
その2日前に通った時は沢山あったのに、棚は全くの空っぽ。台風の影響で出荷を停止したのかも。
2日前に購入しなかったのは、他所と比較するため。結果、小海町は大きさ、価格から「花豆の聖地」。
だから今回、再訪すると思い詰めたダア。空の棚を見ていた時、12月に出回ると店員が言っていたし。
(因みに、野麦峠は既に冬期通行止めで行きたくても行けない。来春の雪解けを待つしか無いのだ。)

佐久市の24時間銭湯が宿、(200km程なので)朝遅い出発。快晴、空気冷たく、真っ直ぐ立ち上る煙。
関東平野は広く退屈。群馬の山は霞み、赤茶けを見慣れた浅間山は雪化粧。背後に白い北アルプス。
長野入りは冬期につき安全第一。R254内山トンネル経由。過去に巡った中では、一番平凡なルート。
トンネルを出ると5℃の表示。で、明るい内に到着したので小海の聖地に行ってみた。あるある(笑)。

明けて佐久の朝は4℃、市内の赤坂直売所(レジは農家のオバさんで、9時前には既に開店してた。)
次いで、佐久穂の農産物直売所に行ってみた。後者は小海と同等の品揃え価格。何と言っても隣町。
リンゴも購入しての帰り道、下仁田でネギ購入。家近くで大きな赤い夕日。今年1番のスーパームーン。

何故、花豆にこだわるか。長野に行くようになって、先ずは甘納豆に遭遇。大きさに驚き、土産に購入。
次いで、聖地小海町で生の花豆を発見、甘納豆手作りを思い立つ。今は、煮豆作りが多いけど(笑)。
それにしても花豆目当ての往復470kmって一体何なんだろ。頑固さもここに極まリと言ったところ(笑)。

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「⑦うりずんの頃」
・・・2017.11.27

那覇に戻り、国際通りは人が溢れていた。歩き疲れて宿に帰る時、素敵なハーモニーが聞こえて。
本屋の駐輪場でゴスペルソングのリハーサル中。何でもクリスマスイルミネーションの点灯式が。
歌っていたのは、オキナワコミュティクワイヤなるグループ。時間を見計らって行ってみることに。
沖縄古典を研究するイギリス人の三線歌や、地元アイドルグループとかの出演。ゴスペルが1番。
エディ・マーフィー似の太めリーダー、100kg超確実の黒人オバさんの声量は、流石に迫力満点。
コーラスには日本人のオジさんも居て、アップテンポの曲ではアフタービートの手拍子が打てない。
オンビート(1、3拍)が染み付いているようで、何とも覚束ない手拍子。と言うか空を彷徨っている。
それでも口は合っているのが不思議で、微笑ましく思えた。演奏後すれ違うと、ありふれたオヤジ。

最後の日曜は3度目のバド 。試合が立て続けに入り、途中から身体に力が入らなくなる情け無さ。
今回の沖縄行は、ある程度の自信回復に繋がったけれど、反面スタミナ不足が露呈し次の課題。

平和通りフレンチレストラン、ランチに行って天候不順を嘆いたら、うりんずんの頃が良いですよと。
うりずんの頃:4月からGW前の季節。そう言えば初沖縄の2年前、完璧に晴れたバイク行も4月だ。
で、沖縄最後の夜は、リベンジ青い海の思いを込め「うりずんの頃」を歌って締めたのだった(笑)。

沖縄を発つ日。荷物をローソンで発送。さて朝メシ。昨日のR58沿い1000円ステーキは失敗だった。
と、市場中央通りに何やら明るく輝く店。モーニング2杯ツマミ付き500円。24時間営業、朝9時過ぎ。
ちょっと目的違いの呑み屋だが入ってみる。若い男3人連れの1人はカウンターに突っ伏している。
若い女2人が帰り際に(店員に)オヤスミなどと言っている。ダアの隣にヤマト口のオヤジ2人入店。
若い女3人が来店。目の前の1合枡に千円札を入れておき、注文ごとに店員が精算するシステム。
それを知らなかったダアは、都度財布から支払った。外を見ると収まり切れない客が呑んでいた・・
公設市場南側、足立屋。焼き魚とか美味かったし、次回はもっと粋に呑むぞと呟いて、店を出た。
で、朝呑みの効果か見慣れた景色が違って見えた。正月とか披露宴とかの昼間酒の感じ似(笑)。

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「⑥逆回り」
・・・2017.11.24

宮古島4日目は、雨こそ無いが曇り空。前日と逆の右回りで島巡りのスタート。もう海の色は諦めた。
最初に出会ったのが人頭税石。この石より背が高い15才~50才は、男も女も過酷に課税された由。
池間島は細長い半島の先、青い海が望めないのでパスして右折。サトウキビが風になびいている。
沖縄本島ではザワワザワワと聞こえた(気がした)のに、ここ宮古島では普通の風の音に聞こえる。
沖縄戦の(乏しいけれど見聞きした)印象や、さとうきび畑の歌詞への思いがそうさせたのだろうか。
前日誰も居なかった東平安名崎ビュースポット。今日は連なる観光バス。聞こえるのは日本語のみ。
この辺りで小雨が交じり、海岸線を止めて島中央部をショートカット。民家も多く、生活の匂いがする。
ホテルから歩いて直ぐの菊の露酒造だが、帰り際に敢えてバイクで乗り付け、ヘルメット姿で店内に。
先日那覇で美味かったからと言うと、地元の人は15%引きですと店員。で、地元民を演じ通した(笑)。

宮古島5日目も曇り空。昼過ぎのフライトで那覇に戻る。あぁ、晴れ渡った宮古の海を見たかったな。
美しい海の筈が、ついに天候に恵まれず終い。で、飛行機が離陸し、視界から島が消える時に・・
思いっ切り「宮古島のバカヤロー」と叫んでいた。でもボリュームはゼロ。って意味不明だよね(笑)。

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「⑤左回り」
・・・2017.11.22

宮古島2日目は雨で朝からホテルに缶詰め。昼飯時には(傘をさして商店街を散策し)公設市場へ。
とは言え入っているのは数軒でちょっと歩けばもう出口。2階のレストランでマグロづけ丼セットを食す。
今一の味に、果物が欲しくなり1階でマンゴージュースを。これがねっとりしたネクターで、メチャの満足。
気を良くして、さっき素通りした店を再訪、一つだけ売られてた梨を購入。応対のオバちゃんが沖縄風。
オマケにくれた黒糖の小袋に「うえち八百屋」とあったのが楽しい。夕方になると雨もあがり、夕飯に。
違った道をと思って行くと、何時の間にか学校の中。若い先生に下校前の子供らが纏わり付いている。
知らずに進入した事を詫びると、友好的な対応。子供らが輝く笑顔で「ようこそ」と一斉挨拶を寄越す。
(観光産業を意識して発言したとは考えにくく)大人の知恵が入っている気もするが、悪い気はしない。
今時、学校は固く他者の侵入を拒んでいるのが普通だが、ここ宮古では違った。こんなことが嬉しい。
韓国料理(withマッコリ)を食して、雪塩ソフトのデザート。見上げると、星が出ていて明日への期待が。

明けて、3日目は空は明るいものの雨が降っている。午後には曇りの予報もあるが、思案のしどころ。
出掛けての雨は兎も角、出る前の雨は萎える。午後には上がるとの予報を信じ取り敢えずホテルで。
10時になると空が明るくなり、雨も上がったので左回りの宮古島1周を敢行。来間島への橋上で雨。
幸いずぶ濡れには至らず、うえののドイツ文化村へ。ムイガー断崖は平坦な宮古島では特異な景観。
東平安名崎は、突出した岬。岬のビュースポットにクーラーボックスが置いてあり、無人ドリンク売り場。
池間島へ向かう途中2度目の雨。すぐ乾く。若いキジ2羽に出会う。池間大橋で、海の青さが際立つ。
海中公園は海中が覗ける触れ込みだが、コスパ的には勧められない。同じ趣向ならグラスボートか。
宮古島1周で120km、車も少なく快適に走ることが出来たが、暑かった印象が強い。海は青くない(笑)。

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「④宮古島」
・・・2017.11.20

今回の沖縄行は、日曜3回のバドを挟んだ日程。前半を終えて、テニスの全3日は雨は降らず、上々。
バイクの全3日は2日も雨が降って散々。トイレ休憩に寄った平和祈念公園は前夜の竜巻被害で休園。
バイクで日本1周した2年前の沖縄初上陸は、6日間もの完全晴れ渡り。あれはなんだったのだろうか。

今回2回目の日曜、バド復帰第2戦は、前週初戦よりも復調してた。続けてきたリハビリ効果だろうか。
明けて月曜、宮古島へ。見下ろす宮古島は平坦。タクシー運転手が、最高地点で100mそこそこだと。
昼飯に出た街は寂しい(日本の各地は都会以外はこんなもの)。 ファミレスには街で見た何倍もの人。
目前にズングリ坊主の幼児。バドやテニスの若い沖縄仲間に繋がる容姿。沖縄人の特徴を把握(笑)。

バイクのレンタル店を住所で検索すると、何度やっても菊の露酒造を示す。ここへ来てタブレット不調?
何度目かに拡大してみると、何の事はないバイク屋(西里288)酒造(同290)。ここから通り2本の向こう。
オヤジはつっけんどんな対応だが悪気は無さそう。で、(折角来たのに)天気が悪いな。などとのたまう。
用意されたボロスクーターを始動すると、ギタガタ音がして・・ ニッと笑うオヤジ(泉谷しげるに似てた)。
走り出すと人の少なさは、快適さに。プロポーズ後に転落死した男が話題になった伊良部大橋を渡る。
伊良部島では路上に羽根を休める鳥が多く、10羽超のシラサギだけでなくアオサギと大きなキジまでも。
で、そろそろと近付いたが、やはり飛び去ってしまい友達になれない。宮古の鳥も人懐っこくはない(笑)。
小雨も降り出し、帰りの大橋は強い横風。必死の通行。1m超の枝は、島から飛ばされてきたのか(笑)。

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「③コザ」
・・・2017.11.15

バイクの日。天気もまあまあで気持ち良く走り出す事が出来た。R58を北上し、北谷のガストで朝食。
BGMがテネシーワルツのインストゥルメントだったり、聞こえる会話が英語だったりで、雰囲気が別物。
で、やけに身体のデカい米兵がのそっと現れたりして、普天間基地隣接の立地だと思い知らされる。
で、このあと(旅立ち前に候補の一つにしていた)嘉手納基地そばのコザの街に行ってみることにした。

Googleマップで見た交差点が現れたので左折、店が連なる通りを抜けて、無料の市営駐車場に駐輪。
係の小父さんが図書館へ行くのかと聞いて来たので、曖昧に返事。原チャリなので、地元に見えたか。
「毒ガス移送」をテーマにした反米運動の展示施設があり、観光客も。あとは、喫茶店がチラホラ営業。
繁華街らしき場所は、殆どが開店前。暫く歩いてみたが、さほど魅力も感じなかったので切り上げる。
戻り途中、図書館へ寄ったのは駐車場小父さんの暗示か(笑)。郷土をテーマの大きな部屋が印象的。
海岸線を南下、何度か走った場所だが走っていると楽しくなる。途中、ビーチに下りたが海は青くない。
那覇へ戻り、宿で休んで居ると浅草メンバーから誘いのメール。で、断らずに5日連チャンの呑み食い。
「恋ぬ始め」は歌い慣れてきた。「世果報(ゆがふう)でーびる」は折角覚えたけど、レパートリー脱落。

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「②半袖」
・・・2017.11.14

浅草メンバーが合流し、2日間の交流テニス。初日は練習の意味合い、再会に皆の顔が高揚感に輝く。
肝心のテニスはと言えば、ここに来て体力不足が露呈。軽いめまい状態が続き、直ぐに肩で息をする。
試合結果は当然それに沿ったもの。フラストレーションが溜まりまくった。夜は呑み食い放題懇親会。
ホテルのバイキング。本番を控え自粛しようと思ってみたが、つい呑み過ぎてしまう情け無い性(笑)。
甘味デザートが美味で、駆け込みオーダー、スタッフ大慌て。それにしても2桁ペロリの某君って(笑)。
タクシー同乗が悪かった、流れで2次会にも。本番前日に又もシンデレラ。雨の予報に油断もあった。
強く降る雨音が耳に入る就寝。疲れた身体が、どこかで明日の中止を期待し、それを脳が打ち消す。
雨の音が消えて、目覚めた時には既に時計は10時を回って。慌てて支度、スーパー経由でコートに。
おもろまちの新都心公園。整備する仲間に心の中で謝って、(験を担いで調達した)カツ丼を搔き込む。
で、カツ丼の効果は当然無く、悔しいけど負け越し。爽やもあるが、晴れると沖縄は11月でも暑くなる。

40人超が参加した大騒ぎの打ち上げの後に乗ったタクシー。運転手が、本土の人は着衣で分かると。
2次会の店に着いて乾杯。(沖縄メンバー曰く)この時期の沖縄人は半袖や半パンツには成らないと。
その時ダアは半パンツ。すっかり寒くなった場所から来て、まだ暑いと感じる人達が居て、(夏が過ぎ)
もはや寒いと感じる人達。半袖半パンツも居る浅草メンバーは、彼我の着衣を見比べたのだった(笑)。

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「① 沖縄」
・・・2017.11.12

バド・テニスにバイクもと、欲張りな沖縄旅行に行って来た。今回は余裕を持ってバド前日の土曜出発。
那覇入りはフライトが遅れ、空港着は日が暮れて。宿で汗を流し、早々に呑み(食事)に出たのだった。
空になっていたキープボトルを見て、蒸発しちゃったの?と軽口。空瓶を処分せずに置いていてくれた。
で、新しいのを入れる時、この美味い泡盛は何処の? 問うと、宮古だと。(今回は、宮古島にも行く)。
検索すると「菊の露酒造」は宿のそば。バイクで行く距離では無いけれど、何だか期待が泡盛?(笑)。
カラオケ客は居ないが、前回3月の沖縄行で覚える約束をした「恋ぬ始め」を。まあまあの出来かな。
と、隣席のひふみん(将棋)似と歌合戦が勃発(笑)。好きな「想いションガネー」が無かったのが残念。

日曜はバドに参加。総勢25名盛況。何度目かになると顔見知りも出来、フレンドリーな笑顔が嬉しい。
ダアは、未だフラフラよろよろ状態もあるリハビリの途上だが、コートに入るとアドレナリンが出まくる。
で、時に大声で叫んだりするが、渾身の筈のスマッシュを軽く返され、やっぱり途上なのだと思い知る。
5月の手術後、本格的にコートに立つのは半年ぶり。痩せましたか?と聞かれるが、詳細は話さない。
最初は全く歯が立たなかったけど、今日は返せて嬉しかったです。寄越す感想に、複雑な気持ち(笑)。
アフターバドに呑み会が設定され、呑みまくり食べまくる。行かない積もりが誘いに負けて二次会まで。
でも前夜に歌い過ぎたからか、1曲も歌う気になれない。それでも午前様。沖縄の夜は遅いのだ(笑)。

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「②撤退」
・・・2017.10.29

バイク旅2日目(テニスを含め4日目)も快晴。流石に重い身体の目覚め。ビュッフェスタイルの朝食。
台風22号が発生し、週末には天気が崩れる模様。明日の野麦峠を断念し、旅の切り上げも念頭に。
R19木曽路を南下。深く切れ込む山肌を眺めて走る。と、追い越して行く車が無い不自然さに気付く。
バックミラーで確認。白バイ4台が菱形になって走行してて、ダアにピタリ追随して不気味不気味(笑)。
何か難癖を付けられるかもと、暫し緊張走行。広い場所で、景色を見る振りして、やっとさよなら(笑)。

本日の目的地、妻籠宿、馬籠峠、馬籠宿へ。まあ、行った事実だけで十分。チャイニーズの声が響く。
恵那山麓をグルリと回って飯田市へ。途中、ガソリンが空になりそう。検索するとT字路の右方に2軒。
左方の山越えには、ポツンと1軒。ままよと、左折しポツンに賭ける。本日休業や閉店もあり得るけど。
行ってみると、爺さんがノンビリと営業してた。生きていて(営業を続けていて)ありがとうと呟いた(笑)。
宿は、蕎麦屋を兼ねた古い民家風の部屋。この日は他客が居ない。明朝、切り上げての帰着を決意。

バイク旅3日目は、朝から雨。昨夜の予報では昼過ぎからだったが、そこは台風、思い通りに動かない。
朝食キャンセルが勿体無いと、8時の出発。カッパを着込んだ雨装備。油断してたので長靴は不携帯。
R299麦草峠、凍結注意の道路標識。ネットでは、冬期通行止めに入ったとあったし、怖くて行けない。

R141を北上し、R254内山峠を超えるルートを設定。ところが田口峠への標識で1本早く右折するミス。
細い山道で時間をロス。あれっと思ったら、来る時に通った道を逆に(峠の標識でやっと気付くおバカ)。
内山と田口を間違えて・・ そう言えば、内山田 洋なんて言う人が居たねと呟いて、反省と無縁のダア。
カッパを着込んだ雨装備は、ダブレット確認が難しく、その後も記憶を辿りながらの走行が続いて・・
結局、13時間390kmの雨中走行。トイレも面倒なので飲食無し、倒れる寸前状態で家に辿り着いた。

野麦峠への1日を断念したものの、それでもバイク旅は3日間で910kmの走行。少しは自信も回復した。
次日は台風本番。激しい雨の音を聞きながら、撤退に安堵しつつ、野麦峠への思いもふつふつと(笑)。

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「①バイク旅」
・・・2017.10.26

台風一過の秋晴れの下で、バイク旅とテニスをも楽しもうと言う、5泊6日の欲張りな計画を立てみた。
超大型台風21号は、ダアの住む茨城を抜け太平洋に。満を持して計画した日程は完璧な筈だった。
出発は、秋晴れになると思ったのに雲の多い空。台風過ぎの抜けるような青い空は、遠い昔のことか。
途中の小貝川・利根川・江戸川は、台風による大雨の影響で、河川敷の土手迄溢れて大河の様相。
今回は、浅草(のテニス)で前泊し、早朝に都内を抜けようと言う魂胆。取って付けた感もあるが(笑)。
やっと身体が戻って来たテニスは、ラケットを握りたくてウズウズしてる。でも、2日目は雨で中止(涙)。

バイク旅に出る3日目は快晴。朝7時、久し振りなので心躍る。通勤通学を横目に都内を走り抜ける。
R254川越街道は、渋滞。Googleマップでコースを設定するのだが、都心からの路線は注意が必要か。
川越を過ぎて快走。ところが長野入りR299十石峠が土砂崩れで通行止め。タブレットで迂回路検索。
焦る心で選択したのは、北方のK93田口峠越え。狭く落ち葉に覆われた曲折悪路、水も流れている。

長野に入り、赤茶けた山肌に薄っすら雪化粧の浅間山が美しい。北アルプスは冠雪が際立っている。
八ヶ岳を横断するR299麦草峠は、降雪により通行止めと道路標識。最短距離だし通りたかったけど。
富士山冠雪は数日前。景色を楽しむ余裕は無い。八ヶ岳山麓を回ってR20に入る頃には日も暮れて。
塩尻の宿に着いたのが19時過ぎ。12時間310kmの走行。そう言えば、昼飯を食べ忘れたような(笑)。

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「耳石」
・・・2017.09.27

ダアの普段はバイク無しでは成立しない。で、10週間の入院から脱した当日、バイクに乗ってみた。
車の少ない田舎道(とは言っても、主要なそれは広く真っ直ぐな道が多い)。身を切る風が心地良い。
緑を楽しみながらの快走・・ の筈だったが、うっかりするとセンターラインや縁石に近づいている。
何か変。空中を飛んでいるようで、平行感覚が可怪しくなっていた。それも1週間で収まった気がし、
それではと、リハビリ感覚でテニスやバドを再開したのだが・・ 初日のテニスで何度も転び捲った。
開始30分程で5,6回はコケただろうか。左や右や、後ろへの転倒で頭も打った。打点も安定しない。
訳が分からず、それでも学習したダアは相手打球への反応を抑え気味に、打球を見切って、対応。
病み上がりなのでと言い訳を口にし、無理をしないでと気遣いも貰ったが、打ち拉がれた気分だった。

先日の手術後再診で、主治医の丁寧な対応に甘えて症状を訴えると、耳鼻科を紹介され、受診した。
と、「良性発作性頭位めまい症」なる病名を告げられた。原因は、耳の中にある小さな「耳石」の欠落。
耳石は内耳に数百個ある5ミクロン程度の石。身体が動くと感覚細胞を刺激し、加速度を感じさせる。
それによって平行感覚を保っているのだが、その石の一部が欠落し、三半規管に入り込むことで発症。
リンパ液の流れが乱され、実際と異なる情報によって脳が混乱する。寝た状態が続くと起こり易い由。
良性と言うだけあって悪化しないのが特徴。適切な運動で欠片を溶かし去れば、症状が治まると言う。

俄然やる気爆発。めまいの不安から脱し、テニスでは久し振りにサービスエースがビシっと決まった。
で、石を溶かすべく頭を前後に大きく振っていたら、神様にお祈りしているのかと突っ込まれた(笑)。

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「旅行」
・・・2017.09.11

みちのく三大半島「男鹿」「津軽」「下北」を巡る3泊4日の旅に出た。大人の休日倶楽部のツアー参加。
長期に亘る入院はベッドの上が居場所。7階の病室は景色は良いのだが、ダアには鬱積するものが。
で、退院したら旅に出ようよ。ツアー旅行に身を委ねるのも良いね。毎日の見舞いに感謝の意も込め。
上野まで特急(45分)に乗る。普段は決して利用しない。休日倶楽部のパスは特急も乗り放題なのだ。
上野駅で「はやぶさ号」に乗り込む。迎えの添乗員は腹の出た中年男。何だか裏切られた気分(笑)。

3年前の東北一周バイク旅では行けなかった男鹿・八郎潟。寒風山から見下ろして気分だけを味わう。
津軽・下北ではバイクで走った見覚えの景色に出会って、何か帰って来たぞ感があって可笑しかった。
25名(男ひとり旅が3名)のツアー客。流れに乗った旅は気楽だが、その分、自ら行動してる感が無い。
新幹線が津軽海峡へ潜るトンネル入り口などなど、話の種には成るのだろうが、ダア的には今ひとつ。
男鹿温泉、鰺ヶ沢高原温泉、むつ斗南温泉。湯ったりと楽しめたが、手術跡に集中する視線には閉口。
食いしん坊ダアはビュッフェスタイルが大好き。コース料理では地元メニューもあったが、塩辛かった。

ツアーに身を任せると居眠りなど出て、のんびりムード。バイク走だと事故もあり得るので、緊張が募る。
今年は入院で春夏を過ごしたが、秋にはバイク旅に出たい。信州の山々がダアを呼んでいるのだ(笑)。

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「近況」
・・・2017.07.28

風薫る5月から、最早真夏の暑さとなった7月梅雨明けまで、人生初の長期に亘る入院生活を送った。
そもそもが昨年師走に受けた人間ドック。腹部エコーで影が認められ、精密検査の受診を促された。
診断が難しい上、もしも悪性ならば進行が早い臓器なので、急いだ方が良いと。医者の言葉は直球。
が、3月に楽しみにしていた沖縄行きがあったので、そちらを優先。一抹の不安もあったが楽観的に。

内科から外科を紹介され、検査をやり直して、摘出手術を受けたのがGW開け。術後順調3週で退院。
ところが何だか体調が優れない。水を飲んでも吐いてしまう始末。救急センター直行で、即の再入院。
手術では浸潤に備え肝臓の一部を切り取ったのだが、その跡は体内表面膜で覆われ液胞となる由。
その液胞が感染により膿胞となり、十二指腸に影響を与えて居ると。で、排液ドレーン挿入の処置を。
このドレーン、脇腹から肋骨間を通して肝臓を貫き、膿を抜く。俗に膿は出し切らねば治らないと言う。
皮膚表面の傷ではなく、体内深く肝臓に生じた膿瘍。素人目にも排斥には困難が伴うと思われたが・・
それが的中。吐き気も収まり、食欲も回復したので2度目の退院、ところが今度は高熱に悩まされた。
再度の救急センター、再々入院。ドレーンの位置をずらして再びの排膿。 結局長い時間を費やして・・

楽しみにしていたドイツへのテニス旅行や、沖縄チームとの対抗試合、盛岡遠征など、全てキャンセル。
入院生活で体重は10kgも減。腹が凹んだのは勿論だが、手足の筋肉の細り具合には驚愕しかない。
3度目の退院から今日で1週間。今度こそは再発の恐れが無さそう。医者も慎重の上にも慎重だった。
無謀にも3度目退院日に試したバイク乗りでは、空中を走って居るようで平行感覚が壊滅状態だった。
それも含めて日毎に体調は回復している。来週から、リハビリ感覚でテニスやバドも再開しようと思う。

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「新潟」
・・・2017.04.13

昨年に続いて、テニスで新潟へ行ってきた。バイクでの往復だったが、出掛けるまでが、段々億劫に。
新潟まで320km。1日を掛ける移動距離だが、今回は趣向を変えて、塩原・ピラミッド温泉に途中宿泊。
検索で見付けた安宿。北関東・南東北バイク旅の拠点に考えていて、今回はその下見の意味合いで。
昼過ぎ、雨が残る中の出発。走り出せば、やはり心は躍る。雨は筑波山を横にする頃には上がった。
R4からR400、塩原温泉郷には程遠い、辺鄙な場所に佇んだスフィンクス。ミスマッチが売りかも(笑)。
玄関で出会ったオバさん「あぁ良い風呂だった」と、顔を火照らせて。確かに(安くて)良い風呂だった。
会津から新潟に掛け天気も上々、山に残る雪が景色に彩りを加えている。宿は新潟のスーパー銭湯。
(広くて快適な)この銭湯に連泊したのだが、連夜に亘って見掛けた婆さん。湯治? 何だったんだろ。

テニスは初日が雨の中。集中出来ずにいると、仲間が「こんなのは普通だ」と。で、2日目は寒風の中。
雨上がりでボールが弾まず、又も苦戦。そう言えば、仲間たちは普段と殆ど変わらずプレイしている。
バドの応用で対応してきたテニス。苦境に入ると(テニスとは違う)バドが出てしまう。未熟さを再認識。
逃げ出したい苦境も、終わってしまえば夢の中。アフターテニスは、これが本当の目的だったかと(笑)。
コートへの往復は地元氏の車に同乗。中学同時在籍の年代。話も合い、観光案内が付いて最高(笑)。

帰路は天候睨みで画策。結局、往路と同じルート。出発直ぐのガストは、開店まで1時間。待てない。
続くコメダで10分待ちで、朝食。R49阿賀町、道の駅。海産物の店があり、帰路通れば寄る心積もり。
9時の開店まで間があったが、覗くと開けてくれた。嬉しくて買い過ぎ。母が茨城の出だと店のオヤジ。
同じ阿賀町に、赤い酒の看板。昔、友人コージさんが赤い麹で作った日本酒だと土産した。懐かしい。
寄った酒屋。主人がテニスでの地元氏(阿賀町出身)を彷彿させ、新潟出身の義兄にも通じた雰囲気。
で、50年来作られた赤い酒だが、3年前に製造を終えたと。残念だったが、暫しの会話に心が温まる。
ルート選択で迷ったのが、会津から塩原への山越え。雨は無いとの読みは当たったが、外れた(笑)。
雲は無かったが、遠くから眺める山は霞んで。で、その霞みの正体は、雪だった。舞う雪の中の走行。
山を超えて関東は、良い天気。二宮の道の駅で、ジャム用の小粒イチゴを購入。昨年も作った(笑)。

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「⑩事件」
・・・2017.03.25

ダアの財布には、札と硬貨入れとカード。沖縄生活で、福沢諭吉でさえ次々と消え去ってしまった。
夏目漱石は論外。昼から300gステーキを食べたりしてたら当たり前か(笑)。移動は50ccのバイク。
夜は有料の駐輪場を利用。入り口ゲートで発券ボタンを押し、カードを口に咥え、駐輪スペースに。
咥えていたカードを財布に納め、チャックを閉める。ルーチンになっているので、同様行動は疑いない。
で、今朝出庫しようとしたら、財布に入っている筈のカードが消えていた。あちこち何度探しても、ない。
念の為、昨夜唯一財布を開けた食料品店に行ったけど、無駄足。ダアの最近はこの手の事件多発。
それをボケたと言う。と、誰かの声。で、今日は雨模様だったし出庫を諦めショッピングなどに費やす。
験直しに財布を変えてみたが、幾つも買う始末。駐輪カード紛失はペナルティーが課せられる模様。
明日はバイク返納の日。最後に駐輪カード失踪事件が発生しちまった。決してボケとは認めない(笑)。

次日。カード紛失は一律1000円。一昼夜の諦め駐輪をカウント(+600円)すれば、結果はペイ(笑)。

追記:27日帰着。羽田に降り立つと流石に寒かった。降雪もあって、迎えてくれた筑波山は雪化粧。
22泊の気儘な沖縄暮らしだったが、やはり家の方が休まる。茨城に戻って、やっぱり花粉を感じる。
沖縄で、もう一つ嵌ったのが「ポークたまごおにぎり」。四角くい見た目の、庶民のジャンクフード。
売ってるのはポークが薄いからと手作りするテニス人。横目で眺めて、密かに唾を飲み込む(笑)。

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「⑨名護」
・・・2017.03.24

昨日は最後のテニスの日。予報は午後土砂降り7mmの雨。昼前、宿から外を見ると雨はポツポツ。
テニスは無理かなと思いベッドにゴロリ。昨夜、CD受け取りで午前様。で、気付いたのが午後3時前。
テニスの時間は大方過ぎ、雨は降っていない。どこが土砂降りじゃい。沖縄テニスは、こうして終了。

今日の予報は、終日マーク。ならばと古宇利島を目指したバイク行。が、陽射しはあるが雲の空。
それを映す海の色も、心ときめかない。許田の道の駅で、ここでは2度目になる、てんぷらの昼食。
衣がドテッと(まるで家庭で作ったもののように)していて、衣に油を多く含まず、胃の負担が少ない。
で、食べたら、古宇利島への気持ちが失せていた。ならば名護辺りを巡ってみるかと、名護城址へ。
検索すると2万本もの寒緋桜(1月)で有名なよう。沖縄の城址の代名詞・石垣が、ここでは無かった。
途中、オリオンビールのコンテナ車と並走。名護には工場があり、見学試飲が出来ると観光案内に。
試飲出来ないバイク走だし、寄ろうとも思って居なかったが、これも何かの縁。大きな駐車場に係員。
受付女子の笑顔。試飲はノンアルコールもあると。で、ダア的にはあり得なかった、ノンアル体験(笑)。
刺激の少ないビールの感じ。暫くしたら吐く息が(アルコールありを)呑んだ後の感じに似て来た(笑)。
帰路、読谷村で黒糖製造工場を見学。絞って煮詰める簡易な工程。絞った粗液の70%が水分だそう。
一般の黒糖にはショ糖が混ぜられていて、ここでは季節限定で純品が販売されているとか。で、試食。
まるで違う味わい。一般品はショ糖の味が。で、誘導に乗るかのように純品を購入。勿論、高値(笑)。

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「⑧歌碑」
・・・2017.03.22

再挑戦のテニスの日。前回、速く強い球に打ちのめされ、対抗では無く、かわす道を探るべきと痛感。
で、今回はハードヒッターが少なく、肩透かし。強打の相手で無ければ、そこそこは勝つことが出来る。
昨夜に懲りて、駐輪を今までの桜坂近くに戻す。で、県庁近くの宿までは国際通りをブラブラ歩いて。
マンゴーハウスを覗くと、かりゆしウェア半額セール。購入しない積もりが、半額に釣られてつい(笑)。
かりゆしウェアは今回持参したものの、気候が合わず未着用。で、購入品と並べて、眺めて部屋呑み。
惣菜と缶チューハイ、誰も居ない独りの部屋。何か暗くてオタク風なダアが居て、何か心地良い(笑)。

22日はバイクの日。天気予報は晴れだったが、終日に亘って雲が掛かり、海の色は悲しむべき状態。
目指したのは名護市にある二見情話の歌碑。歌碑を目当ての180km走。マニアック過ぎるダア(笑)。
先日のバド呑み会で「松藤」と言う泡盛がメチャ美味かった。途中の金武町にその酒造所があった。
寄ってみると良い感じでディスプレイされていて、衝動買い。 二代目の崎山起と妻の子から命名。

宜野座の道の駅でトイレ休憩。ソフトクリームを楽しんでいると、携帯に着信。CDの用意が出来たと。
テニ友に沖縄曲「恋ぬはじめ」を宿題に出され、音源が見付からない旨を言ったらダビングしてくれた。
歌碑への途中を言うと、着いたら電話しろと。(辺野古移設に絡む座り込み前を、身を固くして通過。)
で、歌碑の歌詞を追い、三線生演奏(通話)で歌う。楽しい経験だったが、妙に気恥ずかしかった(笑)。
帰路のR58。何度か通って、何時も気になった場所があった。一段下がって位置する「おんなの駅」。
沖縄では神事を女性が行うと聞いたし、根付いた文化として男を遠ざける場所なのかと。見てみたい。
意を決して立ち寄ると・・ 特に制限の無い普通の道の駅。トイレに寄り売店を眺めて、何か拍子抜け。
「おんなの駅」は、「女の駅」では無く「恩納村(おんなそん)の道の駅」、「恩納の駅」だったのだ(笑)。

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「⑦三線」
・・・2017.03.20

スギ花粉は無いが天気はイマイチの日々。大した目的もなくトロトロ走るのが好きだが、心弾まない。
西海岸の北谷で昼近く、さて何を食べようか。そうだ奥武島の天ぷら店に行ってみよう。未体験だし。
今まで見向きもしなかった天ぷらを、今回は良く食す。チャンプル、煮物、ステーキ・・沖縄の食文化。
で、島を横断し東海岸の奥武島まで30km。目的が出来ると走るのも楽しくなるから、単純なもの(笑)。
有名とかの店が2軒あり、観光客が群れている。メニューが記された紙に個数を記入し、注文する。
サツマイモ、イカ、モズク、サカナ(としか書かれていないのが大らかで沖縄的)。これがメチャ美味い。

3軒目の宿は県庁近く。地下に駐輪場がある。駐輪しエレベーターに乗り込もうとして、一瞬ビビる。
左画像の奴らが箱一杯に居て、一番デカいのに身体が触れた。中は人だと分かっていても、不気味。

青い海を楽しめないので、気分を変えて三線のレッスンを受けてみた。楽譜は工工四(くんくんしー)。
先生は工工四で言うが、(簡単な童謡なので)自分でドレミファに置き換えている。正しくは無いだろう。
三線にフレットは無い。押さえるところが勘所。微妙に狂うので、指をスライドするから、音が揺れる。
ギターでドレミを習い簡単な曲を爪弾くのと同程度。三線を弾いたとは決して言えないが、記念撮影。

3軒目の宿は安くて、アジア系でない外国人が多い(バイクで全国を廻ったが、この手の宿の傾向)。
で、ダアはドミトリーではなく、個室。朝、共通スペースでコーヒー片手に新聞。気になる広告を発見。
「軍用地買います」。バイクで走っていて、あちこちで同じ看板を目にした。何だろこれ、理解出来ない。

宿から駐輪場に向かう道すがら、民家の門の上にシーサーと並んで、日々草の花が一輪咲いていた。
セメントで固められた門柱の僅かな隙間から茎を伸ばしている。不思議な光景。神秘的にさえ感じた。

県庁そばの地下駐車場。雨の心配も無く、広くゆったりとした空間。朝まで350円は、安くて最高だと。
で、出庫しようと駐車券を入れたら何と900円。夜間350円に、昨夕と今朝の分がプラスされていると。
近くの24時間駐車場でも(車)Max800円なのに、ここが混雑していない理由が分かった。高過ぎ(笑)。

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「⑥洗濯」
・・・2017.03.17

長期のバイク旅でも、着替えは局留めのゆうパックを利用して、旅先での洗濯は経験したことがない。
今回初めて旅先で洗濯。(性分なので)洗濯機を見守っていると、別人使用の乾燥機がタイムアップ。
暫くして旅慣れた雰囲気のオジさんが登場。曰く、3月の沖縄は未だ未だ冬。4月にならなければと。
しまった来るのが早過ぎたか。聞いてそう思った。スギ花粉の時期でこそ意味のある来沖だった(笑)。
因みに地元TVが、3月の日照時間は例年の50%と言い、商店街のオバさんも、雨ばかりだと嘆いてた。

2度目参加のテニス。今回は大勢の参加で、レベルもうなぎ登り。若い彼らの球が速くてミスを連発。
老眼もあって真芯に当たらず弾かれる。対抗しようと足掻くものの、終いには自分を失ってしまった。
かわすテニスを目指すべきと気付いたのは終わった後。あと2回あるので何とか足掛かりを掴みたい。
夜、傷心を癒すべく呑みに出て、歌いまくる(笑)。帰りに通った平和通りにはカタツムリがのんびりと。
一方国際通りに出れば、車と人の波。何か(人生にも)テニスにも通じる、隣り合わせの異った世界。

朝、次宿と駐輪場を下見、戻ってベッドにゴロリ。気付くと昼過ぎ。スタミナ不足だと、300gステーキを。
天気は持ちそう。穴場案内にあった美浜アメリカンビレッジ、港川ステイツサイドタウンに行ってみた。
国道58号沿いの近場。美浜は、でんの年齢にはチト縁遠い、小物や衣類の店、食べもの屋、観覧車。
港川は、女子が連れ立って歩くのが似つかわしい小洒落た店が並んでいた。ダアには入れない(笑)。
美浜同様、港川もランドマーク的な施設と思っていたが、由来がアメリカ統治時代のアメリカ人住宅街。
それを改装したカフェやレストラン、雑貨店の集まりとのこと。住宅街の名残りゆえに、分かりづらい。
タブレットのgoogleマップを駆使して到達したが、これがフィールドアスレチックのようで、楽しかった。
他にも、ショーウィンドウのTシャツが気になり寄った店が、ソマリアの(鉄分の多い)泥染めだったり、
アメリカンスペースと言うケバい店があって、まあ大したことが無かったりで、それなりに楽しめた(笑)。

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「⑤300g」
・・・2017.03.15

又も雨。バイクの予定日だったが。前夜もシンデレラだったし、静かに休養日。と、昼メシを誘う電話。
バド友と3人で出掛けたのは豊見城のお勧めステーキハウス。車中は毒混じりの軽妙トークが炸裂。
ところが車を停めれない。大いに残念がるも第2候補に移動。こちらは余裕の駐車、店内も余裕(笑)。
友に習ってオーダーした300gをペロリと。昼からこのボリュームは初体験。う~ん、ハマリそうだ(笑)。
食後は観光所に寄り道しながらドライブ。伊計島へ。ウィンドー越しの景色はバイクと違って新鮮かも。
が、空の青さと、映す海の青さが無いので、沖縄の良さが感じられない。地元ゆえの解説が唯一救い。
わナンバーや大型観光バスも多く、折角の沖縄が雨で残念だったねと、一同揃って慰めの言葉(笑)。

次日のテニスは、初参加。ハードコートなので、先ずはゴムブラシで雨水を排斥するのが結構楽しい。
朝まで雨が残ったためか、コートが余る人数。で、初めは人見知り状態のダアだったのだが・・(笑)。

明けて、一転。青空が広がって絶好のバイク日和。で、勝連城跡経由で、伊計島コースを辿ってみた。
元々予定していたのだが、一昨日にバド仲間とドライブした時と打って変わって、素敵な沖縄日和。
車とバイクとで、(晴雨を差し引いても)こうも違うものかと再認識。勝連城跡は無料だったのが嬉しい。
伊計島でオスプレイを何羽も目撃。敢えて何羽と記したが、本当に大型の鳥が飛んでいるかのよう。
モタモタ飛んでるように見えて、落ちるなよと呟く(笑)。浜比嘉島では製塩所のお兄さんが丁寧な説明。
帰りに寄った道の駅「かでな」4階展望所から広大な嘉手納基地を一望。ジェット機発着の轟音が凄い。
40名近くの人。多くは望遠カメラを持ち、パソコンを覗いている人も。何をする人たちか疑問は晴れず。

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「④晴れ」
・・・2017.03.13

沖縄滞在1週間の土曜日。前夜電話で呼び出され、結局シンデレラ。その時には既に降り出していた。
雨は昼過ぎても降り止まず、バイクも急遽組まれたテニスも叶わず休養日。土曜日とあって大勢の人。
平和通りで昼食を兼ねた朝めし、煮物の定食。アーケード街をのんびり見て歩き、りっかりっか湯へ。
風呂嫌いが、時計を睨んで我慢我慢の長湯。疲れは取れた気もするが、浴後の気だるさは苦手(笑)。
夕食に街へ出ると、呑みの誘惑に負けるかもと、市場脇で惣菜を買い込む。そう言えば今日は「3.11」。

2度めのバドの日、日曜日は青空。沖縄入りして初めての青空。バイクで出掛けないでは、後悔する。
午後体育館なので遠出は無理、南部へ行ってみた。あちこちで野球をしてる。沖縄では普通の風景。
瀬長島、頭上近くを飛ぶ飛行機の爆音に思わず首をすくめる。豊崎のビーチ、海の青さが沖縄だった。
すれ違って会釈を寄越すおバアさんが、完璧な沖縄ルッキング。汗ばむ程の暖かさに、ベストマッチ。
上機嫌で同所の道の駅。安納芋の焼き芋と(宮崎産だけど)イチゴパックを購入、ベンチに座し食す。
平和公園に着いたところでタイムリミット。先日、寒さに震えながら風呂に急いだ同じ道を、那覇へと。
晴れたこの日は別の景色。サトウキビが風に揺れていて、やっぱりザワワ、ザワワと聞こえ可笑しい。

とあるカフェでランチ。ボリュームのあるハンバーグセットを食していたら、バドの時間が迫っていた。
近くだから楽勝の筈が、国際通り歩行者天国で迂回。ゆいレールを道案内に曲がったら逆方向に。
体育館に着いたら既にゲームが始まっていて、ダアは23番。この日もまた大騒ぎでバドを楽しんだ。

宿が変わり、宮古出身の小父さんと台湾出身の世話焼き小母さんの旅館から、ビジネスホテルへ。
半ボケの爺さんが、カードキーの操作を説明してくれる。が、意思疎通が計れないのは何故だ(笑)。
畳に布団から、バストイレ付きのベッドへ。身体が楽だが、脚力の衰えを示すようで情けない(笑)。

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「③備瀬」
・・・2017.03.10

沖縄5日目はバイク走。目指すは沖縄中部の備瀬。一昨年の沖縄バイク旅で出会い、魅せられた。
フクギの防風林に守られた集落。ネットで検索するとワルミバンダ(聖なる岩の割れ目)なる場所も。
往復190kmの走行。予想以上に寒く、念のために持参したヒートテックを重ね着してようやく凌げた。
行き交うバイクはモフモフの冬服姿。事前検索で関東5月並の気候と読んだが、寒さを読み違えた。
誰かが沖縄では(必要無いので)ダウンの上着は売られていないと言ったが、本当の事なのか(笑)。

フクギの林にワルミと書かれた小さな案内板(地面近く)もあったが、前回は全く目に留まらなかった。
知らなかったからか、あるいは最近の設置なのか。一昨年に比べて観光客の数が圧倒的に増えた。
大半は日本人似の顔なのに喋る言葉が違う人。新婚旅行なのか、派手な衣装で撮影しまくる一団も。
フクギの林もワルミも、途中寄った万座毛も、まるで席巻されたかのよう。日本語も聞こえたけど(笑)。
(観光客が押し寄せる前の)早い時間を狙わなければ、静かに楽しむ事は出来ないのかも知れない。

6日目は、南部行き。前日より1枚重ねたのに、陽光が無いせいか寒々と感じる。海が全然青くない。
サトウキビ畑は刈り取り作業。何時しか♪ザワワ ザワワ・・と(名歌:さとうきび畑を)口ずさんでいた。
糸満の道の駅。煮ものの朝定食。テーブルを拭いて回るおばちゃんと目が合い、素朴な笑顔に和む。
県南部は沖縄戦激戦の地。終焉の地や慰霊の碑などあちこちに。訪れると流石に心が鎮まってくる。

♪海の青さに空の青 南の風に緑葉の 芭蕉は情けに手を招く 常夏の国 我(わ)した島 沖縄(うちな)
ダアも良く歌う芭蕉布。サビを口ずさんでいて、思わずどこが常夏なんじゃいと突っ込んでみる(笑)。
冷えた身体を温めるべく行き先変更。検索で、南風原(はえばる)に「うちな~ゆ」なるスーパー銭湯。
海岸線を離れ北上。途中、東風平(こちんだ)と言う地名。東風吹かば・・ と、昔の教科書を思い出す。
南風(はえ)東風(こち)の地名が興味深い。風呂は至福。風呂上がりの天丼は、具がこれでもかの量。
タレとかが掛かっておらず一瞬?。食べ進んで現れたご飯が、何と出汁に溺れていて、お茶漬け状態。
天ぷらは普段、蕎麦で食すが、沖縄に来て何度も食べている。郷に入って郷に従う形、これが美味い。

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「②ライブ」
・・・2017.03.08

予報は曇りで、雨は無い模様。浅草テニスの仲間が来沖し、地元勢を交え2日間のテニスを楽しむ。
アフターテニスで又も歌った「島々かいしゃ」は、映画に触発されて新しい境地に達したことを期待(笑)。
で、金城実の歌声が耳に残っていて、気後れ。地元バージョンのカラオケに不慣れだったと言い訳(笑)。

幸いな事にテニス2日目も曇りだが、雨は降らない。テニスの前に、近くの漫湖水鳥・湿地センターへ。
マングローブの林に木道が整備されていて、飛来する水鳥やカニ・トビハゼなどが観察出来るらしい。
この日は白い水鳥1羽の閑散状態。クチバシを忙しく延ばしていたので、水中に沢山潜んでいた模様。
アフターテニスはライブがある居酒屋へ。三線と太鼓の女性2人組。時折ハモったりして結構聴けた。
(何でも沖縄テニス仲間の子息がプロ歌手。当日は公演に出ていて不在だが、時には出演もすると。)
で、リクエストはと言うので、強く「島々かいしゃ」と叫んだら、ステージで歌えと。予期せぬ展開に戸惑う。
当然固辞するも、何故か破顔。仲間に背中を押されてオンステージ。泡盛の力って、本当に偉大(笑)。
三線の伴奏で歌うのは初めて。酔った勢いで貴重な体験。場内は盛り上がったけれど、やや不満足。
キー合わせが無かったし、マイクテストも無かった。と偉そうに(笑)。ライブの座興にマジになるな(笑)。

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「① 那覇 」
・・・2017.03.06

未だ明けやらぬ暗い中、家を出発。ここ数日猛威を振るい始めたスギ花粉も、流石に出撃前のよう。
それにしても、(ヘッドライトに浮んだ)未明にランニングする人々って、どんな生活をしているのだろう。
流石にゆったり座れる常磐線内、徐々に空が明るくなる。新橋でモノレールに乗り換え、いざ羽田へ。
スーツケースの人が多い(当たり前か)。空港はフライトを待つ人が群れていて。卵かけご飯の朝食。
売店を覗くと洒落た土産物が並ぶ。土産に選んだ、重い思いをしたお芋の田舎臭さに、少し気後れ。
鼻腔の違和感で鼻をかむと、ティッシュに赤の混じった塊が。いよいよ花粉から逃れる生活が始まる。
ところが、飛行機の中でも到着した那覇空港でも花粉を感じる。何と那覇ゆいレールでも変わら無い。
何故?の思い。人々の衣服付着の花粉が原因だったようで、やがて薄まる東京と共に、呼吸も楽に。
沖縄入りし直行したバドは、顔見知りも増え楽しかったが、半端ない試合数に体力の衰えを再認識。
ジムトレ再開も考えなければと思う。土産の干し芋は(取り敢えず)美味いと言って貰えて、安堵(笑)。
夜、避花粉の日々実現に祝杯。気に入りの「島々かいしゃ」を2度も歌った。顰蹙を買ったかも(笑)。

明けて次朝は雨。レンタルバイクの予約日だが、明日に延ばし、映画(島々かいしゃ)を見ることに。
雨と言っても、ザーッと降ったかと思えば、雲が切れ陽が射して、何だか如何にも南国的な雰囲気。
国際通り南に広がる商店街は、アーケードが網目のように連なっていて、眺めて歩いて、飽きない。
と、Tシャツ屋の前に出くわした。予約したバドチームのTシャツは、シーサー絵柄で、楽しい土産にも。
新藤兼人の娘、新藤風が監督した作品「島々かいしゃ」は観たかった映画。桜坂劇場でロードショウ。
偶然ネットで目にし、良さげな映画と感じていた。ダアの地元では未公開。沖縄ならばと踏んでいた。
(題名にもなっている「島々かいしゃ」は全編に用いられている沖縄歌。ダアはネーネーズで覚えた。)
慶良間諸島を舞台に、音楽絡みの親子三代物語。島唄の名人オジーを演じたのは、名手・金城実。
島の子どもたちも含め素人っぽい演技が、素朴さに繋がっていた印象で、良い味が出ていたような。
で、上映が終わっても暗いまま(係員不足?)。濡れた頬の照れを隠すには、丁度良かったかも(笑)。

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