TOPページへ
   ダアさんのバド?な雑文(ザブ) 
 
  晴天祈願祭 帯農の、そして十勝の選手たちへ 帯広 水槽 連休の谷間 アルファーカップ 木馬亭
  帯広合宿(8) 帯広合宿(7) 帯広合宿(6) 帯広合宿(5) 帯広合宿(4) 帯広合宿(3) 帯広合宿(2)
  帯広合宿(1) 避花粉 ハチロー 不退転 帯広・バド&湯治の旅(4) 帯広・バド&湯治の旅(3)
  帯広・バド&湯治の旅(2)  帯広・バド&湯治の旅  野風増(2)  野風増 PDFファイル しあわせになろうよ(2) 
  しあわせになろうよ 心の栄養(3) 心の栄養(2) 心の栄養 思い込み 貰っていいですか? 十勝と岡山 
  もしも僕の背中に  胸が痛い(2) 愛し君へ 指導(2) 指導 今日の出来事 託児所? ポッカリと(2) ポッカリと
  続・肩掛けカバン 社内報 砂浜10キロ走 挨拶  チワッ! 3秒以内に(4) 3秒以内に(3) 3秒以内に(2)
  3秒以内に 胸が痛い  幸せの国の入り口 肩掛けカバン 浅草散歩(2) 浅草散歩 お月見どろぼう



「晴天祈願祭」
・・・2005.05.23

2月(3泊)3月(8泊+往復フェリー内2泊:選手と一緒)5月(3泊)と行った帯広。
11日間もの合宿を中心とした一大イベントとなったが、そもそもは軽い旅行気分から始まった。
それが、忘れていた懐かしい光景に触れた気がして、帯広にハマッてしまったのだった(笑)。
遊美館で、深夜まで呑み語った帯広最後の夜。そこで盛り上がった「晴天祈願祭」なる話題。
これが、帯広の魅力を如実に物語っている。以下、H川さんからの詳細メールを元に…

帯広の中学校の体育祭は、小学校の運動会と同じような盛り上がりを見せる。
まずは、前日の場所取り。50名になろうかと言うお母さんたち、ビニルシートなど持って参集。
13時、グラウンド真ん中に立った先生のピストルの合図と共に、場所取り合戦が始まる。
そして、体育祭の総練習が終わったその日、先生方の景気づけに行う行事が「晴天祈願祭」
帯広の学校では普通に行われていて、神主や巫女などの格好をして祭壇まで用意してお祓いをする。
巫女役は、顔を真っ白に塗ったくって、上は白、下は真っ赤の巫女の衣装を身に着けて…
そのほかにも、雨の神と晴れの神が相撲をして、晴れの神が勝利を収めるという行事をしたり…
H川さんは3年連続の巫女役。Y川さんは校庭の真ん中で、裸になって相撲を取ったと言ってた(笑)。
それから、H川さんの学校のちょっと変わった風習。これはH川さんのメールをそのまま転載。

H川が1中に来てからの通例!?になった?行事があって、この晴天祈願祭のときに坊主になる
というもの。ことの始まりは2年前。H川が初めて1中に来た年。テニス部の先生が「坊主にしたい」と
ぼやいていたのが始まり。晴天祈願祭にかこつけて保健室でバリカンを…わずか数分後には
きれいな坊主ができあがり…それをやっていた野球部の先生が自分も坊主になりたいと言い出して
同じく坊主2人目誕生。そしてそれを見てもらおうと思ってサッカー部の先生を呼んできてと伝令を
出したところ、そのサッカー部の先生も即断で椅子に座り「やれ」の一言。数分後には坊主頭が
3人も…。そこにH川も呼ばれたのですが、さすがに学校の先生になりたてのH川は度胸もなければ
そういった雰囲気もちょっと苦手…。そのときには巫女をやるのでと逃げてしまいました。
そして昨年。少しは度胸の出てきたH川。晴天祈願祭が行われるホテルの控え室で断髪式。
坊主頭になりました。来年は先輩ですね。とサッカー部のサブの先生に言ったところ。なぜか飲み会
の終わり頃に坊主頭になってこれで飲み会で坊主になったのは5人目。(いまでもサッカー部のメイン
の先生以外全員坊主のままです。)他の学校の先生にも1中名物とある意味おそられている?行事
のようです。ちなみにお気づきだと思いますが、晴天祈願祭のときに坊主になるのは「てるてる坊主」
を意識しているからとか…

いやはや、何なんでしょうか(笑)。でも、帯広の選手たち、こんな土壌で育っているんだね。
「晴天祈願祭」は先生方の親睦会的な意味合いが強いのだろうけれど、続けているのが凄い。
講習会で、短時間しか接する事が出来なかった中には、最近の若者の目をした高校 生もいた。
けれど、こんな先生たちが棲息している限り、帯広の魅力は失われないと思うよ。

                                               もくじへ


 

「帯農の、そして十勝の選手たちへ」
・・・2005.05.22

戦いを、根性論や精神論だけで語るのは間違っている。
戦いに必要なフットワーク・ストローク・戦術は、論理的に練習したいものだ。
けれど、フットワーク・ストローク・戦術を身に着けたとしても、それだけでは勝てやしない。
最後に物を言うのは「闘う心」。言い換えれば、根性論や精神論なのだ。

一緒に練習する中で、君たちのプレーは素晴らしく変貌した。
いろいろな場所で練習したけれど、私にとってそれは殆ど始めての経験だった。
帯広には(十勝には)何かがある。そう思って前代未聞の大合宿まで言い出した。
君たちとは、それまでに何度も一緒に練習したけれど、どうしても断片的な内容だった。
帯広での8泊9日の集中的練習で、私の練習のやり方を、かなり理解して貰えたと思う。
手応えを感じたようだけれど、君たちの先生たちも、君たちの変わりようを言っていた。
さて、次は私の勝手な推測だが、君たちは「大きく高い山」を目指して毎日練習しているよね。
一緒に練習していて君たちは、この練習をすれば「その山の頂上」に立てると錯覚しなかったか?
だが、一緒に練習してきた事は、君たちが試合をする為の、パーツ・道具に過ぎないのだ。
いくら動き方を知っていたって、いくら打ち方を知っていたって、いくら攻め方を知っていたって、
それだけでは勝てない。それらを使いこなさなければならない。そこで「闘う心」なのだ。
今、君たちの中にあるパーツを総動員して、必死に戦い抜く。それこそが重要なのだ。
フットワークは、リズム、スナップ、ヒップバウンドなど基本的なことは念頭に置きたい。
だが、綺麗に動くことよりも、届かなければ飛び込んでも喰らいつく、そんな執着心が欲しい。
ストロークについては、技術にこだわってプレーの勢いが無くならないよう気をつけたい。
そもそも、相手のコートに入れさえすれば負けないのだ。練習してきたことにこだわるな。
ラリーに100回負けたって、101回勝てば試合には勝つ。決して諦めてはいけない。
ラリーに負けても粘りで勝て。気合で勝て。声で勝て。気持ちで勝て。顔で勝て(勝ち顔)。

君たちと触れ合った季節も、エピローグに向かっている。一つの物語の終焉だ。
そして物語の結末は、君たち自身が作るのだ。私が示したことは、その為の方法論でしかない。
戦いに勝てたとしても、どこか燃えきれない空しさが残る。そんな事があるかも知れない。
例え負けてしまっても、満ち溢れる充実感に心が震える。そんな事があるかも知れない。
大切なのは、戦いを闘うことだ。
君たちの中の全てを動員して、戦い切ることだ。
勝つことに、今、君たちの中にあるもの全てを出し切ってごらん。

 1人ひとりの物語の結末を楽しみにしている。 ダア

                                              もくじへ


 

「帯広」
・・・2005.05.20

地球を1mの球体と考えると、世界最高峰の山でさえ僅か0.7mmの高さになってしまう…
3度目となる今回の帯広行きの帰途、霞ヶ浦上空から見下ろす景観に地球の平坦さを思った。
夕陽に光る湖面、水を張った水田が太平洋へ連なっていて、湖・陸・海が一つの水面に見える。
陸地は大きな水面に浮かぶ薄っぺらな藻。ポロロッカや津波が内陸深く及ぶことが肯ける。
見覚えのある地形。美浦のトレセンが見える。航路下になる阿見は顔を押し付けても見えない。
上空を通り過ぎる時、地上で練習する選手たちを思った。元気でやっているのだろうか…
横浜出張・帯広行きで、もう1週間も会っていない。パラシュートならば… まさかね(笑)。

最初となった2月の帯広行きは、何度も来てくれたS田先生たちへの返礼だった。
その頃、心がすれ違っていたダアと選手たちとの日々を見つめ直す旅でもあった。
そこで出会ったもの… 帯広の、選手たちと指導者と保護者をも含めた懐かしいバド?な風景。
3月はどうしても選手たちと行きたくて、帯広側・阿見側の両者に大きな負担を掛けてしまった。
こんなに素敵な日々があっていいものなのか… 10泊の大遠征は、心に残るものとなった。
3度目となった5月は、どうしても行かなければならなかった。このままでは終われない。
3月の練習の締めくくりに、素晴らしかった合宿が終わったのではなく、これからが始まりだ。
そう言い残しては来た。が、それで済ませられないのがダアの性分。確認の帯広行きとなった。
最初の夜は、炉ばた焼きで新鮮な魚介類を食す。温泉とグルメも帯広行きの楽しみです(笑)。
ダアのチームは既に、プレーの幅を広げる基礎的な練習から、仕上げの試合練習に移っている。
初日は、とりあえず試合練習から入ってみた。やはりと言うか何にもない状態。心配した通りだ。
3月の合宿では素晴らしいプレーをしていた。それが身についていない。使いこなせていない。
生かせないものならば、ダアのバドなど紹介しなかった方が幸せだったのかも? ふと、思う。
で、その夜のラクレットは、心から楽しめなかった。親父がダアを覚えていてくれたけど(笑)。
2日目、帯広での最後となる練習は、考え悩んだ末、ラリー練習から入ってみることに。
すると、何と懐かしい帯広の、十勝の選手たちが目の前でプレーしているではないか(笑)。
ダアの練習は、選手たちに分りやすく、身に着け易く出来ている。多分だけれど、そう思う(笑)。
帯広の、十勝の選手たち、ラリー練習で技術を身に付け、強くなったと錯覚してはいなかったか?
本当に必要なのは、それらの技術を試合の場で使いこなすこと。そして、戦う心を持つことなのだ。
そしてそれはダアが今、ダアの選手たちに口うるさく言い続けている事でもある。

帯広最後の夜は、遊美館の焼肉だった。さすがに語り尽くしたか、話題はバドから離れる。
で、「晴天祈願祭」なるものの話で盛り上がる。これが帯広の魅力の一端を如実に表している(笑)。
H川先生、雑文(ザブ)のネタに、詳細をメールして貰う約束ですよ(笑)。

                                              もくじへ

 

「水槽」
・・・2005.05.07

ダアは車を運転しないので、選手たちの送迎など事あるごとに父母会の世話になる。
しばらく前のことだが、J学院で練習したその日はマサヒロ父が迎えに来てくれた。
普段の迎えなどで挨拶を交わす程度だったが、いつもニコニコ、笑顔の優しいお父さんだ。
その日の迎えは合計3台。方面ごとにテキパキと配車をしてくれる。で、ダアは父の車に。
発車すると選手たち、一斉に「お願いします!」。助手席のダアは何を喋ろうかと(笑)。
ダアが中学生を教え始めた頃の選手が、この父と同じ勤務先。とりあえずそんなところから。
会話が弾んで、ダアが昔、水槽で魚を飼っていた頃の話に。すると、父が強く反応してくる。
何と家の中に水槽が何十個もあると… ダアの水槽は10個位だったから、これは負けだ(笑)。
でも、ダアの庭には循環式の池が13個も連なっていた。池は勝った。まるで自慢話(笑)。
で、会話はカネヒラに。ダアは河川に遡上してくる初夏ののっこみしか釣る術を知らなかった。
が、父は霞ヶ浦で通年釣ると。これは完敗(笑)。水槽を見せて貰う事にしたところで到着。

吉原小での練習帰りにマサヒロの家に寄った。それまで林だとばかり思っていた中の集落(笑)。
広い庭に幾つもの鳥小屋。烏骨鶏(うこっけい)などを飼っている。生き物好きのようだ。
木々に囲まれた家、夏にはヘビがとダア。ベランダに出ますとマサヒロ(笑)。父の笑顔が出迎え。
挨拶もそこそこ、早速水槽の部屋へ。マサヒロ母が、お父さんの息抜きの部屋だと笑っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・立ち尽くすダア。 感激のあまり言葉にならない(笑)。
しばらく固まっていたが、研究熱心なダアはやがてあれこれと観察を始め、魚や装置をチェック。
何と真っ白なアメリカザリガニがいる。聞くと輸入物。小さかったのがこんなに大きくなったと。
ダアは上部濾過だったが、ここでは下部濾過主体。小ジャリをかき回させるためのドジョウもいる。
ダアが水槽を止めた理由の一つが、濾過装置周りに発生するカビで魚が弱ってしまうことだった。
キャパが小さい、メンテが大変、などで採用しなかったが、下部濾過はそれの解決策にはなる。
ダアが水槽を止めた理由は、それだけではないが、花の場所が欲しくて池も埋めてしまった。
今また玄関先や軒下でメダカや金魚を再開。が、メダカは老眼にはよく見えない(笑)。
コメットが産んだ卵が孵って何百匹もの稚魚が泳いでいる。メガネを掛けて覗き込むダア(笑)。
花に心惹かれるこの頃だが、子供の頃に刷り込まれた行動は簡単には消えないものだ。

堂山に、本邦最大のタナゴ「カネヒラ」が棲息する森がある(笑)。ダアの好きな場所だ(笑)。

                                              もくじへ


 

「連休の谷間」
・・・2005.05.02

アルファーカップに参加して、ゴールデンウィークを練習試合ウィークにすることにしたのだった。
まだまだ練習が足りないのだが、仕上げ練習に入ることに…  悪く言えば見切り発車(笑)。
そうと決めたら徹底的にそうするダア(笑)。29日からの10日間を試合練習オンリーに。
今、君たちが持っているものを出し切れば必ず勝てる。そう言って選手たちを励ましている。
そんなプレーじゃ勝てっこないだろ! つい先日まで怒鳴り散らしていたのが嘘みたい(笑)。
でも、それがダアのやり方。まずはその年の考えを仕込んで、8月に向けて仕上げていく。
急遽、OBに相手をお願いした。去年は計画して相手をお願いしたから、やはり今年は遅れ目。
選手たち同士の試合が中心なのだが、OBと試合しても、一応格好になっている。
で、ミスの多さ、戦法選択の未熟さが目立つ。まあこれは予定通り(笑)。ここからが勝負だ。

2日は連休の谷間で選手たちは学校。ダアは大型連休の真っ最中で久しぶりに庭いじり。
まずは花の終わったスイセンたちの葉を縛る。庭中に林立する円錐形が美しく見える(笑)。
あちこちほじくり返して泥だらけ。今回のメインは、ブルビネラを軒下から庭の中央に移植。
このブルビネラ、花の少ない2月から4月にかけて派手に咲き続けてくれて、とても重宝。
でも、時たま降った雪が屋根から落ちて、花穂を傷つけたりする。で、雪害を逃れることに。
ブルネイラの後任には、濡れ縁に近すぎて窮屈だったアイリスを。雪崩時は土の中だ(笑)。
鉢で咲かせると年々細ってしまうアマリリスを地植えに。ダアは球根・宿根が大好き(笑)。
20cm位の塩ビパイプの輪切りを沢山持っている。職場の友人に頼んで切って貰った。
これを、草を抜いてならした場所に置き花の種を蒔く。これは間違って抜かないアイデア。
久しぶりにたっぷりと庭いじりを堪能し、風呂にゆったりと浸かって、おもむろに練習へ。
昨日までの3日間はOBも来てくれたし、明日からの3日間は合宿やら千葉遠征がある。
で、何をしようかと考えた末、14点ハンデの3ゲームマッチをやらせてみることにした。
罰ゲームまで用意してレギュラー組にプレッシャーをかける。で、素直に罰ゲーム(笑)。
繰り返して行う試合に選手たち大騒ぎ。例え14点のハンデでも負けたくないレギュラー組。
一方の組は、いくらハンデを貰っても勝つのは嬉しい。相手が手を抜かないのも嬉しい。
やがて、レギュラー組の試合の進め方に変化の兆しが。ミスをしないよう心がけている
で、一部の選手を除いて(笑)、課題をクリアー出来るようになった。いいじゃないか(笑)。

                                              もくじへ


 


「アルファーカップ」
・・・2005.04.25

落成したばかりの関宿体育館のこけら落としに、大会を開催するので来ませんか…
懇意にさせて貰っている千葉県S高校のT瀬先生より、そんな誘いがあった。
素晴らしいT瀬ワールドを構築しているのだが、今回はその身内を集めてのほのぼの大会。
ダアも選手として出場する事が条件。それは無理ですよと言いながらその気になっている(笑)。
国体方式とかで1複2単の団体戦。すごいのはバド暦の浅そうなお母さんまでがシングルス。
コートサイドのギャラリーと一体となって大騒ぎで楽しんでいる。恐るべしT瀬ワールド(笑)。
縁があってヨネックスのT夫妻も参加。全日本や全英で何度も勝っている超が付く有名人。
足腰の動きは置いておいて(笑)、さすがのテクニック。若者相手に華麗なラケットさばき。
そのプレー、ダア的には懐かしい感じ。オーソドックスで基本に忠実、理に叶っている。
ラケットが超軽量になって、はじきやスライダーなどに走っているダア。原点を見る思いがした。
エース2人と組んだ団体戦も、ダアのダブルスも共に1勝2敗。予選リーグであえなく敗退。
優勝とMVPを狙っていたダアは大きく落胆(笑)。本気で勝つ気でいたんだけどね(笑)。
もっとも、相手の打点に焦点を合わせた老眼には近くのシャトルが見えない。勝てる訳ない(笑)。
車をお願いしたS崎さんがダアの身体を気遣ってくれる。でも疲れるほどにラリーが続かない(笑)。
口ほどに上手だと風変わりなリップサービスはT瀬先生。でも負けたのは何とも悔しい(笑)。

冗談はさておきダアの選手たち、覇気が無いのが気に掛かる。試合をしながら何度も叱咤。
相手が高校生や大人なので力負け。押されると出来るはずの事が出来ない。やろうとしない。
ダアが足を引っ張ったと言うことはあるだろう。それとて、新しい局面への応用の欠如に感じる。
何よりもダアの選手たち、ゲームを少しも楽しんでいない。それが一緒のコートで強く感じた事。
で、ゴールデンウィークの練習内容を変更することに。迷いもあったので、参加が吉となった。
それまでは、たっぷりと時間を掛けて戦術面を中心に基礎的な練習をしようと考えていた。
選手たちのプレーの裾野を広げる練習だ。選手たちを限界ぎりぎりまで追い込むことになる。
当然、楽しむ余裕など無い。まだ選手たちに教えておきたいことがあるが、それは封印しよう。
実戦練習は修学旅行後の5月末からと考えていたが、それを早めて始める事にする。
今、選手たちの中にあるもので8月を目指して仕上げていこう… そう考えたのだ。
で、時に鬼のごとくあったダアが、仏のダアになる… 筈です(笑)。

                                              もくじへ


 

「木馬亭」
・・・2005.04.21

久しぶりに浅草に出掛けた。あいにくの小雨模様。仲見世の和装服飾かづさやで小物を購入。
修学旅行の生徒や外国人などがいて、まあまあの人出。でも濡れるのが何だかうっとうしい。
で、ふと木馬亭にでも行ってみようかなと思う。いつかは入ってみたいと思っていたし(笑)。
さっき、お兄さんが濡れながら一生懸命呼び掛けていたし(笑)。何より雨から逃げたいし(笑)。
木馬亭の辺りは、のぼりなどあって少しだけ華やか(笑)。チャップリン風の芸人が目に入る。
このチャップリン、しぐさがそれっぽくて楽しい。いつもの浅草の風景に異空間を演出している。
入り口のお姉さん達が、私達も出ますからと呼び込んでいる。その笑顔につられて入場(笑)。
チラシにプッチャリンとある。いかにもの芸名(笑)。場内でも開演前の客席を盛り上げている。
流れる音楽はエノケン。「ワタナベのジュースの元」まであって、つい口ずさんでしまった(笑)。
笑劇団「浅草21世紀」の公演。平成16年芸術祭大賞受賞作品「君恋し」が第2部になっている。
第1部は、漫才、奇術、コント、漫談、歌と、てんこ盛りの爆笑寄席。青空球児・好児とかの出演。
すっかり禿げ上がってしまった関敬六も出演、「浅草の唄」を歌う。声が出ていて感心(笑)。
ダアは、膝が特設ステージの下に入るような「ど・かぶりつき」に座る。しかも、ど真中(笑)。
気になるのか芸人達、ダアの方をチラチラと見やる。で、責任感の強いダアはせっせと笑う(笑)。
笑っているうちにだんだんと乗ってくるダア。芸風としては、ウィットに欠ける、まあ古いものだ。
が、生身の人間がリアルに目の前で演じ、客席と生のやりとりがある。それが何とも心地よい。
ダアも、どこから来たのかとか、文人に見えるとか、トンボを切った勢いでつっかかってくるとか、
随分ネタにして貰いました。でも、演歌歌手に一緒に歌おうと誘われた時は、さすがに辞退(笑)。
だって、ひばりの歌だったけど、その歌知らなかったんだもの(笑)。知ってる歌だったらね(笑)。
爆笑軽演劇「君恋し」は、結構楽しめた。第1部で心がウォームアップされていたからかも知れない。
歌う音程がしっかりしていたこと、ライトに輝く瞳がキラキラしていたこと、ダア的観点で感心(笑)。
で、見ながら、ダアの選手たちも輝いて欲しいと… 別に芸術的でなくたっていいんだから(笑)。

外に出て、前を歩く老カップルの会話。浅草もTVが出来てから、すっかりすたれてしまった… 
初めて入った「木馬亭」ではエノケン。この日も食べた尾張屋では蕎麦を食う伴ジュンの写真。
今日出会った浅草は、少しだけノスタルジー。それを愛する心を持たないと楽しめない。
懐古趣味ではなく、歴史の重さを尊重して今を生きる… 我が民族はちと苦手かも(笑)。

                                              もくじへ


 


「帯広合宿(8)」
・・・2005.04.11

◎避花粉
帯広の空気は澄んでいた。辺り一面の雪だから当たり前なのかも知れないが、何とも心地よい。
胸いっぱい吸い込む空気が美味しい。選手たちも、目のかゆみや鼻水が止まって、快適な様子
ダアの花粉症には、その他にも、特に下肢の倦怠感や、頭痛、胸の重苦しさなどの症状がある。
倦怠感や頭痛は、それと分るが、胸の苦しさは季節柄、風邪の症状との判別が出来なかった。
帯広の生活では、それらすべての症状が納まった。で、胸の重苦しさも花粉のせいかなと(笑)。
帰った茨城では、鼻腔はピリピリ、頭痛はキリキリ、瞼は腫れて、ちょっと動いてもけだるい。
そして、何とあの胸の重苦しさも再発(笑)。やはり花粉のせいだと、ほぼ断定(笑)。
で、出来るだけ息をしないで、死なない程度に生きている。あーあ、帯広に帰りたいなあ(笑)。
◎小宇宙
Y澤先生S田先生と3人で、帯広合宿最後の夜は、北の屋台村・御多幸にいた。
話題は食い物の美味さと、それから当然バドの話。で、最終日はどんなメニューにしようかと。
Q&Aのみでと言う事になったのだが、S田先生「ダアにとってのバドとは?」を聞きたいと。
「そんな、止めてくださいよ。難しすぎます。禅問答になってしまいます。」と、ダア。
最終日当日、第1コートを囲みQ&Aの開始。いくつも出る質問、だが少々乗りが悪い。
それではと、全6コートに散らばって、それぞれ自主練習を続けながらの質問コーナーに。
遠慮していたのか、次から次へと質問者が殺到。はじき、スナップ、ヒップバウンドなどなど…
広い体育館のあちこちで、思い思いに練習している。ダアの選手たちが質問攻めにあっている。
同じアクションが殆ど無い。そのバラバラが何とも美しく見える。心は一つのベクトルなのだ。
2月に冷めた目をしていたU海が、練習法の冊子片手にダアの選手に喰らい付いている。
直接の指導が出来なかったO川が、いつのまにかフットワークのサーキットをこなしている。
繰り広がる景色のどれを切り取っても、輝く瞳がある。一つひとつの動きに、意思が見える。
結局、S田先生の質問は無かった。時間が無かっただけかも知れないが、ダアはこう考えたい。
変貌の兆しが見えた選手たちの姿の中に… 合宿に力を頂けた皆さんの心の中に…
帯広を主舞台に繰り広げられた「バド?な日々」の中に、その答えを見たからだと。
ダアが用意していた答えは「小宇宙」。やっぱり、禅問答になってしまうか(笑)。

                                              もくじへ


 


「帯広合宿(7)」
・・・2005.04.10

◎アイススケート
2月に帯広に行った時、4中の校庭に手作りのリンクがあった。雪に埋もれていたけれど(笑)。
準備のメールをやり取りしていて、ふと、ダアの選手たちに天然リンクで滑らせたいと思った。
残念ながら天然リンクは使えなかったが、屋内スケートリンクで滑るチャンスを作って頂いた。
十勝の選手たち、さすがにスイスイ。初めてのダアの選手には手取り足取り、立場が逆転(笑)。
ダアの選手たち、ヨチヨチだったり、スッテンだったり、結構楽しんで、仲良く遊びましたね(笑)。
◎アイスクリーム
帯広の森のレストハウスで昼食をとった時、デザートにアイスクリームを食べさせたいと思った。
ショーケースが目に入ったのだ。すると、近くに美味いアイスクリーム屋があると、Y澤ガイド。
何でも、ヨネックスとかの選手が来た時、泣いて喜ぶのだそうだ。これは行くしか無いぞ(笑)。
広瀬牧場「うえもんずハート」。何度もお会いした鈴蘭少年団コーチY本さんの、奥さんの実家。
ダアは、かぼちゃは外さずダブルで食した。美味い!選手たちの分を含めS田先生にゴチになる。
余りの美味さに、お代わりする選手が出る始末。これはまずい、早々に体育館へ追いやることに。
体育館まで走って行く選手もいたが、S田先生の車でピストン輸送。残った選手の目つきが変(笑)。
で、ダアがせがまれて、お代わりする羽目に。結局、ダブルで3個も食べる選手が出る始末(笑)。
話しを聞いたY本さん「私に付けてくれれば…」。そんな事をしたら選手たち幾つ食うやら(笑)。
◎別れ
前夜、焼肉&温泉ツアーで大はしゃぎをした選手たち。でも、別れの時は必ずやってくる。
午前中にすべての練習を済ませ、昼には帯広の街にいた。ここで選手たちを放牧することに…
大盤振る舞いの昼食代2000円を持たせると、幾つかのグループに分れて街中へ散って行った。
六花亭のレストランが、これまた美味いのだそうで、合わせて10人前後の選手たちが行った様子。
思い思いに昼食&散策を楽しんだ選手たち。帯広駅前に集まってくる顔が、何とも素晴らしい。
改札口で切符を手渡して、いよいよ別れの時だ。そう思った時、素敵なドラマが始まった。
4中N村のお父さん、JRの、しかも帯広駅にお勤め。同僚に言って全員をホームに入れてくれた。
プラットホームで最後の歓談。別れを惜しむ。でも、非情にも列車がやって来てしまった。
車内の通路で立ち尽くし、ホームを見やる選手たち。すぐに列車が動き出し、互いに手を振る。
と、何と十勝の選手たち、列車を追ってホームを走っている。千切れんばかりに手を振っている。
まるでドラマだぜ(笑)。だが、突き上げる熱いもので滲んでしまったダアには、心しか見えない。
でも、摩天楼K原だけはしっかりと認識出来た。何と言ったって181cmもあるんだもの(笑)。
走る選手たちを見たダアはその時、合宿は成功だったのかも知れない。そう思ったのだった。

                                              もくじへ


 

「帯広合宿(6)」
・・・2005.04.09

◎残業
日程や、参加者数の制限で、参加の意思がありながら叶わなかったチームの為に、夜練をした。
帯広柏葉高へは2晩。顧問のM井先生はかなりの情熱家。フットワークとフォーメーションを所望。
とりあえずフットワークを見せて貰う。ダア的観点からだが、とてもフットワークとは呼べない。
で、例によって「反復横とび」から説くフットワークの成り立ちから説明。すぐに変わった。
2晩目は、ダブルスの特に前衛の動きを紹介。ストレートケアー、3点カバーなどを説明。
ダアは説明中に、逆に質問したりするのだが選手の受け答えが心地よい。理解力も高い選手たちだ。
帯広大谷高校へは、遠征の合間の1晩だけ伺えた。時間が取れなかったY川さんのチームも一緒だ。
顧問のI澤先生、闘将のイメージだが、かなりの勉強家と見た。遠征帰りの夜には宿まで質問に来た。
ゲーム練習への助言を所望。講習メニューの設定に、ライバル高となる農高のY澤先生も唸る(笑)。
あくまでダア的観点と断ってから、ただ打ち合っているだけ、まるでバドになっていないと酷評。
ゲームの中でのアドバイスは諦めて、ワンツーから始まる動かしの原理、前衛の動きなどを説明。
練習終了後、温泉と海の幸を堪能。明朝遠征に出るとのことで、I澤先生運転のバスで出かけた。
選手1名も同乗。Y川さんと帯広1中のH川先生も同行。コンブの上で焼く魚介類がメチャ旨!
選手の名はジュンペイだったかな?きりりとして好印象。早朝の出発に備えて先生宅に泊まるとか。
I澤先生に負けず劣らずこのジュンペイ、ダアを質問攻め。スマッシュの強打法は…などなど。
身振りは交えたもの、上手く伝わったか心もとない。で、送って貰った宿の前で実技講習会。
深夜、氷点下の路上。煌煌としたライトに浮かび上がった3人だけの講習会。ウーン絵になる(笑)。
◎帯広(十勝、北海道)の選手たち
昨年の12月に中学生十勝選抜が阿見に来た時、はっきり言ってどうなるものか?と思った。
それが2月には明らかに変わっていた。ダアの練習法でダアの選手以外がこれ程変わるとは…
殆ど記憶に無い経験だった。それまでは、ダアの練習もどきはあっても、何処かが違ったのだ。
たまたま選手の能力が高かったのか? でも、学校に部活が無くて1人で練習する選手もいる。
農高の選手たちとは2月の1日だけだったが、朝の目を覆う状況が、夕方には一変していた。
4中の選手たちとも1日だけだったが、覇気のない朝が、夕方には変化の兆しが見えていた。
こらは何かがある。北海道には何か不思議な力がある。おぼろげだが、そんな事が脳裏に浮かんだ。
その直感がダアに、双方の親まで巻き込んだ荒唐無稽とも言えるこの合宿を言わせたのだろうか。
今回の合宿で帯広(十勝)の選手たち、目を見張るほど大きく変わった。感動的と言っても良い。
2日間だけの室蘭清水丘高の選手たちでさえ激変した。選手たちに受容の心があると言うことか。
ダアのチーム作りでは、選手たちとの絆作りに多くの力を注ぐ。それがあって初めてチームが動く。
部活が健全に生き残る北海道ゆえなのか。北海道の土地柄が成す技なのか。答えは風の中(笑)。
「サッカーやバスケットに比べて、バドの世界は研究心が足らないと思いませんか?」
帯広大谷高のI澤先生のこの言葉にも、北海道の秘密の、その一端が潜んでいるような気がする。
PS:ダアの選手たち、狙いに違わず精神的に大きく成長してくれました。念のため(笑)。

                                              もくじへ


 

「帯広合宿(5)」
・・・2005.04.08

◎書き込み
合宿から帰ってきて、帯広(十勝)の皆さんからから沢山の書き込みがあった。嬉しいことだ。
その中に、帯広4中のS田先生が書き込んだ一大長編があった。許しを得て、ここに転載する。
ダアは、何かを伝えようとすると饒舌になる。伝えたい事を上手く「言葉」で言い表せないからだ。
何か「心」を伝えようとすると、だから、いろいろな切り口で喋りまくることになる。
で、「ダアさんがこう言った」などに、「そんなこと言いましたっけ」無責任極まり無い(笑)。
本当のところは、ダアの表現力が乏しいだけなのかも知れない。誤解された事も幾度か(笑)。
S田先生の書き込みにも「そんなこと言ったっけ」と思った(笑)。ダアらしい言葉だとも…(笑)。
言葉は生き物、TPOで意味合いが違ってくる。それを認識した上で読んで欲しい。言い訳です(笑)。
◎S田先生の書き込み(趣旨を変えない範囲で一部を書き換えた。)
先日は本当にお世話になりました。掲示板の書き込みが多く、返事が大変な毎日だと思います(笑)。
今回は僕にとっての阿見中バド、そしてダアさんを、感謝の気持ちを込めて書き込みます。
ダアさんとの出会いはH15年8月、旭川全中でした。3年越しの強化練習をしながらもレベル
アップに苦しんでいた僕が、勇気を出して購入したのがダアさんの指導者用ビデオ。
しかし「親指・小指」の意味が分からず、全中会場で質問したのが最初の出会いでした。
団体戦・準決勝後のダアさんは「ひまですから」と丁寧に教えてくださいました。
次は9月、神戸での全日本ジュニア。一緒に夕食を食べ、カラオケに行き、そしてサブ会場で
僕の選手にフットワークを指導してくださいました。ダアさんは指導に熱が入りすぎ、
気づくと自分の選手の試合が終わっていましたね(笑)。
そして12月。本当は選手を連れて行きたかったのですが、願いかなわず単身茨城へ。
ゆったり館合宿に参加させていただきました。この頃からダアさんは「今度は僕が帯広に
行きましょう」と言っていましたが、まさか本当に来ることはないだろうと思っていました。
H16年8月、茨城全中では同じ宿舎に。頂点に向けてのダアさんとの選手の生活を間近に
見ることができ、とても勉強になりました。9月の前橋での全日本ジュニアの帰りには、
ついに選手を連れて阿見へ。ホームステイでS崎さん、I塚さんにお世話になりました。
12月は協会行事として選手4名、Y澤先生とまたまた阿見へ。多くの阿見中保護者とダアさんの
おかげで信じられないほどの素晴らしい環境でじっくりと練習させていただきました。
H17に入り2月、なんとダアさんが帯広へ。講習会をやっていただき、北海道の多くの指導者が
カルチャーギャップに陥りました(笑)。この頃からダアさんのおかげで、僕も北海道の多くの
指導者との絆を深めることができるようなりました。これもダアさん効果です。
そして今回の合同合宿「不退転」・・・僕は本当に不退転の気持ちで、この合宿に乗り込みました。
「ダアさんの指導の枝葉ではなく、根本をつかみたい」。    そこで見たもの、得たもの…。
相手が打つ球を全てとるための、原理原則の徹底、繰り返し。相手がフットワークをしづらくする
ためのディセプション・テンポの変化・はじき。多くのソフトをいただきました。それを生かせるかどうか。
ダアさんが言っていた言葉。「(ダアさんの観点で)フットワークができるチームは日本に無い」
「帯広ならもしかしたら、僕の文化を広げてくれるかも知れない」  …忘れることができません。
「(僕が帰ったら)すぐにまた(フットワークが元に)戻りますよ。」というダアさんのいつもの(?)
決めぜりふを「おい、このフットワークを身につけてみろよ。本気で練習してみろよ。」と言う叱咤
激励だと考えて、今がスタート、これからが不退転。岐阜でN村のフットワークを見てください。
それが全てです。9日間、本当にありがとうございました。僕たちができる恩返しは一つ。期待さ
れていることも一つ。それをやります。長くなってすみません。ありがとうございました。

                                              もくじへ


 

「帯広合宿(4)」
・・・2005.04.07

◎ラクレット
2月に帯広に行った時、ラクレットが最高に美味かった。で、今度の合宿でも楽しみにしていた。
室蘭の紺野さんとお会いした夜、そのラクレットに再会した。でも、何だか乗り切れない。
理由は「不退転」。練習は一通りこなしたが、どこか手応えを感じない。何をしたらいいのだ。
こうなると、ダアはダメ。心がほかに行ってしまって、目の前にあるものを楽しめない。
勿論、ラクレットは美味かったし、紺野さんたちとの会話も楽しかった。でも、爆発的じゃない(笑。)
阿見で、土産のラクレットを食べてみた。結構美味い。でも、やはりラクレットは帯広に限る(笑)。
◎北の屋台
選手たち同士の焼肉&温泉ツアーを追加企画していただいた帯広最後の夜。ダアたちは別にいた。
Y澤先生、S田先生と3人だけの行動。2月に伺った時の最初の夜(ラクレット)も3人だった。
「不退転」合宿の練習も、明日が最後。よくもまあ、こんな大プロジェクトが行えたものだ。
心からそう思う。公式には何も記録に残らない私的な行事。でも、記憶が心に残る。強く強く。
S田先生は、ダアの練習を見抜いたみたいだし、農高のO村たちも何かをつかんだ気配がある。
観光ガイドが本業ではない(笑)Y澤先生は、ダアの選手作り・チーム作りを理解した様子。
「不退転」の真意は、合宿以降にあるのだが、この夜ばかりは、ほんのり感傷的になってみよう。
S田先生推奨、名湯の誉れ高い銭湯「あさひ湯」で疲れを癒し、向かった店は北の屋台村「御多幸」
メニューに野菜や海産物の産地や生産者名が書いてある。何を食っても美味い。たまらんぜ(笑)。
野菜を生産者の作品と呼ぶオヤジはとても渋く、女将さんの包み込む優しさが、何ともいい。
食うものはどれも美味かったが、絶品は採れたての生野菜。セルリ、赤カブ、二十日ダイコン…
甘くて、みずみずしくて、お代わりしてしまった。6月のアスパラが、これまた美味いのだとか(笑)。
予定に入れておきます。そう、心の中でつぶやく(笑)。また帯広に行けたら嬉しいな(笑)。
Y澤先生行きつけの店で、カラオケまで歌ってしまった。選手へのアイラブユーはお預け(笑)。
◎ぶた丼
茨城に帰る日、選手たちを街中に放牧し、元祖ぱんちょうの「ぶた丼」を賞味した。
2月に泊まった「ふく井ホテル」に隣接した、「ぶた丼」発祥の店だとか。勿論Y澤ガイドの説明。
Y澤ガイドもこの店で食べるのは初めてだとか、一番高い「華」となめこ汁を注文。
出てきた「ぶた丼」は、乗せられたぶた肉がどんぶりからはみ出している。これまた絶品。
「不退転」合宿に行った筈なのに、何だか温泉と食べ物の話ばかりです(笑)。

                                              もくじへ


 

「帯広合宿(3)」
・・・2005.04.06

◎リス
毎朝6時に散歩に出た。コースは帯広農高の、平地では日本一とか言う広大な敷地の中。
ヒデ、マサヒロ、イッタクが条件反射で雪原に飛びつき、ウメが加わり、やがて全員が大はしゃぎ。
いつもは遅れ気味にノロノロしている(もとい、大人しめな)ダイスケまでが、陽気に振る舞う。
「僕の前に道はない 僕の後に道はできる」サクサク踏みしめて、光太郎の世界を演じる。
地元の人がわざわざ雪の上を歩く筈も無いだろうし、ましてや広大な土地。まっさらな雪原が続く。
遠くに野ギツネが散歩している。ジッと見つめる我々の心は、その時、間違いなく無心だった。
冷えによる生理現象を、「かきごおりのレモン」と言ったのは誰だったっけ。不謹慎な(笑)。
あちこちでリスを見かけた。垂直な幹を走るように登って行く。どうなってるんだ! 驚く。
リスをいじめた生徒は停学。もしも殺してしまったら退学。教員の場合だったら強制的に転任。
帯農には、そんな言い伝えがあります。Y澤ガイドの説明は、いつだって興味をそそって秀逸です。
7時に食べる朝食が美味かった。当たり前のメニューなのだが例えば肉ジャガのイモが美味い。
バイキング方式は、医者通いのダアには何とも不都合。何度もお代わりしてしまった(笑)。
◎温泉
帯広4中近くの「谷の湯」に行ったのが幕開け。銭湯なのだが何と温泉。しかも370円。
歓迎会をして頂けるとの事で、宿に戻らず、選手たちと熱く溢れる温泉を存分に楽しんだのだ。
選手たちとは「パール温泉」なる銭湯にも行った。ダアはその後「ラクレット」へ行った。
ダアは昼間の練習後に残業があったりして、疲れを癒したいとか言って何度も温泉をせがんだ。
最後の夜は、阿見・十勝の選手たちだけの、焼肉&温泉ツアーまで追加企画して頂いた。
銭湯はどこも溢れる温泉で、しかも370円。タオルが付くような大きな施設でも1000円。
宿舎も温泉なのだが、沸かし湯なので少しぬるめ。帰りが遅くなりがちなダアは殆ど外湯だった。
◎六花亭
合宿に入って、ストロベリーチョコを1人1袋用意した。ダアを困らせる問題を出せば貰える(笑)。
つま楊枝を使って並び替えるなどは真面目な方。芸能ネタなどダアが知る由もないものばかり。
選手たち、チョコをゲットする確実な方法を選んだのだ。もっと知的な問題は無いのかね(笑)。
お菓子の詰め合わせや、横川さん推奨のロールケーキ(別の店)でも、いろいろ盛り上がった。
最終夜に六花亭本店で土産を買い求めたのだが、並ぶケーキ類を見て、目を丸くしてしまった。
並ぶケーキたち、何と百の位が「1」の値段なのだ。ダアの感覚で1/2から1/3のイメージ。
連日頑張った選手たちに、毎日食べさせてあげればよかったと後悔。でも、後悔先に立たず(笑)。
お土産に「六花亭を買ってきて」と言われて、「六花亭の菓子だろう」と訂正を求めていたダア。
「六花亭」はもはや、帯広の文化なのだと思えた。で、ライバル会社があるとY澤ガイドが…(笑)。

                                              もくじへ


 

「帯広合宿(2)」
・・・2005.04.05

◎フェリー
伊豆大島へ渡る船に乗ったことがある。高校の卒業旅行で恩師と級友達と、竹芝桟橋からの夜便。
大きな揺れで気分が悪くなり、不安な一夜を過ごした。その感覚だけが、今でも記憶に残っている。
帯広合宿を実現させる為に乗り越えなければならない幾つもの障壁があった。旅費もその一つだ。
空路が早くて快適なのだが、親の負担を考えると論外。調べた結果、フェリーが最も安上がり。
往復2昼夜を要すが、大洗-苫小牧間のフェリーと、苫小牧-帯広間のJRの運賃がほぼ同額。
遠い北海道を選手に実感させ、共に過ごす小さな空間がチームに何かをもたらす。そうも考えた。
ダア自身、船酔いを思うと腰が引け気味だったが、帯広合宿実現への思いがそれに勝った(笑)。
往路は低気圧の影響とかで大きく揺れた。帯広到着後も何日か揺れの感覚が残っていた(笑)。
伊豆大島の時は、大きなうねりに苦しめられたが、全長200m近いフェリーは様子が少し違う。
船の全長がうねりの波長を大きく上回り、うねりが相殺されるのか、上下動はさほど感じない。
遊園地のジェットコースターなどでも上下の動きが恐怖心を煽るものだ。その点は少し楽だった。
波のエネルギーを船腹に受けて左右に横揺れし、ふらふらと廊下を酔っ払い状態で歩く(笑)。
船内の大きな湯船は、チャップン、チャップン波立ち、浮かぶ身体がゆらゆらと揺れる(笑)。
幸いにも1部屋を独占使用出来て、めし、ふろ、ごろ寝、船内散策とゆったりと時間を過ごせた。
復路は波も穏やかで快適だった。19時間にも及ぶ船の旅は、復路に大きな意味を持っていた。
ふと、北海道とのタイムトンネルに感じられたのだ。もし、短時間で茨城に戻っていたら…
心を帯広から切り替えることが出来ず、いつまでも引きずっていた。それ程素晴らしい合宿だった。
長いタイムトンネルを抜けて来たお陰で、茨城での現実に速やかに戻ることが出来たのだ(笑)。
往復とも、選手もダアも船酔いせずに過ごせた。JRで酔ってしまった選手が約1名いたけど(笑)。
で、大洗でフェリーから下船した時の第一声「ワー暑い!」期せずして周囲から同じ声が(笑)。
苫小牧では雪が舞っていて「ウー寒い!」だったのに(笑)。北海道は、それ程遠いのです(笑)。

                                              もくじへ


 

「帯広合宿(1)」
・・・2005.04.04

◎不退転
昼食代を除いた全滞在費を先方に負担して貰う、それも8泊と言うとてつもない申し出だった。
言い出したダアは、その時いったい何を考えていたのだろうか。正気の沙汰だったのか?(笑)。
それを受け入れてくれた帯広サイドが何とも凄い。実現までに大変な議論があったに違いない。
何も北海道まで出かけなくたって練習は出来るだろうに… 阿見サイドの親はそう考えるだろう。
「不退転」。実現に向けたメールのやり取りのなかで、この言葉が合言葉になっていた。
失敗は許されない。帯広と阿見の双方に大きく得るものが無ければならない。強い決意だった。
歓迎会に始まり、最後の夜には選手たちだけの焼肉&温泉ツアーまで追加企画して頂いた。
「これだけの練習を求めて出かければ、何倍もの費用が掛かる。」そんな声があったと言う。
だから負担額は我が子の為であり無駄ではない。思ってもみなかった発想に身震いさえ覚える。
練習法の紹介に止まる訳にはいかない。上向きのベクトルが帯広に生まれなければならない。
「ずーっと、同じ事を言われているんだぞ!」帯広4中のS田先生が、選手たちに檄を飛ばす。
合宿も終盤に近づいた頃のことだ。リズム、スナップ、ヒップバウンド… 仰る通りです(笑)。
旭川全中で会ってから、随分と一緒に練習したけれど、ついにダアの練習法を見抜いたか(笑)。
「沈み込みの意味が、やっと分った。」S田先生に話しかける選手の声。やはり終盤近くでの事。
顔を覗き込むと、帯広農高キャプテンのO村だった。もうすぐ両手と言う日々を共に過ごした。
ダアの練習法はシンプル。だから誰にでもすぐ出来る。そして、一年中同じ事を言っている(笑)。
O村のこの言葉、高校生ゆえ重大な意味を持つ。「練習方法を自分たちに考えさせて下さい。」
顧問のY澤先生に申し出たというこの言葉に、何かが変わる気配を感じる。いいぞいいぞ(笑)。
今回の合宿が終わって、インターハイだの全中だのと、口にする資格がやっと出来たと考えたい。
農高、4中が中心になって、上向きのベクトルを帯広にもたらせて欲しい。その始まりなのだ。
ダアの選手たちは実によくやってくれた。技術だけでは無いダアのバドの理解を助けてくれた。
問題は起こらなかったと胸を張る。少し前までトラブル続きだった連中なのに、大きな成長だ。
合宿が成功だったか、ただの思い出作りでしかなかったのか、その答えは、8月に出る。

                                              もくじへ


 

「避花粉」
・・・2005.03.19

今朝のTVニュースで、花粉を逃れて長期滞在する人が増えたとの話題が取り上げられていた。
十勝のどこだかで、3泊くらいで10名程度の募集をしたところ、300名位の応募があったとか、
花粉を逃れて、沖縄の島で暮らす主婦の家賃が月15万円だとか、そんな事が紹介されていた。
猛威を振るう花粉の苦しみから逃れる為に、避暑ならぬ避花粉が真剣に考えられ始めたと言う。
実のところダアは、3泊の帯広・バド&湯治の旅から帰って、毎日そればかり考えていた(笑)。
職場でも毎日、「あーあ、早く帯広に帰りたいなあ」などとつぶやいて、同僚の笑いを取っていた。
ひょっとして、帯広での長期合宿は、ダアの避花粉の潜在意識が強く推進させたものかも(笑)。

選手に聞くと春休みは宿題が無いとの事。10泊もの間、勉強のべの字も無い暮らしはまずい。
で、練習後、クニヒコを連れて問題集を買いに行った。合宿では、みっちりしごいてやるぞ(笑)。
本屋でも、帰りに寄った回転寿司でも、マスクをした人がゴロゴロいた。本当に今年は多い。
迎えに来たクニヒコ母もマスク。曰く、こんなにつらいものとは思わなかった。本年発病です(笑)。
親父もマスクをしていたし、クニヒコもグシュグシュしている。そりゃ花粉の中の暮らしだもの(笑)。
いっそ、ダアと選手たちが揃って、花粉の無い帯広に移住することを検討してみようかな(笑)。
勿論、冗談です。念のため(笑)。でも、避花粉… 一瞬だが、本気になって考えてしまう。
余談だが、クニヒコはダアと行った回転寿司で、2人目の遠慮なし「大トロ」喰いの選手になった。
1人目は兄貴のアキヒコ。共通するのは、「大トロ食べてもいいですか?」悪びれないニコニコ顔。
ダアはこれに弱い(笑)。事前に「アキヒコが遠慮なしに大トロを喰った」と釘を刺したのに…(笑)

                                              もくじへ


 

「ハチロー」
・・・2005.03.18

パソコンでウェブを覗く様になり、更に自分のホームページを始めてからTVを見なくなった。
朝のニュースを新聞と朝めしと、夜8時台の番組を夕飯を食いながら。そんな程度のお付き合い。
薄っぺらなお笑いや、安っぽいドラマが多すぎる気もして、TVから遠ざかってしまう。
声が出なくなった先週の月曜日、昼から早退して寝ていた。薬のせいでいくらでも眠れる(笑)。
遅い夕飯を食べてからも何となくボーッとして、コタツで丸くなりTVの画面に目をやっていた。
番組が変わり、「ハチロー」が始まった。詩人サトウハチローをモデルにした連続ドラマだ。
朝7時前にある「番組のお知らせ」で、その存在は知っていた。唐沢何某がハチローを演じている。
この俳優、以前、偶然スイッチを入れた演劇の、多重人格者の演技に引き込まれたことがある。
男前過ぎてサトウハチローのイメージに合わないなと思いながら、何とは無しに見ていた。
ドラマは、やがて太平洋戦争に突入して行く時代を背景に描かれていて、段々と引き込まれる。

♪ もずが枯れ木で 鳴いている おいらは藁を たたいてる
  綿びき車は おばあさん コットン水車も 廻ってる
♪ みんな去年と 同じだよ けれども足んねえ ものがある
  兄さの薪割る 音がねえ バッサリ薪割る 音がねえ
幾つか挿入歌があったのだが、終盤になって「もずが枯れ木で」が流れてきた。
この歌は、ダアが子供の頃に好んで歌っていた歌の一つで、何とも懐かしい。
他の挿入歌が、唱歌風であったり、当時の音源を使った軍国調であったりするのに対し、
この歌はロック調のアレンジだった。新たに吹き込まれたものなのだろうか、新鮮な印象。
曲への思い入れが伝わってくる仕上がりで、名前も知らないが、歌い手の力量が伝わって来た。
♪ 兄さは満州へいっただよ 鉄砲が涙で 光っただ
  もずよ寒いと 鳴くがよい 兄さはもっと 寒いだろ
8歳違いの兄が、当時流行っていた歌声喫茶に出入りしていたらしく、家に歌本があった。
当時の歌声運動は労働運動と関連深い印象。ロシア民謡とかの他に、数多くの反戦歌があった。
「死んだ女の子」「原爆を許すまじ」そんな歌を、音符を追って覚え、口ずさんだものだ。
「もずが枯れ木で」も3番になって、のどかな田舎の風景が一転して、反戦の歌だと分る。

♪ 兄さは満州へいっただよ 鉄砲が涙で 光っただ
  もずよ寒くも 鳴くでねえ 兄さはもっと 寒いだぞ
ところが番組のロック歌手、3番の歌い方が違う。聞き書きなので、正確ではないかも知れない。
ロック歌手のこの3番が耳に飛び込んだ時、ダアはガーンと激しい衝撃を受けた。何なんだ!(笑)
それは、この歌に対する印象を、根底からひっくり返してしまう、激しい衝撃だった。
どちらかと言えば、絵を眺めるような淡々とした歌だと思っていたものが、そうでは無かったのだ。
子供の頃に感じたこの歌の、核心に触れていないようなじれったさは、ここにあったのだ。
大きな流れから逃れる術を持たない、貧しい農民の、ぶつけどころのない深く悲しい怒り…
どうにも出来ないその苛立ち… それを歌った「もずが枯れ木で」は、全く別の歌だったのだ。
ロック歌手が勝手に変えたとは、とても考えられない。そんな安っぽい発想はしない人と見た。
元々のハチローの詩が、曲を付ける段階や、あるいは歌声運動の中で、補作されたのだろうか。
女声で歌われた場合にも違和感が無いよう、意図して変えたのかも知れない。

今回の教訓。たまには具合を悪くして、大人しくTVなど見てみるものです(笑)。

                                              もくじへ


 

「不退転」
・・・2005.03.16

朝、まぶたの裏に砂でも入ったようなゴロゴロ感で目覚める。喉がヒリヒリと焼け付くようだ。
「あーあ、また辛い一日が始まるのだ。」まじでそう思う。憎き花粉め! 死ね!(笑)
世の中に花粉症が知られる前からの、ベテラン花粉症患者であるダアにとっても、今年はつらい。
「ケナコルト」とか言う注射を打って貰うと、一応、鼻水と目のかゆみだけは止める事が出来る。
が、頭痛、喉痛、鼻腔のピリピリ、息苦しさ、顔のむくみ、瞼の腫れ、全身倦怠などの諸症状で、
息も絶え絶え状態が何ヶ月も続く。誰だ、その昔、杉の植林を推進したと言う偉いさんは(笑)。
ちっとも建築資材として使われてないじゃないか。世の中の動きを読み誤ったな。未熟者め(笑)。
最もその偉いさん、今の花粉症関連産業の隆盛を計算して植林させたとか… な訳ないか(笑)。
花粉で荒れた喉にウイルスが取り付き、先週などは声が全く出ない状態にまで悪化してしまった。
薬を飲んでみれば眠くなり、ホームページの更新など、何にも手に付かない日々が続いた。

調子が出ないのはダアだけではない。2月から3月にかけての選手たち、練習に揃った例がない。
やれ熱が出ました… やれ頭が痛いので… インフルエンザにも人並みに罹患したりして…
練習したいからと辞退させて貰った上三川オープンも、現実は参加出来る状況では無かった。
多い時には半数の選手が休んでしまい、何が練習したいじゃ…と言った感じ。で、今度は花粉。
選手たち、目がゴロゴロする… 喉が痛い… と言っては医者通い。いつまでも練習に揃わない。
ダアは確認に行く訳がないが、まるで紅葉したかのような林、煙のように棚引く花粉なんだとか。
今年は昨年の何十倍もの花粉量だとの事。選手たちを取り巻く環境は、まるで人体実験さながら。
ダアは「ケナコルト」で何とか生き延びているが、この薬、ステロイド系の副腎皮質ホルモン。
喘息などの特効薬のようだが、副作用が心配されるとかで、女性や子供には打ってくれない。
ダアがサボったので、今年のチーム作りは大幅な遅れ。ここは、練習しない訳にはいかない。
つらいことは誰よりもダア自身がよく知っている。症状を初めて体験する選手もいることだろう。
だが、思い余った末「花粉ごときで休むな!」檄を入れる。次の日は全員揃っていた(笑)。

ひょんな事から、帯広で合宿をすることになった。移動を含め11日間を要す一大イベントだ。
先方にもメリットがあって受け入れてくれるのだろう。それには何としても答えねばなるまい。
調整も含め9日間の練習となる。親元を離れての生活でダアの選手も変わらなければならない。
帯広側も、阿見側も、多大な費用と労力を費やす。これで、両者に収穫が無ければ笑いものだ。
「不退転の決意で…」帯広の先生たちとのメールのやり取りで、そんなことを確認したのだった。

                                              もくじへ


 

「帯広・バド&湯治の旅(4)」
・・・2005.02.28

十勝川に掛かる十勝中央大橋を渡ってすぐに「第1ホテル豊州亭」がある。ツアー客が多かった。
未明に目覚め、窓の外を見やると照明に浮かぶ斜張橋が美しい。雪かき車が雪を跳ね上げている。
雪の少ない帯広だとのことだったが、今年は珍しく雪が多いとのこと。3日間は雪が降っていた。
朝風呂を楽しんで、部屋に戻ると空が明るくなっていた。川岸に何をするのか、人がいる。
TVで地元局を見ていたら、何やら鳥の鳴き声が… 白鳥が数羽飛んでいる。あっ!そうか。
で、岸辺に行ってみることにした。100mくらいの雪原は、足を取られたりしてちょっと苦戦。
カモかな、岸辺に一列でじっとしている。白鳥を間近で見ているダア。いかにも似合わない(笑)。
望遠レンズの小父さんが、「向こうに、白鳥おりましたか?」と聞いてくる。一瞬、意味不明(笑)。
ダアが通ってきたところに、白鳥が舞い降りていたか聞いていると判断。「いませんでした。」
Y澤先生が、白鳥に敬語を使っていたのでは?と。「おられませんでした。」が正しかったか(笑)。
朝食はビュッフェスタイル。卑しいダアは、つい食べ過ぎてしまう(笑)。最終日は快晴だった。

部屋に戻ると、雪原で濡れた靴下が、エアコンの噴出し口で踊っている。何とも強力パワー。
荷物を纏め、身支度を整えるとジワーッと暑くなる。部屋の中では、裸同然で過ごしていた。
ホテルの玄関を出ると、涼しい空気が頬に心地よい。柱の寒暖計が「-8.5℃」(笑)。
池田町の「ワイン城」へ。十勝ワインの産地。試飲も出来たが何故かぐっと我慢のダア(笑)。
みやげ物を売る店だろうか、寄ってみる。ブドウジュースが美味い。十勝石のオブジェが高い(笑)。
T字型の万華鏡に心引かれる。オイルの中をゆっくり流れ落ちる色粒。覗くと連続的に変化する。
ここの名産とは決して思えないけれど、楽しかった「帯広・バド&湯治の旅」の記念にと購入。
「ハッピネスデーリィ」手作りアイスとかの農産物を売る店。この手の店の開拓者だとか。
帯広農高の卒業生で、バスケ部の顧問に事業の成否を相談していた。とY澤ガイドの説明(笑)。
Happiness Dairyの「r」を「l」に変えれば「ハッピネスディリィ:幸せな日々」となる。
何とも素敵なネーミングだ。もっとも、ダアの勝手な解釈で、本当のところは分からない(笑)。
とても美味しかったが、観光客に混じって近くの池田高校生が2人。授業中じゃないの?(笑)。
「六花亭」に寄って、みやげのストロベリーチョコを買う。空港限定販売の筈と、ひと悶着(笑)。
フリーズドライしたイチゴが丸ごとホワイトチョコに包まれている。見るからに美味そうな菓子だ。
昼食は、S田先生の奥さんの実家「遊美館」で焼肉。Y澤先生には、健啖家と言う別の顔がある。
平たく言えば大食い、注文も半端じゃない(笑)。矢継ぎ早のオーダーに怪訝な顔をするダア。
察した美食家先生、「さがり」と言うのは本州で言う「はらみ」のことです。と解説してくれる。
「しょうらいすうって何ですか?」何のことは無い、「小ライス」で「半ライス」のことだった(笑)。

空港までの道は、雪原を見ながら少しだけ感傷的に。「大正」に続き「昭和」の標識。
「明治はありません。」とY澤ガイド。「幸福寺」の表示に、寄りたかったとちょっと心残り。
「愛国駅」から「幸福駅」と巡り、いっぱしの観光客を演じて、とかち帯広空港へ…
帰って来た茨城は、花粉が飛んでるし、体育館はとても寒いし、職場も省エネでうすら寒い。
「豊州亭」の露天風呂では雪の庭園に出る事を躊躇したが、意を決して扉の外へ。
湯船にたどり着くまでは死ぬかと思ったが、たっぷり温まった後は零下の気温が心地よかった。
帯広では、十分な暖房でほてり状態だったから、冷凍庫の中も寒く感じなかったと言う訳だ。
あーあ帯広が懐かしいな(笑)。「ラクレット」の「ラクレット」も、もう一度食べてみたいな(笑)。

                                              もくじへ


 

「帯広・バド&湯治の旅(3)」
・・・2005.02.27

朝風呂を楽しんで、朝食は美味しい洋食セットで満足し、荷物をまとめてチェックアウト。
Y澤先生の車で、帯広4中へ。午後の中学指導者向けの講習会はフットワーク中心という事で、
S田先生の熱望により、ダブルスのフォーメーション練習とサービスダッシュの練習に挑戦した。
午後の講習会を思うと、やはり目の前が暗くなるような動きに、ダアの口調もきつめになる。
一生懸命な選手に神様が力を貸してくれたのか、やがて霧が晴れるように練習が回りだす。
ふと、目の前に繰り広がる北海道のバドと、いつもの茨城のそれとの違いに思いを馳せる。
先生の熱心さ、生徒のひたむきさ、そんなものにどうしようもない隔たりを感じてしまう。
勿論、全てを見通した訳ではないので、独断と偏見に満ち溢れているだろう事は承知の上。
昨年暮れに十勝中学生選抜が来訪した折、日程の都合で初日の最初の練習を阿見中で行った。
始まって20分も経たない頃に「完全下校」の放送が… 帯広の先生たち、とても驚いていた。
北海道では、夜8時までとか普通に練習しています。茨城だって昔はそうだったんだけどね。
今じゃやろうにも出来ない。ダアのところは、学校の管轄を離れて社会体育の隠れ蓑なのです。
そうするには何か理由があっての事だろうけれど、何か大切なものを見失っている気がする。
熱心な顧問、一生懸命な生徒、両者が研鑚する場を無残にも奪ってしまったのではないか。
顧問は、生徒を教えることによって成長するし、目的を持って部活をするから生徒も曲がらない。
生徒の心の栄養について考えが及ばない輩の言い出した、愚挙と言ったら言い過ぎかな。
そう言えば「少年閑居して不善を成す」なんて言葉もあったよね。ダアは自身で実感した(笑)。
最近も、「ゆとり」とかで週休2日制を導入し、学力が落ちたからと言って見直そうだなんて…

「かわ奈」で中学生との昼食会。お城とか言っていたが、見上げると雪を被ってシャチホコが鎮座。
実は4中のK原の家。割烹なのかな、宴会で使うことがあるとY澤先生が言っていた。
2階座敷に席が用意されていた。K原くん、豚(ぶた)丼にセットのソバかウドンの注文を取る。
晴れがましい表情が初々しい。まとめ方がヘタとS田先生。二人のやりとりが微笑ましい。
テーブルに用意された飲み物が「子供に飲めるか」従業員に聞いている。それがキリンレモン(笑)。
このK原選手、練習中に1本だけ目も覚めるショットを打っていた。181cmサウスポー。
ダアのクイズに、答えを教えないでと頑張ったU重は、大会で頼りになるタイプ。かな?(笑)。
K村はセンスが一番、頑張れると強くなる。T田はもっと欲を出して向かっていくといいな。
N村は中心選手としてチームを引っ張らなければなるまい。是非、岐阜で再会したいものだ。
豚(ぶた)丼は、タレで焼いた豚肉を蒲焼風にご飯の上に乗せた逸品。美味しかったです。
午後の講習会は、フットワークの成り立ちから、各種ストロークの紹介を行った。
2日間とも準備無しで地元の選手を使っての講習会だった。出来栄えをそれは心配しましたよ(笑)。
熱い指導者の熱意に煽られ、真摯な選手たちに乗せられて、それなりの形は整ったと思う。
終了後、Y澤先生、S田先生と十勝川温泉「第1ホテル豊州亭」に向かった。これこそ湯治だ(笑)。
いかにも温泉旅館と言った風情。温泉は「ふく井ホテル」より薄め、よく言えば癖が無い。
館内を浴衣1枚で歩いても寒さを感じない。最初の夜と同じ3人だけの乾杯。美味しい料理。
尽きないのか、またもやバドの話(笑)。車で遠路を帰途中のS司先生に電話してはしゃぐ(笑)。

                                              もくじへ


 


「帯広・バド&湯治の旅(2)」
・・・2005.02.26

ビジネスホテル風だが、全体にゆったりしている「ふく井ホテル」。浴衣のまま、朝風呂へ。
朝食は、2Fのレストラン。窓の外では雪がちらちら舞っていて、いかにも北の国と言った風情。
朝粥セットをオーダー。品数も多くボリュームたっぷりで、しかも美味い。朝から満足(笑)。
約束の時間に間があるので、ホテルの周辺を歩いてみる。元祖豚丼の看板。寒さは感じない。
Y澤先生の車で、帯広農高へ。中学生は大会だそうで、今日は高校生を相手にした練習会。
日本で2番目(平地では1番)に広い敷地だとかで、正門を抜けてもしばらく校舎が見えない。
体育館は、暖房が効いていて暖かい。全道が学区で、バド部では50kmの通学者が最遠とか。
一応フットワーク中心でと考えていたが、とりあえずオールショートの相手をしてみる。
午後は、高校の指導者向けの講習会が企画されているとのことだが、目の前が真っ暗になる。
ノータッチの山なのだ。ラリーが続かず、フットワークもコートいっぱいをカバー出来ない。
もたつく講習会が頭をかすめる。後で聞いた話だが、Y澤先生は激震状態だったとのこと(笑)。
曰く、今日のために約1ヶ月間、ダア的フットワークを練習した。あれは、何だったんだ(笑)。
気を取り直して、フットワークの原理から説明。イチニのリズム、ヒップバウンド、スナップ…
結果を言えば、午後には出来るようになっていて、講習会はまずまずの出来栄えだった。
熱心な指導者は午前中の練習から参観していたが、ダアの練習法を魔法のように感じた由(笑)。

「ランチョエルパソ」で高校生と昼食。ウェスタンスタイルの軽食の店。ソーセージが美味かった。
ところでY澤先生のガイドは秀逸。この店の経営者と帯広農高との関係を説明してくれる。
豚(ぶた)丼は帯広が発祥の地だとか、何処へ行ってもあれこれと歴史や由来を説明してくれる。
講習会終了後、帯広4中に移動。大会が終了した中学生と、軽い練習会を企画して貰ったのだ。
昨年暮れに阿見に来た4人と再会。初対面の選手もニコニコ顔で迎えてくれて、とても心地よい。
S田選手が故障で練習出来ない。彼に限らずだが、一生懸命に取り組む姿勢が大好きな選手だ。
阿見に来た時、最初の練習を一目見て、腰に故障がくるフットワークだと指摘した。悲しい的中。
夜は、「ふく井ホテル」で懇親会。やはりと言うか、このホテルの料理は評判。とY澤ガイド(笑)。
十勝バドミントン協会の赤川会長を始めとして、小・中・高と大勢の指導者が参加してくれた。
赤川会長は講習会にも顔を出して頂き、ダアの滞在にも多大なご支援を頂いた。多謝多謝。
懇親会は、料理は勿論のこと、熱いバドの話を堪能したのだが、何とも素敵な紹介があった。
余市西中のS司先生、島牧中のY村先生。何と片道6時間以上もかかる遠方からの参加だと言う。
いやはや、熱いです。帯広大谷高のI澤先生などは、ダアのビデオを買うとまで言っていた(笑)。
「ふく井ホテル」に連泊。モール温泉をゆっくりと楽しむ。土曜日だからか昨日よりは客が多い。

                                              もくじへ 


 

「帯広・バド&湯治の旅」
・・・2005.02.25

搭乗口を目指して案内を進むと、何だか見たことのあるような場所を通る。羽田空港でのこと。
最後のエスカレーターを降りて、待合室の椅子の並びで思い出した。旭川全中の時と同じだ(笑)。
帯広4中のS田先生に初めて会ったのが、その旭川全中。もう一昨年の夏になってしまう。
団体戦が終わったソファーで、放心状態だったダアに声を掛けて来た。それが縁のお付き合い。
その秋9月の全日本Jr.(神戸)で再会し、その後、1年間に何と4回も阿見まで来てくれた。
「今度はダアが伺いますよ。」と言うわけで、今回の「帯広・バド&湯治の旅」が実現。
宿もスケジュールも先方任せの、お気軽気分。だが、事前のメールで、極寒地獄を脅かされる(笑)。
脅かすのは、帯広農高のY澤先生(笑)。昨年暮れの十勝中学生選抜来訪に帯同し阿見に来た。
曰く、本州出身の同僚が11月の農業実習で凍傷… 別の同僚は滑って転んで、何度も骨折…
で、アメ横で冬山登山用の顔面マスクを購入。装着タイプの滑り止めは、帯広空港で購入しよう…
手袋は2枚重ねで、靴下に足袋を重ね履きして… 対策万全で、かばんが丸々と太っている(笑)。
搭乗口に現地気温の表示「-7℃」。生きて帰って来れるんだろうか? ふと、不安がよぎる(笑)。
夏の北海道は全中で3回、でも冬は初めて。狭いシートで固まっていると、鼻がピリピリ。
「室内花粉の80%は衣服が持ち込む」JRにあった広告。機内にすし詰めの乗客だもね(笑)。
現地気温「-10℃」と機内放送。もう引き返せない。いざ行かん!冷凍庫の中へ(笑)。

無事、とかち帯広空港到着。ランディングブリッジを渡っていると、さすがに冷気が伝わってくる。
空港ビルに入ると、すぐに出口。Y澤先生とS田先生が身を乗り出して待っていた。
「本当に来てくれたんですね。」「お世話になります。」あいさつもそこそこ、車に向かう。
滑り止めを売っている筈の売店が見当たらない。「その靴で大丈夫でしょう。」買わずに外へ。
「今の気温は当然、氷点下ですよね?」思ったより寒くない。ちょっと拍子抜け状態(笑)。
市内への道路は雪景色。「ふく井ホテル」へチェックイン。帯広駅の明かりが間近に見える。
とりあえず荷物を置いて、歩いて数分の「ラクレット」へ。チーズの美味しい店だとか。
ヒータで熱したチーズを、ポテトやサラダにとろーり垂らした美味しそうな料理。ワインで乾杯。
気さくな親父がいろいろ説明してくれる。店名は、チーズの名前がそのままなんだそうで(笑)。
「ご夫婦ですよね。」ダアの問いかけに、「弟だと言い張ってます。」奥さんが口を挟む(笑)。
打ち合わせとの名目で設定してくれた3人だけの席。心が和む。チーズもワインも美味かった。
「ふく井ホテル」はモール温泉の湯元。世界でドイツと、この辺りだけにしかない温泉だとか。
堆積した古代の植物層を通っているとかで、茶色で弱アルカリ性。ぬるぬるする泉質が心地よい。
大きな浴槽を独占し、ゆったりと湯治気分。スチームバスと交互にたっぷりと楽しんだのだった。

                                              もくじへ


 

「野風増(2)」
・・・2005.02.23

歌詞に感激していると、「野風増」の意味を説明してくれる。マコトの親父はミツオの同級生だ。
ミツオは、今の学校だったらレッテルを貼られかねない程の「やんちゃぼうず」だった。
2泊の遠征の帰りに家まで送った時のこと、居合わせた母ちゃんが「どこへ行っていたんだ?」
言わないで出掛けてしまった子と、友人宅にでも泊まっていると考えていた親。すごいよね(笑)。
誰彼なく噛み付いてしまうミツオの口癖が、「おかしいとは思わないかい?」ダアに聞いてくる。
「おかしいとは思いませんか?」丁寧なこともあったが、何とも似合わない言い回し(笑)。
卒業してからも、このフレーズは何度も聞かされた。喧嘩っ早いところもあるけれど、いいやつだ。
その友人だったから、マコトの親父を「ワルだった…」などと、からかったりもする(笑)。
と、「ミツオだって、今では優しい家庭を築いているかも知れないでしょう?」説教される(笑)。

選手たちの親と楽しく呑んでいると、マコトの親父はダアの隣に座ることが多い。なぜ?(笑)。
「疲れてないですか?」言いながら肩を揉んでくれたりする。人懐っこい、いい人です(笑)。
「吸い込みが悪い」と酒を勧めたり、「世の中、おかしいですよね」と話題の中心にいたりする(笑)。
もうすぐ卒業するマコトは県外に進学する。この親父、マコトと呑む日を楽しみにしているのだろう。
もっとも、二十歳になるまで待つことができるか、この部分、若干の危惧はありますな(笑)。
今のチームを作っていて、悩み迷うことが多い。そんな時、マコトの意見を聞いたりする。
ダアの考えを後押しする的確な意見を言ってくれるものだから、とても参考になる(笑)。
そんな時、椅子にふんぞり返っているダアの傍らに寄り、話しながら片膝立てで座ってくる。
ダアを見下ろさないようにする、さりげない気配りだ。何かにつけて気配りの出来るいい子だ。
どうしたらこんな風に育てることが出来るのだろう。この親父、唯の呑べえだけではない(笑)。

CDはクニヒコの親父が持っている由。ダアの新境地を開くレパートリーとなります(笑)。

                                             もくじへ


 

「野風増」
・・・2005.02.22

1月の、とある寒い日。午後の練習をさぼって、選手たちと湯ったり館へ出掛けた。
ポカポカ気分で帰りの車に乗り込もうとした時、見計らったように携帯電話が鳴った。
耳に当てると、クニヒコの親父。まさに、帰りの時間を見計らっての電話だった(笑)。
いつもの場所で呑み始めたところだとかで、来ないかと。二つ返事で、行きますと(笑)。
マコトの親父と二人で昼間っから呑んでいたようで、河岸を変えたところのようだった。
ダアが一緒だと言って、ヒカルの親やマサヨシ母までも呼び出して、いつもの大騒ぎ(笑)。
で、お約束のカラオケタイムは、マコトの親父にリクエストされ「メリージェーン」に挑戦。
以前、コバヤシさんが歌ったのに触発され、レパートリーに加えたのだが、忘れてる状態。
で、今度までにきちんと覚えてきますと言ったら、次の呑み会が設定されたのだった(笑)。

途中、ユウキの親父を交えて軽く呑んだ日があったりして、当日はメンバーが増えていた。
親父たち4人は1級違い。ダアを中学生の頃から知っていて、バド部の誰々と同級などと言う。
親父たち、上級生が下級生のことを呼び捨てにしてたりして、何だかとってもいいムード。
フランクな雰囲気で、ダアはすっかりくつろぎ気分。しばらくすると歌合戦の始まり始まり(笑)。
ダアは、のど試しに「しあわせになろうよ」を一発。何とか歌えたが、伴奏が気に入らない(笑)。
「メリージェーン」はと言えば、さほどの盛り上がりもなく、あまたの曲に埋没していた(笑)。

♪ お前が20歳になったら 酒場で二人で呑みたいものだ
   ぶっかき氷に焼酎入れて つまみはスルメかエイのヒレ
♪ いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい
   いいか男は 大きな夢を持て
   野風増(のふうぞ) 野風増 男は夢を持て

マコトの親父が歌ったのが「野風増」。昔、TVで河島英五が歌っていたのを目にしたことがある。
その当時はリフレインしか印象になかったが、この日は歌詞がストレートに心に入ってくる。
「しあわせになろうよ」では、中学生とバドを始めた頃の気持ちを思い返そうと思った。
毎年の繰り返しに疲れ、いつしか新鮮さを失ってしまった心に、大切なものを呼び戻そうと思った。
「野風増」に歌われている景色を知って、いつしか置き去りにしてしまった心を思い出した。
選手たちは、自分の力で大きく育っていくものだ。ダアは、その為に手助けをすればいい。
いつの頃からか、ダアは力ずくで選手たちを引き上げようとしていた。兎に角、言う通りにやれ…
それが確実な早道だと思っていた。だが、思い通りにやれない選手に、いつもいらついていた。

それにしても、歌に出会うたびに心を動かされて… ダアは少しばかり情緒不安定かも(笑)。

                                              もくじへ


 

「PDFファイル」
・・・2005.02.07

「練習法」は練習で使っている言葉を、そのまま纏めたものだ。内容の説明は記載されていない。
小冊子にして選手に持たせているが、練習の全体像を確認するためにダア自身も持ち歩いている。
何かの議論の出発点になればと思い、事あるごとに、お会いする方々に手渡したりもする。
新チームの9月には必ず見直すし、新しい発想が生まれた時などにも改定したりする。
「練習の今」を反映させているつもりなのだが、卒業すぐのOBにも意味不明だったりする(笑)。
先日、県西の中学校の顧問が練習見学に来た。初対面だと思っていたが、選手は顔見知り。
何でも、茨城全中の決勝戦で主審を務めてくれたりしたと言う。ダアも会っていることになるか(笑)。
Y中のH野先生。熱心にメモを取りながら、ダアと選手のやり取りに耳を傾けている。
ふと見ると、「練習法」のコピーを手にしている。それが、何とも古いバージョン(笑)。
聞くと、前任顧問のI山先生からコピーを貰ったとのこと。このI山先生、大昔にお会いしている。
音楽の先生なのだが、スナックで Oh my little girl を歌っていた。関係ないか(笑)。

バド?な日々のコンテンツに「練習法」を考えた時、最新版をダウンロード出来るようにしたかった。
現在進行形の議論をするならば、「練習の今」を反映させたいし、それよりも古い版が手元に無い。
時に、「練習法」のコピーが欲しいとのメールを頂くことがあるが、その対応にもなる。
となれば、アクロバットリーダー。ところが、PDFファイルを貼り付けることが出来ない。
ダアの年代だと、パソコン関連は解らないことばかり。何度か試みては挫折の繰り返し。
千葉県のM林さんに聞けばきっと教えてくれる。そう思うのだけれど、行動が伴わない(笑)。
結局は、原紙としてハードコピーをメイビスの筒に入れて、岡山へ持って行ったりしている(笑)。
近いうちに、真冬の帯広へ「バドと湯治」の旅にでることになった。今度こそはと、一念発起(笑)。
で、何をしたか… ネットで検索。以前、同僚に本の名前を検索して貰ったことの水平展開だ。
「ホームページビルダー PDFファイル」と書き込み、検索をかけると… あるある(笑)。
で、何とか初志貫徹(笑)。何のことは無い「練習法.pdf」と言うファイル名がいけなかった。
HPを作ろうとした時、画像が添付出来なかった。その時も画像のファイル名が全角だった。
情けないことに、その時の経験が水平展開できなかったのだ。また一つ、勉強をしました(笑)。

帯広のY澤先生、S田先生。
と言うわけで、今回は最新版の「練習法」のコピーを、そちらで用意して下さいね(笑)。

                                              もくじへ


 

「しあわせになろうよ(2)」
・・・2005.02.05

ダアは、「練習の考え方」などと偉そうなことを「練習法」のページに書いている。
改定作業で久しぶりに目を通すと、何とも照れくさく、思わず頭を掻いてしまう(笑)。
その文面からは、こざかしくて、まだ元気一杯だった頃のダアがしのばれる(笑)。
めったに目に触れないところに、ひっそりと記載されているので、ここに転載してみる。

 ① 練習すべき項目の抽出
   目指すバドミントンを、フットワーク、ストローク、戦法の観点から解析し、構成
   要素を抽出する。
 ② 練習すべき項目のキーワード化
   抽出した各要素に可能な限り符丁をつけ、練習メニューのキーワード化を図る。
 ③ 試行錯誤による練習遂行
   キーワードを駆使し、ねらいやポイントを理解させ、意識させながら、練習を進める。
   試合練習が部分練習の理解を助け、部分練習が試合練習の質を向上させるので、
   練習は部分練習から試合練習へと進展させるのではなく、量と質を変えながら初期
   より併用する。キーワードがうまく機能すると、練習のちょっとした場面でもプレーを
   止めることなく、ねらいやポイントを再認識させることができる。
   また、大会等で自分を見失っている選手にちょっとした仕草や言葉でヒントを与える
   ことも出来る。最後は選手に任せたほうが良い結果が得られ、そのように仕上げる
   べきである。
 ④ 練習とは・・
   理想(目指すバドミントン)と現実(選手の技量)のギャップを埋める作業である。
   そのために必要と思われること、考えつくことは全て練習する。選手の技量を、
   それを構成する一つひとつのパーツにまで細分化し、練習でそれらを磨き、さらには
   新しいパーツを加えて、プレーの裾野を広げる。練習ではそれまでのやり方を否定
   したり、時には仮説に則ったそれまでにない試みをする事がある。
   練習を進めていくと次々と新しい課題が見えてくる。その都度練習法を工夫し矯正
   していくが、私の根気がどこまで続くか選手がどこまで真摯でいられるかが到達点を
   左右することになる。

中学生とバドミントンを始めて、いろいろ考えて、工夫することが、本当に楽しかった。
まずは、関東大会に出してやること、出来れば全国大会でメダルを取らせてやること…
そんな目標で、日々を過ごした。それが身の丈にあっていると、今更ながらに思い知る。

♪ 出会った頃の二人に も一度戻ってみよう
  そして二人で手をつなぎ しあわせになろうよ
♪ 初めて出会った場所に も一度戻ってみよう
  そして青い空に抱かれ しあわせになろうよ
リフレインが繰り返し、繰り返し頭の中をよぎる。でも、戻れるんだろうか…

                                              もくじへ


 

「しあわせになろうよ」
・・・2005.02.02

終業時間が近づいたある日の夕方、胸ポケットの携帯電話がブルブルと震えた。
「今、焼肉屋にいるから出て来ませんか?」ダイレクトスポーツのコバヤシさんからだ。
一人で飲み始めようとしていて、練習の無い日だったダアを思い出したとのこと。
雑用を片付けようと考えていたのだが、二つ返事で誘いに乗り、チャリですぐの、その店へ。
通りに面したその店は、いかにも気さくな感じだった。扉のすぐにコバヤシさんが座っていた。
最近のダアに元気がないと気遣ってくれる。元気を出して貰うために誘ったと笑っている。
YKK九州にいるヒロキが、生まれる前からの知り合いだから、随分長い付き合いだよね。
ミニコンポから長渕のライブが流れている。チューハイで乾杯。豚シャブに箸を伸ばす。
切り盛りするのは友人の奥さん。キムチを自分で漬け込む。若くて美人。いい店だ(笑)。
長渕や尾崎が好きでカラオケが大好きだとか。今度、アイ・ラブ・ユーを、と軽くジャブ(笑)。
久し振りのシチュエーションに心が開く。酒にも、会話にも、音楽にも… 心地よく酔う。

♪ 出会った頃の二人に も一度戻ってみよう
  そして二人で手をつなぎ しあわせになろうよ
流れる歌詞が、やけに心に引っかかる。しばらく前に、ヒカル母の車で聞いた曲だ。
その時は、いかにも長淵だなと感じただけだが、今のダアには、ずっしりと響くものがある。
察したのかコバヤシさん、中学生と出会った頃を思い出して… 初心に戻って… などど(笑)。
で、今からカラオケで歌うから、ダアのレパートリーに加えろと… そう、のたまう(笑)。
で、営業中の美人奥さんは勿論ダメで、子供の食事に現われた旦那も所用があってダメで…
結局、2人で近くのスナックへ繰り出す。阿見のスナックで飲むのも久しぶりのことだ。
で、コバヤシさんの「しあわせになろうよ」リフレインはともかく、バースがイマイチかなと(笑)。
で、ヒカルに言ってCDを持って来て貰い、一応、レパートリーに加えることが出来ました。

♪ 海の広さに負けないように まぶしい太陽をにらんでみた
  ずぶぬれの僕は魚になり あの島まで泳いでいった
何と、あの時のコバヤシさん、長淵に成りきって歌っていたのでした。失礼しました(笑)。

                                              もくじへ


 


「心の栄養(3)」
・・・2005.01.29

縁があって中学生を教えるようになった頃、ダアの世界が広がり、多くの人々と出合った。
10年を「ひと昔」と言うならば、「ふた昔」を足してもまだ足りない、大昔の話だ。
まだ若く、意気盛んだが小生意気だったダアを理解し、支えてくれた人々が何人もいる。
古き良き時代の教師像そのままだったT先生も、その内の1人だ。
当時のバド部は創部したばかり、夏の総体が終わると部員ゼロと言った事態になった。
そんな時、T先生は「のら部」と呼ばれていた数人の生徒を勧誘してくれたのだった。
「のら」は「のら仕事」の「のら」。部活に所属せず、その多くはエネルギーを持て余していた。
いわく「熱心な指導者がいるから、お前ら、バドミントンをやってみないか?」
所属していた部活が、何か物足りなくて「のら部」になったような彼らだったから、
熱心な(笑)ダアとは馬が合った。2年生の9月に入部、新人戦こそ勝てなかったが、
夏の総体では県1位になっていた。彼らは高校でバド部を創設し、インハイ出場も果たした。

前任校で、(別の競技だが)全国大会に出場させた経験のあるO先生も熱心な人だった。
その競技、ダアも高校の1年間かじったことがあり、中学生と一緒に練習したりした。
バド部の新任顧問とトラブッた時には、話し合いの席をセッティングし、和解させてくれた。
ある時、そのO先生がダアに話があると言う。O先生の部のKと言う選手のことだった。
体格的に、今の部では大成しない。バドをやらせたら、どうなるだろうか? そんな話だった。
結局、本人の意思を尊重し、転籍はならなかったのだが、そんな発想が出来る時代だった。

一つの部活には、その活動のために適正な部員数がある。多すぎても少なすぎてもいけない。
そのために、かつては部活間で部員数の調整が行われたりすることがあった。
勿論、本人の意思を尊重してだが、適性などを考慮して親身になって考えてくれる顧問がいた。
部の数だけある「経験のチャンス」を無駄にせず、生徒に提案する。そんな良心があった。
「そんなことを言い出したら、大問題になる。」いつの頃からか、そんな声を聞くようになった。
「好きな事をやらせてくれないなんて、とんでもないことだ。」そんな抗議が、殺到すると言う。
好きな事をやっていれば、本人が喜び、だから、それでよしとする。本当にそれでいいのだろうか? 
そこに何があり、それは子供の成長に役に立つものか。そんな視点は必要ないのだろうか? 
学ぶ喜び、向上する喜び、競う喜び、達成する喜び… 時には泣いたり、嘆いたり…
挫折も含めた、そんな日常の生活を栄養源として、子供の心は成長を遂げて行くのに…

                                              もくじへ


 


「心の栄養(2)」
・・・2005.01.28

バドに、普段の顔を持ち込んだり、自由気ままに振る舞うことを、ダアは嫌う。
「ちょっとした心構え」を持つことや、「ちょっとだけ姿勢を正す」事が重要だと考えている。
もっとも、だからこそ時代の寵児である彼らと、毎年毎年、心の格闘をするはめになってしまう。
「つなみ」の様に繰り返し襲ってくる時代の気分に、やがて傷つき疲れ果ててしまうダア。

子供が欲しがるからと言って、スナック菓子ばかり食べさせて、それで栄養面が事足りている。
いくら無頓着な親だとしても、誰もそうは思わないだろう。当たり前のことだ。
子供の健全な身体の発育のために、食生活の面では親や大人の意識が及んでいるし、分り易い。
面白がっているから… おとなしく遊んでいるから… 手間が掛からないから…
そんな理由で、子供の心の趣くまま、好き勝手に行動させてはいないだろうか? 
子供は、遊びやそのほかの諸々の生活の中で、心の成長を遂げているのだ。
この単純な原理を、僕たち大人はつい忘れ勝ちになる。しかも心のそれは見えにくい。
子供の「心の栄養」にもっと気を使うべきではないか。心の成長に必要な栄養と言う意味だ。

チーム作りと言うものは、選手の心の中に入り込まないと出来ない。
何年も前のことだが、チームがどん底状態だった時がある。関東大会出場を逃した年だ。
トラブル続きの中で、家庭訪問を繰り返したりした。選手とのやり取りを聞いた親が驚いて言う。
「この子は、何でこんなことを言うの。」 初めて知った我が子の心の内。
「こんな子に育てたつもりは無いのに…」 そんな印象だった。
腹が減った。小遣いをくれ。極端すぎるかも知れないが、必要最小限の会話。心は友達との遊びに…
大人や年長者の目の届かない生活… その中で、心は親の考えの及ばない世界へと育って行く。
「我が子の言動が理解出来ない。」 「どうしてこうなったのか見当が付かない。」
最近でも耳にする。心身共に健全に育成する。まさに、心と身体の健全な育成なのだ。
本気になって「心の栄養」を考えないと、取り返しの付かない事態になるのではないだろうか。

                                              もくじへ


 


「心の栄養」
・・・2005.01.27

たまには1年生と飯を食おうと言うことで、夕食会を設定した。当日の練習中のことだ。
もうすぐ後輩たちがやってくるし、遅れ気味の1年生の成長を促す。そんな意図もあった。
何やら予定がある様子だったが、とりあえず4人の都合を合わせた。そのつもりだった…
自転車組の3人を早めに帰し、Oの親の車で、Iの家に寄った。ところがまだ帰っていない。
いやな予感。帰宅しだい送ると言うIの親の言葉に、とりあえず約束の店へ向かった。
地元ゆえ自転車で来るよう指示したKとSは、やはりと言うか、いない。いやな予感が的中。
間もなく到着したIによると、買い物に行った店に目当ての品が無く、そこで別れたとのこと。
ところが、いくら待ってもやって来ない。恐縮するKの親によって大捜索が開始された。
結局、隣町の店で発見したとかで、緊急移送。寒空の中、約1時間の待ちぼうけを食らう。
さすがに気まずいのか、注文出来ずに立ち尽くす2人。楽しい筈の夕食会はズタズタ状態。
何とか食事は済ませたものの、年代にそぐわない沈んだ雰囲気に店員までが気を使っていた。

重苦しい空気を引きずったままY小学校へ移動。小学生の練習日だ。親の迎えもここに頼んだ。
この日ダアは、小学生の相手をするつもりだった。が、さすがに気が重く椅子に固まっていた。
アユミとアユムのチェックもこの日は遠慮がち。きっと近寄りがたい雰囲気だったのだろう。
いつものように、まるで託児所状態な練習を見つめながら、ダアはある感覚を反芻していた。
それは、何年かの時を経てこの小学校の練習に再訪し、アユミとアユムに出会った日のこと。
表面上は以前と変わらない練習風景なのだが、その時は子供たちの表情に違うものを見た。
恐らくは、家や友達同士で遊んでいる時にするだろう表情を、そのまま持ち込んでいたのだ。
いつの頃からだろうか、多くの子供達に共通する表情…  この日も、目の前にその表情が…

何かが好きで、物事に取り組む。大切にしたい心の動きだ。キラキラと瞳が輝いている。
だが、好き嫌いだけで行動することには、大きな問題を感じる。わがままと言い換えてもいい。
それが全てだとは言わないが、「がまん」することや「がんばる」ことが、大切なのではないか。
約束を平気ですっぽかす。あるいは念頭にさえ留め置けない。根っこは同じだと感じる。
椅子に固まったダアはいつしか、「心の栄養」と言うことに思い及んでいたのだった。

                                              もくじへ


 

「思い込み」
・・・2005.01.13

♪ 村の渡しの船頭さんは 今年60のお爺さん 歳は取ってもお舟を漕ぐ時は 
   元気いっぱい櫓(ろ)がしなる ホラ ギッチラ ギッチラ ギッチラコ
小学生の頃なので、歌詞に記憶違いがあるかも知れないが「村の船頭さん」と言う唱歌だ。
この歌、櫓をあやつる事が「櫓がす」で、その敬語形が「櫓がしなる」長い間そう思っていた。
メロディーが「ろが\し\な\る」と、なだらかに降りてくることもあっての思い込みだ。
水の抵抗で、「櫓が」湾曲に「しなる」のだと気づいたのは、二十代になってからだろうか?
それなら凸型のアクセントで「な」の音程が高い「し/な\る」じゃ! と文句をひとつ(笑)。

中学生の頃、ダアたちの学校に米軍の軍楽隊がやって来た。慰問と言ったところだろうか。
戦後、間もない貧しい時代。「ブンガチャッカ」と行進しながらの音楽は強烈な印象だった。
校庭を縦横に行進し演奏して回る隊員たち。と、一人の帽子が風にあおられ飛ばされてしまった。
校庭にポツンと取り残された帽子。整然と行進する隊員たち。帽子ばかりが気になるダア(笑)。
しばらくして隊列が帽子のそばを通り、かの隊員がさっと拾い上げた。ホッとするダア(笑)。
何事も無かったかのように続く演奏。ダアは帽子が拾えたことに、ひどく感激していたのだった。
突然のハプニング、帽子のそばを通れた幸運。そのことに運命的なものさえ感じてしまった(笑)。
それは、初めて遭遇したマーチングバンドの素晴らしさを、より強く印象付ける出来事となった。
少なくとも40年位は、そう信じていた。40年云々では、少なくともとは言えないか…(笑)。
帽子のそばを通りかかったのは偶然ではなかった。そのことに思い至ったのは、つい最近のことだ。
予期せぬ風に飛ばされてしまった帽子を、やがて隊列の先頭を行く指揮者が見つけた。
複数に分裂した隊列の、約束された進路に影響の無い範囲で微調整し、帽子のそばを通った。
どう考えても、こちらの方が自然だよね。帽子のそばを運命的に通れたでは出来すぎだよね(笑)。

小さい頃のこんな思い込みって、誰でもいくつかは持っていて、結構笑えるもんだね。

                                              もくじへ


 

「貰っていいですか?」
・・・2005.01.08

いつ、どこで、どんな状況だったか詳細は忘れたが、かなり強い印象を覚えた言葉がある。
とある窓口の女性が、ダアが記入した書類を指し「ここに印鑑を押して貰っていいですか?」
「押して頂けますか。」とかの指示系ではなく、「押して貰っていいですか?」と、お願いしてくる。
少し気をつけると似たような言い回し、何だか若い女性を中心に多用されている様子。
ただ、この窓口さん、決してダアと視線を合わそうとせず、何かよそよそしさも感じた。

「熱があるので、練習を休みます。」1年生からの電話。ちょっとムッとするダア(笑)。
同じケースの上級生は「休ませて貰っていいですか?」などと耳触りが違ってくる。
練習を休む、休まないは自分からの視点。観点を変えて、相手の心を考えてみようよ。
教えようと思う心に「休みます。(つまり、行きません。)」では悲しいと思わないかい。
「(申し訳ないけれど、)休ませて頂けますか?」そんな心遣いを大切にしたいな。
中学生に対するダアは、心に感じることをすぐに言葉にする。怒鳴ることの方が多いけれど(笑)。
時にはいいことを言うかも知れないダアの言葉を、選手たちはよく聞いてくれるのです(笑)。

選手たちとの時間を有意義に持ちたくて、あれこれ言う。必要に迫られてと言い換えてもいい。
選手たちの将来に少しでも財産になればと思ったりもする。でも、やっぱり怒鳴る方が多いな(笑)。
教える者と、教わる者の心を通わす会話法が、面識の無い窓口さんと共通だったのが興味深い。
誰もが不機嫌になりがちな今の世。トラブル回避の為に必然から生まれた会話法なのだろうか?
視線を合わせようとしなかったのも、同じ理由だったのかな? でもそれでは言葉とは裏腹だね。
言葉使いの柔らかさに反して、心許さない警戒心を感じてしまう。目を見ての笑顔が大切だね。
もっとも窓口さん、ヤバイ系にも見えるダアを直視しないようにしただけ。かもね(笑)。

                                              もくじへ


 


「十勝と岡山」
・・・2004.12.30

年末の7日間、十勝支庁中学生選抜の来訪、岡山での講習会とあわただしい日々を過ごした。
旭川全中で声を掛けて貰った縁で、帯広4中のS先生とは何度もの交流が続いている。
今回は男女4名の選手に帯広農高のY先生も同行されて、熱い4日間を繰り広げたのだった。
N村も、S田も、M原も、N川も、選手からは一生懸命さが伝わってきて、好印象だった。
初めてお会いしたY先生は、円満な人柄が滲み出ていて、お話していても和むことができた。
昼食に出る時、選手たちが声を上げた。「あっ花が咲いている!」 赤いサザンカだった(笑)。
花を覗き込んで「ハチがいる!」 十勝は今、花も咲いていなければ虫もいないんだって。
掲示板のS先生「北海道に着いたら、マイナス12度でした。」 何とも恐ろしげな北海道です(笑)。
来て頂くだけでなく、こちらからも伺いたいと考えているのだが、やはり冬はやめようかな(笑)。
4日目は、関東高校選抜大会で茨城に来ていた埼玉栄高が、北海道勢の相手をしてくれた。
ダアの選手とも試合させましょうかとO先生。まだその時期ではないですとダア(笑)。
昼で終了し、名残を惜しむ間もなくダアたち7人は岡山へ出発。岡山は3年目になる。
岡山駅の改札口でM先生たちの懐かしい顔が迎えてくれた。選手たちは初対面になる。
岡山の先生たち、名前と顔を見て、昨年来た選手の弟がいますね。はい、S崎とN口です(笑)。
2日間の講習会は、フットワーク練習だけでなく、その次にある練習を重点的に紹介した。
選手が大勢いたせいもあったが、十勝勢の時と比べ手ごたえはやや弱目だった気がする。

岡山市バドミントン協会の行事と言うこともあって、折りしも行われた同協会の忘年会に同席。
会場に着くと、奥まった席に長老とおぼしき3人が鎮座している。市会議員だとのこと。へえ(笑)。
そんなことで驚いていられません(笑)。しばらくしてやってきた2人は国会議員。何なのこれ(笑)。
いかにもと言った若い男2人は、期待を裏切らずに議員秘書。そつなく酌して回っている。
席を移動して談笑している国会さん、ダアと目が合って、知らない男がいるぞと言った目つき。
何だか見たことのある顔だと思ったら、拉致問題でTVによく映っていたI沢副外務大臣とか言う人。
それにしても、市会でも国会でも議員さんたちの「ご挨拶」、良く言えば安心して聞いていられる。
ダア的には、少しは「笑い」や「感動」があってもいいんじゃないかと思うんだけれどね(笑)。
見た目とっつきにくいダアだが、岡山の人々、アルコールが入ってくると話し掛けてきてくれる。
歴史ある岡山だし、ダアの出る幕など無いと思っていたのだが、一家言ありそうな人ばかり(笑)。
仮に来年もまた講習会をやるのだったら、この人たちを巻き込まなければ意味が無いと思った。
でも、やはり止めましょうよK井先生。怠惰に流れるのはお互いのために良くないですよね。
昨年の最終日は瀬戸内の海で遊んだのだが、冬の海は泳ぐのに寒いので今年は止めた(笑)。
では無くて(笑)、チーム作りの最中につき練習会場を用意して貰い、半日みっちりと練習した。

いくらチャラチャラしているダアでも、7日間はやはり疲れた。上野駅で別れて一人、街へ。
でも、疲れすぎてイマイチ乗り切れない。で、2曲歌ってそそくさと電車に乗ったのだった(笑)。

                                              もくじへ


 

「もしも僕の背中に」
・・・2004.12.16

もう、何十年も前になってしまうが、ダアはフォークソングのバンドをやっていた。
初めて出会ったのが、ピーター・ポール・アンド・メアリー、PPMだ。
トラディッショナルな流れを汲みながら、それを芸術にまで磨き上げた…
3人の声が個性的で、それでいて得も言われぬハーモニーを醸し出す。
職場の男女3人が集まってコピーしていたのだが、何とも安っぽいハーモニー(笑)。
で、世の流れもそうだったように、徐々に日本語の歌にシフトしていった。
シンガーソングライターと言う言葉が広まった時代で、幾つもの個性がきらめいていた。
「五つの赤い風船」曲名のようなバンドの西岡たかしが、素敵な曲を書いていた。
「まぼろしのつばさとともに」この曲には、ダアのほろ苦い恋の物語が絡んでいる(笑)。
「もしも僕の背中に羽根が生えてたら」この曲は、軽妙な楽しいものだった。
♪ もしも僕の背中に羽根が生えてたら… 歌い出しがそのまま、曲名になっている(笑)。
コンサートなどでも、ちょっとした「おふざけ」を入れて、息抜きで歌われていた。
でも、お笑いの中に、しっかりと伝えたいものが歌い込まれていたけれどね。

ダアの練習は来るものを拒まない。小学生が来たり、おじさんおばさんが来たりもする。
先日、小4の男の子とそのご両親がやって来た。お母さんからメールを頂いての縁だ。
来るものは拒まずとは言っても、直接ダアが相手をすることは、あまり無い。
選手たちと一緒に練習をして貰う。と言うか、選手たちに他人と練習するチャンスを貰う。
練習方法やその約束事、キーワードなどを説明し、共に練習することが選手たちに役立つ。
相手が年下だったり、自分の親より年長だったり、バドよりも人への対応を学ぶことになる。
くだんのご家族、お父さんも最近バドを始めたとのこと。選手が一生懸命相手をしていた。
初めは人見知りしていた小4男児も、いつしか溶け込んで楽しげに練習していた。
お母さんもラケットを握るのだろうか? でもこの日は、ダアとおしゃべりするだけ。
後日、頂いたメールに「子供って、いつしか背中に羽根が生えて、飛びたつものだ…」
ダアがそう言ったとあった。済みません覚えていません(笑)。
きっと、自分の選手に一生懸命で、気もそぞろだったんです。と、言い訳(笑)。
「センスに欠ける息子だ。」メールにそうあったけれど、そんなことは無いとは思いました(笑)。
で、無意識に「羽根が生えて…」と口にしたのだと、推測するのであります。はい(笑)。

子供って、本当に飛べるんじゃないかと思うくらい、飛躍することがある。
その時が来ると、ちょっとしたきっかけで、僕ら大人が及びもつかない変貌を遂げたりする。
大人はその日を信じて、子供たちに力を貸してやるだけでいいのかも知れないね。
その時が来たら、役目が終わった事を自覚して、一歩引くのも大切な事かな。
自分が育てた… 変な感傷でまつわりついて、広げる羽根の邪魔をしてはいけないよね。
あの時、無意識に口にした「いつしか背中に羽根が生えて、飛びたつものだ…」と言う言葉、
選手たちと心が重なり合わなかった自分自身への、つぶやきだったのかも知れない。

                                              もくじへ


 

「胸が痛い(2)」
・・・2004.12.15

憂歌団の「胸が痛い」は、「愛し君へ」の前に熊はちさんからリクエストを貰った。
まだお会いする前から、絶対似合うから、是非歌ってみて下さい。これってすごいよね(笑)。
ダアの選手たちのイメージ、ダアのホームページから読み取るイメージ。あとは何だろう(笑)。
筑波山麓に広がる豊かな田園地帯の土地柄? チーブリさん一派の特別な才能?(笑)
とにかく元気がいい。その上、父ちゃんたちは好人物ばかりで、負けそう状態。かな?(笑)。
「胸が痛い」に挑戦する前に「愛し君へ」を割り込ませてしまって、後ろめたい気持ちだった。
お会いする前の熊はちメールでこの曲を紹介されて、ウェブ検索でさわりを聞くことが出来た。
それで躊躇していたのかも知れない。でも本当のところは、チーム状態が歌どころでは無かった。
何とかチームが動き出して、そこにタイミングよく「愛し君へ」のCDが届いたのだった。

先日の吉原小での練習に、ダアは自転車で出掛けた。カバンには2枚のCDが入っている。
練習が出来るようになり、ウキウキ気分もあったのだが、たっぷりと聞くつもりの自転車だった。
きちんと聞きました。素敵なブルースではないですか(笑)。直太郎とは対極に位置します。
練習の最中には、憂歌団全17曲を聞きました。いいですね。ナイスなバンドで、好きです。
直太郎は全曲聞くと、つまらなく思ってしまう曲があるが、(ファンの人、ごめんなさい。)
憂歌団は、どの曲もすんなりと聴けました。でも自分で歌うとなるとね。あの声がね(笑)。 
酒の飲み過ぎで、声が潰れてしまったかのような、あの「ダミ声」。バンドの魅力なのだが…
ダアがサブちゃんの「北の漁場」「祭り」などを歌ったりすると、声の質が合わないと評判が悪い。
ダアの声は細くて高め、演歌に向いていない。サブちゃん、ダア的には好きなんだけどね(笑)。
熊はちさん、ダアに会う前に憂歌団を薦めたんだよね。ダアの声を知らなかったんだよね(笑)。

練習は… ヒップバウンドが、まだ少しぎこちなかったりするけれど、ダアは上機嫌。
結構、躍動感が出てきたりしてる。一緒に練習する3年生が、なまって見えたりする。
いいじゃん! はしゃぐダアは、つまらんギャグを連発。練習を中断させてしまう始末(笑)。
悪乗りダアは、なんと「胸がいたい」「胸がいたい」と歌っている。しかもダア自身の声で(笑)。
ちらっと、歌えるかも知れないと思う。サザンの歌も自分の声で歌ったじゃないか(笑)。

熊はちさんって、ダア自身が知らないダアを、ホームページから読み取ったのか知らん(笑)。

                                              もくじへ


 

「愛し君へ」
・・・2004.12.13

♪ いっそ抱きしめて 抱きしめて離さないよ…
朝練に向かうチャリで、直太郎の「愛し君へ」を仕入れ中だ。学校に着くまでに2回は聞ける。
「これ、お母さんからです。中に歌詞が入ってます。」ダイスケがCDを持ってきた時は驚いた。
これって新品? ジャケットカバーが付いて、ケースの背にアルバムタイトルまで付いている。
おやじの手作りらしい。やるね(笑)。ダイスケもおやじ似だから、こまめなんだろうか?(笑)
先日、東京に出る時にダイスケ母に駅まで送って貰った。プライベートも混同するダアだ。
駅までカラオケ談義を。で、新曲ゲットのプロセスを問われ、得意げにうんちくを語る(笑)。
何回も繰り返し聞いて完全にコピー。直太郎なら直太郎に成り切ってCDと一緒に歌う。
息づかいとか、間とか、メロディーの向こうの「曲に込めた心」を共有するまで繰り返す。
「演歌歌手と違って、音符通りに歌っていない場合が多いから結構難しい。」偉そうなダア(笑)。
歌詞を書き出して、1拍目に印を付け、難しいところは折れ線を書き込んで音符代わり…
チャリでの移動中だけでなく、練習中や、時には仕事中の鼻歌まで動員してマスター(笑)。
「で、曲が違和感無く自分のものになった頃に、再びCDを聞き直す。」 すると…
「何と、CDはダアと違う歌い方をしているではないですか。」オチまで付いている(笑)。
♪ 愛し君よ 愛し君よ 何処にいるの…
直太郎に成り切っていると、歌の世界に入り込んでしまい、何だか切ない気分になってしまう。
直太郎と一緒に声まで絞り出している。チャリの時なんか道行く人はビックリするよね(笑)。
ふと、ダイスケ母のリクエストとは言え、ダアの風貌にはミスマッチかなどと…
「何と弱気なダアさん。ダアさんっていつでもミスマッチですよ。」そんな声が聞こえる(笑)。

話しベタなダイスケとの格好の話題になる。「お母さんが、音を取るのが難しいって言ってました。」
それは何とかなるけれど、大問題がある。この曲、ピアノの脇に立って歌っていると言う趣なのだ。
特に前半は音声に沿うように、ピアノがそっと絡んでいる。これってカラオケじゃ難しいよね。
伴奏がリズムを刻んでくれれば歌い易いけれど、それでは、この曲のよさが殺されてしまうし…
「で、ダイスケはカラオケに一緒に来るの?」「まだ、分かりません。」 当たり前じゃい(笑)。
リップサービスでも「行きたいです。」くらいの事が言えれば、ダイスケも脱皮なんだけどね(笑)。

                                              もくじへ


 


「指導(2)」
・・・2004.12.11

「指導」を書きながら、遥かに遠い昔の出来事を思い出した。
肩掛けカバンだったと思うから、ダアがまだ中学1年か2年の頃だと思う。
詳細は忘れてしまったが、近所の友人たちと4~5人で登校している時のことだった。
その中の一人が、別の一人にカバンを持たせて、ダアたちにも持たせるように促した。
持たされた友人は、前後左右に掛けたカバンに埋もれて、よたよた遅れて歩いていた。
それを見た子供のダアは、身軽になった自分との対比に、奇妙な感触を覚えたのだった。
2人は、クラスでも利発な友人と大人しめの友人だった。ダアは利発寄りだったかな(笑)。
今で言う「いじめ」のイメージとは違ったものだったし、そもそもその様な発想が無かった。
その時感じた奇妙な感触。相手を踏みにじることなのに、むず痒い何かを感じていた。
自分は楽になるし、相手を見下してしまい、間違った優越感に浸りそうになっていた。
だが、持たされている友人に済まないと思う気持ちが勝っていた。この部分、重要ですぞ(笑)。

シューズを預けた2年生は、少しだけ優越感を持っていたと言う。
良し悪しを聞けば「悪いことだと思います。」 おいおい、それならやるなよ(笑)。
「指導」を受けて、そう思い当たったのかも知れない。しっかり自分のものにして欲しい。
シューズを持たされた1年生は、押し付けられたとは思っていないと言う。少し安心。
こう言ったエピソードの積み重ねから、いろいろ学んで行くんだろうね。

                                              もくじへ


 


「指導」
・・・2004.12.10

あれこれ行事の多い冬休み。詳細な打ち合わせのため学校に顔を出した。とある夕方のこと。
その日は外練の日。走っている選手が挨拶に寄って来る。「OM先生を呼んで来てくれないか。」
「生徒指導で、職員室にいませんでした。」「生徒指導ってなんじゃ。要するにお説教かい(笑)」
しばし待つ間、他の部活を遠目で見学。校内マラソン大会を控え走っている生徒が多い。
やがて顧問のOM先生が玄関から出てきた。時々無精ひげだったりして、優しい目をした先生だ。
冬休みの細かい打ち合わせをする。「私も、生徒に聞きたいことがあるのです。」と、OM先生。
今朝の練習でダアが帰った後、自分のシューズを1年生に預けた選手がいたとのこと。
下級生を「使いっぱしり」に使っていないか、聞いてみるのだという。
走り終えてフットワークをしている仲間のそばで、二人が順に呼ばれて話をしている。
話し終えると、二人ともダアのところへ直行。生まれたて、ホットな「今日の出来事」だ(笑)。
「 …のことで、OM先生から指導を受けました。」二人とも同じフレーズを口にする。
普通の言葉だし、今まで気が付かなかったが、「指導」って、どうやら専門用語らしい(笑)。

オリンピックで、柔道にこの言葉があったから、その「もじり」だとばかり思っていたのだが、
この「指導」と言う言葉、今の教育現場の側面を如実に表しているのかも知れないね。
今は携帯なので随分前の話だが、県外の監督と連絡を取ろうとして奇妙に感じたことがある。
電話を受けた先生が、「 …は、給食指導で教室に行っています。」「清掃指導に出ています。」
給食って生徒と一緒に「食べる。」ものではなくて「指導」するものなんだ。違和を覚えた。
ダアの頃と違って今の学校は部外者に計り知れない程、変わってしまったんだろうね。
そう言えばOM先生を待つ間、校庭の片隅で某先生の前に生徒がうなだれて立っていた。
あれも「指導」だったのか知らん。そう言えば、朝練しか顔を出さないダアだが心当たりがある。
頭の中のVTRを再生すると、「指導」していると思われるシーンを幾つも見つける事が出来る。

必然があっての「指導」なんだろうけれど、マニュアル化したそれであって欲しくない気もする。

                                              もくじへ


 


「今日の出来事」
・・・2004.12.09

新しい試みとして、選手たちに「今日の出来事」と銘打ったノートを持たせることにした。
選手たちの心を掴みきれなかった事を痛感し、始めたのが「今日の出来事」なる一言スピーチ。
いいこと、悪いこと、何でもいいから「今日(昨日)あったこと」を口頭で報告させてみた。
「国語のテストが帰ってきて、80点で嬉しかった。」「僕は25点で悔しかった。」とか、
「体育の時間にマラソンコースを走って、最後まで歩かなかった。」とか、こんなのばかり(笑)。
「世の中の理不尽さに憤慨したり、道端の名も知らぬ花に心奪われたりはしないの?」とダア(笑)。
半分は冗談だが、半分は本気。中学生って、もう少し知的であってもいいとは思いませんか(笑)。
それはともかく、全員の「今日の出来事」を聞いていると練習時間に食い込んでしまう。
で、ノートに記入させるようにしたのだが、ダア的にはそうする迄にかなりの葛藤があった。

選手が日記?を書いていて、提出されたそれに監督がコメントを書く。よくある情景だと思う。
選手を把握するのに、常套的に用いられる方法なのだろう。でもダアは体質的に苦手意識。
県外の強化合宿に参加させて貰った折などにも、集められた選手の反省文は読まずにそのまま。
書くことにより、自分を見つめ直し、次に成すべきことを確認する。大切なことだと思う。
でも、それは自分自身の問題であって、その場に他人が踏み込むことには、抵抗を感じてしまう。
書かせることにより、深層にあるものを洗い出すことが出来る。そんな一面もあるのかも知れない。
でも、それは日々の触れ合いの中で、指導にたずさわる者が察知すべきものだ。と思ってしまう。
まあ、偉そうに言っても、それが出来なくなったから「今日の出来事」になった訳だけれどね(笑)

で、大いに悩んだ末の「今日の出来事」ノート版。運用に関するダア的解決法がこれ。
「時々読ませては貰うが、ダアはコメントをすることはあっても、書き込む事はしない。」
ダアに言われた事や、それについて感じた事など、選手自身の心が動けば、新たに書けばいい。
ずっと先になって、読み返す機会があったりしたら… 本当の日記みたいでいいかも知れない。
例によって、大したことでもないのに、あれこれ理屈っぽいダアなのでした(笑)。

PS:今日ちらっと覗いた複数のノートに「落ち葉を見て、冬だと思った。」とあった(笑)。いいね(笑)。

                                              もくじへ


 


「託児所?」
・・・2004.12.07

選手たちとのことを見つめ直したくて、思い切って取った5日間もの試験休み。
その間、宿題として課しておいたスクワット。実施数上位の選手たちと、褒美の食事をした。
吉原街道にあるサンマルコ。賓客のもてなしによく利用するダアお気に入りのイタリアン。
フルボトルのキャンティー。いつもより美味く思えるのは気のせいばかりではあるまい(笑)。
選手たちの「今日の出来事」でしばし盛り上がる。で、しゃべりまくるダアはいつものこと(笑)。

呑みかけボトルを手土産に、上機嫌で吉原BSSの練習に顔を出す。やってるやってる(笑)。
全中前は余裕が無く、新チームの9月からは選手たちと心が一つになれず、来たのは久しぶり。
「あんた、見かけない顔だね。」大人びた口調でアユミにチェックされてから、7ヶ月も経っている。
バック転急所攻撃でダアを歓迎してくれたやんちゃなアユムは、今回は少し大人しめ(笑)。
見覚えのある顔が次々と目の前に現れて「タモリさんだ!」などと、輝く表情を見せてくれる。
この吉原BBS、ナリアキの父ちゃんが始めたものだが、終始一貫、素敵な伝統を守っている。
今はヒカルや、アキヒコ・クニヒコの父ちゃん達に引き継がれていて、まるで託児所状態(笑)。
言いすぎですね(笑)。でも、そう言いたくなる程、いつ来ても子供たちの瞳がキラキラしている。
シャンパンのコルクに羽根を付け打ち合ったら、独特な飛翔感に大いに盛り上がった…
バドを始めた頃に読んだ本に、この競技の生まれたエピソードがそんな風に書かれてあった。
まさにそれなのだ。バド発祥の原風景をここ吉原に見ることが出来るのだ。と大袈裟に(笑)。
 各地を訪れた時などに遭遇するいわゆる「強豪チームの選手」は、明らかに違う顔をしている。
 垣間見るだけなので見誤っているかも知れないが、悟ったような表情で、まるで小さな哲学者。
 強さを求めるが故の心とのアンバランスも見え隠れして、もっと子供でいてもいいと思ったりする。
この吉原BBSはダアのチームの水源地。ここ無くしてはダアのチームが成り立たない。
バドが好きになってくれて、試合に負けた悔しさで泣いた経験があったりすれば、最高!(笑)。

「小学生が日の丸を背負ったりするのは、本当にいいことなんですかね。」と、Sさん。
家まで送ってくれた運転席で、ダアの心を見透かしたかのように話しかけて来る。しばし談義。
悪いことでは無いだろうけれど、心の成長との調和が難問かも… 分かったようにダア(笑)。
吉原託児所育ちだって、全国大会のメダルを結構ゲットしている。本当にどうなんだろうね。
で、卓球の「福原 愛」は本物なんだろうか? といったところで、車は我が家にご到着(笑)。

                                              もくじへ


 


「ポッカリと(2)」
・・・2004.12.03

選手たちと一体感を持てるようになり、どうにか練習らしい練習を始めることが出来た。
その気になって見てみると、ダアの選手たちは何とも出鱈目なバドをしている(笑)。
昨年1年間はゲーム中心だったし、その前の1年間はダアがサボったので、当然かも知れない。
練習の形には一応なっているのだが、ひとつ一つのプレーの質が、信じられない程に低い。
ダブルスの初歩的な練習に「まわし」がある。Aプッシュの次に来る基本中の基本と言った練習だ。
最近レギュラー組に昇格したダイスケ。180cmの長身が魅力なのだが、動きはタバラガニ(笑)。
例えば、相手が3番から打って来た時は、2番か4番へ返すのが「まわし」のセオリー。
だがダイスケは相手のいる3番へ打ってしまう。何度注意しても繰り返す。呼びつけて聞いてみる。
「相手が3番から打って来たときは、2番か4番へ返します。」ちゃんと分かっている。
「じゃあどうしてやらないんだ。」 詰問すると、答えに窮し沈黙してしまう。
強く促すと、「そこへ打っても大丈夫だと思いました。」 困った挙句の答えが、これ(笑)。
「まわしの練習で、打つ場所が分かっていて、それをやらないでいて、大丈夫だと言うのか?」
「それって、おかしいと思わないか? ダアの練習を無視しているってことか?」 畳み掛けるダア。
椅子に座るダアの傍らにダイスケは立っている。沈黙に見上げると、涙が頬を伝わっている。
「泣く子は育つ。」子育てに世間の口承。意味合いは違うが、ダア的バドにもそれは言える(笑)。
でも、「分かっていたけれど、頭に浮かばなかった。」どうしてそれだけのことが言えないのだろう。
この不思議はダイスケだけのものでは決して無い。もう少し論理的であって欲しいと思うよね(笑)。

言ったことがすぐ出来る選手ばかりだったら、教える者は、まあ楽だろうけれどね(笑)。
頭で理解出来ることでも身体に覚えさせるには、かなりの根気がいることだよね。
気を取り直してスマッシュ練習に移る。今度はスマッシュが打てない。レシーブも出来ない(笑)。
相手をしているマコトも、「どうして出来ないの?」と言った表情で苦笑いしている。
やれやれ、今年のチーム作りは本当に楽しめそうだぞ(笑)。

                                              もくじへ


 


「ポッカリと」・・・2004.12.02

もはや霜柱の季節となり、あの熱かった夏の日々は「遠い遠い昔のこと」になってしまった。
新チームになって3ヶ月、どこか選手と一体になれない日々が続いていた。
完膚なきまでにはね返されたとは言え、3年生のチームは日本一を決するコートに立った。
共にその場に臨んだ目に、9月の新チームはあまりに稚拙過ぎた。何でこんなに下手なんだ(笑)。
頂上を目指す新たな歩みを、選手たちのレベルまで下りて始めればいい。頭では分かっている。
毎年繰り返すその「サイクル」は、繰り返し故に疲れを覚え、つい高所から選手たちを見てしまう。
何でこんなことが出来ないんだ。思い通りに出来ない選手たちに怒りをぶつけてしまう。

目の前のメインコートが、ポッカリと空いている。メニューが試合練習に移行した時のこと。
ダアを避けるかのように、遠巻きに選手たちがコートを埋めている。何か違和を覚える。
そう言えばこのチームには、いつからかそんな兆候があったな。そんなことに思い至る。
呼んで聞いてみる。「怒られるのが嫌で、遠くに行ってしまいました。」 そうだったんだ。
異口同音のその言葉に、このチームを動き出させる糸口が見えた。やっと分かったぞ(笑)。
折に触れ感じていた選手たちとの小さなすれ違いは、この発想からきていたのか。
メインコートで練習するレギュラー候補に、ダアは罵声を浴びせていた。まあ、いつものことだ。
どちらかと言えば才能フルとは言えない彼らに、意識改革をさせているつもりでもあった。
ひとり一人と話をしてみる。「もっと優しく教えて下さい。」 これまた、異口同音。フムフム(笑)。
「君が大人になって、何かスポーツを教えているとしよう。」 ダアは問いかけた。
「いくら言っても出来なかったとしたら、君はどうする?」 「怒ります。」
「何故、怒るんだ?」 「強くなって欲しいからです。」 とまあ、まるで誘導尋問(笑)。
「怒ることに、憎しみと愛情とどちらを感じる?」 「愛情です。」 そこまで言わせてしまった(笑)。
本当は選手たちの意識の問題などではなく、ダアと選手たちの目線の違いに起因する停滞だった。
今までと同じようにやっているつもりだったが、微妙に心がずれていたのだろう。

練習らしい練習を始めて、今日で3日目になる。

                                              もくじへ


 

「続・肩掛けカバン」
・・・2004.11.22

藍色に染めた作品1号の肩掛けカバンで、アメ横のカバン屋を再訪した。御徒町よりの店だ。
さして広くは無いが、圧倒的な商品の数は変わらない。売れる量が多いのだろう入れ替わりも多い。
かばんの山を掘り起こしていると、背後におやじの視線を感じる。振り向くと声を掛けてくる。
「さっきから見ているんだが、うちの商品に違いない。けど、この色は作っていない。」
白色のものを自分で染めたと説明。「ヘェー、素晴らしいね。」大げさに驚いてくれる。
「自分で染めたんだって。」店のお兄ちゃんにまで紹介してくれる。「いい色ですね。」と、お兄ちゃん。
このおやじ、紺色は退色するから作らないなどと言っていた。でも、ダアのジョブは褒めてくれる。
ここで終わればいいのだが、すぐ調子に乗るダアのこと、やはり調子に乗ってしまったのだった(笑)。
「倉庫に、中学生のカバンがあるって言ってましたよね。」で、時間を見計らって再び訪れることに。
用意してあったカバンは、正真正銘の中学生用。白いキャンバス地で、縁取りが何とビニール。
皮の部分はヒビ割れて、「特製」と金文字まで入っている。名札を差し込むポケットまであるぞ(笑)。
ちょっと躊躇するダア(笑)。オオマケにマケてくれるとの言葉に、染めの練習台にしようか…(笑)
「カバンのジョン・オム」名刺までくれて、「今度来る時は、染色の件って電話しなよ。」
店頭のデイ・バッグを示し、「倉庫に汚れて商品にならないのがあるから、出しておくよ。」

縁が黒なので、薄めの茶色系がいいだろう。で「コーヒーブラウン」の染料を選定。
ビニールの縫い目が切れる可能性があるので、加熱しないで室温で染色することにしよう。
「特製」の金文字をメタノールで消し去り、いくらなんでも名札のポケットは取ってしまおう。
24時間かけてゆっくりと染めてみた。と言うか放置した(笑)。染め上がりは、まあまあの出来。
淡いブラウンと縁取りの対比がいい感じ。ゆっくり染めたので縫い目の奥までムラ無く染まっている。
皮の部分のヒビ割れは、黒のマジックで彩色すれば、肩掛けカバン作品2号の出来上がりだい(笑)

                                              もくじへ


 

「社内報」
・・・2004.11.19

ダアの勤務先に「ケミ・ぱる」と言う社内報がある。
あまり面白い記事はないね。そんな憎まれ口を利きながらパラパラとページをめくる。
と、突然… ダアの姿が目に飛び込む。何じゃいこりゃぁ。びっくりするじゃないか(笑)。
岡垣ジュニア監督の池田さんの仕掛けだ。そう言えば茨城全中の会場で並んで写真を撮ったっけ。
日本ユニシスの信太郎、ヨネックスの雄一、両選手のお父さん。福岡県・黒崎の事業所にお勤めだ。
正確に言うと、つい最近までお勤めだった。ハッピー・リタイアメントされたばかりなのだ。
「思いがけず声を掛けられ・・・ バドミントン話に花が咲く」と言うタイトルの記事。
添付画像には「良く似ている?坊主頭の2人。」との説明。ご丁寧に取り違えて紹介されていて、
図らずもナイスなジョークになっている(笑)。一部伏字にして引用させて頂くことにする。

 第34回全国中学校バドミントン大会が、8月22~25日、茨城県霞ヶ浦文化体育館で開催
 され、私がコーチを務める岡垣ジュニアからは男子ダブルス1組が九州地区代表で出場しまし
 た。試合会場で、突然のことでした。地元の強豪チーム、阿見中学校のコーチから「○○化学
 の池田さんですか?」と声を掛けられたのです。その方は○○化学・筑波の○○さんで、以前
 に私の息子(池田雄一)のバドミントンの記事を見て一度会ってみたいと思っていたそうです。
 たまたま私が○○化学のバドミントン班のユニフォームを着ていたので直感し、声を掛けてみ
 たとのこと。どちらもチームの指導に情熱を傾けている者同士、バドミントンの話は尽きず、
 またの再会を約束しました。ちなみに大会の結果は阿見中学校は男子団体準優勝、私のクラブ
 の男子ダブルスはベスト16でした。(○○化学OB・池田)

2000年熊本全中の団体戦準決勝で直接対戦したこともある岡垣中(岡垣ジュニア)。強豪チームだ。
社内報で、指導されている池田さんが同じ勤務先だと知って、お会いしたいと思っていた。
初対面なのに、何だか懐かしく感じてしまう。こんな出会いも嬉しいものです。

                                              もくじへ


 


「砂浜10キロ走」
・・・2004.11.16

新人戦も終わった日曜日、父母会にお願いしてワゴン車3台を連ね、大洗海岸へ出かけた。
トレーニングの一環として、砂浜の10キロ走を行う。選手たちにはそう言ってある。
あいにくの曇天だったが、ラケットを持たずに出かけるなんて、何年ぶりのことだろう。
何だかウキウキ気分。道端の景色はディープな秋模様。キクは盛りを過ぎ、柿の実が光っている。
チームが変わって、ダアと同乗するのは2年生。言葉の少なさをつい3年生と比べがち。
朝食に何を食べた? 火の見櫓はなぜ背高なの? どうでもいいことをしゃべりまくるダア(笑)。
目的地に近づくと「大洗水族館」の看板。「帰りに寄りたいです…」ヒデユキがねだる。

魚釣り公園は車で入れず、フェリー乗り場は立ち入り禁止の岸壁ばかり。浜に出れない(笑)。
それではと、大洗神社の岩場を目指した。降り立った浜は砂浜ではなくてジャリ浜(笑)。
太平洋から吹き付ける風が冷たい。岩場ではしゃぐ選手たち。波濤が大きく砕け、怖さを感じる。
車を止めた閑散としたレストラン。水族館の1割引の切符がありますと張り紙。
皆で冷え切った身体の生理現象にトイレを借りると、クニヒコ父が何やら店の人と話している。
1割引きよりも団体割引の方が割安だとか。結局、駐車、トイレ、情報に1銭も使わず(笑)。

水族館の広い駐車場は、かなりの車で埋まっていた。おあつらえ向きに長い砂浜も続いているぞ(笑)。
砂浜を背に立つダア。集合する選手たち。これから始まる試練に、緊張しているかのよう(笑)。
この浜を走ってもらう。砂浜は何倍もきつい。体調の悪いものは免除、ダアと一緒に水族館で待つ。
事務的な口調のダア。観念した顔の選手たち。「ここで、運試しを行う。」おもむろな口調のダア。
かばんからくじ引きの束を引っ張り出し「色なしが当りで水族館、色つきだったら砂浜直行。」
何だか面白そうだぞ! 選手たちの表情が変わる。色つきは6本、昨夜ダアが作ったくじだ。
3年生は全員一緒の行動と、マコトを代表に指名。「エーッ僕がですか?」引いたくじは…
色がない、水族館だ! 歓声が上がる。1、2年生は個人抽籤のつもりだったが、ここで心変わり。
3人組みの団体戦に変更(笑)。走るにも仲間と一緒だし、6本の色つきを避けれるかも知れない…
で、大騒ぎの抽籤結果は… 何と言うことでしょうか! 全員が水族館だったのです(笑)。
これって奇跡ですよね。奇跡に相違ないですよね。新チームはミラクルボーイズだったのです(笑)。
で、皆で水族館を楽しんで、お昼もおいしく頂いて、イルカショーも見て… 満足満足なのでした(笑)。

で、帰り際の会話。「全員が当りなんてすごかったね」とダア。
うなずいてからのダイスケの一言。「でも、走ってみたい気も少しありました。」
もう、ダアの選手たちったら本当に純粋で、素直で、いい子たちばかりなんだから(笑)。

                                              もくじへ



 


「挨拶」
・・・2004.11.12

今までに、遠征でいろいろなところを回った。チームにも学校にもいろいろな顔があるものだ。
相手校の選手たちが整列し、号令で一斉に挨拶してくる… ダアはとても苦手。照れてしまう。
どうリアクションしていいのか分からない。で、大抵の場合は笑いを取って誤魔化してしまう。
中にはそんな対応させもさせて貰えないチームがある。選手が監督を信頼していない。
言われるからするような挨拶には表情が無いし、まず間違いなく視線がそっぽを向いている。
その点例えば、埼玉栄高や西武台千葉高では選手たちがしっかりと表情を向けてきて、心地よい。
バド部だけでなく、他の部活の生徒がすれ違う際に、ニコニコ顔で挨拶してくる学校もある。
見ず知らずなのに、見かけると笑顔を寄越してくる。その向こうに、しっかりした教師像が浮かぶ。
例えば、東京の立川八中、千葉の佐倉東中、千葉敬愛高、前述の2校… 生徒も幸せだよね。
全く眼中に入らない… そんな態度の学校も時にはある。そんな時は、こちらがウォッチング。
無視と言うのではなく、本当に見えていないそぶり(笑)。学校そのものが薄っぺらに見えてしまう。

木曜日以外毎日ある朝練で、他の部活の選手が一斉に挨拶を寄越してくれたりする。
別の部活顧問を見かけるたびに、合図で一斉に「おはようございます。」と頭を下げている。
その部活の作法なんだろうね。でも、ダアはこれが、ちと苦手。リアクションのしようが無い。
先方の視線が直接ダアに向いていない場合が多いし、照れようにも相手が近くにいないよね(笑)。
挨拶って、そもそも互いに交わすもの。遠くから一斉に頭を下げられてもね。返しようがないよね。
自分に向けられた挨拶だと思って、挨拶を返したら、違っていたなんて経験もある(笑)。
ダアの背後に向けて挨拶しているものを、ダア向けだと勘違いしてバツの悪い思いをしたものだ。
せっかく挨拶してくれるものを、無にすることは出来ないし、そんなダアのダア的解決法。
遠くからの挨拶に、自分を指差し「私に?」とボディランゲージ。頷いてくれる子がいたら当り(笑)。
背後を振り向いて、ダアをすり抜けた挨拶かどうか、誰かいないか確認したりする。これも有効(笑)。

時に校長先生とかが巡回して来た時、隣の選手たちが遠くの校長に一斉に挨拶している。
一方、我が選手たちはと言えば、黙々と練習を続けていて、振り向きさえもしない。
パフォーマンスとしては、圧倒的に前者が優位。校長先生も気持ちがいいだろうよね。
ダアの選手たちには、それぞれが間近に遭遇した時にしっかりとした態度をとって欲しい。と願う。
これとて、確実にこなせているかはやや疑問。と言うか、そんなマナーを日々教えている最中(笑)。
いやはや、挨拶ひとつとっても、難しい問題をはらんでいるものです。

                                              もくじへ



 

「チワッ!」
・・・2004.11.11

中学生とバドミントンを始めた頃の選手の挨拶は、「チワッ!」と「シタッ!」だった。
「コンニチワ」と「アリガトウゴザイマシタ」を略したもので、ダアの現役時代がそうだった。
言わば仲間内の「合言葉」のようなもので、仲間意識を演出する意図もあった。
朝練に顔を出したダアを、遠くから見つけた1年生が「チワァー!」と大声で叫んで来る。
それはそれで、結構可愛かった。だが、この「チワッ」と「シタッ」は短命だった。
何かが違うと感じたのだ。仲間内のことよりも、もっと大切な事に目を向けるべきだと思えたのだ。

阿見に来る前は高校生とバドをやっていた。年齢的にも近かったので、まあ仲間のようだった(笑)。
阿見に来て中学生とバドをするようになったのだが、新しい対象は興味深く、とても楽しかった。
親や、時に地域までも巻き込んだその触れ合いの中で、なにより、幼すぎる彼らに驚きを感じた。
良く言えば純粋、悪く言えば何にも知らない(笑)。ダアの子供の頃もそうだったのだろうか?(笑)。
挨拶に限らないことだが、他人や社会に対するマナーがほとんど身についていない。
教わっていないと言った方が正確かも知れない。訓練されておらず、まるで生まれたまんま(笑)。
言い過ぎだとは思うが、新しい対象・中学生に対する、それがダアの正直な印象だった。

選手に何かを伝えようした時、それなりの心構えや態度を選手に要求することになる。
それが教える者に対するマナーであるし、教わる側の受け取り能力を高めることにも繋がる。
「きちんと挨拶が出来なければだめだ。」「勉強もしっかりしなければならない。」「生活態度も…」
「強くなりたかったら…」に続けるこの類の言葉は、彼らに強い動機付けになることを知った。
選手の心の中で、バドは間違いなく広いスペースを占めている。それは高校生の比ではないだろう。
選手にバド以外のことをあれこれ言うのは、効率よくバドを教えるため… 初めはそうだった。
バドを通してもっと大切な事を教えてあげることが出来るのではないか。そう思うようになっていた。

それにしても、ロン・クラークの本に出会った今…
中途半端で、大したことも教えてやれなかった卒業生たちを思う。

                                              もくじへ



 

「3秒以内に(4)」
・・・2004.11.04

11月1日に「3秒以内に」をアップすると、すぐに栃木のK監督からメールを頂いた。
ダアが、どちらかと言うと今いる選手たちと、内面的にバドを追求しているのに対し、
このK監督、視線が外に向いている。曰く、教え子たちの出会う監督が、いい加減すぎる。
何にも教えられないのに君臨しようとするばかり。許しがたい。(そんな内容のことを口にされる。)
で、クラブの卒業生たちに、自ら指導する機会を設けていて、その場所が川崎だったりする。
これって、ものすごいエネルギーがいると思う。相手方の監督の存在もあるだろうし…
ダア的には発想し得ない「K監督の世界」に、ただただ感嘆するばかり。

このK監督、技術系専門職をされていて、パソコンやインターネットの言わばプロ。
ここでひとつ、メールでのやり取りをご紹介いたしましょう(笑)。(K監督をK、ダアをDと略)
K:探しているのは、これのことですかね?(注:本の情報がペーストしてある。)
  ネットの達人の友人を持ちながら(注:勿論ジョーク。ダアに以前その手の質問歴あり。)
  八重洲ブックセンター&丸善・丸の内本店に出向き、体力勝負で探すことを決意だなんて、
  大東亜戦争での日本と米国の戦いを彷彿させます(笑)。
D:お元気そうで何よりです。「3秒以内に」には、続きがありまして、
  「3秒以内に(2)」に、同僚がその本を検索してくれたとのエピソードが載ります。
  御大にお出まし願う前に解決してしまったのでした。本は丸善で購入済みです。
K:くうーーー!!悔しいぃぃ!! 「3秒以内に」探したのに! それも書いて!(笑)。
D:同僚は30秒くらいで探してくれましたから、3秒以内は新記録です(笑)。
  そのことで書けそうですね(笑)。
K:では、登場させていただきましょう(^o^)ニッ
  ところで、6日(土)ですが、予定はおありですか?伺っても宜しいでしょうか?
D:6日(土)は、8時から普通に練習します。お待ちしています。

時々覗かせて頂いているK監督の掲示板には、悩み、苦悩されるその姿が多く登場する。
ストイックなまでの選手とのやりとり、職場の(ラケットを握る)上司yanさんの暖かい眼差し…
皆さん体育館でお会いしたことがある。yanさんと3人でダアの実家のスナックでカラオケも。
その掲示板、誘われて何度か書き込んだこともあるが、どちらかと言うとROM状態。
ちゃらちゃらしていて、何でもすぐに笑いのネタにしてしまうダアの登場は、ちょっと似合わない。
勝手にそう思い込んでいる。(この部分、K監督の反撃がありますよ。絶対に…笑。)
ままならぬ世に、義憤の念で立ち向かわれているK監督さん。頑張って…そう願うのみ(笑)。

今回のメールのやり取りに、久しぶりに明朗、洒脱なK監督を見た気がした。
それが嬉しくて、断りもなくここに掲載してしまった。怒りましたかね。K監督さま(笑)。

                                              もくじへ



 

「3秒以内に(3)」
・・・2004.11.03

職場に、安全や健康に関する話題を取り上げる「RC会議」と言うものがある。
先日、そのミーティングで「メンタルヘルス」をテーマにしたVTRを見た。
取り上げられた中に、急速なパソコンの普及により取り残された中高年者の事例があった。
それまでは職場で威厳を保てていたものが、パソコンに関しては若者の足元にも及ばない。
パソコンなしでは埒があかない日々に、疎外感を覚え、自信を喪失し、ストレスが蓄積し、
やがて身体に変調をきたす… そんなおじさんが、とてもかわいそうに描かれていた(笑)。
ダアは立派な(笑)中高年だから、勿論、パソコンは大の苦手。言葉も仕組みも分からん状態(笑)。
でも幸いなことに、ダアは誰にでもすぐに聞けるのです。自分を繕う気など全く無いのです(笑)。
何かあれば対面のKさんに「ヘルプ!」。Nさん、Wさんにも「ヘルプ!」。
本社にヘルプデスクなる部署があり、対応してくれるのだが、「ヘルプ!」は、それのもじり(笑)。
Nさんも、Wさんもパソコンの達人。本当に、どうしてそんなに知ってるの?って言う感じ。
聞いてしまうからいつまでも熟達しないと言う面はあるのだけれど、本当に頼り切っている。
聞くのに抵抗が無いのは、親から貰った性格もあるが、脳に染み付いたある言葉の影響が大。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」小学生の時、担任の先生がいつも言っていた。
だから、分からないことがあったら、恥ずかしがらずに何でも、すぐ聞きなさい。
振り返ってみると、子供の頃に影響を受けた人々、出来事、言葉など、いくつも思い浮かぶ。
今の自分に置き換えてみると、恐いみたい。選手たちの将来に、どんな影響を残すのだろうか…

親が、教育が、と言う前に、社会全体が「教える」と言う機能を見失ったかのような、今の世。
本当は「あたりまえだけれど、とても大切なこと」が、話題になるようではいけないよね。
高い場所から評論するのではなく、誰もが体温の伝わる場所で「あたりまえなこと」をしたいね。
次代を担う子供たちに対して、「あたりまえなこと」を伝えていくのは、僕たち大人の責務だよ。

                                              もくじへ



 

「3秒以内に(2)」
・・・2004.11.02

職場での朝の会話。最近開店した丸善はどこにあるの?八重洲ブックセンターは知ってるけど。
本を探しに行く。新聞でチラッと見て、後で気になって探してみたが、本の名前が見つからない。
同僚のNさん、丸の内北口を教えてくれて、パソコンを立ち上げながら「どんな本ですか?」
「米国の教師」が書いた本で、「3秒以内」と言う言葉があって、多分「教育」のジャンルとダア。
キーボードをチャカチャカして「これですか?」大当たりーぃ(笑)。その間、30秒以下。
エー!って感じ。何でそんなに簡単に検索出来るの。ダアのあの日々は何だったの?(笑)。
因みにNさんは「amazon.co.jp」のサイトで検索していた。勉強になります(笑)。

本屋を楽しむなんて何年ぶりだろ。遠征先の自由時間は図書館と本屋なんて時代もあったけど(笑)。
最近、大きな本屋が増えていると新聞にあった。大阪出張でフラーッと入った本屋も大きかった。
東京駅を挟んで、八重洲ブックセンターと対角線にある丸善・丸の内本店。1F~4Fが売り場。
9月に開店したばかり、国内最大級1750坪、120万冊の蔵書とか。当然だが新しい本が多い。
図書館や古本屋で思わぬ本に出会い、胸をときめかした… ダアの心から薄れてしまった感情。
目当ての3Fにある教育コーナーへは直行せず、各フロアーをあれこれ見て回る。何だか楽しい。
おもむろに向かった教育コーナー。一発で対面できた。かなり売れていると言う事だろう。
ロン・クラーク著「あたりまえだけれど、とても大切なこと」図書券3枚で、釣りが来た。
著者は、28歳だった2001年に全米最優秀教師賞を受賞した小学校教師。
そんな賞があるのも新鮮に感じる。ディズニー社が主催しているようだ。
人間の生き方、他者との関わり方、人生の楽しみ方などに関して、教え子にルールを身につけさせる。
その取り組み方や、子供たちが変わっていく様子など、50のエピソードで綴っている。
(原著は55のエピソード。日本の習慣にそぐわない部分を、著者の了解を得て訳者が割愛。)
で、「3秒以内に」は、何か言われたら返事をしようではなく、何かを貰ったらお礼を言おうだった。
これは著者も言うように、応用する読者の問題。そんなことに何の不都合もない(笑)。

「あたりまえだけれど、とても大切なこと」。読んでいて、熱いものが溢れて止まらなかった。
感動で涙を流す… 何年ぶりのことだろう。とても素敵な本に出会うことが出来たのだった。

                                              もくじへ



 

「3秒以内に」
・・・2004.11.01

早めに着いた病院の狭い廊下。検査の始まりを待つ長椅子には先客もいる。
目の前を出勤の職員がせわしなく通り過ぎる。ダアはヒューマンウォッチング。
いろいろな表情がある。多くは、じっと待つ患者たちに眼もくれず、スタスタと通り過ぎる。
「おはようございます…」通りすがりに言ってくれる人もいる。10人に1人位だろうか。
ダア的には、挨拶を返さなくてはならない場面。だが、ちょいと躊躇。
常連の先客たちは、全く意に介していない。いかにも、挨拶を返したら浮いてしまう雰囲気。
何だか居心地が悪い。返さないと相手が傷ついてしまい、挨拶することをやめてしまう…
チラッと頭をよぎったが、そんな事がある訳ないと思い直す。毎日のことなんだろうし。
そう言えば、挨拶するほうも視線を寄越してこない。一方通行が前提の「おはようございます…」
何だか変。挨拶ひとつとっても、考え込んでしまうダアなのでした(笑)。

ふと、米国の教師が書いたとかの、本の紹介記事を思い出す。新聞で目にしたものだ。
子供たちに教えた、生活する上での基本マナーをまとめた本。卒業した教え子が感謝している…
何か言われたら「3秒以内に」返事をしよう。と言ったことが書かれていた。
バドの上達のために必要だと思うから、選手にはあれこれ言う。挨拶、態度、心構え…
バドよりも大切で、選手たちの将来に大切な宝になってくれたら… そう思ったりもする。

1年生のシュンは、とてもシャイ。問いかけても考え込んで言葉を発しないことがある。
「3秒以内に」返事をしよう。くだんの本の受け売りをしてみた。すると…
何とこれが効果抜群。問いかけに対して、返す表情までが輝いている。これは使える(笑)。
将来のエースともくろんでいるシュンのこと、勿論、返事に関してさりげなく注意はしてきた。
「返事をしなさい。」と言われて言うのではなく、「3秒以内に」返事をしようとする。
こんな素晴らしい方法論があったなんて、目からウロコです。まだまだ勉強不足です、ダアは。
となると、くだんの本を手に入れたくなる。他人の知恵を使わせてもらわない手はないぜ(笑)。
だが、山のように積まれた新聞をいくら広げてみても、その記事と再会出来ない。何てこった。
インターネットで新聞書評を検索してみたが、それでも行き当たらない。もう絶望状態(笑)。

八重洲ブックセンター&丸善・丸の内本店に出向き、体力勝負で探すことを決意したのだった。

                                              もくじへ



 


「胸が痛い」
・・・2004.10.29

Kさんと仰る方からメールを頂いた。
ネットサーフィンをしていて、このホームページにたどり着かれたとのこと。
2年前からバドを始めた小4男児のお母さん。ダアの選手たちのことをご存知の様子。
隅々まで目を通されたとのこと、行間ににじむ熱さが、ダアの心を温めてくれる(笑)。
ダアの選手たちを真似て坊主頭だと言うその息子さん、センスに欠ける。とある。
少なくともその観点からみれば、ダアの選手たちと一緒ではないですか(笑)。
コーチに叱られ、叱られ、それでも好きで一生懸命練習している。好きですねそう言うタイプ。
ダブの「教えて下さい」に自分を重ね合わせ頬を上気させている。その思いを伝えたいとのこと。

いろいろ書いて頂いたメールの最後に、これが本題だと、こうある。
憂歌団の「胸が痛い」はご存知でしょうか? 絶対似合うから、是非歌ってみて下さい…
「バド?な日々」に触れて頂き、ダアにそんなイメージを持たれたようだ。
Kさんの青春時代を彩ったと言うその歌は、今では息子さんのテーマ曲だと言う。
勝てなくても、勝てなくてもコートに向かうその後姿に…
「教えて下さい」に目頭を熱くするその心に…
適わぬ恋(バド病)に身を焦がす、そんな「切なさ」を見ておられるようです。

憂歌団も、「胸が痛い」も、全く知りません(笑)。そうですか、ダアに似合うのですか(笑)。
そう言えば、直太郎の「さくら」もこれに似た出会いだったですね(笑)。
お父さんもバドにはまっているとか。親子で是非練習にお出で下さい。そう誘ってみた。
CDもそのうち届けてくれるとのこと。どんなご家族なんだろう。お会いするのが楽しみだ。

                                              もくじへ


 

「幸せの国の入り口」
・・・2004.10.20

♪ どこかで 誰かが言っていた 幸せの国の入り口は
  ファンキ-ブルーの人魚のしるし 小さな扉についてると
  だけど… だけど… 誰も知らない 見つけない
ドーナッツ盤のB面だかにあったこの曲に出会ったのは、高校生の頃だったと思う。
6才違いの姉が買ってきたプレーヤー。思い返してみれば、おもちゃのようなものだったな(笑)。
でも、貧しいダアの家には、文明の利器(笑)。音楽が聴けることに新鮮に驚いたのを覚えている。
遠い昔のことゆえ、何かの記憶違いがあるかも知れないが、坂本 九の歌だけは間違いない。

まだ川崎に住んでいた頃、フォークソングに出会い、メンバーがばらばらになってダアは茨城へ。
時代がそうだったのか、ギター片手に歌う新しい仲間がすぐさま、何人も集まった。
で、コンサートをやろうと言うことになり、でもって、女の子をたくさん集めて…(笑)。
「どこかで 誰かが言っていた」勝手にタイトルをつけて、レパートリーにしていた。
いわゆる「九ちゃんの歌」とは趣が違っていて、ささやくようなバラード。
簡単なコードをつけて、ギターはアルペジオ。ド・シ・シ♭・ラと親指で装飾したりして(笑)。
♪ だけど… だけど…  つぶやくように歌った後に、聞かせどころがやってくる(笑)。
♪ 誰も知らない 見つけない  低い音からだんだんと高い音へ盛り上げて行き、
最後は、「みつけなあいーーーーー」と、裏声で長く引っ張る。女の子がうっとりしている(笑)。

バドにシフトした日々が何年も続いて、「尾崎」に巡り合って、「直太郎」とかいろいろあって…
なぜか今、この曲を口ずさむことがある。もう、何十年も忘れていたのに。
♪ いつでも 彼女は言っていた 幸せの国の入り口の
  ファンキ-ブルーの人魚のしるし いつでもあなたを待ってると
  だけど… だけど… 誰も知らない 見つけない
でも、待っていてくれるはずの人魚のしるしを見つけることが出来なかった。
ちょっぴり心に引っかかる。別に、そんなことに意味を見なくてもいいのだとは思うけれど。
ダアの人生は「幸せの国の入り口」を見つけられないで、ここまで来てしまったのか?

「幸せの国の入り口」は、本当は誰にも見つけることが出来ないもので…
人は、それでもそれを探し求めて、いつまでも彷徨っていくのだ。
「幸せの国の入り口」なんてものは、もともとどこにもありはしなくて…
本当の幸せは、自分のすぐそばに、見えない形でさりげなくあるのだ。
したり顔の若い頃は、それで良かった。それが真理でもあろうし…
もはや老いの境地に入っている今、それでもふと、思ってしまうことがある。
もっと違う人生があったのではないのか? 別の幸せがあったのではないのか?

エエイ! どうにもならない過去で、くよくよするない!
ダアの中のもう一人のダアが、気合を入れてくれる(笑)。

                                              もくじへ


 

「肩掛けカバン」
・・・2004.10.09

今朝7時前、超大型台風22号の接近・・・と言うことで、早々に練習中止を決めてしまった。
家で自主トレをせよと、連絡網で回したのだが、結果的には昼までは練習すべきだったと反省(笑)。
空いてしまった時間で、先日の出張帰りにアメ横で買ったかばんの、染色をすることにした。

創立記念日と郡大会が重なった先週末の2日間、上野や浅草でカバンを探し歩いた。
昔の中学生の通学用カバンをイメージして彷徨ったのだが、ビビッ!と来るものは無かった。
今週になって横浜からの出張帰り、アメ横ももう御徒町と言う店で、ビッ!くるカバンに遭遇した。
幅広の肩掛けベルトで、上部開口部を覆う蓋(?)が向こうの側面全体にまで及んでいる。
キャンバス地で、やはりと言うか色はオフホワイト。昔の中学生の通学カバンも倉庫にあるとか。
色が濃紺だったら即ゲットするのに… 白だからなあと何度もため息。店を後にしては、舞い戻る。
そんなダアを見て、店のおばさんが声を掛けて来た。値引きしますよと誘惑してくる(笑)。
白でもいいかな?が、やがて エエイ!白もいいや!(笑) 購入を決意したのでありました(笑)。

出張から戻った次の昼休み。衝動的にバイクでジョイフルホンダへ。染料を買おうと思ったのだ。
で、アントラキノン骨格のインダスレン染料を購入。インジゴ同様の建て染め染料だが退色しにくい。
本格的な染色は始めてだが、言わばダアの本業の化学実験みたいなもの(笑)。
水に不溶な染料を還元し、水に可溶化して(この操作を染料を建てると言う。)繊維に染める。
白色の生地が深い草色に染まり、水洗いの最中から空気酸化を受けて、濃い藍色と相成る。
ちょっと染めむらがあったりして、いかにも手作り。世界にオンリーワンのカバンの出来上がり(笑)。
ついでに小物も染めたりして大満足だったが、練習を休んでしまった後ろめたさもちょっぴりあった。

                                              もくじへ


 


「浅草散歩(2)」
・・・2004.10.04

朝、小鳥の声が聞こえないのですっかり寝過ごしてしまった(笑)。阿見とだいぶ様子が違います。
地下鉄銀座線、切符を買う段になって、ふと銀座線なのだから銀座に行ってみようと思う。
地上に出ると、目の前に山野楽器店。昔、楽譜を捜しに入ったことがある。そんな時代もありました。
三愛ビルとかがあったりして、それを背景に写真を撮っていたりしている。
でも、何だか街並みがスマート過ぎて居心地が悪い。で、銀座は早々に切り上げることにした。
田原町駅で降りて、国際通りに出る。浴衣姿の相撲取りが店先にたたずんでいる。何ともでかい(笑)。
雪駄の素足の荒れが印象的だった。裸足で相撲を取るから当たり前か(笑)。
かっぱ橋通りを歩いてみる。食器や厨房道具などレストラン、食堂関連の店が並んでいる。
地図を片手に歩いている人を何人も見かける。外国人や観光客が店を覗いている。
♪ かっぱ橋道具街、かっぱ橋道具街、かっぱ橋道具街、かっぱ橋道具街
地元のバンドが歌ったとかのテーマソング。流れているフレーズをいつしか口ずさんでいる。
とある店先の緑板のチョーク文字。イチローが大リーグ記録を達成しました。
「こう言うのって、嬉しいわね!」道行く人の会話。ダアも同感で御座います。
昼飯は、悟雀おじさんお薦めの蕎麦屋・尾張屋へ。天ぷら蕎麦の海老がでかくて2匹だとか…
元逆鉾が、弟子なのだろう相撲取り2人と蕎麦を食べていた。蕎麦はまあまあでした。
少しはロケーションが分かってきた街中を歩く。下駄と雪駄は大衆的な店で購入する事にした。
ひさご通りの和装履物専門店・まつもと。ン万円の雪駄もあったがお買い頃が山程あった。
調子に乗って足袋まで購入。洗うと詰まるので大きめをとの事だったが少し大きすぎたみたい(笑)。
花屋敷遊園地の脇を歩いていたら、ゴオーと言う音と歓声が頭上から降ってきた。
見上げるとジェットコースター。そばを歩いていた若者が「キャーと言う程のものかよ!」 
老舗と言われる花屋敷。確かに設備は貧弱かも知れない。でも、その若者の言葉、何だか嫌な気分。
直前に路地ですれ違った少年の「わーい、花屋敷だ!」の顔が好対照で思い浮かぶ。
次から次へと、人心を引きつける大きさの競い合い、君はそんなものに毒されているぞ(笑)。
かく言うダアだって、浅草にいるからそう思うだけなのかも知れないけれどね(笑)。
袋物・カバンの店も幾つか覗いてみた。なかなかイメージ通りのものが無くて… とダア。
奥の方から「お作りしますよ」。振り向くと職人風のご主人。安ければそうするんだけどね(笑)。
祭り衣装の店があったり、手ぬぐいの専門店だったり。あんな手ぬぐい立派過ぎて使えないよね(笑)。
何度か通った六区ブロードウェイ。木馬亭、浅草演芸ホール…
路上にはみ出したテーブルでは、午前中から呑んでる人々がいる。好きな風景だな(笑)。
場外馬券売場の景色は馴染めそうも無いけれど、その内、昼間っから呑んでるダアがいたりして(笑)。

夕方、試合が終わった選手から報告の電話があった。そうだ、今日は郡新人戦だったっけ(笑)。

                                              もくじへ


 


「浅草散歩」
・・・2004.10.03

創立記念日と選手達の郡大会が重なった週末の2日間、のんびりと浅草を楽しむことにした。
例の作務衣の一件のせいばかりではないのだろうけれど、最近、浅草にはまっている(笑)。
急ぐ旅ではないので、高速ではない事を承知の上で(笑)高速バスに乗ってみた。
車内は10人程度の乗客、平日のこと、時間に余裕のある(と思われる)年輩者が多い。
向かいのお婆ちゃんが、大口を開けて居眠りしている。背後の老カップルが何やら話し込んでいる…
お気に入りのCDをたっぷり聞くことは出来たが、上野までの3時間弱はさすがに少し苦痛だった。
アメ横での遅い昼飯は昇龍のジャンボ餃子。ボリュームがあり過ぎて焼きそばが食べきれない(笑)。
腹も納まったので、最近捜している大きめの肩掛けカバンを求めて界隈を歩いてみる。
どの店も、ダアの要求的には似たような品揃え(笑)。ダアの要求が特異過ぎるのかも知れない。
因みに、探しているカバンのイメージは昔の中学生の通学用カバン。
幅広の肩掛けベルトで、上部開口部を覆う蓋(?)が向こうの側面全体にまで及んでいる。
色は濃紺、布製だったらなお嬉しい。それを袈裟懸けにしたり、ちょこんと肩に掛けたりしたい(笑)。
アメ横センタービルで、緑のキャンバス地のまあまあのものを見つけたが、ペンディング。
昭和通り近くの米軍関係グッズの店で、ナイスなカバンに遭遇したのは思わぬ成果だった。
今、遠征に使っているやつがダメになったら購入しよう。何年先になるか分からないけれど(笑)。

銀座線で浅草へ。Wabで検索した「悟雀おじさん」のお薦めコースを参考に回ってみた。
履き物の長谷川商店。週日しか営業しないとかで、一応買う気で店内へ。その数量に圧倒される。
目当ては、下駄と雪駄。素人目にも良い物がある。問屋なので値札は符丁になっている。
親切な店員にその気になるが、聞くと何とも高い(笑)。ここは一つ頭を冷やそうと店を出る。
雷門から仲見世へ。昨年の関東大会で選手と通った時は、観光みやげの店並だと思っていた。
間口が狭く、いかにも観光みやげと言った品揃えが目に付いたからだが、それは間違いだった。
悟雀おじさんは和服を着る人のようなので、呉服関係の紹介が多かったが、しっかりした店が多い。
一通り歩いて、ロケーションが頭に入ったところで、上野までゆったりと歩いてみることにした。
昨年、選手達と泊まった浅草ビューホテルのすぐ向こうが、かっぱ橋通りだった。
義姉夫婦が洋食屋をやっていた事があって、ここで食器類を買ったと聞いたことがある。

カラオケは勿論やりました。サウナにアカスリまで奮発して、すっかりくつろいだ初日なのでした(笑)。

                                              もくじへ


 

「お月見どろぼう」
・・・2004.09.28

仕事を終え外へ出ると、辺りはすっかり暗くなっている。日没がかなり早くなってきた。
ふと見やると、大きな月が目の高さに光っている。今日は中秋の名月だ。
昨日のタクマを思い出す。「明日は、お月見どろぼうがあるので練習を休んでいいですか?」
地区の行事だと言う。何年か前に、同じ三区のタカマサやダイスケもそんな事を言っていた。
何ともおおらかな風習だ。月明かりの中で高揚している子供達を思うと、うらやましくも感じてしまう。
ダアが子供の頃住んでいた川崎でも、似たような行事があったらしい。らしいと言うのは、
古くからの地区に住む級友がそんなことを言っていたからで、住宅街に住むダアには無縁だった。
今朝、職場での話題に、関東出身の同僚は「お月見どろぼう」で即、意味が通じた。
ところが、福岡出身の同僚は「それって何ですか?」 たまたまかも知れないけれど、日本も広いね。

今夜の練習で、またまた怒鳴りまくってしまった。一方でタクマは「お月見どろぼう」。
大声で罵倒され、涙まで流す。獲得したお供えを自慢しあう。どちらがいいのか分からん状態。
全国大会へ出してやるが、全国大会メダル獲得へ目標が変わり、更にその上を目指そうとしている。
たった2時間の練習でも確実に進歩する選手をみると、これでいいのだと無理に思い込もうとする。
でも、本当は何が正しいのだろうか? 彼らにとって何が幸せなんだろう?
どちらも大切なものだとは思うけれど、何かちっぽけなものにこだわっているような、そんな気もする。

選手達と、釣りをしたりサイクリングに出掛けたり… もう何年もやっていない。

                                   もくじへ