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   ダアさんのバド?な雑文(ザブ)
 
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「茨城全中(3)」
・・・2004.09.08

茨城全中と同時期に行われたアテネオリンピック。
物怖じしない戦いで、次々とメダルをゲットしていった日本の若者達。
合理的な練習もさることながら、何度も重ねた海外遠征が活躍の原動力となった由。
一方、茨城全中でのダアの選手達。戦う姿勢の欠如が鮮明に表れてしまった。
今年に限らず以前より気にはなっていたのだが、いよいよ踏み込まなければならない課題だ。
新チームの技量では遠征など望むべくもない。経験を重ねる手法は1年間の持ち時間では使えない。
そうであれば、メンタルトレーニング(コントロール?)なのだろうが、これはちょっと苦手。
スポーツ心理学に則った指導。成功例も聞く。そこかしこで、それらしき手法が用いられている。
だが、アマノジャクなダアはそっぽを向きがち。学問通りに動かされる集団なんてキモイよ!
昔からの生きる知恵は、生身のふれ合いから生まれて、学問は後から付いてきたんだよ!
座学で得た知識を振り回し、心の機微を理解しないかのような指導者に対する反発もあった。
まあ、ダアの不勉強と言った面も多々あるのだが… 少しは勉強しますです(笑)。

子供の頃からひょうきんだったダアも、最近はボケが入って仏頂面が多い。
本当はボーッとしているだけなのだが、選手には存在感たっぷり見える。幸いなことだ(笑)。
意識的に、叱りつけたり、追いつめたりする。本当は、ニコニコしていたいのに(笑)。
練習でハンディキャップゲームを多用する。14対0、時には15対0からゲームを行う。
15対0の場合はワンミスで負け。これが、とてつもなくきつい。
何度も苦しんだ挙げ句、フッと乗り越え、勝てるようになる… これはレギュラーサイドの論理。
ハンデを貰う側としては、相手が手を抜けないので、トップレベルのラリーが体験できる。
全中で露呈した難問を解決する糸口が、ここにあった。逆の発想に真があったのだ。
今年1年間、OB・大学生・メーカーの方など、大勢の皆さんに試合の相手をして頂いた。
最初のうちは歯が立たなかったのだが、やがて、勝たせて貰えたりするようになった。
強いですね。これはいけますね。そんな感想を貰っても、それは違うと心の中でつぶやいていた。
まぐれであったとしても、技術的にはそこそこのレベルであること。その証明にはなった。
だが、ぎりぎりのしのぎ合い、真の戦いになっていないのだ。時に勝たせて貰った試合であっても、
単に運動量の差であったり、中学生用に受けてたった試合で、取りこぼしただけなのだった。

ダアの選手にハンディキャップを貰って試合をして貰う。難問に対し見つけた糸口だ。
このアイデア、果たして受け入れてくれるだろうか。
OB・大学生・メーカーの方など、皆さんここは何としても受けて頂きますよ(笑)。

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「茨城全中(2)」
・・・2004.09.07

2週間が過ぎた茨城全中は、ダアの中で遠い昔の出来事になってしまった。
1週間ほどは珍しく虚脱感があったが、それもすっかり癒え、リフレッシュしたダアがいる。
新チームは、よく言えば層が厚く、悪く言えばドングリの背比べ。練習の核を探しあぐねていた。
とりあえず新人戦までの練習体制が見つかり、あとはひたすら進むだけ。だと思う(笑)。
恐れ多くも、願わくばダブルスだけでもと打倒S中を目指し、秘策を練った1年間だった(笑)。
あえなく撃沈されてしまったけれど、ダアにとって新しいバドの追求は、試行錯誤の連続だった。
1年間の成果は大きな財産となった。来年に向け、繰り返すことから始めればいいのだ。
繰り返しは、性急な進展で取り残してしまった3年生にとって、絶好の復習の機会にもなる。
新たな課題、戦いの場でのタフな心の育成。この難問にも糸口が見つかりそうだ。

旭川で銅、茨城で銀、と言うことは… 岐阜では金ですね。
先日行われた「3年生を送る会」で、挨拶にたった父母会長の言葉に会場が沸いた。
ダアですか? そんな…恐れ多い(笑)。 まだ、ドライブも満足に打てないんですよ。
でも…
ダアって、いつだって恐れ多いことを考えていたりしちゃって(笑)。
2次会のカラオケは25時過ぎになってしまい、8時からの練習には少しきつかった。
3年生の歌声は、12月と比べてだいぶ変わっていた。選曲も、発声も、理解度も…
そして何よりも、マイクに対する立ち姿に大人を感じた。これだから中学生は止められない(笑)。
何人かいた2年生はといえば、何も変わっていなかった。まあ、これからなのでしょうよ(笑)。

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「茨城全中」
・・・2004.08.31

地元茨城での全中を、団体戦:銀メダル、個人戦ダブルス:銅メダルという結果で終えた。
まだ1週間も経っていないと言うのに、もう遙かな昔の出来事に感じてしまう。
3年生も表彰式の次の日から普通に練習している。チームの景色は少しだけ変わった。
キャプテンや係りが新しくなり、荷物の置き場も集合の位置も、私の周りは2年生となった。
いつまでも疲れが取れないなどと言ってはいられまい。来年への模索を始めなければ。

S中旋風が吹き荒れた昨年の旭川全中。当面の目標は、S中の2年生(当時)5人だった。
全員が個人戦メダリスト。1-2-3フィニッシュ。何よりそのプレーの完成度の高さに驚愕した。
来年に向けて、いったいどんな練習をすればいいのだ。糸口さえ見い出せなかった。
 中学生は心も身体も飛躍的に発達する時期、その時期に適切な練習をさせてやれば…
 そもそも小学生の身体には、この競技はきつすぎる。中学生で初めて真の練習が出来るのだ…
 だから、練習さえすれば小学校で実績のある選手であっても、それを破ることが出来る!!
すがるものは、こんな曖昧な信念だけ。でもやるしかない。
人間、一生懸命になると、それなりに頭が回転する(笑)。この1年で私のバドは随分変わった。
卒業したばかりのOBのプレーが、何とも古くさく見える。つい最近まで私のところに居たのに(笑)。

練習してきたことを全て出せれば、それでいい。きれい事では無く、本当にそう思っていた。
練習してきたことを全て出せれば、そこそこの結果は付いてくる。秘かにそう自負もしていた。
結果は、S中の団体戦:3連覇、くだんの5人は個人戦:2連覇を含め全員がメダルをゲット。
関東大会で、いったんはその一角を崩したとは言え、結局は追い抜くことが出来なかった。
個人戦:準決勝で関東大会の雪辱を許してしまった選手は「思うように出来なかった。」そう言った。
やらせてくれなかったのかも知れない。私がベンチに入れたら違った展開に成ったかも知れない。
だが、選手と過ごした大会の4日間で、私は新たな難問を突きつけられてしまったのだ。
 折しも行われたアテネオリンピック。
 日本の若者達は、物怖じしない戦いで、次々とメダルをゲットしていった。
 活躍に至った原動力。合理的な練習もさることながら、何度も重ねた海外遠征…
体育館そばの国民宿舎に選手たちと泊まり込み、戦いの時を共有した。そして現実に遭遇した。
選手の瞳に覇気が無いのだ。戦いに臨む高揚が見えず、戦いから逃れているようにさえ見えた。
「思うように出来なかった。」では無く、「思うようにやろうとしなかった。」のでは無かったのか?

日々の練習や、数こそ少ないが大会経験などで、その兆候には気づいていた。
最終学年、最後の晴れ舞台。そんな状況の中で、本来持っている闘争本能を発揮してくれる。
そう考えていた。そう願っていた。と言い変えるべきかも知れない。
メンタルトレーニング。ここはやはり、これに行き着くのだろうか・・・
あるいは、私の思考体系、練習に対する姿勢などに根本理由があるのかも知れない。
1年間と言う時間、経験の機会と費用のバランス。新たなこの難問は、本当に難問と言える(笑)。

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「作務衣(2)」
・・・2004.07.22

栃木のK監督から、
作務衣を着ても寒いギャグを言うなと、励まし?の書き込みがあった。
言うなとの書き込みを、何故かどんどん言えと読み替えてしまうダアなのでした(笑)。
で、ダジャレ大好き人間がお送りする「ダア的ダジャレ論」を少々。

ダアが新入社員の頃、職場にダジャレを連発するSさんと言う人がいた。
良いところのお坊ちゃま風で、はっきり言って爽やか系とはほど遠く、まあタイプじゃなかった(笑)。
このSさん、何かダジャレを思いつくと職場中の人間をつかまえて言いまくる。
一応上司だし、そう邪険にも出来ないけれど、仕事中だったので邪魔くさかった(笑)。
それでコミュニケーションを図ろうとしていたみたいだけれど、ネタがお粗末だったね(笑)。
その後「オヤジギャグ」っていう言い方がはやったけれど、いかにもそれっぽかったな。

世の中、確かに出来の悪いダジャレが多いし、それをやたら振りまく御仁も多いことは否めない。
ダアもその一人だったりして(笑)。 でもね、ダア的にはダジャレは一つの文化だと思うのですよ。
「語呂合わせ」は一種の言葉遊びだし、「韻をふむ」のはポエムの重要な要素だよね。
アクロスティックなんてのもあって、駄文(ダブ)の「バド?な日々」は一応それなんです。
これらの素養があって、おじさん達は事ある毎に頭が働いて、ダジャレが思い浮かぶのですぞ(笑)。
ダジャレはいつしか世代間のギャップ、 断絶と言ったものの象徴となってしまったよね。けれど、
世の中に横溢する出来の悪いダジャレだって、立派に文化の一端を担っているんだよ。多分(笑)。
おじさんの立場から言えば、逆に若者言葉とかには悲しいものを感じてしまうね。
彼らの駆使する直接的な擬態音とか、単純な省略言葉には、それしか思い浮かばないのって思うよ。
これって、文化の退廃だよね(笑)。今の若者は、頭の回転が悪いのだろうか?(笑)
この部分、勿論言い過ぎです(笑)。K監督の書き込みから連想したダアの勝手な妄想です(笑)。

だいぶ前のこと。いかにも生真面目なナオキに、何か面白いことを言ってみろとけしかけた。すると、
布団吹っ飛んだ」。 表情を変えないでボソッと言ったものだから、選手達が笑った。
毛布 もー吹っ飛んだ」「も飛んだらアタマくらあ」。ダアはそれ位まで言えと指南した。
って、偉そうに言ってもやっぱりオヤジだったりしちゃって。つまらん
ダジャレを言うのはダレジャ
 もー 最悪(笑)。

* 蛇足ながら「作務衣」は「さむい」ではなく、本当は「さむえ」と読みます。

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「作務衣」
・・・2004.07.16

8週に一度の医者通いは、ほんの一瞬の診察なのに長い待ち時間。半日がかりになってしまう。
通院の水曜日は夜の練習もないし、それではと休暇を取って休養日にあててしまったりする。
梅雨も明けたこの日は、浅草へ出かけてみることにした。作務衣が目的である。

前夜、「作務衣」「浅草」で検索した。下町って言う雰囲気に惹かれて浅草にしたのである。
昨年の関東大会の宿は浅草ビューホテルだった。浅草寺の境内を通って会場に通ったものだ。
地下鉄を降りて雷門へ。ここで選手達にカメラを向けたのが何年も前に感じられて、こそばゆい。
雑踏の仲見世を通り抜けて、目指す店はすぐに分かった。思ったより小さい店構えだ。
「毎度ありがとうございます。」おばあちゃんの笑顔に迎えられる。「初めてなんですけれど」(笑)。
何でも、顧客に坊さんが多くて、ダアも同業者だと思ったとのこと。短パンとTシャツだったのに(笑)。
作務衣に少しの甚平。まあ専門店といったところだ。この店、ネット販売なども手がけている。
インターネットは娘さんがやっていて、伝統に新しいセンスを取り入れた品揃えをしている様子だ。
おばあちゃんのうんちくを聞く。おじいちゃんの社長さんがアイスコーヒーを勧めてくれる。
このおじいちゃん、ネットで画像を見ていたので何だか懐かしさを感じてしまい、おかしかった。

幾つか袖を通して、鏡を見る。ちょっと照れくさい。「とても似合いますよ。」と、おばあちゃん。
「それって、営業でしょう?」そんな物言いが場の雰囲気に合わず、言うんじゃなかったと少し反省。
いろいろ話をしたりして、くつろぎ気分。田舎のおばあちゃんもいいけど、下町のおばあちゃんもグー。
ダアが柔和な顔をしているので、坊さんに見えたし、それで作務衣もピッタリなんだとか・・・
ヘェーそうなんだ。ダアって柔和な顔に見えるんだ(笑)。皆さん、そうなんだそうですよ(笑)。
歳をとってからの顔は自分の責任だと言うから、それって悪いことでは無いんだろうけどね。
でも、ダア的には、「阿修羅」のようって言われたい気分もあるよね(笑)。大会前だしね(笑)。

高いものは 
万円のものもあったが、ダアは初心者と言うことで2番目に安いものを購入。
それにしても、なぜ突然「作務衣」なんだろう? 自分でもよく分からない(笑)。

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「ネコ」
・・・2004.07.06

「トラ、ライオン、ワニ、サル」 ダアの練習法では、フットワークに動物の名前が付いている。
そのことで、青森県弘前市で小学生の指導をされているSさんと仰る方からお手紙を頂いた。
ダアの「キーワード式練習法」を参考にされ、子供達と楽しく辛い練習をされているとのこと。
 先日、フットワークの練習中に子供達から「トラはなぜトラなの」「ライオンはなぜ・・・」
 と質問され、返答に苦慮しました。由来等を話してやれば子供達の励みになるかと思い・・・
読ませて頂いて、恐縮しながらもつい微笑んでしまった。温かい情景が目に浮かんでくる。

キーワードは符丁なので、何でもいいわけだが、ダア的には一応こだわっている。
「トラ」は、沈み込んだ重心を横へ速く動かすので、トランスファーから「トラ」
「ライオン」は、伸び上がる大きな動きをライズと表現し、「ライ」から「ライオン」と変化させた。
「ワニ」は、下に飛び込む素早い動きを、岸辺から水中に滑り込む動きに模して「ワニ」
「サル」は、軽く身をこなす軽快な動きから、キャッキャッとはしゃぐ姿を連想して「サル」としてみた。
これで、バドミントンに必要な4つの動きを動物シリーズでまとめることが出来た(笑)。
体育館で解説するときは、「この動きをトラと言うことにしましょう。」という具合に説明する。
そもそも練習で使っている言葉を、そのまま書いたものが「練習法」なので、説明不足は否めない。
そのまま表に出してしまうダアのセンスが疑われるところだが、議論の出発点になればと考えている。
BBSの「フォーラム」などを通じて、交流を深めていくことが出来ればとても嬉しいことだ。

さて、タイトルの「ネコ」だが、動物シリーズの説明の最後に付け加えたりすることがある。
ネット前でヘアピンの構えをし、構えた手を顔の横に持っていき、招き猫の形にする。
そして、おもむろに「ニャーオ」と鳴く。悪のりしたダアが繰り出すつまらないギャグです(笑)。
それから、「イヌ」と言うのは・・・       いいかげんにしろ!と怒られそう(笑)。

PS:動物シリーズは、フットワークだけでなく、攻撃センスの養成にも使う。例えば、
   「トラの攻め」は、相手が「トラ」の動きをしなければカバー出来ないような速い攻めを言う。

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「反面教師」
・・・2004.06.28

各地のインターハイ予選で、代表が出揃ってきたところのようだが、悲しい話を聞いてしまった。
某県・某高校では、同校対戦の一方を棄権させ、個人戦の代表決定を操作したとのこと。
対戦すれば勝つであろう下級生に言い含め、上級生に権利を譲った形を取らせたようだ。
何でも、その高校では伝統的にやっていることのようで、何ともやるせない気持ちになった。
一見、美談風のオブラートに包まれているが「それはやってはいけないこと」ではなかったのか?

 ダアの選手同士が、県予選の決勝で対戦した時のことを思い出す。
 順当にエースが勝てば、負けた選手は他校の選手との代表決定戦に回る。
 もしエースが負けても、既にその他校の選手に勝っているので代表決定戦は回避出来る。
 何度かあったそんな時、心の中で誰かがささやいていた。エースに負けるように言えよ・・・
 2つしかない代表権を確実に独占する方法・・・ まるで悪魔のささやきを聞いているようだった。
 しかし、ダアはその言葉を言わなかった。言えるはずもなかった。
 言ってしまえば、叱り、励まし、共に歩んできた選手達との日々を否定することになってしまう。

選手が可愛くて、結果を操作してまでチャンスを与えてやりたいと言うことなのだろうか?
それを温情と言うのだろうか? だとしてもそれはスポーツの本質とかけ離れてはいないか?
悪魔のささやきに、魂を売ってしまった。言い過ぎだろうか? 何か別の論理があるのだろうか?
操作してまで代表にして貰った全国大会は、本人の心にいったい何を残すのだろうか?
代表権を譲って貰ったその上級生の親は、大会の応援に行く気になれないとのこと。
何ともやるせない話題の中で、せめてもの良心をその親に見た気がする。
指導者の言動が、反面教師であったならば、それはあまりに悲しい。

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「海」
・・・2004.06.22

20日の日曜日、期末試験の前日だということで昼で練習を切り上げた。
庭いじりをしようかなとも思ったが、ふと海が見たくなってバイクで出かけた。
先日、ひょんなことから霞ヶ浦大橋を原チャリで通れることを知ったからでもある。
台風6号の影響で風が強い。湖面を吹き抜ける風に真っ直ぐ走ることさえままならない。
国道354号。霞ヶ浦町と玉造町とを結ぶ。昭和62年開通とあるからもう17年も前なんだ。
通行料30円。前から気にはなっていたが、車しか通れないと勝手に思いこんでいた。
その昔、地図で霞ヶ浦を挟んで同じ号数の国道が走っていることを、不思議に思ったことがある。
これってどうやって湖面を渡れって言うんだい。水陸両用車しか走れない国道なんだ(笑)。

玉造町に入るまでに約一時間、やはり早い。しかし、カブのシートはお尻が痛くなるね(笑)。
慣れも手伝って、普段は臆病なダアが制限速度オーバー。辺りは緑いっぱいの林が続く。
切り開かれた道路を気持ちよく進んでいると、おばあちゃんが路肩を歩いている。少し驚く。
昔からの道路は家の為にあるから、曲がりくねっている。車の為の道路は真っ直ぐで民家を避ける。
国道を通り過ぎるダアには知る由もないが、あの木々の向こうに息づく生活があるのですね。
あのおばあさん、決して森の中に暮らしているおばあさんではないのです(笑)。

約80分で海岸に着いた。何年ぶりだろう鹿島灘の海は波が荒い。台風の影響もあるのだろう。
去年、旭川から続いた遠征の終わりに選手たちと遊んだ瀬戸内の海は、まるで鏡で御座いました。
サーファーたちが波と戯れている。海岸を車が疾走している。波打ち際で遊ぶ人影もある。
ダアは木陰に座ってずーっと海を見ていた。海って何だか懐かしいんだよね。
少年達が裸ではしゃいでいる。今頃選手たちはちゃんと勉強しているのだろうか?(笑)

ただボーっと海を見つめていただけなのです。ちょっと日焼けが気にはなったのですが(笑)。
それなのに何と、物語を感じてしまったのです。それが駄文(ダブ)の「海」。
ついに、こんな作り物をアップするようになってしまって、ダアの底が知れてしまいます(笑)。

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「めだかの兄弟」
・・・2004.06.16

心と裏腹な青空に誘われて、散策に出てみた。職場での昼休みのこと。
梅雨の中休みで、初夏を思わせる日差しだ。足は自然に裏手の小川に向かう。
流れを覗くと、オイカワの幼魚が群れている。小さい体に、しっかり追い星まである。
こちらが風景に溶け込んでいると何とか観察出来るが、姿を見せると素早く動き回る。
しかし、何とも素晴らしいフットワークだね(笑)。選手に喰わせればあやかれるかな(笑)。
先へ進むと、ウグイの幼魚が流れに止まり群れている。まだオレンジ色には成っていない。
しかし、魚達はどうやって仲間が分かるんだろう。オイカワとウグイ、ほぼ同じ大きさなのに。
相手は見えても、自分がその仲間達と同じだってどうやって知るんだろうね。鏡は無いよね(笑)。
何だか楽しくなって、もっと進もうと思う。が、少し躊躇。会いたくないやつがいるかも知れない(笑)。
小さな魚が水底を這っている。小さすぎてよく見えないが、動きからハゼ科の仲間と分かる。
よどみの稚魚はモツゴかな? 小さなザリガニが散歩している。脱皮した抜け殻が流れて行く。
足音に驚いて、オタマジャクシ(ウシガエルの子)が泳ぎ去る。増水で流されてきたのだろうか。
何と、メダカの幼魚を発見。その気になって見ると結構いるいる。卵を腹につけた成魚もいるぞ。
この小川、その昔にダアが捕りまくってメダカがいなくなってしまったのだ。これは嬉しいね。
おっと、会いたくないやつがいた。日差しを浴びて水浴びしている。ダアはスネークが苦手です(笑)。

陸上大会の一件で、昇り詰め、破綻してしまった葛藤・・・ ダアの心は未だに彷徨っている。
選手のひたむきさは、よく分かる。よくやっていると思う。でも何か物足りないのだ。
つい、ストイックなまでの行動を望んでしまう。そんな心構えでは勝てないじゃないか・・・
もっとおおらかでいられたらと思う。結局、自分が抱える不安の裏返しなのだろうけれど・・・

昔、「めだかの兄弟」という歌があった。TVの番組でわらべと言う3人組が歌っていた。
のぞみ、かなえ、たまえ、上手い名前だね。その歌をいつしか口ずさんでいた。
♪ めだかの兄弟が川の中、大きくなったら何になる。
♪ 大きくなったらコイになる、大きくなったらくじらに。スイスイ・・・
♪ だけど大きくなっても、めだかはめだか。スイスイ
ダアの足音に小さなカエルが飛び跳ねた。明日は、笑顔で選手たちと会えるかもしれない。

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「並走(3)」
・・・2004.06.11

もう15年位前のことだと思う。詳細は忘れてしまったが、霞ヶ浦文化体育館で行事があった。
選手は自転車、ダアはバイクで出かけたのだが、その時感じたちょっとした違和を思い出した。
当然、一般道を走るのだが、選手が横に広がって楽しそうにペダルを漕いでいる。
車が来ると、さりげなく道路脇に寄ったりして、何とも自然なのだ。
注意すると縦になるが、やがて団子状態になってしまう。彼らの普段が見えているのだと思った。
縦一列が身に染みついているダアは、その時、選手の心の中に別の世界を見たのだった。

車と言う強大なパワーに対して、人は対面交通などの決めごとで身を守ってきた。
やがて、人も車も狭い街中に溢れてくると、少しずつ様相が変わってきた。そんな気がする。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」こんなコントが受けた時代があった。古すぎるかもね(笑)。
強者が律せられるのは、その持つエネルギーの絶対的優位さから当然のこと。
だが、弱者と言われる者達にも、互いに守るべき大切なものあったのではなかったか?
時代と共に歩行者が自分勝手になり、自転車が傍若無人になって来た。そんな気がする。

道路整備などへの無能な施策が招いた結末かも知れない。その論点は置いておくことにしよう。
罰則を設けて、強者も弱者も律そうとする。一つの確実で手っ取り早い方法だ。
無灯火で5万円、横に並ぶと2万円・・・ 選手の耳にはインパクトのある金額だ。
だが、選手に対する注意に、このネタは使わなかった。何かが違うと感じていた。
なぜ無灯火がいけなくて、なぜ併走がいけないのか、大切なものぼやけてしまうように思えた。
罰則には、功罪がある。運が悪かった。見つからなければいい。そんな風潮を招きはしないのか。
彼らの心の中に、どうすれば正義を伝えることが出来るのだろうか?

駄文(ダブ)の「修行僧」に、こんな一節がある。ちょっと照れくさいが引用する。
  正義の意味を教えてやれない世の中だから
  だから信じることに立ち向かう勇士でありたい
葉書を頂いたO先生の「持ち続けておられる勇気」に美しさを感じる。

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「並走(2)」
・・・2004.06.10

3週間程前に、バイクの運転免許の書き換えに行った。
土浦警察署で講習を待つ間、所在なさに辺りを見回していると壁のポスターが目に入った。
無灯火で自転車に乗ると5万円以下の罰金で、横に並んで走ると2万円以下の罰金・・・
自転車に関するそんな警告が、知っていますか? と書いてあった。へェー知らなかったよ。
機会があったら選手に対する注意のネタに使おう。そう思った。
顧問から葉書の話を聞いた時、だから、誉める事ではなく叱ることですよと言ったのだった。

今回、確認の為にインターネットで調べてみると、何と言うことだ。ダアはまるで犯罪者(笑)。
そもそも自転車に乗ろうと思ったのは、雨が降っても傘をさせる(5万円以下の罰金)。
呑み会があっても乗って帰れる(2年以下の懲役、又は、50万円以下の罰金)。
携帯電話で話も出来る(5万円以下の罰金)。えぇーそんなの知らなかったよ(苦笑)。
ダアは今まで、傘をさして朝練に行っていた。自転車通学の中学生はきちんと合羽を着ている。
安全の為に学校で指導しているのだと思っていた。ダアは大人だから容認されると弁護していた。
傘も、呑み会も、携帯も、知ってしまったからには、もう出来ないよね。ダアはそんな性格です(笑)。
知らなかったほうが・・・とチラッと思ったりする(笑)。一体、誰がどうやって周知させたのだ(笑)。

皆様、整理すると法律は以下のようになっているようですよ。ご承知置きを(笑)。
酒を呑んで乗る。(2年以下の懲役、又は、50万円以下の罰金)
信号無視。一時停止無視。歩道を走る。右側を走る。(3ヶ月以下の懲役、又は、5万円以下の罰金)
無灯火。傘さし。合図しないで曲がる。(5万円以下の罰金)
2人乗り。2台以上横に並ぶ。(2万円以下の罰金)
まだまだありますよ。一度きちんと勉強しましょうね(笑)。
ところで、ウォークマンを聞きながらの自転車は、罰金を取られるのだろうか?(笑)

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「並走」
・・・2004.06.09

選手たちのことで、学校のバドミントン部顧問宛てに葉書が届いた。
住所・氏名が明記された丁寧なもので、差出人は隣接町の中学校の先生とある。
裏表いっぱいの文面からは、ご本人の熱い心と、優しい眼差しが伺える。
面識も無いダアからの電話に、快諾を頂けたので以下に転載する。

  突然の便りをお許し下さい。昨夜、八時過ぎ、貴校のバドミントン部の生徒が並列で
  走行しているのを見かけ、車を止めて声を掛けました。
  これまで何度も小中学生を注意してきました。しかし、見ないふりをすればよかった
  と思うほど、後味の悪い思いをすることが多かったのですが、昨夜は違いました。
  「すみませんでした。」と大きな声で言ってくれただけでなく、
  「ありがとうございました。」と頭を下げてもらいました。
  注意をして礼を言ってもらったのは初めてです。
  鳥肌が立つほど感激しペンをとった次第です。
  私はバドミントン部の皆さんのおかげで、危険なことや悪いことを見かけたら、
  一言、声を掛ける勇気をこれからも持ち続けることができます。
  くれぐれも生徒の皆さんによろしくお伝え下さい。
  阿見中学校の、そして、バドミントン部の皆さんのファンになりました。
  御活躍をお祈りしています。
  暖かい心を有り難うございました。

O先生、注意をして頂き本当に有難うございました。

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「桜」
・・・2004.05.28

朝練に向かうチャリで今、河口恭吾の「桜」を聞いている。勿論、覚えるつもりでだ。
この曲を知ったのは、上野のスナック。出張の帰りに、練習時間には帰り着けない。
高速バスにはまだ時間がある。と言うわけで、気分転換に軽く呑んだ。
狭い店内はカウンターとテーブルが2つ。前に来たことはあるが、見ず知らずの人々。
ダアが歌った直太郎の「さくら」に触発されたのか、とある中年が恭吾で続く。
へえ、これも「桜」なんだ。いい歌ですよ、カウンターの中の従業員が振り向く。
直太郎は少し技巧的過ぎる気がするが、こちらは古いフォークソングを思わせる。
へえ、いい歌じゃん! しばらくして、歌に詰まった中年がダアにマイクを差し出す。
済みません。この歌、知らないんです。今度お会いするまでに覚えておきます(笑)。

こんな話をヒカルのオヤジにしたら、しばらくしてCDが届いた。でも、聞けなかった。
練習法に悩む日々だった。ダアは目標を定めて、邁進していないと不安を覚えるタチなのだ。
「ワタアメ症候群」とその処方箋「線ふみ練習」。古いけれど新しい練習法に行き着いた。
夏までにすがれる柱が見つかり気持ちが入っている時、陸上大会の練習で選手が抜けた。
学校行事は大事にさせたい。大会参加で得難い体験も出来るだろう。でも、時間が無いのだ。
人影のない入り口ばかりが気になる。どうしたと言うのだ、もう1時間も経っているのに。
目の前の今という時間を、彼らの為に使えないことが、こんなにもつらいものなのか・・・

2日続いた苦しみに、ダアの心は限界を越えていた。胸が押しつぶされ、息がままならなかった。
まだ何も出来ない1年生もいるのに、耐えることが出来ず、練習から逃避してしまった。
体育館を後にしてペダルを踏むと、スーっと呼吸が楽になった。練習は意識から消えていた。
何が何でも勝たなくたっていいじゃないか。思い通りにならないのが世の中なのさ。
誰かがダアの心にささやいた。このまま止めてしまってもいいと思った。

チャイムが鳴り、ガラス戸越しにジャージ色が見えた。陸上で遅れた選手たちだ。
体育館を出て思考が停止してしまったダアは、何の感情も抱けなかった。許容も、拒否さえも。
練習に遅れて済みません。マコトが言う。誰もが不安そうな目を向けてくる。
集中力が切れちゃった。それしか言えないダアはガラス戸を閉めた。同じ場所に居たくなかった。

技術的なハザードは、己の努力で立ち向かえる。選手と一緒の勇気も持てる。
ままならぬ世に、己の小ささを知った時、大切なものが見えてくる。そんな気がする。
昇り詰め、破綻してしまった葛藤は、肩の力を抜けとの教示かも知れない。

心が優しくなったダアは、CDウォークマンを手にすることが出来たのだった。

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「ワタアメ(2)」
・・・2004.05.22

例年になく早い仕上がりに、まだ有り余る時間をどうしたらいいのか、回答が見つからなかった。
枝葉の観点からワンポイントの練習を重ねていくのでは、ダアの性分に合わない。
もう一度、幹を太らせる練習をするとして、時間をどのように使うのか、第一何を成すべきなのか・・・
悶々とする日々にダアの出張などが重なり、この1週間は地に足が着いた練習が出来なかった。
そんな中、イケチャンを預かってフットワークを修正しようと言うプロジェクト(笑)も発足した。
イケチャンの2日間は、東町中と重なったこともあって、動けない原因の解析までしか出来なかった。
そのフットワークは、重心移動がスムースに行えず、ただ、もがいているだけに見える。
ダアはそれを、ワタアメのようなと形容し、高瀬さんに中間報告もしたのだった(笑)。
実はこのワタアメ症候群、ダアのチームにもわずらっている選手が多い。

昨日の練習で、ダアは何だか機嫌が悪く、始めから怒鳴り散らしていた。
1年生を驚かせたくなかったのだが、1週間も停滞しているのに選手がとろとろしている。
まるで危機感が無いのだ。人間、怒ったりすると腹が減るし、頭が回転する(笑)。
大声を上げる脳裏に、ふと、ある練習が浮かび上がった。「線ふみ練習」もう何年もやっていない。
やらせてみると、まともに出来ない。そんな筈では・・・、やっと見つけた・・・、ほとんど同時に思う。

フットワーク中心の練習を自認しているので、当然フットワークは練習の中心を成す。
ノウハウもそこそこある。ところが今年の選手はスムースに動けない。ワタアメ症候群なのだ。
「リズム」「スナップ」「1歩」「2歩」・・・ フットワークの原理は理解している筈だ。
ところが、折につけ不自然な動きが現れて、練習の質を落としてしまう。
現れた症状を反復練習させると、それは出来るようになる。しかし、次々と別の問題が発生する。

今の子供は、物事に対する対処の仕方が、信じられない発想で成り立っていたりする。
ダアの年代からは、まるで宇宙人。いったい日本はどうなるのやら、どこへ行くのやら(笑)。
今年はゲーム練習を多くやってきたので、フットワークがおざなりになってしまったのかな。
いや、そう決めてしまうのは危険な気がする。決め付けは宇宙人の理解を阻害する(笑)。
常に白紙で臨むべきだ(笑)。  それはともかく、今回のことで言えること・・・
フットワークの原理も大切さも分かっていて、しかるべき練習をすればフットワークは身につく。
今までそう考えていたし、実際そうやって来た。だが、それはダアの考え違いだったらしい。

「線ふみ練習」はストローク練習の応用編で、決められた距離を反復移動しながら行う。
まず、フットワークが身に着いていて、動きながらストローク練習をしてみようと言う発想だった。
それが今回の一件では、別の意味合いを持たせることになった。
フットワークの方法が分かっていても、楽をしてしまい自分の意思で動こうとしない選手を、
強制的に距離を反復移動させることによって、習得させる・・・。言い過ぎだろうか。

今日は、1日中「線ふみ練習」をした。かなりきついし、昔はTOP選手しかこなせなかったものだ。
ところが、今は誰でも出来る。ダアのフットワークの考え方が大きく変わっていると言うことだろう。
ともあれ、残された時間の中で選手たちを大きく変え得る方法を発見出来たのは、大きい。
そして、「線ふみ練習」は、イケチャンへの処方箋でもある。多分だが(笑)。

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「5月のある日」
・・・2004.05.20

5月のある日、通院に免許証の書き換えを重ね、ちょっとした骨休めを兼ねて仕事を休んだ。

朝練に顔を出すと、昨日熱を出して休んだアツキが来ている。
「治った? 1日でも顔を見ないと寂しいね」声をかけるとニコニコ顔が帰ってくる。
半数近くが郡陸上の練習に出ていてちょっと活気が無い。それではとノックをしてみる。
終了時には、陸上の練習から帰った選手が揃う。この時期顔を見ないと少し不安を感じる。

原チャリで土浦の病院へ。ちょうど高校生の通学時間。しかしまあスカートが短いね(笑)。
検査に通う総合病院は患者で溢れている。それも年寄りばかり。埋没してるダアだったりして(笑)。
採血・採尿が済んで結果を待つ間、近くのファミレスへ。遅めの朝食はオムレツセット。
向かいの2人が声高で耳障り。男が自分のホームページや海外でのことなど喋りまくっている。
早々に切り上げて近くのホームセンターへ。園芸コーナーでアサザの実物を初めて見る。
検査の数値が下がってきています。いいですねえ。医師の診察は、ほんの一瞬(笑)。
連休の合宿で結構飲み食いしたのに、これっていくら飲み食いしてもいいってことですか?
憎まれ口を利くダアに笑っている。担当が変わり何人目かのこの医師は商売熱心(不謹慎かな)。
でも、それだけ体も動かしたんでしょう?と言ってくれる。 そう言うことにしておきましょう(笑)。

病院のことは頼んで、免許証の書き換えに警察署へ。受付を済ませると、講習まで時間がある。
近くの亀城公園へ行ってみる。茨城に越して来たばかりの頃、沈む心でさまよったっけ。
あの時は、小学生の一団が写生をしていたけれど、今日はおじさんが一人絵筆を握っている。
広場ではパンくずに鳩が群がっている。当たり前の風景。何も感じない自分が少し悲しい。
*あの頃の心の風景が、ダブの「瞳」にある。久しぶりに読み返してみると、甘酸っぱさが広がる。

免許証更新時の講習は、事故現場の写真などのVTRを見せられて、面白くない印象があった。
今回のは、しっかりした物語になっていて、ダアは感動でウルウルしてしまった(笑)。
自分でも意外だったが、チーム作りに苦悩しているこの時期。頼るもののない孤独な挑戦・・・
ナーヴァスになっている自分を再認識した。先日の吉原小での光景が引き金になったかも知れない。
思い返してみると、今までに何度も、似たような心境になったことがある。そんな気がする。
逃げ出せない重圧と未熟な己とのギャップを整合させるための、言わば安全装置。そんな気がする。

ユニクロで買い物をして、残った時間を「スパ湯~ワールド」で過ごすことにした。
選手とよく行く「湯ったり館」は公営で、手軽な値段で楽しめる。旨いものも食える。
こちらは民営でちょいと高めだが、付帯設備が充実していてゆっくり出来ると考えた。
薬湯に入ってみる。説明板に3~5分入り、5分休んで、これを3回繰り返すとある。
初めての時は、これが出来なかった。せいぜい1分しか入っていられない(笑)。
目を閉じて身を沈めていると、いつの間にか10分以上経っている。驚くべき事だ(笑)。
選手と風呂に入るようになったお陰で、子供の頃からの風呂嫌いが少し治ってきた。
ところで、効能は神経痛にとあるが、急所に刺激が強い。どういうことじゃい(笑)。

風呂あがりに広間でビールを呑んでみる。旨い! ソーセージの盛り合わせは失敗だったけど(笑)。
ステージの緞帳(幕)の前で少年がマイクを握っている。妙に場慣れしている。中学生位に見える。
カラオケでおばさんがやりそうな「ど演歌」を歌っている。おしゃべりを入れて結構受けている。
旅芸人の一座がちょうど公演で来ていたので、どうやらその一座のメンバーらしい。
TVで、「ちびたま」がどうのこうのというドキュメンタリーを見たことがある。
彼も、そんな旅芸人の一座に暮らす少年なのだろう。ダアの選手達と同年代だ。
舞台中心の生活なのだろう、チラッと見たふくらはぎは筋肉が無く、血管が透けて見える。
いろいろあって当たり前だし、いろいろあっていいのだけれど、いろいろな人生があるものだと、つい思う。

モニター画面に大相撲が映し出される。リアルタイムで見るなんて何年ぶりのことだろう。
結びの一番はモンゴル出身同士の対戦。朝青龍がつりだされて2敗目を喫した。
広間のあちこちで声が上がる。負けていい気味だといった雰囲気が漂う。憎まれっ子なんだ(笑)。
ダアは、結構個性的で好きな印象を持った。善し悪しは兎も角として、内面が表情に表れている。
品位が無いと言うことになるのだろうか。ニュース番組では見えなかった一面だ。好きな表情だな(笑)。

レストルームに横たわって見た番組で巣鴨をやっていた。で、今度巣鴨へ行ってみたくなった(笑)。
そう言えば、以前やはりTVで見て、柴又を散策したいと思ったけれど、まだ果たしていない。
アカスリをすれば良かったかなと少し後悔。ボディーマッサージがヌルヌルして気持ちがいい(笑)。
「ゴルゴ13」を久しぶりに読みまくったりして、まあそれなりに休暇を楽しんだ。

親が気を使ってカラオケに誘ってくれたり、呑み会を企画してくれたりする。
有り難いことだが、例年この時期になると、正直に言えば、乗り切れない。
呑んでいても、歌っていても、どんな時でも選手達の事が頭から離れない。
そんな重圧から逃れずに、そんな重圧を楽しめばいい。そんなことを再発見した5月のある日だった。

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「ワタアメ」
・・・2004.05.17

あんた見かけない顔だね、なんていう名前だい?
あたしを知ってるかい? あたしはアユミだよ。
壁を背に座り込んでいるダアを覗き込むようにして、声を掛けてくる。

ひょんなことから、イケチャンのフットワークを修正してやろうと言うことになり、
千葉からの賓客の1泊をクニヒコの家に頼んだ。せめて夕食は一緒に、と出掛けたイタリアン。
結局、イケチャンと合宿することになってしまう数名の選手と一緒に、ダアはワインで上機嫌。
ふと時計を見るとまだ時間がある。吉原小の少年団の練習は、今、真っ最中。
ヒカルやクニヒコのオヤジ達が面倒を見ているクラブで、ダアのチームの水源地だ(笑)。
どうしても行きたくなったダアは、呑みかけのボトルを手みやげに、近くにある体育館へ。
決して強いとは言えないチームだが、3面のコートはいつでも子供達で溢れている。
中に入ると、いるいる。コートに入りきれずにあちこちではしゃいでいる。
何だか嬉しくなってしまう。ダアはチーム作りに疲れると時々ここに来る。
このチームに触れると、勝ちを目指すことが些細なことであるかに感じてしまう。
託児所みたいなものですよ。コーチ陣はそう言うが、まさに、スポーツの原点がここにある。
どこの子だ! ダアに急所攻撃を仕掛けてくる。オイオイ、そこはちょいと弱いんだよ(笑)。

ダアに声を掛けてきたアユミは何年生なのだろう。大人びた口調がおかしい。
さっきの男の子が、床で後転し、両足をダアに突っ込んでくる。こちらはアユムと言う名だとか。
シュンの弟だとマコトの説明。新1年生のシュンはかなりやんちゃだが、その上をいく(笑)。
すっかりくつろいでしまったダアは結局、練習終了後にクニヒコの家で2次会をしてしまった(笑)。

イケチャンはと言えば(笑)、どうにか動けない原因の分析が出来ました。
重心移動がスムースに行われず(と言うか、スムースな重心移動の方法が分からず)に、
ただ、もがいているだけのようです。ワタアメのようなフットワークと名付けました(笑)。
ただフワフワとしていて、芯が無いのです(笑)。ヒザやカカトを上手に使っていないのです。
中学生の時は目立たなかったものが、大きくなった体を持て余しているようです。

PS:高瀬さんへ。今回は熊本中心になりましたので、イケチャンは今度じっくりとやらせて下さい。

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「風薫る頃(2)」
・・・2004.05.14

練習相手に恵まれているとは言えないダアのチーム作りに、一つの通過儀礼的な練習がある。
例年だと7月8月に行うのだが、選手にとってかなり苦しいもののようだ。
レギュラーの対戦相手に14点、15点のハンデキャップを与えて試合をさせる。
ハンデ14点の時は勿論1点取られたら負けになるのだが、これはすぐに勝てるようになる。
シングルスであれば原則2回続けてラリーに負けなければよいのである。
きついのはハンデ15点の時で、自身15点取るまでひとつのラリーの負けも許されない。
勝てなければ何度でも繰り返し対戦させるのだが、連続15点取るまでに苦渋の時を過ごす。
ダアの練習は、ある程度のミスには目をつぶって、コートの中を動き回れることを主眼としている。
それが、突然の路線変更である(笑)。当然戸惑うし、悩む。勝ち切れない苛立ちに心が揺れる。
やがて、動きを押さえミスを無くすプレースタイルが生まれて、一皮剥けることになる。

今年のチーム作りは試合中心に進めてきた。15点ハンデも早くから採用した。
OBとの練習会、高校生、大学生、社会人との対戦。経験もいつになく重ねた。
TOP選手は、ある意味もう出来上がったかのように仲間とのラリーにゆとりさえ見せる。
このまま大会に突入し駆け抜けることが出来れば、それは繰り返してきた道。それ程の苦労はない。

ダアの練習は、例えレギュラーを勤めた2年生であっても、9月の新チームでは基礎から始める。
9月の基礎から来年8月の大会まで、スローダウンすることはあっても、まあ一本の登り道だ。
大会までまだ充分に時間があるこの時期、ある意味もう出来上がった選手をどうすればいいのか?
今まで1度だった登り道が、今年は更に2度目以降の繰り返しが出来る。そう感じたこともある。
だが、それは何を意味するのだろうか? 選手との具体的な日々をどう進めればいいのだろうか?
一方で、例年より早い仕上がりに取り残されつつある選手もいる。彼らをどう引き上げるのか?
良くも悪くも、皆が一丸となって夏を迎えていた今までと、今年は明らかに違うのだ。
何とも思わずに繰り返してきた年月が、微妙なバランスによって成り立っていたことに気付く。
作り直す時間があるのだろうか・・・ 微調整だけでその日を迎えることができるのだろうか・・・

やってきた1年生の屈託のない笑顔に触れると、なごみを感じてしまう。
又、この子らと新しい挑戦が出来るのだと、明るい気持ちになってしまう。
教えているなんて、決して言えない。勉強させて貰っているのだ。

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「風薫る頃」
・・・2004.05.12

早ければ2月の声を聞く頃からず~っと苦しめられる花粉症。仕事も練習も冴えない気分で過ごす。
5月になって花粉が去り、あたりに緑が蘇ると、薫る風とともに新しい1年生がやってくる。
冬の間にじっくりと練習を仕込んだ選手達が、8月に向けてじわじわと熟成し始める季節でもある。

もう何年もこんな移ろいを繰り返していたものだが、今年は少し様子が違う。
注射で症状を治めていたものを近所の医者に変えたところ、体に悪いからと打ってくれない。
患者の体を心配してくれる・・・こんな当たり前なことに妙に感心してしまう(笑)。
点鼻薬だけの処方だが、今年は花粉が少ないこともあってか症状はほとんど出ない。
試合練習を多くした選手達は、もう試合が出来るようになっている。いつになく早い仕上がりだ。
仕上がりの早さは、もう一度修正し、練習し直すことを可能にする。幾つかの課題も見える。
仕上がりの早さは同時に、乗り遅れてしまった選手との違いを明白にさらけだしてしまう。
どちらも初めての感覚。新たな苦しみの発見と言えるかも知れない。
ふとしたことで、逃げ出してしまう自分を思ったりする。ため息の底に疲れが沈殿している。

心を込めていたレギュラーを遠ざけてみる。入れ替わって目の前にやってきた2年生達。
いつの間にか上手くなっている。見られている緊張なのか顔が紅潮している。
1年生達はと言えば、世の気分をそのまま持ち込んでいる。新鮮さをチームに吹き込んでもくれる。

いったい彼らに何をしてやれると言うのだ。
寄せてくれる信頼に、本当に応えているのか・・・
熱い夏がすぐにでもやってくると言うのに、ダアの心の中にすがれるものが見つからない・・・

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「サクラ咲く頃」
・・・2004.03.19

体育館に3年生がやって来た。卒業式がすんだ次の日曜日のこと。
アキヒコは聞いていたが、8人全員とは思ってはいなかった。少し驚く。こんなの初めて(笑)。
何やら手に花束など持っている。プレゼントを抱えたやつもいる。何だか変なムード(笑)。
すっかり進化してしまった後輩達の練習に、とまどいを見せている。だって今年は茨城全中だよ(笑)。
ダアはイスに座って練習を見やっている。なにかくすぐったい感じ。親も何人かいる。変だぞ(笑)。
後ろから声を掛けてくる。さっきまで練習をしていたナツキも、ちゃっかり列に加わっている。
お世話になりました。一列に並んで、声を揃えてくる。よせよ。ダアはこんなの苦手だよ(笑)。
何だか照れてしまって、受け取ったフリージアとカスミソウから目を離すことが出来ない。
プレゼントは間違いなくワインだな(笑)。イスの上に並べると、まるで供物(笑)。
ようやく3年生に視線を向ける。しばらく見ない間にずいぶん背が伸びた。少し眩しい。
アレッ! お父さんが混じっているぞ。違ったコデだ(笑)。相変わらずオヤジだね(笑)。
1言2言声をかけて、すぐに練習に向いてしまう。一人平均2秒くらいだったかな(笑)。
チラッと顔を見て、離れていた時間の空白が一瞬にして埋まる。みな良い人生を送っている。
もう少しきちんと対応すべきだった。反省もしている。ちょうどカメラも持っていたのに。
でも、突然のことで、心の準備が出来なかったんだよ(笑)。

夕方、何だか急に呑みたくなってアキヒコ母に送って貰う。選手も一緒だ。
車中での会話。ダアさんは感激してしまうかもしれない。ダアさん結構涙もろいから。
アキヒコがそう言っていたとか。オイオイよせやい(笑)。ダアがいつそんなそぶりを見せた?
ダアはいつだって鬼だったろう(笑)。少なくともアキヒコ、 君にとってはね(笑)。
よしんば、そうだったとしても、あの程度のシチュエーションではね(笑)。甘い甘い(笑)。
確かにその世界に引き込まれないよう、ダアは逃げていたかも知れないけれど(笑)。

今朝、阿見中でサクラが咲いていた。やがて新しい1年生もやって来る。
アキヒコはもうすぐ家を出て、寮に入る。

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「もらい泣き」
・・・2004.03.18

日本語が恋しくて、上海で見た紅白歌合戦。
一青窈の「もらい泣き」にしびれたのだった。
歌いたい病を発病したのだが、CD購入までに2ヶ月以上もかかり、いまだに時間が取れない。
上三川オープンで、試合の合間に聴こうと思いお気に入りのCDと共に持参した。だが、
講習会関連の質問を頂いたり、大会本部席に呼んで頂いたりで、結局聴く事が出来なかった。
いろいろあった質問や話題は技術に関するが多かった。ダアの選手の表情に関するものもあった。
どう指導すれば、あの表情が作れるのですか? 駄文(ダブ)の「修行僧」を言ってくれる人もいた。

新チームスタートの9月から、半年近くは選手との関係構築に力を割く。あの手この手で揺さぶる。
どうにか、学ぶ謙虚さが身について、それからがやっと本当のスタート。半年勝負なのだ。
当初は選手5人で講習会に伺おうと考えていたが、大勢の指導者が集まるとお聞きした。
2日間連続の日帰りを組んでまで全員で対応したのは、指導者にそれを見て貰いかったからだ。
ダアの選手に経験をさせて、精神的に成長して欲しかった。本音はこちらだが・・・
ほとんど訓練されていない130名からの講習会参加選手。ダアの選手は、まあよくやりました(笑)。

大会では、ヒデユキが長身の相手に戦おうとしない。粘ろうともしないで、ラリーを終えてしまう。
この子は抜群の能力があるのだが、簡単に言うとまだ子供で、目の前の壁を乗り越えようとしない。
報告に来たものを、頑張れば勝てる相手ではなかったのか?負けて悔しくないのか?と言ってやる。
普段からの練習態度が試合結果になって表れるのではないのか・・・ 聞きながら涙を流している。
マサヨシは小学生に負けた。何も教えていな1年生だから、勝ち負けはどうでもいいこと。
戦いぶりにちょっとした芽を見つけた。大人だらけの環境で少し自分本位なところがある子だ。
報告に来たものを知らんぷりしてみる。何度目かのお願いしますに、ダアは歩き出した。
お願いしますが追いかけてくる。フロアーを出たところで振り向くと、あれっ いない(笑)。
10分位待ったが、来る気配が無い。呼んで、何で報告に来ないんだと言ってみる。報告しました。
マサヨシのいいところを見つけたので、ここで誉めてやろうと思って振り向いたら、いなかった。
本当は、無視されたと思って、腹を立てて行ってしまったんだのではないのか?
それがマサヨシの直さなければいけないところなんだろ・・・ 聞きながら涙を流している。
本格的に始まった練習的には2日間はちょっとつらかった。が、それなりに意味のある遠征だった。
上三川から帰った月曜日、ゲームチャンプをしている選手の雰囲気が違っていた。

何故タイトルが「もらい泣き」なのかは、ちょっと気恥ずかしくて書けません(笑)。

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「チチブ」
・・・2004.03.17

ダアが子供の頃、魚取りをしていてダボハゼがよく網に入った。
またダボだとか言ってはポイッと投げ捨てたりしたものだが、図鑑ではチチブとなっている。
水槽に植木鉢のかけらなどを入れてやると縄張りにして、他の魚が近づくと威嚇の為に出てくる。
飼ってみると結構愛着がわくのだが、エラの張った大きな口で他の魚を食うので、飼うのを止めた。

上三川での指導者講習会の後、残ったAチーム5人の為に練習会を用意して頂けた。
ダアは、講習会ですっかり消耗しきってしまい、抜けた状態で練習試合を眺めていた。
マコトとカツトシがダブルスをしている。対戦相手は講習会には参加していなかった選手だ。
明日の大会に遠路はるばる到着し、調整しているのだろうか、五厘ヘッドで気合いが入っている。
何となく眺めていたのだが、ふと中学生にしては上手だと思う。聞くと地元の高校生だと言う。
近寄ってみると、中学生の時を知っている選手だ。それではと、気持ちを込めて観戦してみる。

朝の車で、久しぶりの魚談義をしてきた訳では無いのだろうが、コートの選手達が魚に見える(笑)。
ギョロギョロした目と張った顎が五厘ヘッドで強調されて、高校生がチチブに見える。ご免なさい(笑)。
ホームポジションに陣取って相手の送球を追い払いに行く。かなりのラケットワークだ。
出足はあるが、威嚇した後の戻りは、もそもそとしたチチブの動きに似ている。「もどり」が無いのだ。
一方のダアの選手は、コートの中を自在に泳ぎ回るオイカワ。スイスイめまぐるしく泳ぎ回る。
で、結果は、ホームに陣取り縄張りをテクニックで守るチチブに対して、動き回るオイカワの勝ち。
ダアのバドは「フットワークとストロークのサーキット」を中心に置き、「もどり」は重要なポイントだ。
いろいろなところへお邪魔して見させて貰うが、ダアの目には「もどり」が不十分な選手が多い。
いろいろなスタイルがあっていいのだが、その観点から言うと出るべくして出た結果と言えるだろう。

* K監督さん、彼らにちょっと辛口な内容になってしまいました。フォローをお願いします。
  ダアも機会があればアドバイスします。彼らには大いに好意を持っております(笑)。

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「カマツカ」
・・・2004.03.16

メダカに始まって、オイカワ、ヒガイなどダアが飼っていた魚たちの話でひとしきり。
結構おしゃべりなダアは、しゃべりだしたら止まらない。上三川へ向かう車でのこと。
運転は、ダアの最後の池を埋め立てた時、メダカやドジョウを引き取って貰ったアキヒコのおやじ。
このおやじ、柔道部だった中学生の頃を知っている。親友がバド部で、一緒に帰るのに待っていた。
父親としてダアの前に再登場した時もすぐ分かった。面影がそのまま、さすがに大きくなっていたが(笑)。
上三川の帰りに明野のメダカを貰うウキウキ話から、タナゴの繁殖など久しぶりの魚談義。
口が下向きに付いていて、砂を含んではエラから吐き出す魚の話をしていて、名前が出てこない。
砂の中に潜ってギョロ目だけを出していたり、姿は思い出すのに、どうしても名前が出てこない。
思い出せないじれったさに、下館から二宮と考え込んでしまう。
どうしようもないモヤモヤの中に突然「オタフク」の言葉が浮かんでくる。
飼ったことは無いが図鑑で見た、似たような習性の魚だ。オタフク、オタフク、オタフク・・・・
二宮を過ぎる頃に思い出す。エラから土を吹くので「ツチフク」。「オタフク」に似ている(笑)。
だが、本命の名前が出てこない。「カサマツ」の言葉が浮かんだがそこまでで、不自然な沈黙が続く。
結局、そのまま上三川の体育館に到着してしまい。盛りだくさんの一日にとりあえずペンディング。
K監督さんの家にお世話になって、朝、早めに目が覚めた。選手たちはまだ寝息を立てている。
何と頭の中に「カマツカ」の言葉が浮かんでいるではないか。「カサマツ」に似ているよね(笑)。

隅々までクリアーだった(笑)昔から比べると、ダアの脳はすっかり霞がかかっている(笑)。
人はこうしてエンディングへ向かっていくのだろうが、頭を使わなければ早くボケるよね(笑)。
いろいろ刺激のあった上三川遠征だったが、今は「ツチフキ」「カマツカ」がしっかり脳の中にある。
その分、何かを別の事を忘れているのかも知れないけれどね(笑)。

* 後で調べたら、「ツチフク」では無くて「ツチフキ」でした。

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「かんぴょう面」
・・・2004.03.13

体育館から車で5分位の宿に到着すると、大女将と若女将が笑顔で迎えてくれた。
初めてなのに、昔馴染みの宿に帰ってきたような・・・そんな温かさがダアと選手を包み込む。
住宅街のど真ん中に位置する瀟洒な一軒屋。隅々まで手入れの行き届いた家庭的な宿だ。
指導者講習会を終えた上三川オープン前日の宿とは、実はK監督さんのお住まい(笑)。
すっかりくつろいでしまったダアは「また来ます!」と何度も連発する始末(笑)。ったく、もう(笑)。
愛することしか知らないような大女将(お母さん)。童女を思わせる柔らかい風貌に心が開く。
きびきびとした若女将(奥さん)とは、今度バレーボールを一緒にしようと軽い乗りのやりとり。
大学で講師をされているとかのお父さんは、まるで働き者の大番頭さん。ご無礼ですね(笑謝)。
皆さんで、夜遅く朝早い我々をもてなしてくれて、門の外で見送りまでしてくれる。

さて、テーブルいっぱいの朝食を頂いた時のことだ。残さず食べる主義のダアはファイト満々。
美味しく完全制覇し、大満足。でもカロリーオーバーだよね(笑)。選手も負けずに頑張っている。
フィニッシュしてしまったダアに、大番頭じゃなくて(笑謝)お父さんが声を掛けてくれる。
「こちらが暖かいですよ。」伺って、ソファーに身を沈める。足元はホットカーペットなのでした。
世間話の中にも、視線は選手に・・・。すると、天井近くのカンピョウ面が目に入った。
美味しいものに気を取られて、気づかなかったが、ダアの背後から見下ろしていたのだ。
ダアの母親が宇都宮の出身で、ダアは子供の頃からカンピョウが大好物で・・・
中学生とバドを始めて、遠征の折に見かけたカンピョウ面が前から気になっていて・・・
お父さんの知り合いが作っているとかのお話を聞き、思わず「欲しいなあ」と口走ってしまった。で、
厚かましくもそのお面を頂ける事になってしまったのでした。勿論お断りはしましたよ。一応は(笑)。

上三川オープンでは、全国大会と同じ専務理事さんが挨拶されたりする。今回は隣席で酒も呑んだ。
ゼロから始めたダアと違って、歴史のある土地ゆえ幾つもの個性が存在し、時には困難もあるだろう。
それをまとめ上げるK監督さんの人となり、背景にあるものをご家族の中に垣間見た気がしたのだった。
頂いたカンピョウ面は、ダアの玄関で大きな目を見開き、訪れる人々を見下ろしている。

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「ベクトル」
・・・2004.03.05

ベクトル〔Vektor〕:大きさ、方向および向きを有する量。(広辞苑)

HPを開設して8ヶ月余り、いろいろな方達と知り合うことが出来た。有り難いことだ。
室蘭の高校バド部顧問の紺野さんもそのお一人で、掲示板などで盛り上げて頂いている。
その書き込みからは、選手に対する深い愛情と、妥協に流されない強い意志が感じられる。
いつかお会いしたいものと思うのだが、勝手に人物像を想像したりしている。
その紺野さんから、フォーラムに次のような主旨の書き込みを頂いた。
1、レギュラーチームをどのように決めていますか? 何人ですか? 何人がベストですか?
2、全員同じメニューで練習していますが、1軍2軍と分けてよいものですか?
3、レギュラーになれない上級生はどのように部活に取り組んでいますか?

フォーラムにも書いたのだが、大切なテーマなのでもう少し詳細に書いてみたい。
1、中学では団体戦が2複1単なので、2勝出来るオーダーを考えてメンバーを選ぶ。
  レギュラー扱いを3人とする時もあるが、4~6人をレギュラーとする場合が多い。
2、阿見でも全員同じメニューで練習する。新チームになった2学期は全員平等に目をかける。
  試行錯誤しながらレギュラー構想を練って行くが、ダアが見れるのは1~2コートになってしまう。
  ただ「チャンプ」と言って、勝ち上がり(下がり)形式の練習が多いので、誰にもチャンスはある。
  当初は、レギュラー候補が下位のコートにいたりするが、やがて1~2コートに常駐するようになる。
  昨夏を戦ったメンバーが固まったのが3月。今年は、そろそろ候補が決まりそうな雰囲気。
  レギュラーの入れ替えはある。過去には関東大会から全国大会で入れ替えたことがある。
  1軍2軍と分けるのは当然。チャンスを貰った1軍がレベルアップして、全員を引き上げることになる。
3、タイトルの「ベクトル」が、ここで登場する(笑)。ベクトルをキーワードに選手に言っている事。
  チームの価値は、いかに勝ちに近いかでは無く、いかに勝ちに向かっているか(ベクトル)である。
  チームのベクトルを決めるのは個人個人のベクトルであり、一人でもそっぽを向いてはならない。
  レギュラーは、チームの目標達成のために心して臨め。支えてくれたチームメートに応えよ。
  下位の選手は1つでも上を目指せ。それがチーム全体のベクトルをより強固なものにする。
  チームと言うものは来年も再来年も続く。下級生の世話はチームの大切な仕事だ。
  勝ちを目指したチームで、間接的に貢献する。試合に出る事よりも難しく、だからこそ素晴らしい。

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「メダカ」
・・・2004.03.04

昼休みの散策で、思いも掛けず見つけたメダカ。その衝撃がどうしても消えない。
「飼いたい病」を発病してしまった(笑)。これは「歌いたい病」の合併症ですね(笑)。

川崎に住んでいた子供の頃、近所にメダカ好きのお爺さんがいた。
穴を掘って地中深くに活けておくとホテイアオイは枯れずに越冬する。とか
まあ、いろいろ研究している訳で、ダアは見せて貰いによく遊びに行った。
黒いメダカと橙色のメダカを一緒に飼っていると、灰色のメダカが生まれて、
灰色のメダカからは、だいだい色に黒の入ったブチのメダカが生まれる。
お爺さんの研究結果を目を輝かせて聞いたものだ。
自分の池でもブチが生まれた時は、誇らしく思ったのを覚えている。

かつてダアの庭には池が沢山あって、それらを水が巡り、メダカやモツゴなどが泳いでいた。
黒メダカは小川から引越しして貰った。ヒメダカは職場で実験に使ったものの里親になった。
タナゴは難しかったがメダカやモツゴは随分繁殖させた。でもブチは生まれなかった。何故だろう?
やがて花に心引かれていったダアは、花のために池を埋め立ててしまった。この浮気者め(笑)。
家の中や外にも水槽が幾つもあって、その中に分厚い塩ビの水槽があった。特注品だ。
ガラスの水槽は軽トラックをお願いして処分したが、塩ビの水槽はプランターに転用した。
今、その塩ビ水槽の底に穴を開けてしまったことを悔やんでいる。どうやったら塞げるのだろう(笑)。
そうです。メダカの水槽を復活させようと、頭の中が一杯なのです(笑)。
玄関の80cmの円形プランター(元水槽)は、日差しが斜めに入るので花が斜めに咲いてしまう・・・
犬走りの360cmの角形プランター(元水槽)は、洗濯物の影で花がいじけてしまう・・・
だから水槽に現役復帰させるのだ。言い訳までちゃんと考えてある(笑)。

何かを考えだすと、どんどん思い詰めて、ついには衝動的な行動に出てしまう。懲りないダア(笑)。
ったく、後先考えずにやるんじゃないよ(笑)。でも、この性分は絶対に治らないよね(笑)。

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「ルーチン(2)」
・・・2004.03.03

3年生のチーム作りに四苦八苦していた頃のこと。
ネット前での、アキヒコのぎこちないストロークが気になって仕方なかった。ミスが多いのだ。
ダアの練習は「ディセプション」での打ち分けを要求することが多い。
あまりのミスの多さに「コントロール」練習を多めに行うことにした。
「ディセプション」は「親指小指」「テンポ」に代表されるラケットさばきを使って打ち分ける。
「コントロール」では同じラケットさばきを、打ち分けではなく、目標に集めるために使う。逆の発想だ。
「コントロール」練習には「ルーチン」以外にも「パターン」があり、変形の「マルチパターン」もある。
「ルーチン」では4つのコースを、「パターン」ではストレートとクロスを、それぞれ約束した順序で打つ。
さて、アキヒコだが「ルーチン」「パターン」では、それなりにコントロール出来るようになった。
ところが、ゲーム練習では元に戻ってしまう。何度かやって改善はするのだが、しっくり来ない。
その時は、経験と熟練が解決するだろうと、時の流れに任せた。旭川ではそれなりの結果も得られた。

新チームになって、3年生は練習のメインコートを遠慮する。
主役の変わったコートで、ダアはいつものようにイライラしている。何でそんなことが出来ないんだ・・・
ふと、視野の片隅にきれいなフォームが映る。アキヒコだ。やはり経験と熟練が解決したくれたのか。
少なくとも、最近までは、そう思っていた。ダアがガミガミ言わなくなったので、余裕も出来たのだろう。
そこに来て、ヒカルの「究極のディセプション」だ。今まで見抜けなかった事が情けない。未熟なダアめ。
アキヒコもヒカル同様、打つ瞬間にコースを変えようとしていたのだ。
あの時は不可解な仕草に見えただけだったのだが、今なら、そう納得がいく。

経験と熟練が解決する。一つの真理だと思う。けれど、今、見えたものが、あの時は見えなかった。
アキヒコの時は、一方的に押し付けることが多かった。今は結構押したり引いたり、楽しんでいる。
あれも、これも、ダアには違い無い。今さらやり方を変える事など出来ないだろう。
せめて、悔やむ事の無いよう「その時その時」を大切にせねばと思う。

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「ルーチン」
・・・2004.03.01

先日のこと。ダブルスのサービスレシーブの練習をしていて、マコトがミスを繰り返す。
ショートサービスに対してはまずまずなのだが、ロングサービスに対しては何度もネットに引っかける。
試験前で練習量を減らしているせいかなとも思ったが、ちょっと気になって口を出した。
サービスを打っているのはヒカル。ぎこちないフォームは相変わらずで、バラバラな軌跡を描いている。
見てろ、俺がサービスするときちんと帰ってくるから。いつの間にか選手達がコートを取り巻いている。
1発目、きれいなスマッシュが返ってくる。何度サービスしてもきちんとスマッシュを打ってくる。
調子に乗って、ふいにショートサービスを打ってみる。きちんと対応してくる。

ヒカルとダアとでは何が違うのか聞いてみる。ダアの方が打ちやすかったとマコトが言う。
ヒカルに聞くと、相手が打ちにくくなるようにサービスしていたと言う。思ってもみない答えだった。
それを聞いた瞬間、今まで見えなかったものが見えた。そうだったのか・・・
そう言えば、サービスに限らずネット前でのストロークなどにも思い当たるふしがある。
ちぐはぐで、流れないフォームと、ミスの多さはその発想法から来ていたのだ。
相手にコースを読ませまいとして、シャトルを打つ瞬間にラケットさばきを変えようとしていたのだ。
確かにヒカルの方が打ちにくかったとマコトも言っている。ある意味、究極のディセプションだ。

打つ瞬間までどこに飛んでくるか分からない・・・そんなストロークが出来たらすごいよね。
けれど、ロングを打つにはロングを打つのにふさわしいラケットの動きと身のこなしがある。
ダアはロングを打つべくして打ったので、だからマコトにとって打ちやすかったのだ。
確かに兆候もなしに突然打ち方を切り替えることが出来たら、すごいことになるけれどね。
コースが分からないと言うのは、打つ瞬間まで「どこへ来るのか分からない」と言うのではなくて
来ると思ったコースに来ないので、その結果「どこへ来るのか分からない」と言うことなんだ。
コースを変えるには、打つ少し前から打ち方を変えることが必要で、そうでなければきちんと打てない。
相手にそれを悟らせない為のテクニックが「ディセプション」と言うことになるのだ。
その観点から言うと、ダアのショートサービスはマコトに「読まれてしまった」と言うことになる(笑)。

ダアの練習は「ディセプション」での打ち分けを要求することが多い。
相手に対してワン、ツー、スリー、フォーと打ち分けるのだが、「ルーチン」は違う。
コートに対してワン、ツー、スリー、フォーと決められた順番に打っていく。相手がいても構わない。
「ディセプション」を封印することによって、コントロールを重視するストローク練習だ。
最近、その「ルーチン」に新しい意味合いを持たせている。
最初はきちんとしたフォームで、きちんと四隅にコントロールするように言う。
次に、決められたコース以外に打つ気配を見せ、それから打つように言ってみる。
打つコースが分かっているのに、相手はその気配に反応してしまい対応が遅れてしまう。
ダアには新しい感触だった。その感触の中に何かが隠されている。そう感じてはいたのだったが・・・

9月に新チームになって、もう半年が過ぎ去ってしまった。
まだまだ分からないことが山ほどある。

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「ささやき(2)」
・・・2004.02.26

やはり今日も会いに行ってしまった。昨日見たのは幻では無かった。メダカは確かにいたのです(笑)。
かつて、メダカの姿を求めて近在の水辺を巡っていた時、よく夢を見た。ダアは林に沿った農道にいた。
田んぼの脇の水路を覗くと、丸々と太ったメダカが群をなして泳ぎ回っている。いつも同じ映像だった(笑)。
夢では、正方形に区画された田んぼだったが、巡り会ったのは曲がりくねったハス田の浅く小さな水路。
冬眠から起き出してそれほど日が経っていないのだろう、腹はまだほっそりとしている。
それにしても、これ程の群れが棲息しているとは思いもしなかった。それも、こんなにもすぐ近くに。
林に囲まれた小さなハス田、湧き水のみの独立水系という古くからの環境がメダカを守ったのだろうか。

昔、明野町の大きな水路にメダカが泳いでいて、選手を体育館に放っておいて追いかけたりしたっけ。
オイカワを釣りに行ったりしたその川に、メダカは今でも泳いでいるのだろうか?
昔、水海道の市民体育館脇に湿地があって、気配にメダカの大群がさざ波を立てて逃げ回っていたっけ。
次に訪れた時は池を中心にした公園に整備されていて、濁った水に魚の姿が見えず、悲しかった。

昨夜は夢うつつにあれこれメダカを思った。
メダカは素早くて、泳いでいるのを捕まえるのはとても難しい。ましてや泥の上の清流。すぐに濁る。
この景色の中で、網を振り回しているダアを想像してみると、何とも似合わない。景色から浮いている(笑)。
薄暗くなった寝込みに、当たりを付けた茂みをそっと網ですくう手はいいかも知れない。
これはダアのような上級者の手口で(笑)、水を濁らせない。それに薄闇が姿を隠してくれる(笑)。
かごなどの捕獲具も考えたが、メダカに対する具体例が思つかない。いっそ釣り上げるか(笑)。
夜にホテイアオイを仕掛けて置いて、朝に卵が産み付けられてから回収し、持ち帰って孵化させる・・・
朝、目覚めた時の1番のアイデアがこれである。環境に配慮したグッドアイデアではないですか(笑)。
本当は、自然に置いて慈しむのがいいのだろうけどね。わがままなダアは手元に置きたくなってしまう。
心の中のせめぎあいは、依然として続いているのです。

  黄の寄り道にメダカの生息地の画像があります。
  もし、画像によって場所が特定できたとしても、お願いですからダアと秘密を共有して下さいね(笑)。

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「ささやき」
・・・2004.02.25

二つの思いが心の中でせめぎあい、葛藤している。

いつものように昼休みの散策に出たのだが、今日は少し趣向を変えて脇道にそれてみることにした。
とある農道に入り、道が途切れたのを構わずに進んで行くと、緑の向こうで田んぼに行き止まった。
通りから200mも入っただろうか、見覚えのあるハス田である。左の寄り道に載せた画像の場所だ。
あの時は軟らかくて崩れそうな畔道に、ハス田を越えてこちら側に来るという発想はなかった。
ちょうど地続きを大きく迂回して、半島のように突き出した対岸に出たといったイメージである。
こちらから見る向こうは、篤志家が里山として整備を進めていて公園のようになっている。
初めてみる視角なのに何だか懐かしく感じる。足もとに目を移すと半島に沿って小さな流れがある。
ダアは、花の前は魚にはまっていた。かつては、部屋に8個の水槽を置き、その為の工事までした。
その頃の習性で水辺があると近づいて覗き込んでみたくなる。
ところによっては10cmにも満たない透明な流れに、なにやら小さな魚が群れている。
モツゴの稚魚かな? 目を凝らすと・・・
ダアは強いショックを覚えた。なんと数百匹におよぶメダカの群れだったのだ! 幼魚も含まれている。
メダカは水温18℃以上で産卵するので、2月のこの時点では、これだけの数が越冬したことになる。

かつて、ダアの庭にはバケツ大のものを含め12個の池があって、グルリと水が流れていた。
目玉はメダカの群れで、通る人や訪れる人がよく覗き込んでくれて、談義がつきなかった。
当時、近辺でメダカが生息する場所は幾つも無かった。ダアはいろいろ捜し回った。
そのひとつが、左の寄り道に画像を載せた小川なのだが、メダカの姿が消えてからもう何年にもなる。
偶然発見したこの小さな流れは、かつてメダカが生息していたその小川へ続いている。
踏み込めないハス田の特殊性と、簡単にアクセス出来ないへんぴ性が奇跡を演出したのだろうか。
ダアの姿にメダカ達はすばやく逃げる。じっと動かずに景色に溶け込んでいると、そろそろと現れる。
自分の行動に、魚に夢中だった頃が思い出され心がなごむ。
ああ、こんなにも近くに桃源郷があったのだ。時間が止まってしまったようにさえ感じられた。
よくみると、モツゴの幼魚もいる。モツゴは土管の壁に卵をびっしり産み付け、孵化するまで守っていたな。
そう言えばダアの池からはトンボも巣立っていったっけ。魚達と遊んだ日々がよみがえる。
モツゴはメダカの卵を食い、ヤゴは稚魚の天敵なのだが、それも自然の摂理。魚達への思いが募る。

ダアの庭の最後の池を埋め立てた時、メダカはドジョウ達と一緒にアキヒコの家に貰われて行った。
魚のいない夏がたまらなく寂しくなり、今はスイレン鉢にペットショップで買ったヒメダカを飼っている。
また、何度も来ようと心に決めて、その場所を去ろうとした時、そのささやきが聞こえた。
「今度は、手網を持ってきて捕まえよう。そして、スイレン鉢で卵を産ませて、いっぱいに増やそう。」
「そんな馬鹿な。こんなに透明な水を濁らせることになるし、何よりもメダカ達が逃げ惑うよ。」

二つの思いが心の中でせめぎあい、葛藤している。

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「散策(2)」
・・・2004.02.20

ダアは遠征先で公園や住宅街をよく歩く。植裁を眺めたりプランターを覗いたり、結構怪しい(笑)。
本当は、試合の観戦に飽きたりして体育館を出てしまうのだが、知らない街を歩くのは楽しいものだ。
健康面もあって少しは歩いてみようと始めた昼休みの散策なのだが、これが結構心地よい。
少し前までは原チャリ、今は電動チャリがダアの足で、この辺りを歩いた事など無かった。
今まで気付かなかった道が幾つもある。道なき道を進んだりする時はワクワクする。ちょっぴり冒険気分。

何日かした頃、妙な感覚がダアを捉えた。それ程変化のある景色ではないし、当然同じ道も通る。
バイクや自転車では視線はおのずと遠くへ向くのだが、歩いていると視線は道ばたや足もとに向く。
足もとに視線を落としていると、1歩1歩の歩みに対応して画面(視野)がスッスッと移動する。
1歩の動きに対して1歩分だけ画面が移動し、道ばたの様々がリアルタイムに移り変わる。
1歩を止めると、画面も止まる。当たり前か(笑)。しばし、画面の移り変わりを楽しむ。
右、左、右、左・・・ 緑がある、側溝がある、畑が道に浸食している、ゴミもある(笑)。
バイクや自転車では景色が流れていくが、これは1歩1歩の生中継。面白い(笑)。

ふと見上げると、さっきの建物が畑の向こうに見える。まだこれだけしか移動していないのか。
生中継に戻ると、1歩1歩の動きが、何とも遅く感じてしまう。さっきは面白がっていたのに。
画面の移動の遅さに苛立ち、走り出したい衝動が生まれる。でも走らない。本当は走れないのかな(笑)。
ちょっとつまらなくなってしまった生中継。でも職場に戻らなければならない。
右、左、右、左・・・ つま先に意識を移してみる。1歩1歩のリズムに選手達の姿がダブッてくる。
選手達は大きな目標を持って毎日練習している。なかなか上手くならなくてダアはつい怒鳴ってしまう。

目指す道をダアはある程度知っているし、全体を見通すことだって出来る。けれど・・・
選手達にとっては初めての道なんだよね。どんなに遅くても1歩1歩、確実に進んでいるんだよね。
そんな当たり前のことを、つい忘れてしまう。

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「散策」
・・・2004.02.18

春めいてきた日差しに誘われた昼休み、職場の周辺を散策してみた。
外へ出ると直ぐに小川がある。モツゴにしては大きいからオイカワかな。すばやい動きで群れている。
平地林をぐるりと囲んだ農道を進む。舗装のない道を歩くのは気持ちのいいものだ。
田んぼが入り江のように見えて面白い。曲がりくねったあぜ道が懐かしい。
林の中に入ってみると、木漏れ日があるものの、さすがに寒さで身震いする。
植林を手入れせずにいたのだろう、若木が日差しをさえぎられ立ち枯れしているのが悲しい。
突然、ポッカリ広がる赤茶けた畑に出る。風で吹き寄せられた赤土が何ともきれいだ。
指で触ってみる。サラサラとして指応えが無い。関東ローム層。子供の頃を思い出す。
滋賀の守山や新潟の白根に行って広がる田園風景に出会った時、懐かしさの中に少しの違和があった。
関東で生まれ育ったダアにとってその違和は、土だったのだと思い当たった。

集落の中に入る。公道だと思って進むと民家の庭先に出たりする。子供の頃の情景が浮かぶ。
ナオキの家が見える。高校は卒業したはずだが元気にしてるかな。親子3代同じ顔だったのを思い出す。
そこかしこに梅が咲いている。道ばたの緑は霜にやられてしんなりしている。辺りはまだ冬の様相。
芽吹きの季節は直ぐそこまで来ているのだろうに。春よ来い。早く来いよ(笑)。
ダアは年々寒さへの耐性が低下してくる(笑)。本当に早く暖かくなってくれよ(笑)。

ちょっと汗ばんで職場に戻った時、時計の針は1時を回っていた(笑)。

 青の寄り道に画像があります。

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「シャガミントン(2)」
・・・2004.2.8

「シャガミントン」を繰り返し練習したら、筋肉痛になる選手が続出。何人かがシップを張っている。
ヒカルは明らかに変化の兆しが見えるし、クニヒコはそれなりに一生懸命にやろうとしている。
選手が一生懸命にやっていて、少しずつでも変わっていくのを見るのは嬉しいものだ。
ただ、マコトが腰痛になり整体にかかったのは誤算。言う通りにやりすぎるのだろう。難しいところだ。
選手が変化してくれると、ダアにも色々なものが見えてくる。久しぶりに知的な興奮を感じる。
「シャガミントン」はトレーニングとしては面白いが、実際的ではない。そこで作った言葉が、「シズミントン」(笑)。
まあ、説明するまでもないが、しゃがみ、及び、しずみ、とバドミントンの合成語。言う必要は無かったかな(笑)。
「シズミントン」の為にくり返す動作が、「ヒップバウンド」。お尻を弾むように動かす。
選手に繰り返しやらせていると、ダアの中に新たなイメージが浮かんでくる。
「ライオン」はシングルス、「トラ」はダブルスと言ってきたのだが、「ヒップバウンド」すると「トラ」がやりにくい。
ダブルスの練習に「ヒップバウンド」を要求すると、「トラ」ではない動きが生まれてくる。

トシアキが阿見に帰ってきて、練習に来て・・・
練習には、まあ、身体が大きくなったこともあって、正直言って、あまりついて来れないのだけれど・・・
ゲーム練習などで、きっちりとラリーを切る時に見せる動きがあった。ダアの選手だった時と違う動きだ。
その時のイメージと、目の前の選手の動きがダアの中で合体したのだ。
「ライオンジャンプ」でダブルスをやってみようじゃないか!
「ライオン」でダブルスをやるなんて、考えたことも無かった。やらせてみると、これがいい(笑)。

知的に興奮すると脳は活性を帯びるのだろうか・・・
レシーブ打法とドライブ打法があって、レシーブで面が用意出来ない時はタッチレシーブがあって・・・
そう言って来たのだが。レシーブ練習をさせていて、そのやり方が、何ともイモくさく見える。
レシーブはタッチを中心に考えてみようじゃないか!

そんなに甘いものとは思わないが、今日の選手たちは明らかに一つ上のステージにいたのだった。

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「シャガミントン」
・・・2004.2.6

毎日繰り返し言っているのに、言う通りに出来ない。本気でやろうとしないのだろう。
なまじゲームが出来るので、留まってしまい変えようとしないのだろうか? 
それとも変える術を知らないだけなのか? フットワークのリズムはダアのバドの基本なのに。
沈み込みの理解が足らず膝が固まっている。いくら言っても変わってくれない。

自分以外に大きな世界があって、そこから学んでいかなければならない。それが出来ない。
不器用なのかも知れないが、自分を向上させようとする姿勢が足りない気もする。
大切に育てられ過ぎるのだろうか、最近の選手は自分中心。より大きなものに思いを馳せる発想に乏しい。
まあ、ダアがそれ程大きな存在であるかどうかは、これまた別な問題なのではありますが(笑)。

それではと、基礎練習に戻り4番集めのオールショート。
ダアの送り出すワン(ストレートの長い球)に全く反応出来ず、ノータッチを繰り返す。
下級生でさえ難なくこなす練習に、さすがにプライドまでズタズタ。泣くことしか出来ない。
教えて下さい! 教えて下さい! 涙にまみれて繰り返す。何かが変わる瞬間だった。
ままならぬ思いに険しかった表情が、小さな事件を経て変わった。謙虚で、いい顔になった。
沈み込むことの大切さががやっと分かった様子。いつも言っていたことだったのに(笑)。

「やろうとしないのは選手の責任。やっても出来ないのはダアの責任」
選手が変わってくれればダアも変わらなければならない。そこで考えたのが「シャガミントン」
しゃがみ込むことによって膝が固まることを防止する。、立ち上がりながら4隅へ動き出す。
ダアの練習法では例えば1番3番で構えて、1番3番へ、そして2番4番へと動く。
実際のゲームではそれ程きちんと1番3番に構える訳では無いので、そこにある種の誤魔化しがあった。
「シャガミントン」で動く選手を見ていて、それに「振り子」を加味する新しい発想を得た。

言ってすぐ出来れば苦労は要らない。言っても出来ないからいろいろ工夫する。
言っても出来ない選手がいるからダアも進歩出来る。有り難う出来なくて・・・(笑)。

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「ボールゲーム」
・・・2004.2.1

茨城全中の今年はさすがに控えめにしているが、午後の1時間程度ボールゲームを楽しんだりする。
土曜日に行うのがミニサッカー。ソフトバレーの柔らかいボールを使い、これがメチャ面白い。
体育館の壁も含めフロアー全部がオンコート、跳ね返りを利用して文字通りの壁パスを通したりする。
最近の選手はボール投げは余り得意ではないけれど、サッカーには親しんでいるようで結構上手い。
大体が学年別に組み分けて行うが、似たようなTシャツなので間違えて相手にパスしたりもする。
ダアは勿論エースストライカー。ゲームメーカーでもある(笑)。負けるのが嫌で勝つまで延長戦(笑)。
バドでは選手に叶わないけれど、ゴールゲットしたりスルーパスを通したり、サッカーでは輝くのです(笑)。
日曜日は小学校の体育館でミニバスケット。こちらは壁にぶつかるとスローイン。リング裏までフロアーを使う。
ルーズボールを奪い合ってもみ合ったりしてるが、取っ組み合いで騒ぐメンバーはいつも大体同じ(笑)。
ダアは当然ポイントゲッター。フックシュートを決めたり背面パスを通したり、ミニバスでも輝くのです(笑)。

ダアは大昔、サッカーもバスケも県社会人の大会に出たりしているので、まあ「昔とった杵柄」なのだが、
「走れー」などと選手をけしかけて適当にさぼっている。それでも火曜日辺りにはしっかりと筋肉痛(笑)。

普段の練習ではなかなか気付かないことなのだが、学年が進むに連れて選手の成長が見えて面白い。
運動能力の向上は勿論だが、ゲームプランと言うか精神面でも知恵がついてくるのがよく分かる。
1年生から走り回れる選手もいるが、上級生のスピードに怖じ気づいてたたずんでいる選手が多い。
初めの頃は周りが全く見えず、ボール扱いがめちゃくちゃだった選手もやがて意図するようになってくる。
持ったら一直線だった選手がパスを回せるようになり、自分で役割を見つけ出したりする。
大方の選手が、2年生の冬から3年生の夏にかけて、一気に脱皮していく。そんな時期なのかも知れない。

チームで中心になる選手はミニサッカーやミニバスケットでもやはり目立った動きをすることが多いが、
たまに一緒にやる他チームの選手が圧倒的な運動能力を示すのには、いつも苦笑させられる(笑)。

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「どれくらい?(2)」
・・・2004.1.23

ダアのバドミントンをどれくらい覚えたと思うか?
問う時期もあるのだろうが、大方の選手は半分くらいと答える。
本当にそう思っているのかも知れないが、そつなく答えようとするバランス感覚も見え隠れする。
この時期に「3%」「70%」と答えるMとHは、ある意味かなり変わった選手なのです(笑)。

「3%」のM。こんな選手ばかりだったら、チームの運営も楽になるのだろうけれどね(笑)。
ただちょっと優等生的なところが気になる所ではありますね。言うことがきれい過ぎるよね。
もっとギラギラした駄々をこねるような自己主張があってもいいような気がするな。子供なんだからさ。
いつか追いつめて、揺さぶって、上の段階に押し上げてやる必要があるだろうね。
そう言えば最近、Mの涙を見なくなったな。一緒にお風呂に入ったり飯を食ったり、近しくし過ぎたかな?(笑)
もはやダアのやり口が通用しなくなったのかも知れないな(笑)。そろそろ鬼にならなければいけないかな?(笑)

「70%」のH。今までだったら、高い数値を言うのは子供っぽいやつが多かったけれど、どうなんだろうね。
当たり前とは思うけれど、多分、やはりまだ子供なんだよね。まだまだ直線的な視野しかないのだろうな。
挫折や壁にぶち当たるとかの経験ももっと必要だよね。痛みの中から学ぶことは多いんだから。
夏に向けてKとMと合わせて3本柱を作らなければならないから、どうしてもダアの視線はHに行くよね。
毎日のように罵倒されて、最近のHは涙が枯れたことが無いよね。ちとオーバーだっかかな?(笑)
新人戦のダブルスで優勝して、ダブルスがヘタなことが分かって、シングルスをやらせてみて、
関東オープンでシングルスより、やはりダブルスかなと考え直したりして・・・
ともあれ、Hに対する糸口が見つかったことはチーム作りにとって、大いなる発見だよね。

Hに限らず全員に言えることだけれど、はしょらずに基礎から練習しなければいけないと言う事だよね。
こんな当たり前のことを発見しただなんて、ダアも大したことが無いかもね(笑)。
もっとも苦難の道が分かっているから、今までは見て見ない振りをしていた。と言うところはあるのだけれどね(笑)。
1年間で選手を育てますなんて、今となっては暴言としか思えないことを、平気で口にしていたね(笑)。
次から次にやってくる選手達にアップアップして、やり残したまま大会を迎えてしまう。その繰り返しですよ。
おまけに選手達ときたら年々幼くなって、自分で切り開き、進んで行くことが出来なくなっているんだから・・・

「1%か2%」ダア自身はその問いに、こんな答えを用意しています。そして、こう言うのです。
だからもっともっと練習する必要があるのだよ、まだまだ練習しなければならないことが山ほどあるのだよ。

もしかしたらその問いは、ダア自身に言い聞かせるものだったのかも知れません。


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「どれくらい?」
・・・2004.1.22

「3%位だと思います。」
ダアのバドミントンをどれくらい覚えたと思うか?の問いに、少し置いたMの答え。
ダアに教わっていることが、まだ全然出来ていないから3%なのだと言う。
目指している全体と、その中での自分の位置を、まあ把握出来ていると言うことなのだろう。
チームの取りまとめを任せているMなのだが、それなりに理解できているようだし、結構そつなくこなしている。
1年の秋にはクリアーも上手く打てなかったものが、2年の旭川で個人戦にも出場出来たゆえんだろう。

「70%」
ぶっきらぼうに即答したのはH。ダアはムッと来た(笑)。やはりそうだったのか(笑)。
旭川では団体戦に抜擢したのだが、新チームになってもなかなか変わってくれない。
いくら言っても、これが頑固に自分のスタイルを変ようとしない。朝から晩まで毎日怒鳴られている。
決してダアの言うことがこなせない選手だとは思えないのだが、いくら叱ってもやらないのだ。
進展していくチームの練習にミスが目立つようになり、意図と結果のギャップに戸惑っている。
誰だって思ったことがすぐ出来たら苦労は要らない。少しはダアの言う通りにやってみなよ(笑)。
やるべき事が意識出来てやっとスタートライン。それを具体化するためには幾つものノウハウがある。
いろいろやっても結果が出ないこともあるし、試行の中で新しいやり方を発見したりもする。
今を壊してしまい組み立て直したりすることもある。チーム作りとは選手とダアの共同作業なのだ。

それは突然のことだった。

「スナップを効かせろ!」などと、うるさく何百回も繰り返してきたものが、ふと目を離して、目を戻すと、
なんと、やっているではないですか。初めてなのです(笑)。意識して沈み込んで、ネットへの出足も早い。
(因みに、「スナップ」はダア的にはフットワーク用語なのです。)
個々の動作は難なく出来るのだが、幾つか組み合わせるともうダメ。いったいどうなっているんだろう(笑)。
出来ないのが嫌で、かたくなになってしまい、時に後退を余儀なくされる修正を拒んでいるのだろうか。
去年の抜擢は「空振りしてもいいからやってみな」の大切な時期を素通りする結果となってしまったようだ。
泥にまみれて、プライドを捨ててやればいい。出来なくてもいいからまず言う通りにやってみろよ。
「やろうとしないのは選手の責任。やっても出来ないのはダアの責任。」いつも言っているじゃないか(笑)。
これで解決したとは到底思えないけれど、心の中で何かが変わる兆候であってくれればいいのだが・・・
もっとも、もし変わってくれたら大変。負けを選手のせいに出来なくなってしまう(笑)。

地元開催全中の年を迎え、例年にない長いスパートを始めました。
夏までに息切れしないか、少し心配です(笑)。


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「上海(2)」
・・・2004.1.7

元旦位はおせちをと言うことで和食処へ。
大勢の和服に迎えられるが、イントネーションが違って、つい和んでしまう。
昼間は自由行動だったので、地下鉄で上海体育館へ。ガイド無しはちょっとスリルがある。
免税店目的だったがダアは見るだけ。街を歩くと「ロレックス、安いよ」などとうるさいくらいに付きまとわれる。
服装市場などでは歩くのもままならない。嫌な感じ。ガイドに教わった通り、つれない態度で切り抜ける。
もう少しゆっくり見たかったのに、残念ながら早々に切り上げる。

ホテルに戻ってサウナとマッサージ。結構しっかりしたテクのおじさんだった。ホテルでは男なのか・・・(笑)
夕食から例の7人家族と合流し、北京ダックを食べる。紹興酒をHOTで注文したが冷たいまま出てきた。まっいいか。
3日目ともなると互いに打ち解けて話が弾む。両親と何とも元気なおばあちゃん。そして下2人が大学生の子供達4人。
何と先方の父親はダアと同じ会社の出身(現在は転籍)で、阿見にもいたことがあると判明。あまりの奇遇に一同絶句。
皆で呑んで食べて大いに盛り上がって、いよいよ楽しみにしていた上海雑技団の公演見物へと出かけた。
劇場は大勢の観光客で溢れていた。
日本人が多かったが中国人にとっても観光の目玉らしくあちこちで中国語が飛び交っていた。
座席の番号は中心が1で右左に2、3、4、・・・と振り分けられていた。
つまり座席の右半分は偶数で左半分は奇数。異文化っぽい。
オープニングの何段も重ねた輪を少年達がジャンプして潜り抜けるパフォーマンスでまず度肝を抜かれる。
少年達の躍動感。少女の曲芸。大道芸。お笑い・・・。上海雑技団は素敵だった。今回の旅行のハイライトになった。

2日の朝食は2度目となるビュッフェスタイルのレストランを選んだ。粥に沢山の具を山盛りにして食べるのがお気に入り。
機嫌よくしていると、黄色い僧服を着た2人の坊さんが入ってきた。正月行事の助っ人に地方から出張といったところかな?
向かいの席に着いてしばらくして、1人が不意に身を乗り出し、ニッコリ笑いかけてきた。
勿論ダアも微笑み返したのだけれど・・・次の瞬間その坊さん、ダアに仏教式の挨拶をしてきた。
微笑しか出来ないダア(笑)。どうもダアを同業者と間違えたみたい(笑)。
挨拶して席を立とうかと迷ったが止めて、部屋に戻ってから手を合わせる練習をした。ダアは合掌が苦手なのです。
鏡に映した合掌は、昔みた映画で若者が仲間に「頼むよー」と言っていた時や、幼い子供がお墓で祈る時に似ていた。
どうやら合掌は顔の前でするものではないらしい。レストランで坊さんへの返礼を止まったダアは正解でした。
今年は、合掌が上手に出来るように練習せねばと思った(笑)。合唱は結構得意なんだけどね(笑)。

中国では新年は結婚式が多いのだろうか。ホテルで、レストランで、何組かに遭遇した。
帰りの空港に向かう高速入り口で、黒塗りの高級車で新婦を迎えに行く新郎を見かけた。友人らしき男も同乗していた。
車のボディーにカトレアがセロテープで貼り付けられ華やかさをかもし出している。
ボンネットには大きな花盛が飾られていたのだが、敷いてあるヤツデの葉がそこかしこに植えてある状態そのまま・・・
埃にまみれているのだ。水できれいに洗ってという発想は無いのだろうか。ここでもまた異文化に触れた気がした。
SARS対策と言うことで空港では体温37.5℃以下という証明書を貰う。体温は赤外線測定でカメラの前を通るだけ。
土産は一番旨いと言う10年物の紹興酒、選手のバッグにつける中国式の飾り、デパ地下で買った菓子・・・
飛行時間は帰りの方がかなり短い。偏西風に乗るからだよね。そして無事に成田に到着。結構楽しかった。

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「関東オープン」
・・・2004.1.6

1月4日~6日千葉市のポートアリーナで行われた関東オープンに参加した。
JR利用だったのだが、最寄駅まで柏、新松戸、南船橋と3回も乗り換えて、ちょっとしんどかった。
その分、時間がたっぷりあり、栃木のK監督ご推奨の「鬼束ちひろ」をじっくりと聞けた。
今度、K監督とカラオケでもする機会があれば、再度しっかり聞いて覚える事にいたしましょうか(笑)。

「千葉みなと」駅で下車。会場に着いたのが練習時間終了間際で結局練習は出来ず終い。まっいいか(笑)。
開会式に選手を残して、ダアは隣駅の「稲毛海岸」へと出かけた。
川崎に住んでいた幼い頃、海水浴に連れていって貰った記憶がある。懐かしい場所なのだ。
改札を出ると駅前は整備された都会風。多分電車で行ったのだと思うが当時の事はほとんど覚えていない。
緑を抜けて浜に降りると板で囲われた簡易更衣所があって、その向こうに狭い砂浜が広がっていて・・・
まずしい時代だったし、川崎の扇島での海水浴など片手に足りない大切な思い出のひとつなのだ。
しかし、傷心を抱いて帰ることになってしまった。やはり幼い頃の宝物は脳裏にしまっておくべきでした(笑)。
タクシーの運転手さんが昔の海岸線を教えてくれた。埋め立てて整備しているのは当たり前だったか・・・
体育館までスポーツ談義。選手の心構えにまで言及する「語る運転手さん」だったが、ダアの降車時に
「生意気を言って済みませんでした。」と声を掛けてくる、ちょっと好感を持てる人であった。

大会は、ダア的には「新年のご挨拶に伺う」と言ったところで、まあ正直言って正月気分なのだが、
数少ないビジネスチャンスとみてか、各社のシャトルコックが勢揃い。これが選手には大不評。
各社5番を用意したとのことだが、いわく「打った音のイメージに比べて、飛ばない」これは傍目にはよく分からない。
銘柄によっては、大方の選手がロブやクリアーを1m位バックアウトしていた。これは傍目にもよく分かった。
一部の選手はしっかり対応しているので、結局は練習不足と言うことになってしまうのだろうが、
本当は気温などのコンディションで番定を選ぶのが筋だよね。大きな大会なんだから、そうして欲しいですよね。
選手に速調の調べ方さえまだ教えていなかったのだから、偉そうには言えないけれどね・・・

試合は、茨城、東京、栃木、熊本、山梨、千葉Bの予選リーグを何とか全勝1位で抜けて
茨城、埼玉、福井、熊本の決勝リーグは埼玉3勝、他は1勝2敗の3すくみ・・・
ゲーム奪取数で他2県に勝った茨城が結局2位となったが、今のチーム状態では分不相応な気がする。

正月も明けて、いよいよ本腰を入れて練習する季節がやってきました。

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「上海」
・・・2004.1.3

年末の30日から2日まで(バド漬けの普段の罪滅ぼしを兼ねて)上海で正月休みとしゃれてみた。
家から成田まで車で1時間。正月休みを海外でという人々で空港は溢れていた。
なんだかんだと面倒なことがあるのだが、ダアはただボーッとしていて言われるままに行動。楽です(笑)。
上海空港で現地ガイドと会う。12名のミニツアー。待つ間、耳に入った携帯の着メロが何と「蛍の光」。
たしか、スコットランドの原曲と中学校の教科書に書いてあった気がするけれど
中国ではどのような曲になっているんだろうね。着メロにちょっと異文化を感じる。
上海へ向かう高速道、白塗りした街路樹が目に付く。虫除けの石灰だとか・・・これも異文化っぽい。
上海の街は巨大な高層ビルと、古いこまごまとした家が入り乱れていた。
あちこち掘り返したり、工事したりでまさにスクラップ&ビルト状態進行形。活気を感じる。
古くからの、地に這いつくばる雑然と、空に伸びる近代が同居する、エネルギーに溢れた街。
そして、いたるところが土ぼこりに覆わていて、なんとも埃っぽい街といった第1印象。

庭園とかの観光地を案内されたが、それはまあ定番といったところ。それよりも街行く人々が印象的。
何とも人が多い。ものすごい数の自転車、文字通りの原動機付き自転車。輪タクもある。
大八車や山のような荷物を積んだリヤカーが通り、満載の天秤をゆらゆらさせた物売りまで歩いている。
車やバスやトラックの近代と、まさにカオス状態・・・高速と低速が何の不思議も無く行き交っている。
それぞれが、時にたたずみ、するりとすり抜けていく・・・どうしてぶつからないんだろう。
横切る時にガイドが「さあ、みんなで勇気を持って渡りましょう」と笑いを誘う。でもつい本気になってしまう。

日本だったら・・・信号や標識に従って進んで、それを無視した相手とぶつかって・・・と言った事がありがち。
ルールを無視している訳ではないだろうけれど、こちらでは自分の感性を大切にしているように見えてしまう。
大型バスが左折した交差点で、それまで陰にいたバイクがスーっと走り抜ける。突然、人が立っていたりする。
何のためらいも無く駐車場から通りに出た車に、直進車が何事も無いかのように車線を変更して対応する。
(少なくともダアにはそのように見える)。何とも不思議なのです。(因みに、車は右側通行でした。)
決められたことにすがるのみで、状況判断力が鈍くなってしまった日本人が、お馬鹿さんに思えてしまいます。
(この部分は、少し言い過ぎで、誤解を招くかも知れませんね。笑。)
バドで中国が強いのは、こうして常に敏捷性と判断力を磨いているからなのか、とこれは冗談。

夕食は上海ガニ。到着してガイドが店員と激しく言い争いをしている。少なくともダアにはそう見える。
どうやら、申し込みの条件と違っていたことに抗議していた模様。その後の「それではご案内します。」との
いかにも優しげな日本語との対照に奇異に覚える。その中国語バトルにこの国のバイタリティーを感じる。
上海ガニは小型で上手く食べられなかったけれど、カニ尽くしの(中華)料理は旨かった。
2階の小部屋での食事だったのだが、やがて胡弓の生演奏が聞こえてきた。ダアは下まで聴きに行った。
蘇州夜曲や、日本人客向けなのだろう耳慣れた曲が続く。胡弓と中国琴の女性2人組。得した気分。
夕食後も夜景見学など、盛りだくさんの日程をこなして、やっとホテルへ到着。宿泊は花園飯店。

31日は、ツアーの中の7人家族と一緒に蘇州観光。観光はやはり定番っぽいが、随分標高の低い土地だ。
昼は観光客の沢山入る店でこの土地の家庭料理を味わう。キャベツを炒めただけの一皿さえも旨い。
ここでも生演奏がありダアは満足状態。三線の男性と琵琶の女性の2人組。ハモるわけではないが弾き語り。
曲調が何か大地を思わせて、この土地を感じる。ガイドに聞くと有名な歌らしい。弾き語りはレベルの高い音楽家だとか。

上海に戻った夕方はチャップリンも宿泊したというアンティークな造りのホテルの2階にあるマッサージ店へ。
ホテルは板敷きの廊下だったりしてちょっとレトロ、日本人はほとんど見かけない。欧米系の泊り客が多いようだ。
息を切らせて一生懸命施術してくれて好印象。中国では異性が施術すると聞いたことがある。可愛い娘だった。
花園飯店に戻り、2003年最後の晩餐はフレンチのフルコースを堪能。周りはほとんど日本人(笑)。
部屋に戻ると、BSで紅白歌合戦をやっていた。日本にいればまず見ないが、異国ではつい見てしまう(笑)。
ちょうど後半に入ったところで、森山直太郎の「さくら」を初めてCD以外で聞く。結構雰囲気がいい。
聞いた中では
一青窈の「もらい泣き」にビビビッとしびれた。「唄いたい病」発病です(笑)。
後はケミストリーと言うグループは初めて聞いたけどいい感じ。ゴスペラーズは期待はずれ。
3人で唄った「涙そうそう」も良かった。歌詞が泣かせる。初めて聞くビギンのボーカリストの声は好みの部類。
森山良子のハモは他の2人としっくり合っていなかった。あと、長渕はさすがーと言った貫禄だった。
窓の外に打ち上げ花火が炸裂し、やがて年が変わった。

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「逢いたい(2)」
・・・2003.12.11

10月のゆったり館合宿で骨折をしたユウキがやっと医者のOKを貰った。2ヶ月は長過ぎだよね。
待ち通しさもひとしおだったので、カラオケの時に行ったイタリアンで選手達と快気祝いをした。
前から気になっていた店だったのだが、「逢いたい」に逢った日初めて行って気に入ったのだ。
マコト母の車が迎えに来てくれた。店に着くまでに、ひとしきりウォークマンの話題。
「もう動かないかも知れないけれど、家にあるから使って下さい」と、マコト母。
届けられたウォークマンはしっかり箱に入っていた。コードもきちんと「ねじりっこ」してある。
これはほとんど新品だよね。あの時は「使い古しで動かないかも知れない」と聞こえたのだけれど、
生ものじゃないんだから、ね、動くに決まってるよね(笑)。

電車に乗る用事があったので、「逢いたい」のカセットテープと一緒に持って出かけた。
CDウォークマンと違ってスキップ機能がないので、早送りしたりしてもなかなか行き着かない。
おまけにリバース機能の為にテープがどちらに動いているのか分からない。
アルバムはどれも似た曲調でますます混乱する。高をくくって取り説を持ってこなかったことを反省。
結局、1時間もあった時間を有効に使えなかった。
取り説を読むと、操作した時に「ピー」と「ピピッ」で動いている方向が分かるようになっていた。
情けないことに、「ピー」と「ピピッ」の違いに気がつかなかった。大したことがないダアです(笑)。

テープの何処が再生されているかが分かるようになったので、今度はゆっくり聞けた。
歌詞も書き写した。後は曲を聞きながらダア流の記号を書き込んで、レパートリーになります。
父母会主催の仮装忘年会で、カツトシ母と競演しようかな? 恐れ多いかな(笑)。
ハモリやすそうな曲だから、デュエットなんかしちゃおうかな? 受けるかな(笑)。

追記:バドも一生懸命やっていますです(笑)。


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「逢いたい」
・・・2003.12.5

選手の試験休みに2年生の母親連とカラオケを楽しんだ。
元シンガー?だとか言うカツトシ母に声をかけたら、皆を誘ってくれたのだ。
選手と行くお風呂も気分転換になるのだが、歌は少なくともその最中は頭が空っぽになって現実を忘れられる。
イタリアンでワインとおしゃべりを楽しんで、そして、いざ競演の舞台へと(笑)。
母親連は結構しっかりとレパートリーを持っていて、なかなか積極的ですよ(笑)。負けそうです(笑)。
元シンガーはと言えば、さすがと言うか、もう声が出ないとか言いながら、しっとり聞かせてくれる。
ちょとハスキーで、バラードがよく似合う。カクテル片手に耳を傾けるといった情景が浮かんでくるのです。
何曲目だったろう。ダアはある曲に、ふと心を引かれた。聞くと「会いたい」(沢田知可子・歌)だと言う。
♪今年も海へ行くって いっぱい映画も見るって 約束したじゃない
  あなた約束したじゃない 会いたい huu
♪強がる肩をつかんで バカだなって叱って やさしくキスをして
  ウソだよって抱きしめていて 会いたい huu
♪遠くへ行くなと言って お願い一人にしないで 強く抱きしめて
  私のそばで生きていて・・・ 会いたい huu

この曲を唄いたい。言い出したら止められません。ダアの唄いたい病です(笑)。
でもダアは結構おんな唄が似合うんだよ(笑)。見た目で判断しないでね(笑)。
試験開けの練習でカセットテープが届けられた。ちょっと困ったかな? CDウォークマンしか持っていないんだ。
家にオーディオはあるけれど、朝練に向かうチャリがダアの新曲練習の場なんだよね(笑)。
サンスイとかじゃちょっと大袈裟だし小回りが利かない。それに大きすぎてチャリに乗らない(当たり前じゃ)。
♪困ったな huu

*「会いたい」をダア的に、「逢いたい」のタイトルにしてみました。


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「人権標語」
・・・2003.12.2

今朝、職場でパソコンを開くと「人権標語 最優秀作品おめでとう」のメールが目に飛び込んだ。
そう言えば、何ヶ月か前に同僚と軽い乗りで応募したことがあったっけ。
社内の募集に、割り当てと言ったムードで嫌だったのだが、皆で雑談の延長で作ってみたのだった。
 おめでとうございます。
 先般ご応募頂いた貴殿の作品が見事、最優秀作品に選ばれました。(全作品6730点)
 記念の図書券等は別途お送りいたしますが・・・・
さて、どんな標語を応募したのだっけ。思い出せない。
出社してきた同僚が「やったね!」と、コピーしてあった応募を見せてくれる。
「みんな違って当たり前 誰もが世界のオンリーワン」
なんじゃいこれは! 何かのパクリかい(笑)。本当にこれが最優秀作品かい(笑)。
昨日は仕事で四苦八苦したので、ひとしきりの朝の話題はかなり盛り上がった。

「みんな違って当たり前 誰もが世界のオンリーワン」
読み返してみると、何かのパクリだとしても、まあそれなりの作品ではないですか(笑)。
思い出したぞ、あの頃は選手がなかなか上手くなってくれなくて、毎日のように怒鳴り散らしていたっけ。
「なんでそんなことが出来ないんだ!お前みたいなヘタクソはやめちまえ!」
何だかダアのいつものパターンですね。本当に懲りないダアなんだから(笑)。
でも選手は、涙を流しても必ず笑顔を見せてくれる。誰もが一生懸命に練習してくれる。
そして、気分転換に行ったカラオケで「世界でひとつだけの花」という歌を唄ってくれたのだ。
選手達にそんなつもりは勿論無いのだが、ちょっとダアに反省を求めているようにも聞こえた。
分かっていますよ(笑)。勝つことが全てだとは決して言いません。誰もが世界のオンリーワンだよね。
でも勝つことを目指さなければ我々の活動は成立たないのですよ。と言い逃れ(笑)。
この歌は歌詞がストレート過ぎてダアは照れてしまうのだが、選手達の定番になっている。

そうなんです。標語はその歌からのパクリなんです。ハイ!(笑)
 社内報に載せるので「顔写真」と「コメント」を明後日までに・・・
図書券10枚はラッキーだったけど、これは、ちょっと面倒くさいな(笑)。


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「めがね(2)」
・・・2003.11.15

「調整に来て下さいね」この一言をよすがに再び訪れた新京極の眼鏡研究社だった。
20日前に行ったばかりだからさすがに覚えていてくれて、掛け具合を調整してくれた。
作る時にあれだけ丁寧だったのだから、やはりというか大して時間を要しない。
本当は、出張の行程を変更してまで寄ったのは、サングラスが主目的。前回気になるやつがあったのだ。

ダアは若い頃から映画なんかで按摩さんが掛けているような丸眼鏡を掛けて喜んでいた。結構変人(笑)。
ちゃちな、すぐメッキが剥がれてしまうようなやつだったから、結局いくつも買った記憶がある。
しかし売れてしまったのだろう、展示してあった場所にもう無かった。
せっかく来たのに・・・傷心を抱いて(笑)店を後にしたのだが、ふと思い直して引き返した。
めがねを手作りしてる店なんだからサングラスも作ってくれるのではないか。当たりだった。
先日作っためがねは黒いフレームだったのだが、「レンズが色つきだと映えないですよね」と言ってみる。
向こうはそんなことは勿論お見通し。目の前で光沢のあるフレームを組み立ててくれる。
彼女?と来ていた若者がやはり丸めがねを掛けていて、300円支払っている。めがね屋で300円ねえ・・・
あれこれ試してみたのだけれど、結局展示してあった艶消しのフレームを選ぶ。
先日作っためがねと同じ型のフレームでサングラスバージョンになる。おっしゃれ-ぇ(笑)。
因みに、光沢品が基本グレードで、艶消しやメッキ処理で値段が1000円アップする。
レンズは濃い目のやつを選んで、小1時間あたりをブラついて出来上がり。
掛け具合を調整してくれて「掛けて行きますか?」の声に「今度遊びの時に」と言って店を出た。
出張でダークスーツにネクタイ。髪は超短いし、その上濃いサングラスじゃね。ちょっとヤバイよね(笑)。

出張で一緒だった同僚と待ち合わせた改札口に、いたずら心で掛けて行ってみる。
目の前で手を振ると驚いてくれる。「全然気が付かなかった・・・」
本当は、気が付かなかったのではなくて、視線を合わせないようにしていたんだよね(笑)。

12月に例の化学工場の製造立会いで再度京都へ行く。きっと新京極へ行っちゃうよね(笑)。


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「京都再訪」
・・・2003.11.13

出張の折り、名古屋から京都への移動に時間があったので、在来線を使ってみた。
ホームの行き先案内に京都の文字が無く、乗り込んでいいものか分からない。
駅員に尋ねると、「新幹線ではないのですか?」と怪訝そうに聞き返された。
乗り込んだ列車は通学の高校生で溢れていた。茨城でみる高校生と違って服装が大人しい。
高校生が下りていった車内はだんだん空いてくる。シートに腰を下ろすと、次で乗り換えと車内放送。
3番線の前よりが2番線と案内している。それってどういう事なんだろう? ちょっと好奇心。
乗り継ぎで下りたホームで早速現場検証。あれこれ考えたが、見て納得。大垣駅での事でした。
先へ進む列車が来るまでホームをウォッチング、キオスクで「みそキャラメル」なるものを発見。
八丁味噌にゴマ風味・・・どんな味なんだろ。土産にしようかと迷っていたら列車が到着。
乗り込んだ車内は結構ガラガラ。車窓の景色を眺めていると、案内放送。乗り継ぎ前の列車と似た声だな。
回ってきた顔と名札が同じだったから、車掌も乗り換えたようだ。 それとも双子? まさかね(笑)。

米原で2度目の乗り換え。在来線は長く乗れないように出来ているんだね、きっと。
前に座った2人連れの大学生、授業や友人の事を話している。ボケと突っ込みでお笑い風の会話。
ボケ役は前髪を自分で切ったらしく、風貌までお笑い系。突っ込み役はボサボサを今日切ると言っていた。
漫才コンビ(笑)が空いた席へ移り、意識を車窓に移すと、ホームに野洲(やす)と書いてある。
ダアはこの駅で下りたことがある。駅前のホテルに泊まったことがある。
滋賀全中前の3月、選手の試験休みを利用して守山北中に行ったのだ。
帰りに、守山駅まで送ってくれた父母会長さんが「久しぶりに選手の笑顔を見ました。」
その言葉に地元開催を控えた森岡先生の、日々の呪縛状態を感じ取れた。
あの時はダア自身がチーム作りに行き詰まって、見つめ直すために旅に出たのだけれど
もう見たくもないとさえ思ってしまった選手達に、早く会いたいと思わせてくれた旅だった。
大津に近づくとプリンスホテルが見えてくる。右前方に見え、迂回状態でだんだんと大きくなってくる。
滋賀全中では大津プリンスホテルに泊まって、体育館へは琵琶湖畔を歩いて行ったっけ。
右前方がやがて右正面になり、列車は感傷を寄せ付けないスピードで、過去の前を通り過ぎてしまった。
まさに、過去を置き去りにして、今の時をグングンと突き進んでいったのだった・・・

結局、新幹線の何倍かの時間を掛けて、京都へ到着。
前回は眼鏡研究社だけだったので、今回は「南座」の前を通って「八坂神社」の前まで行きました(笑)。
それから「にしんそば」も食べて、少しは京都しました(笑)。

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「めがね」
・・・2003.11.7

先日、京都へ出張した。ダアもたまには仕事をしているのです(笑)。
京都と言っても奈良に近い笠置と言う奥深いところで、とある化学工場の視察が目的であった。
ある製品をそこで製造して貰う為の視察であったが、せっかくの京都行きなので、
やはりと言うべきか(笑)、前日に休暇を取り、京都の休日としゃれ込んでみた。
京都駅から地下鉄に乗り、地上に出たが、さて分からない。うろうろしていると観光案内板を見つけた。
目指すは「新京極」。大昔、中学校の修学旅行でチラッと歩いたことがある。
あの時は、バスガイドのお姉さんが京都で随一の繁華街みたいな説明をしていたけれど
着いてみると、思ったより狭い通りだった。何かデーンとした通りだったと記憶しているんだけどね。
子供の頃の場所って大人になってから行ってみると、随分と小さく感じるんだよね。

今回の目的は、「眼鏡研究社」。アンティークな製品を手作りしているめがね屋である。
どうしても「ロイドめがね」が欲しくなり、インターネットでいろいろ調べたら、ここがいいらしい。
開店早々の店は、すでに先客がいる。見るとあるある、丸縁のフレームが所狭しと並べられている。
何だか腰の辺りがゾクゾクするような感触を覚える。上野のS眼鏡店には1種類しか無かったのに・・・
店の人の説明を受け、すっかりその気になったのだけれど、一旦、頭を冷やすために外にでる。
辺りを歩き回り、昼飯はおばちゃんの食堂でそば定食、それからおもむろに再訪。

普通、めがねって気に入ったフレームにレンズを入れて貰うだけ、みたいなところがあるんだけれど、
フレームをあれこれいじくってダアの顔にフィットさせてくれる。掛けてみたり調整し直したり・・・
仕舞いにはツルをペンチでパチン!長さを調整してくれる。何だか心地よい場所だ。
手作りなので部品が揃っており、片方のツルが折れても交換出来るとかの説明を受けている間も、千客万来。
創業以来百余年間に収集・研究したデッドストックが千本以上あり・・・
古き良き時代に職人達が思いを込めて手作りした製法を受けつぎ・・・
昔ながらの上質めがねを今に蘇らせた・・・ とかの同店の面目躍如といったところかな。
ダアは大満足。「眼鏡研究社」がいっぺんに好きになってしまった。
最寄りの駅を教えて貰って新幹線に向かう。京都って本当は見る所が沢山あるんだろうけれどね(笑)。

送られてきた眼鏡をさっそく掛けてみる。鏡をのぞく。結構いいじゃん!(笑)


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「花も選手も(2)」
・・・2003.11.1

ダアの住んでいる家は、事情で転居することになり築後間もなく売り出された物件を購入したものだ。
家を持ったら、庭にグルリと「流れる池」に魚を飼う・・・そんなことを夢見ていたダアだったのだが
前居者のこだわりから、庭木などもしっかり植えてあるその家は、やがてダアに新しい世界をもたらした。
各地の植木市や植木屋をずいぶんと回った。公園の緑を散策することも好きになった。
ああでもない、こうでもない・・・かなり購入したし、いじりすぎて枯らしもした。
いつしか、遠くから値踏みをして値札をみると、結構当たっていたりするようになっていた。
ある時、ふと気がついた・・・
植木というものは植木そのものを買うのではなく、植木の「時」を買うのだ。
若い苗木は育ちゆく「未来」に夢を馳せることになるし、成木は育ってきた「過去」を今、手にすることになる。
植木の意味が、植木の価値が分かった瞬間であった。

1年間でチームを作ります。ダアはうそぶくことがある。
1年間でチームを作るのではなく、本当は、毎年の選手達には1年間の時間しかないと言うことなのだ。
どの選手もそれなりに咲かせてあげたいし、ダメな年なんて決してありはしない。
なんとかたどり着いた8月。休む間もなく始まる新しい1年。それを繰り返している。
限られた「時」に考え得る全てを凝縮しようと、模索し、苦悩している。

小学生での実績がものを言ういわゆる「ジュニア」の時代。
実績のある選手が集まれば強くて、そうでなければ、そうでもない。
今や、中学校の状況は、まるで高校のそれと似た様相を呈している。何か面白みに欠けて、何か変。
12才は「未来」を秘めた育ちゆく若い苗木ではなかったのか?

目指す相手は既に片手に余る競技歴を有し、実績も申し分ない。
やってくる選手達は、訓練されていない「自我」の塊。時代の気分をそのまま反映している。
それは年々傾向を強め、相容れない不自然な状況を作り出している。やっぱり変。
長い学校体育の歴史に、チャンピオンスポーツが割って入った歪みが出ているのだろうか・・・

大きな流れが、いったい何処へ向かっているのかは、ダアには分からない。
けれども問題は目の前の選手達。何とか咲かせてあげたい。
瞳を輝かせ、汗にまみれ・・・ 怒鳴っても突き放しても、なお寄せてくる信頼に応えてやりたい。
1年間で何とかしようとあがいているのだが、どうしようもない「時」の重さに打ちひしがれることが多い。
それでも選手達の秘めた「未来」を信じて、これからも模索を続けていくのだろう。


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「花も選手も」
・・・2003.10.27

体育館の工面がつかず、午前中に久しぶりに取れたフリーな時間
まだ夏の名残を見せているダアの庭の、花達の模様替えをした。
今年の夏は結構必死だったので、あまり世話をしてやれなかったけれど
それでもしっかり咲いていたりしていて、生きているもの達の、力を感じる。
塀の外にずらりと並べたプランターには、ビオラとパンジー
門の前にスノーポールと植えてやると、やって来る冬への準備が出来た様な気がする(笑)。
まだ自己主張しているマリーゴールドやトレニアなどは、庭の隅に植え替えたりしていたのだけれど
そのうち、面倒くさくなり、まとめてポイッ! ゴメンなさい。

9月の全日本ジュニアでは、練習している事が出来れば負けるはずは無いのに
相手の熟練に、それが出来なくて負けてしまった。
まだ始まったばかりだから仕方ないけれど、来年は茨城全中。ちょっとプレッシャー。
神戸から帰った次の日の練習で、ダアは新しい観点で練習を見つめていた・・・
ミスを5つに分類し、それを意識したマコトらは明らかに一つ上のステージにいた。
これはいい。このまま皆で進んでくれれば・・・ 何かが起こる予感がした。
しかし、次の日、マコトは体調を崩し、練習を休んでしまった。
限界までやってしまって、体に力が入らなくなり・・・ そう説明する。
ダアもあの時、身と心がギシギシ音を立てている・・・ そう感じていた。
だからこそ手応えを感じたのだが・・・

タネを蒔いて、発芽させて、育ててみても、貧弱な花しか咲かないことが多い。
手っ取り早くポットで買ってきた花を植えると庭が一気に華やかになるのだけれど
でもダアは、生きている不思議が感じられて、やはり育てて咲かせることが好きだな。
もっとも、最近はタネからだけでなく小苗を買ってきて育てることも多くなったけれど(笑)。

長くやっていると、それなりの知恵もついて、そこそこのチームを作れるようになる。
周りの人々は好意的に協力をしてくれるが、その裏返しとして結果を期待し、求めている。そんな気もする。
それに応える方法もある程度は思いつくし、するべきことが分かるので、つい要求してしまう。
未熟が当たり前の選手達に、性急に変化を求め、進歩を求めてしまうことになる。
この時期の選手はいつだって、小苗であるはずなのに、もう2ヶ月も過ぎてしまったとあせってしまう。

花達は、本当の事を言えば咲かせるのではなく、育って咲く環境を整えてやると、自分で咲くんだよね。
早く大きくなれ、早く咲けっていじり過ぎたりすると、すぐに枯れたりしちゃうんだよね。

まだ2ヶ月しか経っていないのに、今年のチームは一瞬信じられないような事件が、本当にいくつも続く。
何かの信号、予兆なのかな・・・ そう思えて来る。身の丈にあった事をやれと言うことなんだよ。きっと・・・
5つに分類したミスも、考えついた幾つかの新しいアイデアも、今ではダアの頭の隅に眠っている。
選手達の生長に合わせて、再登場するかも知れないし、しないかも知れない。
それが本来のあるべき姿なのだろうし、それでいいのではないか・・・ そう思ったりもする。


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「湯ったり館合宿」
・・・2003.10.14

新チームとして最初の合宿を、10月11日~13日に行った。
今回は、東京のエース平野君・小林君が特別参加してくれ、神奈川・大道中(12日13日)、
栃木のK監督とそのチーム(11日12日)、及び、県内から国府中の参加があった。
12日に宿泊した「湯ったり館」は、竜ヶ崎にある公営のスーパー銭湯なのだが大浴場のほかにも、
サウナ、露天風呂、と充実した風呂があり、食事も、この手の施設にしては珍しく安くて旨いもので、
我々は「湯ったり館」をすっかり堪能したのだった。
夜は、久しく途絶えさせていた、歌、マジック、ゲームなど、出し物満載のミーティングをした。
ダアのギター伴奏は残念ながら練習が間に合わず、次回以降の宿題となってしまったが、
ぎこちない進行にもかかわらず、選手達はそれなりに楽しんでくれたようだった。

何もかもが快調に進んでいたのだが、ところが、大変な事件が立て続けに起きてしまった。
1、2年生が組体操を披露していて、組んだ馬を崩した時に、ユウキが左手首を骨折してしまったのだ。
手首の上で曲がってしまい、それを見て皆で大騒ぎになった。
引っ張ったりしたら元に戻ったので脱臼かなとも思われたが、病院へ行かせなければいうことになった。
一番近いマコトの親に電話すると、「この時間では医大しかないだろう」と、来てくれることになった。
「ついていきますか?」そう言ってくれたマコトに託して、ミーティングを続けた。

「車が正面衝突しました・・・」しばらくして、マコトから電話が入った。
一瞬、何のことだか理解できなかった・・・

ミーティングを終えて、興奮のさめやらぬ選手達はホールやゲーム機の前で楽しそうにしていた。
ダアは携帯にすがって情報を待った。
選手達は消灯時間になると静かになってくれて、不安を抱えたダアには有り難かった。
一人残ったホールで携帯のボタンを押した。
ユウキの父親が「迷惑を掛けてしまって・・・」ダアの責任なのに、そう言ってくれる。
ダアはいつだって、こうして周りの皆さんに救ってもらっている。心にしみる暖かさに次の言葉が浮かばない。

脱臼ではなく骨折だった・・・マコトも顔を少し座席のシートにぶつけたが大丈夫そうだ・・・マコトの親も大丈夫・・・
少しづつ情報が入ってくる。
新チームも7週間が過ぎたが、今年はいろいろなことがあるな・・・
練習の後かたづけで些細な事で殴ってしまい、口の中を4針縫った事件。
あの時は、全日本ジュニアで神戸にいて、何でこんな事が起きるのかと思ったっけ。

部屋に戻り、横になって待つことにした。皆、スヤスヤとよく寝ている。
肩を軽くつつかれて目を開けると、マコトとユウキが覗き込んでいた。軽い眠りに入っていたようだ。
ユウキは左手を首から吊ってニコニコしている。「大丈夫か?」とささやくとにっこりうなずく。
ユウキは念のため家に帰してマコトを寝せた。0時を少し回っていた。

朝、選手と朝風呂を楽しみ、朝食をとっていると体育館への移動に親さん達が迎えに来てくれた。
メイン道路に左折で入ったところ、1車線の追い越し禁止を無視した対向車に正面衝突された。
左折した直後でスピードが出ていなかったので大事には至らなかったが、車は大きく壊れた。
昨夜のあらましを聞かせてもらって、今更ながらに、ゾゾゾーッとする。
「今年は、いろいろありますね」父母会長のF岡さんがそう言って苦笑した。
「このチームは、もしかしたら来年の夏に大きなことをしでかすかも知れませんね・・・」
そう言って皆で笑った。
頼むよ選手達。いろいろとあったことを「笑い話」にして下さいよ・・・

体育館に着くと、ユウキが待っていて、「新人戦には出ます!」と元気に言ってくれた。


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「全日本ジュニア」
・・・2003.9.23

もはや何年か前になってしまったけれど、懐かしい「五つの赤い風船」のコンサートに行った。
コンサートに浮かれて、またもや衝動買いしてしまった5枚組のCD。聞くヒマが無かった。
尾崎の3枚を含めて、25枚を持って旭川へ出かけたのだが、ヒコーキは速すぎてヒマが無かった(笑)。
神戸の全日本ジュニアの行き返りはJRだったので、たっぷりと堪能できた。
けれども、これがいけなかった。

正月休みの小旅行などで「五つの赤い風船」をボリュームを上げて聞いたりすると
決まって発病するダアなのだった(笑)。
音楽をやりたい・・・。練習の合間や合宿なんかにギターを持って皆で歌いたい・・・。
そうなのです。ダアにはフォークソング病の前歴があるのです(笑)。
救いは、バドもきちんと頭の中に入っていることでしょうかね。
今までは、選手のお陰で(笑)心に余裕が持てなく、1週間もすれば症状は治まったのだが
今回はちょいと重症みたい
この間の、3年生を送る会での1・2年生の「贈る言葉」の心地よい響きも耳に残っている
来年の全中に向けて、今年は合宿を何度もしようと考えているのだが、夜に皆で集って歌ったりゲームをしたり
そうさ、3年生のチームであれほど追い詰められた状況だったのに、ホームページを立ち上げられたじゃないか
きっと、出来るさ・・・(笑)。

そう思うと、もう堪らなくなって、隣のシートのマコトに言った。今度から音楽もやる!
マコトの答えは?歌を知らないから教えてください。アレレ・・・

もう、音は出ないのだろうか?ギターは3本あるのだけれど、きっと音程が狂ってしまったよね?

レパートリーは、やはり選手と一緒に歌える歌を中心だよね。以前の妄想はダアが中心だったけれど(笑)。
 「遠い世界に」「悲しくてやりきれない」「見上げてごらん夜の星を」「あの鐘を鳴らすのは誰」・・・
あれこれ思いを巡らせているうちに、東京ステーションに到着。

少なくとも、1日目の今日はまだ行動を起こしていない。合宿は10月12日にある(笑)。

神戸では・・・
ダアの選手のやろうとしていることは、相手よりも上だと思うのだけれど
結局完成度の違いといったところで、勝ちきれない。
今までのチームは、フットワークから入り夏までに作り上げるやり方だったのだが
今年のチームは、ゲーム練習から入るという全く異なったアプローチをしている。
もしかすると、過去のやり方を否定することになるかもしれない。そんな新しい感触がある。
例えば、今日の練習で、今まではただそれだけだった「ミスをするな」の内容を
「イージー」「コントロール」「打法選択」「コース選択」「フットワーク」などと識別しているダアがいた。
それに答えた選手は激しい息使いで、一つ上のステージに間違いなく、いた。

音楽は、またもや見果てぬ夢になってしまうのでしょうか?(笑)
いずれにしても、熱い1年にはなりそうです。


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「島唄(2)」
・・・2003.9.10

ダアの職場にモトダさんというナイスな男がいた。
過去形なのは、長期出張が終わり、もう横浜へ帰ったからなのだが、奄美大島の高校でバド部だったとのこと。
折角だから一度、ダアの選手と一緒に練習してみない?そう誘い、共に楽しく練習して貰った。
練習が終わって、お気に入りの焼鳥屋で、汗とエネルギー分を補充した。何人かの3年生も連れていった。

そんな時は、自分で何か話題を提供し、場を盛り上げろよ。選手にはいつもそう言っている。
通り一辺倒の質問が途切れると、串焼きを食べるだけの沈黙タイムになってしまいがち・・・
すると、
「じゃあ今度は僕の方から質問ねっ!」とモトダさんのフォローが入る。まずは定番から・・・
ユウキは野山の草花を集める趣味があるんだって。両親は育苗農業、後継者になれるかな?(笑)。
ナツキは本を読むことが好き。仲間内でも知恵者で通っているよね。
アキヒコはクワガタやカブトムシを孵化させること。まだまだ子供なんだから、なんて思っていませんよ(笑)。

大人との話題に詰まったら、「僕に何か質問をしてくれませんか?」と切り出す・・・
最近、ダアが選手に提案している事なのだが、モトダさんがそれを自然に演出してくれている。
ダアとモトダさんにその他の選手の筈だったものが、ダアは聞き役で皆で盛り上がっている。いいね!
次から次へと選手から引き出して、やはりモトダさんはダアが見込んだだけの事はあるね!

ダアの脳細胞の中に、モトダさんがカラオケで「島唄」を歌っているイメージがある。
マイクを握ったカラオケボックスで、♪ 島唄よ風に乗り・・・と、ピッタリはまって歌っている。
旭川で「島唄」を買おうと思い立った時も、ダアの心を後押ししたイメージなのです。
てっきりどこかで一緒に歌ったのだと思っていたのだが、思い返すと、どうも心当たりがない。
人のイメージと、曲のイメージが、例えば、全国大会と言った高揚した雰囲気の中で、
あたかも実体験のように合成され、記憶されるなんてことが、いったい、あるんでしょうかね(笑)。
それとも、ダアがボケただけなんでしょうか・・・
うなずいている幾つもの顔が見える(笑)。


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「島唄」
・・・2003.9.9

♪ でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た・・・
新学期となり朝練に向かうチャリで島唄を聞いている。

旭川の町を散策していて、とあるショップで購入したBOOMのCD。
旭川に出発する前に、たまたま目にしたTVで、BEGINとか言うバンドが歌っていた(様な気がする)。
帽子を被ったいかにもといった感じの3人組で、何とか言う新しい楽器でどうしたとか新聞に出ていた。
前からちょっと気になっていた曲だったし、出発前にタイミング良くTVで見かけたことだし・・・
そもそも、気持ちのよいお酒を呑んだからと言っては、花の苗をたくさん買い込んでみたり(笑)
何々だかの記念とか言って、衝動買いする癖がダアにはあるのです(笑)。
ましてや、あれ程皆で強く願った「旭川へ行こう!」が叶ったのだから、ここはひとつ・・・ね!
旭川全中出場記念、という事で・・・ね!(笑)。

BEGINの島唄で捜したけれど見つからない。選手達も動員したけれど、ほとんど絶望的・・・
困った挙げ句、店の人に聞くと、とても親切に調べてくれて
BEGINが歌った島唄は無いという。そして、元々はBOOMの歌だと言う。へーそうなんだ。
♪ 島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
このフレーズが心地よく耳に残っているんだよね。
CDケースの写真で、帽子組がBEGINだと言うことは確認できたのだけれど
あの時TVで彼らが歌っていた様な気がしたのは、ほんの数秒だったし、何かの間違いだったのかな?

案内された棚には、2枚組と1枚組(?)と、他の歌手がカバーし島唄の類を集めたCDがあった。
どれにしたらいいか迷ったので、アキヒコに聞いたら2枚組がいいです。それではと、3500円で購入。
ホテルに戻ってさっそく聞いてみる。いいね。レとラが無いという琉球音階なのかな?この曲調・・・
ちょっとけだるくて、どこか南の海を思い出させてくれる。明かるくて、悲しさも混じった響きだよね。
別の曲はと言うと・・・
ぶどうパンがどうしたとか、考え方しだいで地球がコンペイトウに見えたりとか・・・
普通の音階に乗った普通の歌ばかり。ちょっとがっかり。
喜納昌吉の方が沖縄がたくさん詰まっているよね。BEGINはどうなんだろう・・・

「島唄」は、熱い思いで旭川を目指し、そして、願いが叶ったことを思い出させてくれる記念の曲となりました(笑)。
お代はアキヒコのおかげで1曲3500円であります(笑)。


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「旭川全中」
・・・2003.9.1

今日から新学期。休む間もなく始まった新チームの練習も、もう1週間が過ぎ去ってしまった。
旭川であったことや、旭川までにあったことなどが、何だかもうずーっと昔のことのように思えてしまう。
ここは一つ、応援して頂いた皆さんに感謝の気持ちを込めて、試合結果などを書いてみることにいたしましょう。

第1ダブルス・シングルス・第2ダブルスで行う団体戦の初戦は、近畿3位の滋賀県・日吉中との対戦であった。
1999年(準決勝)、2000年(決勝)と2年連続苦杯を喫した相手だが、3度目の正直と行きたいものだ。
何が起こるか分からない全国大会の初戦、オーダーは順当にいったが、相手はひっくり返してきた。
まず高島・野口が15-3、15-6で勝つ。シングルスは個人戦・近畿3位の長身で強そうな選手だった。
篠崎が動き回って相手のラケットワークを封じ、15-5、15-5で勝ち、まずは初戦を突破した。
3年前の対戦でもオーダーをひっくり返し、それが功を奏した形の日吉中・村上監督だったが、
今回は結局、近畿1位のダブルスの出番が無いままに終わってしまった。

2回戦は第4シードの東北1位の山形県・鶴岡1中との対戦。
昨年は、やはり東北1位の岩手県・矢巾中にあと1点が取れずに大逆転の負けを喫したっけ・・・
第1ダブルスは高島・野口が東北2位のダブルスに15-8、15-7で勝ち、篠崎が15-3、15-2で勝った。

準々決勝は、北海道1位の帯広4中を接戦で破った東海1位の三重県・小俣中との対戦となった。
ダアはオーダーが下手なので、選手に決めさせるのだけれど、選手達は1ダブと2ダブをひっくり返すと言う。
シングルスが小柄な選手で勝ちを計算出来る(ダアは見ていないのだけれど、同時進行の相手の試合を
選手はしっかりと観察しているのですね)し、何よりも2ダブがまだ1回も試合をしていないからだと言う。
フォー決めだし、順当に行けばとアドバイスはしたのだけれど、オーダーの下手なダアは黙ります(笑)。
第1ダブルスは東海1位の相手に綿引・福岡が2-15、11-15で負け、
シングルスは篠崎が15-5、15-2で勝った。
初めて回った第2ダブルスは、15-5、14-17、15-10で一瞬ヤバッのヒヤヒヤの勝利。メダルを確保。
試合後、小俣中の選手が「アドバイスをお願いします。」と来た。
2年前の茨城・全日本Jrの時、滋賀県・守山北中と小俣中の選手が阿見まで来て一緒に練習をしたのだが、
その時の選手が何人かいる・・・。こんな時に来るなよ(笑)。ダアは辛くて何にも言えなかった。
(前監督の)中川先生は今どうしてる?高校でも頑張ってね・・・結構言ったか(笑)。

突然といった形で、見覚えのある小俣中の(選手の)父親が目の前に現れ、「オーダーにやられました・・・」
「選手が決めたオーダーなんですよ」と答えてはみたが、やはりダアはオーダーが下手なのでした(笑)。
試合の後の幾つかのやり取りが納まって、しばらくした頃。ダアの視線はフォーカスが緩み、別を見ていた。
この1年、結構必死だったね・・・メダルかあ・・・スタンドの風景が滲んで来たのだった。
夜、応援の親と「カニの食い放題」に行ったら、小俣中の選手達がジンギスカンで隣の席にやって来た。
ダアは、ダアの選手にも喰い放題のジンギスカン料理を食べさせたいと言い張り、ダダをこねた。

一夜明けて、団体戦の準決勝は関東大会と同じく埼玉栄中と対戦した。
高島・野口が4-15、7-15、篠崎が4-15、2-15で再び完敗。ベストフォーに終わる。
引き続き個人戦が開始された。
シングルスの篠崎の初戦2回戦は北海道1位の佐々(東明中)。15-10、15-17、15-10で危なげに勝つ。
3回戦の相手は東海1位の小野(静岡県・富士根南中)。対戦前に再度小俣中の父親さんがやってきて
「篠崎君の相手じゃないですよ・・・」そうかなあ。15-9、15-3で勝ちベストエイト入り。明日の最終日に残る。

ダブルスの高島・野口は初戦2回戦14-17、14-17で近畿3位の銭谷・巽(大阪府・四條畷学園中)に惜敗。
期待していただけに残念・・・。スタンドからあの銭谷(父親)さんが盛んに、前に出ろと叫んでいたのが印象的だった。
ダアと言えば・・・本当に今年はダブルスの練習をしなかったのだなあ・・・と変に納得していたのでした(笑)。
夜、ジンギスカン料理にシャブシャブをプラスして・・・と言う話にはダアは断固反対。銅メダルなんだよ(笑)。
旭川で呑もうと約束していたヨネックスの津田さんも急遽巻き込んで、大騒ぎで美味しく食べまくった。

最終日、シングルス篠崎、準々決勝。関東大会と同じく埼玉栄中の上田と対戦。3-15、0-15で力尽きた。
表彰式。銅メダルを首から掛けた選手達が少し眩しく見える。こいつらがねえ・・・(笑)。誇っていいよ!(笑)。

帯広4中の澤田先生、自衛隊の菅井選手のご両親(千歳で中学生の指導をされている由)、すれ違いだったマナブ、
黒田のパートナー中尾選手のお父さん(娘さんが連島中で大会参加)・・・などなど、色々な出会いがありました。
でも、ダアには遠い昔のことです(笑)。


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「関東大会」
・・・2003.08.10

何とか旭川への切符を手にすることが出来た。
団体(3位)、ダブルス(3位)、シングルス(5位)で、どれも代表枠ギリギリの成績だった。
今年のチームはダアが少しさぼり気味だったので、ひたむきだった選手を思うと正直ホッとしている。
3種目とも負けた相手は埼玉栄中で、栄中は団体1位、シングルス1位・2位、ダブルス1位・2位・3位と
圧倒的な勝利を納め、3位に入ったダブルスの高島・野口でさえ、初戦で対戦した栄中の1年生ペアーに
ゲームポイントを奪われるなど一つ間違えば、個人戦ダブルス全4代表を独占されかねない勢いであった。
栄中の一群はそこだけが何か違うと言った雰囲気で、会場内でも存在感を示していた。

埼玉県代表の個人戦4ダブルス全てが埼玉栄中であり、2年生が5人、1年生が2人含まれている。
選手個々やその親が環境を求めて進路を選ぶことは、間違っていないし、素晴らしいことだと思う。
だが、ちょっと藪睨みなところのあるダアは、ふとこんな事も考えてしまう。
埼玉県の他の学校はつらいだろうな・・・
大会を経験して、選手も指導者も生長していくのだから、
今後の埼玉のことを考えたら、喜んでばかりもいられないのじゃないかな?
栄中以外は「nothing」と言う事にならなければいいのだけれど・・・

そんなことより、お前の所はどうなるのだ!
来年の全中は地元・茨城開催なのだろ!・・・との声が聞こえる。
そうでした。会場の霞ヶ浦文化体育館はダアの家から自転車で10分位の至近距離なのです。
頑張らなければいけないのだけれど、ダアの選手は未だドライブも満足に打てないのです(笑)。
一方栄中は、全中個人戦ダブルス出場に2年生5人、他に優秀な1年生もいる・・・

ダアの選手に聞いてみたら、来年は埼玉栄中に勝ちます!との返事であった。
私ですか?勿論、埼玉栄中には勝つ気でいますよ(笑)。
そして、このページのタイトルを「ダアさんのバド?な日々」から
「ドンキホーテ・ダアのバド?な挑戦」に変えます(笑)。


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「神輿」
・・・03.08.03

8月2日、やっと梅雨が明けた。
うだる体育館でカリカリしながら練習していると、トシアキからインハイ・ダブルス優勝の電話があった。
団体優勝を決めたトシカツの時は弾む声と、それに重なる仲間の歓喜に思わず引き込まれたが
(本当は嬉しいし、選抜で負けているのでホッとしているのだろうけれど)今日のトシアキは結構醒めている。
そういえば、この子はちょっと大人びた表情で物事を淡々と評論する・・・みたいなところがあったな。

全国優勝か・・・今、ダアの目の前にある現実に、何だかとてつもなく遠い世界に感じてしまう。
自分がサボったツケが回ってきただけなのに、身勝手にも選手を怒鳴りつけてしまう。
救いは、決して選手がふて腐らずに、あくまでもひたむきでいてくれることだ。済まないと思う。

心がボロボロになってしまった夕方、ふと「まい・あみ・まつり」に行こうか・・・と思う。
茨大通りで行われるこの祭りも今年で14回目だと言う。かつては選手を引き連れてよく行ったものだ。
関東大会前のこの時期、年々ゆとりがなくなり疎遠になっていた。
マコト、カツナリ、ハヤトとチャリンコで出掛けた。医大前でチャリンコを降りればすぐに祭りの会場だ。
大通りを止めた会場に人が溢れている。出店を横目に、かきわけかきわけ進む。のど自慢大会をやっている。
通りの南側がプロの出店、北側が地域の人たちの出店で、知った顔がやっていたりしてダアは北側が好きだ。
カキ氷、焼きそば、フランクフルト、ビール、定番が並んでいる。バングラディッシュの留学生がカリーを売っている。
プロの側に行けばチョコバナナ、リンゴ飴、ヨーヨー吊り、お面、これまた定番が雰囲気をかもし出している。

アレッ1年生達がいるぞ! 「型抜き」に興じていて全く風景に溶け込んでしまっているのが新鮮に見える。
ステージでは君島のひょっとこ踊りが演じられ、通りには神輿がいくつもいくつも繰り出している。
神輿の中にユウジを発見! でかくて太いから目立つのです(笑)。近寄ると、何と知った顔ばかり・・・
バドの仲間で連を組んでいるのだとか・・・元気?と聞いてしまう。皆汗びっしょりでいい顔をしている。
全中へ行った連中も行けなかった連中も、皆輝いている。いいね!  いいね!

今から練習に出かけます。今日は選手を怒鳴らないでいけそうな気がします。・・・かな?(笑)


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「梅雨明け」
・・・03.07.30

梅雨明けが遅れ、真夏の日差しがやってこない。
7月29日、30日に行われた県総体は団体戦とダブルスで何とか1位になれたのだけれど
シングルスは2位で終わってしまった。
ダアは仕事の都合で初日の団体戦しか行けなかったが、団体戦を見ながら思ったことを書いてみる。
エース同士の対決となった第1ダブルス。
県南総体では全く相手にしていなかっただけに、オーダーが当たったと思ったのだが、何かが変。
大会を通して生長してくれることを狙って敢えてベンチに入らなかったのだが、裏目だったかな?
相手を押し切れず、スマッシュレシーブを10センチネットするといったミスを何度も繰り返している。
2ゲーム目を取り返しファイナルゲームになったのだが、これは阿見中のエースならば勝つパターン。
だが、結局負けてしまった。2年生ペアーにエースは負担だったのかな・・・と思う。
シングルスエース同士の対戦。
序盤、相も変わらずの単純ミスの繰り返しで、一進一退、シーソーゲームとなる。
県南総体ではファイナル、セッティングの1点差でやっと勝った相手。
関東大会団体第2代表がチラリと頭をよぎる。 やばいかな?
13点オールから抜けだし、1ゲーム先取。
2ゲーム目は相手の戦意が萎えてくれた。ラッキー!そして、ホッ!
第2ダブルスは、やはりミスばかりで、おまけに戦法もめちゃくちゃ。頭が痛い。
結局、選手の数の多さで勝たせて貰ったのだが、問題山積。時間は無い。

30日、学校での集合に、選手を送り出しに行った時の顧問の言。使用シャトルが2番だった・・・
しまった、うっかりしていた。今年はまだ速調のことを選手にインプットしていなかった。
それが理由だとは言わないけれど、飛ばないシャトルに選手はきっとパニックになっていたと思う。

卒業生が県内でバドミントンのプロショップをやっているが、昨年だったか・・彼との会話を思い出した。
中体連の方から言って貰えれば、当日の天候に備えて複数の速調のシャトルを用意するのだが・・・

梅雨明けが遅れ、まだ2番のシャトルで練習していなかったダアのミスではあるのだけれど、
夏休みに行う大会だからと注文を2番に決めてしまい、当日の天候にお構いなし・・・
正しい速調のシャトルを使ってこそバドミントンがバドミントンであり得るのだから
仕事も多くて、大変なのだろうけれど、もう少し繊細に対応することは望めないのだろうか・・・
自分のことを棚に上げて思ってしまうダアでありました。

PS:2日目の個人戦(城南中との対戦)結果
第1ダブルス同士は団体戦のリベンジに成功して優勝。昨日の敗戦が勉強になったのだろう・・・
エースシングルス同士は今度は(本人いわく)配給を読まれて負け。
これが昨日の団体戦だったらと思うと・・・ゾゾゾッ!!
第2ダブルスは相手の第1ダブルスに勝って2位以内に入らなければ個人戦関東出場は無かったのだが
(12点と7点の)完敗。団体戦の為に関東大会までに作り直す必要がある。


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「秘密の場所」・・・03.07.16

家族で複数の車を乗り回すのが当たり前になり、道路は飽和し新しい道が次々と作られていく。
便利になるのだろうが、しかし、何か大切にしたいものが失われていくような気もする・・・

カズヒロは大人と話すのが苦手といった選手だった。
しっかりした明るい選手なのだが、ダアと話しをしていると目が合わない。
どうも父親を苦手としているらしく、その延長にダアがいるようだった。
霞ヶ浦近くに住むカズヒロは魚釣りが好きと聞き、タナゴが欲しい・・・から始めた。
ダアは子供の頃から魚を飼うのが好きだったし、その頃はモツゴやメダカを飼っていたのだ。
しばらくして、妹のブリキのカバンに持ってきたのが「カネヒラ」だった。

何だこりゃあ! ダアが子供の頃に飼っていたタナゴと違うぞ!
近くの川で釣れるのだという・・・
そして、それから「カネヒラ」にはまることになった・・・
釣り場は、小さな飛行場の脇を下りた先にあった。

ある朝、いつものように道を下っていて、野ウサギに出逢った。
ウサギの顔は横を向いた方が見渡せるのだろうし、口をモグモグさせるのは習性なのだろうけれど
まるでダアなど無視しているように思えたし、ブツブツとつぶやく情景が見えた。
朝もやの中で突然出逢ったウサギの仕草に、その時ダアは物語を感じてしまったのだ。
ウサギが消えていった緑や、周りの全てが大好きな場所になってしまった。

年月は
素敵に曲がりくねった小川を、コンクリートの真っ直ぐな川に変えてしまい
ウサギや、女王様たちが住んでいたと思われる(笑)緑の山は、削られて大きな道路が出来た。
大好きだったあの場所は、車が乗りつける明るい川辺になってしまった。

もう何年もその場所には行っていない。
カズヒロは来年小学生になる子供の父親になっている。


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「先生
」・・・03.07.10

中学1年生12才による幼児殺害事件に世の中が震撼している。
同じ年齢の選手達を預かっている者として、重苦しく、切なく、何ともやるせない。
TVや新聞での評論家、研究者と称する人たちの言に少しだけ違和感を持ったので
軽々しく発言すべき問題ではないことを承知の上で、少し書いてみる。

ダアが5年生か6年生だった頃・・・
特に親しいという訳ではなかったが、近所に住む級友に誘われて一緒に遊んだ。
いつしかカエルの解剖をしようと言うことになり、理科の実験だなどと言いながら悪さをした。
ダアの住んでいた集落は周囲が水田で、そのての生物がいたるところに棲息していたのだ。
その時、何故か不思議に気持ちが高揚し、エスカレートしていったことを覚えている。
板切れの上に並べたそれを、先生に見て貰おうということになり、学校へ向かった。
何を言い、何を言われ、何をしたかは全く覚えていない。
ただ、先生の悲しそうな目だけは強烈に印象に残っている。

中学生になって・・・
ある先生が「
先生と言うのはまれたという意味」だと言っていた。
謙遜なのか、己への戒めなのか、今では定かではないが
授業にグイグイと引き込まれる魅力的な先生であった。

先に生まれたから先生・・・
何か、真理を言い当てているような気がする。
そうなのだ。先に生まれたのだから、大人は子供の先生なのだ。
しゃちほこばって何か言わなくたっていい・・・
怒ってやったり、誉めてやったり・・・
悩み、苦しむ姿を見せるだけだっていい・・・
何だっていいのだ・・・
飾らない生身の大人を、もっともっと見せてやればいい・・・
大人達はもっともっと、子供達と絡み合わなければいけない。

カエルの一件でも先生は教師としてよりも、人として行為そのものを嫌悪したと思う。
教師として諭すことよりも、人としてその悲惨な状況を演じた子供を悲しんだと思う。
誉めてもらおうと向かった学校で、思いもかけなかった先生の反応・・・
暴走してしまった幼い残虐性と、先生の悲しそうな目は、いつまでも心の痛みとして残っている。

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「母からの電話(2)」
・・・03.07.04

母の葬儀はエレクトーンの演奏の中で行われた。
エレクトーンにしろ、セレモニーホールでの段取りにしろ、葬儀社が自宅に来て取り決めた。
カタログを開いて、まあ商談(と言ったら不謹慎かな?)といった風情で、てきぱきと決めていく。
横たわる母と、それを生業とするものとの生と死の対比に不思議を覚え、馴染めなかった。

エレクトーンが「岸壁の母」を奏でた時に、ダアはこらえることが出来なかった。
ダアの実家はスナックをやっていて、ご近所さんが贔屓にしてくれている。
遠征の夜に店で軽くやっていたりすると、母はよく顔を出してくれた。
客に「おばあちゃん」「おばあちゃん」などと声をかけられて、しっかりとホステスしていた。
そして、リクエストに応えて歌ったのがこの歌だった。
♪ 母は来ました今日も来た この岸壁に今日も来た・・・
結構音程がしっかりしていて、なによりとても可愛く、かなり受けていた。
エレクトーンのメロディーにその情景がよみがえり、こらえることが出来なかった。

清めの席で、坊さんが葬儀と演歌に少し違和感を感じたと言っていた。
訳を聞いて、それはなによりの供養です・・・坊さんだけに丸く収める(笑)。
坊さんついでに・・・
その後も何度か選手を連れて帰り、線香をあげて貰った。
ダアの選手も坊さんみたいな頭なので供養になりました(笑)。

年末になって、年賀状をお断りする葉書をどうしようかと、はたと考えた。
ダアは、何年か前に年賀状を卒業していたのだった。
そこで書いたのが「母からの電話」という駄文(ダブ)で、あの後に、その旨の一行が続く。
呑みすぎて、母の夢を見たというそれだけの話なのだが・・・
結局、その葉書さえも出さなかった。


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「母からの電話」
・・・03.06.26

激戦の埼玉県からインターハイ出場を勝ち取ったトシアキとトシカツの2人と
茨城に残ってインターハイ出場を決めたヤスヒロの3人がまだダアの選手だった時のこと・・・
いつもは年に1度も帰らない実家なのだが、その年に限って立て続けに何度も帰った。
心の中で誰かがダアをせかすように感じて、合宿や遠征を何度も組んだのだ。
連れて帰る選手は毎年変わるのだけれど、母はいつも昨日の続きのように迎えてくれた。
その時も、選手の顔を見ると「ご飯食べた?」などと仕切っていた。少なくとも傍目にはそう見えた。
練習はダアの母校橘中で後輩たちと一緒に行った。
(もっともダアの中学時代はハンドボール部とコーラス部だったのだが・・・)
練習から帰り、どうしているのだろうかと、ふすまの隙間から覗いてみた。
覗いたのは覚えているのだが、しかし、母が実際にどのようにしていたのかダアは思い出せない。
その時、ダアの視線は隙間をすり抜けて部屋の中にいた。
ダアの視線は明るく浮き上がった母を俯瞰していた・・・そして悟った。
その時が間違いなく近づいていることを知って、ダアは茫然と立ち尽くしていた・・・

荷物を持って階段を上ってくる選手たちのざわめきに自分を取り戻した・・・
時間にしてわずか数秒のことだったのではないだろうか・・・
その瞬間に母とダアの長い時間が凝縮されていた。

次の夕方、母は病院にいた。
促され見舞った母はベッドに両手を括られていた。
両手を括られた母は、もういつものようにはダアを見てくれなかった。
何でそうなっているのかさえ理解できないかのように、拘束と戦っていた。
 嫌がっているじゃないか・・・
 そう叫びたかった。
 話には聞いたことはあるけれど、
 病院には病院の事情があるのだろうけれど、
 これは間違っている。
 断じて許せない・・・
けれど、何もできないダアは悲しく淋しい思いで立っているだけだった。
せめてもの救いは
こみ上げる涙で母の姿が見えなくなってしまったことだった。

それから何日もしないで、母は亡くなった。


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「エース」
・・・03.06.18

今年の2月は、思うように進まないチーム作りに苛立ちの矛先はアキヒコに向けられがちであった。
チームで唯一、昨夏の滋賀でコートに立っているアキヒコは、チームの牽引役の筈であった。
決して器用とは言えず、かといってダメと言うわけでもないアキヒコは
根気よく教えてやればきちんとこなすが、いわゆるひらめきタイプの選手ではない。
お前に時間を掛けるのではなく、お前が他の選手の手本になってくれよ・・・

何をすれば選手は強くなるのでしょうか?と問われることがある。
練習をすればいいのです。などと、うそぶいてみる・・・
選手は練習したことは出来るが、練習していないことは出来ない・・・
練習は正直なのです。

9月の新チーム切り替えからしばらくは、選手と私の対話型の人間関係を作ることに腐心する。
年も明けたころからそろそろ本格的に練習することになるのだが、決まって愕然とする。
さぼらなければいいのだろうが、年間を通してトップギアーと言うわけにはいかない。
現実に直面し、さぼった自分自身への苛立ちを、つい選手に向けてしまう。
自分の不機嫌さが根底にあるのだけれど、未熟さゆえに選手につらくあたってしまう。
選手が必ずや、よい方向に反応してくれ変わってくれると信じてはいるのだが、万が一でも
選手が拒絶し、選手との関係が壊れてしまえば・・・
・・・きっと楽になれる・・・あり得ないと思いつつも、心の奥底でうっすらと考えたりもする。

あの時は、本気で帰ってしまうつもりであった。
もしアキヒコが、私の気迫に負けて上着を返してくれれば・・・
もしアキヒコの目を見た私が、その真っ直ぐさに躊躇しなければ・・・
帰っていれば、互いに深い傷が残り、修復に時間を要したに違いない。

自分の身勝手で相手を傷つけてしまい、傷つけてしまったことでその存在の大きさを確認し、
相手を苦しめてしまった負い目を手がかりに、新たな絆を探っていく・・・
どちらへ転ぶか分からないところまで、互いを追いつめてしまい、
どちらへ転ぶか分からないその結末に、互いの行く末を賭けてしまう・・・
そんなことをいつまでも繰り返している・・・

縁があって中学生とバドミントンを始めた頃は何も分からず、分からないから楽しかった。
経験はそれ相当のノウハウをもたらしてくれるが、新たな苦しみを生み出すことにもなる。
何故逃げ出さないのか?
教えることが楽しいし、なによりも親から受け継いだ性分だからとしか答えようがない。

あれから4ヶ月の時が流れ、何もしてやれなかったままに週末から旭川への戦いが始まる。
そして、選手たちはすっかり旭川へ行く気になっている・・・

PS:アキヒコのイニシャルは「A」=「エース」です。(笑)


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「尾崎について」
・・・全くの個人的見解(誤解を恐れずに)・・・03.06.12

「I love you」を覚えるために手にしたCDだったが、
同じ曲を何度も聴いて、耳なおしに聴くアップテンポの他の曲にはあまり親しめなかった。
半年もたった頃だろうか、改めて聴くアルバムがスッと心に入ってくるようになっていた。
そうなると、もっと別の曲を聴いてみたくなる。立て続けに2枚目、3枚目を手にした。
♪ 使い古しの台詞 また口にしておどける僕は 今度こそは本当にひとりぽっちになってしまうよ・・・
♪ 人を傷つけることに目を伏せるけど 優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく・・・
♪ 自分のくらしが一番自分を傷つけると泣いている・・・
♪ 上手に笑っても 君の瞳に僕が映らないから・・・
♪ 埃っぽい街 壁に登って Teenage Blue ハーモニカ吹けば 淋しい街のノイズに合う・・・
♪ 1本の煙草を吸い尽くすまでに どれくらい時を無駄にできるか 賭けよう・・・
♪ 俺ははずれ者だから お前みたいにうまく笑えやしない・・・
♪ まだまだ何か足りないのなら 通りに出て夜を買えばいい 誰も”どうして”?なんて聞かないから・・・
♪ スピードに目をやられ 退屈が見えなくなるまで 少しくらいの時を 無駄にしてもいいさ・・・
聴くほどに、どんどん尾崎にはまっていった。

しかし、不吉な予感がして、4枚目からのアルバムを手にする気にはなれなかった。
                 4枚目以降の尾崎を聴くのが怖かった。

幾つかの季節を見送ったある日、ダアは吸い込まれるようにレコードショップへ足を向けていた。
自分でそれを、自分の耳でそれを確かめなければならない・・・ 
誰かがそうささやくような気がしていた。
尾崎が置かれているコーナーへ真っ直ぐに向かった。
そして全てを手にし、全てを聴いた。
             全てを聴いてしまった。

 不吉な予感・・・
 尾崎は才能を使い果たして・・・
 そして、ボロボロになって死んでいった・・・

言葉の切れ端に肉付けしてひとつの世界を作り上げるのがプロの作詞家だとしたら、尾崎は違った。
熱い思いが一つの言葉に納まりきれず、込めようとした思いが、それを聴くものの心の中で、
それぞれの思いとして、まるで解き放たれたかのように蘇ってくる・・・

誰もがそうであるように、人は、まばゆい青春時代からやがて妥協の世界に身を委ねていく。
尾崎は、尾崎であるが故にそれが出来なかったのではないか・・・
尾崎で無くなった尾崎には、終えることしか残されていなかったのではないか・・・

一度しか聴かれなかったアルバムは、棚の中に静かに眠っている。
それはまるで、尾崎の墓標のように見える・・・


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「I love you」
・・・03.06.11

古い話だけれど、歌との出会いをもうひとつ。
ある時、卒業生たちと酒を飲む機会があった。
皆それぞれの道を進んでおり話を聞くだけで青春を謳歌していることが伺えて、
なにかホンワリとした気分になり、心地よく酔いが廻っていた・・・
そのうちカラオケでもと言うことになり、
こんな時に乗りのいいススムがさっそうとマイクを握ったのだった。
♪ どれだけ言葉費やし 君に話したろう・・・
♪ アイラブユー 今だけは悲しい歌 聞きたくないよ・・・
何なんだこれは・・・
初めて聞く曲に、ダアはショックを受けてしまった。
隣のトシハルに聞くと 尾崎 豊の曲だという。

 尾崎 豊? 初めて聞く名前ではない。
 新聞で若者のカリスマ的存在・・・といった記事を読んだことがあった。
 出張帰りの新幹線のホームで、死んだという速報を電光掲示板で見たことがあった。
 ダアは自分と同じ「豊」という名前の人は、ちょっと気になる性分だったのだ。

翌朝職場には、まるで新しい発見をしたかのように、熱く尾崎を語るダアがいた。
そして、週末には「I love you」を歌うと宣言していた・・・


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「さくら」
・・・03.06.09

♪ 僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を・・・

このところ、朝練に向かうチャリンコでCDを聞いている。
先日ひょんなことから、ダアと同じ5月生まれの選手達とその母親(+α)とが
誕生会と銘打った呑み会を催してくれた。

  「さくら」?知らないよそんな歌・・・
  絶対に似合うから今度歌って・・・
  じゃあ9月の3年生を送る会で歌いますか・・・

といった案配の会話があったのだが、まあ呑んでのことだし、すっかり忘れていた。
週明けの体育館でヒカルが差し出すCDに、あれっと一瞬怪訝に思ったが
これって歌を覚えろってことなんダアーと、すぐに納得してしまった。
歌っているのは森山良子の息子だとのこと。
森山良子といえば「愛する人に歌わせないで」「この広い野原いっぱい」・・・
最近は昔からコンサートなんかで歌っていた「さとうきび畑」で
久しぶりにTVに映っていたけれど、懐かしい人だよね。

♪ どんなに苦しい時も 君は笑っているから・・・

泣かせる歌詞だね。お気に入りになる予感がするね。
これって遺伝かね母親も裏声と表声(?)がスッと入れ替われる人だよね。

今、インターハイを目指して頑張っているヤスヒロが中学生の時
遠征で泊まったダアの実家で歌ったTHUNAMIに衝撃を受けて
レパートリーに加えて以来だからダアにとって4年ぶり位の新曲になるのかな?
普段は歌など聞く時間が取れないから、こういった形での歌との出会いは嬉しいね。

夏に向けてカリカリしているのだけれど、ホームページ作りにチャレンジしたり
新曲をレパートリーにしたりと、まあ本当に退屈しないダアではありますね。(笑)


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