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   ダアさんのバド?な雑文(ザブ)7      
   
  干し芋 避花粉 蒟蒻 甘納豆 R6 ④土産 ③健児の塔 ②伊計島 ①バドも ③裏磐梯 ②牡鹿半島 ①仙台テニス 9月
  ③帰着 ②毛無峠 ①R352 ②テニス ①盛岡 ②ぶどう峠 ①大弛峠 ⑤R299 ④R52 ③R152 ②渋峠 ①金精峠 ③車麩
  ②痙攣 ①新潟 酷道 吟遊 那覇 福島② 福島①  ②竹富島 ①石垣島 ⑦460km ⑥京都 ⑤福井 ④白川郷 ③七尾
  ②松本 ①雨 富山 原点 次は 沖縄歌 達成 ⑨帰着  ⑧11:17 ⑦二見情話 ⑥沖縄 ⑤鹿児島 ④九州へ ③氷の山 ②四万十 
  ①屋島 試走 土産 後悔 ③大弛峠 ②麦草峠 ①渋峠 三大峠 ⑥扉峠 ⑤安房峠 ④名古屋 ③関西 ②北信越 ①中日本
  ⑦新潟 ⑥恐山 ⑤竜飛岬 ④ねぶた ③奥入瀬 ②三陸 ①次は ⑦そして ⑥名寄 ⑤宗谷岬 ④知床 別海へ ②池田へ
  ①帰着 出発の歌 折り返し スクランブル GW 風紋 免許 卒業 うぬぼれ 右折 赤とんぼ 弘法の筆 猫? 大雪 始動 再訪
  少年 牛タン ひと昔 読書3 読書2 読書 テニス 図書館 染め ひたすらに 遠くにありて 甘いオムレツ S中 K小 I小 再挑戦

 

「干し芋」
・・・2017.03.03

浅草テニスのアフター呑み会で「茨城には干し芋があるね」と意味深な発言。シェアーは9割の日本一。
別件だが地元茨城で焼き芋を貰ったことがあって、これがメチャ美味かった。で、焼き芋作りに嵌まる。
70℃加温で酵素が働き、甘くなる模様。電子レンジの解凍設定で擬似設定が出来て、手軽に焼き芋に。
まあまあの仕上がりだったが、昔の職場にあったギヤーオーブンなら完璧に作れたかなと、ふと思った。
(ギヤーオーブン:加熱空気中の老化性評価に用いる強制空気循環形 加熱老化試験機。温度一定。)
最近、その焼き芋に再会、美味さはレンジのものとは別格。で、その販売所では干し芋も売られてる。

明後日の沖縄行の手土産(バド&テニス)に干し芋を思い付き、買い出しに。陽射しは随分明るくなった。
広い作業場で、休憩中と思われる東南アジア系男子が挨拶を寄越す。敷地内にプレハブの販売所。
入ってすぐに、大型の加熱装置が並んでた。広くはない売り場には、焼き芋と干し芋のみが置かれて。
当初は、羽田で菓子でもと思っていたが、重い思いをした干し芋が沖縄で受けることを祈るのみ(笑)。
沖縄から帰ったら、浅草テニスに干し芋と焼き芋を持参しよう。何時も色々とご馳走になるばかりだし。
魅力の無さが日本一だとかの茨城だが、干し芋の他にレンコン、メロン、栗、ピーマンなどが日本一。
で、「茨城にはメロンがあるね」と言われないことを密かに祈ろう。だってメロンは高いんだもの(笑)。

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「避花粉」
・・・2017.02.28

春先になると毎年鼻風邪をひくんですよ。そう言って、医務室のカワナカさんにダンリッチを貰う・・
遠い昔のことが、何だかセピア色に思い出される。花粉症が未だ世間に知られていなかった頃のこと。
それ以来、長~く悩まされ続けた花粉。鼻水だけは少し軽くなった気もする。加齢により枯れたのかも。
症状は、目の痒み以外にも、胸の苦しさや、刺すような頭の痛み、下肢中心の全身倦怠など多岐に。
これらに効果抜群だったケナコルト注射は、副作用の懸念から最近では対処してくれる医者がいない。
ダンリッチ(製造中止)もそうだったが、現在服用するセレスタミンやアレグラは、何と言っても眠くなる。
以前のダアは追われる日々の中で、そんな花粉を受け入れて、健気に耐え忍んで来たのでした(笑)。

花粉症の季節に、北海道や沖縄に避難する。そんな人々の報道をTVで見たのは、かなり前のこと。
当時、自分とは遠い世界に思えたが、昨年11月の沖縄:バイク・バド・テニス旅の楽しさが、後押しした。
ダアも彼の人々に習って、苦しみから逃れてみよう。北海道もあり得るが、先ずはバ・バ・テの沖縄に。
長い間、恨み辛みを言わずに来たものが、そうと決めると我慢が利かない。毎日毎日辛くて堪らない。
人の心の不可思議さか。で、今年の花粉は昨年よりかなり多いとの情報もあり、心は既に沖縄へ(笑)。

と言うことで、3月は避花粉で沖縄の那覇に滞在。宿は国際通り近くの超が付く(素泊まり)格安ホテル。
レンタルバイクで12日間のツーリング&毎日の足。バドとテニスの10日間は打ち上げも期待して(笑)。

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「蒟蒻」
・・・2017.01.18

全国47都道府県を走り抜けたバイク旅。その達成後は、テニス絡みや信州の山を眺める旅が多くなった。
元々は海辺の走行を好んでいたが、心変わりしたのは長野で山々を眺め、幾多の峠越えを経験してから。
日本列島の成り立ちで、陸のぶつかり合った皺フォッサマグナ。皺には踏み込まず、遠くから眺める(笑)。
信州長野への往来は新潟・埼玉・山梨もあるが、群馬経由が圧倒的。(因みに長野は最多8県と隣接。)
で、群馬は全国90%の蒟蒻芋の産地。下仁田とかで試食する刺身蒟蒻が美味くて、何度か土産にした。
バイク旅ではトイレ休憩で道の駅とかに寄る。土産売り場も覗くが、同じ商品が出回っていることに気付く。
流通の発達がもたらす味気無さかも。それではと、自分で手作りしよう思い付いたのが「花豆の甘納豆」。
で、「蒟蒻」もと懲りない挑戦(笑)。花豆は現地購入だったが、蒟蒻粉はネット通販で下仁田より調達済み。

調達したものの何となく手付かずでいたものを、今回の腰痛・自宅軟禁で時間を持て余し、痛い腰を上げた。
多糖類のコンニャクマンナンを糊化して、アルカリ液(水酸化カルシウム)で凝固させる。原理は至って簡単。
ボール、鍋、秤、温度計と、ゴム手袋を用意。先ずは50℃の湯で糊化まで行い、放置後、素早く凝固させる。
型で成型後、湯で煮て出来上がり。久し振りに化学実験のようで楽しかった。でもって、これが美味かった。
今回は成型に移る時間を少し間違えたが、(刺し身が美味い夏に向けて)未だ材料が7回分も残ってる(笑)。

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「甘納豆」
・・・2017.01.16

なんだかんだと言って、昨年後半は多い時に週5でテニスかバドをやっていた。年寄りの冷や水(笑)。
そもそも腰痛対策で始めたジム通い。ジムトレに飽きた末のテニス、ひょんなきっかけで再開したバド。
それなりの効果はあったようで、腰痛も気にならず上機嫌で楽しんでいた。それが先日、突然の暗転。
朝、腰の痛みでまともに起きれない。家の中をソロソロと歩くだけの生活。テニスもバドも遥か彼方に。
ジムをやめて半年。背筋強化のトレーニングだけは、やらねばと思いつつも、なんとなく敬遠していた。
腹ばいになってするのは(腹が)きついのだ。要するに腹が出ている。問題の根っこは一緒かも(笑)。
ジムのそれは椅子に座って、背後に反るもの。出腹に楽な方法を知ってしまうと、もう後には戻れない。
ベンチ仕様の収納を買って、部屋で始めた背筋トレは3日坊主だった。癒えたら、ジムトレを再開するか。

で、外に出れない日々。懸案だった花豆の甘納豆作りに挑戦してみた。甘納豆はバイク旅の逸品土産。
あちこちで購入したのだが、長野の小海で初めて生の花豆を購入。長野産は大きく北海道産は小粒。
その後も大粒を見付けては購入。で、最近利用してるcookpadで検索し、幾つかのレシピからアレンジ。
要は、手抜きの方法を模索(笑)。ちょっと皮が硬かったけれど、甘さ控えめで美味しく仕上がりました。
で、皮の硬さについて再検索。次は売り物に勝るとも劣らない逸品に仕上げる所存で御座います(笑)。

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「R6」
・・・2016.12.16

寒さが増し、浅草テニスもバイク通いは少し辛くなって来た。(昨日は気温が3℃と表示されてたし。)
R6通行も、当初は気分変えで遠回りもしたが、今は愚直に一直線。沿道景色もシークエンスの覚え。
そんな中、12月に入って2つの異体験。一つ目は亀有警察署辺りから荒川の四ツ木橋まででのこと。
何だか警察官が多いなと感じた。上り2車線が渋滞で、ダアは(時にする)車列を縫ったすり抜け走行。
と、沿道警察官と目が会い(一歩歩み寄ったようで)一瞬ヒヤッ。ウィンカー無しの進路変更だった(笑)。
それにしても警察官が多い。人々も大勢集まっていて、一様にダアの後ろ方向に視線を向けている。
どう考えても後方から何らかのVIPが来るとしか思えない。誰なんだろう。珍しく好奇心を抱いたダア。
下手な場所で停輪したら警察官に咎められそう。と、四ツ木橋手前のコンビニの存在を思い出した。
コンビニ駐車場にも大勢の人。「そろそろ来る」と口にしている。やがて車の列が途絶え「来た」の声。
やって来たのは先駆けの白バイ、続いてパトカー。その後にも何台か通って、一際大きな黒塗り車。
歩道側に座った美智子皇后が、笑顔で手を振っている。天皇はその向こうでシートに深く身を沈めて。
遭遇したのは初めてのこと。標識に16日外国要人来日(交通規制あり)とあったのはロシア大統領か。

もう一つは別の日。松戸市内を走っていると、何だか懐かしげな箱を積んだカブが、トロトロ走ってた。
豆腐売りに違いない。子供の頃、隣の豆腐屋さんが自転車で売りに出てた。へえ~、まだあったんだ。
一旦は追い抜いたが、速度を落として待っていると、ラッパを吹きながら近づいてきた。懐かし~(笑)。
沿道のアパートの前に停まってラッパを吹いている。でも少し変。ラッパは「と~ふ~」と鳴る筈だよね。
なのに「ふ~」「ふ~」としか鳴らない。豆腐売りが長そうな爺さんだったし、多分壊れてたのかも(笑)。

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「④土産」
・・・2016.11.21

6日目、バイク行3日目の予定は、誘われてテニスに。手頃な相手と見られたのか、勿論大歓迎(笑)。
漫湖公園のテニスコート。プレッシャーの掛からないレベルだったので楽しめたが、兎にも角にも暑い。
これが盛夏だったらどうなるのかと、恐ろしささえ感じる。殆どが初見の人なのに打ち上げに誘われる。
「能登の海」は、旨いものばかり。海鮮は勿論、枝豆さえ一味違い、卵浸し麩のチャンプルは感激もの。
ピザも薄い生地が嬉しい。何より生ビール190円(時間限定)がお得感満載。チーフはテニス繋がり。

隣の席は大家族。クリッとした目のマルコメ少年の仕草が可愛いい。太い眉毛のお爺さんにべったり。
母親と思しき女性は、宮里藍に似た沖縄フェイス。きっと少年も立派に沖縄を継いで育って行くだろう。
と、ケーキが運ばれ、バースデーソングが流れる。少し飽いていたかのマルコメ君、顔がキラキラ輝く。
少年の誕生日に(叔母さんたちも含め)一家で集まったのだろう。ほのぼのとした気分になった一幕。
店を出て、(隣席だった人に)バースデーソングを歌っていた理由を聞かれる。思わず口をついたよう。
好天が続いたが、ゆっくりと下り坂の模様。夜中に雨の音、明け方も雨が残って、昼間は曇りに太陽。

BEGIN「おもろまちで拾った恋だもの」、公園で少年野球とバスケでは、沖縄らしさが足りないと歌う。
で、おもろまちのテニスコート脇にはバスケのコートがあるものの、野球場が見当たらず、少し不満も。
で、7日目に行った若狭公園には少年野球場があって、気持ち良く歌い切る事が出来たのだった(笑)。
公園に遊ぶ少年や野球少年とも言葉も交わして、ほんの少しだが土地の雰囲気に浸ることも出来た。
バイク行4日目になる筈だったこの日。又してもテニスに誘われて、結局バイク行は2日のみで終了。
誘われたのは、金曜の漫湖公園メンバーの一部が、土曜も美味しく呑みたくてと始めたクラブのよう。
(となれは当然呑み会にも誘われたが、この日は先約が。美味しくステーキwithワインを頂きました。)
若狭公園テニスコートは初体験のハードコート。夜の雨をゴムのブラシで押し出すのが面白かった。
ハードコートはシューズがキュキュッと鳴る。バドのそれと似ていて、何時より上手くなった気分(笑)。

8日目は、2回目のバドミントンで知念岬公園へ。琉球王国最高の聖地、斎場御嶽近くの抜群な立地。
絶景を楽しむ観光客を横目に体育館へ。館内からも海が見下ろせ滅多に体験出来ないロケーション。
2回目ともなれば、メンバーも知ってる状態。県での優勝経験者が来てて、流石に抜きん出たレベル。

9日目未明は激しい雨音の目覚め。明るくなると雨も上がって、国際通り歩道の石畳にカタツムリ。
今回、テニス4日バド2日バイク2日。何だかんだで、楽しく呑むのが好きな人ばかり。かなり好印象。
かりゆしウェア以外に、土産は黒糖1kgシークワーサー果汁4本。菓子の類は次回に買おうかと(笑)。 

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「③健児の塔」
・・・2016.11.17

5日目、浅草本隊は帰途。バイク行2日目は健児の塔へ。昨年の沖縄パイク旅で偶然に出喰わした。
(観光客の多い)近くのひめゆりの塔とは対極の寂れた様子に、複雑な思いをしたのを覚えている。
犠牲になった沖縄師範学校の学生が祀られているのだが、他にも軍人や一般住民を祀った碑がある。
今回は可能な限り全容を見たいと思っていた。廃屋と化した土産物店の脇に駐輪し入り口に向かう。
と、スクーターでやってきた沖縄を思わせる爽やかな青年が挨拶を寄越し、スタスタと坂を下りて行く。
追うような形になって進むと、彼は健児の塔を過ぎて更に下りて行く。海岸に向かっているのだろう。

ダアは南冥の塔に寄ってから、浜へ下りてみることにした。前回行かなかった浜へは行きたい理由が。
(南冥の塔:沖縄戦に参戦し、その惨状が念頭から離れなかった日系二世の元米兵が中心となって、
この一帯に放置されていた身元不明の兵士、住民の遺骨1万2千柱を集骨し、昭和29年に建立。)
浜へ降りる道は、階段が崩れたりで難儀をしたけれど、着いた浜は、まるで浄土かとも思える別世界。
で、彼の青年は浜に座って本を読んでいた。何と贅沢な時の過ごし方。片や慌ただしい通りすがり。
さして広くない浜を歩く。と、岩陰に何かから逃避して来た顔の若者。今の世を感じさせる不安な目。
健児の塔に戻って、未踏の山の上に向かう。先の沖縄戦では海上監視などをした場所なのだろうか。
喘ぎ喘ぎ登って行くと「第三十二軍司令部終焉の地」の壕が。沖縄守備軍司令部最後の場所のよう。

頂上は展望台で黎明の塔などの碑が。眼下に広がる海は美しく、珊瑚礁に砕ける波の音が耳に届く。
ふと、「ザワワ ザワワ ザワワ・・」と口ずさみ、「昔、海の向こうから 戦がやって来た」と歌っていた。
景色の中に誰も居ない。海原から緑の木々を伝う風に乗って、それは静かに静かに響いていった・・
軽薄な発想に気付くのに時間は要らなかった。けれど、一瞬とは言え陶酔しかけたダアが居た(笑)。

昨年寄った時、乳母車にすがる老婆が急な坂道に居て、その時は近くに民家でもあるのかと思った。
今回、浜辺から山頂までを巡り、生活の匂いのある場所は無かった。老婆の姿が脳裏に反芻される。
残され、年老いた沖縄戦の遺族の、お参りする姿だった。そう思い至ると、強く胸が締め付けられた。

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「②伊計島」
・・・2016.11.16

4日目はバイク行。沖縄観光穴場20選を参考にし、先ずは海中道路の先の島々を巡ってみることに。
海中道路は昨年も渡った。天候のせいか海の色は今ひとつ。渡り切って右折し、浜比嘉島へと渡る。
浜比嘉島は一周出来ない。行き止まりで浜に降りたら、軽いサンゴ砂に車輪を取られ、脱出に大汗。
(後日、Googleマップで確認すると、ムルク浜ビーチまでしか行けてない。まだ先があったんだね。)
戻る舟溜りで、漁師と思しき小父さんに遭遇。景色の中に二人きり。「海が綺麗ですね」と話し掛ける。
真っ黒に日焼けして、前歯が欠けた小柄な小父さん。地元の言葉で、何処から来たのか聞いてくる。
茨城からと答えると、海は無いのかと。飛行機で来たのか、バイクは何処で借りたのかとか矢継ぎ早。
暫し温かさに包まれる。走り抜けるだけでなく、(こんな)人との触れ合いを求めるのも良いものです。

戻って、最先端の伊計島まで行ってみる。美しいと言われた浜は、有料駐車場の先なので、パス(笑)。
脇道に進入すると、木の枝が道を塞いでいたり、見上げると南国系の花があったりで、結構楽しめた。
島からの帰り、道の駅。(初めて食した)ソーメンチャンプルの土産物。手にはしたが、買わずに戻す。
簡単に作れると聞いたので、ネットで調べることに。夜は有志でイタリアン。美味かったが、量が上品。
二次会お通しがソーメンチャンプル。美味さを再確認する。イタリアンで満たされなかった腹だし(笑)。

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「①バドも」
・・・2016.11.15

昨年初めて参加した沖縄へのテニス旅行。今年はバドもバイクも楽しめる欲張りオプショナルな旅に。
沖縄のテニスメンバーにバドをする人が居て、次の機会には一緒にやりましょうと盛り上がった経緯。
(取り敢えずの着替えを入れた)ラケットバッグ(バド&テニス)を背負い、まだ暗くて寒い朝5時に出発。
昨年は空路も宿も一緒だった浅草テニス本隊とは別旅程。8泊9日のゆっくり旅。昼前に那覇空港着。
窓からの陽射しが強く、空港ロビーは暑い。ゆいレールで牧志駅まで行って、駅前の壺屋小学校へ。
時間が無いのでコンビニでパンを調達、食べながら待っていると笑顔の小父さんが声を掛けてくる。
20人程のメンバーで知った顔は3人。なのに、すっかり溶け込んで、大声で叫んだりして楽しむダア。
飲み物と果物が沢山用意されていて、自前のスポーツドリンクは口にせず遠慮もせずに頂いた(笑)。
夜は呑み会に誘われ「天婦羅居酒屋・俺ん家」へ。呑み放題食い放題で、美味いし安いし、もう最高。
宿は「あんどん」。国際通りから即10秒。早く予約したので1泊2000円。4畳にTVのみ、エアコン有料。
暑いので窓を開けて寝たら蚊に入られて、(次の日)シュッとひと押しの液体蚊取りを購入する羽目に。

2日目、朝9時にレンタルバイク予約。(昨夜は午前様)少し遅れただけなのに、店員から心配の電話。
11時、おもろまちのテニスコートで浅草本隊と合流。早くに着き、のんびりと公園の木陰ベンチで待つ。
枝を広げた南国系の大木。ぐるりと円形ベンチが囲んでいて、地元小父さんが声高に談笑している。
国際通りだとか沖縄だとかの単語は聞き取れるが、他は全く理解できない。ウォーキング人が多数。
体慣らしをして、軽く試合をして、夜の待ち合わせを聞かされて解散。この夜も、呑み放題食い放題。

3日目、試合の当日。総勢42人。初参加の昨年はオロオロしたが、今年は経験も積んで余裕あり(笑)。
夜、合同親睦会。居酒屋借り切りで、呑み放題食い放題の大宴会。ソーメンチャンプルに初めて遭遇。
チャンプルは大好きだが、ソーメンのそれは目から鱗、他のと混ぜても美味い。元々そんな意味(笑)。

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「③裏磐梯」
・・・2016.10.09

仙台からの帰りは、天気予報も良好なので1泊の寄り道を。蔵王も考えたが迷った末、裏磐梯を選択。
以前よりR4通行時、二本松「智恵子の生家」の看板が気掛かり。これが決め手。若き日の遠い記憶。
ところが妙なもので、あれだけ普通に目にした筈の看板なのに、いざ目的地にすると、見つからない。
R4の近傍だし、また機会はあると簡単に諦める。蔵王vs裏磐梯、選択の決め手だった筈なのに(笑)。
裏磐梯へは安達太良山麓を行くR459。ところが土砂崩れによる通行止めで迂回を余儀なくされる。
仙台出発時、高い空に秋の鱗雲が見え、低い空には台風余波の速い雲が流れてた。この雲、曲者。
安達太良山の山の上、智恵子の本当の「青い空」が見れない。裏磐梯への道も、景色が楽しめない。
土湯トンネル3360mに方向転換所が数か所。火災や事故で進行出来ない時、坑外脱出に使うらしい。
ならば、珍しいものでもない気がするが、他所で見た気がしない。入ってみると、トラックも可能な広さ。

桧原湖畔で昼食時。相変わらず風が吹きまくる。蕎麦屋と並んでレストラン。身体が蛋白質を欲する。
洒落たレストラン、先客は年配夫婦と若い男女。静かに語り会い食事している。バイク乗りは場違い。
大きく開いた窓に正対。ガラス越しは自然を強調した庭。で、メニューを見て、少し後悔。お高い(笑)。
ハンバーグランチ2700円(黒胡椒の粒が美味かった)。コーヒーを口にすると、雲の上にチラッと山が。
で、デザートは店を後にしてから。何と雲が切れて、裏磐梯が全容を現す。これも2700円の内か(笑)。
猪苗代湖畔を走行。人の手になるススキの株が並び、強風に踊る。イソギンチャクを思わせて、愉快。
猪苗代湖は波立ち、磐梯山は雲の中。宿は郡山。明日は、裏磐梯か猪苗代湖越しの表磐梯が候補。

朝、R49を西に。未だ風が強い。猪苗代湖にぶつかって左折、湖越しに磐梯山を眺めるコースを選択。
K376は田園風景。磐梯山は霞んでいる。湖畔路を選んだので、問題発生。ガス欠寸前、スタンド無し。
タブレットで調べると暫く先にJAのスタンドが。エンスト寸前で着いたのが6時40分。でも、閉まってる。
万事休したと思ったら営業7時の看板。暫しの間、稲穂に囲まれ静寂の中に身を置く。何故か充実感。
会津若松に寄らずK235でショートカット。これが工事通行止めの山道。ぎりぎり時間前で、無事通過。
天栄村立小学校で玄関を箒で掃く職員。まだ登校時間前。5泊6日、1200kmのバイク旅。楽しかった。

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「② 牡鹿半島」
・・・2016.10.06

石巻で、小高い山が見えた。日和山の案内板もある。復興イベント、さだまさしコンサートが行われた。
造成現場を抜け、登ってみる。展望出来る風景と対比出来る形で、震災前の町並みパネルがあった。
市内側に降りると、街中に(見覚えのある)漫画キャラクター像。そう言えば、萬画館との案内もあった。
で、あの漫画家の出身地かと思い当たる。石ノ森萬画館は大勢の人。入り口ホールにキャラクター像。
石ノ森章太郎は、実際には石巻の隣・石森(いしのもり)町(現登米市)の出身。どちらも「の」が入る。
それにしても、著名な漫画家を暫しの間とは言え「いしのまき章太郎」と呟いていたダアは、重症(笑)。

牡鹿半島を走ってみた。先端に金華山が浮かぶ。仙台拠点だからこそ行ってみようかと思える場所。
平地は殆ど無く、海に迫った緑の山地。小さな入江も含め、津波の痕跡が残る。で、人が恋しくなる。
海沿いに萩浜中学校(津波の被害もあったよう)。窓が開いていて、生徒が見えて、嬉しくなる(笑)。
牡鹿半島に限らず、津波被災地は何処へ行っても工事中。経済効果も大きいだろうと、不遜な発想。
高台移転や嵩上げ工事は納得するが、海岸線に延々と続く巨大防潮堤の工事には、少し違和感も。
海辺の風景を全くの別物にしてしまう。それで何百年に一度の災害に、本当に備えたことになるのか。
大川小にしても避難場所として指定されていた末の惨事。「津波が来たら逃げる」が正論の気もする。
自然の力は、時に人智を超える。あらがうのでは無く、受け止めるのが賢策かとも。想定外では論外。

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「① 仙台テニス」
・・・2016.10.04

仙台でテニスと言う話があり、バイク旅も兼ねて出掛けてきた。暑くもなく寒くもなく、快適なバイク行。
テニスの他にも行きたい場所があった。一つは石巻市の大川小学校。偶然出食わしたのが2年前。
あの2011年東日本大震災の津波で、全校児童108名中74名、教職員11名中10名が犠牲になった。
地震発生から津波襲来まで51分間。なぜ逃げられなかったのか・・ 検証され、訴訟にも至っている。
現場に居て生き延びたのは児童4名と教職員1名のみ。余りにも重く、余りにも悲しい失われた命。

2年前の東北一周バイク旅では、(新聞テレビ等で見知っては居たが)心の準備も無く、突然の遭遇。
廃墟と化した校舎と、それとは対象的な緑の(校庭からすぐの)裏山。その対比が、無常を思わせた。
打ち拉がれた脳裏の片隅で、この裏山では急峻過ぎて低学年では逃げるのは無理かな、とも感じた。
で、今回。すぐの場所に、なだらかで容易に登れる道を見てしまった。調べると、授業で良く登ったと。
防災無線による大津波警報も告げられた中、裏山に避難しなかったことは、やはり大き過ぎる過ち。
幾つかの事情が重なったのだろうが、ここへ導くことが出来なかった事実が、ただただつらく、悔しい。

もう一つが845名の犠牲者を出した名取市の閖上(ゆりあげ)地区。仙台でのバド大会で2度行った。
閖上中学校屋上からの津波映像を、何度も目にした。初回11年11月には、畑に取り残された漁船も。
で、今回。中学校の校舎は解体され、跡形も無かった。辺り一帯を嵩上げし、宅地造成している最中。
資料館「閖上の記憶」が受け継いだが、震災遺構として保存する大川小学校とは違った歩みがある。

さて、肝心のテニス。新たにトップスピンへの挑戦を始めようと心に決めてから、練習皆無で仙台入り。
自信の無さは目に映る景色の色さえ変え、彷徨い状態のダアが居た。で、開始から怒涛の5連敗。
トップスピンは、垂直方向の面の動きと、水平方向の面の押し出しの2つの要素があると考えられる。
で、前者の感触(初挑戦)のみを探った結果だと思うが、最下位の結末には笑うしか無かった(笑)。

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「9月」
・・・2016.09.30

ひょんなことから始めた浅草でのテニスも、もうすぐ2年。今では顔見知りも増えて結構楽しんでいる。
初めた頃は皆がとてつもなく上手に見えてビビリ捲ったが、今では大分慣れて、時には余裕さえも(笑)。
とは言え、テニスの難しさも分かった訳で、より上級なプレーに触れるべく、初めて小さな大会に参加。

今のテニスはトップスピン主流のようで、当然チャレンジはしているが、ダア的には掴み切れて居ない。
例えば卓球をやったりした場合も、ドライブ打法はミスが多くて、カット打法の方が長く続いて楽しめる。
ダアの大昔の職場に、卓球のカットマンのようなテニスをする先輩が居て、それで結構活躍していた。
で、ダアのテニスはスライス中心を目指そうかと考えた。その方が力を要しないで、楽だと思えたのだ。
で、試合結果は勝ち負け半々。しかし、繰り出されるトップスピンの威力には、完全に打ちのめされた。
強打のトップスピンでなく、柔らかいタッチで繰り出す年配者も居たりして、目からウロコ。新たな意欲。
改めてYouTubeを見ると、興味深いものがあり、今までの経験にも、フィードバックされるものがあった。
スライスでも幾つかの方法を使いこなそうとしたが、新たにダアのトップスピンへの挑戦が始められそう。

テニスでは、バドもやると言う人が結構居る。昨年の沖縄でもそんな人が居て、今年はバドもやろうと。
で、シャトルが当たるかの確認に、近くの小父さん小母さん(初心者)クラブへ。昼間の練習が好都合。
平日の午前中となれば、男性はリタイア組。庭に実った柿など持って来たりして、何とも和気あいあい。
で、シャトルが飛ばせず(バドは腕を上げて打つ事が多いので)初日には二の腕が攣ったりして、散々。
筋肉の衰えだけでなく、視力の衰えで空振りの山。更に(今回は)平衡感覚の衰えをひしひしと感じた。
昔取った何とかで、身体が反応したりするのだが、身体の空間状態を把握する筈の脳の動きがトロい。
床との傾きや距離の認識にモヤが掛かり、動き速度とリンクしていない。水中での感覚に少し似てる。
で、このままではバランスを崩して倒れたり、床への足の着き方を失敗して捻挫するなどの日が来そう。
次の練習では、年相応に待つスタイルを試してみようと思う。でも、つい興奮して反応しちゃうかも(笑)。

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「③帰着」
・・・2016.08.27

2日目の宿は、信州湯田中温泉のホテル。格安検索でヒット。温泉あるもライダーハウス並の環境。
夜、打ち付ける雨の音に嫌な予感。タブレットで検索すると、雨は朝には止み、山越えは出来そう。
3日間雨無しの予報だったが、迷走の末Uターンした台風10号の影響だろうか。観念するしかない。
朝、小雨が残る中を出発。向かうは8時半開店、道の駅・北信州やまのうち。果物の購入が目的。
開店前なのに何人もが集まっている。で、開店とともにダッシュ。店前の桃の箱を抱え込む小母さん。
亭主まで動員して何箱も独占してる。圧倒されるダア。で、同じ桃の箱は店内にも多数あった(笑)。
ひと箱1000円程度の桃やリンゴや梨が山積み。雰囲気に流されてパニック状態のダアは3箱確保。
で、冷静さを取り戻して袋入りに変更。どうやってバイクに積むか、雨中の荷造りは難儀と考えた。

R292は小雨交じりの峠越え。景色は全く楽しめない。白根山の存在は硫化水素が知らせてくれた。
警戒の係員が要所に居て、見守っている。4度目の国道最高地点は、素通り。留まる車も1台のみ。
草津へ下る道。やたらとチャリダーが登ってくる。今日は土曜日。日程中心で天候不問の人も居る。
草津の街は観光仕様。道の駅で朝飯にありつけたのが10時過ぎ。帰路はR353からR50へと一目散。
これは正解。埼玉・東京を避けたルートは比較的スムース。最後は雨も上がり850kmの旅を終えた。

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「②毛無峠」
・・・2016.08.26

前夜は、ネットで調べた「ゆざわ健康ランド」に宿泊。スキー客ターゲットの施設のようで、夏は閑散。
食堂17時終了で、昨夜はカップ麺。朝、雑魚寝の広間に若い女性。腹ばいでスマホをいじってる。
仮眠用マットを密着させ、向こうに裸が覗く異質な空間。と、男児が下着1枚でスヤスヤと眠ってた。
シングルマザーが(少ない予算で)夏休みの思い出作りに旅に出た・・ 勝手にストーリーを作り上げる。

2日目も良い天気。新潟から長野に。津南町で登校中学生。栄村で登校小学生の列。新学期のよう。
飯山の道の駅・千曲川で朝食。朝7時半からの営業は珍しい。品書きに詳細説明があり、高レベル。
スクランブルエッグのプレート。コシヒカリの米粒がツヤツヤ。赤だし味噌汁。コーヒーが美味かった。
満足気分で農産物販売コーナーへ。果物が豊富で安価。が、この日は見送る。ハックルベリーを購入。
生食出来ないとの表示を承知の上。なのにレジの姉さんに確認された。読まない人が多いんだとか。
ジャムを作ると言うダアに、男の人の料理は美味しいと袋入れの小母さん。予期せぬ展開に、照れる。

渋峠へR292を長野側から進む。志賀高原でサルの群れ。場所を置かずに大勢の歩き人。妙な気分。
前回悶着のあったスノーシェードも軽く通過。国道最高地点は3度目。K466を右折。万座温泉到達。
万座プリンスホテルで、レディースセットの昼食。まあまあだったけど、しなびてた。コーヒーも今ひとつ。
毛無峠へは左折K112で。行き止まりなのに、しっかりした舗装道。峠近くは少し荒れてて4km弱の道。
目的地を毛無峠にしたのは、長野群馬県境の峠越えを画策した時、行き止まりに興味を抱いたから。
毛無峠は荒涼とした火山性の裸地。行き止まりから長野側に下ったところに小串硫黄鉱山の廃跡地。
何でも1937年に245名もの死者を出した地滑りがあったとか。産業構造の変化もあり1971年に閉山。
今も地蔵堂はあり、毎年供養が行われている由。偶然出会った小父さんは、そこの小学校に通ったと。
写真を撮りに来たと言うその人を見送って、暫く佇んだ。1人ひとりの人生に物語があって、心に沁みる。

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「①R352」
・・・2016.08.25

今年4月の新潟テニス。原チャリ行を決めたダアは、往復とも会津経由R49ルートを選んだのだった。
他に(自転車やバイクで馴染みの)上越道R17があるが、山深い奥只見を通るR352に魅力を覚えた。
が、奥只見は豪雪地帯。冬季通行止め解除が(今年は)6月10日。叶わぬことは夢に昇華する(笑)。
残雪を期待した開通直後は、梅雨やら何だかで行けず、盆辺りと思ったら、今度は台風やゲリラ豪雨。
雨無し3日間の予報に勇んで出発した8月25日。今回は欲張らずに、目的地をR352と毛無峠に絞った。

朝6時、穏やかな日差しの出発。出て直ぐのバイパス道端に、強風で折れた木の幹が未だ放置状態。
久しぶりに蝉時雨。上機嫌の走り出し「待てば海路の日和あり」と呟く。海路じゃなく山路だけど(笑)。
この方面ではルーティンとなった(二の宮)道の駅での握り飯。生産者の野菜運び込みもルーティン。
運び終えた小母ちゃんたちは、お茶をしながら笑い声。小父さんたちは、タバコしながらボソボソと。
握り飯を広げる家族連れ。夏休みももう終わる。やっと時間が取れたのだろう、笑顔が弾ける兄と弟。
矢板で信号待ちタンクローリー。山形ナンバーで米油とあった。米油って売り場の棚で見たことがある。
山形の工場から首都圏への出荷の帰りか。ふと、米油の製法に思いを巡らす。米ぬかからの抽出か。
圧搾もあるけど効率が問題。水蒸気蒸留をやって欲しいけどコストに問題ありかな。で、帰宅後検索。
ノルマルヘキサン抽出が主流のよう。溶剤残存による安全性が懸念され、有害との風説さえもある。
(で、圧搾一番搾りが持てはやされている由。)ノルマルヘキサンは沸点69℃、残存し得ない。風評だ。

R4から左折でR400。次第に高度を上げて、涼しさを感じる。4月に桜を見た道の駅・湯の香 塩原。
ここに二の宮に無かったイチゴ・なつおとめ。小粒小パック300円に躊躇。で、イチゴジェラードを食す。
食べながらふと思う、350円ってイチゴより高いじゃないか(笑)。ここを出ると、本格的に山地に入る。
塩原温泉の外れ、お婆さん2人が道端を歩いている。危ないなと思いながら接近すると、サルが2匹。
大人のサルが、おしゃべりで歩く腰の曲がったお婆さんに見えたんです。他意は御座いません(笑)。
R400がR121になって、いよいよ初体験の左折R352。車の往来も少なくなり、自然が溢れる緑の道。

奥只見湖は新潟に入ってから。バイク屋のおやじの弁、同じ景色がクネクネ続いて頭がおかしくなる・・
ネット民の、再度の走行はしたくないとの記述が。そこで何を感じるかが、ダア的には興味津々(笑)。
山奥にあるダム湖なので、幾重にも重なる山ひだに沿った道が。いつ果てるとも知れない・・ 実感。
小さな沢からの水は路上を横切り流れる設計。洗い越しと呼ばれるようで、初めて知り、見た光景。
余りのクネクネに、まるで回廊だと呟く。朝の「待てば海路」は、「待てば回廊の」だったと笑えぬ冗句。
で、何時しかPPMの「All my trials(私の試練)」を口ずさんでいた。「All my trials Lord, soon be over.」
うろ覚えの部分もあったけど、ハモパートもやったりして、凌いだ。ふと、道幅が広く真っ直ぐとなった。
家並もあるではないか。ついに、魔の回廊を抜けたのだ。過ぎてしまえば苦しさは忘れ去っていた(笑)。
で、ダアには歌があったから試練を乗り切れたんだと、大袈裟に。眠気覚ましの効果もあるしね(笑)。

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「②テニス」
・・・2016.07.15

引き続きR4を北上。移動目的の単調な道。公立○○病院の看板が目に付く。それも一つじゃ無い。
県立や市立とかを纏めて公立って言うんでしょ。固有の病院名に公立は可笑しいと、1人突っ込み。
(帰ってからググると、普通の名称みたい。地方公共団体経営の医療機関のこと。自治体病院とも。)
古紙の駅(24hr回収)も楽しく通過。音無の地名には、音無だから大人しいのかと訳の分からぬ呟き。
早くに盛岡着。岩手山麓の焼き走り溶岩流を見に行った。珍しく感動。何と言っても無料が良い(笑)。

2日間のテニスも好天だった。(降雨に備えた)インドアコート初体験。成績は中の中。今一つ不満足。
盛岡チームは(国体などで活躍経験のある女性コーチが居て)フォアも両手打ちのバックも、力強い。
で、当方は自己流の爺さんが主体。ランダムに組み合わせるのだが、それが殆ど恵まれなかった。
小母さん主体の盛岡勢の球を、ダアのペアーが上手く返球出来ない。何回もそんなケースがあった。
テニス2日目の朝は、小岩井農場に行ってみた。駐車場で岡山から来た小父さんに声を掛けられる。
何でも、日本中をキャンピングカーで巡っているとかで暫し歓談。開場時間前なので、一本桜を見に。
朝ドラ「どんと晴れ」で知った一本桜。主題歌「ダイジョウブ」を弾き語りする筈が、計画進展せず(笑)。
一本桜は思ったより小さく見えた。周りの景色が大きいからかも知れない。カメラを構える若い女性。
景色に魅せられ、通年通っている由。今年の葉は薄い。花の咲く春よりも、枝のみの冬が好きだと。
土産、ソフトクリーム、そんな目論みの小岩井農場は、入場料800円。行ったから満足とUターン(笑)。

4日間は晴れ捲ったのに、テニス後は雨模様。天候次第で八幡平巡りを考えて居たのだが、帰途に。
時折降る雨の中、ひたすら南下2日間。移動だけの行程、覚悟も中途半端だった雨走行は、辛さも。
走行距離6日間1240km。もし来年も行くとしたら、新幹線または青森巡行バイク旅の2択かな(笑)。

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「① 盛岡」
・・・2016.07.10

テニスで盛岡へ。昨年(新幹線利用)も行ったのだが、今年は原チャリにアップグレード。片道500km。
昨年の2日間が、移動日込みで6日間の日程に。軽い思い付きが(計画を練る程に)重くなる(笑)。
バイク旅なら予報次第で出発前後もあるが、コート予約の都合で日程が先。インドアも押さえた由。

出発は参院選の投票日。済ませてからと、役場に向かう。若い女性2人が入り口を背に立っている。
開場を待っているようには見えない。並ぶのが嫌いなダア。少し走って戻ると、丁度数人が入場開始。
(余談)数人のイメージは、若年層では2~3人。老年になるにつれ4~6人。で、この場合は6人(笑)。
件の2女性は離れて見守っている。何者なのか未だ不明。構内に入り、開始を待つ列の後ろに付く。
と、立ち合いの男性の声。1番の人が箱の中を確認するので、2番以降の人は少し待って下さい・・
これってTVでやってたな。で、1番は30前後の男。ちょっと嬉しそうなニヤケ顔。ネタ作りの印象(笑)。
小選挙区投票を済ませて比例代表の用紙を受け取るとき、係の若い女性が早口で何か言っていた。
政党名を記入するのだと思っていたら、壁の紙に細かい字の個人名がズラ~と並んでいて、パニくる。
係の女性に確認。今度は丁寧に、個人名か政党名を記入して下さいと。老年者に優しくしてよね(笑)。
投票を済ませ外に出ると、件の女性がインタビュー中。初めて目にする出口調査。腕章にTVの文字。

まぶしく晴れ渡った道を北へと向かう。投票してからの出発だったので、二宮の道の駅は開店時間。
ここではトイレ休憩(+朝食の握り飯)することが多い。前回は営業前でイチゴを食べれず、心残り。
今回、(シーズンは終わったし)無理かなと思ったら、何とあった。「とちおとめ」ならぬ「なつおとめ」。
夏から秋に掛けて実るとかで、出荷少量、小粒で高額。で、イチゴは来年の楽しみに取っておくことに。
宇都宮からR4へ。移動だけを考えた行程、(盛岡まで)これ程の長区間R4で走るのは初めてのこと。
で、一桁国道の難は、道の駅が少ないこと。道の駅1993年創設の歴史から言えば仕方ないけれど、
トイレ休憩、土産品物色、飲食などで便利に利用している。冷やかしだけも済む気安さが、何より良い。
他に、随所にある農産物直売所も利用する。半額特価のトマトジャムがあったが、自作可能かと(笑)。
会津街道入り口の標識が魅力的に思えた。会津への迂回ルートは、計画時に不採用。ひたすら北上。
安達太良山を眺めていたら、古戦場の碑。安達で光太郎・智恵子に思いを馳せて、伊達市で一泊。

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「②ぶどう峠」
・・・2016.06.10

甲府からR20、R141で再び川上村へ。長野・群馬県境の幾つかの峠道を巡るのが、もう一つの目的。
R292渋峠、R18碓氷バイパス&旧道、R299十石峠、R254内山トンネル、K466万座などは既に通った。
今回はK124ぶどう峠、旧R254(内山峠)をメインにして、可能な限り小さな峠も通ってみることにした。
穏やかな晴天下、往来も殆どない緑の山道を走るのは気分も爽やか。この上ない至福の時だった。
隣村への峠に、開通記念碑があったり、素っ気なかったりで、色々。普段を纏った軽トラが走るのみ。
時に遭遇する集落は、誰も居ないか世間話をしている(かに思える)ばあちゃんたち。小学校もあった。
で、商業施設も無いので、食事や土産やトイレ休憩も儘ならない。で、我慢しきれずに・・(以下自粛)。

K124ぶどう峠は、干しブドウの土産など妄想してたが、武道峠だって(笑)。武器が通った峠が由来。
荒船風穴は世界遺産で・・ 何が、何でと思ってたけど、冷風を利用して蚕の卵の孵化を調節したそう。
で、生糸を通年生産出来るようになったとかで、あの富岡製糸場とセットになっていたのでありました。
急な坂道K44の途中に入り口があって、見学料500円だと。急ぐので次の機会にしますと微笑み返し。
坂の上に明治20年我国酪農発祥の地・神津牧場。ソフトクリームを食したが、別海での美味さが蘇る。
旧R254(内山峠)ではドジを踏んだ。前日も行ったのだが、内山トンネル(新R254)を通ってしまった。
食事のタイミングを取れず空腹で到達、峠道では覚束ないと、トンネル先の茶屋を目指したのだった。
山菜天ぷらそば650円を食し、600円(天ぷらそば)の請求に不正直に応えて・・ それがイケなかった。
内山峠は頭から飛んでいた(笑)。で、スケジュールもかなり進んだ最終日、内山峠へと引き返した。
割と軽めに組んでいた予定も、それによって16時間で390kmの走行となり、全走行は4日間で1060km。
で、肝心の内山峠(荒船山登山口)には、それを示す標識が無く証拠写真位も撮れなかった(笑)。

で、今度は行き止まりの峠なる存在(例えばK112毛無峠)が気に成り出した。ダアの挑戦は続く(笑)。

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「① 大弛峠」
・・・2016.06.09

峠は通り越えてこそ意味を持つ・・ 何故か妙な拘りを持ってしまったダア。飽きない性分かも(笑)。
2014年10月、高地走行の素晴らしさに目覚めたダアは、標高1位、2位、3位の峠に挑戦したが、
1位大弛峠は長野県側の悪路に怖気付き、2位渋峠は寒さで戦意喪失し、共に敗退Uターン。
今年4月に国道3位金精峠(トンネル)1840mと共に、2位渋峠は越えた。となれば、残るは1位大弛。
(梅雨入り前で)晴れが続いた6月早々、大弛峠を超えることをメインに置いたバイク旅に出掛けた。
GoogleMapsで眺めると、甲信から関東へは幾つかルートがある。それらの峠超えも面白そうだった。
前日の雨で濡れた道を走る。やがて空に青さが差し、利根川を渡る頃には陽射しも出て晴れ状態。
(為念の雨具携行も)4日間晴れに恵まれ、帰宅した次の日が雨。どんぴしゃと嵌ったバイク旅だった。

関東平野は広くて何度も通ると嫌気も差す。R17からR140に入って、起伏が生じ景色が良くなった。
子供の頃に遠足で行った長瀞はバイクからは当然楽しめない。遠くの河原に遠足で遊ぶ小学生たち。
R140は(埼玉と山梨とを唯一繋ぐ)雁坂トンネル(山岳トンネルとしては日本最長6625m)へと続く道。
この日本一は何れ挑戦したい。秩父の市街地から浦山ダムを正面に見上げる。見慣れないアングル。
秩父過ぎで滝沢ダムから山道へ。ダムの駐車場にサル1匹、人影まばら。県道210から中津川林道。
夜間通行禁止の標識。三国峠まで18kmのダート(砂利道)が続く。素掘りのトンネルに出くわし驚く。
峠から川上村への下りは舗装路で、ひと安心。川上村はレタスの一大産地。平均年収2500万とか。

川上村を走っていて、大弛峠への案内を避けているように感じた。タブレット頼りで、寂れた入口へ。
三国峠へのダート18kmも辛かったが、こちらのダート9kmは別次元。石ころだらけの河原を走るよう。
1段ギアーで吹かし捲くる。悲鳴を上げるようなエンジン音。大きな石に前輪を取られてエンストまで。
途中、シカ1頭が横切っただけの道。ハンドル操作を誤って崖から落ちたら一巻の終わりだったかも。
峠に到着。人の気配は駐輪バイク1台のみ。やゝあって、両手ストックの山歩きの若者。挨拶が嬉しい。
山梨側の下りは一転して快走路。長野側とは天国と地獄。地獄体験はトラウマになりそうなほど強烈。
石和での宿は、再訪したくなるスーパー銭湯2100円。地獄を生き延びたダアを祝って酔ってみた(笑)。

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「⑤R299」
・・・2016.05.03

5日目、最終日。青さもある薄曇り。関東への山越えはR299を選択。関東一の酷道との評判(笑)。
R18(碓氷峠)、R254(内山峠)の既知道も候補。予報では、日中は持つとか。無事通過可能と読む。
十石峠までは30kmほど。宿を出て右折すべきを左折。戻って再スタート、痛恨のミス、30分のロス。
R144を左折し峠まで18km。向かう山には雲が掛かっている。雨が多いとの情報あり、一抹の不安。
と、「4月7日11時より峠通行可」の電光掲示板。まだ3日、迷ったが渋峠も経験した身、突破を決意。
で、今日が5月3日と気付いたのは暫く走ってから。7日11時より通行可を、予告の形で読んだのだ。
電光掲示板に求めるのは、通行可否の情報。腹も立ったけど、この手のドジはダアの得意技(笑)。
峠近くは曲がりくねった細い道。濃霧もあって、まあ酷道だなと呟く。でも初めての酷さじゃ無い(笑)。
突然、ブオーと大爆音。緊張が走る。と、車3台(少しの距離でもアクセルを踏み込む)がすれ違う。
恐る恐る進むダアとは、別世界のドライバー。もっと広い国道を走れよと呟くが、要らぬお世話か。
霧の中で十石峠到着。まだ下りがあるが一安心。峠にある展望塔は、世俗的で何だか馴染めない。
超えて上野村。やがて霧も晴れ、すれ違うライダーが手を挙げ挨拶を寄越す。田舎道の証左(笑)。
上野村は緑の中の快走路。日航ジャンボ機墜落事故は30年以上も前。せめて、坂本九を口ずさむ。

長野を走り、都内を避けると、群馬県境の山越えになる。今回は、R292(渋峠)R299(十石峠)を通った。
過去に、R18(碓氷峠)R254(内山峠)も走った。で、今回の旅程を検討中に、町村道の存在を思った。
Googl Mapsの倍率を上げると色々な道が見えてきて、何だかとても魅惑的。ダアの挑戦は続く(笑)。

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「④R52」
・・・2016.05.02

4日目朝、焼津港へ。今回初の海辺。塩釜船籍の漁船で大勢が作業中。東南アジア系の顔が目立つ。
漁港での朝食期待も空振り。(後日検索したら、街中に焼津さかなセンター発見。でも開店前の時間。)
ルートだけでなく、食事処とかも事前に調べれば更に完璧だけど、そこまでは絶対出来ない性分(笑)。
三保の松原を目指すR150。真っ直ぐな海岸通り。150年ぶり東海地震の予言がある今年、急ぐ(笑)。
「いちご海岸通り」の標識。「ジャム用イチゴあります」の看板。買っても家まで持たないし、まだ開店前。
三保の松原。ダアは行先で何かと有料をパスする習性がある。そろそろ改心せねばと思う今日この頃。
で、「無料P」の看板で、思わずアクセルを吹かしたから、深く染み付いてる(笑)。富士が見えず残念。
「富士の見える土産店」に「見えることがある・・」だろと呟いて寄る。(前日通過した)安倍川もちを買う。

焼津から帰宅する選択肢もあったが、再び佐久を目指す。南アルプス山麓を一周ぐるりの走破完成。
南アルプスの東側を通るR52ルートは、しかし西側伊那谷のR152ルートに比べ、大人しく退屈だった。
奥深くに雪を抱いた峰が覗くこともあったが、終始霞んだ景色。24℃の気温が高地で19℃まで下がる。
清里の道の駅。鯉のぼりが空一杯。ソフトクリームに信玄もち(餅も黄粉も黒蜜も)が相性抜群だった。
眼前に八ヶ岳が迫る野辺山駅はJR最高地点。駅舎前の看板「1345,67m」の「,67」に笑みを誘われる。
昔、職場で写真誌を覗いたことがある。欠伸する老人を接写した「小海線の印象」と題した投稿写真。
老人の顔には深い皺が刻まれ、車窓の鄙びた景色と相まって、何時しか小海のイメージとなっていた。
通り抜ける旅人に感傷の時は無いが、何か係りたいと「まちの駅こうみ 農産物加工直売所」に寄る。
残念ながら、山麓一周何処でも似たような品揃え。野菜は地元産だと思うけど。で、生の花豆を購入。
これで、花豆の甘納豆を手作りしようと言う算段。昔抱いた老人の印象・・ との関連は不問で(笑)。

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「③R152」
・・・2016.05.01

3日目、今回メインのR152を目指す。酷道とも称され、2ヶ所の寸断区域がある憧れのルート(笑)。
東日本と西日本がぶつかって出来た巨大な皺・直線的な深い谷(中央構造線)に沿った道が続く。
佐久を出てR152に。白樺湖から茅野へ。御柱祭(上社前宮)の祭り直前。燃え立つ前の静けさが。
杖突峠辺りから核心部突入。南アルプスむらでクロワッサン試食。有名店らしく、予約客が並んでた。
分抗峠、(押し合う巨大断層エネルギーが凝縮して、ゼロ磁場)世界有数のパワースポットなんだとか。
(新興の印象。ググると、2009年の報道が切っ掛けで大ブレイクしたと。)この分野、ダアは苦手(笑)。

この日の予定、激しいアップダウンの狭路300km。時間を要すと思われたので、走破第一に考えた。
大鹿村特産物センターで休憩。山から湧く塩水、大鹿村歌舞伎、映画・大鹿村騒動記・・ 心惹かれる。
中央構造線の露頭(岩石がぶつかってずれた境が地表でみられる)も幾つか。正直ピンとこない(笑)。
あちこちで圧縮破壊された破砕岩がみられる。脆く崩れやすい地質がトンネル・道路・造成を困難に。
で、最初の寸断区域は知らないうちに通過。地蔵峠から進んだのが迂回路・蛇道林道だったよう(笑)。
日光明智平の休憩で勧められた「しらびそ高原」への分岐があったが次回に譲る(笑)。日本のチロル。
二つ目の寸断区域は青崩峠。げにも恐ろしげな呼び名。徒歩20分で峠に行けるが、これも次回(笑)。
迂回路は兵越林道。この峠では秋に「峠の国盗り綱引き合戦」なる行事があって、県境を決める由。
「告 この標識 国盗り綱引き合戦に於て定めた国境である 行政の境に非ず」の立て看板が立つ・・
見逃したが、これも次の機会に(笑)。山の駅なるスペースがあって、建物など無く猿が2匹。象徴的。

浜松市街地で平野になり、磐田、遠州森町、掛川、島田、藤枝を通って、目指すは焼津駅前の宿。
長時間走行に備え(ハードな事態を予測し丁寧に)作った行程表が完璧の出来。迷うことなく到着。
Googl Maps参照で作成するのだが、今回スキルアップした感。310km走行に、12時間30分を要した。
遠州森町で、荷物満載トロトロ走るカブ乗り小父さんを追い抜く。で、石松は実在したのだろうか(笑)。

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「②渋峠」
・・・2016.04.30

2日目は青空もある穏やかな朝。標高国道第1位・渋峠2172mを目指す。(前回、行き着くも不通過。)
やはり峠は、山を上(のぼ)って下(お)りてこその意味。上って、帰るじゃ跳ね返されたようで(笑)。
早朝、R17からR145に入って、ガソリンスタンドは開店前。この先は山地で覚束ないので引き返す。
戻ったR17手前でタブレット検索。数多くヒットの沼田市内を行く。ところが軒並み開店前で、冷や汗。
24時間ファミレスで待とうか迷い、思い付いて24時間で検索。1時間前の検索で見捨てた1軒がヒット。
何とか辿り着けて胸を撫でる。朝一番で通ったR17沿い。右折に気を取られ左側を見落とすミス(笑)。
前日、(金精峠越えで)冷えた身体に風呂を優先し、ガソリンスタンド探しを怠ったツケが回った顛末。
今回の教訓。夕方の到着は、ガソリン満タンで宿に入る。早朝に探す時は、24時間営業で検索する。

R145を進むと「R292県境、本日通行止め」の標識。4月22日に冬季封鎖は解除された筈なのに。
夜間の通行止めにしても朝8時には解除の筈だし、「本日」の意味が解せず、それでも進む(笑)。
R292に入って草津を過ぎて、白根火山ロープウェイ駅。ついに通行止めの封鎖現場にブチ当たる。
時間は既に朝9時。駐車場には多数の車やバイクがあって、何をする人たちなのか理解できない。
引き返し、別のルートを探すなら早い方が良い。ルート検索していると9時半に防災草津からの放送。
朝10時に封鎖解除。大人しくしていた人たちは、この状況を把握していて、待っていたのだ。納得。
10時になって除雪車2台が降りてきて、封鎖が解かれた。一斉にスタートする乗用車、続いてバイク。
その後チャリが続いて、R292で待機していた車列も途切れて、除雪車が降りて、そしてダア発進(笑)。
封鎖解除から15分が経過していた。進んだ先は雪のある景色。国道最高地点の碑は雪で薄化粧。
渋峠はホテルなどの建物と広い駐車スペース。辺りの木々は樹氷を纏っていて、初めて見る美しさ。
峠を過ぎて下り坂「スノーシェード内、路面凍結スリップ注意」の看板。バイクが何台か逡巡している。
内部は圧雪状態、引き返した方が良いと。引き返すバイクあり。カブは軽いから可能かもと複数の声。
車は通っているし、進むバイクもあったので、突入決断。で、大したことは無かった。結果論だけど。
志賀高原を通って長野盆地へ。宿は佐久。2度も引き返しを思った末の、悲願の渋峠越え達成(笑)。

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「①金精峠」
・・・2016.04.29

GW前半は晴れるも、後半は崩れる予報。で、急遽出掛けた金精峠、渋峠、R152を巡る5日間の旅。
連休初日、早朝の眩しい陽光を背に出発。カブ乗りダアの長い影。路面は前日の雨で濡れている。
遥かな山々は見通せず、日光男体山も雲の中。大きな荷物のライダーに追い抜かれ、如何にもGW。
二宮の道の駅。農産物搬入の小父さん。開店前だが車が多く、観光バスまでも。如何にもGW(笑)。
ここまで来ると男体山がよく見える。宇都宮から日光へのR119は自動車専用道路。慌てて降りる。
道端で旧道を検索。生活感があってバイパスより良いと負け惜しみ。狭くて渋滞もあったけど(笑)。
で、渋滞の先頭が(バドの遠征で良く通った)徳次郎の交差点。「とくじら」と読めるのがプチ自慢(笑)。
と、「とくじろう」の標記が目に入って「違うだろ」と呟く(笑)。後日、ネット検索して事情を把握。以下に。

 かつて「外久次良(とくじら)」と呼ばれたこの地に、新田徳次郎昌言なる人物が徳次郎城を築城。
 それに因んで漢字を当て「徳次郎(とくじら)」とした。宇都宮市編入に際し、音読みの「とくじろう」と。
 以降は歴史的「とくじら」と行政上「とくじろう」が併用されている。ま、ここは「とくじら」と読みたい(笑)。

日光の街を過ぎ、R120は初体験の「いろは坂」。連続するカーブの番号が「いろは」になっている。
噴火による堰き止め湖が堆積してなった戦場ヶ原は平坦。騎馬戦の運動場が思い浮かんで妙(笑)。
湯ノ湖過ぎ、陽射しの中で小雪が舞って、標高国道第3位1840mの金精峠では雪が降る景色に。
木々の葉には着雪。金精峠と言ってもトンネルでの通過。4月25日に冬季閉鎖が解除されたばかり。
峠の先は群馬県片品村。標高が下がるにつれ霧雪と呼べる状態が霧雨になり、やがて雨も消えて。
尾瀬高校とか尾瀬の案内板とかがあって、沼田に到着。ここで、明朝に繋がったドジを踏んだ(笑)。

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「③車麩」
・・・2016.04.14

子供の頃の印象に新潟の車麩がある。父親が南魚沼の出で、(滅多にない)すき焼の具材だった。
その後、食した記憶はあるにはあるが、今回の新潟合宿で真っ先に思い浮かべたのが車麩ゲット。
道の駅の度に物色。生産者が違えば味も異うだろうと。結構嵩張って大荷物。重さはないけど(笑)。
車麩は会津にもあって、勿論購入。低カロリー高蛋白な食材ゆえ、ダアの健康保持に好ましい(笑)。
すき焼はそうそう食べない。で、検索したら車麩のレシピ1015品なるサイトを発見。楽しめそう(笑)。

新潟テニスの後では家までは無理。会津若松に宿泊。夜来の雨が上がった4日目は家を目指して。
何時もはトイレ休憩利用が多い道の駅。今回は先ずは物産コーナーへ。小規模だけど爆買い気分。
凍み豆腐・凍み大根は保存食からの連想。ゆべし、乾燥果実、チョコ味柿の種などダア定番の発想。
蕎麦用にしんは京都には及ばないだろうと思いつつ。アスパラガス、(ジャム用)苺の生ものまでも。
(因みに苺は傷んでしまうからと帰着後すぐにジャム作り。色は冴えないけれど、結構旨くて満足。)

往路・塩原の道の駅は桜が満開。3日しか経っていないのに復路は散り始め。昼飯時、蕎麦を食す。
とちおとめの微笑みに再会したくなって、又も1パックをペロリ。物産コーナーの かんぴょうに逡巡。
満杯の荷物の負担になる大きさではない。でも値段が・・ ここで突然、爆買いから堅実志向へ(笑)。
子供の頃の別の印象に栃木の かんぴょうがある。母親が宇都宮の出で、かんぴょうは身近な食材。
いなりずしに かんぴょうが巻かれてた。(大人になって食した それは巻かれていなくて違和を覚えた。)
作る母親の傍らで見ている(子供の)ダア。ひょいと手渡された かんぴょうは甘じょっぱく、懐かしい。
走り出して、父親の車麩はゲットしたのに、母親の かんぴょうは素通り。そのことが後ろめたかった。
で、かんぴょうを捜しながらの走行。何軒目かの芳賀町の道の駅で遭遇。こちらは少し安かった(笑)。

平地の、満開から散り始めの桜を愛でた同じ日に、山地のそれは鮮やかな明日を期待させてくれる。
桜の持つ美を体感した走行760kmの旅。戻った関東低山の新緑が鮮やか。で、次への期待が(笑)。

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「②痙攣」
・・・2016.04.12

2日目、眩しい陽射し穏やかな朝。雲一つない晴天、予報も良好。TVが昨日の桜と雪の新潟を言う。
街中を外れると積もったところもあって、桜の季節の降雪は、この地でも珍しいからこそのニュース。
待ち合わせの新潟市テニスコートへはGoogle マップによれば、いとも簡単に到達出来る筈だった。
国道7号、こいつが曲者。バイパス仕様になっていて、何だか高速道路モード。125cc以下通行禁止。
脇道から入ったからか、標識を見逃したのか、並走車や道端の雰囲気の違いで気付き、慌てて退散。
こうなると、要所要所のタブレットによる位置確認が必須。で、やっとのことで笑顔の仲間と会えた。

テニスは(3日目と合わせ)2日間とも晴天で、最高に楽しかったのだが、ここで新たな問題発覚した。
体力不足。もう3日目などはフラフラで集中力も完全欠落。前夜の懇親呑み会の影響だけじゃ無い。
ラケットの重さに負け、サーブもストロークもミス連発。筋肉が悲鳴を上げ、手首はゴキゴキ音がする。
バタンキューの夜中、両の太もも裏が攣って、のたうつ始末。押さえた太ももの筋肉痩せ衰えに愕然。
テニス(に限らずだけど)を楽しむには身体を鍛える必要がある。薄々気付いていたが、今回痛烈に。
さぼっているジムも心を入れ替えて通わなければ。家に閉じ込まらずに、少しは歩いたりも必要か。
今度の5月で大台に達する。枯れるのは仕方ない年齢とも思うけど、まだまだ楽しみたいよね(笑)。

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「① 新潟」
・・・2016.04.11

雨を控え最後のチャンスと言われた「隅田川・お花見屋形船」が先週。で、今週は「新潟お花見合宿」。
無理かと思われた週末も、各地で十分に花見が楽しめた模様。で、新潟への出発は明けての月曜日。
土浦からJRなら3時間の所要時間も、330kmを原チャリでは1日掛かりとなる。でも、それが楽しい(笑)。
テニスとバイクの二兎を追う、ダアの欲張り大作戦。新幹線で移動の仲間に先立ち、前日に新潟入り。
早朝の出発。天気は一転し曇り空、寒い。筑波山は雲の中。小雨がぱらつき桜はもう薄汚れている。
明け方のまどろみで寒さに震える走行イメージ。昨夜作った荷物も作り替え、下着は真冬バージョン。
それが地元で既に正解。登校の小学生の列も寒さに俯く。真新しいランドセルはピッカピカの1年生。

二宮で朝食の握り飯。開店準備の道の駅、とちおとめ(苺)が魅力的。でも、忙しい店員に断られ(笑)。
真岡で雲が薄くなり、宇都宮では明るい陽射し、花たちが輝く。路面が直前までの降雨を示している。
トイレに寄った塩原の道の駅。とちおとめが微笑んでいて、迷わず購入。1パックをペロリ、美味(笑)。
塩原過ぎて会津への山越え、気温がどんどん下がり3℃。と、季節はずれの白い羽虫が舞っている。
羽虫と思ったのが、雪。高度と共にそれは増し、ヘルメットのフードに左手ワイパーが大活躍(笑)。
峠を越えて下り道、陽光に舞う雪の中。天気雨ならぬ天気雪、記憶にないから初めての体験かも。
会津盆地は磐梯山へ横風吹き荒れ、気を抜くと反対車線に流されそう。で、桜もおちおち楽しめない。
信号左折で風が正面になると、ホッとした気分に。向かい風の走行って普段は嫌なんだけどね(笑)。
新潟への山越えは雨。初日は雪や雨に祟られて・・・ 楽なことばかりじゃ無いと、人生を感じて(笑)。

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「酷道」
・・・2016.03.24

紀伊半島を突端まで南下(国道371)する旅番組を見たことがある。(午後の再放送帯だったような。)
寸断(未開通)部があるとかで、歩きで峠超えをしていたが、先回りした撮影クルーの存在を感じた。
で、Googleマップを拡大すると、直線5kmの寸断部を くねくね15kmの迂回路があるではないか(笑)。
ダアの全国走破は、和歌山は北部・紀の川沿いをかすめた程度。紀伊半島は未踏の趣き。興味津々。

実体験では、松本から軽井沢への県道67の扉峠超え。長い間、土砂崩れによる通行止めが継続中。
(標識に従い)よもぎこば林道で迂回したのだが、快適だったし、土砂崩れの道は廃道の運命かも。
奈良から三重への国道25(名阪国道)は脇道から故か、自動車専用標識が無かった(気付かず?)。
それと気付いた時は、高速道路かのように疾走するダンプの風圧が怖かった。慌てて下道へ避難。
帰ってマップを見ると、纏わり付くように同じ一般国道25が走っている(笑)。で、後日再挑戦もした。
この一般国道25は、採石場の専用道路まがいの区間があって、2桁酷道としての誉れが高い由(笑)。
竜飛岬の階段国道339は、迂回することが前提の観光ネタ? チャリとかなら担いで通行できるけど。

で、世の中、例えば「酷道マニア」なる存在があるようで、色々読むと面白い。酷道は国道の もじり。
名だたる観光地には興味を持てないダアは、この手の人たちと同じDNAを持って居るのかも知れない。
昨秋のバイク走では、名古屋から寸断2箇所の国道152ルートを考えた。当然、迂回路も確認した上。
その時は実現出来なかったが、桜の花が咲く頃になって、またぞろ「酷道」の虫が騒ぎ出してきた(笑)。
・・例年、6月中旬過ぎまで雪による冬季封鎖で通れない国道352は、新潟県から福島県に抜ける酷道。
パソコンを前にあれこれ考えるのは楽しい。芭蕉の「夢は枯野をかけ廻る」が過ぎったりするけど(笑)。

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「吟遊」
・・・2015.12.01

7歳でテニスを始め、8歳で原チャリ日本一周。戯れの10の位省略は意図不明、まるでお馬鹿(笑)。
で、9歳のこの冬はギター歌いに挑戦。昔から吟遊に憧れていて、今までは踏み出す暇が無かった。
吟遊と言っても、ギターと共に旅をして自然の中で歌う程度の意。バイクに積むのも、ありかなと(笑)。

で、埃を被った昔のギターは枯れ果てて、歌ってくれなかった。時の移ろいに愕然、天国に送った。
夢を諦め、暫くたった頃「それ」に出会った。ネットを徘徊していて偶然目にしたのが、バックパッカー
何と、あのマーチンの製品。バックパッカーのネーミングが示すそのままの仕様。強い衝撃を受けた。
(因みに、テクの優れた動画は多くあったが、リンクしたものがダアの抱くイメージに一番近かった。)
あれこれ検索し(思いが募り)実物を見てみようと出掛けたお茶の水・クロサワ楽器店。盛夏のこと。
昔からこんな時にはお茶の水。で、見るだけの積りがここでまた衝動買い。死ななきゃ治らない(笑)。

今まで音叉でチューニングしていたものを、電子式があったので購入。時代は確実に変わっている。
この言い回しBob Dylan「The time they are A-Changin」を思い出す。音楽脳への僅かな変化?(笑)。
ツーリングシーズンも終わったしボチボチと練習を開始しようかと。10歳で吟遊旅行が目標です(笑)。

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「那覇」
・・・2015.11.20

沖縄那覇に行ってきた。テニス仲間10人程の旅行。楽しかったテニスではなく、ここでは別の話題を。
オフに、ひとり国際通り辺りを散策。国際通りは暑くて人が溢れてた。周りの小さな通りに味がある。
(原チャリ旅の4月に気に入った)「紅(びん)や」のTシャツは、肌触りが独特。他に類のない優れもの。
オリオンビール柄が楽しいのだが、今回は琉球「泡盛」柄も合わせてゲット。って、酒ばっかりじゃ(笑)。

萩で萩焼のマグカップを購入して以来、あちこちで焼物をみるようになった。勿論、日用品の範疇。
で、平和通りでビビッと惹かれる「それ」に出会った。並んでいる中で「それ→赤絵魚文」は一客のみ。
となると同様なものを探して彷徨い始めるのがダアの性分。似たものはあるが「それ」は見つからない。
平和通りの先に壺屋焼の店が並んだ一角があったな。思い出した頃には、足が棒になっていた(笑)。
4月原チャリ旅は平和通り終点の安宿。何度も通った場所なのに、今日に結び付かないプアな頭脳。
で、店舗を一つ一つ覗いて歩く。壺屋焼物博物館(休館日)もあったりして、かなり核心に近付いた感。
まだ店舗が続くY字路に「清正陶器店舗工房」の看板。その先は店舗街を外れて草の生えた登り道。
何となく誘われて脇道(20m位だけれど)を進むと、その店。ガラス戸を開け踏み入れて、立ち尽くす。
店の中は「それ」「それ」「それ」・・で溢れていた。何と、突然核心の地に足を踏み入れてしまったのだ。
ビビッとの作者は(清正さん長男で後継の)小橋川卓史さん。接客してくれたのは卓史さんの奥さん。
出してくれたアイスコーヒーも赤絵魚文のタンブラー。あれこれ会話が弾んで、あっと言う間の1時間。
マグカップ2つを選んで上機嫌でホテルに。で、机に並べて眺めていたら、ふつふつと感情が湧いて・・
再度出掛けて結局タンブラー・湯呑(ロックに使う)など4客を追加。またもダア怒涛の衝動買い(笑)。
2度目には作者の卓史さん、(1度目で話題の)高1長男くん(沖縄1の長身バスケット選手)とも会えた。

夜は皆で食事。国際通りの沖縄民謡居酒屋。隣席は北海道からのグループ。若い男女が生歌で。
男の方が「次は父が作った曲」と言っていたし、C Dの宣伝もしていたから、それなりの歌手なのかも。
でもダア的には低評価。女声の高音部が上がり切らず耳障り。他の客は盛り上がってたけど(笑)。
次の店で(4月の宿題)二見情話の話をしたら、選曲してくれた。練習不足と言いながらも歌う(笑)。
やっぱり歌うのが一番。BEGINとかの沖縄歌で楽しんでたら、隣の若者がリクエストして良いかと。
一番好きだと言う「イラヨイ月夜浜」、流石は地元。ダアも大好きな歌、二つ返事で真面目に歌う(笑)。
それが会話の切っ掛けに。エイサーと言えば、盆に踊り歌いながら練り歩くものとのイメージがある。
太鼓のリズムが印象的だが、彼の故郷では音の無い状態で踊られて、それがとても神秘的なのだと。
その時は(太鼓も歌も囃子も無い)全くの無音の中、ゆったり繰り広げられる群舞が思い浮かんだ。
調べると「手踊りのみのエイサー」は、本島北部にいくつか存在しているようで、エイサーの古い形。
本当はどうなんだろう。もっと話を聞きたいけれど、今となっては何処の誰だか分からない(笑)。

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「福島②」
・・・2015.11.14

帰還困難区域を迂回するルートは、事前に調べておいた。が、何でもない普通の道に誘われて進入。
その時は何も思わなかったが、「除染作業中」の「のぼり旗」が林立する地域があって、作業員多数。
トラックの運転手も含め一様にマスク姿。でも作業服は普通に見えた。一般住民の姿は見えなかった。
作業員や運転手は視線は寄越すが表情に変化はない。来てはいけない場所だったかとチラッと思う。
移転したと思われる学校の敷地は草ぼうぼう。居住放棄したのだろうか民家には解体予定の張り紙。
脇道まで網羅した通行規制は難しい。近くの道は交通もあった。のぼり旗に注目すべきなのだろう。
(造成作業に見えた)扇状地の連なる段々水田も、流出堆積した汚染土の除去作業だったのだろう。
落ち葉を掻き集めているかの手作業もあった。小型油圧ショベルの補助で除染フレコンを持つ作業員。
のぼり旗は各所に立っていた。近くの道路には一般車が走っていて、実際にダアはそこを走ってきた。

帰還困難区域の迂回路に入る前に、ガソリンスタンドが見つからなかった。山間部で心もとなくなる。
川内村でスタンドに遭遇。小母ちゃん曰く「大変だったけど、このあたりは住めるからまだ良い方」だと。
帰還困難区域では動物の侵入などもあって、滅茶苦茶になっているとのこと。重たいものが心に沈む。
何時だって苦しむのは庶民。想定外などとうそぶいて欲しくないよね。簡単には言えないことだけれど。
いわき辺りの海岸線を走った時には、大規模な(三陸走破時での既視感ある)土木工事が目立った。
大掛かりな除染作業もしかり。言い過ぎかも知れないが、雇用の創出になっている事が何だか空しい。
福島で(原発を含む)大震災を感じようとした試みは、言い知れぬ心の泥濘に嵌り込んでしまった・・

今回の走行900km。8℃9℃の気温が耐え難かった。昨春の西日本では氷点下も体験したのに(笑)。
当然かも知れないが、ライダーは少なかった。(季節を変えて)気ままに走ってみたくなるような田舎道。
で、早めに着いた宿はスーパー銭湯。冷え切った体も天然温泉で極楽極楽。仮眠室はベッドで熟睡。
飯坂温泉近くにフルーツラインなるものがあって、気になる存在。この季節はリンゴが美味しいらしい。
家庭用なら量り売りをと勧められ、1kg350円を3,4kgと。1000円の支払いに4kg超。嬉しい勘違い(笑)。

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「福島①」
・・・2015.11.13

寒さで閉じ籠る前に、日光山岳部の日塩道路か、途中寸断もある長野伊那谷の国道152を考えた。
懇意にしているバイク屋の親父によると、11月に入ったら山間部は避けた方が良いと。で、福島へ。
昨夏の東北一周ツーリング。三陸海岸の余りに巨大な津波の爪痕に、言葉を失い打ちのめされた。
その時、(被災3県の1)福島は原発事故で大きな迂回を余儀なくされ、海岸線を走るのを断念した。

愛車カブのチェーンがゴリゴリと鳴るので、代えて貰った。で、100km走行した後に、再調整をすると。
行くともなしに走って着いたのが、先の鬼怒川決壊の常総市。鬼怒川沿いを行くと侵入禁止の標識。
復旧工事に伴い、地元車以外は入るなと。右折し堤防を離れると、すぐに小さな左折道が目に入る。
そこは砂地の空き地だった。大きめのグラウンド程度の広さ。舗装の道路が残り、進むことが出来た。
と、TVで観た決壊堤防の補修が真新しく、例の四角い白い家も目の前。崩壊した家や転覆した車も。
向こうに人が現れ視線を寄越す。何だか気まずい思いに駆られ、逃げるようにその場所から離れた。
草も無く、砂の流れた跡だけが目立ったのはその場所だけ。(水の引いた)周辺部は普通に見えた。
原チャリは、その機動性が災いすることもある。チェーンの100kmチェックは合格。力強さが戻った。

福島の通行規制情報はネットで調べることが出来る。車走行可になったR6は、二輪は走行出来ない。
で、行ける所までと北上。電光掲示板が何度も二輪通行不可を告げる。あと6kmで通行禁止の掲示。
富岡町に入っている。福島第2原発の案内表示。事故は第1だけど、核心部突入。ここらが潮時か。
道脇の大きな電光掲示板に「帰還困難区域、二輪車通行できません。」とあったのを機に、Uターン。
因みに、ネットには警備員に制止されるまで行った人の記録。警備員さんに会いたかったような(笑)。

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「②竹富島」
・・・2015.11.02

竹富島には行くとして、石垣島でどうするかは漠然とした思いだった。地元に深く入れ込める筈もない。
着いて最初の夜、原チャリで回ってみようと思い付き、検索するとホテル近くにレンタルのバイク屋。
朝、行ってみると予約一杯で空車なし。明日なら予約可能とのことで、この日は竹富島へ行く事に。
(ホテルに戻り)観光案内で(レンタル自転車とのセットで)チケット購入。港への送迎バスは乗客3人。
が、港も船も竹富島も観光客だらけ。竹富島へは高速船でアッと言う間。安里屋ユンタゆかりの地。
島のほとんどが隆起珊瑚礁で出来た平坦な島。レンタル自転車屋も納得。水牛車がのんびりと進む。
小父さん生歌の三線も魅力的だったがスルー。「竹富島で会いましょう」を生歌しながらコンドイ浜へ。
 
 ♪ 夕日待つ様な赤瓦 恋を伝えるミンサー帯 誰を待ちましょコンドイ浜で 浅い眠りで夢の中
    サーツンダラカヌシャマ マタハーリヌ 竹富島で会いましょう

「なごみの塔」も狭過ぎて(順番待ちが嫌で)スルー。島の最高所、急ぐ訳でも無かったのにと後悔も。
石垣島に戻って、送迎バスに乗らずに歩く。「海人(Tシャツ)発祥の店」があって、流石に海人だらけ。
アーケード街に流れるのはBIGIN「昔かいしゃ今かいしゃ」。他にも好きな曲が流れ、歌いながら歩く。
マンゴージュースに誘われて入店。これがメチャ美味。オジー手作りとか言われて黒糖菓子まで購入。

明けて、原チャリに乗る日。明日の予約を打診すると昼までならOKと。1泊でレンタル。思い切り安い。
車種がスクーターで勝手が違う。左足でギアーを、右足でブレーキを踏んだ積りが、当然空振り(笑)。
天候なのか季節なのか、思ったよりも海はコバルト色が薄かった。でも、やっぱり走り回るのは楽しい。
石垣島は沖縄本島北部(ヤンバル)に似た赤い土質。雨による流出で白いサンゴの浜を汚染してそう。
「わ」ナンバーの車が多い。とくれば勿論「おもろまちで拾った恋だもの」を歌いながらの走行だ(笑)。

 ♪  カーナビ見ながら 列をなす 右折車線の「わ」ナンバー
   免税店か郷土料理 それとも美術館 軽便 鉄道や まーかいが
    じんとよ なちかさや だけど今でも離れられない
   おもろまち おもろまち おもろまちで拾った 恋だもの

で、住宅街を歩いていて、「ゆ」ナンバーが多いような気がした。数えたら10軒も続いて駐車してる。
検索すると、他にも気になった人は居たようで、YAHOO!知恵袋にこんな回答が寄せられていた。

  石垣島では、自家用白ナンバーは 2桁が「ろ」、3桁は「さ~」
  軽四輪黄色ナンバーは 2桁も3桁も「ゆ」となります。

同輩の存在に心和むけど、(初の石垣行なのに)寄せる関心が「何か変」なのは否めないかも(笑)。

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「①石垣島」
・・・2015.11.01

BIGINの歌を聴くたび、彼らが育まれた石垣島に思いを馳せた。あの歌はどうして生まれたのだろう。
(島の辿った歴史、気候風土、芸能盛んな土地柄、その要因と思われるものはネットで散見できる。)
今回、初めて石垣島を訪れた。正味3日の滞在。間違いなく通りすがりの観光客。でも心が残った。
津軽を原チャリで走った時も、四季を体験する位は滞在したいと思った。深く知るのに、それ位は必要。

空路石垣へ。ホテルへのタクシー運転手、姓が「上地」。BIGINと同じですねに、笑みを返してくれる。
ビュッフェの夕食が結構イケた。飲み放題で上機嫌。と、ロビーから何やら三線の音が響いてくる。
「ゆいぐくる(人の心が結ばれ助け合うの意)ライブ」。毎晩行われているようで、4泊で3晩も楽しんだ。
ライブ背景の壁に見覚えがある。You tubeで沖縄歌を探していて、「やいま」が歌われていた場所。
宮城衛(作者)本人も最後の晩に出演。「リクエストは?」に「やいま」と言ったら微妙な雰囲気に(笑)。
ライブを聞けなかった晩は、地元の居酒屋で飲食。地元ダイビングショップの店員と客に混じって。
客だけで無く店員も全て他所出身。石垣(沖縄)の魅力を示す一端。観光が大きな産業の地なのだ。
ショップ店員が勧めてくれる料理は、どれも抜群に美味い。泡盛を所望すれば、請福が一番だと言う。
で、石垣島初上陸の記念に「請福VINTAGE」を土産に。楽しむには、やはり地元の力が必須だね(笑)。

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「⑦460km」
・・・2015.10.10

京都の眼鏡研究社に行けば今回の旅は目的達成。京都から名古屋へは今までとは違う道を選んだ。
結構平坦で交通量の少ない経路。信楽焼の巨大狸に遭遇。マグカップを物色するも、今一つの感が。
R421の石槫(いしぐれ)トンネル4157mは、長さゆえ後ろに付かれのが嫌。迫る車は皆無で無事通過。
平野部に入り長良川・木曽川を超え、愛西市。ハスの産地のよう。道の駅でラーメン食す。名古屋泊。

名古屋を出て富士山麓(泊)経由を予定していた。ところが明日の予報は雨。佐久での難儀が蘇る。
早朝出発ならば遅くなっても着ける。地元なら暗くなっても迷わない。で、当日中の帰着を一大決心。
長野にはR153か、よりローカル度の高いR152を考えていたが、次回挑戦とし、R19(木曽路)を北上。
雨が近いせいか朝からモヤって山は見えない。急ぐ木曽路は路面しか見ていない。塩尻でR20に。
ビーナスラインに繋がる旧道を行きたい気分も新和田トンネル選択、50円。大した峠もなく群馬入り。
埼玉に入る頃にはモヤが濃くなり視界数百メートル。利根川を渡る頃には陽が落ちどっぷり闇の中。
かつて、同様に暗くなった茨城路。知った道とshort cutしたら新設道に惑わされ、迷路に嵌った気分。
今回は名古屋からの大挑戦につき、古河からはR354を王道走。これが正解。標識は王様向け(笑)。
途中、水海道有料道路(水海道大橋)も逃れず通過。と、係員は居るのに誰も料金を払っていない。
調べると、鬼怒川決壊に伴う期間限定の無料。もっとも軽車両20円だから今後は利用するかも(笑)。

名古屋を出たのが朝の6時、家に着いたのが夜の20時。(新記録の)460km走行に14時間を要した。
今回のツーリングは(雨から逃れて)出発を1日早めたら、結果雨に遭遇。早めなければ晴れだった。
で、(雨を避けて)帰着を1日早めたら、雨に濡れなかった。雨に対して1勝1敗。って勝ち敗けかい(笑)。

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「⑥京都」
・・・2015.10.08

北陸に別れを告げ、眼鏡目当ての京都に向かう。福井の朝も無風快晴。制服登校の小学生の列。
初めて小学生の制服姿を見たのは出張時の福井。その後、余所でも見たが違和を感じる関東育ち。
国道を離れた通勤時の県道は激しく渋滞。標識もなくウロウロ。R8に入ればスイスイと。トラック多い。
敦賀を過ぎてR161へ。途端に交通量が減る。昨年の中日本ツーリングでは、ここらで雨に降られた。
大津で、京都への標識を見付け迷わず山へ突入。越えて最初が大原の里。♪京都~大原三千院。
「星の駅」の標識。「・・の駅」も各種見たが、これは初めて。行ってみると「里の駅」。眼鏡屋必須(笑)。
採れたて野菜が幾種類も並んでいて、駐車場は殆ど京都ナンバー。この「駅」の普段が見て取れる。

大原から高野川沿いの道は渓谷に近い。それが瞬く間に鴨川となり、大京都に。まるで早送り(笑)。
先斗町バイク駐車場は最高の立地。新京極は至近。眼鏡研究社は何時行っても楽しく興奮する。
持参した眼鏡も「だいぶ歪んでますね」と言って直してくれる。新たに銀縁眼鏡とレンズ2組をゲット。
宿は四条大橋近くのカプセルホテル。先斗町駐車場とセットで再度訪れてみたい。観光拠点に最高。
朝食のおばんざいが出色。設備も凝っていてロッカールームまで畳敷き。連泊してる観光客が居た。
京都に行ったら外せない(四条大橋脇の)元祖・松葉屋本店「にしんそば」は、今回は食せなかった。
宿も近いし、「にしん」だけでも買って帰る選択肢もあったのだが、ある思いが脳裏を過ぎったのだ。
金沢・近江町市場で「にしん」を大量購入。何より安かったし、(前回の購入で)味も遜色ない筈だと。
それが本家を前に自信を無くす。帰着後に両者を食べ比べた結果、大量購入を後悔したら嫌だなと。
(後日談)近江町市場の「にしん」は美味かった。松葉本店の「にしん」は最近食べてないけど(笑)。

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「⑤福井」
・・・2015.10.07

金沢から福井への移動。海岸線を中心にのんびり走ってみようかと。無風快晴、地平線に僅かな雲。
初日に雨で苦しんだことなどすっかり忘れ「最高」を連発。日本の渚百選の標識で浜に出たりして。
で、「最高」が「最高、コーサイ」「最高、コーサイ、堪能じゃ」「サイン、コサイン、タンジェント」に(笑)。
松井秀樹ベースボールミュージアムに出会って、入場せずに証拠写真。整美の小父さんと目が合う。
走り出してから、作業衣小父さんの目・鼻・頬が誰かに似ていたと。松井秀樹本人・・ まさかね(笑)。
安宅の関は勧進帳の舞台。10時になって、地平線に居た雲たちが上空高くに移動したように思えて。
夜(無風下)地表近くに沈んだ雲が、陽光で暖められた空気に乗って上空に。あるのか無いのか(笑)。
そんなことを考えていたら、「そうだ永平寺に行こう。」と突然に。父や母の法事は曹洞宗の坊さんが。
大本山が永平寺。(念のため調べたら、大本山はもう一つあって鶴見の總持寺。育った川崎の隣町)。

永平寺は小さな門前街。駐車無料に誘われ食事処へ。セット割引のゴマ豆腐がめちゃ美味かった。
東尋坊にも行ってみる気になった。芦原温泉は田んぼの中。強い向かい風が吹き付ける田んぼ道。
東尋坊は駐車場必須のロケーション。駐車場に入ると「隅っこならタダでいいよ」と係りの小父さん。
昔、福井テクノポートにある工場に出張した。宿は芦原温泉で、仕事の合間に東尋坊を観光した。
その時は断崖絶壁に思えた東尋坊。齢を重ねた目には小さく見えた。でも落ちたら死ぬよね(笑)。

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「④白川郷」
・・・2015.10.06

七尾のスーパー銭湯は人が少なく静かで快適。輪島を目指して朝6時に出発。風なく気温表示9℃。
朝市が開く8時前には到着。有料駐車場を避けて、近くの岸壁に無料の駐車スペースを見付ける。
朝市は婆ちゃん手作りの素朴商品もあったが、野菜と魚介が中心。売り込みの声は少し興ざめ。
海鮮丼の看板は朝食に高過ぎるのでパス。能登の西海岸を北上。海に向かう千枚田。塩街道最高。
珠洲市に入って揚げ浜塩田。「まれ」桶作が作業した塩田も。半島をぐるりと回って軍艦島(見附島)。
立山連峰は未だに眺められず、流石にフラストレーション。午後は風が吹いてきた。宿は七尾に連泊。

明けて薄暗い出発、白川郷を目指す。コンビニでコーヒー軽食。すっかり明るくなって、寒くはない。
富山湾岸を南下。最後のチャンスなのに、どこまでも立山連峰は姿を見せない。再訪しろってか(笑)。
世界遺産「白川郷・五箇山合掌造り集落」は、岐阜県白川村萩町、富山県平村相倉、上平村菅沼。
菅沼集落では有料駐車場の婆ちゃんと視線が合うもUターン。R156から俯瞰して、行った気分に。
「この先、川を渡るごとに県境が変わります。」の標識。富山・岐阜が交互に訪れて何とも妙な気分。
地図で確認したら何のことはない。蛇行した川を道路が貫いているだけ。でも通行時は不思議な気分。
萩町集落は道路も通っていて最大。集落に入り込んで走り回るダア。観光客多数の散策を尻目(笑)。
R156を戻って金沢に向かう。R304に入ってすぐに相倉集落。分岐を入って突き当たりが駐車場。
キョロキョロしてると係員が現れて100円徴収された。ゆっくり歩いて鑑賞出来たので良しとする(笑)。
昼時だったので合掌茶屋なるところで食事。五箇山とうふ(縄で縛って持てる硬さ)が美味かった。

金沢の宿は大きなスーパー銭湯。人も多くて、多彩な出店。ものまねトークショーまで行われていた。
がさつな地声・最悪歌声がレストスペースにまで響く。(松本)ゴスペルとは絶望的な違い。寝る(笑)。

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「③七尾」
・・・2015.10.04

逆からの安房峠は面白かった。6℃。途中、山歩き目的の車が多数停まっているのは前も見た景色。
知らない道を走るよりも、通った道を走る方が気分は楽。前回見た焼岳の噴煙は場所さえ分からない。
富山までは高山・飛騨を通らずに、より近いルートを選択。結果、カミオカンデの旧神岡町を通った。
富山湾岸の海王丸パークで昼食、白えび定食1500円。評判の新湊漁協女性部食堂は見付けられず。

宿泊は小矢部市公共施設。広い館内に夕食は一人。大きな風呂に溢れる湯。翌朝食は家族が一組。
昨夕にBBQの中学生団体が来てたけど、民間だったら経営が成り立たないかも。大切に守りましょ。
明け方雨の音。目覚めは眼前グラウンドの少年野球の掛け声。曇り空、売りの立山連峰は見えない。
選手16人が準備体操、大人14人が(トンボ掛けなどの)準備をしている。太めの熟年は監督だろうか。
遠景の田園から浮き上がったグラウンドは、まるで舞台のよう。部屋から見下ろすダアは、貴賓席。
始まった打撃練習は、ファールに配置された大人まで居て独特な雰囲気。下村ファイヤーズの横断幕。
やがて小さな妹弟を連れた母親の一団(弁当なのか大きな荷物を抱えて)登場。で、見物はここまで。

富山湾岸沿いに七尾を目指す。氷見から海越しの立山連峰を期待していたが、山は霞んで見えない。
能登食祭市場でイカの丸焼きチョイス。割り箸に簡易ナイフを渡され、ナイフ右手に箸左手で???。
能登島を一周。ひょっこり温泉、ガラス美術館、のとじま水族館などがガイド本に載っていた(笑)。

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「②松本」
・・・2015.10.03

雨を恐れた扉峠超えだったが、雨雲は去っていた。前日中に距離を稼いでいたので楽な走行日程。
のんびりと峠へ向かう。初めて走る県道は、枯葉とひび割れが印象の寂れた路面。展望も開けない。
あっけなく扉峠着。峠の先の(土砂崩れによる)通行止めは解消されておらず、迂回の林道を降りる。
松本市内を見下ろすワイナリー(レストラン有)。昼飯時、満席を言うバイト男子の気分を害する口調。
別棟のワイン売り場に人の波が。付いて行くと、小父さん小母さんたちが試飲で盛り上がっている。
で、(運転中だし、口に含むだけの)テイスティングの積りだった。何種類もあるそれはどれもが美味。
で、吐き出す場所を探している間に自然と喉超え。美味しいワインはワイン自ら喉を超えて行く(笑)。
オープンスペースのテーブルで蕎麦を食す。立ち食いに毛が生えた程度なのに、流石は信州の蕎麦。
山に囲まれた松本。突き当たるまで行ってみようと走ってみる。あちこちでリンゴの収穫をしていた。
リンゴの木は作業性の良い枝垂れ仕様。集落を突っ切り、道が途絶えた斜面。そこにもリンゴ畑が。

宿はリピートの格安旅館。繰り出した四柱神社はこの夜も縁日。出店では子供たちの笑顔が眩しい。
と、衝撃的な歌声 ♪Oh Maria(おお マリア)、胸がドキンと鳴る。何だこれは、ただ事ではないぞ。
雑踏の向こうで、コンサートが行われていた。映画「天使にラブソングを」から「Hail Holy Queen」。
歌声から想像すら出来なかったのは(神楽殿の)ステージ上の男女邦人7人。年はかなり若く見える。
パイプ椅子の聴衆は100人程度。年配も交じって身体を揺すっている。取り囲む立ち見では踊る人も。
ステージ右奥にミキサーが見え隠れ。続いて「天使にラブソングを2」から「Joyful Joyful」。涙が滲む。
予期せず出会った1時間のライブは旅の醍醐味。聴衆後ろのテントにもミキサー。紛れもない本物。
歌っていたのは「SEVEN BOJA」。ググるとそれなりに活躍している本格的なゴスペル系グループ。

朝、ロビーに東南アジア系男女多数。ワゴン車でスーッと立ち去る。カブは片隅に挟まれ身動き不能。
身支度していると、(西洋系イケメン)革ジャンが現れて大型バイクを移動。スペースを作ってくれる。
笑顔で「大きい」とカブの荷台箱を指さす。曖昧な笑顔を返すダアは、又しても言葉を発せない(笑)。
もやっていて視界は200m。雲はない模様、山は見えない。7時、陽射しを感じると一気に視界が開ける。
遠くの信号まで見渡せるようになって、(暗転から一転)照明の入った舞台のよう。主役はダアか(笑)。

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 「①雨」
・・・2015.10.02

立山連峰を眺め、能登半島を巡り、京都の眼鏡研究社に行く。それを主目的に出発予定が10月2日。
台風21号崩れを巻き込んだ低気圧の発達で、全国的に風雨が強まる・・ TVの予報に迷いが生じる。
2日は松本までの旅程。雨中の山越えに不安を覚える。で、前日(1日)中に行ける所まで行こうかと。
1日はテニススクールの日。会費の無駄が嫌なので、練習を済ませて出発11時。薄日が射していた。

鬼怒川決壊から3週間。常総市内は景色がくすんで見えて、微かに土の臭い。利根川過ぎて雨粒。
高崎に入ると乾いた道路。でも楽しみの山容は霞んで見えない。碓氷峠バイパスは雨も無く快調に。
群馬県内に適当な宿が無く、佐久までの旅程を考えた。これが誤算。軽井沢で雨が降り出し、11℃。
暗くなった佐久で宿に行き付けない。雨粒がヘルメットの風防に付き、対向車のライトに真珠の輝き。
頼みのタブレット(Google Maps)も雨中の操作には難がある。辿り着いたスーパー銭湯は、天国の趣。

雨予報の2日は快晴の朝。この日の出発なら雨に会わなかったことになる。結果論だけどね(笑)。

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「富山」
・・・2015.06.22

梅雨晴れに誘われカブに跨ってみた。外へ出ようと思う活性が鈍った此の頃。枯れる寸前かも(笑)。
(紙一重の事故もあり得る)生身の緊張は心に負担大。公共交通に身を委ねる気楽さが頭をよぎる。
で、行き先を定めず気儘に曲がる走りが何とも楽しい。知った街も別の顔を見せ、違った花が咲く。
億劫さもあった出発が何時しかルンルン気分。大まかに目指した筑波山方面、トンネルを抜けた信号。
何処へ続くか気になっていた左折道は、すぐに木々に囲まれた山道に。チャリダーが大勢行き来する。
帰ってから調べると、筑波山の南に位置する丘陵地帯。広い下道があるので車で通る理由がない。
そう言えば、チャリダー向けの看板もあった。週末だったし、恰好のサイクリングコースだったと言う訳。
出会ったチャリダーは殆どが最近の装備。で、ダアは普段着での原チャリ乗り。無意味な対比(笑)。
チャリオに跨る火野正平も最近とは無縁の格好。去年宗谷岬で出会ったカブ乗りも普段着だった(笑)。

外の空気を吸うと(ボケ休眠状態だった)脳が動き出すから不思議(笑)。で、「次は」に思いを馳せる。
押入れで埃を被ってたギターの2台はネックが反って弦高5mm超。剥がれなどもあって歌わない。
何しろ40年超の弦張りっぱなし放置(笑)。かろうじて外見をクリアーした3台目は、調弦さえ儘ならない。
何れにしても左指先を固めた後の挑戦(秋以降)となろうが、挫折してカラオケ主体になる公算大(笑)。

全国走破では(風景を楽しみもせず)文字通り通過しただけの県が幾つか(山形・和歌山・佐賀など)。
富山もその一つ。海沿いの8号国道を南下していて、ふと眺めた立山連峰が強烈に印象に残っている。
で、今夏は長野の山地巡りと合わせて、立山連峰を眺めての気儘な旅(+能登半島)をしてみようかと。
宿は当日の昼に決めて(帯広で遭遇したライダーから得たノウハウ)。考えると脳が活性化する(笑)。

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「原点」
・・・2015.06.08

いよいよ関東も梅雨入り宣言がなされたが、梅雨に入る前にと伊豆半島・富士裾野を走って来た。
全国走破を終えて、原点回帰をしたくなったのだ。原点とは遥か過ぎる大昔、高校3年の夏休み。
部活も引退し、有り余る自由な時間。(今で言う)ママチャリに飯盒や簡易テントを積んでの伊豆半島。
台風襲来で撤収した伊東の浜辺。公衆トイレに逃げ込んで、新聞紙を重ね着して寒さに耐えたっけ。
学校行事で映画鑑賞をした時代。で、「伊豆の踊子」(1963年)で見た吉永小百合を思った修善寺。
沢で釣り糸を垂らす中学生の、その餌が飯粒。話し掛けると、受け答えが朴訥で土地の匂いがして・・
それが(春の入学前教育で、その地方から入学した)後輩の新入生を彷彿させて。そんなことまで蘇る。
♪青い海を見つめて伊豆の山蔭に・・ (エリカの花散るとき1963年)と歌った大瀬崎への道。
途中で味噌を買い、びゃくしんの根元に張ったテントで、湯に溶いただけなのに最高に美味だった。
初めての冒険旅行。幾つものシーンが、その後の人生に少なからず影響を与えたような気がする。
で、数日して家に帰ったら母親の曰く「何処へ行ってたの」。計画も何も、話さずに出発していた(笑)。

原点に戻ると言っても、今回は知人のログハウス(上九一色村)を拠点に、原チャリと寝袋の旅。
で、セピア色の記憶は色鮮やかに上書きされてしまったが、そのことに寂しさを感じるのが何とも妙。
富士の裾野は何かに付けて通ることはあっても、しっかりと見たことは無かった。ダア的には穴場。
白糸の滝では入口まで行ったが、駐車料金の表示を見てUターン。この癖は簡単には治らない(笑)。
これではいけないと富嶽風穴、鳴沢氷穴、いやしの里根場、忍野八海などでは財布を取り出して(笑)。
中国系が大勢。まあ、見なければ分からなかった事が分かった意義はあったし、それなりに楽しめた。
で、その後の走行で樹海の中の「それら」に想いを馳せられるようになったのが最大の収穫かと(笑)。

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「次は」
・・・2015.05.25

誕生日を跨がない1年間で47都道府県全てを走破する。そんな目標を立てて、そして遣り終えた。
全国走破を全国制覇と言ってみたりして、その辺りに無謀なこの目論見の根っこがあった気がする。
かつてバド指導をライフワークなどと嘯いたことがある。頓挫した果ての、その代償行為だったのかと。
で、誕生日も過ぎ、「次は」何をしようかと。テニスは面白くなって来たし、原チャリで走るのも捨て難い。
今回の全国走破、その土地に因んで色々と口ずさんだ。上機嫌だったり、眠気覚ましだったり(笑)。
実は心密かな思いがある。ギターを持って野山で歌いたい。バドを選ばなかったら音楽をやっていた。

若い頃、ギターを抱えフォークソングを歌ってた。反戦歌だったり社会派の曲だったり。当時のはやり。
今思うと、何も分かっていないのに酔いしれて歌っていたダア。懐かしくもあり、面映ゆくもある(笑)。
で、全国走破も終盤を迎えた頃、ふと当時のレパートリーを口ずさんでいた。心に「次は」があった。

「さとうきび畑」は、沖縄の地を走りながら「この場所でダアごときが歌って良いのか」と自問しながら・・
 https://www.youtube.com/watch?v=xJL_7gRv2k8 (夏川りみ)
「死んだ男の残したものは」も、沖縄で。先の戦争で亡くなった幾多の人々に想いを馳せたら・・
 https://www.youtube.com/watch?v=Nore8aph9m4 (小室等)
「死んだ女の子」は、原爆ドームを遠望した印象が残っていたのか・・
 https://www.youtube.com/watch?v=LMSnpEEBn9s (高石友也)
「お父帰れや」は、青森を走っていた時に「津軽平野」から繋がって・・
 https://www.youtube.com/watch?v=lGXfGy-onbE (岡林信康)
「もずが枯れ木で」は、どこだったか忘れたけど里の景色の穏やかさに・・
 https://www.youtube.com/watch?v=gCM4Z5Qii54 (岡林信康)

で、これは全国走破の一コマ。宗谷岬でカブ乗り(スーパーカブでツーリングする人)に初めて会った。
千葉からの中年。初遭遇に興奮するダア。と、カブ乗りは結構居て、ギターを積んでる人も居たと。
これが一つのインプット。で、原チャリにラケットとギターを積んで旅に出る。って、殆ど理解不能(笑)。

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「沖縄歌」
・・・2015.05.16

その人が「二見情話」を歌い終えて、「良い歌でしょ。覚えて下さい。」と言った時は正直戸惑った。
沖縄の酒場。沖縄歌が溢れ、ダアもBEGINや夏川りみを歌ってせめてもの対抗。でも勝てない(笑)。
(バドをしていると言う)その隣客が一緒に歌ってくれた「ユガフ島」も肝心なところで上手くハモれない。
そして彼の「二見情話」。簡単でしょと言われたが、歌詞だけでなくメロディーさえも耳に馴染まない。
全国走破ツーリングで行った沖縄の夜のこと。(歌を覚えてと言われたのは初めてじゃないけれど。)

沖縄歌を歌ってみようとYouTubeを徘徊。BEGINや夏川りみにも(ダアが)知らなかった曲があった。
で、幾つかの候補曲をリストアップ。三線だけで歌う昔からの民謡は(残念ながら)ハードルが高そう。
「やいま(八重山)」(宮城衛)、「芭蕉布」「てぃんさぐぬ花」(共に歌唱・夏川りみ)などが心に残った。
「パーマ屋ゆんた」(BEGIN)は別格。♪なんでー のサビの部分では、何度聞いても涙が滲む(笑)。
歌詞もだが、栄昇に3度と5度と重なるハーモニーが泣ける。因みにダアは5度のハモが似合う(笑)。

さて問題は「二見情話」。何べん聞いても歌詞(ウチナーグチ)もメロディーも頭に入らない。どうしよう。
挑戦すべく選んだのは、玉城一美・山内たけしの男女掛合いバージョン。他にもあったがこれが一番。
1945年、二見の収容所で村長をしていた照屋朝敏が首里に帰れることになった時に作詩・作曲した曲。

 二見の美しい娘は心清らか、海山の眺めは他所に勝っている。
 二見村の嫁にはなりたいが、辺野古崎の坂の上り下りは大変だ。
 逢ったのは辺野古、語ったのは東喜、恋して通ったのは美しい二見。
 待ち兼ねていた首里への帰還だが、旅立つ時は別れ難い。
 行くよ、行ってきなさいと交わす言葉は、どうして心の内に思いを残すのか。
 戦争の悲しみは何時か忘れられるだろうが、忘れられないのは美しい二見。(意訳)

沖縄で人気の歌。「五木の子守唄」と似ていて、二つの曲を混ぜて歌うパフォーマンスまであると。
で、「五木」と聞き比べると、(哀愁のある)曲調は似ていてもメロディーが似ていると到底思えない。
ところが不思議。五木の子守唄を口ずさんだ後に聞くと、二見情話がすんなりと耳に入ってくる。
これで沖縄で会ったバドする隣客にも聞いて貰えそうだが、問題は何処の誰だか分からない(笑)。

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「達成」
・・・2015.04.20

誕生日を跨がない1年間で全国47都道府県を走破。乗るのはスーパーカブ。無謀とも思える挑戦。
今回新たに走ったのは、四国4県・中国3県・九州7県・沖縄の15県。4,600km、26日間の旅。
(因みに、47都道府県走破には14,100km、79日間を要した。よくやるよと嘲笑が聞こえる。)
最後は鹿児島から茨城まで陸路の北帰行。帰着してから今日で1週間。遥か昔のことに感じる。

見どころは殆ど素通り。走り抜けるだけの旅程。動機が動機。走り抜けるだけで十分満足だった。
反面、達成後の大分からの道程はモチベーション低下が否めない。兎に角無事にが、心の支え。
次に走るとしたら、今度はゆっくり走りたい。大まかを頭に、ふと気になった角を曲がってみる・・
どんな場所にも素敵な出会いが待っている。ダアが好むのは景色よりも、人との心の触れ合い。

BEGINの曲に心開き、それを育んだ沖縄に思いを寄せていた。今回の走破では忘れてたけれど。
北海道・東北・中部と走った3回の挑戦では、帰って1週間位は魂抜け状態でボーッとしていた。
今回は次の日から歌三昧。初めて踏んだ沖縄の地。でも行っただけの現実。何も見れてない。
もっと眺めたい、もっと感じたい。(BEGINだけじゃなく、心に沁みる歌が沢山ある)歌ってみたい。

で、東北を回った後には、出来れば1年、最低でも1か月は暮らしてみたいなどと口走っていた。
沖縄は幾つもの島々があるし、1年でも足りないなんて言い出しそうな・・ そんな気もする(笑)。

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「⑨帰着」
・・・2015.04.13

福山から大阪へ。天気に恵まれたけど、もし荒天だったら悪くて(力尽きて)遭難、良くて泣きベソ。
R2の奴、自動車専用区間が多過ぎる。google mapsは、高速道路や有料道路を排斥してくれるが、
無料の自動車専用区間は認識しない。予定した区間が(125cc以下のバイク)通れずに路頭に迷う。
旧道が寄り添うのは稀。殆どが生命力を試すフィールドとなる。270kmの走行に11時間を要した。
それでも通天閣に着いたら(大阪で外せない)岩おこしを買って、もう忘れてる(笑)。串カツを食す。

大阪から名古屋は、前回避けたR25での鈴鹿超え。終日雨だったが、ここの旧道は終始好意的(笑)。
ライダー仕様のレインスーツが以外と役に立たないとの実感。ホームセンターのカッパの方が上かも。

名古屋の朝は雨が上がってた。このまま降るなと念じる。R19を北上、幸いにも雨は降らなかった。
木曽路はやたらと宿場があった。(御嶽が眺望出来る)木曽福島の道の駅で栃の実大福を食す。
運転で頭を使うせいか普段より(脳のエネルギー源の)甘い物を欲する。御嶽は雲に隠れて見えない。
格好の椅子があったので軽いレム睡眠。と、雲が流れて御嶽が姿を現わす。未だ帰れぬ人が居る。
暫しの休息後はハンドルも快調。脳に与えた栄養と休息のどちらが効果大だったかは不明(笑)。

嵌った筈の信州路も、山地じゃないと面白くない。冬季封鎖の道もあり、今回は冒険を避け穏便な道。
この辺りに来ると東京まで何kmの標識があり、(明日の天気は下り坂)このまま直帰もチラッと頭に。
で、ホテルキャンセル料をケチって前橋泊。最終夜だし、少し呑もうかと街に出て、寂しげな店に(笑)。
客は居ない。暫くすると消え入りそうな小母さん来店。昨夜も来たそうで、歌うのが生き甲斐の様子。

雨の振り出しから逃れようと、前橋を早朝に出る。が、筑波山辺りで捕まり、家までの1時間は雨走行。
トイレ休憩に寄った栃木の道の駅。(開店前で)生産者が農産物の運び入れ。覗いたら入れてくれた。
「俺の作ったイチゴ。熟したのを摘んで来たから美味いよ。」小父さんの笑顔に釣られて2パック購入。
家に着いて(熟したイチゴも美味かったが)、何故か濃い~汁の天ぷら蕎麦が懐かしかった(笑)。

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「⑧11:17」
・・・2015.04.08

鹿児島空港駐車場でドキッ。シートと車体が薄汚れて、(荷物箱の留めが外れ)掛けた筈の錠が無い。
何があった(悪戯?盗難?)。原因は、桜島の火山灰と、出発時に遅れて焦った錠の掛け忘れ(笑)。
荷物は無事で一安心。で、鹿児島空港へのアクセスも大変だったが、鹿児島から宮崎へも苦労した。
原因は、ここでも自動車道。雨具着用と、さあ一路茨城への強気が災いしてgoogle mapsを疎かに。
同じ道を往復したり、何時の間にか熊本へ向かっていたりで、90kmの見積もりを倍の180kmも走行。
雨模様で迷い込んだ山中。路上にヘビ(雨中で見たのは初めて)やサワガニが居たりしたのはご愛嬌
結局、急がば回れで宮崎到着。地鶏が名物とかで、もも焼きを。細かく包丁が入り、炭火焼きで黒い。

その日の朝は、ふくらはぎが攣る痛さで目が覚めた。予報は芳しく無かったが、雨は降ってない。
大分への山越えで雨になったが、呆気なく大分県境の標識に到達。時計に目をやると11時17分。
全国走破達成と感慨に浸りたいところだが、デジタルなので時分は兎も角、せわしなく秒が進む。
まるでその事が、既に過去であることを暗示しているかのよう。宿は別府に取り、温泉で湯ったりと。
さあ祝杯でもと服装も気取って(那覇で買った)かりゆしウエア。朝の天気予報も高めを示してたし。
でもそれは昼間のこと。半袖で歩くのはダアひとり。寒さに戻って、結局祝杯は部屋呑みに(笑)。

萩を宿泊地に選んだのは、40年以上前に訪れ、その時買いそびれた萩焼きを買うのが目的。
素敵な街並みは当時感じたまま。UNIQLOやマックの看板が暗い色使い。そんな所にも気遣い。
萩から福山に向かう朝は晴れて、空気が凛としていた。入学式に向かう1年生がピカピカに輝いて。
(昔、仕事で行った福井もそうだったが)この辺りの小学生は学生服。関東育ちのダアには目新しい。
広島への山越えがやけに寒い。スキー場が点在し残雪も。広島には三次・広島・福山と3泊もした。
ここで問題。(素通りも多い中)日本一周で最も多く宿泊したのは何処でしょう? 答え:北海道(笑)。

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「⑦二見情話」
・・・2015.04.05

本部を後にし東部海岸を南下、辺野古を通過。工事の海を遠望。基地前に多数の抗議をする人たち。
何も出来ないダアは、バツの悪い思いでソロソロと( 視線を寄越す人も)。名護市内でも抗議の集会。

海中道路は長い橋。渡った島から次の島にも橋が架かり、春休みの中学生が飛び降りて遊んでた。
小さなビーチでは家族連れが水遊び。透明な海は幼児が入れる暖かさ。穏やかな景色に暫しの休息。
沖縄は3日間で580kmを走った。停まると暑いので、沖縄の風を体感することを優先。で、時折停車。
琉球最高の聖域との斎場御嶽も、観光地に感じてしまうダアの貧しさ。祭祀に心を馳せれば違ったか。
ひめゆりの塔は観光客多数、土産物屋の客引きが鬱陶しい。ガイド説明の如何にも口調が耳に入る。
近くにあった健児之搭にも寄ってみた。戦争犠牲の沖縄師範の学生らを祀る場所。人っ子1人居ない。
土産物屋はとっくに廃業。ひめゆりとの差異に違和感を覚えた。帰ってからググると悲惨な歴史が。

沖縄酒場は沖縄歌で大賑わい。ダアはBEGINや夏川りみで対抗したが、圧倒的な沖縄歌の前に完敗。
で、「二見情話」を覚えてくるようにと宿題まで出されてしまった(笑)。朝の4時まで呑む沖縄も体験。
因みに二見情話に辺野古が歌われいて「ふぃぬこ」と発声。宿題はウチナーグチ。悲しく美しい旋律。
7時に目が覚めた次の朝は、今回唯一バイクに乗らない日。で、かすれた頭で土産を仕入れに(笑)。
Tシャツ以外にも(沖縄初上陸の記念に)かりゆしシャツを買おうかと。で、予算の倍額なのに3着も。
酒場で隣りだった客が経営する店(フレンチ)で夕食。ガイド本には載っていない様子、地元客のみ。
睦まじい老夫婦、小父さんたちは海の匂い、沖縄顔の若者たち、小母ちゃんグループがうるさい位に。
沖縄最終夜も呑んで歌う積りが、流石に1杯で退散。朝まで呑んでの連荘って昔は出来たのに(笑)。

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「⑥沖縄」
・・・2015.04.02

空を一っ飛びで那覇へ。暑くてTシャツ1枚に。昼食にソーキそばを食す。見た目うどん、歯応え蕎麦。
塩入りソフトクリームが旨かった。入り組んだ商店街が懐かしい。宿は国際通りに近いゲストハウス。
晴れて欲しかった3つ目が沖縄。5泊ゆえ雨は避けられないとの覚悟が、何と完璧なる晴天の日々。
四万十・しまなみ・沖縄と晴れ男完全試合。普段から真面目に謙虚に暮らして来た賜物と感謝(笑)。

朝、歩いてバイク屋へ。荷物が重くて息が上がるも、終わらない試練は無いなどとと呟いてみる(笑)。
(ダアが乗ってるスーパーカブの)110プロは無くて110をレンタル。少しふら付いたが、すぐ慣れる。
苦難の後の、風を切る爽快。コバルトブルーの海が美しい。初夏の体感。手首が赤く日焼けしてた。
橋を渡って島を徘徊したり、(防風林の)ふくぎの林に踏み込んだりで、非名勝地を巡るダア的観光。
北部を走る拠点に本部のゲストハウス。鮮魚を売る店はあったが、晩飯が食える店探しにひと苦労。

朝、海岸線を北上。歌は自然と吉幾三の「海峡」 ♪私昔からそうでした。北へ行こうと決めていた。
で、ヤンバルクイナは聞いたことがあったけど、ヤンバルが沖縄北部を指す言葉とは知らなかった。
道の駅でコーヒーブレイク。油菓子が売られているのを見て、何時の間にか曲は「うりずんの頃」に。
♪母恋し 筆便り 潮の香 仄薫る 小包(つつみ)開け 懐かしい 手作り 油菓子(詩・曲 永井龍雲)
沖縄最北端に祖国復帰闘争碑。流れる雲が本土に向かっていると思えたのは、感傷的過ぎたかも。
岬からの戻り、海を眺め林道を走りで楽しんだ。北部山地は南部平地とは違った地質、何と赤い土。
で、やたらとあった「ヤンバルクイナ飛び出し注意」の標識は、ここでしか見れない観光スポット(笑)。

本部2泊目はバイクを走らせ食堂探し。と、港近くに蕎麦屋を発見、天ぷら蕎麦を食う。発想が貧困。
ゲストハウスを1ヶ月手伝うのは内地の学生。沖縄に嵌って、三線買って、弾いてて、聴けない(笑)。
宿の名は「なんで家ねん」、主は大阪人。(他にも遭遇したし)沖縄病患者は、かなり居る模様(笑)。

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「⑤鹿児島」
・・・2015.03.31

長崎では10人部屋のドミトリー。外国人が多い。下り坂の予報で心配したが、朝には雨は上がってた。
路面やバイクが濡れて、結構降ったよう。熊本へgoogle maps任せのコースは、昨日と(逆の)重複が。
同じを認識出来ない馬鹿。昨日より一段と暖かく、氷点下走行に耐えた重ね着は1枚また1枚と(笑)。
で、コース重複は悪い事ばかりでは無く、前日逃して後悔した「むつごろうランド」に行くことが出来た。
ただの漁港だったが、むつごろうはピョコピョコ跳ねて、愛らしく一目惚れ。何だか誰かに似ている(笑)。
熊本城は満開間近のサクラ。酒宴客も繰り出して、春爛漫。ダアはグルリと一周して気分だけの花見。
街はお祭りなのか沢山の人が出て、あちらこちらで踊りのパフォーマンス。くまもんTシャツをゲット。
晩飯はワインに馬刺し(レバー、タテガミ含む)、馬すき焼き。とても旨かったし、とても高かった(笑)。

熊本の朝、アーケード街は足早に通勤する人と、(夜を明かして)また明日ねと別れる若者とが混在。
鹿児島への途中、甘夏発祥の地との道の駅。試食が美味かった。で、水俣の道の駅でも食べまくる。
柑橘類を何種類も(生産者毎に)試食出来て(ドラ焼きや各種ジュースもあって)昼食の替わりに(笑)。
流石に気が引けてシュークリームとコーヒーを金を払って。近くの水俣病資料館には行くべきだった。

鹿児島ではネット情報で、みょうばん温泉へ。レトロ(古いだけか)な浴室、3段に流れ落ちる熱い温泉。
ぬるくなる3段目入浴が殆ど。年配者が2段目に何人か居て、1段目は年寄りが(短時間に)1人だけ。
ダアは、1段目に挑戦。熱さがジーンと沁みてきて、恐山温泉・薬研温泉を思い出す。これが悪かった。
バイクを駐輪、宿に向かう。ビルの谷間に(夕陽を受けて)真っ赤に輝く桜島。その壮大さに息を飲む。

晩飯は黒豚を。初の鹿児島、少し呑もうと天文館へ。(ご当地)長渕を歌ったら、皆で手拍子してくれた。
と、突然寒気が。熱い温泉に入り、汗を掻いて風を切ったし、蓄積した疲れも関係しているのだろう。
風邪引き前のまだ戻れる状態。早々に帰って薬と就寝。ドミトリーは若者で温暖加湿、朝には生還。
朝の桜島は霞んで並みの景色。鹿児島空港へは35km。楽勝の筈が空港近くで125cc通行止め。
大回りで焦って到着。チケットはコンビニ払い、手続き分からずウロウロ。電話でヘルプ、大慌て(笑)。

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「④九州へ」
・・・2015.03.28

原爆ドームは修復工事中で、がっかりの眺め。昔、大会で行った時のお好み焼きは駅近手軽な食堂。
今回は本場本物を。八丁堀は八昌、観光客で一杯。で、焼くのに待たされ、食べるに大き過ぎ(笑)。

関門トンネルを目差したR2。岩国で渋滞のイライラ。と、子供の頃、本でよく見た錦帯橋の案内板が。
寄り道したら、ダア的に滅多に無いイイネ!連発。お陰で戻った2号もスイスイと。関係ないか(笑)。
流れ橋(京都)沈下橋(四万十)と見てきた増水対策。ここのは太鼓腹状態に上方へ逃れてて面白い。
一桁国道は車に快適でも、バイクには単調で苦痛も。山陽小野田で天然温泉みちしおの看板あり。
駐車場にズラーッと並ぶトラック&トレーラー、30台以上。トラック運転手が多く休憩に使うのだろうか。
風呂は普通にスーパー銭湯。すっかり、リフレッシュ。トラック運転手は休憩(仮眠)でもしているのか。

関門トンネル3461mは難なく通過。トンネル慣れもあるが、白い壁が効果大。平衡が取り易かった。
初めての小倉は、やや猥雑な印象。目覚めは重い身体。駐輪場の小父さんとの会話に癒される。
佐賀路は20℃を越えるポカポカ陽気。サクラもかなり開いて来たが、主役はまだ黄色の菜の花。
道端に吉野ヶ里饅頭の看板。遺跡じゃないのかよと突っ込んでみるが、返しは無い。当然か(笑)。

長崎では今回初めて使った局留め(ゆうパック)による荷物(着替え)の入れ替え。結構大変だった。
駅前自転車置き場に紛れて駐輪。見覚えのある構内で(所望されていた)カステラを購入。同包する。
ふらりと入った酒場はカラオケで大盛り上がり。さだや前川など長崎関連が多い。ダアもさだで挑戦。
「精霊流し」を歌い最後に「風に立つライオン」を歌ったら、これを歌った人は初めてだと言われた(笑)。

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「③氷の山」
・・・2015.03.26

四万十川を楽しんで愛媛入り、宿は松山に。カツオたたき、刺身、塩辛などと共に地酒を楽しむ。
普段のダアは日本酒とは縁遠いが、酒を呑めとの天の声。何種類かの呑み比べ。美味かった。
道後温泉を調べたら、宿から4km・朝6時からの営業。5時起きして入浴。まあ、話の種に(笑)。

松山から今治への山越え。路面一杯に長く続く細かい立て筋、スリップ防止。何とも走りにくい。
タイヤの細いカブはハンドルを取られてしまう。他所にもあるが、ここまで徹底したのは初めて。
手足が冷たく、ふと現われた温度表示は(初体験の)0℃。この山道はスリップの名所のよう。
幸運なことに、連日の好天で路面は乾いていた。濡れて(氷結して)いたら、頓挫は間違いない。

瀬戸内海を渡れる(唯一の)しまなみ海道。晴れて欲しかった二つ目のこの橋は、最高級の晴れ。
島伝いに島内を巡りながら渡って行く。チャリダーが大勢居て、この橋が愛されているのを物語る。
尾道は素通りして、三次まで足を延ばす。中国地方山間部の質素な街、明日の島根走破の布石。
ホテルの施設を転用した、事務机まである個室カプセル。20種超の朝食バイキング、格安2980円。

島根は山沿いをかする程度の走行を考えていたが、松江まで100kmの標識を見て行く気になった。
広島の山間部は寒いとの情報あり。下5枚、上8枚の重ね着。道路の表示は-1℃、新記録樹立(笑)。
日陰には霜があった。暖かくなったと感じて2℃、7℃の時は何故か「北風と太陽」の話を思ってた。
因みに日中の最高は13℃、汗ばむ陽気(笑)。宍道湖にぶつかり(左折して)出雲大社に行先を変更。
40年以上振りの再訪。しめ縄は、もっと巨大な印象を持っていた。人出多い門前で出雲そばを食す。
三次から島根経由で広島まで285kmの走行。途中、石見銀山まで2kmの看板、一瞬迷ったがスルー。
で、山間部走行にガソリン不足のミス。時折あるのは民家のみ。エンジンがパスパス言って江の川。
と、そこに神のガソリンスタンド。人懐っこい店主夫妻が、石見銀山に行かないのが信じられないと。
もし寄ってたら、ガス欠で4kmの押し歩きです(笑)。後日通った広島の山間部にはスキー場と残雪。
 (後日とは、4月8日萩から福山へ向かった時のこと。タイトルに合わせここに記述。)

瀬戸内って温暖気候のイメージだけど、それを挟む四国山地と中国山地は氷の山。勉強になる(笑)。

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「② 四万十」
・・・2015.03.24

徳島から高知へ向かう。土佐〇〇とかの地名や看板がやたら目に付く。知らぬ間に高知入りしてた。
初めて踏み込む高知なので、その瞬間を意識したかったけれど、県境を示す標識は見なかった。
で、勝手な解釈を楽しむ。これは土佐の恣意的な行為。威嚇して高知と表示させないのだと(笑)。
♪土佐の高知のはりまや橋で・・ は、そこのところを穏便に歌ってる(笑)。着いて、はりまや橋に。
ダアは、かんざしではなく「おはぎ」を買うた。元々嫌いじゃないけど、無性に甘いものを欲するのだ。
夜はネットで見つけた葉牡丹と言う居酒屋へ。週日なのに滅茶苦茶混んでて、観光客が多かった。

朝、高知城をチラッとみて四万十市を目指す。気温は9℃、晴れて日差しは暖かい。南国土佐だ。
やたらと歩き遍路を追い越す。ガソリンスタンドで、空海による霊場開創から1200年の節目と聞く。
須崎の道の駅。カツオ試食が美味い。買えば良かったと後悔。120円コーヒーで会話を楽しむ。
R56は快適そのもの。適度なアップダウン、快適なスラローム、海あり山あり、何より車が少ない。
陽とともに気温は上昇。昼時の道の駅、カツオたたきの実演。ハンバーガーセットを食らうバカ(笑)。

長期の旅ゆえ雨は覚悟していたが、今回の旅程で最も晴れて欲しかった場所の一つが四万十川。
で、好天に上機嫌なダアは自然と鼻歌が。♪僕が生まれた・・ それが四万十のタ~カラ~(笑)。

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「① 屋島」
・・・2015.03.22

(このシリーズは、3月19日から4月13日に行った四国・中国・九州・沖縄ツーリングを書いてます。)

四国入りは東京・徳島のフェリーを使った。19:30出航だが、芳しくない天気予報に昼には出発。
晴海に近づいて小雨が降ってきた。面倒くさがっていたら結構濡れて、こまめの雨具着用をと反省。
途中見たライダーには着用者も居たし、防風衣として着用すれば良いものを、習慣が無かった。
フェリー待合の椅子に干し、2段ベッドだった船室で干して実害は避けられたが、また一つ知恵が。
食事は自販機のみで、酒類は販売してない。前日にあった船会社からの電話に、あれこれ想像。
酒の販売は販売機の故障と考えたが、税務署の許可が出るまでの措置との予想外の張り紙。
幾つか食べたが(以前行った徳島で食べれなかった)徳島ラーメンを食す。カップ麵につき170円。

四国では歩き遍路と多く出会った。内なるものに対峙しているかの様な表情に心惹かれた。
香川を走る朝、床の中で屋島に行こうと思い立つ。昨春に小豆島から眺めた影響かも知れない。
R11を高松へ。トイレ休憩の道の駅が津田の松原。後日、松原は見るべき名勝だったと言われた。
屋島ドライブウェイは、まさかの(125cc)通行止め。登れば姿は楽しめないと無理矢理納得(笑)。
高松からはコースを変えて山越え。で、道を間違え山の中。出会ったのは車1台原チャリ1台。
瀬戸内海と(中央構造線を真っ直ぐ流れる)吉野川に挟まれた狭い山。遭難は無いと楽観してた。
切り立った崖の道を進み何とか峠へ。と、何やら生活の臭い。ゆばりする爺さんが絵画のよう。
と、骨折れ黒傘の自転車男がゆらゆらと。日差しの中、これは何かのパフォーマンスなのだろうか。
上りも下りも人の気配なしの山道が続き、そこだけ家があったあの峠。一体何だったのか(笑)。

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「試走」
・・・2015.03.13

誕生日を跨がない1年間で全国47都道府県を走破。何時しかそんな達成目標にすり替っていた。
若い日の青森サイクリング行挫折の話題「再挑戦」から始まったダアの(この)「アフターな日々」。
原付2種の免許を取得し、昨年6月から北海道と岡山・鳥取以東の本州、32都道府県を走り抜けた。
文字通り走り抜けただけの県もあったが、それなりに達成感も残っている。で、残すは全国走破達成。
冬は充電期間を取ったが来週には出発し、4月までには残り15県を走破する。で、5月が誕生日(笑)。

徳島まではフェリー。四国1周の後、しまなみ海道経由で中国入り、中国3県の後は関門トンネル。
九州は長崎・熊本周りで鹿児島へ。鹿児島から沖縄は空路往復。沖縄では110ccカブをレンタルする。
最後は鹿児島から宮崎・大分で全国走破達成。そのまま陸路で自宅まで凱旋走行と言う算段(笑)。

全26日間の旅立ちの前に、冬季休眠からの目覚めと、季節感体験に房総半島300kmを走ってみた。
早朝6時の出発。道端の気温表示は2℃、ダウン着用で凌げたが手足防寒などの必要性を認識。
とりあえず目指したのは吉永小百合「ふしぎな岬の物語」明鐘岬。岬のカフェでコーヒーを注文。
小さな店は、知れてしまった場所にありがちな雰囲気。客は小母さん多数。富岡製紙場の話題も。
勝浦から成田を経ての1日走行。今回の旅程は最大280km、平均190kmなので良い慣らしとなった。

旅の頼りはタブレットによるgoogle maps。昨年の走行でも威力を発揮したが、今回はとんだトラブル。
バージョンアップで操作が若干違っていて、意図しないナビゲーション作動。気付いた時には電池切れ寸前。
隣県ゆえの土地勘と太陽の位置で事なきを得たが、これが本番だったら迷子確実だったね(笑)。

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「土産」
・・・2014.12.16

今回の十勝行では3日間の練習を終えたのち、数日の観光(漠然と釧路湿原&知床半島)を考えて居た。
宿を釧路に取り、帰りの便の手配も済ませていたのだが、調べると観光シーズンは終えてしまった模様。
ならば、未体験・別海のジャンボホタテバーガー(withジョッキ牛乳)を食す旅も面白かろうと思っていた。
それが、ひょんなことから追加でバドをすることになって、ホテルをキャンセル。+3日の体育館バド漬けに。

学校のある昼間はあちこちブラブラと。世界で唯一とかのばんえい競馬場(競馬は休み)へも行ってみた。
デパ地下の食品売り場。ドライフルーツのカップ詰め放題に遭遇。ヨーグルトのトッピング用にと挑戦。
大きめ小さめを組み合わせて隙間を埋める工夫をした積りが、周囲を見回して愕然。目が点になる。
4人居たオバサン、カップと蓋の間が5cmも開いている。係りの兄さん、それにセロテープを渡している。
で、男の力で押し込め・淵から上にはこぼれない大粒を乗せろと助言をくれる。う~ん勉強になる(笑)。
少なからずカルチャーショックを受けて歩いていたら、聞き覚えある声。衆議院選挙の期間だったのだ。
帯広駅前に大勢の人。現役総理大臣がマイクを握っていた。感じることもあったが、ここでは触れない。
ただ、ドライフルーツ詰め放題の方がダア的には重要に思えて、再挑戦をすべく足は藤丸に向いていた。

池田町高島の「しなだ商店」。田舎の小さな店だが品揃えが良くて土産(トバなど)を調達したりする。
今回遭遇したのが「十勝ワインヌーボ」。淡い赤色に興奮してしまい、6本箱詰めで購入してしまった(笑)。
店の小父さん小母さんの味わいある風情。トバだけでなく軽く味見を勧められたアカシア蜂蜜までも。
定番の六花亭・柳月もゲット。釧路和商市場では空港バスを待つ間の駆け込みで干物とトロロ昆布など。
何のことはない。今回も土産品ゲットツアーと化した十勝行とはなったのだった(笑)。

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「後悔」
・・・2014.12.15

久し振りにバド中心の遠出をした。北海道Y先生からの電話に一瞬戸惑ったが、深く考えないことに。
バドを離れて1年超、もはや薄れつつあるバド脳が、久しぶりの刺激に何を感じるか興味もあった。
で、その夜にバドの夢を見た。何やら指導をしていて、それも自身で身体を動かして・・・妙(笑)。
始めて1年になるテニス(結構楽しい)の影響か、スポーツは身体を動かしてこそだと無用な夢判断(笑)。
ところが最初の3日間で(ラケットは使えたけど)全身くたくた、あちこち筋肉痛、歩くことさえ気合が必要。
テニスと言っても月に4度の計6時間。興味薄れでジム通いも半減し全身の筋肉が枯れ細っている実感。
まざまざと現実を思い知らされたのが最大の収穫(?)。時の流れに委ねるのも良し、抗うも良しか(笑)。

放課後の体育館で練習を待っていると、引退した3年生が挨拶に来てくれた。1年生の時から見ている。
巣立って行くのだと思うと、何もしてやれなかったとの感傷が。実際、何もしてやれなかったのだけれど。
現チームは異なった雰囲気を持つ。個としてではなく全体の底に流れるものが違って居るようで興味深い。

かつてダアは都度最新の考えを持ち込んだ。時に細か過ぎた感は否めないが、己の確認の意もあった。
思い出しながら行うバドは居心地が悪かった。が、(細部が消えて)より普遍性が生じたかも知れない。
で、「どんなに攻撃されても、その全てをカバーするフットワークがあれば勝利は自ずからやってくる。」
唯一とも言える拠り所が本意で伝わっていなかったことが悔やまれた。
突き詰めてこそ意味があるのに。
で、練習最後の挨拶で「ダアの選手たちはフットワークだけで日本一になりました。」と言ってみた。
と、帰りを待つ間に選手Nが「ダアさんの所ではフットワークの練習しかしないのですか?」と聞いてきた。
所謂フットワーク練習だけでなく、羽根打ちでも(ゲームの中でさえも)練習出来ると諭したのだが、
長く係わった十勝で、最も伝えなければならなかったことを伝え切れなかった後悔だけが残った。

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「③大弛峠」
・・・2014.10.25

早朝に出立。日の出前の太陽に富士の陰が天空に伸びる。日の出はダイヤモンド富士に成らない場所。
富士スカイラインは延々とした登り。追い抜くチャリダーを心で応援。樹間走は斜めに差す陽光が穏やか。
終点近くで視界が開ける。つづら折りの坂道、景色を見る余裕は無い。時折、下りの車・バイクが現れる。
道の脇に(へばりつく様に)駐車スペースが幾つもあって、少し広めの終点到着。人や車やバイクで満杯。
見上げる富士山は、富士山に見えない。遠望してこその富士の美しさ。登山口に立つと、足元は火山礫。
手を伸ばせば届きそうな頂上、5時間かかるとの案内板。登山禁止にも登る人あり。どこまで登るのか。

富士スカイライン(車で行ける日本最高所2380m)走破で、富士スバルライン終点2305mは醒めた気分に。
GoogleMapsで調べると大弛峠(標高1位峠2365m)まで120km余り。まだ朝8時を少し回った時刻。
大弛峠へは長く長く続く登り。木々の間を縫うような穏やかな道。峠に近づくと路肩に駐車する車が多数。
小さな頂上は、車やバイクや人で溢れ、山歩き姿も多かった。県境から先の砂利道を目の当たりにする。
そのまま砂利道を長野県側に下りたい衝動もあった。が、宿を河口湖町と定めて居たので思い留まる。

次の朝、(三大峠も既に走破したので)予定を早めて帰途に着く。明日の天気予報が悪かったこともある。
山梨県道71号は青木ヶ原樹海の中。緩やかなカーブが続く。俯瞰出来ず、樹海は想像の中だけに(笑)。
国道139号に入って、溶岩樹形まで50mの案内。流れた溶岩に巻き込まれた大木の跡。穴が開いている。
辺りは溶岩ごつごつで魅力的。足場悪く、落ち葉で落とし穴が待っている気がして引き返す。賢明な策(笑)。

大弛(おおだるみ)峠2365mに似た名に、大垂水(おおたるみ)峠292mが。国道20号、帰途に通った。
標高は低いがこの大垂水峠、前日だったらダアは通り抜けることが出来なかった。まるで極め付けの難所。
実は、土日と祝日は125cc以下通行禁止。僅か3..5kmの区間なのに(何でだろう。ネットで苦言も散見)。
月曜日だったので通れたのだが、知らずに遭遇したらダアはどうしたろ。強行突破は無いと思うけど(笑)。

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「②麦草峠」
・・・2014.10.24

松本手前でトイレ休憩。身支度をしているとスクーター小父さんが寄って来て「阿○って何処ですか?」。
日帰りツーリングの帰途らしい。問われるままに松本泊と答え、先を急ぐ。と、小父さん追い付いて・・
市内は一方通行が多いので宿まで案内すると。好意に甘える。お蔭で宿に一発到着。親切な人が居る。

「松本バックパッカーズ」は日本民家を転用。背の高い西洋系男子が笑顔で迎え。予期せぬ事態に驚く。
茶の間には先客の西洋系中年女性と東洋系青年。「日本語しか分からない」と宣言のダア。馬鹿な対応。
アイルランド出身の宿主人がダアを紹介してくれたが、固まったままの2人。青年は相部屋、挽回を図る。
声を掛けると「ハイ」と。でも後が続かない。窮したダアの「come from?」に、青年が「マレーシア」と答える。
呑んで帰ると部屋では2人が寝ていた。宿の性格上、朝が早い。薄暗い中、1人が出発。ダアも身支度。
残った1人も起きたので、「(室内灯を)付けて良いか」と聞く。確認の為にスイッチ紐を指すと、彼が引く。
布団の位置から第3の男と思っていたが、灯りが付いたらマレーシア青年。点灯を指示した形になった。
バツの悪い気分でいると、彼が「オ・ガ・ム、イイデスカ」と。ダアの「?」に、スマホで「拝」の文字を示す。
布団をどけて背筋を伸ばし真剣な顔。その正面近くに位置するダアは、タブレットを持って部屋を退散。
茶の間では西洋系女性が食パンとインスタントコーヒーで朝食のよう。沈黙しか術がない。情けない。
で、タブレットでコースを確認していると、朝の礼拝を終えたマレーシア青年が入って来て、女性に一言。
女性に表情が浮かぶ。ダアには「nice to meet you.」と聞こえたのだが、それって初対面時の言葉じゃ?
で、調べてみると、初めて会った人との別れ際が「nice meeting you.( お会いできてよかったです)」とか。
日本語しか分からないと宣言するようなダアだから、しっかりヒアリング出来なかったのだろう。情けない。
昔、和英辞典を手に海外旅行をした友人が居たけど、そんなことを思い出させる印象的な出来事だった。

で、麦草峠への道は小春日和。木々に包まれた国道299号は穏やかで、あっけ無い2127m地点となった。
宿は河口湖町にある知人の別荘。富士山が圧倒的な雄大さで迫ってきた。やはり富士山は別格だ。
で、タイトルの「②麦草峠」は本文と合致してないかも。無理に三大峠にしなくても良さそうなのにね(笑)。

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「①渋峠」
・・・2014.10.23

行って来ました標高三大峠。標高1位大弛(おおだるみ)峠 2365m。標高2位(国道1位)渋峠 2172m。
標高3位(国道2位)麦草峠2127m。そして、車で行ける日本最高所の富士スバルライン終点2380m。
全国走破チャレンジ中のスピンオフ。4泊1200km。良い季節に再挑戦したいと思った。寒かったのだ(笑)。

テニスを終えた午後に前橋まで。駅前ビジネス旅館。従業員は腰の曲がった婆さんと半分眠った爺さん。
朝、GoogleMapsで渋峠への山寄りルート選択。行くと軽井沢までは前回の中日本走と同じ国道18号。
地図上で同じ道だと気付かない。ダアはこの辺のセンスが欠落。浅間山麓の通行しか頭に無かった(笑)。
前回、碓氷峠はバイパスを通った。で、今回は何となく敬遠。一瞬、バイパスが自動車専用かと勘違い。
が、旧道の碓氷峠は正解だった。カーブの多い登り道が楽しい。カーブ184を曲がると、そこは軽井沢。
延々と登った高原だから夏には避暑地なのだ。自転車少年がネックウォーマー。浅間山麓で9℃の標示。
国道292号は草津温泉を通って高所へ進む。白根山で作業員が防毒マスク。硫化水素臭。駐停車禁止。
木の無い稜線を走る感じ。強風に煽られ、寒さで戦意喪失。やっとの思いで国道最高地点の碑に辿り付く。

松本まで高所を通る予定が、山を下りて長野経由に変更。最初の下り道に逃避行。樹間の走行が穏やか。
万座温泉に出くわした。硫化水素臭に駐停車禁止がここにも。その後も樹間を走る県道。誰も通らない。
ようやく須坂の街中に。変哲もない街並みが、何だか温かく嬉しく感じる。ロイヤルホストで遅めの昼食。

 ♪ 草津よいとこ 一度はおいで ドッコイショ お湯の中にも コリャ 花が咲くよ チョイナ チョイナ
草津温泉未体験。草津の先には渋峠がある。で、渋峠再チャレンジを草津温泉とセットで考えたりして(笑)。

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「三大峠」
・・・2014.10.13

中日本走破の原チャリツーリングで安房峠1790m扉峠1660mを越え、山越えの魅力に嵌まった。
で、ネットサーフィンすると世の中には峠越えマニアが居るよう。しかも悪路を好んでいる様子。
例えば、標高三大峠 http://www.geocities.jp/wellon2/tohge/sandai/13_hyoukou.htm には
峠を越える車道の高さがランクされている。

 1位 2365m大弛(おおだるみ)峠(林道) 長野県川上村・山梨県山梨市
 2位 2172m渋峠(国道292号) 長野県山ノ内町・群馬県中之条町
 3位 2127m麦草峠(国道299号) 長野県佐久穂町・茅野市
  
1位の大弛峠は山梨側が県営林道で舗装道。長野県が村営林道で極め付けの悪路。財政の差による。
で、長野側を走った動画があった。 http://www.youtube.com/watch?v=0e0c9J9B8P4 何とも恐ろしげ。
16分20秒辺りで自転車を追い越し、18分40秒辺りで車とすれ違う。浮石ごろごろ、ガードレールの無い崖。

他に、峠に限らなければ
富士スカイライン(静岡県側)の終点2380mは、車で行ける日本一の最高所。
富士スバルライン(山梨県側)の終点でも2305mある。有料125cc以下、往復200円。

来春には日本全国47都道府県走破を終える予定。で、それまでは休養の積りだったのだが・・
冬が来る前に、上記の高所へ行ってみたくなった。思い付いたら一途。無謀な挑戦かなとも思う。
で、(富士山への道は当然往復になるし)大弛峠は長野側は止めて山梨側(舗装)の往復としたい。
ここで宣言しておけば可能性90%でそうすると思う。で、残り10%が長野へ大弛峠越え。やばいぞ(笑)。

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「⑥扉峠」
・・・2014.10.10

明日は茨城まで帰る予定の松本の夜。祭りの夜店は子供たちが去って、寄り添う若い男女で様相一変。
15府県走破の最後の夜。ホテルへ向かう道すがら、ふらり立ち寄った店は落ち着いた大人の雰囲気。
注文のグラスが出されて、先客とマスターの会話が再開。出張ですか?と問われるのはこんな場合の常。
(原チャリで)日本一周の最中なんです。 明かせば必ず盛り上がる(笑)。で、御嶽山を言い出すと・・
マスターの友人が毎日捜索に出ていたと。その友人の友人が遭難し、今日「山を下りた」と。静かな口調。
「下りた」は自動詞。生還と勘違いしたダアの言に、目を伏せ首を横に振る。一時、重たい空気が支配。
客の機転に救われたが、己の感性の乏しさが情けない。若い恋人同士の遭難、それがその人だと言う。

帰路に検索最短の扉峠超えを言うと、それはダメだと。トンネル経由、北側の254国道を強く薦める。
ホテルに帰って検索。三才山トンネルは有料だが原付通行可。その気になって眠りに着いたのだが・・
朝になって迷う。検索すると扉峠へは、昨年6月の土砂崩れで通行止めだと。でも昨年8月の情報。
迂回路ありとの情報も。決断出来ぬままホテルを出て、駐輪場を出て、松本城へ。そこで冒険を決意(笑)。
徐々に登って行く県道67号は通行止めじゃ無かった。が、山道に入り、扉温泉を過ぎたところでアウト。
全面通行止めの看板には勝てない。少し戻って迂回の林道。こちらの方が舗装の状態が良いから皮肉。
扉峠1660m通過。見渡せる山々は、名前は分からないが、聞けば納得の筈。雲が同じ目線で流れる。

今回、山岳ツーリングに突然目覚めたダア。しかし、帰途で茨城県内に入ってから迷いに迷った。
知った積りの邁進が、新しい道路で土地勘壊滅。これが山道だったら遭難だよと小さくつぶやく(笑)。

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「⑤安房峠」
・・・2014.10.09

岐阜ならば安房峠に行くべきだと、タブレット上で示してくれる。名古屋で軽く呑んでいた時のこと。
予定15府県も、明日の岐阜県を残すのみ。マスターとの会話に、客も頗る付きの気さくさで乗ってくる。
国道41号は(大きな岩だらけの)飛騨川と共にあった。下呂温泉を過ぎ、中呂、上呂と続く地名が楽しい。
甚大な被害があった御嶽山は見えなかったが、山裾から思う。高山から158号で北アルプスへと向かう。
山並みの上に見え隠れするのは乗鞍岳のよう。安房トンネルは自動車道。125㏄以下は通れない。
で、旧道がダアの目からウロコを落としてくれた。ツーリングの楽しさは山岳地帯に限ると、分かった風(笑)。
幾重にも折り畳まれた道路を、以前は観光バスも通ったと言うから驚き。噴煙を吐く焼岳が間近に見える。
安房峠1790mはダアの最高到達点。検索すると国道では渋峠2152m、林道で大弛峠2365mが最高所。
つづら折りを下り切りT字路手前でサル10匹。左折上高地、そんなロケーション(一般車両は入れない)。

宿は松本が丁度良い。駅前駐輪場は50㏄まで。原付2種も駐車していたので、聞いてみたらOKだった。
タブレット検索、駅前のビジネスホテルに予約を入れる。食事がてら街に出ると祭りで賑やかだった。
四柱神社神道祭。由緒ある神社のようで、神殿ではうやうやしくお祓いが行われていた。夜店が沢山。
この夜店、これまたダア的には欠落した体験。瞳を輝かせる子供たちを別の世界に感じながら彷徨う。
祭りの喧騒を離れて「隠れ居酒屋」の看板。小母ちゃんが切り回す店。隣席の爺さんが祭りのうんちくを。
打ち上げ花火の音を合図に店を出る。帰りは知った街のように角を曲がれるから自分でも可笑しい(笑)。

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「④名古屋」
・・・2014.10.08

和歌山・奈良を走破しようと国道26号を南下。泉佐野市で「だんじり」を曳く大勢の賑わいに出会った。
だんじりが丁度国道に出くわしたところ。本体の動きは緩慢だったが、大工方は鳥のように舞っていた。
通り過ぎて、祭り衣装の自転車少年とすれ違う。祭りに思いを馳せたハレの表情。ペダルを力強く。
彼の心に「だんじり・故郷」が深く浸み込んで行くのだろう。軽く嫉妬。ダアはそんな体験が欠落している。
和歌山手前で26号国道は自動車専用バイパスに。暫く右往左往し、海辺の旧道へ。生活の匂いがする。
和歌山から奈良に向かう。紀ノ川沿いの国道24号。蛭子と表示の交差点あり、蛭子能収とは無関係(笑)。
峠を越えて、広がる奈良盆地はある種の風情が。時代劇で良く見る京都の流れ橋は、流されていた(笑)。

三重に向かうのに考えた。鈴鹿を超えるのは暴挙と呑み屋で言われたのだ。で、結局は暴挙に出る(笑)。
国道25号。機嫌よく走って居たら途中から妙な気分。大型トラックがビュンビュンと。自動車道の標識も。
慌てて降りたら山の中。ガソリンが心許ないので山を下る。スタンドで165号線経由を薦められ予定変更。
桜井から名張を通る生活道。名張毒ぶどう酒事件(1961年)などと言うのもあったけど、当然普通の街。
名張から四日市で検索すると、山越え後の25号一般国道経由を示す。亀山手前で、道を塞ぐサル5匹。
今回、酷道と言う言葉を知った。25号沿いに砕石工場があって、道路はガタガタ。ダンプ専用道の様相。
目があった運転手「あんた誰、何しに来たの?」の表情。で、酷道は25号以外にも各地に存在する模様。
この日は三重・愛知の走行を加えて430km。名古屋で宿探し。駐車場が不便だったが、ホテルで安眠。

ところで、一般道を走っていて何時の間にかバイパス(自動車道)に。と言う場面が結構多い。
タブレット検索では「高速道」「有料道路」は除外出来るが、通行無料の自動車道だと対応出来ない。
後で精査すると(離れていても)旧道はある。そこに誘導する標識もあったのだろうが、見逃している。

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「③関西」
・・・2014.10.07

金沢から国道8号で大阪へ向かう。天気予報は午後に雨。永平寺に寄り道の誘惑を振り切って急ぐ。
琵琶湖近くで雨に遭遇。東北の経験を生かし雨装備はほぼ完璧。国道161号は湖西でバイパス道に。
バイパスは自動車道が多くて125㏄以下は通れない。旧道があるのだが結構分かりづらく寸断が常。
京都通過の頃には雨も上がって、以降の行程は雨とは無縁。正直、雨の経験値はまだまだ足りない。
大阪では通天閣に行ってみた。串カツを食し、スパワールドに宿を取る。世界の温泉とかが幾つもあった。

大阪を拠点にして岡山へ。2号国道で魚屋のゴム前掛け様を付けたスクータ乗りに遭遇。若い男女複数。
風除け?雨具? 不思議な光景。岡山はバドで何度も行っている。駅前の噴水、桃太郎像とか懐かしい。
来春の四国・中国・九州行の負担を減らそうと鳥取走破を目指す。中国横断の山越えは心地良かった。
お椀を伏せたような山々を縫い、まるでスラローム。産業幹線では無いからか大型車が少なく好印象。
鳥取砂丘は画像や映像で見たまま。こんなものかが第一印象。日本にあるから凄いのかもと思い直す。
効率を考え拠点の大阪まで戻ることに。兵庫県の道の駅・八鹿の足湯で身体を温めて、生き返る(笑)。

京都にも行った。清水寺参道の急坂、並ぶ土産物店に中学修学旅行の印象が蘇る。境内には入らない。
銀閣寺とかあちこち回ったが、やはり近くまでしか行かない。バイクを下りるのが何だか億劫なのだ。
で、市内をぐるぐると。走っているとスクータ乗りの坊さんに多く遭遇。袈裟を纏って、草履にヘルメット。
五条大橋を渡って歌うのは、中学修学旅行でガイドさんに教わった童謡・牛若丸の替え歌。他愛ない。
 ♪京の五条のon the bridge Large manの弁慶はLong knifeを振りあげて 牛若目掛けてcutする。

京都市内から比叡山は近い。山頂近く、大津の街並みが見えて、比叡山ドライブウェイの入り口に出た。
中学修学旅行で、根本中堂にある種の心が残った記憶あり。それを確認する為に来てみたのだが・・・
ドライブウェイが有料と言うだけでまたも引き返してしまう。ダアのドケチはどうしようも無いレベルかね。
あの時の修学旅行だって(団体行動で気付かなかったけど)絶対に無料じゃ無かっただろうにね(笑)。

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「②北信越」
・・・2014.10.06

沼田は現役してた頃の相棒の出身地。帰省土産に「旨くないですが」と焼きまんじゅうを貰ったっけ(笑)。
赤城山や榛名山は良く眺めた。遠望のみだった妙義山近くの走行では、新しい世界に進むような気分が。
高崎辺りでひときわ高く見えた茶色い山は、軽井沢に入って眼前の浅間山。浅間山荘事件は42年前。
信州山村の県道。穏やかな天候、ゆったりとした景色に癒される。道の駅の小父さんが朴訥そのもの。
糸魚川静岡構造線・フォッサマグナは中学の教科書に。地溝帯を流れるのが糸魚川と思い込んでいた。
どうやら糸魚川と言う川は無い模様。そこに流れるのは姫川。糸魚川市で波静かな富山湾に出会う。

海岸線を西へ進む。親不知とかあったが、背後の北アルプスの山容に心惹かれた。金沢に宿を取る。
金沢駅前で駐車場探し。無料市営バイク駐車場があった。支度をしていると小父さんが声を掛けてくる。
言って居ることが聞き取れなくて何度か聞き返す。箱を差して「乗るんですか?」と聞いているらしい。
で、底に穴を開けてボルトでと説明したが噛み合わない。どうやら箱の大きさが遵法なのかと聞いている。
大丈夫と答えたが念の為確認。荷台の左右15cm、後方30cm、地上200cm。全く問題無いのです(笑)。
金沢はバドで何度も行っている。武家屋敷の路地とかは走ってみたが、兼六園は駐車問題があってパス。
近江町市場には無料駐車場があった(笑)。土産候補でコーヒー羊羹を食してみたが、敢え無く却下(笑)。

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「①中日本」
・・・2014.10.05

何だか長年の夢だったのかと錯覚しそうな原チャリでの全国制覇。全国走破と書くべきなのに(笑)。
今回は中部日本を走って来た。2500km。新たに長野、富山、石川、福井、滋賀、京都、大阪、兵庫、
岡山、鳥取、和歌山、奈良、三重、愛知、岐阜の15府県を加えて、合わせて32都道府県。残り15県。
来春に四国・中国・九州・沖縄を走破し47都道府県を全走破。今や全国制覇だけが目標になってる(笑)。

前回の東北巡りの帰路、巡る積りだった北関東を素通りした。で、今回は群馬辺りも走ってみることに。
バドのみとリンクしていた地名が次々と現れる。今回、バド以外に新たな印象が加わったのは良いこと。
何時も遠くから見ていた高崎観音。バイクならではと観音山に登ってみたが、有料駐車場にUターン(笑)。
樹間からとは言え至近距離で垣間見えたので良しとする。それに洞窟観音なるものの存在も知ったし。
世界遺産登録決定の富岡製糸場。上州富岡駅前の商業施設に駐輪し行ってみる。観光客がやたら多い。
入場料500円。この日の主目的にしていたから払う(笑)。場内は土産物の商売が目立って何だか興醒め。
庭の老松に「ここの歴史を見て来たんだなあ」と発する人あり。その感性がないからダアは楽しめない。

で、(バイクを停めた)あい愛プラザのソフトクリームは旨かった。これで無断駐車じゃなくなったし(笑)。

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「⑦新潟」
・・・2014.08.27

本州最北端も行く価値ありかと。大間崎は竜飛岬よりも北なのに知名度が今ひとつ。マグロの佃煮を買う。
六ヶ所村ではガソリンスタンドを探して彷徨う。核燃料再処理工場、過疎からの脱皮、論じ切れない難問。
③で、奥入瀬を選んだのが裏目。次の秋田へ行くには下北からでは遠過ぎた。取り敢えず久慈まで南下。
八戸で降りだした雨は、3日間降り止まない。久慈から盛岡、盛岡から秋田。田沢湖辺りの峠越えは大雨。
道端に鈴木○幸のポスター林立。良~く見ると、後継息子のよう。是非は兎も角、考えさせられる風景。
角館でトイレ休憩。武道館に停めて歩くと有料駐車場。観光客が多い。武家屋敷は有料に付きUターン。
秋田の24時間サウナ。珍しく日本酒セットなどを。土地の食材は頗る旨い。田楽風のキリタンポが最高。
TVは来年3月までのアナログ放送。一瞬、タイムスリップしたかと。秋田ケーブルTVがデジアナ変換。
秋田から新潟へは海側を一気に。鳥海山は短い時間だが姿を見れた。で、離れる東北に心が残って・・
もっとゆっくりしたかった。1年、いや半年、ひと月でも良い。どっぷり浸かって、東北人っぽく成りたい願望。

新潟には父の生家が。(若い日の自転車旅行から)50年振りに寄ってみた。景色はすっかり様変わり。
記憶を頼りに一発的中。中学生だった従弟は定年退職。ダアをあだ名で呼んでくれ、瞬時に心が融ける。
三国峠は(友と)自転車で超えた道。何人もの自転車を追い越して一気に関東へ。台風が去り暑さが戻る。
群馬・栃木辺りを巡る積りが、何故か帰巣本能。母の生まれた街・宇都宮にも行ってみたかったけど。
国道・県道の積りが、つくばで脇道に逸れて。で、一時停止違反で警官が。茨城県警なんて大嫌い(笑)。

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「⑥恐山」
・・・2014.08.26

恐山は行ってみたかった。浅虫の道の駅、朝食の積りが開店前。居合わせた高校生たちが礼儀正しい。
4号国道は20℃。同じ4号で36℃に苦しんでから何日も経っていない。下北半島に入り横浜町の道の駅。
レストランは開店前。で、びっくりホタテバーガーを食す。具はホタテのフライ、空腹もあって旨かった。
因みに北海道・別海の未食、ジャンボホタテバーガー(withジョッキ牛乳)は、ホタテ春巻き、角形バンズ。
これは食べ比べなければと、昼時通過の次の日も食す。別海に行ける日が何時になるかは不明(笑)。

恐山は入山料500円。有料は敬遠しがちなダア。帰ってきてからケチを後悔することも多いけど(笑)。
霊的感受性ゼロのダアだが、広がる風景には心惹かれた。亜硫酸ガスの臭い充満。イタコは居なかった。
(広漠とした荒れ地の掘立小屋に数珠を手にした老婆・・ 何時しか刷り込まれていたイタコのイメージ。)
(タオルを取りに戻って)再度の境内。温泉小屋があったのだ。かなり熱めの白濁硫黄泉。入れて大満足。
後からの若者は熱くて無理と。温泉好きで各地を回っている由。絶好の撮影チャンス、互いにシャッターを。
外で涼んでいると「温泉ですか」と声を掛けられる。脚が悪いのか両手にストックの朴訥そうな親父さん。
今日は特別にイタコの口寄せがある。自分も15年前に亡くなった父親を口寄せして貰ったことがある。
で、初めは涙が出たが、途中から何か少し違うなと。女性は大泣き。大勢の中で下りた人が3000円払う・・
問わず語りで色々と。旅って、こんな人に出会えるのが素敵だね。もっとslowな旅を心掛けたいもの。
駐車場に原付が3台並んで。ピンクナンバーのカブは千葉の人。東北を巡り、これから北海道に渡ると。

宿は薬研温泉。ライダーハウス予約電話の積りが民宿モードの受け答え。食事付きなので良しとする。
透明単純泉、キリリとした熱さが身に沁みる。露天のカッパの湯は、夏場はアブが多くて薦められないと。
朝の台風情報は不安を煽る。切り上げての直帰も考えたが、本州最北端・下北に居ては絶対無理(笑)。

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「⑤竜飛岬」
・・・2014.08.25

青森の24時間温泉は、玄関前アプローチが広々と屋根の下。何台ものバイクが雨を避けて駐車する。
濡れないと言うことは雨装備がゆっくり出来て嬉しい。この日は雨にも負けずに竜飛岬を目指した。
出発してすぐに、日本一周中と表示したピンクナンバー(原付2種)。何だか頑張れる気になれる(笑)。
陸奥湾沿いを北上、やがて雨は上がる。穏やかな海、切り立った崖、その間の狭い土地に家が続く。
長雨の影響か、家の脇を滝の様に落ちる水。時たま見掛ける人々が一様にダアのバイクを見詰める。
竜飛岬は石川さゆりの歌が流れて(笑)。軽トラを停めて海産物を売るのはTVで見た名物おばさん。
問いに茨城からと答えると「今日は一番多い」と。ホタテを試食させられ、4袋入りを買わされた(笑)。
で、2ショットを頼んだ埼玉からの兄ちゃんにも「今日は一番多い」と。人気者の秘密を垣間見る(笑)。

日本海側は一転してアップダウンの雄大パノラマ。小泊で海鮮定食。生簀からのサザエがコリコリ。
小泊、十三湖(じゅうさんみなと)、お岩木山・・ 演歌に出てくる地名が次々と。岩木山は墨絵のよう。
で、走行は吉幾三や細川たかしの津軽演歌を歌いながら。ヘルメット内は音響抜群、気分も上々(笑)。
太宰治記念館(斜陽館)の標識を見掛け、寄ってみる。画像で良く見る建物。行った証拠の写真撮影。

玄関前の濡れない駐車が甚く気に入り、青森の24時間温泉は定宿状態。おばさんがウロウロしてた。
で、「入り口が分からない」と。(ダアは最初の日に迷わず入れたけど)ガラス戸には締め切りの張り紙。
観音開きの片側が締め切りなのだが、おばさんは「締め切りと書いてある」と。う~ん、勉強になる。
中に入ると○○中学校同級会の文字。ここは宴会場もあるのだが、おばさんは初めての来場なのだろう。
脱衣でアラ還おやじが消息話をしている。で、「宴会は6時」と聞き取れ、ダアも参加したいなと思う(笑)。
(○○中は統合で今は無い。で、ダアは学区内を走って来たけど、参加資格には無理だよね。笑。)

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「④ねぶた」
・・・2014.08.24

降りやまぬ雨。今日は乗らずに「そ」を聞きにと気取ってみる。20台ほどのバイクは次々出て行ったけど。
新青森駅。客待ちタクシー運転手の声高が理解不能。列車は大雨で運転休止、再開の目途が立たない。
青森へのバスは、つり革ベルトが2本で三角形。で、下りる時期を失して乗り越した。聞けば良いものを。
津軽三味線生演奏に釣られて昼食。寿司は兎も角、演奏はそんなものかと。今思うに、高かったか(笑)。
ねぶたを展示する施設は観光客が溢れて。ハネトの実演、2時間通しての説明に「絶対無理」と呟いた。
遠くに雷が光るねぶた見物。雨は何とか上がってくれたが、ねぶたはすっぽりビニールに覆われて。
ハネトは殆ど歩いていた。数人が要所で跳ね踊る。やはり、あの跳躍ではスプリント的な時間が限界だ。

ポツンと来た雨粒に見学終了。ねぶたは思ったより小さかった。で、やはり祭り観光は性に合わないと。
(理想、例えばそこに住む友人が居て、土地の雰囲気や人となりを感じながら心を通わせる。無理か。)
さて、どうやって新青森まで帰るか。すぐの特急はあるが1駅の特急券に躊躇。バス停にも行ってみた。
思い切って駅員に聞いてみたら、1駅につき特急券は不要だと。で、Suicaは青森全県で未導入だとも。

さて、観光客の中に居ると色々な会話を耳にする。青森のねぶた、弘前のねぷた、他にも色々にあるが・・
五所川原の立佞武多(たちねぶた)が一番素晴らしい。で、今度行ってみようかと思うから不思議(笑)。

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「③奥入瀬」
・・・2014.08.23

田老の道の駅で南方向に黒い雲発見。急いで北方向へと逃げ出すも、先回りの雲に捕まり激しい雨。
道端で雨装備。(雨走行の経験は不十分。今回、幾つかの知識を得たので装備等で次回に繋がる。)
宿は八戸の24時間温泉。受け付け嬢の声が聞き取れず、聞き返す。言葉では無く、抑揚が耳慣れない。
特大八戸サバの炙り刺し、八戸の風に吹かれた真イカの一夜干し、浜のイカ塩辛、それに大ジョッキ。
風呂上りの食事時、実に旨かった。仮眠室でも何処でもすぐ寝れるのは、我ながら好ましい習性(笑)。

下北or奥入瀬と考えて居たが、後者を選択。雨は上がっていたが、目指す方向に低く垂れこめた雲。
八戸を出て、三戸とか五戸とかはあるけど六戸って無いのかと呟いたら、六戸町の標識に出くわす(笑)。
(検索すると一戸から九戸まであって、四戸だけが無い。戸(へ)を巡る旅などと言うのも面白いかも。)
念のため道の駅で雨装備、これが大正解。標高が上がるにつれて雨の中。お山は雨を其の後も実感。
半世紀ぶりの奥入瀬は、やはり良かった。やたらの観光バスが(客を歩かせ)先で待機してたのは減点。
十和田湖畔は激しい雨。乙女の像は雨中の駐車が面倒でスルー。観光客が多かったのも萎えさせた。

再びの奥入瀬を下り、酸ヶ湯への標識を曲がる。下では降り止んでいたものが、上るにつれて雨模様。
傘松峠1020m辺りでは横殴りの暴風雨。道端の木々が激しく踊り狂う。「八甲田死の彷徨」が頭をよぎる。
酸ヶ湯の千人風呂は女性僅かの観光客only。男女エリア越境を係員が注意していて、風情は皆無(笑)。
ダアのナンバープレートを「となり町だ」と指差す若者。夏休みの帰省か旅行か、青森ナンバーに同乗。
立川からの熟年は、後ろ重ね2前1の箱でツーリング。箱はその後も散見、雨対策にはやはり良策かと。
青森駅前はねぶたの賑わい。すっかり変貌。ホテルをと案内所に行くも、ねぶたでと、つれない返事。
念の為と調べておいた24時間温泉。荷物を纏めていると中年男女4人組、親戚が居ると声を掛けてくる。
それがダアも知る割烹女将。何でも病で亡くなったと。昨年だかに通りかかり、寂れていたのを思い出す。
雨中走行後の温泉は嬉しい。イカ刺し旨い。ねぶたとは知らなかったに、是非行ってみてと勧められた。

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「②三陸」
・・・2014.08.22

三陸の海岸地帯はどうしても走りたかった。あれから3年半も経ってしまって、何も出来ないでいる。
リアス式海岸故のアップダウン。その入り江の何処も彼処もに津波の爪痕が残って、言葉を失う。
道を下りる度に(盛り土やら高台移転の造成やらの茶色が支配した)更地ばかりの景色が広がる。

初めに石巻で出会った景色は(バドで2度行った閖上地区のそれに似て)土台だけが残された更地。
女川から幾つかのトンネルを抜け、再び石巻に入った所にそれはあった。石巻市立大川小学校。
佇む校舎の背後に小高い山。余りに甚大な、余りに悲しい事実。石碑に刻まれた文字が滲んでくる。

アップダウンの度に津波到達点の標識。否が応でもその威力を思い知る。南三陸町歌津の福幸商店街。
そこで素敵なTシャツを見つけ購入(ネットに曰くが記されていた)。背後の歌津駅までもが津波で流出。
ネットで予約した気仙沼のホテルは少々割高。港祭り当日で街には人が多かったが、遠いので寝る。
あの頃報道で目にした地名が続く。岩手に入ってすぐが陸前高田。ダンプが走り、まるで巨大造成現場。
前方と後方の津波浸水距離が示されていて、合わせると4550m。それが山田で5910m、宮古で5170m。
浸水距離は街の規模と相関。それに係わらずどんな小さな浜も全てが更地。思考を全く寄せ付けない。
田老の道の駅で湯河原ピンクナンバーの中年。頑張りましょうと励ましあって、それからは雨の日々(笑)。 

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「①次は」
・・・2014.08.21

青森までの自転車行。若き日に頓挫してしまったその思い。何故かそれを無性に取り戻したくなって・・
(衰えた身ゆえ)原チャリに置き換えたのは必然として、東北六県を巡り新潟経由で帰着のツーリング。
それが初めと終わり以外は台風11号の影響で雨の中。初心の身には結構ハードな13日間とはなった。
走行距離2700km、ただ走り抜けただけの感も。留まって身も心も浸ってみる・・ それとは真逆の東北路。
走り抜けることにある種の懐疑を抱きつつ、何時しか日本一周を意識して。バドで言えば全国制覇(笑)。
現在14都道県走破。次は北信越経由で関西・東海と。で、四国・中国・九州を攻略し、沖縄は別格か(笑)。

8月の真夏の日。先ずは会津若松を目指す。酷暑と見慣れた景色。何だかうんざり感が頭を支配する。
福島に入る頃からは緑に囲まれ涼しさも。ライダーハウス初体験。紅葉の季節に再訪したいと好印象。
仙台を目指した4号国道は、軒並み35℃の表示。36℃を示す場所まであって、早くも死ぬ思い(笑)。
真夏のツーリングは避ける・・ バイク屋おやじの言。真夏にイベントは長年の習性かも(笑)。考え直そう。
仙台・国分町のバイク駐車場。ところが適当な宿が見付からない。結局、24時間サウナの会員になる。
東北地方随一の歓楽街・国分町。ふらりと入った呑み屋。あちこちの盛り上がりを聞きながら独り静かに。
「・・だっちゃ」「・・だっちゃ」と酔客の声。遠い昔、仙台出身の後輩が連発していた。今はどうしてるのか。

明けての市内走行。男性が日傘を差していて、陰を歩くのは小さな老犬。仙台で出会った美しい情景。

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「⑦そして」
・・・2014.07.24

名寄から池田へ(三国峠1139mはバスで超えた経験あり)。この頃には経験十分。軽くクリアー(笑)。
全ての指導を終え、帯広での打ち上げ。ある種の感傷。次の朝、もう練習が無いと思ったら、寂しさも。

ツーリングマップルに「山越え何十キロも人家・ガソリンスタンド無し」の記述が多い。給油して臨んだが、
タイミングを失してヒヤヒヤしたことも。阿寒湖や支笏湖へ下る道。エンジンオフ走行を試みて悪足掻き。
(大昔の伊豆自転車行)山越えで遭遇した軽トラを真似たのだが、ダアのバイクは転がらなかった(笑)。
富良野で真夏日。洞爺湖一周、毛虫がどれもが直角に横切ると発見。昭和新山はダアより少しお兄さん。
台風でフェリー欠航との電話。一瞬、青森に渡り陸路バイクで帰着も考えた。キャンセルが面倒で断念。
フェリー乗船はバイクが16台。女性が2人。内1人は彼氏と揃いのヘルメット。無線マイクで繋がって。
無線マイクは男同士にも。会話しながらは楽しいアイテムかと。自転車は2台。どうやら全て帰る人。
エコノミー大部屋は行きも帰りも同じ部屋。定員75名に何れも20人ほど。帰りの客は一転、大人しい。
寝具のマットは50cm巾。行きは畳んだ両脇がガード、帰りは端だったので、朝には当然落ちてた(笑)。

大洗に着いて、港のイベントを船上から眺める。国道に出て、前方左より合流する車あり、軽くブレーキ。
と、前方右より突然の合流車。対向車の前を強引に横切って。帰って来たのだと実感したのだった(笑)。

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「⑥名寄へ」
・・・2014.07.23

宗谷岬で会ったカブ乗りの中年男性。日本海オロロンラインは行きましたかと。素晴らしいですよと。
で、海岸線を苫前まで一気に南下と予定変更。結果、サロベツ原野をパスしたのは痛恨だったかも。
オロロンラインの素晴らしさは、何も無い素晴らしさ。デジカメに納まり切れない。利尻富士は霧の中。
昨日のBS。火野正平とチャリオがここに居た。オレンジに咲いていた花がエゾカンゾウだと知る。
彼らも利尻富士は見えなかったようだが、懐かしかったり悔やまれたりで、また行きたいと(笑)。

昼飯時の苫前はコンビニしか目に入らず、躊躇する内に山越えに。国道だが通行量少なく人家も皆無。
途中キツネに会う。熊追橋などあって少しビクビク。峠を下って、民家の屋根に思わずヤッター(笑)。
屋根辺りに手打ち蕎麦の店、客多数。ソバの実天蕎麦なるものを食す、ソバの実天はかまぼこの味(笑)。
名寄の練習はスポーツセンター。名寄中だけでなく別の中学も。明るく元気溢れた真っ直ぐさが懐かしい。

名寄の昼間はあちこちに。美瑛は晴天、人多し。談笑する若いチャリダー、出会い・投合・そして別れと。
合宿中の高梨が転倒したジャンプ台ではサマージャンプ。初めて間近に見て、ダアには絶対無理と(笑)。
温泉から山を下りる途中「冬季通行止め」の標識。誘われ進入、小父さんを追い越し、開けた所に中学校。
自転車(生徒)より車(先生達)が多い。智恵文中、どこかでみたような。夕方の練習時、選手の背面に。
生徒15人、先生11人。バド部しかない。正門で佇むダアを事務員が見たと。これって地域の目? 納得。
智恵文中の顧問A先生が出色。堀江健一を連想。出会ったバドに一生懸命。彼が顧問で選手も幸せ。
躊躇のない熱情fullな好漢。練習・会食と3日間を共に。で、ダアとの物理的な距離が日々縮まって。
(ダアって取り付き難いかも。警戒か、当たり障り無い対応が多い。)徐々に認めてくれた証しかと(笑)。
で、感激した食べ物は?に野菜と答えたら怪訝な顔。食した智恵文の野菜は最高、でも彼には日常(笑)。

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「⑤宗谷岬」
・・・2014.07.22

バイクツーリングは二輪だけに目が行く。250cc以上(白ナンバー)が圧倒的で、姿や音に圧倒される。
たまに出会うのが服装も音も軽い白ナンバー(原付1種50cc)。若い目のスクーター乗りが多いかも。
カブ乗りにはさっぱり出会わなかったが、宗谷岬で初遭遇、甚く感動(笑)。九十九里に住む中年男性。
あちこちでカブ乗りに出会ったと。ダアはその後、帯広のホテル駐車場で京都ナンバーのカブと隣に。
二輪と言えばチャリダーも多かった。ママチャリで日本一周など個性豊か(寝そべる自転車には驚愕)。
長い坂道で腰を浮かせ踏み込む様はまるで苦行僧。アクセル一つで軽く乗り切るダアは邪のもの(笑)。
宗谷岬は最北端云々よりも脇に逸れた砂利道が印象的。海の見渡せる台地、シカやキツネの楽園かと。

最初に歩き人と出会ったのは、宗谷岬への長い道。明らかに土地の人と違う雰囲気に思わず凝視。
と・・ 日焼けした笑顔を向けて手を振ってくる。ダアのヘルメットは透明なので表情を見透かされた模様。
たじろぐダア。歩きで北海道巡り、苦行僧どころか神の子かと。じゃ無ければ、歩き巡礼のインドの坊さん。
で、その後も歩き人に遭遇。バスや電車に乗ることもあるだろうと思い至る。北海道は広過ぎるし(笑)。
赤信号に手を挙げ杖で渡るお婆さん、枝幸(えさし)町で。毛ガニ水揚げ日本一の漁港をグルリと巡る。

北海道は「シカの飛びだし」や「牛の横断」などの標識多数。「熊出没注意」もやたらとあって怖さをそそる。
熊に出会ったら、後ろを見せて逃げてはダメ。死んだふり? でもどうやって? 真面目に考えてた(笑)。

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「④知床」
・・・2014.07.21

別海拠点で昼間はツーリング。本土最東端・納沙布岬。重ね着に更に防寒用途で雨合羽。それでも寒い。
前日の野付半島と合わせ2日連続で国後島は海霧の中。やっと3日目の知床峠で見渡すことが出来た。
言葉が見付からず、泣き出しそうな感情。北方領土と言うものが現実のものとして迫って来たのだった。
知床峠パーキングに野鳥を狙っている様子の望遠レンズが多数。静寂を乱す仲間内の高揚に馴染めず。
この日から(急遽送って貰った)ダウンの上着が威力発揮。コンパクトな収納袋なので携帯すべきだった。

次の日の摩周湖も、居合わせたツアーガイドが稀にみる眺望と言うほどの快晴。これで摩周湖は2連勝。
摩周湖への道、追い抜いて行くバイクが速度を合わせ何度も覗き込む。次の道の駅、隣に駐車で遭遇。
笑顔の小父さん。ダアのプレートが知人の住む町だと。春日部ナンバー、ダアも知人が住んでると(笑)。
硫黄山で再会のI君、逞しさも増して農業への思いを熱く語る。曰く、自分の蕎麦がパリ市内に出ていると。
別海高校近くのソフトクリーム屋。練習前に必ず食した。池田より美味いかも(因みにY澤先生も同意見)。
宿で食したカスベ(エイのひれ)は初めての食感。シカ肉料理も食した。ホタテの刺身が絶品だった。
ホタテって円柱を思うが、ここのは長方形。ジャンボサイズを切ったもの、それでも普通2個分の大きさ。
アサリのスパゲッティーがまるでハマグリのそれ。どうやらここの海産物は育ちが良くてジャンボサイズ。
で、ホタテバーガーや他にも心残り多々。心残らせはダアの再来を画策するO先生の陰謀との説も(笑)。

北海道の道を走って居て気付いたこと。前方の左方より合流する車が、ダアの通過をじっと待っている。
関東では何台かが入る程の間。こちらが恐縮してしまう。又、追い抜いて行く車は対向車線に入ってから。
だから後方に注意が薄くても少しも驚かない。追い抜かれたトラックの背中が何時までも見えるのも新鮮。
ダアもそこそこのスピードだし、どこまでも真っ直ぐな道路、間に入り込む車が殆ど無い。北海道を実感。
で、(危険は無かったが)すぐ脇を追い越され驚いたことが稀に。どれも関東ナンバーの車だった(笑)。

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「③別海へ」
・・・2014.07.20

今回唯一雨に降られたのが池田での練習後に釧路へ向かった100km。広い道路少ない車で2hrの行程。
出発前に降って来たので手袋オーバーシューズ着用のフル装備。雨はやがて上がったがそのまま走行。
帯広・釧路間は何回か通っているが、海岸線が霧に包まれて白波が霞んで見えただけだったのが残念。
釧路のホテル到着にもタブレットが威力発揮。展望風呂、2食付で片手以内。所変わればホテルも変わる。
釧路から別海町へ向かう道筋、何度もシカを見た。聞くところではシカとの衝突が多発する地区だとか。

日本最大、延長28kmの砂嘴、野付半島。道路両脇に迫る海をイメージしていたが、それは無かった。
やたらとシカが居て、路上で群れに遭遇した時はソロソロと。今思うに、人に慣れ過ぎて居たような。
観光用?まさかね(笑)。兎に角海風が冷たくて身に染みた。海上は霞んで、国後島は見えなかった。
半島から戻り、道の駅。ソフトクリームは流石に止めて温かいうどんを食す。ホタテバーガーが気掛かり。
壁の掲示に目をやっていると熟年男性に声を掛けられた。ダアのナンバープレートを見てとのこと。
曰く、仕事で隣のM村に何度も行ったことがあると。中央競馬会の施設があるが、関係者の雰囲気あり。
関西在住で日本海側北上で北海道入り。原付2種のスクーター。上下ウインドブレーカーのみで寒いと。

別海高校は何だろ、何か手付かずの自然が残って居る感じ。こちらが戸惑う程に、選手に影が見えない。
週日4日間のみのバド。バス通学片道40kmとかで途中で帰る選手も居て、正直何にも出来なかった。
1日目は様子見。2日目に用意した練習は頓挫。3日目4日目は殆ど破れかぶれ。それでも感謝の手紙。
別海町は香川県と同じ広さに1万6千人、牛が12万頭。生乳生産日本一とかで海産物も恵まれている。
高校は唯一別海高校のみ。で、遠方バス通も。空が広いと謳っているが、起伏が少なく緑に溢れたところ。
原野を切り開いたような直線道路を走行中。突然シカが横切った。瞬間の出来事で事態を呑み込めない。
目測では20m手前を横切ったことになる。突発過ぎて驚く間も無かったが、冷静になれば最大のピンチ。
シカのすぐ後にキツネも現れ、こちらは飛び出さずに草むらに。で・・ 走り回っている内にある思いが。
牛・シカ・キツネなど多くの生きるものを包み込む自然。別海の選手はその中で、共に育まれているのだ。
だからこそ、あの瞳が、あの笑顔が、あの心がある。繁栄は人の心を育てない・・ と、ちと大袈裟に(笑)。

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「②池田へ」
・・・2014.07.19

大した高まりも覚えずに、いつの間にか来てしまった感の出発の日。フェリー乗船の大洗港を目指す。
隣接のめんたいパークへは時々行く。何時もは遠い道が、北海道の前では庭先に思えて可笑しい。
二輪の乗船はバイクが11台(内、原チャリ1台釣り竿携帯)、自転車1台で、男性ばかり若者は居ない。
エコノミー大部屋は何だか懐かしい雰囲気。その昔帯広での合宿で選手たちと利用したことがある。
で、仕事の若い目のグループは車座でさっそくの酒盛り。還暦を口にするライダーグループは声高で。
乾きものをつまむ2人は、どうやら行きずりの歩き旅。年配が若者に巡った各地をレクチャーしている。
船内は浴衣やパジャマ姿まで居て、あちこちで盛り上がってる。何しろ幾ら呑んでも、寝床付き(笑)。

苫小牧に上陸した時、北海道に来たんだと湧き上がる感情。想像力が少々不足なのかも知れない(笑)。
集団で下船したバイクの半数が途中の左折で消え、残りにも右折後の直線で置いてかれて、独り走行。
寒いと思ったら道路脇の温度表示が15℃。襟裳岬経由も頭にあったが上陸記念でススキノ呑みを選択。

最初に超えた峠が札幌から帯広への日勝峠。日高町の道の駅で情報カメラが峠を映し出していた。
9合目までは晴天、峠付近は霧だと。1020mの9合目だからとタカを括ったのが間違いの元だった。
9号目は高さであって道の長さでは無いらしい。頂上付近では曲がりくねった道が嫌になるほど続く。
続くと思うのは濃い霧の中ゆえの感覚だろうが、突然現れる対向トラックには思わず身を固くする。
霧は間違い無く水滴。(合羽着用の)停車も出来ず必死にハンドルを握る。最初のピンチだったかも。
あとで聞いた話、霧の日勝峠は有名な難所だとか。展望台なんて有ったけど意味ないじゃないか(笑)。
下りになって清水町に入っても霧は晴れない。日高町の情報カメラは日高側の情報でしか無かったのだ。
日差しが戻ったのは殆ど平地に入る頃。気温も上がり、湿った着衣も帯広入りの頃には乾いていた。
知っている積りの帯広もアクセス方法が違うと全くの方向音痴。タブレットの位置情報が大いに役立った。

池田中は土日に都合3週。1年生の時から係わって最後の夏。間違いなく日々の向上は見て取れる。
もどかしさに声を荒げたりもした。目指す努力が大切とは言ってはみても、残り僅かで結末の時が来る。
池田中は体育館への廊下に生徒たちの美術作品が展示されていて、眺めて歩くのが楽しみの一つ。
ただ今回は、いじめに関する標語が目に付いて少し複雑。選手たちの些細な行動に気になる部分も。
池田での楽しみにハッピネスデーイリーのソフトクリーム。ばあちゃんの手作りソーセージも食した(笑)。

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「①帰着」
・・・2014.07.18

台風8号の影響で予定していた帰りのフェリーが欠航。代替便に間があり、洞爺湖温泉行などで凌ぐ。
訪れたバド部は4校。土日は一日練、週日は午後練。移動日も含め26日間の北海道ツーリングとなった。
走行距離4300km、入れたガソリン69㍑、燃費62km/㍑(110ccカブ。前車50ccカブは75km/㍑だった。)

梅雨を逃れ梅雨が無い北海道のツーリング。雨に降られたのは池田から釧路に向かう一時くらい。
が、十勝はダアが着く日まで15日連続雨の異常気象だったとかで、農作物にも影響が出ていた様子。
池田中に着いた午後、自転車置き場の自転車が片手で足りる数。一瞬、学校が休みの日かと思った。
出て来た下校の男子生徒が長靴で傘を振り回していて・・ 少なくとも朝までは長雨が続いていたよう。

帰着最初の日は留守中の録画を鑑賞。走行時の緊張とは別の弛緩。終日だらだら、だれパンダ状態。
で、留守で荒れた庭の手入れをしながら徐々に社会復帰。昨日今日のテニスで対人関係も復活(笑)。

今日、別海高校バド部から顧問と選手全員の手書きの手紙が届いた(一緒に撮った写真も同封)。
別海での日々は心に残った。届いた手紙のお蔭で、それを時の流れとして実感出来る様な気がする。

色々あったような、そのどれもが普通だったような。(毎日生身が疾走した感触だけは残っている。)
この後、書き綴ることによって、色々だったのか普通だったのかを確認することになるのだろうか(笑)。

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「出発の歌」
・・・2014.06.18

♪ 乾いた空を 見上げているのは誰だ お前の目に 焼き付いたものは化石の街

今朝、検査通院に向かう原チャリで、頭の中に突然この歌が鳴り響いた。「出発(たびだち)の歌」。
上条恒彦と六文銭の、第2回世界歌謡祭(1971年)グランプリ獲得曲。当時良く口にしたものだ。
作詞が及川恒平、作曲が小室等と言うのも何だか懐かしい。で、サビの部分が何度もリフレイン(笑)。

♪ さあ今 銀河の向こうに 飛んでゆけ  ♪ さあ今 宇宙に 飛んでゆけ

診察の帰りに、寒さ対策にヒートテックの下着、ヘルメット下に手ぬぐいを被ろうとかが頭に浮かぶ。
やっとその気になったのかも。ま、何とかなるだろけどね。と、ケ・セラ・セラが頭の中に鳴り響く(笑)。

今日夕方のフェリー(大洗発)で、いよいよ原チャリツーリングが始まる。けど、荷作りをしたのが昨日。
帰着予定が4週間近くも先なのに現実のものとして捉える感覚が湧いてこなかった。ボケの一種?(笑)。
今回に合わせて、スマホ持ちをガラケーとタブレットの2台持ちに変えたのだが、これまたこいつが大苦戦。
どうにか、通話・携帯メールがガラケー、ナビ・パソコンメール・ネット閲覧がタブレットとの振り分けが完了。
タブレット導入でツーリング時のナビが可能になったのは大きい。夜にはネット徘徊も出来るしね(笑)。

気が向いたら、掲示板にバド&ツーリングの日誌を書き込むかも知れません。

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「折り返し」
・・・2014.06.04

重ねる齢に相応して、時の流れが加速される・・ 良く言われることだし、何よりも切なく実感する。
先だって年越ししたと思ったら、2014年の折り返し点がすぐそこに。(つい、ダアに残された時間を想う)。
上半期は免許取得や慣らし運転などツーリング準備がメインだった。で、他に諸々だから時間が足りない。
庭の花も一応恰好が付いて来たが、芽吹いたばかりのポットの小苗は水遣りをサボると消滅してしまう。
宿敵ナメクジは駆除剤の散布で防げるが、難敵バッタが孵化した模様。(バッタの天敵トカゲも出て来た)。
何百匹と孵ったメダカの稚魚も、どのように育てるか(親と一緒では喰われてしまう)試行錯誤の最中。
円形水槽も猫対策をしてはみたが、肝心のコメットは400円に迫って断念。何度も通って遭遇したのが
100円の赤コメット。スマホで検索したら、赤コメットは価値が低く(以前家に居た)白コメットは更に低いと。
で、赤と白のホルスタイン模様が良品。勿論、赤コメットを購入。低評価に心が反応、負けて堪るか(笑)。
他にも、ジムはサボり気味だけどテニスは結構続いてて。で、新しく歌を覚えたくとも時間が取れない。
そんな中、北海道ツーリングまで2週間。更には日本一周を思い描いたりしてるから始末が悪い(笑)。

で、今年の正月のこと。チャイムがなって笑顔のGさん(牛タンで触れた指導者仲間)、酒飲みにと誘う。
ダアの近くに教えたFが住んでいて、Gさん娘とそのFとがバド婚。F家に両家が集って新年会が始まると。
祝い酒に心地良く酔って音楽の話にも。Fの父親が持ち出したギター、誰もチューニングさえ儘ならない。
F父もGさんもダアも、もう何十年もギターに触って居ないのだ。で、今年の忘年会はギターで歌おうと。
こんな時、大言壮語してしまうのがダアの悪い癖。即、ギターを押し入れから引っ張り出してみたけれど、
未だに切れてた弦さえ張り替えていない。北海道から帰ればもう、折り返し点が過ぎているのに・・
酒飲み話で誰も真に受けて無かっただろうが、これを読まれて蒸し返さりしたら、それこそ藪蛇か(笑)。

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「スクランブル」
・・・2014.05.28

「アフター」になってから雑文(ザブ)に、若き日に果たせなかった東北路(自転車)への憧憬を書いた。
体力を考えれば、自転車では無くバイクになるのは当然の成り行き。その気になると、脳内を支配する。
バイク屋のおやじに勧められて原付2種の免許を取ったり、ヘルメットなどの装備を整えたりで着々と。
ツーリングマップル(東北)を眺めたりしてあれこれ思いを巡らせていたが、ふと別の考えが湧いてきた。
・東北は紅葉の秋が一番とバイク屋のおやじ。(それが本懐だし)梅雨明けにでも行けたらと考えて居た。
・何度も行った北海道I中の選手たち、まだまだ足りない。せめて夏前にもう一度見てやれないかと。
・大会前の季節、北海道には梅雨が無い。ならばその時期にツーリングを兼ねて行くことも可能かと。
で、週末池田町、週日ツーリングで打診。すると是非ともと、6月-7月の3週に亘る案を提案されて・・
で、北海道バドありツーリング決定。で、どうせなら各地のバドも覗いてみようと思ったのが大変の始まり。
それぞれ複数日来校を望まれて、拒めないダア。帯広、別海、名寄を3拠点とするツーリングとなった。
北海道版マップルをもとにあれこれ検討。実際に家からの試走で走行距離や時速のデータも取得した。
5日間の道内巡りで池田に戻る日程だったら苦も無かったろうに。北海道は広く、なかなか纏まらない。
移動中心300km、観光中心200kmとネットには。でもダアには週日夕方からの体育館が待っている(笑)。

気の向くままにのんびりと、泊る場所もその日に決めて・・ そんなツーリングが性に合っている。
でも今回は特別モード。長かった「バド?な日々」を終え、この先長くは望めない「アフター」に入った。
その変わり目。長かったバドが尾を引き、スクランブル状態になったのは無理からぬことかも(笑)。

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「GW」
・・・2014.05.14

久し振りにバド漬けな日々を過ごした。北海道は池田町で10日間、次いで名寄市で2日間。GWのこと。
3年生が1年生だった頃から係わったI中は何度目になるだろうか。今夏に向けて仕上げに入る時期だ。
正直言って、随分上達したと思う。だが男子のエースが筋肉痛からか調子が落ちて行ったのが気になる。
小柄ゆえ(ダア的には)フットワークで勝負すべきだと思うのだが、大腿部の筋肉が足りない。もも筋不足。
複数の十勝トップ選手(成人)との練習試合をこなしたからだろうか。動きで勝てる筈、勝つべきなのだ。
女子のエースが首筋を痛めて棒に振ったのは不可解。真面目で一生懸命な子だけに不憫さを感じた。
Y先生曰く、体幹トレーニングはして来たと。それを見た訳では無いが、(多分)効果を発揮していない。
筋肉痛になった部分(この場合は、もも筋)を鍛える。ダアの単純発想を伝授。毎日のカエルとびだ(笑)。

名寄のS先生は池田のY先生と大学同期でパートナー。ひょんなことで、続く2日間はN中行きとなった。
男子キャプテンに何だか見覚えが。足寄であった合同合宿でビデオを回してた当時1年、今は3年生。
そのチームは、やたら元気だがバドはまだまだとの印象だったが、今回は結構練習してるなと思えた。
2日間だし、フットワークの基礎をやろうと思って居たのが思惑違い。時間は足りないがストロークに言及。
こちらの男子エースは大柄。「俺、この2日間で随分上手くなった」と。また行きたくなる一言だね(笑)。
N中の選手は(初めて北海道の選手に出会った頃の印象の)更に向こうに居た。不思議さえ覚える。
女子は会った瞬間からハイテンション。名前を覚えてに始まり、質問責め、実技を見ていて欲しいなどと。
で、ダアに「家のお爺さんみたい」などと纏わりつく。シャイな男子は遅れて参戦。愛おしくさえなる(笑)。
それは(映像で垣間見る)途上国の人懐っこい子供の様相。彼我の違いは一体何? 研究したくなる(笑)。

北海道入りがGW前日。帯広に桜前線が到達とTVで。だが遠くの山並みは雪景色。見慣れぬ風景。
で、更に北の名寄は軒下に雪もあってGW後期も蕾のまま。市部では全国一の極寒の地だとネット情報。
バド部の選手も冬季はスキー部になる選手も居るそうで。夏にはひまわり畑が有名とポスターなどに。
池田では週日もあったので、授業がある時間帯に選手の自転車を借りて散策してみたりした。
ワイン城で試飲したり、ソフトクリームを食べたり、温泉にも・・ で、もも筋の衰えを痛感。鍛えねば(笑)。
別の週日には、十勝バスで帯広へ。帯広駅コンコースでS先生とばったりと。1秒ずれたら会えない偶然。
今や北海道を代表する指導者のS先生。出会いは10年以上前の旭川全中。北海道との縁の始まり。
この日はO中の創立記念日。来年の釧路全中の強化で1、2年生との遠征。バス停で選手を励ます。
休日は1日練習。週日も朝練に顔を出し、夕練には間に合うように戻った。まさにバド漬けの12日間。
フライトの都合で札幌で1日の休養日。朝起きて、今日は練習が無いと思ったら身体が喜んでた(笑)。

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「風紋」
・・・2014.04.18

「二十四の瞳からのメッセージ」と言う本に出会い、壺井栄の元本を50年ぶりに読み返したのが昨11月。
年末の北海道・池田中図書室では漫画版の一冊まで見付け出し、練習そっちのけで読み通したり(笑)。
(高峰秀子版映画の)復刻版DVDを購入するとか、あれこれ試みる中の極め付けは小豆島へ行くこと。
それも菜の花が咲き乱れる季節でなければならない。心の赴くままの、突然湧きあがった衝動的発想。
当時の諸々が今も残って居るとは思っていないが、何故にと問われても答えに窮する2泊3日の小豆島。

醤油味のソフトクリームが今一つだったり、ホテルで食べ過ぎて腹を壊したり、食の面では歳相応に。
廃校になった岬の分教場や映画のオープンセットでは、それなりにしみじみすることが出来たのだった。
で、車で回った島一周とかの何ともないことが心に残るのが旅の不思議。極め付けは瀬戸内海の静けさ。
波の音が全く聞こえない。海辺なのに波打ち際の表現が使えず、仕舞いには苛立ちさえも感じて(笑)。

露天風呂から屋島を遠望していた時のこと。突如のざわめきに驚き振り返ると、ヤシの木が激しく揺れて。
部屋に戻って見下ろすと、穏やかな水面を背景にヤシの葉だけがひとり踊り捲くる。まるでオンステージ。
(明日はフェリーで高松に戻り、空港からあっという間に羽田到着。もう来ることは無いだろうか小豆島)
本に出会って、心動かした小さな季節もエピローグを迎える。と・・ ふと、駆け巡る風紋に心を奪われる。
(島々に囲まれ)ゆったりと息づく眼前の水面を、小さな風紋が次から次へと縦横に駆け巡っていたのだ。
それはまるで(60年の時を隔てて)あの分教場の子供たちが息を吹き掛け遊んでいるかのように思えた。

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「免許」
・・・2014.03.26

自動車学校を卒業したのが土曜日。で、次の月曜日には学科試験を受けに運転免許センターへ。
余裕を持って出掛けたが着いたのは受け付け開始を回った9時過ぎ。制限速度を遵守したし(笑)。
原チャリを置いて建物を回ると、入り口前の広場は長蛇の列。ぐるりと巻いたとぐろに、もうびっくり。
尻尾に聞くと、書き換えの列だと。今しがた列に加わって、何故そこがそうだと分かったのか不思議。
掻き分けて中に入ると、幾つもの列が渦巻いていて溺れそう。遭遇した係員が書類を見て5番だと。
(申請用紙記入や収入印紙の添付やら諸作業は自動車学校が代行し、手渡されていたので大助かり。)
5番は原付免許所持者の列で30m弱。それでも受付に30分以上掛かって、やっと2階の試験場へ。
座る席を指定されて私語禁止、4-500人の受験者。3人居たポルトガル語受験は風貌がブラジル男か。
何十人かの英語受験は女性ばかり。ダアの周辺でも普通に見掛ける容姿。予定の10時に始まらない。
1年で一番受験者が多い日とかで、受け付けが全て済むまで待っていると。教本を開く気になれない。
小型限定自動二輪(原付2種)はダアひとり。原付でトロトロ走を好むダアはやはり異端児のよう(笑)。

全95問100点満点の90点が合格点。マークシート方式に不慣れなダアは違和感を覚えながら・・
取り敢えず明白なものを回答、文章に引っ掛かりを感じたら飛ばした。終点まで行って再度読み返す。
と、今度はすんなりと文意が読み取れる。落ちたくない真剣がダアをしてマークシートに慣れさせたか。
考えれば分かる問題が多いし、幸い(積載量とか、覚えることを放棄した)数字は出題されなかった。
即日交付で免許を手にしたのが17時。7時過ぎに家を出て、帰宅したのが19時。終わったの実感。

で、次朝にバイク屋へ。既に「スーパーカブ110プロ」を購入済みだった。消費税8%とは無関係(笑)
その足で慣らし運転100km超。交差点発進や坂道などでパワーが違う。スピードに嵌まるかも(笑)。

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「卒業」
・・・2014.03.22

原付免許では無く(30kmや二段階右折の制限が無い、125ccまでの)小型自動二輪免許を勧められた。
原チャリでのトロトロ走が性に合っているので若干躊躇したが、自動車学校に通うこととなった。
原付2種の呼称だからと自分を納得させたのだが、遵守し切れない制限からの解放が最大の理由。
高3の生徒が通う時期と重なったこともあって、教習生は若者ばかり。ダアは完全に老一点状態(笑)。
週1開催の高齢者講習受講者に親近感が(笑)。取得の動機を問う教官が一人や二人じゃ無かった。
で、入校から1か月で無事卒業。卒業式などと言うものまであって、別の世界を垣間見た日々だった。
教習はダブることなく進んだが、一本橋走行が苦手。その日の最初のチャレンジでは殆どが落ちた。
卒業検定では一発で落第。あんなの実際には無いと愚痴りながら(原チャリの)カブで路上練習。

二輪の卒検は2人(も1人は普通二輪の20代女性。一言二言だったが良い感じ)。普通四輪が大半。
で、全員が終了するまで待たされ、朝一から昼過ぎに。待たされた挙句の呼び出しは、落第の宣告。
呼ばれた教官に「お疲れ様です」と言う男子。高額の追加料金に「煙草代も無いのに」と呟やく女子。
高校生が殆どのようだったが、リアクションを興味深く観察。待合での仲間との会話が如何にも今風。
(奇跡的に)一本橋を失敗しなかったので大丈夫とは思っていたが、集められての合格通告にホッと。
卒業証明書を手にしてストレスから解放。この手のストレスは、老いた心身が受け付けなくなっている。

後は運転免許センターでの学科試験に通れば良い。当地では水戸での試験と言われているものだ。
学校でも卒検までに学科合格(90点以上)が必須。学科受講だけで受けたところ95点合格だった。
水戸へは一夜漬けで臨む気だった。標識とか何mの定義とか頭に入りにくい難関が待っている。
試しに教本の確認問題や、ネットにある問題をやってみると、70~80点にしかならない。こりゃ無理だ。
で、学科の勉強は放棄することに。さらっと目を通しはするが、絶対に覚えられるボリュームじゃない。
何度も受験出来るし、○×式には運も。金と時間を費やしても、覚えるストレスより遥かマシだよね(笑)。

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「うぬぼれ」
・・・2014.03.09

「引退して時間が自由になったんだったら、来てくれないかな?」実家からの電話に二つ返事で「OK」。
場所は店(スナックを経営)では無く近くの公会堂。日時のみの情報を仕入れ、他は聞かず仕舞い。
呑み会の盛り上がり最中だったし、何の用事かはその内にと思っていたら、当日になってしまった(笑)。
駅を降りて(実家と)逆方向に進むと公会堂。扉を開けると割烹着の小母さんが探るような目を寄越す。
広間にはテーブルとイスがびっしり。奥にはステージが設えられていて、収容人数は優に50を超える。
(実家の2階はカラオケ教室で)目の前で繰り広げられていたのは、年に一度とかのカラオケ発表会。
会場は一寸めかした小母さんが大勢。歌ったり飲食したり、台所では割烹着を羽織って料理の配膳も。
初めての光景に目を白黒(笑)。会場設営から料理(美味かった)やら何もかも、流石小母さんパワー。
片手に足りない小父さん達の存在感発揮は、まとめたパイプ椅子を仕舞う時だけ。力仕事が全て(笑)。
名札と共に出演順が記されたプログラムがあって、それに従い粛々と発表(演歌ばかり)が進んで行く。
ダアの名前も記されていて、曲名は空欄。結局3曲も歌っちゃって、まるで大物ゲスト歌手の扱い(笑)。

出演は一部例外を除いて一度だけ。朝から夕方まで延々と。適度に出入りもあって、上手く回ってる。
楽しみのためにカラオケを嗜んで、少しでも上手くなりたいと実家の教室に来たような小母さんが殆ど。
カラオケを巡る巷の情景は知る由もないが、一寸上気して歌う小母さんたちの表情が何とも微笑ましい。
中には、如何にも歌い慣れしていると言う人が(何人か)居て、姿勢も堂々。大きな拍手を貰っていた。

で、店での二次会はそんな歌い慣れした面々ばかりが集まって、今度は何度も歌えて欲求不満無し。
デュエット曲を好む小父さん。夫婦じゃ無く、男が社長で女がその事務。下世話な情報は隣席の客(笑)。
その社長さんが主催するカラオケ会があって、良ければダアにも参加して欲しいと、隣席客を介した伝言。
後で聞くと、店内に貼られたビラに「うぬぼれ何とか」の会。何とかの部分は忘れたけど強烈なネーミング。
勿論パス。ダアは「うぬぼれ」じゃなくて、酔って歌うだけの人。で、会費7000円が未だに理解不能(笑)。

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「右折」
・・・2014.02.25

オイル交換で訪れたバイクショップのおやじと気が合って、あれこれ話が弾んだ。で、免許の話も。
ダアは簡単に取れた頃の原付(1種)免許なのだが、原付2種(小型限定)の取得を勧められた。
前者(50㏄)に対し後者(125㏄)は、税金や保険に大差なく、30km制限や二段階右折が無くなる。
制限速度は勿論承知していたので、遵守に努めていた(笑)。問題は二段階右折、詳細は認識不足。
運転歴の途中で、二段階右折が導入されたことは知っていたが、左図標識のみのインプットだった。
調べると、1種は3車線以上の交差点では二段階右折。2車線に右折レーンがあれば3車線でアウト。
(原付二段階右折1985年制定。車のシートベルト着用義務と同年。原付ヘルメット着用1986年。)
知ってしまってからの走行は、何とも不自由。知らなかった何十年はスイスイ右折していたのに(笑)。
近くのバイパスを右折でダアの家に曲がるのも、当然ダメ。試しの二段階右折は、なんともミジメ。
(でも、原付の二段階右折って目撃したことが無い。ネットには摘発された例が散見されるけど。)

遠出を考えれば、走行制限もなく、パワーもあって・・ 言われてその気になるダアは単純な性格。
さっそく自動車学校へ向かったのだが、60(70の方が近い)の手習い。無謀な挑戦かも知れない。
もはや硬直してしまった頭脳、立ち枯れ寸前の身体能力。一波乱ありそう。止めとくべきかな(笑)。

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「赤とんぼ」
・・・2014.02.23

大昔、ダアが免許を手にして初めて乗った原チャリがゴリラ。その一代目は悲惨な最期を遂げた。
海を見に行った帰りのこと。何度もエンストをして、エンジン回りから異様な熱気が漂っている。
田んぼの水を掛けると、蒸気に包まれて、暫くすると走れる。そしてまたエンスト。そんな繰り返し。
近くの自転車屋(バイクも取り扱う輪業)に持っていくと、駄目だこりゃエンジンが焼き切れてる。
ダアだって理系だからエンジンの仕組み位は知っている。知識と現実が噛み合わない。現実馬鹿。
ガソリンを入れることを「油を入れる」と表現をする人が居て、油 → オイルで思考が停止してた(笑)。
ガソリンを入れればオイルも問題ない。と考えた訳でも無いが(興味が薄い分野で)何も考えなかった。
で、二台目以降は(走行距離をメモして)きちんとオイル交換。やっと普通の原チャリ乗りに(笑)。

長い間通った自転車屋のおやじが亡くなり、次に紹介された店は(趣味の域なのか)営業が不規則。
メモに促されて行ってみても閉まって居たりして。何となく足も遠のき、何時しか倍以上の走行距離。
で、ジムへの道筋にバイク屋があって、その名が「赤とんぼ」。何時も開いてるし、気になるネーミング。
寄ってみると出てきたのは同輩と思われるおやじ。バイクが好きで好きで堪らない風情。気が合いそう。
店名の由来を聞くと、ヤマハが最初に作ったバイクの名前。ディスプレイしたいが高額で叶わないと。
オイルを見れば乗り方が分かるとか。で、未だ綺麗。交換の必要無かったには絶句。店主に好印象。
夏に考えてる東北一周を持ち出すと、話が弾んだ。で、原発絡みの交通遮断は脇道があると。
浜通り沿いの住民が中通り経由で移動する訳も無く、納得。夏に向け色々聞きたい意義ある出会い。

因みに愛車は初代と二代目がゴリラ、次がモトラ。焼け死んだ初代を除いて家から拉致された。
で、4台目以降は勧められてカブ。高性能だが盗難車市場では低評価だとかで、被害にあってない。
当初は乗った姿勢のジジ臭さに戸惑ったが、今は慣れた。まあ歳相応と言うことでしょうけど(笑)。

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「弘法の筆」
・・・2014.02.16

「弘法筆を選ばず」「弘法も筆の誤り」。まるで真逆のような諺もあったりして、その解釈も諸説あるよう。
どちらかと言うと世間一般の常識から少しずれているかも知れないダアの、これはちょっとした失敗話。
昨年末から週一のテニス教室。始めた頃には終えて軽い疲労感があったが、最近は物足りなく感じる。
生徒は(子供が学校に行った後の)アラフォー前後の女性中心。退職後の男性もチラホラ混じっている。
バドと通じるところがあって、ミートさえすればダアの打球は他より目立つ。でもコントロールが難しい。

先日のレッスン終了時、コーチが熱心にガット張替えを勧める。曰く「ボールの飛びが全然違いますよ」。
ダアのラケットは80年代の名品とかで、埃を被っていたもの。数十年張りっぱなしだが素人目には十分。
ダア的にガットは切れた時が張替え時(バドで身に付いた習性で、テニスは違うものかも知れないが)。
飛び過ぎて、コートをオーバーしているのが現状だし、第一ガットの違いが分かるレベルじゃ無い。
で、再度の勧めに口をついたのが「弘法筆を選ばず」。コーチの嘲笑含みの反応に、一瞬戸惑った。
自らを上手と自惚れた・・ そう思われたと気付くのに時間は要らなかった。「綸言(りんげん)汗の如し」。
で、「ガットの違いが分かるレベルじゃない」と、ストレートに言えば良かったと思うも「後悔先に立たず」。

名人・達人と呼ばれる人は、道具などの良し悪しは問題にしない。それが「弘法筆を」の一般的な解釈。
念の為の検索は、多くはそれ支持する。が、「人口に膾炙」して来たものの意は、それに止まるまいに。
「転じて」と解釈が続く例がある。弘法を言うのではなく、庶民に向けた寓意を含んでこそ諺ではないか。
「弘法筆を」も転じて、未熟な者が道具などを理由にするのを戒めている。そんな解釈が成り立つのでは。
正直言って、単なる自己弁護かも知れない。「結構上手いかも」の自意識が無かったことも無いし(笑)。

「弘法筆を選ばず ―責任転嫁に対する戒め― 」と題するブログがあった。我が意を得たりで主旨引用。
http://studio-limelight.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-7203.html
「弘法筆を選ばず」という諺が本当に言わんとしていることは、
「未熟だったり、下手だったりする者が、それを道具や材料のせいにするな」と戒めているのである。
すなわち、責任転嫁するなという意味である。

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「猫?」
・・・2014.02.14

ダアの家の玄関ポーチに円形水槽が置いてある。直径80cm高さ40cmなので結構大きい。
(因みに軒下には、これまた長大な300cm×40cm、高さ30cmの長方形水槽もある。)
これらは以前、淡水魚に嵌っていた頃の名残り。タナゴ、モツゴ、ドジョウ、メダカなどを飼育していた。
当時は庭をぐるりとパイプで繋いだ13の流れる池があって、室内には8個のガラス水槽があった。
(池はセメントで手作り。最大のものは畳2枚分、小さなものはバケツ大。子供の頃の夢想を実現した。)
それが花に興味が移り、場所取りに負けて池は埋め立て、ガラス水槽は処理場行きとなった。
上記の円形&長方形水槽は特注品でもあり、廃棄しないで暫くはプランターとして利用していた。
が、やはり幼少時に刷り込まれたものからは簡単に逃れられず、やがて水槽として復活したのだった。

その後、飼育するのはコメット(大好きな尾ひれの長い金魚)とメダカ。ごく普通の観賞魚になった(笑)。
で、ここから本題。続く寒さで行動が爺さんモードになり、外に出るのも億劫になっていたある日の事。
エサやりもせず、覗きもしなかった水槽にたまたま目をやると、円形水槽に居る筈のコメットが居ない。
30匹位は居たのに影も無い。(詳しく見ると、水草の陰に昨年生まれで生育不良なチビが1匹。)
一瞬何があったのか想像さえ出来なかった。誰かの悪意に満ちた悪戯? な訳はないだろうに。

近所の猫の仕業だと今は思っている。昔、水槽に前足で立ち上がり狙っているのを見たことがある。
何日か前に(バシャっと水面を掬ったかのように)水草が水槽の縁に散乱していた。洞察不足を悔やむ。
猫が新しく(狩りの)スキルを習得したのだろうか。身体が大きくなって届くようになったのかも知れない。
玄関前のセンサーライトがしばしば点灯していた。明るさは寝ている魚を狙うには好都合だったろう。
にしても、猫って水が苦手だったのでは。しかも真冬の冷たさ。表層に誘い出す技でも編み出したか。
今夏に向けた対策を考えねばならない。防御網は無粋。メダカは老眼に見えにくい、やはりコメットが。
センサーライトの撤去(or水面を照らさぬ移設)もありか。いやはや、何時までも苦労が絶えない(笑)。

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「大雪」
・・・2014.02.10

都心で45年ぶり、(隣の)つくば市で78年前に次ぐとかの積雪があった朝(我が町の記事は無し)。
義兄の49日法要で東京・蒲田に出掛けることになっていた(家族葬と言うことで葬儀には出ていない)。
が、服装も整えスタンバイしたものの積雪で車が出られない。どうしたものかと少しばかりアタフタ。
路線バス情報はログイン不能。やっと見付けた電話番号は不慣れな係員、不通で見通しも立たないと。
2階から眺めると、近くのバイパスには車がノロノロ走っている。大きな道を辿れば駅に出られるかも。
頼みの知人は我が家同様、家から車を出せないと。タクシー会社は何度電話しても出てはくれない。
間に合う出発時間も過ぎてしまい、姉に電話をしてみたけれど話し中が続いて、もうパニック寸前。
やむなしの欠席も頭をよぎって、外に出て溜息を付いたりして。で、何度目かのダイヤルで姉と繋がる。
朝から義弟たちの(積雪で)出掛けられないとの電話。食事の予約数変更などでテンヤワンヤだったと。
で、ダアとは暫く会ってないので食事だけでもと。会ったのは片手で足りない昔。「行く」と二つ返事。

そうこうする内に(ご近所総出状態で雪掻きしてくれたお蔭で)何とか車が出せそうになっていた。
服装を戻した助手席のダアは(作業を全くしていないので)恥ずかしい思い。で、やたらペコペコと(笑)。
何とか駅まで辿りついたらタクシー乗り場は長蛇の列。(日曜だったけど)週日だったら大変だったね。
次の上りは30分向こうの駅で、次の下りは1時間向こうの上野で待機中。アナウンスは混乱を伝える。

初めて降り立った蒲田駅。到着はジャスト法事終了時間。本当に食事だけの東京・蒲田行となった。
男兄弟で残ったのはダアだけだが、女3人は健在。長姉(喪主)の子(甥2人)夫婦も交えワイワイと。
甥たちは小さい時こそ親しんだが、今や兄は定年間近で弟は50代。何だか立派に見えて気後れ(笑)。
駅での解散時カラオケの話が出て、長姉の「ダアの歌を聴いたことが無い。」が決め手となる(笑)。

「18歳違いだと思っていた。」のダアに「失礼ね、16歳よ。」と返す長姉を中心に、楽しい時が過ごせた。
女3人は以前から緊密に繋がって居たのだが、指導を退いたダアを引き込もうとする様子がありあり。
でも、幼名のちゃん付けで呼ばれるたりする雰囲気は、何だか心が弛緩して苦手っぽいかもね(笑)。

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「始動」
・・・2014.01.10

この冬一番の寒気襲来。凍えるような空気の中で今日、4週間ぶりとなるテニス教室(練習始め)。
ラケットを背負った原チャリは頬が冷たく、テニスが無ければ家に籠り続けていたのは間違いない。
ジムも億劫になって行かないから、こうやって何か用事があるのはボケ対策に有効かも知れないね。

12月の十勝行は合宿初日に突然吐き気と下痢に襲われて・・ 直前の札幌でウイルスを貰った模様。
選手たちが張り切っているのに、ダアは腹に力が入らず十分に応えてやれなかった。痛恨の極みだ。
ただ(自チームの)指導を離れても、他に向けた「練習法」編集を動機付けられたのは意外な収獲。
「練習法」の改訂もボチボチ始めようと思っているし、彼らには出来るだけ挽回のチャンスを作りたい。

年末年始は本格的に静養。十勝からの帰着早々に誘われたS監督の祝勝会も申し訳ないことをした。
紅白歌合戦を初めて完全視聴(笑)。若い歌手は知らない人が多かったけど、白組優勢は瞭然だった。
前年「ヨイトマケの唄」で話題だった美輪明宏は「ふるさとの空の下に」を歌った。ダアは両方歌える。
1965年発売ドーナツ盤のA面B面。ダアの家に姉が買ってきた玩具みたいなプレーヤーがあったのだ。

ウイルスも退治出来て、1月も5日になると流石に少しウズウズ。で、ラケット(バド)を背負って筑西へ。
Tクラブ、練習有無不明だったが、時々行くショッピングセンターの少し先。昼間限定のバドを楽しめた。
1月は隣県Tの高校にも行くし、別の隣県Tにも行く予定。それらを皮切りに盛り沢山の1年の始動です。

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「再訪」
・・・2013.12.15

年末に北海道の十勝に行く。熱い心を抱えた人たちが、ダアのバドに今なお意義を求めてくれる。
指導を退いた身に時間は十分ある。で、地元に心を残していた当時には叶わなかった長期滞在。
弛緩してしまったバドの眼で、果たして期待に沿えることが出来るのか。不安も少なからずある。

ダアの選手たち決して才能充分ではなかった。解析洞察し、打開策を見出す作業は楽しくもあった。
それを、他者に紹介し、検証する・・ 今までのダアは間違いなく、自チーム向きの立ち位置だった。
荷を下ろした今、彼の選手たちに最も効果的なアドバイスを模索する。そのことに大きな楽しみがある。

楽しみと言えばもう一つ。札幌経由の旅程、今度こそはモエレ山(モエレ沼公園の主峰)に登頂したい。
前回の最大目標だったが、寒さと深い雪に阻まれて断念。チャレンジは4度目に持ち越していた。
大願成就に天候が気掛かり・・ と、少々大袈裟。何となればモエレ山、標高62メートルなのだ(笑)。

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「少年」
・・・2013.12.10

T市図書館から借りた文庫本は3冊。読まねばと思いつつ迫ってしまった返却期限に、急遽の読書day。
半世紀ぶりの再会となった「二十四の瞳」。隣に配架してあった「母のない子と子のない母と」(壺井栄)。
共に小豆島が舞台、時代背景も似た作品。平易な語り口が心地よく、失ったものに心を馳せてしまう。
図書館に文庫本を集めた一室。作家ごと(五十音順)になっていて(参考の為)ぐるりと回ってみた。
名前だけを知る作家がずらりと並んでいた。何しろ本を読まない。今回を機に読書習慣をと思う(笑)。
で、手にしたのが谷崎潤一郎の短編集「刺青・秘密」。収められた「少年」を読んだことを覚えている。

「糸織の筒袖に博多の献上の帯を締め、黄八丈の羽織を着てきゃらこの白足袋に雪駄を穿いた様子が、
色の白い瓜実顔の面立ちとよく似合って、今更品位に打たれたように、私はうっとりして了った。」
(引用)
壺井とは筆致が全く違う。耽美主義、過剰とも言える女性愛、マゾヒズム、スキャンダラスな文脈・・
谷崎の印象は後日形成されたもの。十代のダアは偶然読んだ「少年」の世界に不思議な感情を抱いた。
で、これ以上読んではいけない。踏み込んではいけない・・ そんなことをおぼろげに思ったのだった。
で、今回は普通に読めました(笑)。そりゃあ長く人間やってりゃ、免疫もそこそこ出来ますよね(笑)。

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「牛タン」
・・・2013.12.01

牛タンを食べに行こう・・(共に指導を卒業した)Gさんとの間で阿吽の呼吸で持ち上がった仙台行き。
全日本Jr.グランプリに合わせてのこと。正直バドは添え物。2人に牛タンで盛り上がった経緯がある。
ダアのテニススクール時間に合わせて来てくれた教え子&親のSさん。男3人の高速道は楽しかった。
で、大会応援の親さんらと合流した宴は大はしゃぎ。二次会カラオケへ歩き始めた以降の記憶が無い。
次の朝、松島観光の筈が「ちょっとだけ」と体育館へ。Gさんもダアも元教え子が大会に参加していた。
で、結局遊覧船はまぼろしに。染み付いた悲しい性(笑)。が、体育館には心惹かれる光景が無かった。
メインもサブも覗いた。観覧席にも通路にもロビーにもそれは無かった。かつては普通にあったのに。

と、突然「こんにちは!」輝く瞳が挨拶してくる。すらりとしたJK(ダアはこんな表記も出来ますぞ、笑)。
一歩後ろの小柄女子はダアと接点が無かった模様。先輩に習う様が初々しく、良い伝統を思わせる。
示すものは何も無かったが、S高の選手なのは明白。最後に行ったのが、満身創痍の昨年末&年始。
思えば、世の趨勢に流されること無く独自の進化を遂げているのがS高。俄然、興味が湧いてくる。
縁あって行く北海道に加えて、隣県に絶好のフィールドワーク適地があった。っと、不謹慎かも(笑)。

かの選手から報告を得たのだろう、数日して当のS高T先生から(今度呑みましょうとの)電話があった。
引退の慰労の意だったようだが、ダアはラケット持参を主張。これで、老後の楽しみがまた増えた(笑)。

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「ひと昔」
・・・2013.11.29

「十年をひと昔と言うならば、この物語の発端は今からふた昔半も前のことになる。」
成るべくしてと言うか、次にT市図書館から借りた本は「二十四の瞳」(壺井栄著)。文庫版だった。
で、50年ぶりの再会に高まりが抑えきれず、(読み通す時間が出来る前に)そっと開いてみた。
その書き出しが引用文。出会った当時の記憶はないけれど、「十年ひと昔」の文言にはある種の感慨が。

井上揚水「夏まつり」の歌いだし、「十年はひと昔 huu 暑い夏 おまつりはふた昔 huu セミの声」。
「二十四の瞳」は61年前、「夏まつり」(1972年発表)は41年前。正に「十年はひと昔」の時代だった。
それが(ダアの皮膚感覚でだが)10年あたり前から「五年はひと昔」そしてついに「一年はひと昔」に。

かれこれ30年位前のことだろうか、海を眺めるのが好きなダアは浜辺に一人居た。夏の終わりのこと。
3年生の戦いが終わり、次の一年への充電期間。次から次へ寄せくる波が、選手たちと重なって見えた。
今年は何とか恰好が付いた。が、毎年の葛藤・・ やがて、繰り返す波に呑み込まれる日が来るだろう・・
20世紀に始まった文明の爆発は留まることを知らず、あたかも終焉の時に向かって居るかのよう。
文明の高度な発達と人心の荒廃は(残念ながら)裏腹の事実。まして、心の拠り所が希薄な我が日本・・

激しく変貌した50年の移ろいは、ダアに小説「二十四の瞳」から何を感じ取らせようとしているのか。
・・読み出す前にあらぬ方向に迷走してしまった。ここで覚醒・・ 今度、揚水の「夏まつり」を歌おう(笑)。

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「読書3」
・・・2013.11.19

ソファを明りの真下に移動したりしての読書。当初、字面を追っても脳内にイメージが広がらなかった。
活字離れの問題が云々されるが、読書によって働く「野」の存在を実感。何時もと違う脳が疲れた(笑)。
で、山根三奈著「甘いオムレツ」は、小椋佳の同名曲からの印象と離れたものだった。母が豪快過ぎる。
曲はタイトルと相まって独自の世界を醸しているが、本の中では「甘いオムレツ」は添え物に過ぎない。
サブタイトルで「父と母の物語」と謳ってはいるが、正直、NHK朝ドラの一代記ヒロインが相応しい。

本で「甘いオムレツ」が強烈に存在する場面もあった。一代記的には一つのエピソードに過ぎないが。
焼野原となり、店の焼け跡から鍋と保存していた食材を発見。急ごしらえのかまどで商売を始める。
大鍋が煮えた時、戦災孤児たちがそれを略奪。再度の煮え時に再来した彼らを前に地面にぶちまける。
と、驚くべき行動。孤児たちは地に口を付けて‥ 母と孤児らの心が通じるのに時間は要らなかった。
孤児たちのリーダーが血を吐いて‥ 病院へ行けの進言を「皆の金は使えぬ」と言い張るリーダー。
母は「甘いオムレツ」を作って行き、一口食べさせる。仲間たちに「甘くて旨いから食え」と言うリーダー。
「(自分たちは)もう食べたから、もっと食え」と勧める仲間たち。本当は誰も口にしてはいないのに。
リーダーは、口にする力さえ残っておらず、母の胸の中で息を引き取る。遺体にすがって泣く彼ら・・。
終戦後の混乱期、疎開から帰った彼らは家も家族をも失い上野辺りで浮浪児となって生きていた。
上野駅の地下に繋がる道をダアは覚えている。リーダーは恐らく結核だった。で、思い出したことがある。
ダアは南千住で生まれ、小学校の入学前に川崎に越した(草履入りの袋を提げて学校へ行った覚え)。
で、集団検診で引っ掛かり保健所へ。今思うと、要精査児童を擁護教諭が引率したのだと思うのだが、
見も知らぬ場所に放り出され、心細さもあって注射針の痛さに涙が流れた。その部分だけが脳裏にある。
結局、結核が自然治癒した痕跡があるとのこと。今じゃ考えられないことだが、そんな時代だった。

余談:小椋佳の叔父さんが、実は母の子(つまり叔父ではなく、兄)と言うことが書中で明かされる。
取材で初めて明らかになったとは考えにくいが、本では言及されていない。下世話過ぎますかね。

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「読書2」
・・・2013.11.15

「甘いオムレツ」を探してT市図書館に行った時、「二十四の瞳からのメッセージ」と言う本に出会った。
映画「二十四の瞳」が上演されて50年を迎えたことを記念して、子役たちが小豆島へ行き、再会する・・
そんな新聞記事に想を得た著者が、取材を重ね、世に問うた労作。2007年(平成19年)の刊行。
子役として1年生役と、成長した6年生役を選ぶにあたり、全国からよく似た兄弟、姉妹を募集。
3600組7200人から12組24人が選ばれ、大人になってからの役者も子どもたちに似た役者を選んだ。
(素人の子役として)出演することで、その後の人生に決定的な影響を受けた子役たちの生き方、
俳優やスタッフの貴重な証言、当時の資料を駆使し、いまや失われつつある日本人の原点を見据える。
 ◎簡単な年譜
 1952年(昭和27年) 壺井栄の原作小説が発表される。61年も前になる。
  原作は1928年(昭和3年)から1946年(昭和21年)までの18年間を描いている。
 1954年(昭和29年) 木下恵介監督・高峰秀子主演、映画「二十四の瞳」公開。以下「木下作品」。
  撮影は原作発表翌年1953年(昭和28年)春から1954年(昭和29年)春にかけて行われた。
 1987年(昭和62年) 浅間義隆監督・田中裕子主演、映画「二十四の瞳」公開。以下「リメイク版」。
 2004年(平成16年) 木下作品に出演の子役たち、50年ぶりの再会。
 2007年(平成19年) 澤宮優著「二十四の瞳からのメッセージ」刊行。以下「本書」。
 2013年(平成25年) 松下奈緒主演作「TVドラマ」放映。以下「松下TV」。
 (これまで、映画化2回、TVドラマ化6回、TVアニメ化1回、計9回映像化された。)
原作は後年、多感な年頃に読んだ。映画は見たのか、TVスポットだったのか、断片的な記憶しかない。
原作に深い感銘を受けたので、後に目にした幾つかの映像が原作に沿って整合された可能性もある。
今夏放映の「松下TV」は、だから何としても見たかった。そして、大きな失望のみが残った。
戦時を描いた超大作などで、俳優が熱演すればするほど違和感を覚えてしまう。それに似ていた。

「木下作品」の1年生役は(ほぼ)昭和22年生まれ。大根飯やサツマイモを食った顔。戦後の顔だった。
子供たちに昔からの教育の躾、習慣が残っていて、スタッフに懐き、素直で思い出に残る子供だった。
子役以外のスタッフ・キャストも戦時下を生き抜いた人々であり、役者は昭和初期に通じる顔をしてた。
軍国主義を突き進んだ日本、そして、敗戦によりそこから解放された日本、2つの時代の日本を生き、
その空気感の違いを身を持って知るスタッフ・キャストたちによって制作されたのが「木下作品」なのだ。
「リメーク版」の子供はチョコレートを食った顔をしていた。撮影の合間はおしゃべり。素直さに欠けた。
白い飯を食ってロケ現場にパジェロに乗って来た役者が化粧をしても、昭和3年の顔にはなれない。
風土もまた違ってしまった。抒情的な土地柄が失せてしまい、抒情的な風景が取れなくなっていた。
「木下作品」と「リメーク版」の間には33年もの隔たりがある。日本は根本から大きく変わってしまった。
「松下TV」とは(更に26年経て)59年もの隔たりがある。原作の世界は求むべくも無かったのだ。

ダアの好きな歌に「風に立つライオン」(さだまさし)がある。長尺の迷惑を顧みず、酔うと歌ったりする。
アフリカで接した患者の瞳の美しさに「僕たちの国は残念だけれど大切な処で道を間違えた」と綴る。
「本書」のテーマと相通ずるものが、そこにある。心を置き去りにした発展は、ある意味で空しくさえある。
ダアと「木下作品」の1年生役は同世代。親は明治生まれ、その親となれば江戸時代に通じているかも。
戦前に通じる価値観を持つダアは、「本書」が提示する変貌をリアルタイムで体感して来たのだ。

・・そして今がある。

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「読書」
・・・2013.11.11

さて、きちんとした本を読むのは何年ぶりなんだろう。小説に限れば少年の頃以来かも知れない。
山根三奈著「甘いオムレツ(2000年9月刊)」。小椋佳の同名曲(同年7月発売)を聞いたのがそもそも。
昭和15年に出会った小椋佳の両親の物語であり、昭和34年小椋15歳の夏までが描かれている。
小椋の弟から母の物語をと依頼された著者が、大勢の関係者に取材の末、書き上げたとのこと。
小椋への取材は最後、「行ける」となってからとあった。この取材が曲作りと関連したことが窺える。

T市図書館で貸し出しを受けて、手元にあるのになかなか踏み込めない。読書習慣がないのだ。
返却期限もあることだし、意を決して読んでみる。部屋を暗くして明りの真下にゆったりと座る。
好んで詩の類を読んだりはしたけれど、物語を読み進めるのは苦手。登場人物の区別が出来ない。
映画などを見ていても同様なことが時々あるから、ダアには人物識別能力が欠落している模様(笑)。
読んでみて、語り口が曲への思い入れと一致しない。取材事実の羅列にしか思えず、違和感を覚える。
ネットで読むレビューでは絶賛していたし、ダアの読みとる力が足らないことに起因するのだろう。
読み終えると外はすっかり暗くなっていた。食事をしていても何だか不満足。こんな筈では無かった。
で、明りの下に戻って読み直してみる。すると字面に一々引っ掛かっていたものが、今度はスラスラと。
予習してあるので物語がスッと進んで行く。著者は脚本家なので、筆致に特徴が出ているような気が。
結局読破2回。時計の短針が1周し日付が変わっていた。強い考察の後は眠れないものだが、即熟睡。
読書は(多分TVなどの視聴も)脳の働くところが、考えたりとは違う場所だと言うことを実感した(笑)。

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「テニス」
・・・2013.11.05

バドで台東区のクラブを訪れたのは(まだラケットもあるし)違った形で楽しもうと思ったのがそもそも。
(最近のラケットって何とも高額。今あるのが壊れたら、新しく購入してまで続けようと思うかは不明。)
で、家にホコリを被ったテニスラケット(その昔、志した人は今ではすっかり人魚になって)があって・・
折角あるのだから活用してみようかと。ジムワークの単調さが性に合わなくて、やや飽きていたし。
で、ジムのテニススクールに入ることに。謙虚に入門クラス。昔、職場の親睦で握ったくらいの経験。

当日は抜けるような晴天。クラブハウスで待っていると、ちょっぴりドキドキ。現れたコーチは真っ黒。
トスしてバウンドした球をフォアとバックで打つだけ。でも違った筋肉を使うのでそれなりに疲れた。
家にあったラケットはヨネックスのR-7。真っ黒コーチ曰く、自分の高校時代のあこがれ、名品だと。
ちょっとググってみると、「80年代の名品 ナブラチロワや松岡が使っていた」とあった。へえ(笑)。
にしてもテニスラケットって頑丈のよう。近い将来、手元に残るのはテニスだけだったりして(笑)。

因みに着るものはバドを流用、専用シューズは入会促進キャンペーンとかで無料で入手。
ラケットバックパックを購入。バドと共用出来る。左図ではバドとテニスのラケットを収納してみた。
収納は使い分ける積りだけど、こうして両者を収めても絵になるね。でも現実的じゃ無いか(笑)。

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「図書館
」・・・2013.10.27

「甘いオムレツ」を求めて隣りのT市に出掛けた。レストランでは無くて図書館なのは話の流れ。
小椋佳の同名曲について書いて、直ぐに近くの図書館に行ったら、何のこと休館日で原チャリ・ターン。
で、再度の無駄足は嫌と(雨の引きこもり時に)ネット検索したところ所蔵されていない事が判明。
検索システムは普通にあるようで、T市図書館に所蔵を確認。台風が過ぎて空は真っ青。風が冷たい。
T市には良く行くけど、図書館は初めて。で、肝心の本が見当たらない。別にある保管庫の所蔵だと。
取り寄せに利用者登録カードを作ることに。色々説明してくれる係りの人が棒読みで耳に入らない。

館内を回ってみると利用者は結構多い。3階の書架には古めの本。本に向き合うのも久し振りだ。
中也や朔太郎がある。結構懐かしい。そう言えば遠征先で図書館に出会うと、良く入ったものだ。
前橋遠征だったか選手たちとの朝の散歩で、朔太郎記念館に出くわしたことまでが脳裏に蘇える。

「二十四の瞳」からのメッセージ(澤宮優著2007年)と言う本が目に入る。パラパラッと目を通す。
木下恵介監督の映画「二十四の瞳」を、当時の子役や出演者、スタッフらの証言をもとに検証、
作品が現代へ何を問いかけているかを探ったとかのノンフィクション。ぐいぐいと引き込まれる。
(閲覧室もあって)腰掛けて読む選択肢もあったが、様子見の積りだったので、そっと書架に戻す。
T市図書館。今後お気に入りの場所になりそうな予感。少なくとも読みたい本が2冊ある(笑)。

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「染め」
・・・2013.10.25

今年の10月は台風による雨降りが多い。先週には伊豆大島で土石流による大災害が発生した。
ダアの庭は被害もなく、かえって水遣りの手間が省けて楽は楽なのだが、原チャリの足に影響が大。
あちこち出向くのが億劫になり引きこもりがちに。こんな時にはTシャツの染めをするのが解決法。
今回は布描き絵の具を使用。水性塗料と同じエマルジョンタイプ。乾燥時に被膜を作り不溶化する。
その時に繊維に浸み込み絡みつくのだが、化学的結合では無いので洗濯の繰り返しで剥離する。
因みに、ダアが多用する(合成藍の)スレン染料は還元・酸化による化学的結合を伴う強固な染め。
ただ試薬(アルカリ&還元剤)使用によるものか、(別素材のようで)エリがヘタってしまうのが難点。

図柄はネットからチョイス。子供の画、ムーミン、スヌーピーをトレース。個人使用だから大丈夫だよね。
左図がその一例。スヌーピーは青ざめ過ぎだし、チャーリーブラウンはブラウン過ぎだったかも(笑)。

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「ひたすらに
」・・・2013.10.09

You Tube・小椋佳で検索していて、知らなかった曲に出会った。34年前、1979年の発表曲。
大宅歩の詩に小椋佳が補作し、曲を付けた。大宅歩については当時の新聞記事で目にしていた。
(以下ネットより抜粋転載)大宅歩(1932年-1966年)は、日本の詩人。評論家、大宅壮一の長男。
日比谷高校、東京大学卒。中学、高校とラグビーをしており、しばしば負傷したことなどから、
高校の頃から脳に障害を抱いて発作を起こすようになった。ノートに詩文などを書き残していたが、
33歳で死去。その遺稿は『詩と反逆と死』として刊行され、夭折した若者の手記として広く読まれた。
1978年には、その手記を素材として、映画『残照』(河崎義祐監督、三浦友和主演)が制作された。

You Tubeにアップされたのが2010年。遥か遠い青春に思いを馳せたコメントも記されている。
ダアはこの類の曲に強く心惹かれる。 http://www.youtube.com/watch?v=PPZP8vgpOxc
静かに聴いていると、行き場が見付からなかった遠い昔の、胸が締め付けられる思いが蘇がえる。

   『ひたすらに』 作詞:小椋佳・大宅歩 作曲:小椋佳

    ひたすらに 夜を降り続けて そのまま 海へ消えてしまう
    数限りない 雪を 君は 見たことがあるのか
    白くも白くも なれなかった雪を

    ひたすらに 光追い続けて そのまま 闇を背負うだけの
    朝を知らない 旅を 君は こらえろと言うのか
    帰りの道さえ 見失った旅を

    ひたすらに 愛を生き続けて そのまま 風に枯れてしまう
    孤独な崖の 花を 君は 手折ろうとするのか
    砂風吹く日も 咲き匂う花を

夭折・・ 切なく哀しく、それゆえ愛おしくさえなる。1、2番の大宅歩は確かに漂いの中に居る。
3番を小椋佳が補作し、一つの作品として仕上がったのだろう。だが両者の間には小さな隔たりが。
迷い彷徨っているからこその1番2番。3番は立ち位置変え、それを俯瞰している。大人過ぎる。
今のダアは3番の納まりに安堵さえ覚える。が、夭折した心は1、2番に留まってこそなのではないか。

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「遠きにありて
」・・・2013.10.07

You Tubeで「甘いオムレツ」を聴いた時、他にどんな曲があるだろうか検索してみた。
そこで見つけたのが「遠くにありて」  http://www.youtube.com/watch?v=NYXc-m8iQSM
1975年10月にNHKで放送された銀河テレビ小説『遠きにありて』のテーマ曲。38年も前のこと。
主演尾藤イサオの「うすら哀しいなあ。」というセリフを思い出すとあったが、内容は覚えてない。
バドを教えるようになって、それでもまだ音楽がやりたくて‥ 二つのことを並行してやっていた。
カラオケなんか絶対歌わないなどと嘯いていたのはこの頃だったか。今じゃ普通に歌ってるけど(笑)。

この曲、妙にダアの琴線に触れて・・ その後も季節の折々に口ずさんでいた。
それが何時しか忘れ去り(ギターも埃を被って)・・ 今を迎えた。何だか示唆的に感じたりもする。

   『遠きにありて』 作詞作曲 小椋佳

    きっといい人がいる きっといいことがある
    この街を出て夢のふるさとへ行こう
    たおやかな山すそに
    ゆったりと夕日が落ちるところへ
    話し好きのおばさんがいたり
    いろり囲んで熱いものを吸ったり

    きっといい川がある きっといいうたがある
    この街を出て夢のふるさとへ行こう
    移りゆく季節が それぞれの顔で話すところへ
    真すぐな光りのあつさもいい
    ふきなぐる吹雪の痛さもいい
    まして春 まして秋

放送当時の番組では、1番の前半から2番の後半へと歌われていた気がする。

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「甘いオムレツ」
・・・2013.10.05

大切な友人にGさんが居る。長い間ライバルとして、共に選手の指導を続けて来た。
今年のインターハイでGさんの教え子がメダル獲得。中学生を指導をする者の誉れと言っても良い。
一足先に指導を卒業したGさんとはバド以外でも共感出来ること(例えば音楽)が沢山あって・・
強化合宿のギターで盛り上がり、悪乗りして関東大会のレセプションでハモリを披露したりもした。

いつものように酒宴を用意してくれて、行きますかと仲間を誘いあい、お約束のカラオケ三昧・・
あれだけ愉快に過ごせたものが、卒業間近のダアは楽しめなかった。余りに展望の見えない現実。
時の移ろいはひとりダアを置き去りにし、何時しか理解しあえない深いドロ沼に嵌ってしまっていた。
選手もまたしかり。選手の向こうに居るべき(本当は向こうに居て欲しかった)人々もまたしかり。
一般論では時代に追随出来なかったダアと言う図になるのだが、後進に道を譲る時が来たのだ。
そんな時・・ 「甘いオムレツ。凄く良い曲ですよ。」とGさん。言葉だけは耳の奥に残っていた。

今、心の重しが取れて・・ 「甘いオムレツ」を聞いてみる。うん、心に沁みる良い歌だ。
で、久しぶりに歌いたい病の発症(笑)。2000年に発表された小椋佳の曲。実の母を歌っている。
 http://www.youtube.com/watch?v=BibF8fy6OSo
同年発表の同名小説(山根三奈)も興味をそそられる(幾つかのレビューを読んだ)。
 http://ameblo.jp/educa-zidoubungaku/entry-11260743374.html
歌を覚えて、小説も読んだら・・ 「甘いオムレツ」を肴にした呑み会って実現可能なんだろうか(笑)。

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 「S中
」・・・2013.10.01

バド開始から1週間、再び訪れた台東区。今回は二つのクラブの梯子を企てた。まるで暴挙(笑)。
前回訪れたIクラブ、Kクラブ。共に相応の味がある。それが今回は午後と夜の練習スケジュール。
で、結果は‥ もうボロボロ。思うように動かない。それでもコートに入るとアドレナリンは出まくり。
繰り返すミスに大声で叫びまくる。(余談だが、やはり最近の子供たちとダアは別の星人のよう。)
勝率は5割を切っただろうか、悔しさは10割超。負けん気の発露に好意を貰えたと信じたい(笑)。

帰路、歩道敷石の小さな段差につまずき転倒寸前。すれ違いざまの女性が驚く(笑)。
明けて‥ 全身が錆び付いたかのよう。歩を進めるのもそろそろと。まるで徘徊じいさん。
両腕をゆっくりと左右に上げるだけであちこちの皮膚が悲鳴。皮膚でも筋肉痛って言うのかな。
前夜、小母さんたちが区民マラソン大会出場を話してたけど、常日頃の運動が大切なんだね。
ダアも普段から走ったりしようかなんて一瞬だけ思った。けど、間違いなく無理(笑)。

既訪の地であっても別な目的で訪れると、人も街並みも景色も違った趣を見せるから面白い。
今回の夜の練習は隅田川沿いのS中体育館。何度か散策した川沿い隅田公園と道ひとつの隔たり。
体育館にあった校歌の作詞者が大友康平。「永遠の唄 Song of Forever」ちょっと垢抜けた歌詞。
・・Dream of Forever、・・Love of Forever、・・Friends of Forever Song of Forever
(参考URL http://www.taitocity.net/sakurabashi-jhs/aboutus1.html
大昔、ff(フォルテッシモ)を良く歌った・・ それだけのことだけど、バドで出会った物語です。

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「K小」
・・・2013.09.23

浅草かっぱ橋道具街その北端、言問通りに面したK小学校。次の日もう一つのクラブにも行ってみた。
参加者は前日と同程度。I小K小とも校舎3階に体育館(って言うんだろうか)。別棟じゃないのが新鮮。
学校がテニスや祭りばやしの稽古などに解放されていて、コミュニティセンターとして活用されている。

で、コートの中に初めて見た筈なのに見慣れた光景(変な言い回し)を発見。中年以降の男性に多い。
激しいラリーを続けている最中に、空振りやフレームショットをしてしまう。まるでダアを見るよう(笑)。
原因は老眼、相手のストロークに視点を合わせるので自分の打つシャトルにピントが合わない。
急がず(歳相応に)引き付けてゆっくりと打てば少しは改良されるのだが、ラリーについはやってしまう。
若年者には想像出来ないような事象に、苦笑いしながら親近感を覚えてしまう(笑)。

前から気になっていた台東区循環バス「めぐりん」にも乗った。どこまで乗っても100円。
3路線乗り放題が300円。15分毎に走行しているので観光の足として優れもの。いつか利用しよう。
休日の浅草も(多分)初めて。人の出が半端じゃない。普段は外国人が目立つが、日本語が多かった。
今回は2日間の日帰りだったが、安い宿が取れれば連日のバド三昧(観光込み)も楽しいかも。
それとも、いっそ定期券でも購入しようか(笑)。

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「I小」
・・・2013.09.22

初めての東京・台東区I小学校。ダアは南千住生まれだが、そのJR駅が最寄り。土地勘皆無(笑)。
大きな建物を探し当て、柵の中を窺いながら歩いていると階段に座る初老が視線を寄越す。
で、すがる目で「今日は練習無いんですかね。」ダアのバッグからラケットが覗いていたのだ。
「今日は練習日なんですけど‥」プリントを示す彼は埼玉から。ダアをクラブ員と思った模様。
「私もネットでそれを見て、来たんです。」帰る寸前だった彼とはウォームアップ仲間になった。

まだラケットもあるし(笑)、違った形でバドを楽しんでみようか。それならゼロから出来る場所が‥
検索すると幾つもヒット。常磐線やつくばエキスプレスの利用を頭に幾つかリストアップ。
事前に電話して受け入れを確認。と言うか、台東区のクラブはビジター歓迎を謳っている場合が多い。
茨城からに少し驚き、地元では?と、もっともな質問。でも、ゼロから出来る場所が良いんです(笑)。

この日の参加者は15名程度、男女比は2:1、年配が多いが青年もチラホラ。1ゲームの試合中心。
最初はBクラスだったダアは、やがてAクラスに編入。で、年寄りは個性が強い球回しをする。
大人しくスタートしたが、次第に大声を張り上げて‥ 矢張りスポーツは教えるよりやる方が面白い。
10ゲーム近くで500円は安いかも。帰り際、挨拶するダアを可愛いと言った小母さんに戸惑う(笑)。

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「再挑戦」
・・・2013.09.13

久し振りに海が見たくなって・・ 原チャリで出掛けてみた。
長い道のりを歩んできて、進むべき道が見えなくなっていた。
そろそろと走る沈んだ心。まだ残る夏の空気が纏わり付く。
追い抜かれるトラックに身構え、やがて抜かれるタイミングをリードする。
生身がそのまま突き進む危なさ。保身の本能が、何時しか心を無にする。

九十九里の東端から大洗まで。走った距離が(2日間で)500キロ。
グループのツーリングが多く居て(黒を主体の衣装)大型バイクでドッドッドッと。
原チャリ普段着は虫けらのよう。駐車スペースの憩いに遭遇すると、何だかミジメ。
でも、原チャリの良さは小回り。小さな浜にもズンズンと入り込む。
車が入れれば必ず居るサーファー。誰もが同じ顔に見える。
違う道を歩む人々の長い時間。そんな当たり前がスッと心に沁みる。

2日目の帰路、急な雨に見舞われた。
真っ黒で山のような雲。急いでいたのに捕まった。大粒で痛い。コンビニ軒下へ避難。
真っ暗な空を見上げながらの雨宿り、鮮明に脳裏に浮かぶものがあった。
土砂降りで下着までズブ濡れの新潟路。すれ違った同志の「ガンバレヨーー」の一言。
(台風で)テントが飛ばされそうになり、公衆トイレに避難した伊豆半島のキャンプ行。
共に若き日のサイクルツーリング。ウ~ン、何だか置き忘れていたものが蘇る気分。
あの頃、直前で頓挫した東北縦断なんかも再挑戦したいかも。勿論、今度は原チャリで(笑)。

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