サン・パウロU


☆ 6/29 

  《ダウンタウン散策編》   《日系人パーティ潜入編》

☆ 6/30 

  《ショッピング&シュハスコパーティ編》   《イビラプエラ公園散策&空港編》

☆ 帰路



 ハルディム(Jardim)から サン・パウロまで15時間のバスの旅。 片道一人R$90.00(約4,800円)
朝6:30に着き、そのままCaroの家へ向かう。

 ちょっと休憩したあと、サン・パウロのセントロ地区(ダウンタウン)へ向かう。
セントロ地区から歩いて5分ぐらいのところにあるリベルダーデ(Liberdade)地区で車を止める。
このリベルダーデ地区には 東洋人街(Bairro Oriental)があり、 海外にある日本人街としては最大規模らしい。
東洋人街のガルボンブエノ通り(R.Galvao bueno)と呼ばれるメインストリートには、 ちょうちん形の街灯と漢字で書かれた看板がずらずらと並ぶ。 横浜や長崎にある中華街っぽい雰囲気のある日本人街って感じ?

 そこの一角にCaroの友人の親が経営する医院があり、そこへ立ち寄る。 日系人だけあって、カタコトだけど日本語が話せる。日本から来たと言うだけで大喜びされ、おまけに、 ブラジル人男性を紹介するから、結婚してブラジルに住みなさいとまで言われる・・・うーむ。
日本に住む日本人より異国の地で遥かに苦労した日本人たちが作り上げた社会。 昭和初期の懐かしい香り(ちなみにまだ私は生まれてませんが・・・)が、どこともなく残っているようで、 ここには日本人らしい日本文化が根付いているようにも感じる。 カテドラル

 歩いてセントロ地区のセー広場へ向かう。 このセー広場がサン・パウロの中心となるところ。
その広場の傍らに建つカテドラル(Catedral Metropolitana)は、 1954年に40年の歳月を経て完成した 比較的新しい大聖堂。ゴシック様式のふたつの尖塔の高さは65mあるそう(左写真)。 中に入らなかったけど、ステンドグラスがとてもきれいだそう。
中心の広場だけあって、すごい人人人。出店もたくさん通りに出ていて、賑わっている。

 どこをどう歩いたかわかんないけど、連れて行かれたところは、雑然としたビルの中。 なんの飾りもないフツーのビルの中にアクセサリーや洋服、民芸品の店舗が各階にあり、 なんか日本だったら、怪しい危ない雰囲気のするショッピングゾーンって感じ。

 そこで、私が欲しかったココ(ココヤシの実の皮)で作ったイルカやタツノオトシゴのペンダントを買う。
ブラジルでは、ココで作った海の生きもの を身に付けていると、お守りがわりになるそうで、 日本にいるとき、Caroがくれたタツノオトシゴのペンダントが気に入っていたので、ブラジルへ行ったときは 是非買いたい一品だった。

 それと、もうひとつ・・・。U.S.Aではひっじょーに下品なとゆーか、卑劣なアクション(?)のひとつに 「Shit!!」とか言って、中指だけを立てるのがあるけど(なんて言うかわかんない・・・)、 ここブラジルでは、中指だけを立ててる手のことを"フィガ"と呼んで、 幸運をもたらす意味なのだそう。
フィガのペンダントヘッドは別の友達からもらって、これまた気に入っていた。これもゲット。 アイルトン・セナのモニュメント

 そして、ココのペンダントでヒトデ型のがあり、かわいいと思って購入しようとしたら、 レジで店員が「ほんとにこれ買うの?」 ってな感じで言った。Caroに通訳してもらうと、"ヒトデ"ではなく、"マリファナの葉"だった。
んで、これを付けてると、"私はマリファナやってます"という意味になるらしい。 いやいや、まぁ、日本ではそういう意味で受け取る人って、ちょー少ないと思うし、 むしろ、ファッションのひとつとしてしか見られないだろうと勝手に思い、心配ないと購入。
これらのペンダント、だいたい1個がR$1.00〜1.20(約54〜65円)で買える。 安い!

 それから、車で街中を走っていると、どこの通りかわからないけど、前方に何かモニュメントが見えてきた。 Caroが「アイルトン・セナだよ」と言った(右写真中央)。
F1ドライバーで世界的に有名なアイルトン・セナは、94年に事故死。ブラジルでは国葬され、今はモルンビー墓地に 眠っている。今もなお、彼の墓を訪れる人が絶えないとか・・・。


 
サン・パウロTOP  




フェイジョアーダ  Caroの家へ帰ると、Caroのママが
フェイジョアーダ(Feijoada)(右写真)を作ってくれてた。
レストランで食べてたフェイジョアーダは、人によっては具の好みがあるため、パーツ(?)ごとにわかれてビュッフェ形式に なってたけど、本来はごった煮状態。 各家庭で具や味が若干違うあたり、先にも言ったように日本でいうカレーみたいなもの。
今まで食べた中で、やっぱCaroのママが作ったのがイチバン! 濃い味付けにも慣れたのか、パクパク食べれる。おいしかった。

 食後、Caroも私もシャワーを浴びて、おめかしをする。
とゆーのは、年に1度しかない20〜30歳代の日系人パーティが今晩あるため。 ちなみに他の世代のパーティはまた別の日にあるらしい。 Caroが私の分までチケットをゲットしていてくれた。
しかし、パーティへ行くための衣装がない・・・とゆーことで、 上から下まですべてCaroの服を借りて着ていくことにした。

 パーティは夜11時スタートと遅い。10時過ぎにパーティ会場へ向かい、Caroの友達と落ち合う。
日系3世ともなれば、ほとんど日本語が話せない。 20〜30歳代といえば、ほとんどが3世、4世・・・ここまでくれば、日系人とゆーよりもうブラジル人だよね?
Caroの友達はとゆーと、ほとんどが英語ペラペラ、日本語カタコト。 日本語カタコトとゆーのは、日本に研修や仕事で来た事があるってこと。

 会場へ入る前に、チケットに名前と年齢を記入しないといけない。名前はいいとして、年齢は・・・。
Caroの友達は皆20歳前半。でも大人っぽい色っぽい。 うーむ、ここで私の本来の年齢を書いたらかえって怪しまれる・・・と思い、 20歳後半の年齢を記入した・・・(やっぱ、詐欺師?)。
そしてこのパーティは、ブラジル日系人だけのパーティ。顔姿からしてまず、怪しまれることはないけど、 ポルトガル語話せない・・・。
しかーし、よーく考えてみれば、私って"日系1世"って言えるじゃん。 ポルトガル語話せなくてもおかしくない。などとこじ付け潜入。これって、貴重な体験だよね?

 中に入れば、ダンスホールとカラオケホール(?)があり、多くの若者で賑わっていた。
どういうシステムだったか忘れてしまったけど、ワンドリンクコインかチケットがあったよーな? ドリンクバーでカクテル何種かあったけど、Caroが私に飲ませたいとカイピリーニャを もらいに行ってくれた。
このカイピリーニャ(Caipirinha)
ピンガにライムと砂糖を入れたブラジルではポピュラーなカクテル。
しかし、ここのカイピリーニャを味見したCaroは、味が違うと、カウンターに行って作り直してもらう。 が、やっぱり味が違うと憤慨。Caroの友達も味が違うと言ってる。
私も味見してみたい・・・と思ったけど、一口たりも飲ませてくれなかった。 「明日、家で作ってあげるから・・・」
私にホントのカイピリーニャを飲ませてあげたいというCaroの 気持ちがわからんでもない。んで、なんて名前か知らないけど、ピンク色のカクテルを飲んでいた。

 Caroの友達とかたまって飲んでいたら、ひとりの男の人が私にポルトガル語で話し掛けてきた。 目が点の私にすかさずCaroが、代わりに受け答えをすると、彼は去って行った。
「なんて?」とCaroに聞くと、私の飲んでるカクテルは何?と聞いてきたらしい。 他にも同じカクテル飲んでいる人いるのに何も私に聞かなくても・・・と思ったら、Caro曰く、 「話すキッカケが欲しかっただけ。ナンパよ。ナンパ。」
ほー、私も若者相手(?)にまだまだ捨てたもんじゃぁないなぁ・・・ォィォィ。

 ダンス音楽は、若者相手だけあって(?)、ポップス、ロック。サルサ、メレンゲはほとんど踊った記憶が ないんで、たーぶん、かかってなかった・・・かな?
しかし、ここはブラジル。サンバはかかって欲しいもの。Caroの友達にサンバはかからないの? と聞いたら、だいたいパーティ後半でかかるらしい。やっぱ、最終的盛り上がりにはサンバは欠かせない?
楽しみにしてたんだけど、サンバがかかる前に帰ってしまった私たち・・・。 あんまり記憶にないけど、午前2時か3時ごろに帰ったと思う。

 のちに、ブラジル日系人のHP J CLUB(ポルトガル語) にこのパーティの様子が載っていて、 Caroたちと一緒に写った写真がしっかり掲載されておりました・・・。 (ちなみに2003年時点で2001年の写真はもうUPされていません)


 サン・パウロTOP  




 朝目覚めてすぐに、Caroと近所のお店に行く。
そのお店には、焼きたてのパン、ハム、チーズ、そしてお菓子、果物などなどがあり、"朝食屋さん"って感じ。 ハム、チーズは種類豊富でブロックで置いてあり、「これを何枚ください」と言ってスライスして売ってもらう。
こぢんまりしたお店だけど、毎朝通っても飽きないかなぁ〜。

 パン、ハム、チーズと買って帰り、朝食をとる。
Caroの家では、ジュースは生絞り。毎朝、オレンジやカシスなどの果物を絞って飲む。 それだけ、果物が安くて豊富だということ。羨ましい限りで・・・。

 朝食後、お土産用の食料品とCDを買いにショッピングモールへ行く。
まず、私が買いたかったのは、"ポン・デ・ケージョ(チーズのパン)の素"。 Caroが日本にいるときによく作ってくれて、大好きだった。
日本のパン屋さんにもポン・デ・ケージョ(まるっこくて、外側はパリッ、中はモチモチッとしたパン)売ってたけど、 いまいちおいしくなかった。
このポン・デ・ケージョの素に、水と卵を混ぜてこねて丸めてオーブントースターでこんがり焼くだけ。 オススメのメーカーは"YOKI(与喜)"。

 それと、チョコレートなんだけど、LACTAの "Sonho de Valsa"。
男女が踊っている絵が書かれた赤紫のセロファンに包まれてる直径3cmぐらいの大きさのボンボン。 ナッツとか入っていて、ボリュームあって食べ応えのあるチョコ。もちろん甘いけど、私がまだ食べれる甘さ。 3個入ぐらいから、透明ケースにたっぷり入っているものまで、数はさまざま。

 あと、"ブラジル"と言えば、やっぱコーヒー。 小袋包装のものをいくつかゲット。
CDは視聴して気に入ったのと、Caroオススメなど、4枚ほど買ったかな?

 帰りには、Caroに再びモルンビー競技場へ連れって行ってもらう。 前回来たときにチェックしてた ブラジルサッカーチームのユニフォーム(コピー)をサッカー狂(?)の3人の甥っ子たちに買ってあげるため。
しかし、誰のがいいのかわからない私。一番人気というロナウドにした。 上下セットでそれぞれ3枚ずつ。結構な荷物になるけど、同じものじゃないとケンカするゆえ、仕方ない。
それと、兄用にシャツを1枚。全部でR$95(5.200円弱)。安い・・・。 シュハスコ用の窯

 Caroの家に帰ると、中庭では、私のお別れにとシュハスコパーティの準備をしていてくれた。 中庭にちゃんとシュハスコ用の窯(右写真)があるあたり、 ブラジル家庭ならでは。
Caroの友達が何人か来ていて、そして、もう一人の私のブラジル人の友達Suelyも来ていた。 シュハスコパーティ

 実は、Suelyにはブラジルへ行ってからびっくりさせようと、事前に 連絡してなかった。しかし、ブラジルでの日程がCaroにおまかせだったんで、 サン・パウロにステイするのが"いつ"で"どのくらい"なんて、把握してなかったため、彼女に連絡せずじまいだった。 で、Caroが最後の日にシュハスコパーティをするから、とSuelyに連絡をとってくれてた。
とにもかくにも、Suelyと会えてよかった。

 ここで、みんなとお肉を食べながら(左写真)、Caroのママが作ったカイピリーニャを飲んだ。 昨日の夜のパーティで飲めなかった念願のカイピリーニャ。さっぱりしてておいしかった。
Caroの友達は、昨日会った日系人の友達とは違う友達。日本語話せないけど、英語は話せる。 ってゆーか、Caroの友達ってほとんど英語を話せるみたい。それもペラペラと・・・。
自国語がポルトガル語で英語も話せて、プラスαでスペイン語、日本語なんて、う〜ん、羨ましい限りだ。


 サン・パウロTOP  




 一息ついて、シュハスコパーティはお開きに。 CaroとSuelyとCaroの友達3人と、車2台でおでかけ。
ちょっとした丘の広場で車を止める。そこの対岸の丘の上には、サン・パウロの市長だったか(?)、 公邸があった。しばらく、そこでくつろぐ。
それから、Caroが気を利かせ、Suelyと私を二人っきりにしてくれた。

 Suelyの車に乗り、街中を走る。Suelyの自宅前へ行き、「今度はぜひ家に泊まりに来てね」と 言ってくれた。Suelyには申し訳ないぐらいにゆっくりとした時間を共に過ごせなかった・・・。
私にプレゼントと、アマゾンの奥地で採れたゴムで作ったバッグとおそろいのポーチをくれた。 私はお手製のチリメンの袋だけだったのに・・・ありがと、Suely!

 セントロから南へ5kmほどのところにある イビラプエラ公園(Parque do Ibirapuera)へ向かう。
サン・パウロ市政400年を記念して造られた大公園。 この公園内には、池というより湖(かなりデカイ)があり、スポーツやジョギング、 野外コンサートができるイベント広場までもある。施設は 現代美術館、近代美術館、民族技芸博物館、航空博物館があり、日本庭園を持つ日本館もある。
が、夕方行ったため、道路沿いの バンデイラス(Bandeiras)記念像と、そこから 車でもうちょっと行ったところにある角柱のモニュメント(何のモニュメントかわからなかった)に 足を運んだだけ。しかし、ほんと広いひろ〜い公園。 バンデイラス記念像

角柱のモニュメント  バンデイラス記念像(左写真)は、植民地時代にブラジルの奥地を探検し、サン・パウロ市の基を築いた奥地探検者たち (バンデイラス)の業績をたたえて造られたものだそう。
先頭に馬に乗った人、その後ろの人たちは小船を引っ張って歩いてるみたいだった。 それにしてもでかいモニュメント。このモニュメントの置かれてる広場もだだっ広い。
ここから、結構遠くに角柱のモニュメントが見えていたが、そこも公園の一部らしい。 車で移動して行ったけど、モニュメントの下にある施設はすでに閉まっていて、Suelyに「何のモニュメント?」と 聞いたけどよくわからなかった(右写真)。
角柱の下部には、人が働いているような姿が彫られていた。

 夕闇も迫り、Caroの家へと帰らなければならない。 Suelyとは、ほんの短い時間しか話すことができなくて、別れるのが名残惜しかった。
Caroの家まで送ってもらい、「またね」と言って別れる。

 それから、23:50にダラスへと飛び立つため、20時にCaroとCaroのママと3人で空港へと向かう。
空港では、Caroのママのお姉さんが、アマゾンの町マナウスから遊びにくるみたいで、 まず、出迎えに行く。Caroのママのお姉さんはマナウスで日本料理のお惣菜屋さんをしてるらしい。 お店の名前忘れてしまったけど、おいしいと評判らしい。
空港のファーストフードで4人で軽く食事したあと、悲しいけど、とうとうお別れの時。
ほんとにほんとにお世話になりました。とっても楽しくて貴重な時間を過ごすことができました。 ありがとう!Caro!ママ!


 
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