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宋のすべて

宋代 飛翔する鶴は旅たつ者の意なのだが

複製〈故宮博物院の名蹟〉 二玄社より

徽宗:瑞鶴図
時は1112年、陰暦一月十六日の夕べのことです。北宋の都、開封の宮殿に突然瑞雲がたなびき、二〇羽の鶴が現れました。

この新年の祥瑞に三十一歳の皇帝、徽宗が感激し自らが画を描き、詩文を作し、それを痩金体の書に心をこめて書した詩書画三位一体の傑作です。(遼寧省博物館蔵)
SR10-2  徽宗:瑞鶴図 額装/絹本・設色
作品寸法:51.7 x 74.3 cm 額装寸法:71.7 x 94.3 cm
 89,250円
作品寸法の法は
高さ 苦の苦 
幅 財の六合 となり
特に高さはおめでたにしては異常
SR10-4 徽宗:瑞鶴図題詩 宋時代 掛軸/絹本
作品寸法:51.2 x 62.5 cm 商品寸法:148 x 74.5 cm
89,250円
作品寸法の高さは苦の官鬼とこれも異常

定に見る飛翔する鶴 これは死者への副葬品です
やがて天に向かって飛び立つ鶴  その有様が3つの鶴に描かれる


1112年に何が起きたのか


官鬼から官のたくらみにおとしいれられまず20名の官吏が誅殺されたとみるべきでしょうか
これがもし旧法党の人々であらましを徽宗の知るところであれば身動きのとれない帝を意味し、
哲宗の時と同じくこの頃皇帝には力がなかったとなる

また蔡京達に良いように丸め込まれていたとするなら、うつけとなります
題詩の中身を知りません 場合によっては後世 改ざんされたかも知れません
面白いことに改ざんは漢人の得意技のようです 異民族の元ははじめうまく漢人を使い
清代は皇帝の出来がまた良く 古く唐代は中国文化にあこがれひたすら同化しようと頑張りました
異民族である私達日本人がひたすら中国の文物 文化を愛し憧憬しまた深い歴史の闇をこうして探るのと同じです

以下は気楽なお気持ちでお付き合いください

椅子から眺める皇帝の人柄 宋と明 明代はやはりすこぶる質が悪い

もし宋の歴史の改ざんがあった そう仮定するといつ何のためになされたのでしょうか この明代が最初ではと思います
宋代をモチーフとした水滸伝 これが明で書かれたところがうさんくさいのです
ちなみに馬鹿に椅子と足置きが立派になるのが永楽から 永楽は経済拡張主義ですから先史をあやめる必要が薄い
宣徳帝の子 英宗あたりから宦官により歴史認識がおかしくされたのではと感じます

徽宗帝
椅子の質素なこと
明 太祖洪武帝(朱元璋 )
英宗 
椅子から暗愚と知れる 
弘治帝
生い立ちが悲惨な事が知れる
後ろに衝立が現れる
質素な椅子一つから導かれたプロファイリング
このことからも後世 徽宗帝の改ざんがあったと知れる 宋はどこまでいっても質素です

これは正しいのでしょうか?
皇帝としての徽宗は自らの芸術の糧とするために、庭を飾る大岩や木をはるばる南方より運河を使って運ばせた(花石綱
また芸術活動の資金作りのために水滸伝の悪役として名高い蔡京や宦官童貫らを登用して民衆に重税をかけた。

絵から見た花石綱
後世おもしろおかしく語られる徽宗帝 本当でしょうか 歴史の裏から出た事実の多くが否と言います
宋代 徽宗帝の宮中の絵には有名な太古石など確認ができない 逆に清代 多くの絵にそれらが見られる

磁器から見た趣味人
徽宗帝が自らの楽しみに作らせたもの 磁器ひとつとっても未だそんなものを多く確認しておりません
興国のキャメルエッグの壷一つ これが徽宗帝が国の為に焼かせた現在唯一の壷です
国の繁栄を皇帝としてささやかに願うことが国を亡ぼした理由になるのでしょうか

花石綱は後世の史実改ざんと思われてなりません
 

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